ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり、鉄道名所(景観路線や歴史ある鉄道スポットなど)スポットめぐりや風光明媚な鉄道旅、日本の観光地の歴史や景観めぐりなどを紹介するコーナーです。よろしゅうお願いします。

正月旅行 厳冬の山陰旅 世界遺産“石見銀山”ゆかりの温泉“温泉津温泉”に泊まる

皆さんこんにちは。

今回は『世界遺産の温泉地』といわれる温泉津(ゆのつ)温泉に宿泊しました。

 

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JR山陰本線 1両編成の普通列車

温泉津温泉へは出雲市駅からJR山陰本線の普通列車か快速列車で向かいます。

出雲市以西の列車はディーゼル列車で運行され、スーパーおきスーパーまつかぜなどの特急列車をはじめ、2両か1両編成の普通列車または快速列車で運行されています。普通列車および快速列車は鳥取方面から直通するキハ126系(キハ40系)、出雲市始発の普通列車はやや小さい車両のキハ120系などで運行されています。山陰本線という長い『本線』でありながら、1両編成の普通列車で運行されているのは少々寂しげですね。車両が小さい上に1両ということは、山陰本線の出雲市以西はかなりのローカル線であるということを実感させられます。

 

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山陰本線の海の車窓
出雲市より西側の山陰本線は、進行方向右側の車窓には雄大な日本海の車窓が広がります。田園地帯や日本海が見渡せる山陰本線こそ、島根県の鉄道車窓としては代表的な光景です。

 

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『世界一の砂時計』がある仁摩サンドミュージアム
このあたりの島根県西部は『石見地方』といわれ、世界遺産の『石見銀山』があることで有名ですが、他にも『世界一の砂時計(1年計砂時計)』が設置されている『仁摩サンドミュージアム』があり、砂時計の展示や砂についての解説が行われています。島根県には縁結びのある神社や世界遺産の石見銀山があるだけでなく、こういったユニークな博物館や水族館があるのも興味深いものです。

 

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温泉マークと舟のイラストが文字になっている温泉津駅の駅名標

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温泉津温泉の案内


JR山陰本線で出雲市駅から約1時間・・・温泉津温泉の玄関駅、温泉津駅に到着です。温泉マークと舟のイラストで纏った駅名標が珍しいですね(笑)。

温泉津温泉は『世界遺産と温泉とやきものの町』ともいわれ、温泉津町は文字通り古くから温泉街として栄えてきました。16~17世紀の江戸時代、石見銀山から採掘された銀をはじめ、様々な物資を運ぶ人々で賑わいました。現在では、石見銀山遺跡および文化的景観として世界遺産の一部とされています。温泉津に温泉が発見されたのは1300年前のことで、狸がその温泉を見つけて入ったのがそのはじまりという伝説があるといわれています。

 

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温泉津温泉街

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夜の温泉津温泉街

世界遺産『石見銀山』ゆかりの温泉地『温泉津温泉』の温泉街です。

港町の温泉街ということもあり、わりとレトロな雰囲気で、まるで集落の中にある静かな温泉街という印象を受けます。

海と山に囲まれた町並みは江戸時代当時の雰囲気のままで今でも残っています。この町並みの民家には『赤瓦(あかがわら)』といわれる『石州瓦(せきしゅうがわら)』が使われています。実は、これらの瓦にはこの町並みの窯で焼いた年代物の瓦が使われており、いわば焼き物で出来た屋根のある民家はもはや歴史的建造物群というともいうべき価値観があります。これも島根ならではの文化といっても良いでしょう。この温泉街を観ていると、かつては石見銀山で働いた鉱夫たちで賑わっていたことを思わさせます。

 

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温泉津温泉 薬師湯

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薬師湯 2階ラウンジ

温泉津温泉といえば、『薬師湯』『元湯』では日帰り温泉が楽しめます。

温泉津温泉はお湯の色が茶色のにごり湯で、鉄分が含まれているのが特徴的です。

温泉津温泉は原爆治療にも活用されたこともあり、身体にはとてもいい成分が含まれているとされています。糖尿病を含む生活習慣病をはじめ、神経痛、リウマチや関節炎、筋肉痛、五十肩、運動マヒ、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器、痔疾、冷え性、病後の回復、疲労回復、健康増進、切り傷、火傷、慢性皮膚病、虚弱児童、婦人病などによく効きます。いわば、どんな万病にも効くとされています。また、国内屈指の『生の温泉』でもあるため、特に冬の時期では身体の芯まで温まり、免疫力や病防止には効果的とされていることから、山陰の温泉において最高峰の温泉とされています。地元の方々はもちろん、我々旅行者にも人気があります。旅の疲れや普段のストレス、仕事の疲れなどにも十分に効くので、島根への旅行のついでに湯治、あるいは石見銀山の見学のついでに立ち寄ってみるのも良いのかもしれません。
元湯の温度は最高46℃ととても熱いので、熱い温泉が平気な人や源泉に入りたい人はともかく、私みたく初めて訪れるような観光客や熱いお湯が苦手な人なら、ちょっときついかもしれません。そこで、観光目的や気軽に銭湯感覚で温泉津温泉を楽しみたいなら、比較的温度の低い薬師湯をおすすめします。薬師湯でも源泉100%なので十分に源泉が楽しめます。見た目もおしゃれでレトロな洋館仕様で、2階に湯上がりの休憩スペースがあり、また隣の旧館ではカフェとして運営されています。隣の旧館はもともと薬師湯の湯元で、温泉津温泉の温泉施設としては最古のものとされ、大正期に建てられた建築学的に貴重なものです。

ビクティニ:大正ロマンの銭湯って感じだね。温泉津温泉って「熱いお風呂」というイメージがあったけれど、ここの薬師湯なら普通の人でも銭湯気分が味わえるよ。風呂上がりのコーヒーは美味しかった。

ミュウ:・・・というより地元の人がよく使っているみたい・・・。ちょっと湯船は狭いけど、ここの銭湯なら雰囲気はあるし、安心して入れるからいいよね。

 

 

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温泉津温泉の旅館の夕食

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温泉津温泉の旅館の広々しい部屋
温泉津温泉の旅館はこじんまりしている割りには、庭園や館内がまるで高級旅館のような雰囲気です。我々が宿泊したお部屋は大広間のようにとても広く、掛け軸の前には茶香炉が焚かれていました。そして、旅館で出た夕食は島根地産の海鮮ものや食材がふんだんに使われています。

ビクティニ:この温泉地のご飯はとても美味しい!島根の海の幸もうまいぜ!

ミュウ:寒い冬には鍋料理が最高に美味しいね!

にょろもう:いつも食べる夕飯とは違うから美味しいね!

 

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温泉津温泉の旅館の朝食

 

travel.rakuten.co.jp

 

 

★おまけ★

 

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年末の山陰エリアのJRは大雪で見合わせ

本来なら、温泉津温泉に泊まった後に世界遺産『石見銀山』を観る予定でしたが、残念ながらこの後は次第に天気は荒れ気味になるようで、山陰エリアのJRもすべて見合わせるとのことなので、早めに松江に戻ることにします。しかし、途中の大田市駅で列車が止まってしまい、さらに後から来た快速も立ち往生。これは山陰本線の一部の区間で強風があり、止む気配がないとのこと。さらに今日から青春18きっぷを使う予定だったのが、その強風でどちらの列車も動けない様子のようです。そこで仕方なく大田市駅から先は代行(?)のタクシーで出雲市駅まで送ってもらうことに・・・。ところが、JR西日本によれば運転見合わせ時の正式な代行はないとのことなので、自己負担に・・・(T_T) しかし、乗客は私以外には2・3人ほどいたのでタクシー代は3千円負担ですみました・・・。それからというもの、出雲市駅から再びJRを使おうとしたが、ここから松江方面への行く列車も立ち往生(´;ω;`) ちなみにこの日の特急やサンライズは終日見合わせとのことです。

 

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一畑電車

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一畑電車から見る宍道湖

一方、松江方面なら一畑電車は動いているようなので、一畑電車で松江しんじ湖温泉駅まで進んでいきます。出雲市駅から松江しんじ湖温泉駅までの運賃は700円です。出雲市駅から川跡行きに乗車、川跡駅から松江しんじ湖温泉行きに乗り換えれば松江まで行けます。おかげで電車の車窓から観る宍道湖が観ることができました。

ビクティニ:宍道湖が見えるよ!

ミュウ:湖面の荒波が海みたい・・・。

 

『世界遺産“石見銀山”ゆかりの温泉“温泉津温泉”に泊まる』をお伝えしました。

正月旅行 厳冬の山陰旅 縁結び“出雲大社”に参拝&国引きの舞台“稲佐の浜”を鑑賞

皆さんこんにちは。

昨日に日御碕の夕日を眺めまして、出雲大社の近くにあった旅館に宿泊しました。ということで、今回は久々に出雲大社へ参拝してきました。

 

出雲大社は古くから『縁結びスポット』として親しまれています。

 

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出雲大社 入り口

出雲大社の正面入口です。大きな鳥居『出雲大社』の石碑がとても立派です。

ここは『勢溜(せいだまり)』といい、基本的には出雲大社へ参拝する際の定番的な入り口ともいうべき場所です。実は出雲大社境内までの参道にある鳥居はすべてで4箇所あります。そのうち、出雲大社の入り口にあるこの鳥居は二の鳥居(手前から2番目の鳥居)です。ちなみにこの広場が『勢溜』といわれているのは、江戸時代にお芝居で催され、多くの参拝者で人の勢いが溜まるということから、その名前になったとされているそうです。

大鳥居の背後の松林が荘厳さを物語っています。ただ、この時期は年末なのにも関わらず、参拝者はいつもより少なく、わりと閑散としているようです。そのおかげで落ち着いて参拝できましたが、GOTOの取りやめで観光客の少なさにはやや寂しく感じます。

ビクティニ:久しぶりの出雲大社参拝か・・・。ちょっぴり懐かしい。前の時と違って参拝客は少ないが、静かで落ち着く・・・。

ミュウ:さて、参拝に行こう。参道を歩くときは必ず道の端っこを歩かないとね・・・。

作者:真ん中は神様たちが通る道と言われているから参拝者は右か左かのどちらかを歩くのがマナー(できれば左側が基本)。

 

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三の鳥居と松並木の参道(松の馬場)

祓橋を渡るとまた松並木の中大きな鳥居が現れます。

松並木の参道にある鳥居は三の鳥居(3番目の鳥居)です。たくさんの松の木に囲まれた参道とても荘厳な雰囲気で、いかにも神様が宿っていることを想わせます。ここも先ほどの参道と同様に、中央は神様たちが通る道ということもあり、参道の中央には松の根が保護されているため通れないので、参道の端を歩きましょう。
三の鳥居のある松並木の参道(またの名を『松の馬場』)には約千本の松の木が植えられています。これらの松の木は江戸時代初めの寛永年の間(1624年〜1645年)、松江藩主であった堀尾忠氏(ほりおただうじ)の夫人であり前田玄以の娘でもあった長松院(ちょうしょういん)が、祈願成就の御礼に千本の松の木を奉納されたものといわれています。中には樹齢4百年を越える松の木もありますが、近年では江戸時代に生えた松の木は数十本にまで減少しつつあるようです。なお、この松並木は『日本の名松百選』にも選定されています。

ビクティニ:松の木がたくさん生えていて、清々しい雰囲気だし、人も少ないから落ち着いて気楽に参拝ができそう・・・。

ミュウ:前に来たときはもっと人が多かったもんね・・・。

 

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出雲大社境内入り口 四の鳥居

松の参道を抜けた先には出雲大社境内の入り口である『四の鳥居』が見えてきます。そして、『四の鳥居』の奥には拝殿御本殿が見えるのがおわかりいただけるかと思います。

『四の鳥居』『銅の鳥居』という別名があり、この鳥居は長州藩の二代藩主である毛利綱広が寄進したものとされています。よく見ると境内は荒垣に囲まれており、いかにも神聖な場所であることを物語っています。『四の鳥居』入り口付近には手水舎があり、ここで両手や口の中をお清めしてから境内に入ります。ただ、以前は柄杓が設置されていましたが、最近は例の病気の影響で筒から水が流れるタイプのものに交換されているようです。

ビクティニ:さて、あの鳥居をくぐれば出雲大社境内だよ。ここまで来ると心が洗われる・・・。

ミュウ:ここで両手や口をよく清めてから参拝しよう。でも清め方が前よりちょっと違うね・・・。

 

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出雲大社 拝殿

『四の鳥居』をくぐれば、いよいよ縁結び出雲大社の拝殿が目の前に現れます。

出雲大社の境内に入ったら必ずお参りするべき存在感を漂わせ、出雲大社特有の特徴ともいうべきである大きなしめ縄が吊るされています。

このしめ縄(注連縄)は約1トンものの重さ長さが6.5メートルあり、とても大きいものです。こちらの拝殿は現在のもので昭和34(1959)年5月に建てられたもので、十分に年季を感じさせます。我々はお参りした後、ご祈祷もしてきたのですが、出雲大社におけるご祈祷は、必ずこの拝殿の殿内で行われます。他にも古伝新嘗祭などの特別なお祭り、様々な奉納行事もこの拝殿で行われます。
もともとあった古い拝殿は昭和28(1953)年の不慮な火災によって焼失されたそうです。その後は新興の事業に着手、ただちに高松宮宣仁親王を総裁にいただき、全国の崇敬者の方々の浄財によって、その6年後の昭和34年に戦後の本格的な木造建築として屈指の規模を誇る新拝殿が完成したものが現在の拝殿です。ちなみに、この拝殿を建てる総工費は1億1千万円かかったとされています。
ところで、このしめ縄は他の神社とは違って一回り大きなしめ縄が使われているのは一般的によく知られていますが、実は他にも特徴的な意味があります。それは、しめ縄が逆向きに巻かれているということです。それはどういうことなのかというと、これは出雲大社に祀られている大国主命(オオクニヌシノミコト)の他に様々な神様たちが宿られているという存在を示すという意味合いから逆向きになっているという言い伝えがあるからなのです。そして、一般的にはご存知の方はあまりいらっしゃらないかと思いますが、実際はこの本殿には大国主命の他に五柱の神が祀られているといわれています。その五柱の神は以下の通り・・・
  • 天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
  • 高御産巣日神(タカムスヒノカミ)
  • 神産巣日神(カミムスヒノカミ)
  • 国之常立神(クニノトコタチノカミ)
  • 豊雲野神(トヨクモノノカミ)
なんでも天地開闢の始神(いわばはじまりの神々)ともいうべき神々とされています。そのはじまりの神々とされる五柱の神々を尊重していることから、大国主命の右側(参拝者から見れば左側)に祀られています。神道においてしめ縄でいうと神様(拝殿側)から見れば、右側の方が神の力があるとされているからなのです。すなわち、正面(参拝者)から見れば左の方ほど上位とされているということなのです。そのことから、このしめ縄は、正面からよく見てみると左側が太く、右側が細く(神様から見れば左側が細く、右側が太い)見えるのです。
参拝時に忘れてはならないのが、普通の神社なら『二礼二拍一礼』ですが、ここでは『二礼四拍一礼』ですので、間違いのないようにご注意を。

