こんにちは。9月30日に会津方面へ旅行に行ってきて参りました。
一日しか休めなかったので、職場から出発する形になりました・・・。・・・というわけで、仕事を終えたらそのまま旅館へ直行する感じです(笑)
東京駅から新幹線で郡山駅まで行く際には『やまびこ155号』が一番早く旅館に到着すると判断したものの、郡山駅での磐越西線への乗り換え時間が3分しかない上に接続が悪いのか自分が乗ろうにも発車してしまいました・・・。乗り遅れたらまた1時間待たないといけないのな・・・。その接続ダイヤを何とかしてもらえないのだろうか・・・(汗)
仕方が無いので時間つぶしに一度改札を出て近くのサイゼリアで軽食することに・・・。
東京駅
新幹線にて駅弁をいただくビクティニたち
ビクティニ&ミュウ「いただきます!」
その後、郡山駅で磐越西線の列車に乗り換えて磐梯熱海温泉の旅館へ・・・。19:48発とぎりぎりで乗れるか乗れないかの乗り換え時間だったことから一本乗り換えそびれたものの、いつも通りの719系かと思われたのですが・・・。なんと・・・。
?! まさかの磐越西線に新車?! E721系が磐越西線のホームにとまっているではないか?!(上の写真は磐梯熱海です) しかもワンマン車とは。E721系のワンマン車といえば普段は東北本線で701系と併結している車両ではないのか。朝夕の運用に限りの東北本線からの運用かと最初は思いましたが、後で調べてみると・・・なんと元々ワンマン車でないものを後に改造して719系を置き換えるために転属してきたそうです・・・。
ついに719系も見れなくなるのか・・・。しかも置き換えが不気味なぐらいに早いであります・・・(汗)
20:48に郡山を出て、21:06に磐梯熱海に到着。
磐梯熱海温泉の歓迎看板
宿泊先の磐梯熱海温泉の旅館『萩姫の湯 栄楽館』。足湯もあります。
旅館の玄関
旅館のベッドで寛ぐビクティニたち
ビクティニ「いい湯だったな~」 ミュウ「今夜ラピュタやってたよ」
なかなかいい部屋ですな~
旅館のロビー
駅前の足湯
ここから会津へ列車で移動します。
磐越西線車窓1
磐越西線車窓2
会津若松駅に到着したE721系。やはり719系が活躍していた頃とは違和感があります。
駅前に展示されている『あかべぇ』は会津のシンボルというだけあってインパクト感があります。
さらに駅前には蒸気機関車C57型の動輪が展示されています。かつて会津地方には多くのSLが磐越西線をはじめ、只見線・会津線(現在の会津鉄道)・日中線(喜多方~熱塩を結んでいたが現在は廃止されている)といったローカル線で活躍していたのです。尚、この動輪は『SLばんえつ物語号』が会津地方を走るということでモニュメントとして展示されているようです。
会津若松駅の駅舎。会津の名城である『鶴ヶ城』をイメージしています。
以前に私は2009年から会津若松周辺を回ってきましたが、当初は周遊バス(ハイカラさん)を何回か使ったことがあったのですが、渋滞になってしまう事もあるので若干時間がかかってしまいがちです。そこで、直接観光地まで行けるように2015年度からレンタサイクルを使うことになりました。また、アシスタント機能が付いているために効率良くかつスムーズに移動できるので、かなり便利だと思います。
まずは、『鶴ヶ城』から回っていきます。会津若松駅から鶴ヶ城までは自転車で15分程度で到着できます。で、こちらは鶴ヶ城の『お堀』のようです。かつては『会津藩』といったものが存在しており、『薩摩藩』や『長州藩』等と対立し合っていたそうです。
というわけで、いざ入城! ちょっと前までは北出丸から入った記憶があります。北出丸には確か団子屋さんがあって、そこの味噌団子が美味しかったんですよね。しかし、最近はレンタサイクルで鶴ヶ城に来る時になぜか三の丸に来てしまうのは自分だけなのだろうかw
ビクティニ「細かいことを気にしたら負けだw」
鶴ヶ城三の丸入り口。お堀に立派な橋が架かっています。石垣に草が生えており、お堀の池には蓮のような植物が浮かび上がっています。
鶴ヶ城本丸。周りの木の葉はまだ緑葉ですが、所々に紅葉づいておりますねw
また、お城の背景の青空に開放感を感じさせます。
やはり木の葉とお城は絵になりますな( ´艸`)
