ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり、鉄道名所(景観路線や歴史ある鉄道スポットなど)スポットめぐりや風光明媚な鉄道旅、日本の観光地の歴史や景観めぐりなどを紹介するコーナーです。よろしゅうお願いします。

北東北浪漫 みちのく紀行 1日目 “銀河鉄道の夜”と宮沢賢治の世界 “SL銀河号”に乗車

皆さん、こんにちは。今回は夏休み北東北へ旅行に行ってまいりました。

経路としては岩手県釜石・宮古→遠野→花巻温泉→平泉→雫石・小岩井農場→青森県弘前・岩木山→五能線→秋田→越後湯沢→帰路という形になりました。最後までお付きあいくださいませ。

 

朝6時半に起床し、朝7時に川越駅を出発。そして朝8時に大宮駅から新幹線に乗車します。

8:22大宮発 はやぶさ103号新青森行きに乗車。10:37新花巻着。

 

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新花巻駅 釜石線ホーム

新花巻駅に到着しました。ここからJR釜石線のSL銀河号に乗車します。JR釜石線のホームへは、新幹線の改札口から左に歩くと地下通路で繋がっています。地下通路をそのまま歩いていくとJR釜石線乗り場になります。

 

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SL銀河号

新花巻駅にSLが入線してきました!

これぞ、まさに宮沢賢治が生んだ名作『銀河鉄道の夜』をモチーフにした汽車『SL銀河号』になります。機関車は『C58-239号機』で、後ろの客車はJR北海道から譲渡された 『キハ141系』。客車というよりかはいわゆる気動車のようです。

ビクティニ:SLがきた!美しい音楽とともに入線してくる汽車がまさに『銀河鉄道の夜』そのものって感じ。とても感動しちゃった・・・(´;ω;`)

ミュウ:ヘッドマークも素敵だね。

 

★実際の映像★


SL銀河号で宮沢賢治のロマンと銀河鉄道の夜を体験するミュウ&ビクティニ

 

 

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SL銀河号の車内
車内は大正ロマンを基調としており、いかにも『銀河鉄道の夜』の世界観満載な雰囲気です。まさに宮沢賢治の童話の世界にいるような感じです。あたかも自分がジョバンニになったような感覚になります。 座席などはまさしく童話らしく木製でワインレッドの椅子です。また、車内に配置されたガス灯の照明が素敵です。

ビクティニ:きみと一緒ならどこまでも行こう・・・。

ミュウ:そうだね。みんなが自由になれる世界へ・・・。

 

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駅に設置された腕木式信号機

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JR釜石線の各駅に付けられたエスペラント語の愛称駅名

JR釜石線のSL銀河号の各停車駅にはこのように腕木式信号機の飾りが設置されています。

この飾りこそがいかにも『銀河鉄道の夜』としての雰囲気を醸していますね。腕木式信号機は遠方信号機をモデルにしているようです。また、JR釜石線の各駅にはそれぞれ愛称が付けられており、これは宮沢賢治の作品の1つとされる『銀河鉄道の夜』の作中に登場する『エスペラント語』による愛称が付けられています。例えば、こちらの宮守駅では『ガラクシーア カーヨ(Galaksia Kajo) 』という愛称が付けられていますが、これは『銀河のプラットホーム』を意味しています。こんな感じで釜石線各駅の愛称には釜石方面へ進むごとにストーリーがつながるような印象を受け止められます。また、沿線の雰囲気に合わせて駅名ごとにそれぞれの特徴をエスペラント語にあやかった駅名として愛称が付けられているのです。

★詳しくはこちらをどうぞ★

釜石線 駅名標デザイン - 作品紹介|株式会社JR東日本建築設計

 

