皆さん、こんにちは。今回は『津軽富士』として知られる『岩木山』の登山に行って参りました。
弘前のホテルからは雲の被った岩木山が見渡せます。
ビクティニ:東北地方の殆どが雨になっているところが多いみたいだけど、この辺は晴れているみたいだね。
ミュウ:今日は岩木山に登るみたいだけど、天気に恵まれていてよかったね。
作者:もし雨だったら、まちなか散策やねぷたの博物館、斜陽館に行こうかなと思った・・・。
以前もこのホテルに泊まった時には朝食はバイキングだったのは覚えていますが、やはり例の病気の影響もあり、定食になっているようです。
ビクティニ:今日は岩木山の頂上まで行くから、しっかり食べるか。
ミュウ:朝ごはんは美味しいけど、ちょっと少ないかも・・・?
ゴンベ:うんまいっぺ!青森の朝ごはんも美味しいっぺ~!
にょろもう:ねえねえ、あの山は何ていう山なの?
作者:あれは『岩木山』という山なんだよ。これから登山に行くことになるんだ。
弘前市は人口約17万人で、『弘前城』のある城下町です。青森ねぷたで有名で、夏には『ねぷた祭り』が開催されます。また、旧弘前市立図書館など、洋風建築物が多いのも特徴的で、『城下町』と『洋風文化』が重なり合ったハイカラな雰囲気を醸しています。
さて、朝8:00にホテルを出発し、岩木山へ向かうために弘前駅前でレンタカーを借ります。
県道3号線を西方へ進み、岩木山スカイラインに入り、岩木山八合目までクルマを走らせます。
途中でいくつかりんご畑やりんご園を目にしますが、実は弘前市は日本におけるりんごの生産量が日本一で、年間の生産量が・・・なんと約16万トンと言われています!次位の生産量である長野市でさえ約3~4万トンですから、全国的にケタ違いな生産量を誇っているということが分かります。そのため、弘前市の界隈には『りんご公園』や『観光りんご園』などのりんご狩りスポットがあり、8月から11月にかけてりんご狩りを楽しむことが出来ます。
途中で岩木山神社に寄り道します。岩木山山麓にある神社というだけあってとても荘厳な雰囲気です。
岩木山神社は、古くから『お岩木様』や『お山』などと親しまれ、陸奥津軽地方の開拓の神、農海産物の守護神などが祀られています。『信仰の山』にして霊山・神山とされる『岩木山』は津軽地方では仰望させられ、地元の人々からの慈しみの徳を授けています。岩木山大神は太古より神霊岩木領にお鎮まりになられ、宝亀10(780)年に社殿を山頂に創建したのがそのはじまりとされています。その後の延暦19(800)年、征夷大将軍坂上田村麻呂公によって再建され、山麓に下居宮を建立し、岩木山山頂にあるお社は『奥宮』という名前になり、寛治5(1091)年、神宣によって下居宮を現在地(百沢地区)に奉遷したのが現在の岩木山神社です。江戸時代には津軽藩主の為信・信義・信牧・信政により大造営が行われ、近代には崇敬者の熱意を集め、日本において北門鎮護の名社として、農場・漁業・商工業・医療・交通など、深い信仰の源であることから多くの参拝者が各地から訪れます。もちろん、参拝に来るだけでもご利益はあります。
ちなみに、この神社から先の方には岩木山山頂へ通ずる登山コースがあり、この神社で参拝してから登山に行かれる登山者も少なくないようです。
ビクティニ:大雨に見舞われた九州の復興が進みますように。東日本大震災で被災した福島の原発事故もいち早く解決しますように・・・。
ミュウ:今年は日本に台風が来ませんように・・・。
神社ならどこでも見られる狛犬は台座の上に座っている姿というイメージが付きがちですが、岩木山神社の狛犬は楼門を囲う石柵につかまるような姿は全国的に見ても大変珍しいですね。二体の狛犬にはそれぞれ上下の向きが違います。上向きになっているのが『金運』、下向きが『恋愛運』というご利益があると言われているようです。なんでも、携帯やスマホなどの待受画面にするとご利益になるとか・・・?
