ビクティニと昔ロマンのブログ

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正月旅行(山陰) 大晦日の松江城と出雲大社(前編)

みなさんこんにちは。

今回は大晦日松江城出雲大社に行ってきました。

まずは、ホテルから松江しんじ湖温泉駅までタクシーで行き、そこからレンタル自転車を借りて松江の城下町を回りたいと思います。

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松江城のお堀には鴨が泳いでいますね。

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松平直政銅像が猛々しい勇士です。ちなみに松平直政は江戸時代の大名で、出雲松江藩における松平家の初代当主です。また、徳川家康の孫にもあたり、結城(松平)秀康の三男です。信濃国(松本城)を経てここ出雲国松江城に移ったと言われています。

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まずは松江城の周辺を散策していきます。

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石垣の上にそびえ立つ松江城天守閣が美しいですね。

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晦日ということもあり、松江神社でも参拝していきたいと思います。鳥居の前に立てられた門松を見ると「もう正月なんだな」と感じてしまいます。なお、前回でも参拝したことがあるのですが、その時は御朱印をやっていなかった記憶があります。今回は大晦日なので御朱印をやっていました。f:id:okuchichibu551:20190113144655j:plain

松江神社は松江城の麓にあるということで先ほどの松平直政が祭られている由緒ある神社です。もともとは松平直政公を御祭主として明治10(1877)年に西川津村楽山(現松江市西川津町)に『楽山神社』として建てられたものだそうです。

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松江神社の御朱印

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松江城本丸の城門です。城門にも立派な門松が飾られていました。

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松江城の説明板1

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松江城の説明板2

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松江城の本城です。国宝ということもあり、石垣に黒い木製のお城がロマンを感じさせます。

ビクティニ:改めて見ると立派なお城だね。

ミュウ:国宝に選ばれた由緒のあるお城だからね・・・。

にょろもう:大きなお城だね。

サンドパン:お城のてっぺんにある2つの飾りはなんだろう・・・。

ビクティニ:あれは鯱(しゃちほこ)だよ。

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これは、昭和の解体修理工事(1950年代)まで使用されていた『旧鯱』です。松江城天守の最上層の屋根には、尾を天に向けて体を反り合わせて向き合うとされているのがその『鯱』なのです。先ほどの正面から見た位置から左側が『雄』右側が『雌』になっており、それぞれ造りが微妙に異なり、雄の方が粗いのだとか。高さとしては約2.08メートルと現存する全国の天守の鯱の中では最大級だそうです。明らかに大人の人間の伸長を軽く超えるような大きさですね。もともと鯱は虎に似た頭部に魚のような胴体を持つことから、想像上の生き物とされてその名称がついたのですが、実際には火災除けや魔除けなどの霊験が信じられ、14世紀ごろから寺院の装飾に使われ始めたものなんだそうです。そして、城で使われるようになったのは織田信長天正7(1579)年に築いた『安土城』に初めて使われ、後に松江城にもその鯱が使われるようになったのです。そのため、それらの災いを防ぐためにお城の天守閣に鯱が飾られている理由とされているのです。なお、現在の松江城の鯱は木製の本体に銅板を張ったもので厚さ4寸(約12㎝)のアスナロ材が使われているようです。

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 松江城には『祈祷札』も備えられています。実は松江城が国宝に選ばれた理由はこの祈祷札にあったと言います。それは、江戸時代初期に完成したとされる祈祷札が発見され、国の文化審議会文部科学相に改めて国宝に指定するように答申したのが始まりなのだそうです。

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お城の地下にあたる石垣内部では『塩蔵(しおぐら)』として使われることがほとんどです。しかし、お城によっては塩に限らず、米や粟(あわ)などを保管していたりしていたようです。

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天守閣を支える『包板(つつみいた)』や『釘』などの鉄製品が松江城を支えているんですね・・・。

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北惣門橋(きたそうもんばし)の模型です。この橋は江戸時代に内堀の東側にあった家老屋敷と城内を結ぶ重要な橋として造られました。明治時代の半ばに石造りのアーチ橋に代わり、長いこといわゆる『眼鏡橋』が使われていましたが、平成6(1994)年11月に橋長18.54m、幅3.82mの規模で当時の木製橋として復元されています。

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こちらは当時の松江城天守に葺かれていた『鬼瓦』です。鬼瓦というものはもともとはお城に限らず、大棟(おおむね)の両端や降棟(くだり)などの両端につけるための装飾瓦(かざり)です。実はこの鬼瓦にもちゃんとした意味があり、先ほどの鯱と同様、『魔除け』としても使われています。

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お城ならどこにでも欠かせないのが『甲冑(かっちゅう)』です。こちらの甲冑はかつて播磨国大坂城五人衆の一人である後藤又兵衛が使っていたものです。

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普通のお城ならヒノキなどといった木材が使われることが多いですが、こちらの松江城では『桐(きり)』という木材が使われています。これは日本の木材の中では最も軽いとされ、防腐防火が抜群だと言われています。こうして他のお城と違った木材を用いた工夫がされたことで、敵から身を守ることができたという事ですね。ちなみにこちらの木材は樹齢300年のもので、現在の北惣門橋(きたそうもんばし)もこの木材が使われています。