ビクティニ:しめ縄が大きくて立派だね~。ここでは二礼四拍一礼だったな・・・。(二礼四拍一礼)来年度は平和に暮らせますように・・・。

ミュウ:1日でも早くコロナが終息しますように・・・。

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出雲大社 御本殿

 

出雲大社の中枢かつ象徴的ともいえる御本殿には大国主大神(オオクニヌシオオカミ)が祀られています。

先ほど参拝した拝殿とは違って、一層荘厳な雰囲気が漂っています。

こちらの御本殿は、江戸時代の延亨元(1744)年に建てられた大昔のもので、高さが24メートル、平面規模は柱間が10.9メートル四方の大きさを持つ、木造の本殿建築としては国内最大級の規模となっています。芸術的かつ日本最高峰の建築技術を誇る『大社造(たいしゃづくり)』という日本最古の神社建築様式で造られており、国宝としても指定されています。そのため、我々参拝者はもちろん、芸術家で有名な岡本太郎でさえも魅了されるほど注目されます。
御本殿内は大国主大神の御神体そのもので、社殿が南を向いているのに対して御神体は西を向いています。これは御神殿の構造や西の方角を鎮護するためとされています。我々参拝者はまず見ることができませんが、御本殿の内部の天井には極彩色が豊かな『八雲之図』という天井画が描かれています。これは名前通りに雲の数が『八』でなく『七』になっているのには、『八』は永遠を示す数字とするために、その手前の『七』で蘇りを表しているという言い伝えがあるそうです。
そして御本殿の最大の特徴といえば、『大社造』特有の『田』の字型に組まれた九本の柱(中央の柱には『心御柱』という神聖な柱が立っている)で支えられた正方形の間取で模っており、高床式(床が高い位置にある)が用いられていることです。これは古くから高さを追求した『高層神殿』を構想したものと思われます。また、正面が『妻入り(正面から見て屋根が開いた本を伏せるような形に見える位置に入口がある構造のこと)』であることや、屋根のてっぺんには『千木(ちぎ=二本の柱を交差させたもの)』『勝男木(かつおぎ=鰹節の形状に似ていることからついた装飾)』『鬼板(おにいた=銅板でできた装飾)』などで装飾されているのも『大社造』の特徴の1つです。この様式は出雲地方の神社特有のもので、この神社に限らず、美保神社、須佐神社、神魂神社などでもこのような様式が用いられています。なお、ある一説によると、古代の本殿は高さ48メートルというとんでもない巨大神殿が存在していたという説があるようです。

 

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西神苑のウサギたち

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御本殿裏のウサギたち

出雲大社の界隈には至るところにウサギの像が鎮座されています。

これは『因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)』に登場することに由来しています。大黒様(大国主大神)が神々の従者となり、大きな袋を背負いつつ因幡に赴かれている途中で毛皮剥がされて苦しんでいるウサギに出会います。隠岐の島に住んでいたウサギがワニ(サメのこと)と自分の仲間とのくらべっこで数えるふりをし、ワニたちをだまして海を渡るための足場にしてしまったことで彼らを怒らせて皮を剥がされます。そこにたまたま通りかかった大黒様に治療しようとするも、大黒様の兄神たち乱暴者かつとても意地悪で、海水に浸して風に当たらせるなど、余計にそのウサギを苦しませました。大黒様も彼らに苦しまれたことがあり、時には殺そうとしたほど冷酷だったそうです。とんでもない神様もいたものですね!しかし、あまりの惨状に感じた大黒様は今度は川の真水で洗い蒲花の上で寝かせることで元のウサギに戻りました。こうして大黒様がウサギを助けたという伝説は物語として古事記にも記されています。そのことから、『ご慈愛の御神像』といわれる『因幡の素兎』がモチーフとなった大国主大神とウサギの青銅の御像の他に現在46羽のウサギたちが祀られています。

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ご慈愛の御神像

その物語を通せば、大国主大神はとても優しい心の持ち主の神様であるということを思わせます。

ビクティニ:『いなばの白兎』ってなんか泣けるな・・・。大黒様って本当に優しい神様だったんだな・・・。なるほど、もしかしたらその物語こそまさに『縁結び』といわれる所以なのかもしれない・・・。

ミュウ:大黒様の兄神はとんでもない神様だったんだね・・・(怒)

 

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摂社【素鵞社】

出雲大社御本殿の周りには摂社末社があります。

素鵞社は天照大御神の弟神である素戔嗚命(スサノオノミコト)が御祭神とされています。出雲国において有名な神話とされるヤマタノオロチ退治に活躍されました。また大国主大神の親神でもあり、大神国づくりの大任を授けられたとされています。いわば、この御社こそ大国主大神の生みの親のようなものですね・・・。また、有名な神話に登場し、出雲の開拓にも携わった素戔嗚命を祀るこの素鵞社こそ本殿の周りにある御社群の中でも一番の御神気が強いといわれています。
ところで、この御社には秘密があり、稲佐の浜から採ってきた砂を拾い、この御社に参拝してこの御社の床下にある砂箱にお供えすると、その砂箱にある御砂を持ち帰ることができ、その御砂にはご利益があるといわれています。もし、素鵞社の御砂をいただきたいなら、まずは稲佐の浜に訪れ、そこで砂を拾ってから出雲大社参拝に行かれた方がよいかと思います。

 

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末社【十九社】
末社である十九社です。
普段は全国の八百萬の神々への遙拝所(ようはいじょ)になっていますが、旧暦10月(神無月)には全国の神々が大国主大神にお集りになられ、人々の幸福や生成発展などの神議なさる神在祭(じんざいさい)が斎行されます。その間は神々の宿所となり、特に神無月の時期に参拝するとより御神気をいただけます。ちなみに旧暦10月(神無月)は現在でいうと12月上旬のことなので、よりパワーをいただきたいなら12月上旬頃がいいのかもしれません。しかし、祭事以外の時期は遙拝所、すなわち、全国の神様へのお願い事をする郵便局のようなもので、神在祭の時期以外に参拝しても全国の神様にそのお願いごとは届くはずなので、どんな時期でも来たら参拝しておいても損はありません。

 

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末社【釜社】
釜社には宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)が祀られています。素戔嗚命の御子神であり、食物を司る神様です。全国のお稲荷様の御祭神でもあります。毎年11月23日に行われる『古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)』の終段では、この社の御神体を拝殿に奉遷し、御釜の神事が斎行されます。そのお祭りは最も重要な祭事とされ古くから奉仕されています。

 

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出雲大社 神楽殿

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神楽殿の大注連縄

もともと『風調館(ふうちょうかん)』といわれていた神楽殿は本来、千家國造家(出雲大社宮司家)の大広間として使用されていました。

明治期に入ると出雲大社教の神殿としても使用され、現在では國造家大広間、また出雲大社の神楽殿として祭事やご祈祷だけでなく、神前結婚式も執り行われています。

この神楽殿は出雲大社教が特立百年を迎えた折に現在の神楽殿として建て替えられたものです。その大広間は270畳分の広さを持ち、さらには神社建築としては珍しく正面破風の装飾にはステンドグラスが用いられています。
正面に吊るされた大注連縄(おおしめなわ)長さ約13メートル重さが5.2トンと先ほどの拝殿のしめ縄より長さが2倍、重さがなんと5倍以上あります!この大注連縄は数年に一度新しい大注連縄に懸け替えられます。神楽殿に吊るされている大注連縄には同県飯南町から採られた稲藁が材料として用いられ、さらにその重い大注連縄を吊るすために用いられる『吊り木』も飯南町から採られた樹齢150年の檜が使われています。直径65センチ以上、長さ20メートル以上の真っ直ぐな檜が条件とされています。また、付け替えだけでも丸一日かかります。大注連縄作りから付け替えまでの工程を考えれば、とても大掛かりな作業であるということが分かります。

 

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出雲大社を参拝した後は名物の『出雲そば』をいただこう

さて、出雲大社に参拝が終わったお昼時、名物の出雲そばをいただきました。

出雲そばは文字通り出雲地方を代表するべき食文化の一つとされています。普通のそばより若干黒っぽいのが特徴です。普通のそばならそばの実の中心を使った白い粉を使った、いわば更科そばが一般的ですが、出雲そばの場合は粉の選別はせずに殻のついたまま(玄そば)で挽くという製法になっています。そのため、見た目が黒っぽく香りが際立ち栄養価も高く、風味や食感がまさに『日本のそば』そのもののそばが堪能できるということなのです。

出雲そばは一般的に『割子そば』というイメージを持たれがちですが、私としてはざるそばにしても天そばにしても似合うと思います。むしろグルメな私には天丼と出雲そばとのコラボレーションこそ、出雲ならではのグルメです。

ビクティニ:出雲といったら言わずもがな『出雲そば』が一番!やはり出雲そばは他の地域で食べるそばより芳醇な香りでコシも強いから食べごたえがあるんだよね。いただきます!

ミュウ:天丼も美味しいよ!

にょろもう:そば湯もお茶感覚で飲めるから美味しい!

 

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出雲名物『ぜんざい』

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ぜんざいと一緒についてくるおみくじ

出雲といえば、ぜんざいも名物の一つです。

出雲大社の神様は、あらゆる『結びの神様』です。縁結びや子宝の縁はもちろん、友人や仕事関係の縁などの縁も結んでくれることから、パワースポットとしても知られています。そのパワーから縁結びと名物のぜんざいは関係していると言われています。餅と小豆で雑煮を作った『神在餅』を由来とする説があるとされ、もともと出雲地方では神前へのお供え物として捧げられたといいます。全国から神々が集まる神無月(旧暦10月)の『神在祭』でも振る舞われ、出雲弁のなまりで『ずんざい』と呼ばれ、さらに京(現在の京都)に伝わったことで一般的に『ぜんざい』と呼ばれるようになったのがそのはじまりだといわれています。
そして、個人的に出雲大社参拝後のおやつやスイーツでおすすめしたいのがこちらの出雲大社勢溜前にあるご縁横丁『ぜんざい餅』がおすすめです。ここでは普通のぜんざいの他に抹茶を使ったぜんざい夏季限定の冷やしぜんざいなどがあります。また、ぜんざいを注文すると縁みくじもついてくるので、縁結びの運試ししてみるのもいいかもしれません。ちなみに私は『吉』を引きました。

ビクティニ:デザートにぜんざいをいただいたよ。個人的に抹茶ベースのぜんざいが好みだね。

ミュウ:おみくじも付いているからおもしろいね。

 

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神話の舞台とされる『稲佐の浜』

出雲大社から海岸方面へ約1キロ西へ行くと浜辺に浮かぶ小さな島が特徴的な『稲佐の浜』があります。

『稲佐の浜』古事記や日本書紀にも登場する神話の舞台にもなっているとされています。

中でも『国引き神話』が有名です。こちらの『稲佐の浜』では『国引き神話』またの名を『国譲り神話』のゆかりの地としても知られています。『記紀』の国譲り神話では、大国主神が高天原から派遣された武甕槌神(タケミカヅチノカミ)と国譲りの交渉をしたのもこの場所で、その言い伝えがあるとされる『屏風岩』がこの海岸から少し離れた場所にあります。また、この海岸の南側にある『長浜海岸』は国引きの時、島を大陸につなげる綱になったという言い伝えも残されています。
先ほど説明したように、出雲大社では毎年10月に全国の神様が集う古伝新嘗祭の会議が執り行われますが、その会議が開かれる場所がまさにこの海岸なのです。また、神々をお迎えする神事もここで行われます。その中でも旧暦10月10日の夜に『神迎え神事』が行われ、19時から篝火を焚き神々をお迎えする準備が始まり、やがて龍蛇神をはじめとする神様たちの行列を見守ります。また、毎月1日の早朝には『塩汲み神事』という稲佐の浜の海水を汲み上げ、出雲大社及び荒神社に奉納する神事があり、大社町の方々によって執り行われています。そして、ここで拾った砂は先ほど参拝した御本殿周辺の御社群にある素鷲社の砂箱にお供えし、その砂箱の御砂をもらうとご利益があります。
この海岸のすぐ海に浮かぶ小さな島は『弁天島』という島です。島の中腹には小さな鳥居がそびえ立っており、その祠には『豊玉毘古命(トヨタマヒコノミコト)』が祀られています。なんでも、安産や子宝にご利益があることから、どちらかというと女性向けの参拝のようです。また、出雲神話を伝承する出雲神楽も開催されているようで、なかなか見られないそうです。もし稲佐の浜に行った時にたまたま行われる神楽を見かけたら是非見てみたいものです。
そして、この海岸で忘れてはならないのが、『夕日鑑賞スポット』であるということです。昨日に訪れた日御碕の夕日はまた格別に美しいものでしたが、ここで夕日を観ても十分に心が洗われます。実は以前にもこの浜で夕日を観たことがありますが、本当に癒やされました。美しい曲線を描く海岸線砂浜にそびえる小さな島日本海、そして夕日や青空とのコントラストが風光明媚であることから『日本の渚百選』にも登録されています。ただ日本海側であるため、曇りまたは雨にもなりやすいこともあるので、運が良ければ夕日が拝められると言ってもいいでしょう・・・。みなさんも稲佐の浜に訪れる機会があれば、一度は夕日を拝めておきたいものです。

ビクティニ:何年か前、海の夕日を観るためにこの海岸に来たんだよね・・・。懐かしいというか泣けてきた・・・。

ミュウ:昨日、日御碕で観た夕日はとてもきれいだったよね(^^

にょろもう:昼間に観てもきれいだな。海の潮騒も穏やかだね・・・。

 

『縁結び“出雲大社”に参拝&国引きの舞台“稲佐の浜”を鑑賞』をお伝えしました。

正月旅行 厳冬の山陰旅 令和2年最後の日御碕の夕日を観る

旧大社駅に訪れた後は、再びクルマを走らせ、日御碕まで行こうと思います。日御碕は出雲大社前を通り、国道431号で稲佐の浜に突き当たり右折、さらに県道29号を延々と進んで行けば日御碕にたどり着けるはずです。

 

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日御碕神社 入り口

旧大社駅(出雲大社)から車を走らせて約25分・・・。日御碕神社の入り口までやってきました。

日御碕神社入り口の駐車場・バス停のすぐ目の前にはお店があり、イカやカレイの干物が天日干しにされています。まさに昔ながらの港町ならではの風景です。お店の前に干されている海産物は『干物』といい、いわば加工法、あるいはその調理過程ともいえます。文字通り天日などで水分を蒸発させて乾燥させます。海で採れた海産物を干物にすることで、魚介類の保存性を高め(いわば保存食)、魚介類特有の旨味も凝縮させる効果があるとされています。

 

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日御碕名物の焼きイカ

日御碕といえば焼きイカ焼きさざえが美味しいです。

イカを焼くとまさに磯の香りも漂います。また、海産物のお土産なども買えるのでとても便利です。特に日本海に面しているため、海鮮丼や海の幸を使った定食などもまた格別に美味しいので、昼食やおやつなどの際に立ち寄ってみるのもいいでしょう。

ビクティニ:焼きイカ美味しい!昔懐かしい味だ・・・。

ミュウ:タレも香ばしくて美味しい!

