ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり昔の鉄道車輌を並べさせたり、昔ロマンを楽しむのが趣味です。よろしゅうお願いします

日本最大級のカルスト台地“秋吉台”と“秋芳洞”

皆さん、こんにちは。今回は日本最大級のカルスト台地といわれる『秋吉台』と『秋芳洞』を観光してきたので、紹介しようと思います。

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秋芳洞

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カルスト台地 秋吉台

 

 前日に宿泊した湯田温泉から路線バスで約30分、秋芳洞入口まで行きます。

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秋芳洞バス停

秋芳洞と秋芳台は湯田温泉からバスが出ている他に、新山口駅または美祢駅から路線バスが出ています。新山口駅からバスで45分です。

ビクティニ:秋芳洞はバスで行くことができるよ。

ゴンベ:ここから秋吉台に行けるんだっぺ~。

 

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美祢の由来は蒸気機関車?

美祢市はかつて『鉱山の町』としても有名だった場所でもあります。ここで採掘された無煙炭は燃焼時に本来の石炭独特の煙や臭いが出にくいことから日本海軍で使用されていたようです。戦後には厚狭~長門を結ぶJR美祢線こそ、当時の炭鉱輸送に貢献した路線であり、沿線住民の生活や日本の経済を支えてきたのです。そのこともあり、近代日本を支えてきたのが、美祢市であり、また沿線を走っていた蒸気機関車も日本の経済を支えた名残でもあるということで、「みね」の文字が「蒸気機関車の形」としてのシンボルとなったと思われます。

 

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ラムサール条約にも指定された秋芳洞

 秋芳洞に存在する『秋吉台地下水系』は、前回紹介した釧路湿原と同様に『ラムサール条約湿地』に登録されています。

ビクティニ:ここでもラムサール条約に指定されているんだ。

ゴンベ:釧路湿原みたいな天然な自然だっぺね。

 

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秋芳洞の観覧料金は大人1人で1300円です。

 

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特別天然記念物 秋芳洞

秋芳洞は、石灰岩が浸蝕、溶解されて生じた洞穴で、国内の石灰洞としては最大級のものとされています。そのことから、日本の鍾乳洞における特別天然記念物として登録されています。

 

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秋芳洞から流れる地下水
秋芳洞から流れた地下水が川となって流れています。ラムサール条約で定義とされるのは、湿原・河川・湖沼・地下水系・マングローブ・藻場・干潟・サンゴ礁等が含まれますが、洞穴から流れ出る地下水によって鍾乳石や石筍など、芸術的な洞窟生成物を生み出していることからラムサール条約に登録されている理由でもあるのです。

シャワさん:天然の水が涼しい・・・。

にょろもう:自然の水だ~!

 

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秋芳洞 入り口

秋芳洞の入り口です。切り立った岩壁の奥に鍾乳洞があります。

ビクティニ:この先に洞窟が・・・。

ゴンベ:冒険の予感だっぺ!

 

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鍾乳洞ならどこにでもある観音様

鍾乳洞に入ると、入口の観音様の仏像が出迎えてくれます。

 

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秋芳洞冒険コース

秋芳洞の入り口付近には「冒険コース」があります。

 

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遊歩道

秋芳洞は秋吉台国定公園の地下100mに位置し、その南麓に開口する日本最大級の鍾乳洞です。

この洞窟の成分が石灰岩で出来ているため、その石灰岩が雨水や地下水によって溶解されて崩落して大きな空間が生じたことで、この鍾乳洞が出来たといいます。また、秋芳洞の地上には秋吉台があり、カルスト台地になっているので、その大地にある石灰岩が雨水や地下水によって溶解された石灰岩が最終的にこの洞窟に流れ出るというわけなんです。

ビクティニ:この洞窟はみな石灰岩で出来ているんだ。そのことから、近くに鉱山なんかもあったりするものね。美祢市はかつては「炭鉱の町」として栄えていたのもこれらの石灰岩のおかげと言っても良いのかも知れない・・・。

ゴンベ:この洞窟は涼しいっぺ~!いくら10月でも外は暑かったっぺよ・・・。

 

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青天井
我々が入ってきた入り口にはいると『青天井』という空間が広がります。水面の青さが天井に反射して青く光ることから、このように名付けられたようです。ここは高さ30m、幅50mと秋芳洞のなかでも最大の広さがあります。実際に天井が青く光って見えるかどうかは、鍾乳洞の入口から差し込む光の量に左右され、条件が揃わなければ見られないといわれています。

ビクティニ:天井がすごく高いね・・・。

ゴンベ:誰か登ってるっぺ。

 

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百枚皿
段丘の中腹から流れ出た地下水が波紋の形に固まったもので、多くの皿を並べたような姿から『百枚皿』と名付けられていますが、実際には500以上あります。水の波紋の端の泡立つ部分に石灰分が沈積しており、よく見ると波紋の縁の部分だけが長い歳月の間に盛り上がっています。その形状から皿状になったといわれているのがその由来です。

 

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洞内富士(広庭)

 洞窟の地下水に含まれる石灰成分によって、石灰岩が織りなす芸術を生み出します。

あたかも洞窟の世界にそびえ立つ富士山を連想させる洞内富士は、洞内で最大級の石筍です。これは、天井から流れ出た地下水に含まれる石灰成分によって沈積し、それが地面の土と交えてだんだん出来上がったといわれています。

 

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岩壁に映える2本の線
川の向こうに映る2本の線は、数万年前の川底の堆積物の跡です。これは地下水によって堆積物が流され、徐々に川底が下がり、現在の位置より高い位置が川底の後として残っているようです。

 

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千町田

しばらく歩くと先程の『百枚皿』と似たような光景が現れます。これは『千町田(ちまちだ)』といい、広い水田の景観を思わせることから、その名前が付きました。こちらも先程の『百枚皿』と同様に「石灰華段丘」で、地下水の石灰成分と縁の部分で構成されてできたものです。また、目を凝らして見てみると「メクラヨコエビ」という5㎜~1㎝にもなる生き物が生息しているようです。しかも、洞窟の中に生息しているため目が退化しており、色素も失われています。体は半透明の美しい乳白色をしているのでなかなか見つからないのかもしれません・・・。

ビクティニ:ここには「ヨコエビ」が生息しているみたいだけど、体があまりに小さいのか見つからない・・・。

ゴンベ:ワシは見つけたっぺよ!ラッキー!

 

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高台から見た千町田

遠くから見てみると、本当に地上で見られるような田んぼの景色に見えますね(笑)

これぞ、洞窟の地下水と石灰成分が生み出した芸術的なジオパークといっても良いのではないでしょうか。

 

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分岐点

ここから黒谷支洞秋吉台展望台への道でそれぞれ分かれています。秋吉台へはエレベーターで行くことが出来ます。一方、黒谷方面はこのまま進んでいきます。

 

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黄金柱

先に進むと、大きな鍾乳石が現れます。そう、これぞ、秋芳洞のシンボルといえる『黄金柱』です。

これは天井から流れ出た大量の地下水が岩壁を伝い、その部分に石灰成分が付着して何万年ものの年月をかけて、巨大な柱を築き上げたものです。高さが15m、幅4mと国内にある鍾乳洞の中でも最大級の鍾乳石です。

ちなみに『黄金柱』は愛称であり、正式の名前は「石灰華柱」といい、これは地下水に含まれた炭酸カルシウムが水温の変化や水の蒸発などのため炭酸ガスCO2の空中への放出によって過飽和となり,沈殿して結晶となったものなんだとか。

 

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紺屋の藍壺
黄金柱のすぐ近くには『紺屋の藍壺』があり、大昔にこの鍾乳洞が発見される前、このあたりはコウモリの住処としては絶好であったことから、コウモリのフンが溜まって化石化したといいます。大昔といえど、ちょっと気持ち悪い話ですね・・・(^^;)

 

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黒谷支洞入り口

黄金柱を通り過ぎると、黒谷支洞になります。

 

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巌窟王
支洞に入ると、まるで仁王立ちしたかのような形相をした岩が立っています。『巌窟王』です。 これも石筍の一種で鍾乳石が重なって出来たものです。今まで見てきた鍾乳石とは違い、ゴツゴツ感のある岩ですが、あたかもどこぞの美術館の芸術作品みたいですね。

 

他にも『クラゲの滝のぼり』や『龍の抜け穴』など、ネーミングセンスにふさわしい名称のスポットが見受けられます。

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龍の抜け穴

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クラゲの滝のぼり

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洞窟内に生える植物(?)

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マリア観音

 

黒谷口を抜けると「三億年トンネル」が・・・。

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三億年のタイムトンネル

ビクティニ:狭い洞窟を抜けたと思ったら、こんなトンネルが・・・。

ゴンベ:不思議な空間だっぺ・・・。

 

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黒谷側入口

トンネルを抜けると黒谷側の入り口です。

ビクティニ:終点まできた!

ゴンベ:地上の空気はうまいっぺ!

作者:今度は秋吉台へ行くので、先程の分岐点へ戻ろう。

ビクティニ:また戻るんかい!w

ゴンベ:そういや、さっきエレベーター乗り場があったみたいだっぺ。

 

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秋吉台へはエレベーターで行けます

ということで、秋芳洞からエレベーターで上って秋吉台入り口にやってきました。

ここから秋吉台へは徒歩5~10分で行けます。

ビクティニ:やっぱりさっきまでいた洞窟にいたのが嘘のように開放感があるな~。ここと秋芳洞の高低差が80mもあったんだね・・・。

ゴンベ:ワシら今まで結構地中にいたんだっぺね・・・。

 

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しばらく森の中を歩いていくと・・・

 

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日本最大級のカルスト台地“秋吉台”

エレベーター乗り場から坂道を上っていくと・・・ついに!

日本最大級のカルスト台地『秋吉台』です!