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SL銀河号の車内に展示されている天球儀

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SL銀河号の車内に展示されている『銀河鉄道の夜』の原稿

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SL銀河号の車内に展示されている宮沢賢治に関する資料

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SL銀河号の展示スペースに設けられた宮沢賢治ギャラリー
 SL銀河号の車内には宮沢賢治の生涯や彼の生み出した作品『銀河鉄道の夜』の原稿をはじめ、『雨ニモマケズ』『注文の多い料理店』など様々な作品が展示されています。これだけ見ても、十分に宮沢賢治の世界に浸れます。また、プラネタリウム図書館コーナーもありますが、今回は例の病気のせいで紹介できません・・・orz
さて、宮沢賢治という人物について説明すると、明治29(1896)年に岩手県花巻市(当時は稗貫郡花巻川口町)に質・古着商を営む宮沢政次郎とともにイチの長男として生まれた作家です。詩人童話作家をはじめ、教師、科学者など、様々な表情を持っていますが、大正15(1926)年に農民の生活向上を目指すため、農業指導を実践することから『羅須地人協会』を設立するなど、多方面で活躍されました。しかし、あまりの無理さがたたったために病に倒れ、昭和8(1933)年9月21日、37歳という若さで逝去されました。そんな短い生涯の中で、彼の生み出した数多くの短歌童話などを遺しています。中でも『銀河鉄道の夜』の童話や『雨ニモマケズ』などの詩をはじめとした作品が代表的です。

 

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SL銀河号 花巻~遠野の車窓

JR釜石線は花巻駅~釜石駅を90.2kmで結ばれているローカル線です。

かつては『岩手軽便鉄道(釜石西線)』として花巻~仙人峠が大正15(1913)年に開業、そして昭和19(1944)年、国によって敷設された陸中大橋駅~釜石駅の釜石東線(釜石鉱山鉄道)も開業し、昭和25(1950)年に足ヶ瀬駅~陸中大橋駅が開通し、それら2つの路線が1つの路線として繋がったのが現在のJR釜石線となったのです。
花巻~遠野間は比較的勾配が緩やかで、田園地帯が広がるエリアです。中でもJR釜石線最大の見所である『めがね橋(宮守川橋梁)』が有名で、多くの観光客や写真家が集まります。

 

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遠野駅にて約1時間停車

12:13遠野駅に到着。ここでは燃料補給や点検のため、約1時間停車します。

遠野市は『妖怪にまつわる伝説』『日本昔ばなし』、さらに『河童のふるさと』とも言われています。

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思い出ノート

停車時間を利用して、思い出ノートにも記載させていただきました。

ビクティニ:うまく描けたかな・・・。

ミュウ:うまく描けたんじゃない?

 

 

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SL銀河号 遠野~釜石の車窓

遠野駅を出たSL銀河号は徐々に山間部へ入っていき、勾配もだんだん上り坂になっていきます。 先ほど通ってきためがね橋とは違った雰囲気で山深いエリアです。

この先にある上有住駅の近くには『滝観洞』という鍾乳洞があり、岩手県を代表する『龍泉洞』とはまた違った鍾乳洞を楽しむことが出来ます。また、途中にある『Ω(オメガ)ループ』『仙人峠』というJR釜石線で最大の難所があり、岩手軽便鉄道の頃は、当時終点が『仙人峠駅』となっており、そこから陸中大橋駅まで徒歩で移動するのには約3時間かかったといいます。・・・というのも当時の仙人峠駅陸中大橋駅を挟む仙人峠は直線距離で約4kmほどであり、仙人峠駅の標高が560m、陸中大橋駅の標高が254mで、306mもの標高差が非常に大きい上、標高が887mもある仙人峠を越えなければならなかったことから、当時の遠野から釜石までの道中はとても険しいものだったと思われます。のちに足ケ瀬駅から陸中大橋駅間にも線路を通すこととなり、先ほども説明した通り、仙人峠はとても険しい峠なので、土倉峠のトンネルを抜けた先のV形の谷の斜面を縫うような形で『Ω形状』のループ線が完成したと言われています。それと同時にかつて存在した『仙人峠駅』は昭和25(1950)年に廃止となっています。

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仙人峠にあるΩ形状のループ線
余談ですが、なぜ『仙人峠』という名前かというと、ある一説によると遠野物語に登場する仙人が住んでいた峠であることから、あるいは麓の鉱山で千人の鉱夫が生き埋めになったという説、アイヌ語の「背骨の高いところ」という意味の『セレコ』がなまったという由来からなったという説があるようです。

 