ビクティニ:ぼくは上向きの狛犬を携帯に撮ったよ!これでお金持ちになれるといいなw
ミュウ:もうティニちゃんったら・・・。
作者:たまたま一眼で撮った写真が『上向き』だから『金運』だ。これから仕事で忙しくなるかも・・・w
さて、岩木山神社で参拝をした後は、岩木山八合目まで参ります。
岩木山には『百沢ルート』『嶽温泉ルート』などいくつか登山ルートがありますが、中には山頂の途中までクルマで進むことができる『岩木山スカイライン』があります。その名の通り山麓と八合目を結ぶ有料道路で、昭和40(1965)年に開通しました。これは青森県の有料道路としては初めて開通したものだそうです。
途中には料金所があり、通行料(往復分)が入場料として以下のように設定されています。
原付・バイクなど・・・1,050円
軽自動車・・・1,520円
小型・普通自動車・・・1,830円
岩木山スカイラインの全長は9.8kmあり、さらに入り口から終点まで合計69箇所のカーブが連続しています。山麓側ではブナの原生林が生えており、稀にサルなどの野生動物に遭遇することもあります。岩木山は日本の山岳では比較的登りやすい山と言われていますが、途中の八合目まで車で行けるのは、登山をあまりしない私にとってはとてもありがたいことです。
八合目に近づくに連れ、視界は開けてきます。しかし、霧が生えていて何も見えません。ただでさえ、この日は暑いのにも関わらず、標高が高く、空気も湿っているからか非常に涼しいです。
山麓から69箇所のカーブが続く長い道を抜けると岩木山八合目の駐車場に到着です。八合目に着いた頃には辺り一面、霧に覆われています。
ここまで来れば、山麓から頂上まで登るよりかはずいぶん楽かと思われます。それでもわざわざ山麓から登山する登山者もいますが、片道が概ね4~5時間なので、往復で登山となると丸々1日はかかってしまうでしょう・・・。
ビクティニ:あの道路を通ったら、あっという間に高いところまで来ちゃった・・・。ということは、ここからはもう山頂かな?
ミュウ:いや、それでも山頂まで結構距離ありそうだよ。それにしても霧に覆われていて何も見えない・・・。
八合目には展望台兼ね休憩所があり、山麓から登ってきた登山者たちが休憩するために、あるいは登山帰りの休憩などで利用されます。八合目から見た下界の景色が見渡せます。
また、スカイラインにも路線バスが設定されており、バスでも八合目まで行くことが出来ますが、本数としては非常に少ないようなので、バスで登山に行かれることを検討するならば、時刻表をよく確認する必要があります。運転日も決められた日しか運行されないので注意です。また、天候がひどいとスカイラインは閉鎖されます。交通手段がどうであれ、岩木山に登山に行かれる際は天候をよく確認してから行くようにするのが望ましいでしょう。ちなみに帰りのバスの時刻表は以下の通りです。
★岩木山八合目バス時刻表★
行き先:すべて岳温泉行き(弘前バスターミナル行き接続あり)
9:50 11:50 13:50 15:50
※令和2年度の時刻表です。
ここから九合目まではリフトで一気に進むことが出来ますが、やはり例の病気の影響で土日祝日しか運行されず、この日は運行していないようです・・・。本当ならリフトが動いている方が良かったのですが、残念・・・。仕方なくこのリフト乗り場の脇から続く登山道から登って行くしかないようです・・・。
九合目までの道は藪のような道を通って行かなければなりません。岩場もいくつかあり、九合目まで歩いて登山するのには約15分ぐらいかかりました。
長い藪道を抜けると開けた岩場までやってきました。ここが九合目ということになります。ここから山頂までは片道で約30~40分くらいかかります。晴れた日にはここから下界の景色が眺められるはずなのですが、ここも霧に覆われていて景色が見えないようです。
ビクティニ:やっと九合目まで来た・・・。意外ときつい道のりだった・・・。というか山頂までまだまだ先みたいだね。
ミュウ:25分で行けるルートもあるみたいだけど・・・。なんか危なさそうだね・・・。
作者:本来、リフトが動いていたら、岩木山山頂までのルートが分かるかもしれないのに・・・。もし岩木山がだめなら鳥海山でも良かったが、なおさらここまで来たのならば、もう岩木山まで行くしかないよね・・・。でも、どっちに行ったらいいんだ・・・。
他の登山者:それならこっちに行けば岩木山山頂だよ。
ビクティニ:本当?ありがとう!行ってみるわ。
岩木山の山頂付近にはミヤマガラシ、アキノキリンソウ、ヤマハハコ、マルバシモツゲ、センブリ、リンドウなどの高山植物が見られます。
岩木山の山頂に近づくに連れ、周りの岩場の景色は山深い景色になっていきます。深い谷がいかにも標高の高さを物語っています。しかし、足を踏み外してしまうと谷底まで真っ逆さまになってしまうので、慎重に進んだほうが良さそうです。
しばらく進んでいくと『鳳鳴ヒュッテ』という山小屋(?)というか避難小屋が見えます。ここで岩木山神社方面から来た『百沢ルート』と合流します。ところで、気軽に登れる山なのにも関わらず、こんな場所に避難小屋があるのかというと、昭和39(1964)年に秋田県立大館鳳鳴高校生の5人が遭難し、4人が落名したという事故があったことから建てられたようです。
避難小屋を過ぎると、もう山頂も近いはずです!ただ、ここから先は、先程の登山道と打って変わって斜面が急になっていきます。あたかも岩場にしがみつくような感覚で登らなければならず、場所によっては斜面が45度になっていて、かなり慎重に行かないと大ケガしてしまいそうです。フュッテから山頂まではあと約30分程で到着できそうです。
10:30に八合目を出発してから約1時間・・・。ついに・・・。
岩木山山頂に到着しました!