4502ヘクタールの総面積を持つ秋吉台国定公園の中に位置する『秋吉台』は、石灰岩の白い岩肌が露出した地形が特徴的で日本のカルスト台地の中でも最大規模の広さを誇っています。秋吉台は今から3億5千万年前のこと、南方の海底火山に珊瑚礁として誕生した石灰岩が、プレートの移動によって現在のカルスト台地となったのがはじまりだと言われています。そのことから、秋吉台の石灰岩には、古生代時代に海に生息していた生物の化石が多く含まれていると考えられます。何千年、何億年とかけて海から山へ堆積しながら移動した石灰岩の厚みは、500m~1000mあり、その台地に雨水が流れ、長い時間を掛けて石灰岩が溶けてカルスト台地として今日まで至っています。

 

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展望台から見るカルスト台地
秋吉台のカルスト台地こそ、人類よりとてつもなく古い地球の歴史と大自然が生み出した芸術の象徴でもあります。これは人類の文明が生まれる遥か古代より続く地球の営みが造り上げた大地のアートと言っても過言でないでしょう・・・。

ビクティニ:わ~!こんなに広大なカルスト台地は初めてみた!野原に露出した岩が自然の美しさと地球の歴史を物語っているね。

ゴンベ:大草原と岩のコントラストが良くマッチしてるっぺ!

 

 

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カルスト台地に露出している石灰岩
カルスト台地特有の石灰岩は炭酸カルシウムで出来ています。これは石灰岩が雨水や地下水によって溶かされてできたのがカルスト台地です。そのカルスト台地に降る雨は空気中の二酸化炭素を含み込み弱酸性の水となります。さらに地中を通る時に、多くの二酸化炭素を含んだ水が、石灰岩に触れると化学反応をおこして徐々に溶かしていきます。地表を流れた水は、「ドリーネ」といわれる窪地を伝って地下水として染み込んでいくことで鍾乳洞として成形されます。このように、石灰岩が溶けてできた凸凹のある地形と地下の洞窟をまとめて、カルスト地形と言われているのです。

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カルスト台地が生んだ鍾乳洞
秋吉台の石灰岩地層は、数百メートルの厚さに及んでいます。地殻変動などでできた割れ目は溶かされ、徐々に大きくなり、やがて水路ができます。壁や天井が崩れ、その空間が大きな洞窟へと変貌していきます。また鍾乳石や石筍などの二次生成物が形成され、初めて「鍾乳洞」として生まれるのです。この秋吉台の地下には、大小あわせて約420ものの洞窟が存在しています。そして、その地下には秋芳洞があるということなのです。

 


カルスト台地『秋芳洞・秋吉台』を探検

 

 

「日本最大級のカルスト台地“秋吉台”と“秋芳洞”」をお伝えしました。

 

天皇陛下御即位のパレードが開催されました!

みなさん、こんにちは。今日は令和の天皇陛下御即位のパレードが東京にて開催されたのでお伝え致します。本来ならば、10月の3連休に行われるはずでしたが、台風19号で延期となったとのことで、11月に開催されました。

 

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多くの人々に満面の笑みを見せる皇后両陛下

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皇居に到着なされた皇后両陛下

様々な災害に見舞われる中、両陛下は我々国民に寄り添う気持ちで新時代を迎えます・・・。

 

来年こそは災害の少ない(無い)年になれますように!

 

以上、皇后両陛下パレードをお伝えしました。

世界遺産の城下町“萩”を観光しました その2

皆さんこんにちは。今回は萩の続きで、城下町の方を散策していきます。

 

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世界遺産に登録された城下町

萩の町並み自体が『城下町』として当時から残っているということで、『明治日本の産業革命遺産』かつ『世界遺産』に登録されています。

これは幕末に日本が産業化を目指した当時の地域社会における政治・行政・経済をあらわすもので、城跡・旧上級武家地・旧町人地の3地区から構成されています。 

 

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萩城下町
いかにも当時から残る城下町の遺構が残る建築物群こそ、それら3地区のうち『旧町人地(萩城城下町の大部分)』に含まれています。
これは萩藩の産業化や西洋技術の導入にあたっての政策形成が行われ、また当時の城下町における高度な匠の技があって日本の産業化が急速に進んだと思われます。萩城下町は、日本の産業化を試みた幕末における地域社会が有していた江戸時代の伝統と身分制、あるいは社会経済構造の成長を物語っています。

 ビクティニ:これが城下町か・・・建物も当時のままだ・・・。

ゴンベ:塀がいかにも城下町だっぺ。

 

 

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萩といえば夏みかん
昔から城下町らしい塀越しや、武家屋敷の庭園に生える夏みかんの木と実が萩の風物詩にもなっています。5月上旬~中旬頃には、白い小さな花を咲せ、甘い香りに包まれた城下町に情緒を感じさせます。萩城下町を包み込む夏みかんの花のかおりは、環境省選定「かおり風景100選」に選ばれています。

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木戸孝允の旧宅1

 

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木戸孝允の旧宅2

 『桂小五郎』の名でも知られ、“維新の三傑”と詠われた木戸孝允の旧宅です。天保4年(1833)にこの家に生まれ、嘉永5年(1852)に江戸に出るまでの約20年間、この家で過ごしていました。

当初は7歳まで生家の和田家でつけられた名前で名乗っていましたが、その後桂家の養子になってから前者でもあったように『桂小五郎』という名前がつけられ、これは「通称の名前」として使っていたようです。しかし、『木戸』と改名されたのが幕末期の長州藩の立場と深く関わっていたからだといいます。
・・・意外なことですが、幕末期当時、彼は幕府の指名手配犯とされ、新選組や会津藩の手から逃れるために、「広戸孝介」など十数個の名前を使い分けていたようです。後に「木戸」姓に改名されたのが1865年とのこと。

ちなみに、長州藩は藩の要職として桂小五郎を登用したかったようですが、幕府の指名手配であったことから、長州藩が「桂」に改名するように命じたのです。いわば「木戸」という姓は長州藩から賜ったものなのです。

その後1868年、彼は自らの諱(いみな)である「孝允」を使って「木戸孝允」と正式に名乗るようになったのです。

 

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旧宅の雰囲気

旧宅や庭はほぼ当時のままで残っています。

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敷地内に設置された『井戸』

かつては武家屋敷や旧宅の敷地内には、このような井戸が配置されていました。当時は水道が無かったため、地下水からこの井戸を使って水を汲み上げていたと思われます。

 

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木戸孝允の生涯

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萩城下町の絵図

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「今日」の手習い

座敷には「今日」という手習いは桂家の養子となる前の「和田小五郎」という幼き頃に書いたもので、朱書きで「以っての外よろしい」と褒め言葉が書かれています。これは上出来なものにしか書かれなかった言葉なのです。その言葉があると城下では大評判になったそうです。

 

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木戸孝允の肖像画と写真

屋敷内には木戸孝允の写真と肖像画が飾られています。

 

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桂小五郎の像と手習い

木戸孝允の像と手習いがありますが、こちらの手習いは「桂小五郎」として11歳になってから書いたものです。

よく見ると書状冒頭の決まり文句である「一筆致啓達候」(いっぴつけいたついたしそうろう)と書いた行間の下方に「桂小五郎」と署名されています。また上部中央に「癸八月七日」とあることにより、書いた日付までが明確で署名の上には師匠が朱で「天晴見事々々」(あっぱれみごとみごと)と書き入れがされています。当時の萩城下の習わしとしては飛び切り上出来の評価とされています。ちなみに上出来は「見事」、上々出来は「見事々々」という意味だったとのこと。

 

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木戸孝允旧宅の庭

庭園には灯籠をはじめ、南国で見られるような植物や植え込みが見られます。中には樹齢が1000年を超える松の木も植えられていました。

 

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玄関口

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旧宅の鴨居

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二階へ続く階段

鴨居の高さは約160cmあります。私の身長は175cmくらいありますが、身を低くしないと通れないくらいです。しかし、この屋敷が設計された当時は昔の人の身長に合わせたもので、梁や引き戸などはほぼ当時のままで残っています。また、第二次大戦中は人があまり住んでいないために奇襲されなかったことから、こうして当時のままで旧宅が残っているのです。そういうことを考えれば、世界遺産に選ばれている理由としてはふさわしいのではないかと思われます。

 ちなみに管理人の話によると、江戸時代は二階から萩城がよく見渡せたとのことです。

 

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庭に置かれた水琴窟

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植え込みの松の木

 

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錦絵1

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錦絵2

日本史の中でも大きな転換期となったと言われているのが明治維新です。その中で征韓論は近代化に向けて政治的・社会的変革が進む明治初期に巻き起こり、その結末は大きな政治事件へと発展していったといいます。
征韓論を唱えていたのは、明治維新に関わっていた江藤新平や板垣退助らで、大久保利通や木戸孝允ら岩倉使節団の欧米視察の際に日本に残っていた留守政府の首相だっあのです。征韓論といえばかの有名な西郷隆盛が中心人物とされますが、考え方としては江藤新平や板垣退助らとは若干違っていたのです。西郷は朝鮮への主戦派を抑える側に回っていたのです。征韓派の主な人物としては西郷隆盛・板垣退助・江藤新平・副島種臣・後藤象二郎です。

それに対して反対したのが大久保利通・岩倉具視、そして木戸孝允などの岩倉使節団として欧米視察に携わった政治家たちだったといいます。彼らは欧米と日本の国力の違いを見てきて、その当時の日本は内政の充実と国力の増強が優先的で国外のことに干渉したり戦争をしたりする余裕がないと感じていたことから、朝鮮への出兵は時期早々と反対していたといいます。その人物が大久保利通・岩倉具視・木戸孝允・大隈重信・大木喬任です。

 

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青木周粥 旧宅

青木家の旧宅です。

青木周粥は大島郡和田村(現周防大島町)の医家として生まれ、藩主毛利敬親の侍医や医学館の館長を務めました。日本屈指の蘭学者で、青木家を継ぐ実弟・研蔵も長崎で最新の医学を学び、各地から集った多くの弟子を育てました。種痘の技術を初めて藩にもちかえり、天然痘を予防することに成功したことから、明治2年(1869)に明治天皇の大典医に任命されたのです。

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萩城下町の絵図

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青木家の灯り

先程の木戸孝允旧宅の照明は、硝子仕様の小ぶりなものでしたが、こちらの照明は和紙仕様の一回り大きいものになっています。

 