 

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日御碕周辺のマップ
日御碕周辺にはもちろん出雲大社稲佐の浜はありますが、島根半島の北側には『鷲浦』という集落や『十六島(うっぷるい)』などの名所もあります。北側の方は天気が良ければ隠岐諸島も見れるのかもしれません。

 

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日御碕のバス停時刻表
出雲大社から路線バスが出ていますが、バスの運行本数としては1日約8~9本ほど少なめのようです。もし、バスで日御碕に訪れる際、夕日も観るのならバスの最終便は必ず確認した方がいいのかもしれません。最終便を逃すと後の祭りになってしまうので注意が必要です。

 

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日御碕神社 鳥居

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日御碕神社 楼門(下の宮)

日御碕神社は『夜を守る神社』ともいわれています。

『日が昇る東の伊勢神宮』『日が沈む西の日御碕神社』というように伊勢神宮は日本の昼を守る神社この神社は夜を守る神社で親しまれています。これは日沈の宮という名前は『伊勢神宮は日本の昼を守る』というのに対し、こちらの日御碕神社では『日本の夜を守る』という勅命を受けたことに由来しているのです。

この神社は下の宮『日沈宮(ひしずみのみや)』上の宮『神の宮』という上下二社からなることから、両本社を総称し、『日御碕神社』という名前になったとされています。また国家守護の宮として『日』の字を、村上天皇より賜り、神の宮と併せ『日御碕大神宮』と称せられるようになったのも、現社地に御遷座された時からのことでした。そして明治維新後、社格制度により国幣小社に列せられたのも、『日御碕神社』と呼ばれるようになったのです。

 

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日御碕神社

日沈の宮くぐった楼門(下の宮)のことで、アマテラスオオミカミ(天照大神)が祭られ、もう1つの小高い丘の上にある神の宮(上の宮)にはスサノオノミコト(須佐之男命)が祭られています。

昔、日沈の宮はアメノフキネノミコトが島にいた時にアマテラスオオミカミが降臨し「吾はこれ日ノ神なり。此処に鎮まりて点火の人民を恵まん。汝速やかに吾を祀れ」との勅命を受け、経島(ふみしま)という島に建てられていました。スサノオノミコトが熊成の峰に上り、「私の神魂はこの柏葉が止まったところに住まん」と柏葉を投げるという占いとともに風に舞い、その神社の背後の『穏ヶ丘』に止まりました。これによりアメノフキネノミコトの神魂が鎮まるところとして日御碕神社の神の宮に祀られたという伝説があります。

ビクティニ:コロナが消滅しますように・・・。

ミュウ:元の生活に戻れますように・・・。

 

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日御碕灯台と夕日

さて、日御碕神社を参拝した後は、日御碕灯台にも行ってみましょう。

灯台越しから差す夕日の光岩場の向かいに映える大海原がとても美しいです。

日御碕灯台は明治36(1903)年に建てられ、高さ43.65メートル日本の灯台としては最大級(東洋一)の高さを誇っています。さらに海面からは63メートルも高低差があり、その高低差を利用して海の安全を守っています。この灯台には同県松江市美保関町から発掘された石材が使用されたレンガ造りになっています。また、外壁と内壁の間に空間を作った特殊な二重構造になっています。光度は48万カンデラ、夜間は約40kmの沖合まで届くようになっているという構造になっています。その歴史や文化的な価値から平成10(1998)年に『世界の歴史的灯台百選』、平成25(2013)年には『国の登録有形文化財』に選ばれています。また、時期によってはこの灯台がライトアップされることもあります。

 ビクティニ:夕日がとてもきれいだね・・・。

ミュウ:前にも2人で観たよね。懐かしいな・・・。

 

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出雲松島
灯台の北側には大小の島々や奇岩が入り江に浮かぶ『出雲松島』日御碕の景観の1つです。こうした独特な景観が日御碕の自然が生み出した芸術ですね。さらに夕暮れの空とのコントラストには美しさと物哀しさを醸し出しています。

ビクティニ:きれいな海・・・。夕暮れの空・・・。こんなにきれいな海を見たのは何年ぶりかな・・・。心が洗われる・・・。

ミュウ:海に浮かぶ島もきれいだね・・・。

にょろもう:久しぶりの海だ~!

 

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日御碕の岩場から見る雄大な日本海

日御碕の海の景観は灯台だけでなく、岩場や断崖の上から見る大海原の景観は迫力があり、大変美しいものです。

日御碕は大山隠岐国立公園の中にあり、海岸の荒々しい岩場は柱状節理から発達した流紋岩や成相寺層の頁岩などの溶岩によってできています。これは約1600万年前の噴火によって形成されたものとされ、この付近に海底火山があったことが分かります。そして海蝕によって成形された断崖は、美しい景観を醸し出しているのもまさに日御碕の自然の芸術の1つですね。また、このあたりの海中は対馬海流の影響から暖かく、日本海側の造礁サンゴ生息地としては最北端になっています。

ビクティニ:どこまでも広がる海・・・。悔しいな~こんな時じゃなかったら今頃オリンピックも終わって平凡な日々を送っていただろうに・・・。

ミュウ:来年こそは必ずオリンピックが終わるはずだよ・・・。

にょろもう:昔みたいに平和になってほしいよね・・・。

 

 

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日御碕の夕日と経島(ふみしま)の景観

これが出雲地方の美しい自然の贈り物の1つとされる日御碕の夕日です。

出雲地方の夕日といえば稲佐の浜から観る夕日でよく知られていますが、日御碕から観る夕日は海に浮かぶ島々や岩のコントラスト、そして断崖と海の高低差から一層美しさを掻き立てます。そして日御碕の夕日を綺麗に撮りたいのなら、展望デッキ『経島(ふみしま)』の見える『鳥見台』という展望台がおすすめです。この写真に写っている『経島』はさきほど参拝した日御碕神社の日沉宮(ひしずみのみや)がこの島に祀られていたという伝説があるとされています。その島も柱状節理の岩の形状がいかにもお経の巻物を積み重ねたように見えることから、『経島』という名前が付けられています。

ビクティニ:今年も終わるのか・・・。志村さんどうしているのかなあ・・・。こんな時じゃなかったら・・・(ノД`)シクシク

ミュウ:仕方がないよね・・・。きっと天国で楽しくしているはずだよ・・・。

 

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日御碕の鳥 ウミネコ

経島の見える鳥見台からはウミネコなどの海鳥が見られます。

このあたりはウミネコの生息地国の天然記念物に指定されています。11月上旬頃に北の海からやってくるウミネコは3月上旬頃から営巣をはじめ4月頃に産卵し、5月から6月にかけて子育てが行われ、多いときには数千羽にもなります。7月頃には北海道やオホーツク海などに移動します。なので秋から初夏にかけての時期ならウミネコを観ることができます。

 

みなさんも出雲地方に行く機会があれば海の夕日を観に『稲佐の浜』『日御碕』などに訪れてみては?

 

『今年最後の日御碕の夕日を観る』をお伝えしました。

正月旅行 厳冬の山陰旅 旧大社駅に訪問

 

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出雲市駅

広島バスセンターから高速バスで出雲市までやってきました。本来ならばJR木次線で出雲まで行く予定でしたが、木次線は大雪で動けないようなので出雲までは高速バスで移動し、山陰の夕日を見に行くため、レンタカーで日御碕へ行こうと思います。

ビクティニ:木次線が動いていないのは残念だな・・・。本格的に雪が降るのは1月のはずなのに・・・。

ミュウ:仕方ないよ。あそこは雪が積もるんだもん・・・。

作者:とにかく夕日が観たいから、ここでレンタカーを借りて日御碕へ行くとしよう。

 

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旧大社駅

日御碕へ行く途中の道で、かつては出雲大社への玄関口として使われていた旧大社駅跡があります。

旧大社線(出雲市駅~大社駅)は明治45(1912)年6月にこの駅とともに開業し、出雲大社への参詣路線として使われてきました。

大正13(1925)年に改築された駅舎には出雲大社の最寄り駅らしく、社様式かつ純日本風を取り入れた大変珍しい木造駅舎です。しかし、昭和62(1987)年の国鉄からの分割民営化(JRに移行)とともに『第三次特定地方交通線』として廃止路線に認定され、平成2(1990)年4月1日・・・旧大社線および大社駅は廃止となりました。なお、この駅舎は大正期に建てられた二代目の駅舎でわずか5ヶ月で完成したものだそうです。

 

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旧大社駅内部

この駅舎には、珍しい出雲大社の大祭に遣わされる皇室の勅使をもてなすための貴賓室が備わっており、内装も大正ロマンを漂わせる和風な仕様になっています。

駅舎内の装飾やシャンデリア、照明など、いかにも豪華絢爛さを物語っており、また歴史的建造物として非常に価値が高いものであることから、国の重要文化財に指定されています。駅舎内はとても広く、天井も高い開放感のある空間です。これには私のような鉄道ファンはおろか鉄道ファンでなくともあまりの芸術的なデザインに趣を感じさせます。当時はこんなレトロな駅舎で参拝者を迎えていたと思えば、素晴らしいおもてなしだったと実感させられます。

 

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きっぷうりば跡
きっぷ売り場も現役当時の状態で残されています。窓口にはカーテンが閉められており、閉鎖的な感じになっていますが、土休祝日には駅長事務室を再利用したカフェも営業されます。当時の雰囲気に浸りながらお茶を楽しんでみたいものです。

 

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旧大社駅の時刻表
旧大社駅の時刻表です。当時のダイヤは概ね1時間に1本という運行間隔になっていたようです。かつては出雲大社参拝客御用達の路線であったことから、急行『だいせん』『大社』などの直通列車も設定されていたようです。しかし、1980年代半ばには地域輸送が中心となったことで、それらの直通列車は廃止されました。この時刻表は廃止直前当時のものと思われます。

 

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旅館案内
旅館案内も当時の状態で残っています。しかし、当時はあった旅館の中には今はもう廃業になった旅館も多かったことでしょう・・・。

 

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駅名標

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ホームと改札跡

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名所案内

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旧大社駅ホームとD51-774号機

駅名標や名所案内の看板、そしてホーム跡も廃止当時の状態で残っています。

駅名標はまさに旧国鉄仕様、名所案内には出雲大社はもちろん、稲佐の浜日御碕などの案内が記載されています。改札口もとても広いのは、それだけ多くの参拝客が訪れていたということが想像できます。線路は錆びついており、廃止されてからかなり時が経っているということを物語っています。島式ホームは枠を除いて砂利で埋められているようです。しかし、駅舎は立派でもホームや線路跡はちょっと殺風景な印象です。
ホームにはD51型蒸気機関車774号機も鎮座されています。この機関車は昭和17(1942)年に造られ、晩年は山陰本線の旅客・貨物列車で活躍しました。昭和50(1975)年11月に旧国鉄から無償譲渡され、長いこと出雲大社神苑に展示されていましたが、平成13(2001)年に旧JR大社駅整備施策の一つとして、大社町合併50周年を機に出雲大社の特別なご高配によって、旧大社駅にて永久保存されることになったのです。

以前にも訪れたことがあるのですが、訪問当時はもっと荒れていました。しかし、最近は手入れされているようなので、以前よりは綺麗になったかと思います。

↓以前の記事はこちら

okuchichibu551.hatenablog.com

 

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旧大社線跡を望むデゴイチ

ホームから旧大社線跡を眺めてみると、まるでデゴイチが大社線を勇ましく駆け抜ける姿を想像してしまいます。

もし、旧大社線が廃止されていなかったら、この先も鉄路が延々と伸びている当時の姿を見ることができたのかもしれませんが、私が生まれた頃には廃線になっているので、静かに余生を送っているというのを見守るばかりです。しかし、当時の姿を想いながら大社線跡を眺めるだけで、現役時代当時の姿は想像できます。出雲大社の参拝がてら、時間があれば訪れてみるのもいいのかもしれません。

 

『旧大社駅に訪問』をお伝えしました。

正月旅行 厳冬の山陰旅 広島の原爆ドームと平和記念公園を散策

みなさん、こんにちは。

世間はコロナ禍に悩まされる日々が続き、東京都での感染者数はとうとう1000人・・・いや2000人を越えてしまいました・・・。さらに特に感染者数が多いであろう首都圏1都3県に緊急事態宣言が発令されたようです。また、これまで出ていたGOTOキャンペーンもついには停止となってしまいました。とにかくいち早くワクチンが出来るのを祈りましょう・・・。

 

さて、今回は年末に山陰・山陽にいってきました。本当は広島から芸備線・木次線を通り、出雲まで行き、大晦日に夕日を観たかったのですが、大晦日には天候が大きく崩れてしまうようなので、少し予定を変えて、早めに出雲の夕日を拝めようと思います。まずは関東から夜行バスで広島まで行き、さらに出雲市へ行く高速バスに乗り継いで行きます。しかし、広島に到着した当日には次の出雲市駅行きの便まで時間があったので、少し広島市内を観光してから出雲へ参ります。

 

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補修工事中の原爆ドーム

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原爆ドームの石碑

訪問当時の原爆ドームには足場が組まれており、改修工事をされているようです。

令和2年9月頃から改修工事を始めたようで、ドーム部分の鋼材には被爆当時の焦げ茶色に再塗装されるそうです。また、煉瓦の目地や方立の補修、補強金具の補修も行われます。これは被災当時の姿を表現するためと思われます。

原爆ドームという建造物自体はまさに昭和20(1945)年8月6日当時に広島上空に落下された原子爆弾の惨禍を物語る上では非常に重要なものであることから、世界遺産として認定されています。この建造物は建築家のチェコ人ヤン・レツル氏の設計で大正4(1915)年に『広島県物産陳列館』として建てられました。当時の陳列館時代は広島県における物産の展示や販売、商工業に関する調査・相談などが主な目的とされ、美術展や博覧会などにも使用されていたといいます。その後は、県立商品陳列館および産業奨励館に改称し、さらなる業務の拡大が図られたものの、戦争の激化とともに業務が縮小化、土木関連会社などの官公庁の事務所として使用されていたのです。
そして昭和20年8月6日午前8時15分・・・米軍のB29爆撃機が、人類史上といわれる原子爆弾が投下、この建物の南東約160メートル地点、上空600メートルにて炸裂し、この建物と周辺の建物は大破・全焼し、多くの尊い命は失われました。しかし、爆風はほぼ垂直に働いていたことから一部は倒壊を免れ、最上部のドームは辛うじて鉄骨だけが残りました。そして、かつて産業奨励館だった建物の残骸は、その最上部のドーム跡の円蓋鉄骨の形状から『原爆ドーム』と呼ばれるようになったのです。
原爆ドームは、当初、『記念物』として残すべきか、あるいは『負の遺産』かつ被爆の悲惨な思い出が蘇るという懸念から取り壊すという考え方がありました。しかし、徐々に市街地の復興は進み、被爆建造物も撤去されていく中で、「保存をしよう」という声も次第に高まり、昭和41(1966)年、ついに広島市議会が原爆ドームの保存が決まりました。それを契機に保存工事のための募金活動が行われ、国内外の平和を願う多くの人々からの寄金により昭和42(1967)年に最初の保存工事が行われました。その後も、被災当時の原爆ドームの姿を後世に伝えるため、今日も保存工事が行われているのです。
そして、人類史上初とされる核兵器の恐ろしさを伝える歴史の貴重な遺産および核兵器の廃絶とともに世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑として残すべき存在であることから平成8(1996)年12月に世界遺産に登録されました。また、この原爆ドームとその周辺は文化財保護法による国の史跡に指定され、原爆ドームの保護も施されています。

