ビクティニと昔ロマンのブログ

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世界遺産の城下町“萩”を観光しました その1

皆さん、こんにちは。

今回は山口県にある世界遺産の町『萩』を訪れました。今でも武家屋敷や城跡が残り、日本の近代化にも貢献した城下町でもあったことから、『世界遺産のまち』またの名を『萩城下町』として認定されています。

 

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松下村塾のある松陰神社の境内

その中でも世界遺産に認定されている『松下村塾』が有名でこちらの松陰神社の境内にあります。

 

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松陰神社
この神社は明治40年(1907)に創建され、吉田松陰を祭神とする神社で、明治23年(1890)8月、松下村塾出身者などにより松下村塾の改修が行われ、松陰の実家である杉家により私祠として村塾の西側に土蔵造りの小祠が建立されました。その後、門人の伊藤博文、野村靖などが中心となり、神社を公のものとして創設しようという運動が起こり、明治40年(1907)に県社の社格をもって創建が許可されたのがその始まりです。現在の社殿は昭和30年(1955)に完成したもので御神体として松陰が終生愛用した赤間硯と父叔兄宛に書いた文書が遺言によって納められています。旧社殿は『松門神社』として、松陰の門人であった人々の霊を祀っています。

ビクティニ:この神社はかの有名な伊藤博文に関係があったんだね。

ゴンベ:名前通り、境内にはたくさんの松が植えてあるっぺ。

 

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松下村塾

松陰神社の境内にある『松下村塾』こそ、萩の世界遺産を語る上で欠かせない史跡です!

幕末期に吉田松陰が主宰した私塾で、天保13年(1842)に松陰の叔父である玉木文之進が自宅で私塾を開いたのが始まりと言われています。後に松陰の外伯父にあたる久保五郎左衛門が継承し、子弟の教育にあたりました。そして安政4年(1857)、28歳の松陰がこれを継ぎ、主宰することになります。松陰は身分や階級にとらわれず塾生として受け入れ、わずか1年余りの間であったものの、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、山田顕義、品川弥二郎などが門下生として受け入れ、明治維新の原動力となり、明治新政府に活躍した多くの逸材を育てたのです。
当時、この地域が松本村と呼ばれていたことから『松下村塾』という名がつけられたといいます。松陰は、「学は人たる所以を学ぶなり。塾係くるに村名を以てす。」改め、『松下村塾記』に記し、村名を冠した塾名に自らの誇りと責任を感じ、志ある人材を育てようという素晴らしいエピソードが今でもなお歴史に刻まれています。

中でも伊藤博文は「大日本帝国憲法」を創った立役者で明治維新後は元年に兵庫県知事となり、その後は新政府の中枢で活躍。そして明治18年(1885)に初代内閣総理大臣となり、以後、第五代・第七代・第十代と4次にわたり内閣総理大臣として内閣を組閣したことで有名です。また、伊藤博文が塾で出会った木戸孝允は西郷隆盛、大久保利通とともに、『維新の三傑』と呼ばれています。長州藩の藩校・明倫館で兵学教授であった松陰に学び、「事をなすの才あり」と評される。木戸孝允は、私塾・松下村塾の門下生でなかったものの、その後も松陰に対し、門人の礼をとり続けていたといいます。

松下村塾は世界遺産かつ『明治日本の産業革命遺産』として平成27年(2015)7月に登録されました。

 

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松下村塾の講義室

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塾内に飾られている肖像画
松下村塾は木造瓦葺き平屋建ての50平方㎡ほど有する小舎で、当初からあった8畳の一室と、後に吉田松陰が増築した4畳半一室、3畳二室、土間一坪、中二階付きの部分から成っています。講義室だった8畳の部屋には松陰の石膏像と肖像画、机が置いてあります。もちろん、畳や梁、掛け軸などはみな当時のままです。肖像画はこの塾の門下生らと木戸孝允で飾られています。