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萩城の古写真
青木家には萩城が残っていた当時の写真も展示されています。このお城は廃藩置県に伴い、明治7年に払い下げられたとのこと。解体される前に撮ったもので萩城が丸々写った写真は大変貴重なものかと思われます。毛利36万石の居城として栄華を誇り、また明治維新の原動力として近代日本の礎を担ったお城でもあります。現在では本丸は残っていませんが、石垣などは残っているとのこと。

 

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萩城下町の変貌1

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萩城下町の変貌2

萩城下町の変貌を描いた絵図には、江戸時代初期から中期・終わり頃に書いたもので、それら3種類の絵図で城下町の道路や建物などの位置の移り変わりが示されています。

侍屋敷はそれぞれ三角州北西部の堀内、北東部(古萩・浜崎)、南部の平安古・江向・土原・金谷などの配置されています。町屋は三角州北東部の北東部に古萩に集中しています。北東の端にある浜崎、南部の平安古・唐樋・橋本・椿などに配置されています。また、三角州内には田畑があり、農家もあったようです。寺院は小高い場所にあります。
江戸時代中期になると田畑から宅地に、侍屋敷も増えていきます。また町屋も増え、享保4年(1719)に藩校「明倫館」も完成します。

 

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炊事場

昔はかまどで炊事がされていました。

 

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萩人形

書院造には「萩人形」も飾られています。萩人形は針金、綿、布を用いて、すべて手作りにより製作された高さ約12㎝の日本人形です。これもいわゆる萩の伝統工芸の1つにもなっています。

 

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掛け軸と生花

掛け軸や生花も展示されていて素敵です。生花の花瓶は萩焼でしょうか。

 

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書院造の引き戸は江戸時代当時もの

書院造には江戸時代からずーっと残っているものもあります。居間にある小さな引き戸の絵図は、色の褪せ方から見れば江戸時代当時に描かれたもので、復元したものではありません。ちなみに、管理人の話によると「江戸時代から使われたもので仕舞い込んだもの」とのこと。確かにこの色の褪せ具合から見ると、江戸時代からよく残ったなあと感心してしまいます。

 

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青木家の庭園

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円政寺

城下町にある円政寺は伊藤博文ゆかりのお寺です。博文の母親はこのお寺の住職とは従兄弟関係にあったことから、息子の博文は教育のためにこのお寺に預けられたといいます。

 

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コナンの舞台にもなった円政寺
意外なことに、このお寺は名探偵コナン「明治維新ツアー」の舞台にもなっていたようです。

 

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大河ドラマの舞台にもなった円政寺
また、このお寺の近くにはNHK大河ドラマ花燃ゆの大沢たかおが演じた小田村伊之助、群馬県令(県知事)かとり素彦が住んでいたようですが、その家は無くなっているようです。

 

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大天狗の面
また、円政寺の境内には金毘羅社社殿(市指定有形文化財)があり、全国でも珍しい神仏習合の形態が今でも見られる点で貴重なものになっています。その1つが『大天狗の面』で天井にあります。これは高杉普作が小さい頃、病弱でその母親がこの金毘羅社にて健康を祈願し、拝殿の大天狗で勇気づけたといいます。

 

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普作と博文が遊んだ木馬
高杉普作と伊藤博文が幼少時代では近所の遊び友達で、この木馬の上に乗ったり頭をなでたりしたというエピソードもあったようです。

 

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マンホールが案内表示に

城下町のマンホールにも観光案内がされています。城下町ではよく見られるなまこ壁や夏みかんのイラストが印字されています。

 

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旧久保田家 住宅

旧久保田家住宅は、江戸時代後期に建てられたもので、呉服屋・酒造業を営んできた、いわば町屋の1つです。旧御成道(いわゆる大名行列が往来した道)に面しており、この通りに対して菊屋家旧宅に対峙するかのように並んでいます。幕末期から明治前期にかけての建造物として、意匠・構造・技術に優れていたことから、酒造業で繁栄した当時の状況がよく伝わり、萩城下町を構成する非常に重要な萩市文化財として保存されています。

久保田家は、初代庄七が江戸時代後期に近江から萩に移って呉服商を開き、2代目の庄次郎から酒造業に転じたと伝えられます。以来明治30年代まで造り酒屋「あらたま酒店」として営業していたようです。明治時代には、来萩した名士の宿所としてもしばしば利用されていたといいます。

 

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鴨居が高いのが特徴的
旧久保田家住宅の主屋は、屋根裏に物置や使用人の寝間を設けた「つし二階」を持ち、立ちが高いのが特徴的です。そのため、写真の鴨居が先程の木戸孝允旧宅などと比べて鴨居が高くなっています。また、屋敷自体も結構広いです。こんなに広いのは、おそらく商売を前提とするためだと思われます。

 

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久保田家の城下町絵図

ここにも城下町絵図があります。

 

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旧久保田家住宅の敷地内に蔵がある
旧久保田家の特徴としては「町屋」という呉服屋・酒造業を営んできた名残もあってか、蔵があります。

 

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漆塗り

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ランプ(?)

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会計に使われたと思われるそろばん

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物品の測量に使用されたと思われる竿秤(さおばかり)

蔵の中には漆塗りやランプなどが展示されています。呉服屋や酒造業の他に様々な物品で商売していたかと思われます。

 

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久保田家旧宅 庭園

 庭園も先程の青木家や木戸孝允旧宅と比べるともっと広いです。

 

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旧久保田家 居間

居間も広い空間で、掛け軸や生花も立派です。

 

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茶室

四畳半になっている部屋は茶室のようです。中央にある畳は、おそらくお湯を沸かすための囲炉裏があると思われます。

 

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久保田家の炊事室

 炊事室です。屋敷内に井戸がありますが、これは商売を前提としていることから、屋敷内に設置したものと思われます。また、当時は水道が無かった時代でもあったので井戸から汲み上げた水は「水瓶」に貯蔵していたのです。

 

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小さな箪笥

昔はこの箪笥で商売道具を管理していたのでしょう・・・。

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杵と石臼

この道具を使って純米の酒造をしていたと思われます。あるいはもち米を使って和菓子を作っていたのでしょうか。

 

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旧菊屋家住宅

菊屋家住宅です。こちらは久保田家の萩市の文化財とは対照的に重要文化財になっています。

 

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菊屋家住宅が重要文化財に
菊屋家の構造としては、主屋・本蔵・新蔵(金蔵)・釜場・米蔵の五棟があります。主屋は家に残る古文書や言い伝えによると、慶長9年(1604)に敷地を拝領し、慶長11年に家が出来上がり、完成祝に輝元公を招待していることから、その頃と思われ、現存する町屋においては全国的に最古に属している建造物と思われます。

 

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御成門

長屋門から入られた御上使はこの門を経て書院に通られたとのこと。

 

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立派な井戸

井戸も一回り大きいです。

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貯水槽

もしもの火災時のために設置されたもののために貯水槽も設置されています。

 

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菊屋家 居間

主屋の居間には行灯、火鉢、掛け軸などが展示されています。

 

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菊屋家 庭園

庭園はかなり広いです。松の木や紅葉などの植物に趣が感じられます。

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書院造

書院造の掛け軸や扇子などは立派です。

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萩焼

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琵琶や尺八、法螺貝など

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陣笠、短筒、遠眼鏡、鉄扇など
萩の伝統工芸の代表とされる萩焼をはじめ、琵琶・尺八・法螺貝などの楽器。戦で使うような陣笠や短筒、鉄扇などが展示されています。

 

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みせ
菊屋家はもともと豪商ということもあり、御成道に沿うように部屋をとり、前に深い土庇を設けていました。これが「店」としての役割を持っていたのです。

 

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古萩
萩焼は一般的に京都の楽焼、九州の唐津焼とともに茶道における道具として使われましたが、初期から多量の日曜雑器が焼かれています。こちらの「古萩」といわれる焼物の中では茶道・水指・香合・置物等でも様々な作品に趣が感じられます。

 

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本蔵
 菊屋家でも先程の久保田家と同様に商品を保管するための蔵も存在します。こちらの「本蔵」は江戸時代から同じ場所に建っているものの、19世紀後半頃に建て替えたもののようです。

 

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釜場
 ここでは、商売のために醤油や味噌などの製造に使われていたものの、火事になった際には炊き出しにも使っていたようです。

 

 

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久々の津和野へ

続いて津和野にやってきました。以前津和野駅の駐車場にD51がありましたが、最近は津和野駅前に展示されるようになりました。

 

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鯉が泳ぐ津和野の町

秋の津和野はやはり鯉が似合います。萩には旧湯川屋敷の水路に鯉が泳いでいますが、津和野の鯉は城下町通りの水路で泳いでいます。

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弥栄神社

弥栄神社で久々に参拝しました。

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太鼓谷稲成神社

太鼓谷稲成神社でも参拝。

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お供え物の油揚げも添えておきます

稲成神社のお供え物といえば油揚げですね。

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SLやまぐち号に乗車

この後はSLやまぐち号に乗車しました。今回は貴婦人のC57-1号機が令和初の乗車になります。

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湯田温泉にて下車

SLやまぐち号で湯田温泉駅にて下車しました。

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湯田温泉は白狐が見つけた美白の湯

開湯は約600年前といわれ、白狐が毎夜温泉に浸かっていたところを権現山の麓のお寺のお師匠さんが発見したとされています。田んぼの真ん中から金色のお地蔵さんや、源泉が湧出したことから、「湯田」という名前の由来なんだそうです。

 

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湯田温泉 足湯

湯田温泉街には足湯があり、足湯に浸かるとがん細胞を殺す作用がある「NK細胞」の活性度がアップすることから免疫力を上げる効果があるといいます。

ビクティニ:温泉はいいね~。

ゴンベ:良い湯だっぺ~。

 

“世界遺産の城下町“萩”を観光しました その2”をお伝えしました。

世界遺産の城下町“萩”を観光しました その1

皆さん、こんにちは。

今回は山口県にある世界遺産の町『萩』を訪れました。今でも武家屋敷や城跡が残り、日本の近代化にも貢献した城下町でもあったことから、『世界遺産のまち』またの名を『萩城下町』として認定されています。

 

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松下村塾のある松陰神社の境内

その中でも世界遺産に認定されている『松下村塾』が有名でこちらの松陰神社の境内にあります。

 

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松陰神社
この神社は明治40年(1907)に創建され、吉田松陰を祭神とする神社で、明治23年(1890)8月、松下村塾出身者などにより松下村塾の改修が行われ、松陰の実家である杉家により私祠として村塾の西側に土蔵造りの小祠が建立されました。その後、門人の伊藤博文、野村靖などが中心となり、神社を公のものとして創設しようという運動が起こり、明治40年(1907)に県社の社格をもって創建が許可されたのがその始まりです。現在の社殿は昭和30年(1955)に完成したもので御神体として松陰が終生愛用した赤間硯と父叔兄宛に書いた文書が遺言によって納められています。旧社殿は『松門神社』として、松陰の門人であった人々の霊を祀っています。

ビクティニ:この神社はかの有名な伊藤博文に関係があったんだね。

ゴンベ:名前通り、境内にはたくさんの松が植えてあるっぺ。

 

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松下村塾

松陰神社の境内にある『松下村塾』こそ、萩の世界遺産を語る上で欠かせない史跡です!