 

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平和記念公園の折り鶴

 

平和記念公園や原爆ドーム周辺にはたくさんの折り鶴が見受けられます。

折り鶴は日本においては伝統的な文化とも言うべき折り紙の1つとされていますが、広島では『平和のシンボル』として考えられています。このように折り鶴が平和と結びつくものと考えられるようになったのは、実は被爆から10年後に白血病で亡くなった少女に関わっていると言われています。

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原爆の子の像
当時12歳だった少女は2歳の時に被災したものの、大きな傷もない、元気な子でした。ところがその9年後の昭和29(1954)年、突然病の兆しが現れ、翌年の2月に入院し、白血病と診断されました。少女は回復を祈って包み紙などで折り鶴を折り続けましたが、8ヶ月の闘病の末、昭和30(1960)年10月25日にはお亡くなりになりました。少女の死をきっかけに原爆の被災で亡くなった子どもたちの霊を慰めるため、『原爆の子の像』が建てられ、今日も国内外から年間約1千万枚の折り鶴が捧げられているのです。

 

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平和記念公園 平和の灯
平和記念公園には『平和の灯』が祀られています。水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器の廃絶および世界恒久平和を希求するために建立されました。
  1. 灯の点火 全国12宗派から寄せられた『宗教の火』、溶鉱炉などの全国の工場地帯から届けられた『産業の火』が昭和20(1945)年8月6日生まれの7人の広島の乙女によって点火されたものです。
  2. 燃え続ける火 この火は昭和39(1964)年8月1日に点火され続けて以来、50年経ってもずっと燃え続けています。これは「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっています。
  3. 広がる平和の灯 毎年、核兵器廃絶と被爆者援護の充実を訴え、広島県内の市町村を一周する「平和の灯火リレー」が行われます。また、平成6(1994)年、広島市で開催されたアジア競技大会の聖火に点火されるなど、各種行事における平和のシンボルとして採火されています。

 

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平和記念公園のカフェ

 

平和記念公園の原爆ドーム付近にはカフェがあり、とてもおしゃれです。スクランブルエッグと生ハムのサラダが美味しかったです。

ビクティニ:広島にこんな素敵なカフェがあるとは思わなかった。スクランブルエッグが濃厚で美味しい!

ミュウ:生ハムも美味しい!

tabelog.com

 

 

『広島の原爆ドームと平和記念公園を散策』をお伝えしました。

晩秋の碓氷峠を散歩

皆さんこんにちは。

今回は秋の碓氷峠を散歩してきました。

 

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碓氷峠 めがね橋(碓氷第三橋梁)

碓氷峠といえば、大きなレンガアーチの『めがね橋(碓氷第三橋梁)』が有名です。紅葉レンガ造りの大きなアーチ橋がとても絵になりますね。

ビクティニ:秋の碓氷峠は大きなレンガの橋と紅葉のコントラストが良く似合う・・・。

ミュウ:今日は天候に恵まれていてよかったね。

 

碓氷峠は群馬県と長野県の県境にあり、かつては江戸と信濃・北陸をむすぶ中山道の難所として昔から知られてきました。

その難所は高低差が500m以上あり、徒歩でこの峠を越えるのにははとても険しく、多くの旅人を苦しめてきたといいます。そこで、中山道に鉄道が敷かれることになったのです。しかし、勾配がとても急な碓氷峠に通すことになったことで、鉄道を通すのには困難を極めました。その峠に鉄道を通す上では、『ループ式』『スイッチバック式』『ケーブル式』などの案が検討されましたが、最終的には『アプト式』が採用されることになったのです。これは66.7パーミルという他では例のない急勾配を通る最短ルートとして開通されました。その路線は明治10(1893)年に上野~直江津を結ぶ『信越本線』として開業したもので、むろん、このめがね橋も旧信越本線の一部分として明治期に造られたものです。そのため、当時の土木建築としては主流であったレンガ造りになっています。
開業当初は海外から輸入された蒸気機関車で運行されましたが、ばい煙が酷かったこと、そしてアプト式ということもあり所要時間がとてつもなく掛かったことなどが災いとなったことで、後に電化され、電気機関車に交代します。しかし、いくら電化されてもアプト式のままでは速度が遅く、また特殊な構造ということもあり、信越本線のような主要路線には向いていなかったようです。そこで、めがね橋にあった旧信越本線とは別の場所に『新線』として敷かれることになり、昭和38(1963)年に完成し、『アプト式』は廃止となり、輸送形態はより効率の良い『粘着運転式』へ切り替わったのです。そして、さらなるスピードアップとともに平成9(1997)年、長野新幹線(のちの北陸新幹線)にバトンタッチし、碓氷峠を通る信越本線は旧線及び新線とともに、開業から104年にわたって歴史の幕を閉じました。このめがね橋こそ、かつては首都圏から信州・北陸への主要幹線を支えた貴重な遺構の1つで、当時の鉄道橋としての役目を今日も後世に伝えています。

 

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碓氷峠に架かる信越本線新線の橋梁

めがね橋の上からは、信越本線の新線跡が見えます。

めがね橋の上を通っていた線路には『アプト式』の鉄道、そしてめがね橋から更に奥にある新線は『粘着運転式』でこの峠を越えていました。新線の橋は比較的新しいコンクリートが用いられています。旧線跡の一部は遊歩道として整備されており、自由に散策はできますが、新線の方は立入禁止になっています。アプト式線路の中央に敷かれたラックレールと機関車に取り付けられた歯車を噛み合わせて急勾配を上り下りしやすくする特殊な方式です。しかし、その特殊さゆえにあまりスピードアップにつながらなかったことから、機関車の重量を利用した粘着式へシフトすることになったのです。

 

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旧線跡のトンネル

明治期に掘られた旧信越本線のトンネルもレンガ造りになっています。

トンネルの壁も竪穴も当時の状態のままで残っています。これらの遺構を見れば、かつてここに鉄道が通っていたということが想像できます。実はこの旧線が電化する際、電気を取り入れるための電線は線路のすぐ横に配置されていました。これは東京メトロ銀座線・丸ノ内線などと同様の『第三軌条方式』が採用されていたのです。

ビクティニ:昔はここに鉄道が通っていたとはねえ・・・。トンネルの壁もレンガ造りということもあって、歴史を感じさせられる・・・。

ミュウ:ところどころに煤がこびり付いているね・・・。

 

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晩秋の旧信越本線跡 アプトの道

歴史を感じさせるレンガ造りのトンネル晩秋の紅葉のコントラストはなかなか絵になりますね。

かつてここに鉄道が通っていた時代は、紅葉と列車、そしてレンガ造りのトンネルのコラボレーションはとても絵になったのでしょうね・・・。この遊歩道の周りには線路のバラストが残っている箇所がいくつかあり、いかにも昔は鉄道が通っていたということを確信させられます。ここがかつての幹線だったことを考えれば、鉄道の歴史が残る古道を散歩しているようなものですね。

ビクティニ:まるで廃線跡がダンジョンみたい(笑)

ミュウ:ほんとに冒険している気分だね。

 

 

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旧信越本線 新線跡

峠の湯付近が軽井沢方面へ続く旧線と新線の分岐点になっています。

この線路が平成9(1997)年まで使われ続けたということになるのですが、令和になった今でも列車が来そうなほどほぼきれいな状態で残っています。先程の旧線時代は単線でしたが、新線が完成し昭和41(1966)年に複線化されました。ここから先の下り坂が碓氷峠の最大の特徴とも言えるべき『66.7パーミルの急勾配』です。写真で見てみれば分かる通りとても急な勾配であることを物語っています。

 

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旧丸山変電所

旧丸山発電所は信越本線横川~軽井沢間が電化された明治45(1918)年に建てられたものです。

こちらの発電所もレンガ造りで、しかも建築当時はレンガ建築の最盛期に建てられたものであるため、純レンガが使用されています。当時としては鉄道における電気の最先端技術が導入され、これまで蒸気機関車で運行されていたその区間が電気機関車に交代すると、まさにこの発電所こそ碓氷峠を通過する鉄道を支える要的な存在になっていたのです。この施設には『蓄電室』が横川側、『機械室』は軽井沢側に配置された2棟構造になっており、機械室には450kwの回転変流機2基および500kVAの変圧器2基が設置され、そこで交流6600Vから直流650Vに変換し、線路に電力を供給していました。蓄電室には312個の蓄電池が配置されており、列車が通らない終電後などに充電され、列車通過時に放電して電力を送っていたのです。こうして、東京と信州・北陸を結ぶ幹線を支えた役目を果たしていたことで、鉄道遺産としては非常に重要なものと思わせます。そのため、平成6(1994)年12月27日に碓氷峠鉄道施設として国の重要文化財の指定を受けています。

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EF63型電気機関車

列車が66.7パーミルの急勾配を有する碓氷峠を越える列車には、必ず専用の機関車を連結する必要がありました。

というのも碓氷峠は列車がそのまま越えることができないほどとても困難な難所でした。そこで、列車が碓氷峠を通過できるようにするために、アプト式の機関車が用意されます。先程も説明したように、確かにアプト式でも峠を越えることは可能ですが、ラックピニオン式であるため、信越本線のような幹線にはとても不向きです。そこで、さらにスピーディーに峠を越えられるよう、粘着式の『EF63型電気機関車』が開発されるようになりました。この機関車は碓氷峠のような急勾配に対応できるよう、軸重18トンに加え、機関車整備重量が108トンという非常に超重量級で、ブレーキも通常ブレーキの他、電磁吸着ブレーキ過速度検知装置(OSR)を装備するなど、普通の機関車には無い機能が備わっています。これは、上野方面の列車を牽引する際、急勾配に対する速度の出しすぎの遠心力で転覆する恐れがあることから、かなり厳重に整備されているといえるでしょう。さらに客車列車の他に電車でも連結できるよう、双頭型両用連結器が装備されているのも特徴的です。また、列車に連結するときは必ず列車の高崎方面に2両連結して峠を越えていたのです。

 

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横川駅

碓氷峠を越える列車は、必ずこの駅に停車し、ここで峠越え専用の機関車に連結・切り離しを行っていました。

特に信州や北陸方面へ向かう特急列車をはじめ、普通列車寝台列車などの列車も例外なくこの駅で連結作業が行われ、列車が停車している合間にある駅弁で賑わっていたのだそうです。そして、信越本線の横川~軽井沢間に鉄道が開業して104年・・・。平成9(1997)年9月30日にはその区間が廃止となりました。それからというもの、横川駅から先の鉄道では行き止まりとなっていますが、軽井沢方面へは路線バスで行くことができます。

ビクティニ:その当時は多くの鉄道ファンや旅行客で賑わっていたのかもね・・・。

ミュウ:かつては主要路線だった路線も、今となってはローカル線だよね・・・。

 

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峠の釜めし『おぎのや』

そして横川駅といえば、『峠の釜めし弁当』が名物とされています。

列車の停車時間を利用してこの駅弁を駅構内で売ったりしていたのが、この路線が現役当時では風物詩とも言うべき光景だったのです。かつて信州や北陸へ旅行、あるいは帰郷などの列車旅をしてきた人なら、日課と言ってよいほどこの駅弁を愛しており、今でもこの駅弁を愛するファンも少なくありません。

ビクティニ:この駅弁を食べているとなんだか、この路線が現役だった頃にタイムスリップしたような気分・・・。いかにも昔ながらって感じで素朴・・・。

ゴンベ:うまいっぺ~!

 

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碓氷湖

アプトの道周辺では『碓氷湖』という人工湖があります。

この湖は中尾川と碓氷川の合流地点にダムが造られた時にせき止められてできた湖です。紅葉と湖のコントラストが美しく、碓氷峠(アプトの道)の散策がてら寄り道してみるのもいいでしょう。

 

★おまけ★

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碓氷峠 熊野神社

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神社境内に群馬県と長野県の県境

碓氷峠にある熊野神社は標高1200m群馬県長野県の県境に位置し、国内においても珍しい県境にある神社です。

県境に位置する神社ということもあり、長野県熊野皇大神社群馬県熊野神社二つの神社が一つの神社として鎮座されています。

 

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旧軽井沢銀座通り

旧軽井沢の銀座通りには数多くのお店が立ち並び、多くの観光客が集まっています。この時期はGOTOということもあり、いつもより多くの観光客が集まっています。お土産買い物や食事に立ち寄ってみては?

ビクティニ:ここでホットケーキに使うシロップやジャムを買ったよ。

ミュウ:プリンも美味しかった。

 

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三笠ホテルカレーパン

また、旧軽井沢には三笠ホテルのカレーパンが美味しいことでも有名だそう。

ビクティニ:おやつのカレーパンは格別!

ゴンベ:最高にうまいっぺ~!

 

『晩秋の碓氷峠を散歩』をお伝えしました。

 

ジオパーク・翡翠のまち糸魚川 海岸に散らばる宝石&フォッサマグナの秘密

皆さんこんにちは。

今回は新潟県のジオパークの1つとされる糸魚川市に訪れました。

皆さんは糸魚川といえば、『糸魚川静岡構造線』という活断層に位置するというイメージが付くでしょう・・・。それもそのはず日本国土のほぼ中央を通る構造線はいわゆる『フォッサマグナ』と言われる活断層が北側の糸魚川から南側の静岡まで走っています。

そんな糸魚川市のある海岸では・・・なんと!翡翠(ひすい)というエメラルドグリーンの石をはじめ、他の地域では見ることのできない、あるいは他とは違う模様や形をしたカラフルな石がお目にかかれるということなのです。

 

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ヒスイ海岸(糸魚川海岸)
糸魚川の海岸では、小滝川ヒスイ峡から流れてきた翡翠原石『姫川』という川を伝ってこの海岸に流れてくるのです。そして、この海岸は糸魚川静岡構造線(フォッサマグナ)に位置しているため、そこらの普通の砂浜とは違い、砂利または小石によって成形されています。糸魚川市街に一番近いヒスイ海岸(糸魚川海岸)はその名の通り翡翠が転がっており、運が良ければルビーサファイアなどが見つかるのかもしれません。他にも青海海岸親不知海岸、さらに富山県の朝日海岸などで翡翠探しをすることができます。これらの地点の海岸で拾った石は記念に持ち帰ることもできます。ただし、翡翠原石の眠る小滝川ヒスイ峡では、天然記念物に指定されていることから、採取はできません。

また、このヒスイ海岸糸魚川ジオパーク名所の1つとされ、天気が良ければ夕日も拝められます。

 

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糸魚川の海岸で翡翠探し

糸魚川で採れる翡翠は基本的に白色緑色が混ざったものが特徴と言われていますが、他にも青色ラベンダー黒系など多彩な色の翡翠が存在します。また、角ばっているものもあれば丸まっているものもあります。

翡翠探しと言っても、素人目線ならどれもカラフルな石ばかりでどれが翡翠か分かりにくいです。中には原石の翡翠によく似た『キツネ石』も存在します。キツネ石は硬玉(ジェダイト)ともいわれ、いわば宝石の1つ一見ヒスイだと思って拾った石ヒスイでなかったというのがあたかもキツネに騙されたようであることから、その俗称になっているようです。また、非常に酷似していることもあり、専門家でもなかなか見分けが付きにくいと言われています。
翡翠の他にも、流紋岩や安山岩、玄武岩、石英、玢岩(ひんがん)、花崗岩、砂岩、泥岩、チャート、蛇紋岩など、様々な岩石も散らばっています。そのため、翡翠の原石を見つけるのはなかなか難しいでしょう・・・。

ビクティニ:どれが翡翠なのか分からないな・・・。たしか白か緑色で透明感のある・・・。どれもきれいな石だからハズレはなさそうだけど・・・。

ミュウ:カラフルな石でいろんな形をしているね・・・。丸い石もあれば尖った石もあるよ・・・。

 

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糸魚川の海岸で拾った石

海岸で実際に拾った石は、先述の通り持ち帰ることができます。ただ、あまり拾いすぎるとせっかくのジオパークに申し訳ないので、石を持ち帰るのは程々に・・・。

ところで、この海岸に限らず、糸魚川周辺の海岸で拾った石はある博物館で鑑定してもらう事ができるのです。

ビクティニ:さあて、我々が拾った石はどんな種類かな・・・?早速鑑定してもらおう!