岩木山は『津軽富士』という別名を持ち、標高は1625mあります。これは、青森県で一番高い山です。
なぜ『津軽富士』と呼ばれているのかというと、古くから信仰の山として津軽地方の人々から親しまれてきたといいます。その山岳信仰の歴史から『お岩木様』とも呼ばれ、家内安全や豊作を願うための『お山参詣』と呼ばれる行事も行われるほどです。
ビクティニ:ようやく山頂までやってきた!ここまで高い山に登ったのは初めてだ!ぼく、とても感動したよ(´;ω;`)ウッ…
ミュウ:すごいよね。1625メートルだって・・・。
山頂には文学碑が建てられています。
『四方八方の千万の山を見下して 心にかかる雲もなき哉(よもやまのちよろずやまをみおろして こころにかかるくももなきかな)』
これは『大町桂月歌碑』という弘前市の文学碑で、ここから見下ろす雲一つない下界の景色があまりにも美しかったのを詠まれたのでしょう・・・。
岩木山の山頂に聳え立つ社が岩木山神社の『奥宮』です。
山頂に建つ小さな祠は、あたかも今日も津軽地方を見守るかのようです。史書によると、お山参詣で登拝した者はこの神像にお神酒をかけ、持参した餅をこすって持ち帰り、家の者に食べさせたという説があるようです。
ビクティニ:山頂からの景色を眺めつつ参拝とは素晴らしい!(二礼二拍手一礼)福島の復興が進みますように・・・。
ミュウ:コロナの時代は短期で終わりますように・・・。
岩木山の山頂では津軽平野や日本海などの絶景を楽しむことが出来ます。
運良く晴れた日には津軽海峡や北海道の松前半島などの景色も見渡せます。自分の足で八合目から山頂まで登ってきたというのを思い返すと、本当に達成感でさえも感じてしまいます。こんなに素晴らしい絶景はこれまでにないほど初めてです(´;ω;`) この景色を見ていると、ジブリ映画『天空の城ラピュタ』の世界を想わせてしまいます・・・。
さて、山頂の絶景を十分に満足したところで、下山しましょう。真下には先程の避難小屋が見えます。
下山する時は、登る時以上に慎重に降りなければなりません。上の写真をご覧になれば分かるように、特に山頂付近では斜面がとても急なので、非常に慎重に降りないと大ケガしたり、あるいは最悪の場合、転落してしまう恐れがあるので十分に注意しないといけません。
下山中でも、谷間から見える東側には津軽平野の景色が楽しめます。これだけ険しい登山道から風光明媚な里山が見えるのは不思議な気分です。
九合目まで戻ってきました。
先程、山頂まで行こうとした時の九合目の周りの景色は霧に覆われ、何も見えなかったのですが、午後になるとすっかり霧は晴れてきたようです。北側は鰺ヶ沢の陸地と日本海の絶景が一望できます。岩木山から見る海の景色を眺めていると、心が洗われます・・・。
下山口までは行きと同様にこの道を通らなかればならないんですよね・・・orz
もしリフトが動いていれば、ハイキングのつもりで来れたのに・・・。コ×ナのバカヤロー。゚(゚´Д`゚)゚。
13:10頃 八合目駐車場に到着。
10:30に登山を始めてから往復で2時間40分の登山時間となりました。登山を終えた頃の八合目は着いた時と違って霧は晴れ、下界の景色がよく見えます。
ビクティニ:ここに着いた時は霧で覆われていて何も見えなかったのに、最後の最後で晴れて嬉しい・・・。
ミュウ:大変な山登りのご褒美だね!