幕末期に吉田松陰が主宰した私塾で、天保13年(1842)に松陰の叔父である玉木文之進が自宅で私塾を開いたのが始まりと言われています。後に松陰の外伯父にあたる久保五郎左衛門が継承し、子弟の教育にあたりました。そして安政4年(1857)、28歳の松陰がこれを継ぎ、主宰することになります。松陰は身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ、わずか1年余りの間であったものの、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎などが門下生として受け入れ、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てたのです。
当時、この地域が松本村と呼ばれていたことから『松下村塾』という名がつけられたといいます。松陰は、「学は人たる所以を学ぶなり。塾係くるに村名を以てす。」改め、『松下村塾記』に記し、村名を冠した塾名に自らの誇りと責任を感じ、志ある人材を育てようという素晴らしいエピソードが今でもなお歴史に刻まれています。

中でも伊藤博文は「大日本帝国憲法」を創った立役者で明治維新後は元年に兵庫県知事となり、その後は新政府の中枢で活躍。そして明治18年(1885)に初代内閣総理大臣となり、以後、第五代・第七代・第十代と4次にわたり内閣総理大臣として内閣を組閣したことで有名です。また、伊藤博文が塾で出会った木戸孝允は西郷隆盛、大久保利通とともに、『維新の三傑』と呼ばれています。長州藩の藩校・明倫館で兵学教授であった松陰に学び、「事をなすの才あり」と評される。木戸孝允は、私塾・松下村塾の門下生でなかったものの、その後も松陰に対し、門人の礼をとり続けていたといいます。

松下村塾は世界遺産かつ『明治日本の産業革命遺産』として平成27年(2015)7月に登録されました。

 

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松下村塾の講義室

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塾内に飾られている肖像画
松下村塾は木造瓦葺き平屋建ての50平方㎡ほど有する小舎で、当初からあった8畳の一室と、後に吉田松陰が増築した4畳半一室、3畳二室、土間一坪、中二階付きの部分から成っています。講義室だった8畳の部屋には松陰の石膏像と肖像画、机が置いてあります。もちろん、畳や梁、掛け軸などはみな当時のままです。肖像画はこの塾の門下生らと木戸孝允で飾られています。

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萩反射炉

萩反射炉も世界遺産の1つです。

この反射炉は、いわゆる西洋式の大砲鋳造を目的として建設された金属溶解炉で、萩藩の軍事力強化のために導入が試みられました。

萩藩は安政2年(1855)、反射炉の操業に成功していた佐賀藩に藩士を派遣し、鉄製大砲の鋳造法伝授を申し入れるも一度拒絶されます。しかし、反射炉のスケッチだけ許されます。現在残っている遺構はいわば煙突にあたる部分で、高さ10.5mの『安山岩積み(ただし上方一部だけレンガ積み)』という工法を採用しました。また、上部が二股に分かれた機構は一見上部で分かれているように見えますが、実際にはそれぞれ独立した2本の煙突になっています。オランダの原書によると、反射炉の全体的な高さが16mなので、約7割程度の規模とのこと。また、萩藩の記録で確認できるのは、「安政3年に反射炉を試作的に築いて大砲などの鋳造を試みたが、本式に反射炉を築造することを中止した」という古文書に書かれていたように、安政3年(1856)の一時期だけ試験的に操業されたということだけであることから、萩反射炉はこのスケッチをもとに設計・築造された試作炉であると考えられています。

 

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近代産業遺産にもなった反射炉

萩反射炉も松下村塾と同様に世界遺産かつ『明治日本の産業革命遺産』として平成27年(2015)7月に登録されています。このような反射炉の遺構は、韮山(静岡県)と旧集成館(鹿児島県)にあるものとともに、日本の産業技術における史上とても貴重な遺跡です。

鎖国状態にあった江戸時代にあって、大陸に近い西南雄藩は、アヘン戦争での清国(中国)の敗戦やペリーの黒船来航により危機感をもち、海防の強化とともに各藩は、わずかな蘭書の知識などを頼りに自力で、射程距離の長い鉄製大砲や大型の軍艦を建造しようと試行錯誤します。その中で鉄製大砲を建造するためには、衝撃に弱い硬い鉄を粘り気のある軟らかい鉄に溶解する必要があるということから、その装置として反射炉を用いていたのです。これは試作炉としての性質をもった、当時の試行錯誤による産業化を示す貴重な資産の1つとなったきっかけでもあります。

シャワさん:おお、これが反射炉か。近くで見ると大きいものだな・・・。

 

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萩反射炉の構造

今残っている萩反射炉の遺構は煙突だけですが、全体的には『炉』と『煙突』に分けられています。

アーチ型の炉では後方の燃焼室にて焚いた燃料の炎と熱を浅いドーム形の天井に反射させ、前方の溶解室に置いた原料鉄に熱を集中させて溶解させます。さらに炉内の温度を高温に保つ必要があるため、高い煙突を利用して大量の空気を送り込みます。炉内の温度を千数百度にして鉄に含まれる炭素の量を減らし、鉄製大砲に必要な軟らかくて粘りのある鉄に変えることができるという構造になっています。

 

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萩で最後に誕生した小さな火山 笠山

 萩には世界遺産の遺構の他にいわゆる「ジオパーク」といわれる自然スポットも存在します。

その中で『笠山』は北長門海岸国定公園の中に位置しており、「萩で最後に誕生した小さな火山」といわれています。この火山は約1万年前に噴火し、安山岩の溶岩台地と空中高く噴き上げられたマグマのしぶき(スコリア)が降り積もってできた丘(スコリア丘)で構成され、その形が市女笠に似ていることから『笠山』と呼ばれるようになったのです。

 

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噴火口にも入れるほど東洋最小の火山
笠山の最大な特徴といえば、やはり『噴火口』です。山頂に直径30m、深さ30mを有しており、噴火口に下りられるようになっています。

 

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赤く染まった岩こそ火山であった名残
噴火口の岩は赤く染まっています。これは笠山がかつて1万年前に『活火山』として活発していたという名残が見受けられます。こういった地球の火山活動の名残が見られるのはなかなか貴重なものです。

 

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石碑
かつては皇太子殿下が訪れられたようです。

 

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笠山展望台から見る海
もう1つ、笠山には展望台があり、日本海と周りに浮かぶ島々も見渡せます。また、夕暮れ時には夕焼けの海が見られます。この日に行った時は曇っていて残念ですが、海の景色はとても雄大です。

ビクティニ:山頂から見る海は綺麗だ・・・。

ゴンベ:来て良かったっぺ。

作者:津別峠や美幌峠に行った時には湖なんて見れなかったのは虚しいけど、代わりに萩の自然が見れて良かった。

 

世界遺産の城下町“萩”その1をお伝えしました。

 

萩焼を体験しました

皆さん、こんにちは。

SLやまぐち号の撮り鉄をした後は萩市に移動して、山口県の伝統工芸の一つである「萩焼」の体験をしてきました。ちなみに今回体験したのは、「フリーカップ」のコースです。

 

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萩焼で使うろくろ台

萩焼は、「一楽二萩三唐津」と謳われているように、昔から親しまれています。萩市一帯を中心に窯元が置かれている他、山口市や長門市でも一部あります。長門市で焼かれる萩焼は、別名「深川萩(ふかわはぎ)」と呼ばれることも。

萩焼で使用される原料は陶土と釉薬との混ぜ具合によって生じる「貫入」と使い込むことによって生じる「七化け」から成っています。貫入とは器の表面の釉薬がひび割れたような状態になる現象で、七化けとはその貫入によって、長年使い込むと陶器にお茶やお酒が浸透、器表面の色が適当に変化し、枯れた味わいを見せるというものです。また、素地の色を生かした地味な模様が特徴的です。しかし、その陶器らしい地味な模様だからこそ根強い陶器ファンが多く、今でもなおも人気が高いです。
萩焼の歴史は慶長9年(1604年)、広島から萩に移封された萩藩初代藩主毛利輝元の命により、朝鮮人陶工「李勺光(山村家)」「李敬(坂家)」の兄弟が松本村中の倉に開窯したことが始まりといわれています。当初は朝鮮半島の高麗茶碗に似ており、手法も形状も同じものを用いていたようです。坂家の三代までを「古萩」といい、いわゆる萩焼の黎明期でもあったといいます。

 

さて、今回の萩焼体験で使用するものは、こちらの電動ろくろを使用します。

 

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萩焼体験1

萩焼の基本的な準備としては、まず原料の粘土(釉薬を含む)を混ぜ合わせる工程から始まります。

練り込んだ粘土はろくろ台にセットされます。そして、電動ろくろにて形成します。これは作品の形を整えやすくするため、手を濡らして粘土を「円錐状」にしていきます。これを「土ごろし」といいます。さらにその中心に親指を押し当て穴を作り、その穴に沿って土を持ち上げるように親指の平を使って広げていく工程です。湯呑や茶碗などであれば、斜め上に持ち上げていくもので、お皿ならあまり持ち上げないようにするのが基本です。今回の場合は「フリーカップ」なので、湯呑と同じように斜め上に持ち上げます。器の形を整えるため両手の中指の平で、広げた土に沿うように軽く当てます。この時に力をあまり加えないのが基本になります。