鶴ヶ城の案内図です。我々は案内図でいうと右側すなわち東口から入ってきました。
石垣にはこのように階段状になっている部分があります。これは『武者走』といい、城の兵が太鼓門の上に昇降する際に使われていたそうです。実はこういったV字状の石段が鶴ヶ城の特徴的な部分だったりします。また、敷地内の表面積も少なくて済むというメリットがあったようです。
鶴ヶ城の石垣内部です。実は『塩蔵』という倉庫として活用されていたようです。理由としては石垣の通気性が良いため、塩を乾燥させるのにはちょうど良かったのでしょう。
鶴ヶ城の内部にはジオラマや鶴ヶ城の骨董品などが展示されており、解説も設置されています。その解説によると、中世に『葦名直盛』という人が城主で当初のお城の名前が『黒川城』でした。その後近代に入り、伊達、蒲生(前期)、上杉、蒲生(後期)、加藤、保科、松平・・・と受け継がれていきますが、蒲生時代に『蒲生氏郷』が城主となった時代に『鶴ヶ城』に改名され、当初は『黒川』と呼ばれていた地名も『若松』に改め、現在の『会津若松』に至っています。その時代当時は豊臣秀吉が天下だった時代で、氏郷が秀吉の命で九州名護屋にくだり、朝鮮の役へ加わった言います。また、文武両道に優れた人材で、和歌や宗教に理解のある安土桃山文化を代表する人物としても有名でもあったのですが、40歳で享年と短い生涯だったそうです。
・・・といった歴史もあって鶴ヶ城にはそういったエピソードもあり、蒲生氏郷は会津若松の基礎を築き上げ、文武両道に優れた名将という会津の地においてかなり重要な存在となったのです。
1階~3階は常設展・展示スペースになっていますが、4階は写真の他に窓があります。こうして鶴ヶ城から景色を観てみると東山温泉とかがあったりするので、旅情はもちろん温泉にも行きたくなったりしますよねw
鶴ヶ城から眺めた磐梯山。こうして天守閣から眺める磐梯山はまさに格別ですねw
天守閣から見える南長走屋と飯干櫓。あそこには食料が保管されていたのです。
敷地内はやはり広いです。あそこには、鶴ヶ城敷地内でお抹茶が飲める茶屋『麟閣』があります。
鶴ヶ城に晴天の天気と庭園の松の木が良く似合います。
ビクティニ「鶴ヶ城には晴天が良く似合うよ」ミュウ「お出かけ日和にはちょうどいいんじゃないかな」
鶴ヶ城の茶屋『麟閣』です。千利休の子少庵ゆかりの茶室とも言われています。庭園の四季折々を眺めながらお茶が楽しめるという癒される空間です。
麟閣の庭園です。風情のある茶室と植込みに趣を感じます。
という事でお抹茶と和菓子をいただきました。
お昼には会津ラーメンをいただきました。スープがあっさりしてました。
個人的には喜多方ラーメンがよかったかも・・・
続いて飯盛山でございます。麓にはお土産屋が並んでいます。私は以前に来た時には勧誘されて時間を無駄にした記憶があります…。また、写真の少し右側にはエスカレーター乗り場があり、一気に頂上に行くことが出来ますが、有料です(300円)。なお、エスカレーター利用がてらに御朱印をもらいましたw
頂上には白虎隊のお墓があります。ここで多くの白虎隊の少年たちが自刃を抜いたといいます。戊辰戦争に16~17歳の少年たちで編成されていた白虎士中二番隊が戸の口原合という戦場から退却した後、滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙とともに崩壊していき、「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決し、大半の少年が自害していったのです・・・。
それらの20名のなかで唯一生き残った 飯沼貞吉 によって、白虎隊の忠義と悲運の物語は後世に語る継がれることになります。
ビクティニ「なんかかわいそう・・・。戦争は人を不幸にしてしまうんだよ・・・」
お土産屋さんの坂を少し下りた場所に『さざえ堂』というお堂があります。会津さざえ堂は寛政8年(1796)飯盛山に建立された、16.5mの高さを持つ六角三層のお堂です。
正式名称としては「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といわれています。