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陸中大橋駅はかつては釜石鉱山だった

陸中大橋駅にある釜石鉱山は、北上山地の沿岸部に位置し、明治時代の開坑から現在まで150年余の歴史を持っており、主要のの他に亜鉛なども産出されました。

この鉱山があることで、釜石市は現在でも新日本製鐵釜石製鐵所など、製鉄が盛んな町として知られています。 平成5(1993)年には大規模な鉄鉱石の採掘は終わっているものの、その良質な鉄鉱石は研究などの用途から、現在でも年間100トン程度の採掘が行われているといいます。いわば、この鉱山の存在感は釜石市が製鉄産業の町にもなった原点ともいうべきではないでしょうか。また、岩手県の伝統工芸品の1つとされる『南部鉄器』の原料も、なんとその殆どが釜石産であることから、南部鉄器が今でも造られているのは、まさにこの鉱山があった所以と言っても過言でないでしょう。

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JR釜石線の終点『釜石駅』 よくおでんした釜石へ

15:08 釜石駅に到着。

JR釜石線の終着駅である釜石市は先ほども説明した通り『製鉄の町』が盛んで、ラグビーの町としても有名です。

三陸鉄道も通っており、一時期はNHKの連続テレビ小説『あまちゃん』の舞台にもなったことでも話題になりました。ちなみに駅に飾られている「よくおでんした」の横断幕は釜石市の方言で、「よくいらっしゃいました」という意味だそうです。釜石市は江戸時代末期に日本の近代製鉄が始まった『鉄のふるさと』という意味で平成24(2012)年にリニューアルした際に、平成23(2011)年に発生した東日本大震災からの立ち直りというエールの意味を込めて田中宣廣氏の熱いメッセージが伝わってきます。

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リアス式海岸

さて、JR釜石駅からレンタカーを借り、三陸道にて宮古市方面へ北上します。釜石市から車を走らせて約40~50分。三陸のリアス式海岸の白浜にして岩手県の代表的な景勝地『浄土ヶ浜』です。

リアス式海岸とは、狭い湾が複雑な形状で入り込んだ沈水海岸のことで、『リア』はスペイン語でいう単数、そして『リアス』は『リア』の複数形からなったものと言われています。なぜこのように『リアス式海岸』が出来たのかというと、谷が沈降して出来た入り江を『溺れ谷』といい、もともと直線状になっていた海岸線に対して垂直方向に河川から侵食されて出来た開析谷が溺れ谷として成形され、それがノコギリ状の形状に連なったような地形『リアス式海岸線』と呼ばれるようになったのです。リアス式海岸特有のノコギリ形状を保つように複雑に入り込んだ入り江は水深が深く、波も低いことから、漁業や養殖を営むのには最適な環境であるとされ、古くから漁港としても栄えていたと言われています。

 

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三陸復興国立公園・三陸ジオパークにある風光明媚な海岸『浄土ヶ浜』

三陸復興国立公園、またの名を三陸ジオパークの中心にある『浄土ヶ浜』は、宮古市を代表する勝景地であり、岩手県の代表的な観光地でもあります。

鋭く尖った白い流紋岩が聳え立つ景観が四季折々の表情を見せてくれます。今から約5200万年前の古第三紀(白亜紀の次の時代)に形成されたといわれ、火山岩からできた白い岩と小石によって入り江が作られていることから、『日本の水浴場88選』や『日本の快水浴場百選(海の部特選)』にも選ばれています。緑色の松白い岩肌、そして、静けし浅瀬の海・・・まさに東北の風光明媚な景観です。浄土ヶ浜という地名が付いたのは、天和年間(1681~1683年)に宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)が「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことがその由来と言われています。また、宮沢賢治もこの浄土ヶ浜を訪れ、「うるはしの海のピロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ」という歌を詠まれています。

ビクティニ:やっぱり東北の自然は癒やされるなあ・・・(*´艸`*) 穏やかな海・・・緑の松・・・白い岩・・・風光明媚な海岸だ・・・。宮沢賢治も愛したほどの海岸と言われているけど、本当に心が洗われるな・・・。

ミュウ:ここは涼しいし、暑い夏にはいいのかもね。

にょろもう:波も穏やかで居心地がいいね。

ゴンベ:岩の景観もいい感じにきれいだっぺ・・・。

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浄土ヶ浜の海鳥『ウミネコ』
浄土ヶ浜では、ウミネコをはじめ、アオジキビタキなど4種類の海鳥を観察することが出来ます。また、青の洞窟遊覧船もあり、青の洞窟では海の洞窟を探検、遊覧船ではウミネコの餌やりを楽しむことも出来るのです。皆さんも時間があればじっくり楽しんでみては?