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萩反射炉

萩反射炉も世界遺産の1つです。

この反射炉は、いわゆる西洋式の大砲鋳造を目的として建設された金属溶解炉で、萩藩の軍事力強化のために導入が試みられました。

萩藩は安政2年(1855)、反射炉の操業に成功していた佐賀藩に藩士を派遣し、鉄製大砲の鋳造法伝授を申し入れるも一度拒絶されます。しかし、反射炉のスケッチだけ許されます。現在残っている遺構はいわば煙突にあたる部分で、高さ10.5mの『安山岩積み(ただし上方一部だけレンガ積み)』という工法を採用しました。また、上部が二股に分かれた機構は一見上部で分かれているように見えますが、実際にはそれぞれ独立した2本の煙突になっています。オランダの原書によると、反射炉の全体的な高さが16mなので、約7割程度の規模とのこと。また、萩藩の記録で確認できるのは、「安政3年に反射炉を試作的に築いて大砲などの鋳造を試みたが、本式に反射炉を築造することを中止した」という古文書に書かれていたように、安政3年(1856)の一時期だけ試験的に操業されたということだけであることから、萩反射炉はこのスケッチをもとに設計・築造された試作炉であると考えられています。

 

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近代産業遺産にもなった反射炉

萩反射炉も松下村塾と同様に世界遺産かつ『明治日本の産業革命遺産』として平成27年(2015)7月に登録されています。このような反射炉の遺構は、韮山(静岡県)と旧集成館(鹿児島県)にあるものとともに、日本の産業技術における史上とても貴重な遺跡です。

鎖国状態にあった江戸時代にあって、大陸に近い西南雄藩は、アヘン戦争での清国(中国)の敗戦やペリーの黒船来航により危機感をもち、海防の強化とともに各藩は、わずかな蘭書の知識などを頼りに自力で、射程距離の長い鉄製大砲や大型の軍艦を建造しようと試行錯誤します。その中で鉄製大砲を建造するためには、衝撃に弱い硬い鉄を粘り気のある軟らかい鉄に溶解する必要があるということから、その装置として反射炉を用いていたのです。これは試作炉としての性質をもった、当時の試行錯誤による産業化を示す貴重な資産の1つとなったきっかけでもあります。

シャワさん:おお、これが反射炉か。近くで見ると大きいものだな・・・。

 

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萩反射炉の構造

今残っている萩反射炉の遺構は煙突だけですが、全体的には『炉』と『煙突』に分けられています。

アーチ型の炉では後方の燃焼室にて焚いた燃料の炎と熱を浅いドーム形の天井に反射させ、前方の溶解室に置いた原料鉄に熱を集中させて溶解させます。さらに炉内の温度を高温に保つ必要があるため、高い煙突を利用して大量の空気を送り込みます。炉内の温度を千数百度にして鉄に含まれる炭素の量を減らし、鉄製大砲に必要な軟らかくて粘りのある鉄に変えることができるという構造になっています。

 

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萩で最後に誕生した小さな火山 笠山

 萩には世界遺産の遺構の他にいわゆる「ジオパーク」といわれる自然スポットも存在します。

その中で『笠山』は北長門海岸国定公園の中に位置しており、「萩で最後に誕生した小さな火山」といわれています。この火山は約1万年前に噴火し、安山岩の溶岩台地と空中高く噴き上げられたマグマのしぶき(スコリア)が降り積もってできた丘(スコリア丘)で構成され、その形が市女笠に似ていることから『笠山』と呼ばれるようになったのです。

 

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噴火口にも入れるほど東洋最小の火山
笠山の最大な特徴といえば、やはり『噴火口』です。山頂に直径30m、深さ30mを有しており、噴火口に下りられるようになっています。

 

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赤く染まった岩こそ火山であった名残
噴火口の岩は赤く染まっています。これは笠山がかつて1万年前に『活火山』として活発していたという名残が見受けられます。こういった地球の火山活動の名残が見られるのはなかなか貴重なものです。

 

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石碑
かつては皇太子殿下が訪れられたようです。

 

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笠山展望台から見る海
もう1つ、笠山には展望台があり、日本海と周りに浮かぶ島々も見渡せます。また、夕暮れ時には夕焼けの海が見られます。この日に行った時は曇っていて残念ですが、海の景色はとても雄大です。

ビクティニ:山頂から見る海は綺麗だ・・・。

ゴンベ:来て良かったっぺ。

作者:津別峠や美幌峠に行った時には湖なんて見れなかったのは虚しいけど、代わりに萩の自然が見れて良かった。

 

世界遺産の城下町“萩”その1をお伝えしました。