 

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萩焼体験2

ある程度形を整えたら、寸法を確認します。これは焼いた後の大きさが成形時の大きさが0.8倍ぐらいの 大きさになるからです。

 

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萩焼体験3

最後に、作品に模様を付けていきます。この工程も先程の工程と同様に両面に中指を軽く当てて形を整えます。

 

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完成作品

さあ、ろくろ台から糸で作品の部分だけ切り抜いて取り出せば完成です。

この後「素焼き」と「本焼き」の工程に移されます。素焼きは約700~750℃の窯で10時間ほど焼きます。素焼きをすれば土の粒子同士が結びつき土が固まって強度が増します。これは素焼きをする際に温度が高すぎると、土に含まれる釉薬が染みにくくなり、壊れやすくなってしまうからなのです。素焼きが終わった後、窯の温度が完全に下がった翌日~翌々日に取り出し、模様をつけるために釉薬を塗っていきます。その釉薬の塗り方によって萩焼らしい表情を見せてくれます。ちなみに釉薬の主な用途としては顔料で使われています。さらに本焼きの工程では約1200℃~1250℃で13時間程焼きます。素焼きの時と同様に、窯の温度が完全に下がった翌日~翌々日に取り出し、初めて『萩焼』という作品が完成するというわけなんです。

 ということで、萩焼をお伝えしました。

 

SLやまぐち号の撮り鉄に初参加しました

さん、こんにちは。今回は新山口駅から津和野駅までSLやまぐち号に乗車する予定でしたが、私が切符を手配しようとした時には既に満席になっていたようなので代わりに「撮り鉄」をしようと思います。ちなみに今回で本格的に撮り鉄をするのは初めてになります。

 

さて、今回は新山口駅からレンタカーを借りてSLやまぐち号が通るJR山口線の有名撮影地に行ってみようと思います。

 

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SLやまぐち号 新山口駅にて

 まずは新山口駅にて見送り・・・。

今回は『貴婦人』ことC57形蒸気機関車1号機にて運行されます。やはりSLやまぐちのメインフェイスといえば、こちらのC57-1号機ですが、令和を迎えた時のSLはD51-200号機だったとのこと。

その後はレンタカーを借りて、SLやまぐち号の有名撮影地に向かいます。

SLやまぐち号の有名撮影地といえば、『長門峡鉄橋』が一番有名な撮影スポットとして知られていますが、他の撮影地となるとほとんど駐車場が無かったりするので、あまり交通量の多くない道路の路肩に車を停めるしかないようです。

 

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新山口駅新幹線口にあるD51形の動輪モニュメント

新山口駅の駅前には、かつては周辺で活躍していたD51形蒸気機関車の動輪の一部分がモニュメントとして残っているようです。

 

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SLやまぐち号の有名撮影地の1つ『長門峡』

SLやまぐち号の撮影地で特に有名な場所といえば、『長門峡鉄橋』が一番有名になっています。

ここは多くの撮影者が集まる場所ということもあり、周辺には駐車場も整備されています。私がここに来る頃にはこの写真の踏切が既に鳴り出しているので、急いで適当な場所に車を停めてカメラを構えました。さらに唐突に汽笛が鳴り響いてきた時には・・・。

 

 

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長門峡をゆくSLやまぐち号

SLキターーーーーーーーーーー(゜∀゜)ーーーーーーーーーーーーーー!!!

しかも、爆煙全開でやってきたのは、かなりの圧巻です!シリンダーから出たドレンド煙も十分迫力があります。初めてにしては、なかなか撮れていると思います。古い鉄橋の上をSLが進んでいく姿はまさに絵になるほど風景美があります。

 

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地福駅付近の撮影地

さらに国道9号を津和野方面に進み、カーナビに従って進んでいると、丁度いい撮影地を見つけたのでそこに車を停めます。SLもちょうど地福駅に長時間停車しているようなので、そこでカメラを構えます。撮影に来ていた近くのおじさんに話を聞くと「津和野方面から来た普通列車が到着した後、SLが出発する」との事。周りの雰囲気がいかにも風光明媚な撮影スポットですね。行ったのが10月半ばなので手前の田んぼは既に稲刈りをしたかと思われます。

ビクティニ:ここにSLが来るぞ・・・。確か普通列車が向こうの駅に到着すると、あのSLが出発するはずだ・・・。

ゴンベ:あれがSLだっぺか?なんかランプが付いてるのがSLなんだっぺね。

 

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普通列車が到着後、SLが出発する

写真では分かりにくいですが、ホームの右側に普通列車が入線してきます。そして、左側のSLが大きな汽笛を響かせて、地福駅を発車します。

 

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大きな汽笛とともに地福駅を後にするSL

白い煙が吐いているのが「汽笛の煙」で汽笛を里山に響かせた後、ドレンドの音も響かせて地福駅を発車していきます。

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地福駅を出発

SLやまぐち号が地福駅を発車していく時、煙突から出る煙の量は半端ない位に出ています。煙突から出た煙が周辺にも散らばっています。

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津和野を目指して進んでいくSL

SLやまぐち号が壮大な煙を残して、我々のいる横の踏切を通過していきます。C57の動輪の大きさがいかにもスピード感があり、迫力も十分に感じられます。製造年から80年以上経っているとはいえ、まるで現役と言わんばかりに元気いっぱいな走りを我々に披露してくれました。

 

★撮影映像★


ビクティニとゴンベがSLやまぐち号を見送る

 

SLやまぐち号 初の撮り鉄をお伝えしました。

北海道旅日記最終回 さようなら北海道・・・

みなさん、こんにちは。

今回は長かった北海道旅もいよいよ終わりになります。ということで、明朝8時に旅館を出発し、釧路空港に行って飛行機で帰りたいと思います。

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朝の阿寒湖

最初は台風のことで心配していましたが、天候としては問題ないようです。どうやら嵐は夜の時間帯で通り過ぎてしまったようですね。よかったよかった。

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旅館からのサービスでメロンパンをプレゼントしてくれた

さて、7:30頃にチェックアウトをします。すると、フロントの方からなんとメロンパンをプレゼントしてくれました!これは嬉しいです。

ビクティニ:これがv北海道旅行最後の朝食だ!

ゴンベ:美味しそうだっぺ!

ビクティニ&ゴンベ:いただきま~す!

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お別れ

ビクティニ:いよいよ、北海道とお別れか・・・。今までありがとう・・・。

ミュウ:ばいばい・・・。

 

阿寒湖温泉から釧路空港まではそのまま国道240号を南下していきます。阿寒湖から釧路空港までの車による所要時間はだいたい1時間程度でしょう。

 

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途中の帰路でタンチョウ発見!

 空港へ向かっている途中で、なんと!

偶然なことに、タンチョウを発見しました!タンチョウは冬に活動する鳥なのですが、夏の時期とはいえ、思わぬ所で出会えるのはまさに奇跡的です!

 

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釧路空港に到着

 ということで、阿寒湖から車を走らせてかれこれ1時間・・・ようやく釧路空港に到着しました。もちろん、車を返却する前にガソリンの補充も忘れずに。

ビクティニ:ようやく長かった北海道の旅ももうすぐ終わるんだ・・・。

ミュウ:寂しくなるね・・・。

 

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北海道で最後のソフトクリーム

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かえりの航空券
さあ、予め予約しておいた帰りの分の航空券を発行してもらいます。ちなみに我々が今回搭乗する便が10:20釧路発のJAL540便になります。

ビクティニ:これが僕らの乗る飛行機だ。

ミュウ:もうお別れといった感じだね。

ゴンベ:寂しくなるっぺ・・・。

シャワさん:まあ、当初は心配されていた台風ももうこの辺では通り過ぎちゃったみたいだし。

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釧路空港に展示されたタンチョウのモニュメント

釧路空港は周辺の湿原にタンチョウが生息していることから、別名『たんちょう釧路空港』という愛称がつけられています。

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搭乗ロビー
いよいよ、搭乗時間なので搭乗ロビーへ・・・。ここでは手荷物検査が行われます。

ビクティニ:10:20発 羽田空港行き540便。あれが我々が乗る便なんだね。

ミュウ:飛行機は無事に飛べるみたい。よかった。

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帰りの飛行機JAL540便

ビクティニ:いよいよ北海道とはさようならか・・・(´;ω;`)

ミュウ:長いようで短い間だったね・・・(´;ω;`)

 

 

そして、我々を乗せたJAL540便は釧路空港を後にして12:00に羽田空港に到着したのでありました・・・。

 

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関東に帰還

ビクティニ:北海道旅は色々あったけど、なんだかんだで楽しい思い出になった。最後の最後でタンチョウが見れて感動したよ!いや~長いようであっという間だった・・・。

ミュウ:ということで、北海道旅は今回をもちまして締めさせていただきます。

ミュウ&ビクティニ:皆さん、最後まで北海道旅を御覧いただきまして、ありがとうございました!!では、さようなら!!

 

北海道旅日記 THE END

 

★おまけ★

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サンリオピューロランドにて

ミュウ:マイメロかわいい!

ビクティニ:クロミちゃんも可愛いよ!!

 

北海道旅日記6-2 道東編 まりもの湖“阿寒湖”

皆さん、こんにちは。

今回は『まりもの湖』とも言われる『阿寒湖』を回ってきました。阿寒湖は先ほどの摩周湖と同様、阿寒摩周国立公園に位置しています。また、その地域特有の水中植物の1つとされるマリモも生息しています。

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阿寒湖入り口

この日は台風が近づいているため、何があるか分からないので早めに阿寒湖へ向かうことにします。また、予約した宿の駐車場に車を停めてもらい、しばらく阿寒湖を観光しようと思います。・・・とはいっても、結構な大雨でしたが・・・。

摩周湖(弟子屈町)から阿寒湖までは国道241号を進んで行きます。所要時間はだいたい50分程度です。

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阿寒湖 温泉街

阿寒湖温泉街に到着です。

ここは温泉街ということもあり、お土産屋や飲食店が多く並んでいます。お土産屋にはマリモのビンが売られている他にエゾシカの角などが売られているようです。このあたりもエゾシカは普通に生息していますからね・・・。

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阿寒湖温泉 手湯
阿寒湖は火山地帯の中にあることから、温泉が湧き出ています。そのため、ここが温泉街として栄えています。

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遊覧船乗り場

台風が近づいているため、大雨が凄まじいことになっていますが、阿寒湖の遊覧船はやっているようなので遊覧船で阿寒湖を回ろうと思います。ちなみに遊覧船は1周で2000円です。

ビクティニ:外はとてつもない大雨だ・・・。やはり台風が来ているからなのかな・・・。明日は関東に帰るから、飛行機が飛べればいいけど・・・。

ミュウ:でも、北海道に来る頃には熱帯低気圧になってるだろうから、大丈夫じゃない?