ミュウ:そうだね。

 

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フォッサマグナミュージアム

先ほど拾った石は『フォッサマグナミュージアム』で鑑定を受けることができます。

糸魚川駅から少し離れたところにあるので、アクセスとしては駅でレンタサイクルするか、タクシーまたは路線バスで行くことになります。

この博物館では糸魚川特有の石である翡翠をはじめとする岩石が展示され、またフォッサマグナ(糸魚川静岡構造線)についての成り立ちなどを知ることができます。

※令和2年現在では例の病気で石の鑑定は行っていないようです。

ビクティニ:鑑定しようと思ったら、やっぱり例のアレで鑑定してもらえなかった・・・(´・ω・`)

ミュウ:残念だったね・・・。

作者:まあ、仕方が無いですな・・・。

 

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新潟や糸魚川の鉱石などが展示されている
そもそも、糸魚川はなぜ翡翠岩石が存在しているのかというと、それは言わずもがな『糸魚川静岡構造線(フォッサマグナ)』という活断層に位置しているのに起因していると思われます。すなわち、その構造線周辺においては災害が起きやすい環境だと言われています。例えば、その周辺に位置している火山(浅間山、富士山、八ヶ岳、白根山など)では噴火が起きやすいとされています。特に平成26(2014)年に御嶽山が噴火が起こったのもフォッサマグナの影響かと思われます。また、北アルプスや南アルプスなどにおいて土砂崩れや地すべりなどの災害も起こりやすいと言われています。しかし、そういった災害もつきものからこそ、地球が生きているという証でもあるのです。

 

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糸魚川の岩石である『翡翠』は変成岩に属している
糸魚川地域における石の代名詞とも言える翡翠は『変成岩』の仲間です。というのも、糸魚川界隈において日本列島で最初の付加帯が出来た飛騨外縁帯に位置していることから、広域変成岩が出現する宝庫とされています。それは糸魚川の岩石の場合、ほとんどの岩石はこれに該当とされ、地殻プレートの変形作用によってできたもので、主に熱や圧力、変形作用の種類によって条件が異なります。特に広域変成岩は源岩が地下深部で高温高圧下にさらされて形成される変成岩であり、高温の条件下で剪断応力をうけることが多いことから、片麻岩や結晶片岩のように縞状構造を持ったり、あるいは鉱物が特定方向に並んで成長するなど、岩石に方向性のある構造が見られるのが特徴とされています。

 

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糸魚川ジオパーク特有の自然が生んだ芸術

糸魚川は翡翠の名所である他、ユネスコ世界ジオパークにも認定されています。

フォッサマグナという活断層に位置することで、他では見られない石や様々な石の種類が見られ、糸魚川は別名『石のまち』として親しまれているのです。そのため、石コンテストも度々行われています。

 

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小滝川ヒスイ峡

糸魚川市街よりやや西側に流れている姫川の支流小滝川には『ヒスイ峡』があり、その名の通り翡翠原石の産地です。

小滝川に明星山の岩壁が落ち込んだ河原一帯で、まさに糸魚川市における翡翠の原点とも言うべき名所です。その一帯は翡翠の原石をお目にかかれることができる場所としては国内有数であることから、その名前がついたとされています。その峡谷で採れる翡翠は微細な結晶が絡み合っていることで、非常に頑丈であるという特徴を持っています。しかし先述したとおり、天然記念物に指定されているため、現地での採集はご法度ですが、先ほどのヒスイ海岸では拾うことができ、しかも駅からレンタサイクル、または徒歩でのアクセスも可能とアクセスが良いので気軽に石拾いができるのです。もっとも、翡翠でなくても、珍しい石はいくらでもあるので、ハズレとは言い難いですがね。

 

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緑色の翡翠

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淡緑色の翡翠

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濃緑色の翡翠
翡翠は緑色、または淡い緑色で、透明感があり、筋が通っているのがいわゆる典型的な翡翠です。翡翠はこの地球上で日本誕生の頃、つまり6億年前の石とされています。翡翠は非常に硬く、比重も高い(とても高い圧力で圧縮された石)もので、半透明かつ光を当てれば光ります。翡翠はもともと古代の宝石として珍重され、玉(ぎょく)と呼ばれていました。
日本においては古代縄文時代の遺跡から翡翠を加工した宝石の原点にもなったとされています。奈良時代以降、日本の翡翠は歴史から姿を消し、海外のミャンマーでしか採掘できないものとされ、日本の古代翡翠の宝石自体も大陸から持ち込まれたものと解釈されてきたといいます。そして、昭和13(1937)年頃に姫川支流小滝川付随にてその原石が発見されたことで、日本においても古代から翡翠文化が続いていたという説を裏付け、その後は翡翠ブームを巻き起こしました。
翡翠は『万葉集』にも詠まれており、古事記によれば日本神話に登場する奴奈川姫(ぬなかわひめ)に出雲国から大国主命より求婚した時にその翡翠を贈ったという神話が残されています(大国主命を奉った出雲大社の真名井遺跡より糸魚川産のものと思われる勾玉が発見された模様)。

翡翠のことを詠まれた万葉集には・・・

渟名河(ぬなかは)の 底なる玉  求めて 得まし玉かも  拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも

この歌の『渟名河(ぬなかは)』現在の姫川のことで、いわば奴奈川姫に由来し、『底なる玉』翡翠のことを指しているものと考えられます。つまり、奴奈川姫は糸魚川の翡翠を支配する祭祀女王であると思われます。
日本において最初に見つかったのは小滝川ヒスイ峡とされていますが、姫川よりやや西側に位置する青海川上流(黒姫山山麓)にもヒスイ峡が存在しており、昭和32(1957)年に国の天然記念物に指定されています。現在、翡翠の原石が拾えるエリアは糸魚川海岸、青海海岸、親不知海岸、富山県の宮崎海岸などの一帯で拾うことができます。

皆さんも、もし糸魚川に訪れた際、時間が許されればスコップやバケツなどを持ち込んで海岸でヒスイ探しをしてみてはいかがでしょうか。運が良ければ素晴らしい翡翠が見つかるかもしれません。

 

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翡翠探しに使われたと思われる伊藤栄蔵の遺物

翡翠の歴史にはこう刻まれています。

  • 約5億年前の古代カンブリア紀、翡翠の誕生。翡翠が沈み込み帯にて熱水から生成、翡翠の中で糸魚川石などのストロンチウム鉱物が誕生。
  • 約7千年前の縄文時代早期、世界最初の翡翠利用。硬くて重たい翡翠が敲き石(ハンマー)として利用される。
  • 約6千年前の縄文時代前期、最古の翡翠の玉。美しい翡翠が垂飾という玉として使われる。
  • 約5千年前の縄文時代中期、翡翠工房。糸魚川市寺地遺跡・長者ケ原遺跡にて翡翠の大珠が作られる。
  • 約3千年前の縄文時代後期、勾玉の誕生。翡翠の勾玉が作られ始める。初期の勾玉はよく見られる典型的な勾玉の形でなく、動物あるいは昆虫に似た形などの勾玉が作られた。
  • 約1200年前の奈良時代中期、翡翠の最後。東大寺法華堂の仏像の王冠に使われて以来、翡翠は使われなくなった。
  • 昭和13(1938)年6月、御風の発想。当時の日本においては翡翠の産地は知られていないものの、古事記などでこの地を治めていたとされる奴奈川姫の持つ翡翠が糸魚川産でないかと相馬御風の考察が始まる。
  • 昭和13年8月、翡翠再発見。御風の考えを知った元糸魚川警察署長こと鎌上竹雄が親戚の伊藤栄蔵にその話を伝えたことで翡翠探しを始め、手始めに小滝川を調査。調査2日目で小滝川支流土倉沢の滝壺にて美しい緑色の石を発見。
  • 昭和14(1939)年7月、翡翠調査。糸魚川病院長こと小林総一郎が親戚の岩石学者の河野義礼(東北大)に小滝川にて発見された緑色の石を送り、大学の研究で翡翠であることが判明。調査のため7月に糸魚川に来たものの、御風とは会っておらず、栄蔵の案内していなかった。代わりに鉱山師の大町龍二の案内で小滝川を調査。後の11月に論文発表。
  • 昭和30(1955)年、青海川ヒスイ峡を発見。青海川の橋立付近に翡翠に似た石があることを地元の建築業こと伊藤武が青海町教育委員会に伝える。青木重孝らとともに調査。岩石学者の茅原一也(新潟大)に調査を依頼。その調査により翡翠が多数集積していることが判明。
  • 昭和31(1956)年6月、小滝川のヒスイ集積地帯が国の天然記念物に指定。
  • 昭和32(1957)年2月、青海川のヒスイ集積地帯が国の天然記念物に指定。
翡翠は縄文時代には道具として、さらに昭和初期には調査が行われていたというエピソードがあったようですね。そして、奈良時代から昭和初期までは翡翠という概念は存在しなかったということですな・・・。しかし、最近ではネックレスや指輪、あるいはコレクションなどでは十分に愛用されていることでしょう・・・。

 

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翡翠の色1

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翡翠の色2

翡翠はたくさんの微細な輝石のなる多結晶の宝石で、主成分としてはナトリウム、アルミニウム、ケイ素、酸素と、わずかに鉄やチタン、クロムも含まれています。

国内においては10箇所以上翡翠産地がありますが、糸魚川周辺の翡翠産地は質や量、さらに歴史上において日本一です。これらの翡翠は日本を代表する石として『国石』に選ばれています。糸魚川の他にも北海道、埼玉県、静岡県、中国地方、四国、九州の一部でも採掘されています。
ところで、翡翠は一般的には緑色というイメージが付きがちですが、他にも白色灰色薄紫色青色黒色の翡翠があり、これらの色が一つの石で複数見られることもあります。すなわち、ヒスイ輝石オンファス輝石に含まれる成分によって色が変化しているからなのです。

翡翠の色の特徴としては

  • 白色 純粋に近いヒスイ輝石からなり、その色となる元素を含まないことから白く見える。
  • 緑色 緑色の濃い部分はオンファス輝石に微量の鉄やクロムが含まれている。
  • 薄紫色 薄紫色の部分はヒスイ輝石に微量のチタンやマンガンが含まれている。
  • 青色 青色の部分はオンファス輝石にチタンと鉄が含まれている。
  • 黒色 黒色の部分は石墨からなり、炭素が含まれている。

 

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圧砕されたヒスイ
地下で岩石が圧力を受けると角礫状に砕けることがありますが、これは『圧砕』と言われる現象です。左側の石に含まれる白い部分は圧砕を受ける際にできたヒスイ輝石、緑色の部分は圧砕後にできた部分です。この現象はプレート(活断層)の動きによって生じるもので、この翡翠という石も地球が生きているということを物語っています。

 

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蛇紋岩や角閃石などの鉱石が含まれるヒスイ
糸魚川で生まれた翡翠は『曹長石』が分解し、ヒスイ輝石となったと考えられてきました。この場合、ヒスイ輝石とともに石英ができるはずですが、実際には糸魚川の翡翠に石英が含まれていないのです。
糸魚川のヒスイはまわりにある変成岩と同様、3~4億年年前に誕生したと考えられてきました。最近、ヒスイの中のジルコンの誕生した年代を調査したところ、糸魚川のヒスイは約5億年前に誕生したことが判明し、それが世界最古級であるということが分かったのです。
現在、考えられるのは、ヒスイ輝石は熱水から誕生したということです。ヒスイ輝石は地下30~80kmかつ温度250~650℃の沈み込み帯でヒスイ輝石に含まれるナトリウム、アルミニウム、ケイ素が主成分として多く溶け込んでいる熱水から誕生したと考えられています。

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熱水中のヒスイ成分の構成

熱水するとNa(ナトリウム)Al(アルミニウム)Si(ケイ素)H2O(水)で結晶化し、NaAlSi2O6(ヒスイ輝石)で構成されます。

地球には厚さ100kmほどのプレートで覆われ、海洋プレートは海溝で大陸プレートの下に沈み込んでいます。そのため、ヒスイはプレートの沈み込み帯の地下深部で生じ、長年の地殻変動で地上までのし上げられてきたのです。
ところが、ヒスイは沈み込み帯の地下深くでできた重い岩石であるため、そのまま地上に出ることはできないのです。そこで、『蛇紋岩』という岩石がヒスイを地上まで運ぶ役目を果たしています。蛇紋岩とは上部マントルにあるかんらん岩から変化してできた岩石のことで、他の岩石より軽いことから、ヒスイを地上まで運べるということです。
蛇紋岩とともに運ばれたヒスイは地球の地殻変動によって砕かれることがあります。そして砕けたヒスイの隙間に鉄やクロムが供給されて緑色のオンファス輝石ができます。これによってヒスイが緑色になる現象蛇紋岩が起因しているということなのです。

 

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糸魚川石
糸魚川では未知の鉱物が発見され、国際的に認められると『新鉱物』と呼ばれています。それが『糸魚川石』と名付けるようになりました。このように新鉱物は産地や人名、成分などから名前が付けられます。糸魚川で発掘されたヒスイ石の中から3種類、他の岩石を含めれば6種類の新鉱物が発見されています。糸魚川で発見された新鉱物は、ストロンチウムを主成分とするもので、ミャンマーや岡山県新見、鳥取県若桜などのヒスイ産地からもストロンチウムを含む鉱物が発見されており、これはヒスイの成因を考える上では重要と考えられています。
これは熱水からヒスイができた際、カルシウムはヒスイ中に入ってもストロンチウムはヒスイに入ることはできずに熱水に取り残されます。そのため、残されたストロンチウムで、糸魚川石などの新鉱物が作られたものと考えられています。

