ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり、鉄道名所(景観路線や歴史ある鉄道スポットなど)スポットめぐりや風光明媚な鉄道旅、日本の観光地の歴史や景観めぐりなどを紹介するコーナーです。よろしゅうお願いします。

北海道旅日記2-2 小樽の鉄道はロマンあふれていた!

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小樽総合博物館

こんにちは。今回は小樽の鉄道博物館こと小樽総合博物館を見学してみようと思います。

鉄道博物館といえば、大宮、京都、名古屋、九州とかにはかつて国鉄時代に使われた車両群が展示されていたりするのですが、北海道ではここと三笠鉄道村が鉄道博物館だったりします。

ここには、かつて北海道の鉄道で活躍した多くの車両たちが眠っています。ということで、見ていきましょう。

 

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小樽総合博物館の入り口

博物館の入り口です。

昔の小樽駅の改札口をモチーフにしたのでしょうか。「改札口」の文字が右から読むように逆さになっているのがまさに昔の文字表記です^^

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蒸気機関車7100形『しづか号』

 改札口のような入り口をくぐると目の前にはアメリカ製の蒸気機関車と客車が鎮座しています。これは蒸気機関車7100形『しづか号』と1等客車の『い1号』。

明治17(1884)年のアメリカから輸入されたもので、翌年にここの鉄道である手宮線で活躍していた車両です。また、蒸気機関車自体はピッツバーグのH.Kポーター社製で、アメリカ型蒸気機関車特有の前面に設置された「カウキャッチャー(牛よけ)」という排障器、そして大きな煙突の「ダイヤモンドスタック(火の粉止め)」が特徴的です。他にもこれと似たようなSLは『弁慶号』と『義経号』があります。

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開拓使号(客車)
これは北海道初の鉄道である幌内鉄道の開業時にアメリカから輸入された1等客車で、主に開拓使長官をはじめ視察用の車両として使われたものです。黄色い車体に二重屋根がアメリカ製ならではの特徴。

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博物館に展示されているSLのナンバープレート
かつて北海道で活躍したSLのナンバープレートも展示されています。明治のSLをはじめ大正のSL、さらにD51やC62などのナンバープレートも多く展示されています。

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国鉄時代における北海道の鉄道で使われたサボなど

国鉄時代に急行や特急列車に使われた種別のサボが多く使われていました。

北海道では『北斗』『おおぞら』『オホーツク』などの特急の他に『天北』『すずらん』『利尻』などの急行も走っていたようです。

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蒸気機関車の模型

蒸気機関車の仕組みや模型も展示されています。

炭水車やタンクから給水された水をさらにボイラーの熱で加熱することで蒸気になり、初めて蒸気エネルギーとして動力エネルギーに変換して動輪を動かしているという仕組みなんですね。ところで蒸気機関車のプレートに書かれた「C」や「D」の意味は何なのかというと・・・これは『動輪の数』なのです。そして、その後ろの数字は「11」とか「51」の2桁の数字が来たりするのですが、これは10~49がタンク式で50~99が炭水車式なのです。例えばC11なら「C」は動輪の数が3個という意味で、「11」は10~49の中に入る数字なのでタンク機関車です。D51なら「D」なので動輪が4個、「51」は炭水車式の機関車ということなんです。

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模型による鉄道の科学
 鉄道設備の構造や列車の装置の仕組みなどを簡単に理解できます。

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旧国鉄手宮線の手宮駅跡(貨物駅)を活用した鉄道広場

博物館の外に出てみると、たくさんの鉄道車両が保存されています。ここの敷地内自体がもともとは駅構内だったというだけあってかなり広いです。

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北海道の急行型気動車『キハ56系』

踏切越しの広場に出てみると、いかにも古そうな車両が展示されています。

これは『キハ56系』といい、 かつて北海道の急行列車で活躍したディーゼルカーで昭和36(1961)年に登場した車両です。種車は本州や四国、九州などで活躍していたキハ58の北海道版といった感じです。また寒冷地帯で活躍するため、耐寒耐雪装備が施されています。

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キハ56系の車内
車内に入ってみると、かなり年季が入っていると思われます。床は木製で、ボックスシート自体も当時もままで残されています。 

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北海道におけるかつての主力気動車『キハ22形』

主に北海道における普通列車の運用で活躍した車両です。

これも先ほどのキハ56系と同様にキハ20系を寒冷地仕様として北海道で活躍しました。また、昭和30~40年代に北海道で走っていた蒸気機関車による普通列車の置き換えを目的に昭和33(1958)年に導入されましたが、国鉄からJR化になった90年代前半頃には引退しています。