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阿寒湖遊覧船

ということで、こんな天候ですが遊覧船に乗船致します。やはり悪天候ということもあってか、みな傘をさしています。

ビクティニ:ひどい大雨だ・・・。ブワーッション!!!

ミュウ:ここは北国だから夏でも気温が低いのね。

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阿寒湖を泳ぐカルガモ

阿寒湖は『マリモの生息する湖』として有名ですが、マリモの他にカルガモなどの野鳥も見ることができます。 

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阿寒湖の入り江

遊覧船が桟橋を出港すると、まず入り江に入っていきます。

シャワさん:なんか川の上を進んでいるみたいだ。

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阿寒湖滝口

入り江の奥には『滝口』があります。その周辺には『十九列島』という島々も観ることができます。周辺には趣がある小さな島々があたかも湖上にある庭園のような景観から景勝地の1つとされています。

ここの入り江と『滝口』は阿寒湖では唯一の流出河川となっており、ここから流れ出た水が太郎湖の水と合流し、阿寒川へ流れ出る様子があたかも滝のように見えることから、その名前で呼ばれるようになったようです。春にはエゾムラサキツツジ、夏にはハクサンシャクナゲ、秋には紅葉が色付き、冬には白鳥も観られる、四季折々の阿寒湖景観スポットの1つとされています。

シャワさん:入り江の奥は川みたいになっているのか。不思議な空間だね。

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阿寒湖の湖上

阿寒湖は面積が13.25平方km、最大水深45mあり、先ほどの摩周湖と同様にカルデラ湖でありながら傾斜や深さとしては比較的穏やかなのが特徴です。

マリモはもちろん、ヒメマスやワカサギなども生息しています。冬にはワカサギ釣りも楽しめます。また、この湖には『大島』『小島』『チュウルイ島』『ヤイタイ島』の4つの島が浮かんでいます。気候は平均でわずか3.7℃と年中非常に冷寒で冬の時期(1月~2月)では-17℃を下回るほどだそうです。平成17(2005)年にはラムサール条約にも登録されています。

ちなみに『阿寒湖』の由来としては、アイヌ語からなってはいるようですが、その語源については諸説があり、アカム(akam 車輪)とする説やラカン(rakan ウグイの産卵)に関係するという説、あるいは地震の時に雄阿寒岳が動かなかったことに由来しているという説があるようです。

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阿寒湖の湖上から見える雄阿寒岳

遊覧船からは阿寒湖を囲む山々も観ることができます。霧がかかって見えませんが、写真の雄阿寒岳もその1つです。

雄阿寒岳は1371mあり、この湖の東側にそびえ立つ活火山の1つにもなっています。かつては活火山でないとされていたようですが、1万年前に噴火したという記録があったことが判明されたことから、平成23(2011)年に活火山として認定されたといいます。また、地質は安山岩質の成層火山で、溶岩ドームを持ったカルデラ火山の1つとされています。

ビクティニ:あれが雄阿寒岳かな?ここも霧がかかっているのが不思議・・・。

ミュウ:さっきの摩周湖は完全に周りが崖だったけど、阿寒湖は岸辺があるし、湖上からの景色も見れるよ。

作者:まあ、何しろ摩周湖はいわゆる特殊な環境でカルデラ湖として出来たものだから、湖の周りが崖に囲まれていたんだ。

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チュウルイ島 入り口

さあ、遊覧船はチュウルイ島に到着しました。阿寒湖にある4つの島のうち、ここのチュウルイ島が唯一上陸できる島になっています。入り口にあるマリモのキャラクターのハリボテが可愛らしいですw

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チュウルイ島

ということで、チュウルイ島に上陸です。

ここでは約15分間遊覧船が停泊し、その間に『マリモ展示観察センター』を見学できますが、係員に「しばらくここで見学したい」という旨を伝えると次の便までに気が済むまで見学ができます(ただし最終便は除く)。ちなみにこの島の名前の由来はやはりアイヌからの語源で「急流の島」ということから名付けられたようです。

シャワさん:ここが阿寒湖に浮かぶ島か。何もかも自然の形のままで残っているのはいいよね。

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チュウルイ島の原生林

小さな島でありながら古くから原生林が残り、原生林が織りなす自然のマイナスイオンと荘厳な自然が溢れ出すパワースポットの1つです。

ミズナラをはじめ、シナノキ、シラカンバ、ブナ、トドマツなどの植物が生えています。また、野鳥も観られることもあるようです。

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展望台から見る雄阿寒岳

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展望台から見る雌阿寒岳

マリモ観察センターの展望台からは阿寒湖の奥にそびえ立つ山々が見渡せます。雄阿寒岳や雌阿寒岳をはじめとする山々、湖上に浮かぶ島も見渡すことができます。天気がいい日には雌阿寒岳(標高1499m)が見られることもありますが、この日は台風(ここに来る頃には熱帯低気圧)が来ているということもあり、生憎の天候となっています。

シャワさん:霧の掛かった阿寒湖って逆にいい雰囲気で道東らしい感じがしなくもないかな・・・。

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マリモ展示観察センター

島内にある『マリモ展示観察センター』では、阿寒湖に生息しているマリモの生体を知ることが出来ます。

シャワさん:いわば、マリモの研究所みたいな感じかな。ちょっと観てみよう。

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阿寒湖に生息するマリモの分布図

阿寒湖にはマリモが生息している名所として知られていますが、実際には滝口付近やチュウルイ島周辺といった阿寒湖北部に生息していることが多いようです。

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マリモの様子を映像で知ることができる
ここでは、阿寒湖の四季折々の映像や阿寒湖に設置された水中カメラによるマリモの生体を間近で観られます。

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展示されているマリモ

また、実際の阿寒湖水中に生息しているマリモ群の様子を大きな水槽で表現して展示されています。

マリモは阿寒湖の自然美における象徴とされていますが、実際には近年はマリモの分布が狭められ、生育量も減少しています。そのことから『国の特別天然記念物』として登録されています。

マリモはアオミソウ科に分類される淡水性の緑藻の一種で光合成によって生長する水中植物の1つです。自らエサをとったり自分で移動したりといった動物的な行動をとることはないのです。個体によっては大小異なり、各々の個体には太さ0.05~0.1mm、長さ0.5~3.5cmほどの小さな藻の集まり(濃緑色の糸状体)から生成されています。もともと小石や岩にくっついていたものが何らかのきっかけにちぎれ、互いに絡み合って藻の塊となったのがマリモなのです。

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大型球状体のマリモ

中でも世界最大級のマリモが生息するのは世界的に見てもここ阿寒湖しかありません

大きいものは最大直径が30cmを超える個体もあるようです。大型球状体のマリモはだいたい5~9年周期で成長から崩壊まで繰り返しています。

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間近で見るマリモ

 マリモの活動期は6月から始まります。

6月頃には「胞子」をつくり、2本の「べん毛」を動かして水中を泳ぎます。やがては小石や岩などに付着し、発芽します。発芽した胞子は枝分かれした糸状の体に成長します。これが「糸状体」といい、これが初めてマリモの1個体となります。糸状体となった体は小石を覆うように徐々に球体の形となって育っていきます。そして、球状に育ったマリモは水流によって同じ場所に集まるのが、いわゆる「マリモの生育地」になるわけです。

岩の上で密生し、はがれた糸状体が波にもまれ小さな塊になることもありますが、個体が大きいものはだんだん球状に近づいていきます。大型化したマリモは湖水の流れによって沖合に流れ、水深が深くなるごとに湖底に届く日光が不足するため、藻の一部が枯れてやがては崩れてしまいます。また、大型化したマリモは内部に「空洞」が出来てしまうので、崩れやすくなってしまうのです。逆に浅瀬に運ばれることもあり、浅瀬は日の光が届きやすいことから、成長しやすくなります。すなわち、マリモの形が崩れてしまうのは水流の流れによって沖合に流された場合に崩れてしまうということなのですね。

ビクティニ:マリモって生き物のようで生き物でないけれども、水中の植物として生息しているんだ。

ミュウ:不思議だよね。そもそもなんでマリモって丸いのかな?