当時飯盛山には正宗寺(しょうそうじ)というお寺があり、その住職であった僧郁堂(いくどう)の考案した建物だそうです。
かつてはその独特な2重螺旋のスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれてきたようです。
また、上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りできるということで世界にも珍しい建築様式を採用したという事もあり、建築史上その特異な存在感があることから、平成8年に国重要文化財に指定されたのです。・・・いやはや、こんな珍しい形をしたお寺はなかなか無いですな・・・。
ビクティニ「確かに巻貝のような形をしてるね」
ミュウ「だから『さざえ堂』なんだね」
さざえ堂の前にて記念撮影です。
こちらは厳島神社の分社のようですね。厳島神社といったら広島県の宮島にあるというイメージしか思い浮かばない・・・。
さて、自転車を返しまして、いよいよSLばんえつ物語号に乗車します。
皆さんお待ちかね!『SLばんえつ物語号』の機関車『C57-180』号でございます!こちらのC57-180号機は1969年(昭和44)まで新津機関区にて活躍したものです。その後、1999年(平成11)に復活を果たし、30年振りにC57型の高らかな汽笛を轟かせて現在に至っております。尚、停車駅は喜多方、山都、野沢、日出谷、津川、三川、咲花、五泉、新津、そして新潟です(塩川は通過)。そして、この機関車はやまぐち号と同様『C57型蒸気機関車』です。こちらも同様に『貴婦人』ともいわれています。
駅員の方々に見送られ、汽車は高らかな汽笛を響かせて会津若松駅を跡にします・・・。
ビクティニ&ミュウ「バイバイ」
こうして、ビクティニたちを乗せた『SLばんえつ物語号』は会津盆地を駆け抜け、喜多方を過ぎると山間部に入っていきます。やがては阿賀野川に沿いながら峠越えに挑みます。なお、この日は展望車で演奏会(?)のイベントが行われていたようですが、その演奏メンバーだけでなく乗客の皆さん盛り上がりすぎ・・・(汗)
・・・となんだかんだで色々と撮影も楽しむ事が出来ました。ただ、撮影に没頭しすぎて売店で買っておいたお弁当を車内で食べる余裕が無かったw
C57-180号の機関室
ビクティニ「なんか雨降ってきちゃったね」
作者「山間部だからな」
ボイラーの中で轟々と燃える炎にビクティニが良く似合います。
いかにもSLの勇姿たる生命力と勝利ポケモンと謳われしビクティニとのコラボレーションが実現できた~!マジでかっこええ~(^▽゜*)
新潟県に入るとあたりが夕暮れになってきています。山のシルエットなんかも幻想的な雰囲気が醸し出されます。こういった幻想的な環境こそ私のお気に入りです( ´艸`)
C57-180号とビクティニ&ミュウです。やはり伝説(幻)のポケモンにはSLが良く似合いますね( ´艸`)
動輪も威風堂々としておりますねw
このように整備士が機関車の念入りな点検も怠りません。
ビクティニ「作業員の方、頑張ってますね(゜▽゜*」
ノートにも書かせていただきました☆
新潟県に入ると、汽車から見える車窓は銀河鉄道の夜のような感じになっています。阿賀野川から離れ、夕闇の越後平野を駆け抜けます。津川駅を出発した後も展望車は演奏会で騒がしくなる程盛り上がってしまったようです・・・。せっかくのわびさびの雰囲気が台無しです(^ω^;)。リクエスト多すぎw
とまあ、なんだかんだで楽しかったですし。演奏会の皆さんありがとうございました。
やがてSLは信越本線に入り、19:06に新潟駅に到着しました。いやあ、長いようで短いような不思議な夜汽車の旅でしたね。C57-180号機さんと機関士さん、スタッフの皆さん、本当にありがとうございました!皆さんと旅してきた思い出は決して忘れません!!
というわけで新潟駅に到着しました。尚、来年度(2018年度)から新潟駅でなく新津駅発着になるようです。もう新潟駅にC57-180号機が来なくなるのな(‘・ω・`)
ビクティニ「バイバイ、C57君。きみと旅した思い出は忘れないからね(;ω;)」
ビクティニ「またいつか旅しようね☆」
☆おしまい☆
なお、こちらの動画も制作いたしましたので、どうぞご覧ください。