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座席の他に荷物と郵便を運んだ車両『キハユニ25形』

現在の鉄道は旅客は旅客、貨物は貨物で振り分けられていますが、国鉄時代は1つの車両に旅客としての役割を持つ座席の他に荷物や郵便などの収納が出来るスペースを有した車両も活躍していたのです。

主に客車列車がそれに該当しますが、気動車においてもそれと同じ役割を持った車両があり、写真の『キハユニ25形』もその1つです。国鉄時代当時は『鉄道郵便局』という機関があり、国鉄と郵政省が連携して荷物の取り扱い輸送の他に郵便の輸送も行っていたようです。なお、70年代になると自動車や航空機による郵送が普及化したことで、鉄道による郵送は80年代後半には廃止になったのです。ちなみにその鉄道郵便局の仕事としては特殊にして過酷な作業環境に置かれていたということもあり、その鉄道局での経験や精神から『鉄郵魂』といわれていたのだとか。

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蒸気機関車C12型

蒸気機関車C12型は主に簡易ローカル線や構内の入れ替えを中心に活躍しました。

北海道なら小樽築港での入れ替えや旧国鉄手宮線といった短距離路線でも活躍していたのです。C12型は先日訪れた真岡鐵道でも走っています。

ミュウ:真岡鐵道で見たSLに似ているけど、同じものかな?

ビクティニ:確かに真岡鐵道でも同じ機関車がいるけど、形式的には違うんだ。真岡鐵道で乗ったのはC11型だったんだよね。

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小樽の鉄道博物館の名物『アイアンホース号』

小樽の博物館で動態保存されているSLは『アイアンホース号』というアメリカ製のSLが走っています。

このSLは明治42(1909)年にアメリカのポーター社にて製造して輸入され、北海道における最初の鉄道、幌内線で『義経号』や『弁慶号』、『しづか号』とともに活躍しました。また、この博物館に展示されている機関庫や転車台を実際に使った運行はあまり無いことから、蒸気機関車の黎明期を表現したテーマこそ、小樽の鉄道としての魅力なのではないでしょうか。

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1世紀を超えてなおも動いている『アイアンホース号』

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日本の鉄道における有数の転車台と機関庫はまさに重要文化財の1つ


アイアンホース号

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豪雪地帯の多い北海道の鉄道では欠かせない除雪車『キ100形』

北海道は冬になるとやはり豪雪になったりする地域が大変多いですよね。積雪があまりにも多いと鉄道の運行ができないということもしばしば。

そこで、線路に積もった雪を取り除くために、『除雪車』という車両が活躍します。鉄道の除雪車には『ロータリー式』と『ラッセル式』の2種類があります。『ロータリー式』は車両前部に設置された羽根を回転させて雪を掻き込み、線路外に吐き出すという雪かきする上で効率的な構造です。『ラッセル式』は車両前部に設置された除雪板を設置し、線路の雪を掻き分けて線路外の片側または両側に退けるというシンプルな構造です。写真の除雪車は『キ100形』というラッセル式の除雪車で昭和3(1928)年に製造されました。この車両は蒸気機関車やディーゼル機関車の先頭に連結して除雪作業をしていたことから、『貨車』という扱いだったようです。

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北海道のディーゼル特急形車両『キハ82系』

北海道の鉄道は非電化の路線が多いことから、架線がなくても走れるディーゼル車両は大変重宝されていたとされています。

その中でも特急列車は欠かせぬ存在で、主にキハ183系が北海道の花形特急であるのは有名ですが、キハ82系も北海道の特急で活躍した車両の1つです。キハ82系はキハ183系とともに『北海(北斗)』や『おおとり』『おおぞら』『オホーツク』などの特急で活躍していました。

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蒸気機関車『C55形』

北海道でもかつては多くの蒸気機関車が走っていました。函館~札幌を結ぶ函館本線をはじめ、根室本線、宗谷本線、石北本線、釧網本線、そして広尾線や標津線など国鉄時代に廃止になった路線でも数多くのSLが活躍していたのです。

その中のC55-50号機はかつて東海道本線や山陰本線などの旅客列車で活躍した後、北海道に送られ晩年は宗谷本線の旅客列車で活躍しました。ちなみにC55形は20~40号機の21両が落成当初から流線型として登場しましたが、保守が困難だったことから写真のSLと同様の従来の形に戻されたようです。ちなみに当初は流線型から元のSLの形に改造されたC55-30号機が保存される予定だったようですが、何かの手違いで解体され、代わりに元から従来のSLの形をした50号機が保存される事になったようです。