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宮古市の旅館で宿泊
浄土ヶ浜を観たあとは、宮古市の旅館で宿泊しました。一時期は、平成23(2011)年3月11日の東日本大震災で大打撃をを受けた宮古市ですが、あの惨禍から9年経っても、活気を取り戻しつつあるようです。旅館の夕食は三陸の食材がふんだんに使われ、とても美味しかったです。

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岩手県の伝統工芸品『南部鉄器』

途中の釜石駅の近くにあったお土産屋さんで、南部鉄器の鉄瓶急須を買いました。

岩手県の特産品とされる『南部鉄器』は江戸時代よりちょっと前より岩手県北部や青森県西部の『南部地方(当時の南部藩)』に代々伝わる伝統工芸品として親しまれています。主な製造技法としては『鍛造(鍛金)』『彫造(彫金)』『鋳造(鋳金)』の3種類があります。

『鍛造(鍛金)』とは、主に包丁や鍬・鋤はもちろん、一昔前なら刀などを製造する時に用いられる技法で、熱した鉄をハンマーや金づちなどで打って延ばしたり縮めたりする方法です。よく耳にする『打ち出し』はこの技法に分類され、鍋などの強度を上げ、表面積を多くすることで熱まわりをよくするのにも使われています。また、この技法は鉄瓶やすき焼き鍋などのツルの部分にも一部用いられており、南部鉄器を製造する上でも重要な役割を持っています。鉄瓶急須でいう『取っ手の部分』になります。
『彫造(彫金)』は刀剣や置物などによく用いられる技法で、まさにその名の通り、鉄の塊を彫って形を成型していく技法です。彫金には『たがね』と呼ばれる特殊な道具を使用し、小さく細かい加工が出来ることから装飾品などでよく用いられています。中でも『江戸彫金』と呼ばれるものが有名です。
最後に『鋳造(鋳金)』ですが、これがいわゆる南部鉄器における代表的な製造技法で、いわば『溶けた物質を型に流し込みそれを固めて製造する技法』で製造されたもの・・・すなわち『鋳物(いもの)』と呼ばれています。南部鉄器の『鉄鋳物』の他に山形鋳物に代表される『銅鋳物』、あるいは工業製品などによく用いられるアルミ鋳物・ステンレス鋳物・チタン鋳物などがあります。鋳造技術の原点は狩猟などで使う『鏃(矢尻・やじり)』で、粘土をよくこねて柔らかい粘土板を二つ作り、その粘土板の片方に石の鏃を半分埋め込んで形をとり、もう片方に先に形をとった反対側を押しつけて形をとります。するとそれぞれ半分ずつの形が写し出されるので二枚の粘土板を合わせるともとの鏃とほぼ同じ形の空洞が出来ます。そこに注ぎ口を作り、溶けた物質を流し込み、固まってから型を壊し注ぎ口を切り離せば鋳造の鏃の完成です。これが後に『鋳造』の原点にもなったと言われています。この技法は数千年経った今でも受け継がれています。
鋳造の歴史は紀元前3500年・・・。現在のイラク周辺で栄えたメソポタミア文明の頃、その地域で発生したと言われています。それから約3千年後の紀元前4世紀から紀元3世紀頃の弥生時代においてその多くは中国や朝鮮半島を通り、日本に伝わったとされています。そして後の『南部鉄器』もその歴史を経て今日も日常生活や観光資源などで活かされているのです。また、南部鉄器の急須で入れたお茶には鉄分が含まれているため、鉄瓶でお湯を沸かしたり、急須にお湯を入れると溶け出した鉄分がお湯の中に浸透し、鉄分を摂取できると言われています。そのため、健康維持にも適しています。皆さんも岩手県に旅行に行く機会がありましたら、お土産や思い出に持ち帰ってみては?

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