 

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糸魚川で石の種類が多く存在する理由

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蛇紋岩によって運ばれたと思われる岩石
糸魚川にはヒスイの他に様々な種類の石が眠っていることで知られています。このようにヒスイや糸魚川石こと新鉱物などの珍しい石蛇紋岩とともに地中から地殻変動によって上昇してきたのです。その上昇途中で蛇紋岩がヒスイの他に様々な石を持ち上げたことで、糸魚川は『石の宝庫』にもなったと言われています。

 

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火山によって生んだ糸魚川の石

糸魚川の海岸に見られる岩石は山々の地下から運ばれてきます。

それらの岩石の中にヒスイをはじめ、花崗岩、閃緑岩、斑糲岩(はんれいがん)、曹長岩、蛇紋岩など、糸魚川の海岸や断層で見つかっています。『流紋岩』や『安山岩』『玄武岩』など、生まれた場所などはこれらの名前で分かるようになるということ。なおかつ生まれた場所は大昔の様子は想像できるかと思われます。

 

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3億年前のサンゴ礁の生き物
大昔の糸魚川の海にはサンゴ礁があり、それがもとになって青海石灰岩が生まれました。サンゴ礁は火山島の周辺にできたものとされ、火山島は海洋プレートが動く方向に流れ、現在の日本が完成するであろう大陸にサンゴ礁と火山島が衝突しました。年にほんの数センチ~10センチほどの速さで徐々に沈みながらサンゴ礁の土台となった火山島は大陸の方へ流れていったのです。そしてサンゴ礁の生き物たちは火山島の沈降にあわせて上方へ成長を続け、サンゴ礁は約2億6千年前に、将来日本列島になるであろう大陸に衝突しました。サンゴ礁の生き物はウミユリ、四射サンゴ、コケムシ、腕足類、三葉虫などの古代生物が生息していたのです。

 

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土倉沢石灰岩に古代生物が眠る

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ウミユリの茎の化石
小滝川ヒスイ峡より少し上流にある土倉沢の下流に、黒い大きな石灰岩が点在しています。これらは明星山の石灰岩とは違って黒色で、これはまたの名を土倉沢石灰岩といわれています。なぜここまで黒いのかというと、陸に近い浅瀬にあったサンゴ礁から構成されたことから、陸から運ばれてきた有機物が混ざったためです。

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土倉沢石灰岩について
その石灰岩からは、約3億年前に生息していたサンゴやウミユリ、腕足類、石灰藻、有孔虫などの化石が確認されています。含まれている化石の種類も青海石灰岩とは異なります。青海石灰岩の色は白色系海底火山の山頂で堆積した純粋な石灰岩ですが、土倉沢石灰岩は暗灰白色~黒色で泥質層をはさみ、大陸棚で堆積していました。

 

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シリンゴポーラとリソストロチオンが含まれる石灰岩

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ディフィフィルム(四射サンゴ)

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土倉沢で出土された古代生物の化石

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コクリオドゥス(軟骨魚類)の化石

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サイクラス(甲殻類)の化石
土倉沢石灰岩から、約3億年前に陸に近いサンゴ礁に住んでいた様々な生き物の化石が見つかっています。サンゴやウミユリ、腕足類などの他、サメやギンザメの歯、軟骨魚類、甲殻類サイクラスなどの珍しい化石が次々と発見されているのです。また、糸魚川市大所地区では青海石灰岩や土倉沢石灰岩より古い約4億年前のサンゴの化石も見つかっているようです。今後も新たな化石が見つかるでしょう・・・。

 

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日本の石灰岩分布
日本列島の土台を構築する地層や岩石は、日本海側が最古とされ、太平洋側に向かって新しくなっていきます。これらの土台の石の大半は海底の岩盤によって運ばれてきた石が、泥や砂などと混ざってできた地層です。それらの地層の中に点々と並んでいる石灰岩は、南の海から運ばれた1~3億年前のサンゴ礁4億4千年~2億5千年前に大陸の近くにあったサンゴ礁がもとになったとされています。つまり、サンゴ礁や石灰岩が日本列島の形状の礎になったといっても過言ではありません。

 

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来馬層群で発見された化石

糸魚川市には恐竜時代の地層が2種類存在します。その中の『来馬層群』と呼ばれる地層は、約2億年前のジュラ紀の時代にできた地層です。

来馬層群は、大陸の東端、川から浅い海、湖底などに運ばれてきた泥や砂などがたまり、それらが長い年月をかけて固い岩石になったものです。その地層からはアンモナイトをはじめ二枚貝、植物の他に恐竜の足跡化石などが発見されています。また、最近では中生代ジュラ紀に生息していた硬骨魚類の化石が見つかっています。

 

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1億年前の石
かつてはアジア大陸の一部分とされた糸魚川には大きな川が流れ、平地では恐竜が生息していたのです。地下ではマグマが活発であり、地表では火山噴火も頻繁に起こっていました。後の『親不知』『勝山』『白鳥山』をつくる石、あるいは『薬石(やくせき)』といわれる石はこの時代につくられました。また、火山の噴火により、溶岩(安山岩や流紋岩)が流れ、火山灰(凝灰角礫岩や凝灰岩)が積もりました。
  • 薬石 マグマが固まってできた石(石英斑岩や流紋岩)で、茶色のしま模様は鉄の成分が地下水とともに石に沈み込んだもので、表面にできた小さな穴や粘土鉱物によって吸着作用があり、やかんやお風呂にに入れると水が綺麗になると言われている。
  • 花崗岩 マグマが地下深い場所で固まってできた原石で別名『御影石』と言われている。
  • 凝灰角礫岩 火山の噴火によってできた石で、溶岩の破片や火山灰からできている。
  • オーソコーツアイト 礫岩中の礫の中から見つかり、もともとは砂漠の砂(石英の粒)が5~8億年前に固まってできたものと言われている。

 

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フォッサマグナ
フォッサマグナは『糸魚川静岡構造線』『柏崎千葉構造線』に挟まれたエリアにあります。フォッサマグナには新潟県の上越エリアの他は長野県静岡県東部群馬県埼玉県東京都神奈川県千葉県の一部が含まれています。実はこのフォッサマグナこそ、日本列島が誕生した直後に2つの大陸に挟まれた『大きな溝』でした。そして、2つの大陸に分かれていた大きな溝は『新しい地層』によって埋められます。これが、今の『日本列島』となるのです。

 

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2千万年前の日本列島
日本列島はもともとアジア大陸と陸続きでしたが、2千万年前、マントル層からの熱い上昇流によって火山活動が起こり、アジア大陸と分断しはじめ、後の日本海のフォッサマグナになる落ち込みが誕生したのです。後に日本列島となる陸とアジア大陸を挟む落ち込みはやがてになります。

 

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2千万年前の化石

日本海がまだ湖だった頃、昆虫や淡水魚の化石が見つかっています。これは日本海が湖だった証でもあるのです。

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1千5百万年前の日本列島
湖は次第に広がっていき、やがては『日本海』になります。さらに日本海には多数の海底火山ができました。そして、フォッサマグナ地帯である落ち込みに海水が浸入し、『フォッサマグナ海峡』ができます。

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1千5百万年前の化石
フォッサマグナ海峡ができた時の証として、ニシンやススキなどの海の魚の化石が発見されています。

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1千2百万年前の日本列島
フォッサマグナ海峡は『砂岩泥岩互層』の動きによって次第に埋め立てられていきます。これは大地震によって起こった海底地すべりによってできた地層です。すなわち、『新しい地層』こと『フォッサマグナ』砂岩と泥岩によって支えられてできたものといっても過言ではないと思われます。

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海底の流れの跡
これはフォッサマグナ海峡を埋める時の地層です。この海底の流れの跡が、フォッサマグナ地帯が『大陸』と化していることが十分に物語っています。

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1千2百万年前の化石
フォッサマグナ地帯で発掘された化石には魚類や貝類が多く含まれ、いかにもフォッサマグナ地帯がかつては海の中にあったということを物語っています。

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フォッサマグナは海から大陸へ・・・
そして、日本列島は、徐々に隆起を始め、フォッサマグナ地帯はからへ変貌していきます。大地は山地や丘陵、盆地、平野などに別れていきます。山地や丘陵は、地震を起こしつつも隆起し、火山が誕生し、日本列島は地震と火山大国となりました。しかし、度々起こる地震や火山の噴火など自然現象、いわば地球が生きているという証であり、日本列島が生きている証でもあるのです。これが、典型的なイメージかつ現在の『日本列島』の形になったということですね。

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火山の噴火によってできた岩石
火山の噴火やプレートの動きによってできた岩石は、『安山岩』『火山礫凝灰岩』『玢岩』などは火山の溶岩の一部でもあります。もともと溶岩だった岩石は庭石や灯籠など、あるいはインテリアとして重宝されています。

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ナウマンゾウの臼歯

糸魚川市には氷河期に生息していたナウマンゾウの歯も発掘されているようです。氷河期の人類においては狩りして生活していたことから、ナウマンゾウなどの動物の歯からは槍など『狩りをする道具』として利用されていたのでしょう。

 

『石』人類において無くてはならぬ存在であり、古代から現代にかけて我々の生活とともにあったのです。

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石斧(石器)
古代では狩りなどに使われる石器として使われたりしていました。用途によっては岩石の密度、粒度、割れ方などの特性を生かして使われました。これらの石斧は糸魚川で採れた軟玉(ネフライト・透閃岩石)が使われました。これは3万年前のものです(世界最古の石斧)。

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縄文土器
土器は文字通り土を練って粘土状にし、特定の形に整えた後、乾燥させ、野焼きで焼き固めたものです。現代で言うところの『焼き物(陶器)』といったところでしょうか。土器の発明により、あく抜き、煮炊き、煮沸などの調理ができるようになり、人類における定住化の基礎にもなったのです。

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小滝炭鉱
高浪の池の南方には炭鉱があり、明治から昭和にかけて石炭が採掘されていたようです。しかし、それらの石炭は恐竜時代の植物化石が石炭に変化したもので、なんと日本では珍しい無煙炭だったそうです。

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橋立銀山

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金鉱石
青海川支流金山谷の最上流には橋立銀山の採掘現場があったようです。明治時代以降に隆盛し最盛期には千人ものの鉱夫が働いており、電灯や電話が初めて使われていたそうです。

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石灰石鉱山
約3億年前のサンゴ礁は今や石灰岩となり、セメントや有機化学の原料になっており、石灰岩から作られたカーバイトと水を反応させると有機物のアセチレンガスができます。そのガスからゴムやプラスチック、接着剤の原料などにも用いられています。

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新潟では石油や天然ガスがよく使われる
江戸時代の雪国生活を紹介した『北越雪譜』の中に能生の天然ガスのことが書かれています。それはフォッサマグナの地層中に天然ガス石油が含まれているからなのです。現在でも家庭に天然ガスが引かれ、生活に使用されています。フォッサマグナ地帯に含まれる新潟県では、国内の石油天然ガス生産量の約7割を占めていると言われています。

 

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地球の歴史や時代の名残を後世に伝える化石たち
地球誕生から約46億年・・・。その歴史の中で地球上に生を受けた生物たちは夥しい数ですが、化石として残るものはほんの一握りでしかありません。これらの化石は我々現代人に太古の地球の時代、あるいは当時の環境を伝える貴重な産物であるということなのです。

 

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鉱物に含まれる元素
鉱物に含まれる元素や周囲の環境によってその鉱物の色や質などが変わってきます。元素記号といえば、中学や高校の理科の授業で習ったことがあるかと思いますが、これらの元素を組み合わせることで、様々な結晶・鉱物が生み出されるのです。

 

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新潟県で発掘された岩石・鉱物・化石
新潟県は米どころというイメージが付きがちですが、実は鉱物や岩石、化石が採掘されることでも有名です。特に佐渡や糸魚川では、鉱物や岩石の宝庫でもあるのです。

皆さんももし糸魚川に足を運ぶ機会があれば、ぜひ海岸で石拾いに出かけて、素敵な翡翠の石を見つけてみてはいかがでしょうか?

 

『ジオパーク・翡翠のまち糸魚川 海岸に散らばる宝石&フォッサマグナの秘密』をお伝えしました。

 

新潟名所の駅 海に近い青海川駅&珍しいもぐら駅こと筒石駅を見学

皆さんこんにちは。

感染者数が東京都では500人を超えているようです・・・。さらにGOTOキャンペーンが2021年GWまで延長されるようですが、お出かけの時は十分に注意しましょう。そして、無事にワクチンが出来るのを待つのみです・・・。

 

さて、今回は新潟県にある珍しい名所の駅を2つ紹介します。

 

青海川駅

新潟県柏崎市に位置し、JR信越本線にある駅です。

『海の見える駅』として親しまれ、駅のホームのすぐ目の前には雄大な日本海が広がっています。

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日本海の背景に映る『青海川』の駅名標

これほど海に近い駅は全国的に見てもなかなか無いでしょう・・・。他に海に近い駅があるとすれば、『海芝浦駅』『下灘駅』『池の浦シーサイド駅』『大三東駅』『北舟岡駅』など、国内においては有数と思われます。

我々が訪問した時は生憎の天気でしたが、晴れた日には日本海がとても風光明媚で、運が良ければ美しい夕日も拝められます。また、青海川駅はドラマ『高校教師』のロケ地にもなっていたことでも有名です。

なお、平成19(2007)年に発生した中越沖地震によって直江津側で土砂崩れの被害に遭ったようです。

 

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青海川駅の全貌

これはホテルの部屋から撮った写真ですが、青海川駅は米山の麓と日本海の大海原という大自然に囲まれています。陸側には大きな赤い橋(国道8号線)が掛けられています。夏には海水浴場として賑わいます。

 

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風光明媚な日本海に流れる谷根川

日本海の海岸にはたくさんのカモメが飛び交います。『谷根川』という小さな川が流れており、この駅のすぐ近くには『柏崎さけのふるさと公園』があります。11月~12月にかけてサケが産卵のためにこの川を遡上し、運が良ければ見られるのだそうです。

 

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青海川駅を通過する貨物列車

青海川駅は無人駅であるため入場料はありませんが、信越本線という主要幹線にあるため、ときどき特急列車や貨物列車が通過してくることがあります。しかも、通過する際の合図音や接近放送などは一切無いので、駅見学の際は十分注意が必要です。特に親子連れでこの駅を訪れるのならばなおも注意しなければなりません。列車の発車案内はありますが、電車の到着案内すらありません。また、列車本数としては1~2時間に1本あるかないかの少なさなので、鉄道で訪れる際は時刻表をよく把握しておきましょう。ホームで電車を待つのが不安なら駅の待合室を利用するといいでしょう。

ビクティニ:ホームで電車を待ってたら突然特急列車が通過してくるのにはびっくりしたなあ・・・

 

筒石駅

新潟県糸魚川市に位置し、えちごトキめき鉄道(日本海ひすいライン)にある駅です。

この駅は国内では珍しいトンネルの中に位置する、いわゆる『もぐら駅』です。

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筒石駅 駅舎

一見線路も何もない場所に建つただのプレハブ小屋に見えますが、これが筒石駅の駅舎です。しかも、車による駅へのアクセスとしては非常に分かりにくく、駅への道もやや狭い上、坂も急なので少々秘境駅という言葉にはピッタリなほど小さな駅です。また、この駅も先ほどの青海川駅と同様、無人駅なので入場料は一切ありません。

しかし、こんな辺鄙な場所にある駅でも、この駅の構造自体が非常に特殊な造りをしています。つまりどういうことなのかというと・・・。

 

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ホームへの入り口

駅舎からホームへ行こうとすると、2枚の仕切りが千鳥状に配置されています。そしてその奥には・・・。

 

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ホームへ続くトンネル
なんと、地下へ通づるトンネルが続いているではありませんか?!