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矢狭間

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鉄砲狭間

お城なら何処にでもありますよね。こうした狭間を設置することで、敵から身を守ることができたという事ですね。

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また松江城には他のお城と異なり、『井戸』も設置されているのも特徴的です。これは戦(いくさ)が起きた際に籠城しなければならない時に飲料水を確保するためのものだとされています。もっとも、石垣の内部は食料を保管するための貯蔵庫として活用され、そこに井戸が設置されたのも工夫の1つだったりします。f:id:okuchichibu551:20190113185909j:plain

この太鼓は城下に刻(とき)を知らせるための『刻(とき)の太鼓』です。松江城天守にある太鼓にはそのように名付けられています。こちらの渦巻き状の『巴(ともえ)』という模様がついた面の直径は110cm、胴の幅は95cmあります。これは城内に時刻を知らせるために打たれていたとされています(主に日の出~日没を昼、日没~日の出を夜とし、それぞれを6等分に不定時法で鳴らしていたようです)。また、二の丸の『太鼓櫓(たいこやぐら)』にも置かれ、毎日登城の時刻を知らせるのにも使われ、非常呼集の際にも使われていたようです。

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松江城の5階の構造は4階に設置されている四隅の梁(はり)とその梁の四隅から出ている柱で支えられています。この構造は5階の重荷が4階の柱に直接受けないように梁に固定されている柱を横方向にずらすことで、5階の重荷を分散させたバランスよく保った構造になっています。さらに通し柱もバランス良く配置をすることで長大な材料を使わない大規模な建築構造になっているのもこのお城の特徴とも言えるでしょう・・・。

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5階の天守閣から見た宍道湖です。

ビクティニ:うわ~、天守閣から見える宍道湖の景色が絶景だよ~( *´艸`)。夕日だったらもっと綺麗に見えるかもね。

ミュウ:ちょっと寒いけどね…。

 

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ビクティニ松江城に黒松があったんだね・・・。

ミュウ:せっかく風情があるのに、建築材料に使われたんだね・・・。

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馬洗い池。松江城内の隅にある池ですが、この池には特にこれといった特徴はありませんが、かつてはその名の通り、馬を洗うのに使われていたという説があるようです。また、先ほど述べたように『飲料水』もこの池から採取され、先ほどの井戸もこの池と繋がっているのではないかと推測されています。

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松江城の敷地内に城山稲荷神社や

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松江護国神社があります。

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松江城のお堀の外には城下町らしく、白と黒の建物が並んだ街並みに旅情を誘います。

ビクティニ:あ、ミュウちゃん見て!鴨が泳いでいるよ!

ミュウ:のんびり泳いでいる鴨を見ていると心が和む・・・。

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小泉八雲記念館です。ここでは小泉八雲のことが知りたい人にはお勧めです。

小泉八雲はお察しの通り、先日に訪れた境港の水木しげる先生と似てはいますが、こちらは『怪談』の作者であり、明治時代の随筆家,英文学者並びに日本における研究家として有名です。主に『耳なし芳一』や『ろくろ首』をはじめ『むじな(のっぺらぼう)』『雪女』などといった怪談の作品が代表的です。もともとこれらの作品には古典、民話、伝承にあった話に魂を吹き込んだ小泉八雲が生み出してきたと言います。小泉八雲は1850年にギリシャで生まれ、元の名前が『パトリック・ラフカディオ・ハーン』という名前だったようです。彼が松江に来てから、日本の文化を深く理解し(しかも普通の日本人以上に愛していたようです)、松江独自のまさに『古き良き日本の良さ』が彼の心を打たれるほど伝わったことから『神々の国の首都』と呼ぶようになり、こよなく愛したと言います。

ビクティニ小泉八雲って外国人だったんだね~。それで日本における文化や伝統に惹かれたんだね。日本の文化といえばやはり『妖怪』や『怪談』は欠かせない要素だったりするんだよね。

ミュウ:水木しげる先生の作品も魅力的だったけど、その小泉八雲さんが生んだ作品には本当に日本の文化に愛情が感じられるものが多いよね…。

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小泉八雲の旧居です。

 

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ここで年越しそばをいただこうと思ったのですが、生憎の込み具合で・・・。

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さて、以前は行けなかった武家屋敷も8月1日にリニューアルオープンしたので、立ち寄ってみたいと思います。

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武家屋敷の中です。会津武家屋敷は敷地がもっと広かったですが、こちらの武家屋敷はやや小規模です。松江城の堀沿いの北部に位置し、(しゅおく)をはじめ、長屋門(ながやもん)や塀が長くそびえ立つ城下町らしく美しい武家屋敷です。内部も江戸時代当時のままで残されています。f:id:okuchichibu551:20190115220653j:plain

ビクティニ:まるで田舎の家に帰ってきたみたいだ・・・。正月にこんな田舎の家で年越しをすごせればいいのにな・・・。

ミュウ:この後は出雲大社で年越しを過ごすことになるからね・・・。

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風流のある庭園も素敵です。

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年越しそばといってはなんですが、こちらの『三段そば』をいただきました。

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おやつに『若草』という和菓子とお抹茶もいただきました。

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堀をゆく舟が風情を感じさせます・・・。お堀を優雅に泳ぐカルガモも素敵なものです。

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帰りに松江護国神社で参拝させていただきました。

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御朱印です。さきほどの松江神社では「大晦日」と書かれていたのは、やはり特別な御朱印だったのでしょうか。

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ということで、松江城を後にして出雲大社へ向かいます・・・。

 

後編へ続く・・・。