岩木山の東側は深浦町方面の景色で、向こうも日本海ですが、白神山地の連峰が見えます。あそこには明日行くであろう『十二湖』も・・・。
駐車場にある休憩所の展望台からでも下界の景色を眺められます。
先程の山頂や九合目ほどでないにせよ、この展望台からでも日本海や下界の絶景は十分に楽しめるかと思います。登山に行かなくてもドライブがてら景色を眺めるために、あるいはインスタ映えをするためにスカイラインを登ってみるというのも有りかもしれません・・・。
ビクティニ:登山した後の絶景はぼくらに祝福してくれているみたい。まるで山頂まで行った達成感のごとく、こんなに美しい景色が見れるのは嬉しくて涙が出そう(´;ω;`)ウッ…
ミュウ:去年行った北海道の美幌峠や津別峠もこんな感じで晴れればよかったんだけどなあ・・・。
さて、我々は岩木山を下山し、弘前の町並みを少し散策してみようと思います。
帰りのスカイラインも行きと同様、69箇所のカーブが続く長い坂道を下っていきます。先程通ってきた料金所まで戻ってくれば、もうここから先は下界ですね(笑)
弘前市はりんごだけでなく、岩木山山麓にはとうもろこし畑があり、焼きとうもろこしも名物になっています。
ビクティニ:焼きとうもろこしも美味しい!
ゴンベ:うんまいっぺ~!
岩木山から弘前市街に戻ってきました。『弘前城』の周辺を散策してみます。
小ぶりでありながらも、東北地方で唯一天守が江戸時代から残る大変貴重な『弘前城』は『国の重要文化財』の1つです。真夏の弘前城の姿は勇ましく聳え立つ姿に圧巻されます。
津軽藩の基礎つくり、当時の高岡城こと弘前城を建てた津軽為信は、現在の弘前市を築き、支えてきた人物でもあります。
そんな津軽為信と弘前城の関わりにはこのようなエピソードがあります。
彼の父である守信は後継者となる男子がないことから憂い、岩木山に祈願。その日の夜明け頃、夢に白髯の老翁が現れ「吾は岩木山権現の神である。汝にこの扇を与えよう。此れを以て子とするがよい」と告げられ、守信が扇を手にした途端に夢が覚め、その男子が誕生したのが『扇』と名付けました。それが後の『為信』になります。
戦国の動乱期の中の永禄10(1567)年、南部氏の支配下にあった津軽平野で大浦城は孤立しており、家来の数も300に満たぬ城に大浦為信が婿養子として迎えられたのです。
彼は婿養子ということもあり、信頼できる側近もいなかったものの、合戦に敗れた落ち武者や流れ者の中から有能な人物を召し抱えることで強力な側近武士団を作り上げることができたのです。
為信の母は下久慈(岩手県久慈市)の城主・久慈備前の後妻となり為信を産んだとされていますが、母は久慈備前の死とともに家督を継いだ先妻の子に家を追われることになり、当時14歳であった為信を連れて家を出ます。母子は縁を頼りに大浦城に身を寄せ、そこで為信は同じ年の大浦為則の娘、阿保良と恋に落ち、永禄10(1567)年、為信は18歳で婿養子となりました。2人が結婚した翌月、父の為則が急死したことから、大浦城は為信と阿保良のものとなり、「いつか主君である南部氏をしのぎ、津軽を手にしたい」という津軽統一の野望を持ちます。元亀2(1571)年には南部高信を討ち、為信の津軽攻略が始まりました。戦に勝つために賭博場で見つけた多くのならず者を手勢に加え、あるいは婦女子を襲わせるなど、傲慢な一面もあった為信でしたが、家族に気をとられた敵方は戦に専念できずに没落。この出撃に当たり、阿保良はならず者たちに花染めの手ぬぐいに強飯を包んで与えたというエピソードがあったのです。彼らは若く美しい城主夫人からの贈りものに勇み、出陣したと言われています。
家康没後の元和3(1617)年、日光東照宮が建立され、この東照宮に津軽家が真っ先に城地を持つことが許されると、万一の場合でも東照宮を盾にすれば幕府さえも手出しができず、徳川の天下が続く限り藩の安泰が約束されたといいます。しかし、高岡城(現在の弘前城)が完成して16年後の寛永4(1627)年には落雷により天守閣は焼失、翌年三層の櫓を再建したものが天守閣となり、これを機に城名を『高岡』から『弘前』へと変更。これは天海によるもので、天台密教の真言『九字の法』から選んだものとされています。これが現在の弘前城です。
現在の弘前城の天守は、九代目藩主寧親が櫓造営の名目で幕府の許可を得て、文化7(1810)年に完成したものです。
建築年代こそ新しいものではあるものの、濠側の東・南両面には鉄扉窓をつけず、矢狭間だけの構造で、一層目・二層目にはその中央に張りをつけた切妻破風、石落としなどを設けた古形式の構造になっています。
岩木山と弘前城天守の景観はとても似合います。
晴天の真夏日に津軽のお城と遠くに聳え立つ岩木山の姿も美しいものです。ただ、いくら北東北といえど、とても暑い真夏日です・・・。
ビクティニ:津軽の山 真夏日の城 暑きかな ・・・なんてね。
ミュウ:来年のGWにまたここに来れば桜も見れるんじゃない?