そう、この駅は何を隠そう『もぐら駅』です。この入り口に設置されている仕切りは列車がトンネルに進入してきた時の風圧を防止するためのものと思われます。東京や大阪など大都市の地下にある駅は大抵地下鉄の駅である事は言うまでもありませんが、地方でトンネルの中にある駅は全国的に珍しいパターンです。このように山の地下にある駅がある例としては、この駅の他に群馬県にある『湯檜曽駅』と『土合駅』ほくほく線の『美佐島駅』があります。特に『土合駅』『日本一のもぐら駅』として大変有名です。

 

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ホームへ続く長い階段

改札口から乗り場までは長い階段が延々と続いています。駅舎は海抜約60mでわりと高台にありますが、各々のホームへは駅舎から約40mほど地中深い場所にあり、頸城トンネル(全長約11,353m)の中にあります。

えちごトキめき鉄道にある筒石駅はもともとJRの駅でしたが、平成27(2015)年3月14日にJR北陸本線から第三セクターの路線である『えちごトキめき鉄道 日本海ひすいライン』の駅となったのです。昔の旧北陸本線は海岸沿いに敷かれ、この筒石駅も海沿いにありましたが、旧北陸本線の新しい線路はトンネルを介して建設された際、筒石駅は地下化されました。この駅の通路は頸城トンネルを建設した際、濁澄斜坑として計画していたのを筒石斜坑に変更し、この斜坑を階段通路とし、ここを地下駅として設置されることになったのです。

ビクティニ:こんなところに駅があるなんて・・・。まるで洞窟の中に駅があるみたいだ・・・。

ミュウ:秋芳洞を思いだっしゃった・・・。

 

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各のりばへ分かれる通路

階段の突き当りの左を進むと2つ通路が別れています。手前の通路が下りホーム(直江津・新潟方面)奥の通路が上りホーム(糸魚川・富山方面)になっています。駅舎からは280~290段の階段が各々のホームにつながっており、わずかながら乗り場によって微妙に段数が違います。下りホームは290段ありますが、奥の上りホームは途中で下り坂になっているため、280段とわずかに段数が少ないものの、移動距離としては上りホームの方が長いです(笑)

ちなみに日本一もぐら駅こと土合駅は462段(実質486段)あります。

 

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筒石駅 のりば入り口(待合室)

のりば入り口です。ここには椅子が並べられており、待合室になっているようです。ホームへの入り口は頑丈な扉で仕切られています。これは下りホームへの入り口ですが、上りホームも同様の構造です。しかし、待合室とはいえ、ホームからはときどき風切り音が響き渡り、よほどの物好きでない限り不気味に感じてしまいます。しかも、ここも青海川駅と同様に主要幹線にある駅ということもあり、貨物列車などの通過列車が頻繁に通過します。そのため、時刻表に記載されている到着時刻でなくても突然踏切のような警報音が地下に鳴り響くので知らない人だったらびっくりするでしょう・・・。

ビクティニ:ドアの向こうからすごい音が・・・(゜o゜;

カンカンカンカン・・・(警報音)

ミュウ:わ!ど・・・どうしたの?!

作者:貨物列車が通過するらしい・・・。

 

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筒石駅 ホーム

筒石駅の乗り場(ホーム)です。ホームは千鳥配置になっています。

ホームの幅は狭く、列車がこのトンネルに入ると風圧が発生し、ホームに居るととても危険です。特に貨物列車などの通過列車がこのトンネルに入ればさらに風圧が強くなるはずですから、列車到着時以外はホームにいない方がよさそうです。ちなみに、一昔前のJR時代は普通列車や貨物列車の他に特急列車トワイライトエクスプレスなどの寝台列車もここを通っていたのです。

 

★実際の筒石駅の様子★


えちごトキめき鉄道 筒石駅を見学

 

★おまけ★

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新潟名物のかに料理

新潟といえば日本海でとれた海の幸が豊富です。ということで、我々が糸魚川方面へドライブの際に『道の駅 マリンドリーム能生』に寄り道。ここではかに料理が名物ということでお昼時にかに天丼定食をいただきました。もし、北陸や新潟へ旅行に行くことがあれば、ドライブがてら寄り道してカニをはじめ日本海の海の幸を堪能してみるのもいいでしょう・・・。

ビクティニ:カニの天丼は絶品だ!やはり日本海でとれた海の幸は違うね!

ミュウ:カニ汁が美味しい!体が温まる~

ゴンベ:うまいっぺ~!

にょろもう:ぼくにも分けてよ~!

niigata-kankou.or.jp

 

『新潟名所の駅 海に近い青海川駅&珍しいもぐら駅こと筒石駅を見学』をお伝えしました。

 

 

 

弥彦神社で参拝&菊まつりを鑑賞

みなさん、こんにちは。

今回は弥彦神社で開催される『菊まつり』に行ってきました。

 

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弥彦駅

弥彦神社へはJR弥彦線弥彦駅からのアクセスになります。

ビクティニ:今日はいいお天気だ!ちょうど紅葉の時期だし、まさに散策日和だ。

ミュウ:ちょうど菊まつりをやっているよ。行ってみようよ。

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弥彦公園 もみじ谷の紅葉

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弥彦公園のトンネル

弥彦公園のもみじ谷は文字通り紅葉が美しい名所として知られています。

実際に訪れたのは11月下旬とはいえ、少々暑いほど暖かい天気で、ちょうど紅葉の見頃です。秋は深まり、紅葉に染まった葉っぱの少なさ晩秋を物語っています。秋の弥彦公園は紅葉だけでなく渓流や観月橋、トンネルなど我々を魅了してくれます。また、ちょっとした丘には弥彦温泉ゆかりの神社『湯神社』もあります。

 

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弥彦公園に飾られている菊の花

弥彦公園の道畦には小さな菊の花々が飾られています。菊まつりに合わせて飾られているようです。

 

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昼食

ちょうどお昼時なので昼食をいただきます。新潟は海の幸が美味しいということで、日本海近海で獲れた魚介をふんだんに使った海鮮ちらしをいただきました。

ビクティニ:新潟といえば魚介を使った寿司が美味しいぞ。いただきます!

ミュウ:エビ汁も美味しい!

にょろもう:酢飯も美味しいね!

ゴンベ:うまいッペ~!

tabelog.com

 

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弥彦神社 入り口

弥彦神社の入り口である大鳥居です。赤い大鳥居が参拝者の我々を歓迎してくれます。

弥彦神社は弥彦山の麓にある新潟県の神社の中でも大規模かつ歴史の古い神社です。古くから『おやひこさま』と親しまれ、今でもなお多くの参拝者が参拝に訪れます。境内に生える老杉古欅荘厳な雰囲気とともに日本最古の万葉集にも二首詠われています。

伊夜比古おのれ神さび 青雲のたなびく日すら 小雨そぼ降る
伊夜比古 神の麓に今日らもか 鹿の伏すらむ皮衣きて 角つきながら

御本殿に祀られている御祭神は天香山命『アメノカゴヤマノミコト』で神武天皇の命を受け、住民に海水から塩をつくる技術や漁、新潟で盛んであろう稲作の農耕術などの基礎を教えられたと言われています。

ビクティニ:相変わらずとても立派な鳥居だ。境内の森は荘厳な雰囲気で心が癒やされる・・・。

ミュウ:今年はGOTOキャンペーンということもあってか人が多いけど、鳥居の先へ続く森のマイナスイオンで癒やされる・・・。

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神様の渡る太鼓橋

入り口の左側には神様たちが渡る太鼓橋が見えます。境内を流れる小さな川のせせらぎに心が洗われます。

 

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弥彦神社の入り口に咲く菊の花々

弥彦の菊まつりは毎年11月1日から24日まで新潟県の菊花連合会によって奉納菊花展が開催されます。

参道にはたくさんの菊の花が白、黄色、桜色、オレンジ、茶色、紫色など、カラフルな色で飾られています。
菊の花はもともと奈良時代に薬草として中国から渡来してきたと言われています。古くから縁起の良い植物としても知られ、邪気を祓い、長寿をもたらすパワーがあるとされています。
9月9日の『重陽の節句』はもともと中国の習わしとされ、奇数は縁起のよい数で、偶数はその逆と考えられていたのです。これは暦の中で奇数が重なる日は、偶数(陰)になることから、めでたいが悪いことにも転じやすいとの考えから、お祝いとともに厄祓いの意味を込めて、季節の植物から生命力をもらい、邪気を祓う行事が行われていたといいます。それが、五節句の由来で、その中でもいちばん大きな奇数(陽)が重なる9月9日を『重陽の節句』と呼び、菊の香りを移した菊酒を飲んで邪気を祓い、長寿を願う風習があったとされています。そんな中国由来の行事が、日本においては平安時代ごろに貴族の宮中行事として取り入れられました。そして時代の変化とともに庶民にも広がり、江戸時代には五節句のひとつとなり、今や季節の花として親しまれています。

 

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今年の弥彦菊まつりのテーマ『おやひこさま』
今年の弥彦菊まつりのテーマは『おやひこさま』がテーマのようです。
無数の菊の花々赤い大鳥居からすると、まさにテーマ通り弥彦神社(おやひこさま)そのものですね。カラフルな菊に大鳥居のジオラマが芸術的です。

 

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菊の種類は様々
菊の花には花の色の他にも花の形状も種類が様々です。例えば、中心を巻く無数の花びらが一般的な菊の花としてよく知られるイメージですが、放射状に花びらが咲くものもあります。

 

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弥彦神社 参拝
弥彦神社の御本殿に参拝します。昔から新潟県民の心のよりどころとして、深い信仰を集めてきたのです。 主祭神は天香山命で、 伊夜比古神(いやひこのかみ)として話し合いで村や国を統一した人物ともされています。知恵のある神様としても崇敬され、越後の国を開拓した神様が祀られています。 家内安全や商売繁盛、五穀豊穣、交通安全、学業成就、恋愛運アップ、仕事運アップなど、さまざまな利益があるとされています。

しかし、あまりの混雑に入場制限がされているようです。

久しぶりに参拝に行ってきたのですが、私が就活を始める時以来、お世話になったことがあります。そして、自分が希望していた会社に就職ができたのは、この神社のご利益があってこそだと思います。縁起の良い菊の花ご利益のある弥彦神社が我々の幸運をもたらしてくれることでしょう・・・。

ビクティニ:少しでも早く日本がコロナの呪いから解放されますように・・・。

ミュウ:ティニくんと一緒に楽しく旅ができますように・・・。

 

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境内に飾られた菊の盆栽

境内には菊の盆栽が飾られています。石や苔を纏った盆栽はどれも風流的ですね。

農林水産省や弥彦神社宮司、さらにJR東日本などからの提供もあるようです。

 

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弥彦山山頂から見た日本海

今回はGOTOキャンペーンを活用して弥彦山山頂にも行ってみました。

ただ、それもあってかロープウェイ乗り場はとても混んでいたようです・・・。

弥彦山から見る日本海や佐渡島を見渡せますが、この日は少々曇り気味のようです。

 

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弥彦山から見る越後平野

越後平野も見渡せます。越後平野の田んぼが畳のように広がっていて絶景ですが、もっと晴れていれば八海山、駒ケ岳、中ノ岳、谷川岳などがそびえ立つ越後山脈も見渡せたことでしょう・・・。

ビクティニ:久しぶりに弥彦山から佐渡島を見ることができた。いつか佐渡島にも行ってみたいね・・・。

ミュウ:今日は曇っていて寒い・・・*1

 

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柏崎のホテル

弥彦神社参拝と菊まつりを楽しんだところで、吉田駅からJR越後線で柏崎まで移動し、日本海に面したホテルに泊まりました。夕食は美味しく、日本海の景色も絶景でとても豪華なホテルでした。

www.jalan.net

 

『弥彦神社参拝&菊まつりを鑑賞』をお送りしました。

 

*1:+_+

トロッコ電車で黒部峡谷アドベンチャー

皆さん、こんにちは。

今回は富山県にある『黒部峡谷』にてトロッコ電車に乗車してきました。

 

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黒部峡谷へは富山地鉄でのアクセスが便利

黒部峡谷の玄関口である宇奈月温泉へは、富山地方鉄道で行くことができます。

東京方面からのアクセスだと、北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅(地鉄新黒部駅)より富山地鉄にて約25分です。富山駅から地鉄ですと約1時間半ほどかかります。

 

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黒部峡谷鉄道 宇奈月駅

黒部峡谷鉄道の駅は、宇奈月温泉駅の終着駅付近にありますが、温泉噴水のある出口からだと、Uターンする形になります。また、温泉街側の出口から左に出て歩いていくと峡谷鉄道のりばです。

富山地鉄の終着駅である宇奈月温泉駅からさらに先にトロッコ電車が走っているのは静岡県の大井川鉄道本線の終着駅である千頭駅から先はトロッコ列車が走っているように印象としては少し似ていますが、こちらの方が比較的にぎやかのようです。ただ、きっぷとしてはフリーきっぷや乗車券で乗れる大井川鉄道井川線とは違い、事前に一番初めに乗車する便を予め窓口に伝えてから当日券と整理券を購入する形になっています。また、前日までにインターネットや電話で事前予約することができますが、GWや夏休みなどの連休では取りにくい場合があるので、取るのなら早めに取る平日に出かけられるのを検討されると良いでしょう。

ちなみに我々は当日券で乗車しました。

ビクティニ:ここもトロッコ電車が走っているのか・・・。静岡はよく行くし、大井川鉄道のトロッコ電車は何回かは乗ったことはあるけれど、ここのトロッコ電車は初めてだ・・・。

ミュウ:駅の看板に描かれたおさるさんのイラストが可愛らしいね。

 

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黒部峡谷鉄道のりば

黒部峡谷鉄道のりばは、駅舎から階段を降るとホームがあります。

黒部峡谷鉄道の改札は駅の放送で案内されます。そして、自分が乗車する号車の乗車位置にて待ちます。中にはツアー客も来ているということもあり、ホームは非常に長いです。

 

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黒部峡谷鉄道の機関車

黒部峡谷をゆくトロッコ電車の機関車は電気機関車で、線路の規格は『ナローゲージ(線路幅762mm)』が使用されています(大井川鉄道井川線の線路幅は狭軌の1,067mm)