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NHKスペシャルでも放送されたマリモの生態系

マリモは他の地域では見られない、いわば「神秘の球体」としてNHKスペシャルでも放送され、マリモの生態系について取り上げられた事がありました。

これは、「なぜマリモは丸いのか?」ということなのですが、そもそもマリモは先ほども述べたように、1つ1つの細い藻が小石などに付着して集まった塊のようなもので、水流によって丸くなっただけのことです。ところが、大型化したマリモに成長すると、内部までに日光が届かず、光合成ができないという生物学上ありえない現象があるといいます。しかも、その謎も未だに解明されていないということで、なおも調査が現在でも続いているのです。これがいかにマリモが謎の生き物であるかが分かります。

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マリモの生息地

阿寒湖に生息するマリモはだいたい阿寒湖の北部に生息していることが多いので、ここのチュウルイ島の周辺では普通に生息しています。

水中に生えている植物を見ると、いかにもマリモが居そうな雰囲気ですね。このあたりはマリモの他にもニジマスといった魚も生息しています。

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阿寒湖と遊覧船

さて、この島に上陸してから1時間、帰りの遊覧船がやってきました。阿寒湖温泉の桟橋とチュウルイ島を結ぶ遊覧船はだいたい1時間間隔で運行されているので、時間がある時にチュウルイ島のマリモがじっくり見たいという人には次の便を利用すると良いでしょう。ただ、先ほども述べたように事前に係員にその旨で伝える必要があります。もっとも天候があまりにひどいので他に見るところは無いのですがねw

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帰りの遊覧船には“まりもの唄”が流れていた

帰りの遊覧船は船内で「まりもの唄」が流れていました。これは阿寒湖に古くから代々伝わる悲恋の歌とも言われています。

1.水面(みずも)をわたる 風さみし
  阿寒の山の 湖に
  浮かぶマリモよ なに思う
  マリモよマリモ 緑のマリモ

2.晴れれば浮かぶ 水の上
  曇れば沈む 水の底
  恋は悲しと 嘆きあう
  マリモよマリモ 涙のマリモ

3.アイヌの村に 今もなお
  悲しくのこる ロマンスを
  歌うマリモの 影さみし
  マリモよマリモ 緑のマリモ

ビクティニ:霧の掛かった阿寒湖ってどことなく哀愁を感じる・・・。

ミュウ:まりもの唄は初めて聴いたけど、物哀しい歌だよね・・・。

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桟橋に着いた遊覧船

シャワさん:まりもってあんなに不思議な生き物(?)だったとはね・・・。霧の阿寒湖も意外といい雰囲気だったし。

 

★遊覧船とチュウルイ島の様子★


阿寒湖遊覧船とチュウルイ島

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岸からでも見られる阿寒湖
 先ほどの摩周湖では、周りが崖に囲まれているため間近では見られませんが、阿寒湖や屈斜路湖は陸との高低差がないので間近で見ることができます。

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今宵の宿

さあ、北海道旅もいよいよ大詰めになってきた所で、最後の宿です!ここで泊まったら、釧路空港へ移動し、帰宅します。

ビクティニ:長いようであっという間だったなあ・・・。

ミュウ:ここが最後の宿か・・・。寂しくなるけど、もう帰らないといけないもんね・・・。

作者:そうだよ。だから明日は10:20の便で帰るから、早く出発するので早起きはしてね。

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旅館では牛乳プリンを提供

最後の旅館は割とリーズナブルな旅館ですが、ウェルカムサービスとして牛乳プリンを提供してくれました。他にも風呂上がりのソフトクリームやドリンクコーナーがあり、しかも無料で提供してくれます。北海道旅行でリーズナブルに阿寒湖で泊まりたいという人には大変おすすめだと思われます。

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最後の晩餐

さあ、北海道旅行の最後の夕食は近くの昔ながらの食堂で取ることにしました。エビ丼を頼みましたが、これもまたリーズナブルです。また、台風が近づいているということで、天候が悪化しないうちに夕食を取ろうと思います。

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ビクティニ:明日はいよいよ帰宅だけど、台風がなあ・・・。

ミュウ:帰りの飛行機が飛べればいいよね・・・。

ゴンベ:でも、さっき天気予報を見てみたら、今夜中には過ぎてしまうみたいだっぺ。

ビクティニ:本当か?!なら、飛行機に関しては問題なさそうだ。

シャワさん:いやあ、よかったよかった。

ビクティニポンチョのピカチュウ:ZZZ・・・。

 

・・・この宿の宿泊を最後に明日は飛行機で帰ります・・・。

・・・最終回へ

 

★おまけ★

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旅館で餅つき大会

館内では餅つき大会が行われていましたが、餅ができず・・・。

餅が食べたかったのに・・・orz

北海道旅日記6-1 道東編 道東のカルデラ湖“霧の摩周湖”

皆さん、こんにちは・・・。

今回は、道東のカルデラ湖と言われ、また『霧の摩周湖』と謳われる摩周湖を訪れようと思います・・・が、台風が近づいているということもあり、強風がかなりやばいようなので、できれば午前中に早めに観光していきます。

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道東エリアの地図

シャワさん:現在、我々がいるのは屈斜路湖だから、摩周湖はここをずーっと東に行けばあるはずだ。

作者:せっかくだから美幌峠からの景色も見てみたい。

ビクティニ:う~ん、厳しいんじゃない?

ミュウ:そうだよ!台風来てるんだし!

作者:でも、行ってみないと分からないじゃん。

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出発準備

ビクティニ:みんな、忘れ物は無い?

みんな:大丈夫!

作者:大丈夫だ、問題ない。・・・ということで天候が不安な中、出発だ!

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ホテルの庭園

屈斜路湖の湖畔に位置しているということもあり、野鳥がホテルの庭園を元気に飛び回っているのは癒されますが、天気はそうは問屋がおろせません。

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美幌峠

ということでホテルをチェックアウト後、さっそく美幌峠を訪れてみます。

美幌峠は網走郡美幌町と川上郡弟子屈町の境界に位置し、標高は525mあります。

美幌峠には歌があり、美空ひばりが歌ったものです。また、映画『君の名は。』の舞台にもなった場所でもあります。

 

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美幌峠からの眺望・・・のはずが何も見えない

ここも昨日の津別峠と同様に屈斜路湖のパノラマや阿寒の山々が眺望できる景勝地のはずなのですが・・・。

やっぱり霧で見えません・・・。しかも台風が来ていることもあり、おまけに強風が容赦なく吹き荒れています・・・。

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道の駅『ぐるっとパノラマ美幌峠』

あまりにも天候が酷いので、道の駅で買い物をすることに・・・。この道の駅では買い物の他に食事もできます。せっかく展望が素晴らしくて、おまけにグルメも美味しいところまで来たのに、台風のせいで台無しになってしまったのは皮肉なものです・・・。売店のおばちゃんに「摩周湖へに行きたい」ということを話すと「厳しいかもしれないねぇ・・・」とのこと。やっぱり台風の呪いだろうか・・・。とはいえ、実際に行ってみないと分からない。・・・・ということで摩周湖へ!

 

美幌峠から摩周湖へ

摩周湖はJR釧網本線と国道391号に対してちょうど反対側にあるので、ひたすら東へ車を走らせます。もちろん、摩周湖も阿寒摩周国立公園に入っています。

 

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うっすら屈斜路湖が見える

途中のパーキングから屈斜路湖がうっすら見えます。左側の陸は『中島』が見えます。

屈斜路湖は面積が79.54平方㎞、最大水深が117mと日本のカルデラ湖の中では最大級です。

屈斜路湖の特徴といえば、湖の東側の湖畔には砂浜を掘ると温泉に入れることで知られる『砂湯』というスポットが有るようですが、生憎台風のせいでそれどころではないようです・・・()ちなみに屈斜路湖という名前が付いたのは、アイヌ語で沼の水が流れ出る口を意味する「クッチャ」という由来と、この湖にあった集落「クッチャロ」に和人が当てたとされていることからなんだとか。

 

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摩周湖第一展望台

さて、先ほどの美幌峠から車を走らせて1時間弱、屈斜路湖と同様に道東のカルデラ湖の1つとされる『摩周湖』に到着です!

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展望台から見る摩周湖

道東の阿寒国立公園に位置する摩周湖は、世界においてロシアのバイカル湖に続いて2番目に透明度が高い湖と言われています。この湖は、霧が降りやすい場所にあることから、『霧の摩周湖』と言われています。面積が19.22平方㎞、水深は最大211.5mの淡水湖です。水深がとてつもなく深いです!また、平成13(2001)年には北海道遺産にも認定されました。

昭和41(1966)年に発売された布施明の『霧の摩周湖』がヒットするまでは、ほとんど知られていないマイナーな湖だったようです。しかし、この歌がきっかけで、「摩周湖=霧」 「神秘の湖」というイメージが定着したといわれ、「未婚者が霧が晴れた摩周湖を見ると婚期が遅れる」「お金持ちの人が摩周湖を訪れると湖面は霧に閉ざされ、貧乏な人が訪れると湖面は晴れる」などといった様々な伝説があるようですが、歌のイメージの通りに摩周湖は年中、いつも霧に覆われているのかどうかは定かではありません。・・・もっとも、霧どころか強風のせいで靄になってしまっているようですがね・・・(^^;

作者:湖面は見えるけど、向こうまで当たり一面霧(?)に覆われているから彼女できるかも・・・?

※あくまで噂です。霧が見えるからといって、必ず結婚できるというわけではありません。

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霧(靄)に覆われた摩周湖

摩周湖の周囲は砂浜や湖畔などは一切無く、海抜600メートル前後の切り立ったカルデラ壁に囲まれています。

南東端に『カムイヌプリ(神の山)』いわゆる摩周岳がそびえ立っています。また、湖内は阿寒国立公園の特別保護地区に指定されていて、一切その湖には近づくことはできません。そのため、神秘的かつ秘境の湖という風貌を醸しているのです。摩周湖の観光シーズンは5月から10月の半年間、およそ180日間と言われています。中でも6月から7月にかけての時期が特に霧が発生しやすいようです。

この湖には毬藻(まりも)が生息しているようです。『摩周』という名前の由来は「カムイシュ」(神老婆)や「マシ・ウン・トー」(カモメの湖)などの諸説があるようですが、いずれも不明のようです(ちなみに摩周湖にカモメという概念は存在しない)。

ビクティニ:ひゃあ~、結構高いんだなぁ~!!これだけ大きい湖だから、水深は相当深いだろうなあ・・・。

ミュウ:周りの崖もすごいね・・・。おまけに風も強いよ・・・。

 

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湖に浮かぶ小さな島『カムイッシュ島(中島)』

湖の奥にぽつんと浮かぶ小さな島『カムイッシュ島(中島)』も摩周湖の特徴の1つです。

カムイシュ島は比高210メートルを越えるデイサイト質の溶岩ドーム頂上部分が湖面上に現れたもので、丸く崖に囲まれた形状をしています。「カムイッシュ」はアイヌ語でいうと「カムイ(神あるいは神のような崇高な霊的存在)」+シュ(老婆)の意といわれ、その名はアイヌの口承文学であるユーカラによりアイヌという民族が名づけたものであることからなんだとか。

これは「宗谷のコタン(アイヌの集落)同士がイヨマンテ(熊祭)の夜に争い、一方のコタンは敗れほとんどが殺されてしまう。敗れたコタンの老婆とその孫は命からがら逃げるが、逃げる道中で孫がはぐれてしまう。老婆は孫を探しながらさまようが見つからず、カムイトー(摩周湖)付近までたどり着く。老婆はカムイヌプリ(摩周岳)に一夜の休息を請い、許される。が、悲嘆にくれ疲労困憊した老婆はそこから動けず来る日も来る日もそこで孫を待ち続け、とうとうカムイシュ島になってしまった。いまでも、摩周湖に誰かが近付くと老婆は孫が現れたかと喜び、うれし涙を流す。この涙が雨であり霧であり吹雪なのである。」という伝説から、その名前になったという説もあるようです。また、摩周湖に霧がいつものように出ているのは老婆がいたと思われるカムイッシュ島でその湖に来る我々観光客のことを孫だと思って『雨』『霧』あるいは『吹雪』として今日も涙を流しているのかもしれません・・・。

シャワさん:これが摩周湖か!ここから見るとかなり高い場所から湖が見える!湖に浮かんでいる島はなんだろう?