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北海道で唯一の電気機関車

国鉄時代の北海道の鉄道の中には一部電化されているところがあり、その区間に当たるのが函館本線の小樽~旭川間が代表的でその中でも電車や電気機関車が走っていたのです。

ED76形500番台は九州のED76形0番台の寒冷地版で北海道向けの機関車として貨物列車や旅客列車で活躍しました。とはいえ、北海道の路線はほとんど非電化で電気機関車が活躍できる区間は限られていたということもあり、また旅客列車も客車から電車に役目を譲り、90年代前半に引退しました。ちなみにこの機関車の特筆すべき特徴といえば、従来の制御装置は『磁気増幅器』を採用していましたが、北海道向けの500番台は『サイリスタ制御』が採用されたようです。また寒冷地向けということもあり、旅客運用を前提に暖房用の蒸気発生装置も装備されていたようです。

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旧国鉄手宮線跡

小樽の鉄道遺産の1つとされる『旧国鉄手宮線』です。

これは北海道最初の鉄道である幌内鉄道開業区間の一部分とされ、主に石炭や海産物などの貨物輸送を目的に明治13(1880)年に11月28日に開業しました。その後はに北海道炭礦鉄道に譲渡され、鉄道国有法によって明治39(1906)年10月1日に買収し、国有化されました。戦後の昭和33(1958)年に気動車による旅客化が実施され、1日9往復が運行。さらに乗客の減少から、いわゆる『サンロクトオ』による昭和36(1961)年10月1日のダイヤ改正で蒸気機関車による旅客列車が2往復のみとなり、最終的には昭和37(1962)年5月14日を最後に旅客列車が廃止になりました。その後も貨物輸送が続けられたものの、輸送量の減少から、昭和60(1985)年8月下旬頃から貨物列車の運行も消滅し、同年11月3・4日のさよなら運転がされました。そして昭和60(1985)年11月5日に廃止となったのです・・・。

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旧手宮駅跡
 ここも手宮駅跡ですが、こちらは旅客専用になっていました。ちなみに手宮線はもともと貨物線として開業した路線ということもあり、貨物が優先とされていたため旅客扱いを停止してしまうこともあったようです。ところが、地元住民はそれに対して反対意見が多く、複線化された後は博物館のある貨物駅跡の手前であるこの場所に旅客用の手宮駅が造られたようです。

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旧手宮線の廃線跡について
旧手宮線の廃線跡は現在、遊歩道として整備されていますが、踏切や線路跡はほぼ当時のままで残っています。廃線跡にしては比較的状態が良いことから、将来的にはまちづくりの一環としてLRT 化してその路線自体を復活しようという協議がされているようです。

なお、この時期は足漕ぎトロッコのイベントがあり自分もやってみたかったのですが、時間の都合上叶わず・・・orz

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旭川へ移動します。

ということで自転車を返却し、この後は旭川までJR線で移動し、途中で特急を使います。さらに旭川駅から先は予め予約したレンタカーでの移動になります。ところが、特急の本数が1時間おきに1本と少ないということもあり、旭川に到着するのがなんと15:25とのことです・・・。予定よりだいぶ遅くなったのかもしれません・・・。

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途中の札幌でお昼の味噌ラーメン

特急は札幌駅が始発駅となるため、時間があったので札幌駅の近くにある『ラーメン共和国』というラーメン市場があるというのをガイドブックで初めて知り、そこでお昼にすることに。ところが、どのラーメン店も人混みで食べるのに時間がかかるのではないかということで予定の特急に乗れないという覚悟で並びましたが、意外と早かったようですw

ビクティニ:ようやく札幌で味噌ラーメンが食べられた!マジで美味い!!

ミュウ:やっとお昼ご飯が食べられた・・・。チャーシューが美味しい!

ゴンベ:札幌のラーメンはやっぱり味噌だべ~(^o^)

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特急で旭川へ移動中・・・。

さて、14:00発スーパーカムイ19号でそのまま旭川へ北上します。途中の田園風景はまさに北海道の景色だと言わんばかりに美しい車窓の景色が淡々と流れていきます。

ビクティニ:田んぼが広がっているね。

ミュウ:農場も多いね・・・。

ゴンベ:ワシの憧れていた景色だべ~!

 

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旭川駅に到着!

そして、旭川には15:25に到着しました。ここから先はレンタカーを借りてそのまま美瑛方面へ向かいます。

ビクティニ:さあ、作者さんの大好きなドライブ旅がは~じ~ま~る~よ~!

ミュウ:とりあえず、スピードは出しすぎないように気をつけないとね・・・。

作者:大丈夫!普段はあまり運転していないとはいえ、交通ルールや標識さえ守っていれば問題ない。それに、変な運転なんかしない限り事故ることはないよ。というわけで、美瑛へGO!

 

続く・・・。