機関車自体は小さめですが、42kwの定格出力をもち、黒部峡谷の急勾配でも最大13両の客車を牽引できます。また、繁忙期などでは編成が長くなるので、2両の電気機関車で牽引することがあります。

 

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黒部峡谷鉄道の客車

峡谷鉄道の客車には窓のない『一般客車』と窓のある『リラックス車両(追加料金530円)』あるいは『特別客車(追加料金370円)』の3種類あります。

我々はトロッコ電車特有の雰囲気を肌で感じさせるため、あえて『一般客車』に乗車します。一般客車なら追加料金がなく、風通しがよく、黒部峡谷の大自然を間近に感じることができます。ただ、手荷物や帽子、カメラなどを落とさないよう、注意が必要です。

ビクティニ:この客車、窓がないね。黒部峡谷の迫力を楽しむのにはいいかもね。

ミュウ:涼しそうだものね。

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宇奈月湖

宇奈月駅を出て何箇所かトンネルを抜けると進行方向右側には宇奈月湖湖面橋(赤い橋)が見えます。宇奈月湖は下流側にある『宇奈月ダム』によってせき止められた人造湖ですが、とても風光明媚です。

この鉄道は関西電力が所有しているもので、大井川の電源開発を目的に大井川鉄道井川線が敷かれたのと同様に、黒部川における電源開発を目的に敷かれました。そのため、この湖の湖底に旧線が眠っています。大井川鉄道でいうアプトいちしろ~長島ダムといった感じでしょうか。

 

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新柳川原発電所

湖の畔にはヨーロッパ風の古城が建てられています。まさに湖上(こじょう)だけに古城(こじょう)・・・なんてねw

実は『新柳川原発電所』という発電所で、ここからさらに先にある『出し平ダム』から取水された水は巨大なパイプを通し、ここで発電に利用されます。

かつてはここに昭和2(1927)年に建てられた柳川原発電所がありましたが、やはり宇奈月ダムの完成とともに水没することになったことから、同じ場所に発電所が新しく建てられることになったのです。古城のような風貌を持つ発電所が平成5(1993)年に建てられ。現行の発電所として活躍されています。

このように沿線には黒部川の電源開発に関する施設が建てられています。

 

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猿用吊橋

沿線には野生の猿しか渡れない吊橋もあります。運が良ければ野生の猿が見れるかもしれませんが、観光用に作られたものと思われます。ちなみにお猿さんはいないようです。

 

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トロッコ電車から見る黒部峡谷

宇奈月湖を過ぎると、徐々に険しくなっていきます。

黒部峡谷はV字形の峡谷で、北アルプスの鷲羽岳を源流とし、全長86km、高低差3千メートルを有する国内最大の渓谷です。

黒部渓谷で電源開発が検討されたのが大正時代のことで、それまでは厳しい大自然であるがゆえ、人が気軽に入れるような環境ではありません。黒部川は国内において有数の急流地帯で、なおかつ水流の豊富であることから、水力発電には適した環境ですが、あまりの険しい地形であるために、建設資材を運搬する手段がなかったといいます。そこで、黒部ダムなど電源開発に必要な建設資材の運搬及び作業員の輸送を目的とした専用軌道がこの渓谷に敷かれることになったのです。これが、現在の黒部渓谷鉄道のはじまりなのです。
当初は大正12(1923)年に宇奈月~猫又にて工事着手、後に大正15(1926)年に猫又まで開通。さらに昭和5(1930)年に小屋平まで開通し、昭和11(1936)年に小屋平ダム完成及び第二発電所が運用開始。昭和12(1937)年に欅平まで全線開通しました。終点にある欅平駅に竪坑エレベーター設置し、上部軌道開通(欅平~仙人谷)、同時に仙人谷ダム完成及び第三発電所運用開始。そして、戦後に入り昭和22(1947)年黒薙第二発電所が運用開始。昭和26(1951)年、関西電力株式会社が発足し(当時は関西地方において電力不足が深刻だった)、昭和28(1953)年に黒部峡谷鉄道トロッコ電車は地方鉄道法許可取得及び旅客鉄道として営業をはじめました。そして、第四発電所の運用開始及び竣工など、各々の電源開発が行われ、昭和38(1963)年、ついに黒部ダムが完成しました。黒部ダム日本で一番大きい電力用ダムです。
黒部峡谷鉄道はもともとダム建設など資材運搬のための専用鉄道として開業したものですが、当初から地元の人々の利便性を図ることから、『無料便乗』という形で利用されていたようです。しかし、昭和に入ると年ごとに増える観光客に対応するため、便乗料金を徴収した上で一般客でも利用できるようになり、昭和26(1951)年10月に禁止されるまで続けられていたといいます。その頃の黒部峡谷はあまりの険しさに安全性が行き届いていなかったのか、便乘證(乗車証)には『便乘ノ安全ニ付テハ一切保證致シマセン』と書かれていたほどだそうです。
その後、観光用列車として活用したいという要望も強まり、昭和28(1953)年11月5日、関西電力株式会社が地方鉄道業法の許可を得て、『黒部鉄道』として営業運転を開始、昭和46(1971)年には黒部峡谷鉄道株式会社が発足しました。現在では、水力発電施設のメンテナンスのための作業員輸送(資材運搬なども含む)及び観光鉄道として担い、現在に至っています。

 

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黒薙温泉

また、宇奈月温泉だけでなく、黒部峡谷の至る場所に温泉が湧いています。しかも、宇奈月温泉と同じ泉質なので、時間があれば立ち寄ってみるのもいいでしょう。

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黒薙駅と後曳橋

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水路橋
黒部峡谷鉄道の沿線には大井川鉄道井川線と違う点でいうならば、井川線の沿線にはいくつか民家や集落があるのに対して、黒部峡谷鉄道の周辺には民家は殆ど無く深い渓谷に囲まれています。中でも黒薙駅周辺の谷が一番険しい場所です。この渓谷にかかる『後曳橋』は高さ60メートルあり、あまりの谷深さに後ずさりするほどということから、その名が付きました。なお、この橋の横にある古いコンクリート橋は『水路橋』でこの先にある猫又から先程の新柳川原発電所まで水を引いています。

 

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黒部峡谷鉄道にある秘境駅の殆どが作業専用

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出し平ダム

終点の欅平駅はもちろん、途中の黒薙駅鐘釣駅では途中下車ができますが、その他の駅(停車場)柳橋駅、笹平駅、出平駅、猫又駅などでは途中下車できません。

・・・というのも、それらの下車できない駅こそがいわゆる秘境駅ですが、実は設備のメンテナンス資材運搬など、作業のために設けられたからなのです。大井川鉄道井川線の駅は一部を除いて途中下車できるのに対し、この鉄道では途中下車できる場所は限られています。しかも、ほとんど作業用の駅なので、我々一般客が途中下車できるような場所ではないからです。出平駅猫又駅などの近くにダムや水力発電設備などの電源設備があるのも、発電所の建設、あるいはダム建設の資材運搬や作業に利用するために設けられたものと思われます。
大井川鉄道井川線では通年運行しているのとは対照的に、こちらの黒部峡谷鉄道では冬期は運休されます。しかし、運休だからといって、ただただ運休というわけではなく、観光鉄道ということもあり、鉄道の安全確保などから線路設備や車両のメンテナンスなどが行われるのです。

ビクティニ:雰囲気や経緯としては大井川鉄道と似ているけれど、気軽に途中下車できるわけではないのか・・・。本数としては井川線とは違って多いけれど、途中下車する時は予め次に乗る列車を選ばないといけないのね・・・。定員制だからGWや夏休みでは乗りたい便には乗りたくても乗れないこともあるらしい・・・。

ミュウ:下手したら帰れなくなるかも・・・(゜o゜;

作者:乗車する日の前日までに予約できるようになっているはずだから、どうしても乗りたい人には良いのかもしれないけど、その代わり乗車時間までに宇奈月駅に行かないと無効になってしまうから注意したほうが良いようだ。でも、当日券分の席も確保されているはずだから当日でも乗れないわけでもないから、その点ちょっと安心かな・・・?

 

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小屋平ダムと停車場

また、クルマや徒歩では訪れることができないダム峡谷鉄道からなら見ることが出来ます。

こちらの小屋平駅も水力発電関連を目的に設けられたものと思われます。写真の小屋平ダムは昭和11(1936)年に完成したもので、建築家である山口文象氏がデザインしたものです。これは戦前におけるシンプルかつシンメトーリーなダムであり、建築史上においても重要的な位置づけにある近代土木遺産として認定されています。

 

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欅平駅

黒部峡谷鉄道の終着駅『欅平駅』に到着です。

ここで黒部峡谷鉄道の終点になるのですが、実はここから先の黒部ダムまで鉄道が延びているのです!黒部ダムは『アルペンルート』を通るとお目に掛かることができるのですが、ここ(欅平)から黒部ダムへは直接行くことができません。
でも、この駅に併設されている『竪坑エレベーター』を通して800mの高低差のある『上部軌道』『関西電力黒部専用鉄道』として、黒部ダムにつながっているのです。しかし、当然ながら作業員専用の鉄道なので我々一般人がお目にかかれることはまずありません。いわば『黒部ルート(知られざるルート)』なのです。ちなみに、『黒部ルート』抽選で当たれば見学をすることができるようですが、なかなか当たらなかったりするわけでして・・・(汗)

※2020年現在では、あの病気のせいで実施されないようです。

ビクティニ:ずいぶん遠い所まで来たね。終着駅と思ったら目の前に発電所らしき施設もあるぞ。なるほど、かつて大秘境だった黒部峡谷の厳しい大自然と電源開発に携わった人々との戦いを想わせるような歴史があったのかがよく分かる・・・。殉職者も多いはず・・・。マンナンダブマンナンダブ・・・。

ミュウ:こんな山奥でも発電設備があるのが驚きだね!これでぼくらの生活を支えているんだろうね・・・。

 

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黒部峡谷周辺
V字形の険しい渓谷である黒部峡谷周辺には、先ほど通ってきた『出し平ダム』『小屋平ダム』などをはじめ、サンナビキ山名刺山仙人谷などの険しい山々が切り立っています。欅平周辺では特別天然記念物及び特別名勝に認定された『猿飛峡』をはじめ、奥鐘橋名剣温泉人喰岩などがあります。なお、この日は『猿飛峡』まで行く道で土砂崩れがあったのか、行くことができません。

 

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奥鐘橋から見た黒部峡谷

かつては人を寄せ付けぬ秘境の地だった黒部峡谷は険しく、厳しい地形が日本一の大峡谷を物語っています。

黒部峡谷は、立山連峰と後立山連峰から流れてきた黒部川が長い年月を掛けて刻み込んだことで、いかに非常に深い渓谷ができたのかが実感できます。まさに太古の峡谷といっても過言ではないでしょうか。黒部峡谷にかかる赤い橋『奥鐘橋』は高さが34mあり、高所が苦手な人には足がすくみそうです・・・。

 

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黒部ダムへ続く黒部川

この橋の右側は黒部川本流で、仙人谷及び黒部ダム方面へ続いています。

ここから黒部ダムまでは約18kmあり、とても遠い場所にあります。この写真の奥に見える建物は黒部川第三発電所が見えます。『関西電力黒部専用鉄道』も非常に高い標高をもってこの川に沿いながらずっと奥にある黒部ダムまで続いているんでしょうね・・・。

 

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人喰岩

黒部峡谷の険しい地形によって生み出された不思議な芸術を物語っています。

人喰岩は、その名の通り、人を飲み込むような形をしていることからつけられています。こんな険しい峡谷でも自然が生み出した不思議なものが見られるものですね・・・。

 

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名剣温泉
欅平から奥鐘橋の先に足を運ぶと名剣温泉などの日帰り温泉に入ることが出来ます。大峡谷が目の前に広がる露天風呂があり、気が済むまで黒部峡谷の空気を吸いながら温泉を楽しんでみるのもいいでしょう。

 

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唯一スイッチバックのある鐘釣駅
黒部峡谷鉄道は険しい峡谷をゆく鉄道ということで勾配も急ですが、大井川鉄道みたいにアプト式鉄道はありません。ただ、途中の鐘釣駅では唯一のスイッチバックがあります。もともと構内が狭いためか、あるいはトロッコ電車の編成が長い編成にも対応出来るようにするために設けられたと思われます。この駅のスイッチバックは列車が発車する時、一度列車の先頭がポイント手前までバックし、ポイントの向きを変えてから進行方向へ進むという構造になっています。
鐘釣駅では途中下車の出来る駅の一つで、周辺には河原露天風呂があり、『万年雪』もここで見られます。

 

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鐘釣駅では黒部峡谷の天然水が飲める

鐘釣駅では、北アルプスの天然水が飲めるコーナーが設けられています。その場で天然水を飲むのはもちろん、ペットボトルなどで持ち帰ることもできます。

 

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万年雪
百貫山に積もった雪が河原に落ちて蓄積し、それが夏になっても溶けないことから、『万年雪』という名前が付いたと言われています。新潟県、北海道などの北日本ではよく見られる光景ですが、黒部峡谷にもこのように万年雪が見られます。しかし、今年は年々著しくなりつつある地球温暖化の影響ということもあり、わずかしか残っていないようです。

 

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黒薙支線
黒薙駅で分岐されている黒薙支線も電源開発を目的に敷かれていますが、これは黒部川の支流である黒薙川に黒薙第二発電所及び新黒薙第二発電所、二見取水堰堤まで続いています。これも先ほど紹介した欅平の上部軌道と同様、関西電力専用鉄道が保有しており、昭和22(1947)年に開通したものと思われます。実は、この軌道も黒薙温泉に通じており、かつては駅員の許可でここを黒薙温泉への近道として利用することが出来たようですが、最近では保安上の理由から、一般客が通行できなくなっているようです。新黒薙発電所は割と最近に建てられたようですね・・・。

 ★黒部峡谷鉄道の様子★


黒部峡谷鉄道のトロッコ電車で黒部峡谷を冒険!

 

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宇奈月温泉の温泉噴水

トロッコ列車の旅を楽しんだ後は、宿泊はもちろん、日帰りでも宇奈月温泉を楽しむことができます。

宇奈月温泉は大正12(1923)年に開湯し、黒部川の電源開発とともに歴史を歩んできた歴史のある温泉です。黒部峡谷における電源開発に携わった作業員たちで賑わったと言われています。実は、黒部川上流にある黒薙温泉宇奈月温泉の源泉とされ、黒薙温泉源泉から宇奈月温泉郷まで温泉が引かれているのだそうです。

本当は宇奈月温泉にも泊まってみたかったのですが、実質一人旅であるため、あいにく土日祝日だと一人で受け入れてもらうのには難しいようです・・・orz

ビクティニ:宇奈月温泉に泊まりたかったなあ・・・。

にょろもう:ぼくも・・・。でも日帰り温泉でも十分に楽しめたよ!

作者:初めて黒部峡谷鉄道に乗ったけど、色々と見どころが多かった。しかも大井川鉄道より電源開発の歴史が古いのは意外だった・・・。あの頃は黒部峡谷の方が電源開発の歴史としては当時最先端だったのかもしれない。

 

『トロッコ電車で黒部峡谷アドベンチャー』でした。

終わり