作者:あれは『カムイッシュ島』という小さな島らしいよ。でも、なんであんなに深い湖に島が出来たんだろうか・・・。

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阿寒摩周国立公園に位置する摩周湖

摩周湖の展望台はここの第一展望台の他にも第三展望台、さらにその反対側の清里町側には裏摩周展望台があります。でもここから裏摩周展望台まで行くのには結構遠回りになるので、時間もそれなりに掛かるでしょう・・・。そして、この湖のさらに上流には『神の子池』があるのですが、ましてや台風も来ているので、ぞれはとても無理な相談です(本当は行きたかったけど)

シャワさん:ここも国立公園の1つになっているんだね。

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弟子屈ラーメン

ちょっと早いけど、やはり台風が来ているということもあり、早めに昼食を取ります。ということで、第一展望台に併設されているレストランで食事ということに。頼んだのは、道東では名物ラーメンの1つである弟子屈ラーメンをいただきました。味噌ベースのスープにきくらげ、コーンなど北海道らしいラーメンです。こういう北海道らしいラーメンこそ私の好みでもあります。

ゴンベ:いただきま~す!!ズズズ・・・。美味い!!

ビクティニ:そんなにお腹すいてないけど、いただきま~す。ズズズ・・・。美味い美味すぎる!この濃厚な味噌がたまらんわ~。

ミュウ:麺も丁度いい硬さだよ。

作者:コーンやきくらげが入っていると余計に食欲が出るよwズズズ・・・ごちそうさまでした!!!

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路線バスも出ている

ここまでは摩周駅から一応路線バスも出ているようですが、やはり交通の便が悪い環境なので、いろんな観光スポットを周りたいならレンタカーで回るのが一番いいと思われるでしょう。

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ということで、これからの天候は雨風が激しくなっていくようようなので、早めに阿寒湖まで向かいます。

 

・・・続く!

 

北海道旅日記5-3 道東編 津別峠から見える屈斜路湖・・・のはずが霧?

皆さん、こんにちは。今回は釧路湿原からさらに国道391号線を北上し、弟子屈町を通って屈斜路湖へ向かいたいと思います。

 

★塘路駅から津別峠までのルート★

距離は70kmを超えているので、移動距離や移動時間それなりに長いです。車なら約1時間半弱で到着できそうですが・・・。一番わかり易いのは、そのまま標茶町経由で国道391号を北上し、弟子屈町で国道243号に乗り換えて屈斜路湖・美幌峠方面を進み、プリンスホテルより少し先に行ったT字路を左折して延々と続く細い道を上って行けば到着できるはずです。

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シラルトロ沼
道中にあるシラルトロ沼も先ほどの塘路湖と同様に釧路湿原国立公園の中に位置しており、この湖も『海跡湖』の1つです。ここにもタンチョウやオジロワシの生息地にもなっています。ちなみにこの「シラルトロ」という名前の由来は分かりませんが、アイヌ語で言うと「川の中の沼の間」という意味のようです。

シャワさん:こんなところにも広い湖があるね。ここも海跡湖のようだ。この先にある屈斜路湖や摩周湖はどんな感じかな・・・?

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弟子屈町までやってきた
そして、ひたすら国道391号を北上していくと、弟子屈町までやってきました。ここから国道243号に乗り換え、美幌峠方面へ向かいます。

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阿寒摩周国立公園エリア
そのまま国道243号を進んでいきます。ここまで来ると、『阿寒摩周国立公園』のエリアになります。周りの景色は道東らしく、畑や牧草地帯に囲まれています。ちなみにこのあたりの交通の便は非常に不便なので屈斜路湖や美幌峠、津別峠などを訪れたいという人はレンタカーで回ることをおすすめします。

 

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細い山道を延々と進んでいくと・・・。
国道243号から屈斜路津別線道道588号をしばらく進んでいくと「津別峠の入り口」の看板が出てきます。その道からさらに進んでいくと・・・。

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津別峠 頂上

津別峠に到着です!標高は754mあります。屈斜路湖の北西部に位置し、サマッカリヌプリ(標高974.4m)とコトニヌプリ(標高964m)の間に挟まれています。ちなみに途中の道は幅狭いことから、路線バスはおろか観光バスなどの大型車は入れません。なので、じっくり屈斜路湖を眺めるのには、いわゆる『穴場スポット』と言っても過言でないでしょう・・・。ここまで来るのには先ほども述べたようにマイカーかレンタカーでないとここまで来るのはなかなか難しい秘境スポットの1つでもあるからなのです。

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荘厳な雰囲気を放つ『津別峠』

ビクティニ:なんかすごい標高が高い所に来ちゃった!ここが津別峠なのか!

ミュウ:霧がすごいね・・・。ちょっと寒いかも・・・。

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津別峠の周辺マップ
津別峠の周辺には屈斜路湖や美幌峠はもちろん、摩周湖や阿寒湖、雌阿寒岳、雄阿寒岳、美羅尾山、藻琴山、津別町、網走市、そして北東には『知床半島』が続いています。なお、知床半島のずーっと先にある『知床岬』は普通の観光客は絶対に入れない禁断のエリアになっているようです。

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ヨーロッパの古城を模した津別峠展望台
津別峠の展望台は、ヨーロッパの古城のような建物となっています。これだけ標高が高く、霧も出るようなこの秘境な場所にはある意味似合う・・・と思います。

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展望台内部
展望台の中は休憩所というか資料館のような感じになっているようです。また、周辺の観光地のパンフレットも配布されていました。

ビクティニ:不思議・・・。何もかも自然の中って感じ。

ミュウ:ちょっとカビ臭いかな・・・・(^^;

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津別峠の展望台
ということで、津別峠展望台に出てみます・・・。この展望台からは屈斜路湖の全貌や雲海が眺められるはずなのですが・・・。なんと・・・真っ白で何も見えません・・・orz。もともと霧が発生しやすい場所なのかあたり一面霧に覆われています。

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津別峠から見れる屈斜路湖
本来ならば、屈斜路湖の他にその湖に浮かぶ『中島』、和琴半島、硫黄山、摩周岳、標津岳、斜里岳、美幌峠、藻琴山、知床連山やオホーツク海が見渡せるはずでした・・・。

そういえば、超大型台風が近づいていることに関係しているのでしょうか・・・?

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津別峠展望台から屈斜路湖を見る
少し高い場所から撮ってみましたが、やっぱり屈斜路湖は見えません・・・。でも、なかなか来られないような秘境スポットに来れただけでも良しとしましょう・・・()。もともと霧が出やすい場所なので仕方がないでしょう・・・。

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展望台にかかれた「ようこそ津別町へ」のメッセージ
展望台を上って最大標高が960mなんですね。ここから絶景が眺められれば良かったんですがね・・・。

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霧で屈斜路湖が見えない・・・

ビクティニ:津別峠からは屈斜路湖が見れるはずなのに、霧に覆われていて見えない・・・。やっぱり台風が来ているせいなのかな・・・。

ミュウ:このあたりは標高が高いから仕方ないのかな。明日は天気はすごく悪いらしいよ・・・。

作者:あ~あ、せっかく埼玉からはるばるここまで来たのに残念だなあ・・・。仕方がない、とりあえず宿に行こうか・・・。

ビクティニ:まあ、なかなか行けないような場所まで来れたのは貴重な経験だと思うよ。どうしても峠から屈斜路湖が見たいなら、また来ればいいし。

ミュウ:そだね~(謎の流行語) もう疲れちゃったし・・・。

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津別峠を後に・・・

ということで、我々は津別峠を後にしてホテルに向かったのでありました。

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屈斜路プリンスホテル

ようやく今宵の宿に到着しました。屈斜路湖の湖畔という立地ということもあり、津別峠や美幌峠から見える屈斜路湖を撮影したり眺めたりするのにはおすすめかと思われます。

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屈斜路湖の湖畔にも行ける

湖畔にも行けるようですが、生憎の天気ということもあり、断念しました・・・。

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屈斜路湖には『クッシー』という未確認生物が存在する?!

 屈斜路湖には『クッシー』という未確認生物がいるとかいないとかの噂があったようです。本当にいるんでしょうかね・・・(^^;

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ホテルに到着

ビクティニ:ようやく宿に到着だ・・・。もうお風呂に入りたいなあ。

ミュウ:もうお腹空いたから、ごはんも食べたい。

作者:今夜の宿は夕食は豪華で、お風呂も温泉だよ。

ビクティニ:マジ?!ありがとう作者さん!

ミュウ:バイキングだって!やった~!

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ホテルの部屋

ビクティニ:お風呂が最高だったな~!

ミュウ:夕食もとっても美味しかった!

Vポンチョピカチュウ:でも、明日の天気はすごく悪いみたい・・・。

シャワさん:そうだな・・・。明日は台風が日本海を徐々に北上してきてるようだ・・・。

作者:何より、一番心配なのは台風のせいで飛行機が飛べなくならないかどうかだけど・・・。

ビクティニ:マジかよ?!台風のせいで飛行機が飛べなくなったらお手上げじゃん!

ゴンベ:心配だっぺ~・・・。

 

・・・続く!