にょろもう:しかし、暑いよね~。東北ってもっと涼しい所かなって思ったけど・・・。
弘前城天守に入ってみます。
ところで、本来の弘前城のイメージと言えば、石垣の一角に聳え立つ本丸を思い浮かびがちなのですが、実際には石垣に建っておらず、広場の中央(仮天守台として)に建っています。どういうことなのかというと、昭和58(1983)年に発生した日本海中部地震後に石垣の調査をした際、石垣が内濠側に約1m膨らみ、高さが30cmも沈み込んでしまっており、天守自体が全体的に傾いていることから、天守自体を移動させ大規模な石垣修理を行うことになったのです。そのため、広場に現在の天守が聳え立つ形となったわけです。
天守の移動は1年と4ヶ月もかけて現在の仮天守台に移されています。200年以上前に建てられた天守は重さ400トンもあるのにも関わらず、ジャッキやレールなどを使ってよく移動できたのはかなり驚きました。それにしても、お城の天守を移動させるのは全国的に見てもかなり異例かと思われます。
お城ならどこでも設けられた『石落とし』は言わずもがな石垣を伝って攻めてきた敵から身を守るために欠かせない仕掛けの一つです。
場内に展示されている駕籠は三代藩主津軽信義公が使用したものと思われます。また、この駕籠には『杏葉牡丹紋』の紋章が付けられています。これは為信が最高官位である関白の座を半ば強請され、豊臣秀吉に譲った近衛前久に見舞いの金品などを贈り、京都の近衛家を訪れ「公の祖父、尚道殿の落胤である」と主張。それを認めた前久は為信を猶子とした上で、家紋である牡丹にちなんだ杏葉牡丹の使用を許されたのがその所以と言われています。ちなみに津軽牡丹は杏葉牡丹の一種とされています。
三層目は日本中の名城の写真が飾られたギャラリーになっています。最近火災で消失した首里城がいち早く再建されるといいですね・・・(´;ω;`)
天守台から見た岩木山です。
現在は仮天守台から岩木山が見えますが、何年か経ち、石垣の修理工事が終わればこの光景も見納めになる日が来るのかもしれません。
昼食は弘前城北門にあるカフェにて昼食をいただきます。
ビクティニ:カレーライスだ!いただきます。
ゴンベ:いただきますだ~!
この井戸枠はもともと天守より北側の石垣沿いにあったものですが、天守の移動の際、同時にこの場所に移設したと思われます。造られた時期は不明ですが、本丸の石垣とは違う岩木山から採掘された凝灰岩から出来ているようです。
弘前公園の近くには『藤田記念庭園』があります。
弘前市出身の藤田謙一氏が大正8(1919)年に別邸を構える際、東京から庭師を招き、つくらせた江戸風な景趣の庭園で、弘前市が市政施行百周年記念事業として整備され、平成3(1991)年7月に開園しました。
まちなかにあるとはいえ、あたかも心が洗われるような景観で、多くの訪問者を魅了します。なんでも、先日に訪れた平泉の毛越寺庭園に次ぐほどの広い庭園です。池も広い回遊式庭園なので暑い夏には憩いの場ですね。ハナショウブやツツジ、滝の流れるスポットなど、心が和みます。
庭園にある回廊式の和館もどこか昔懐かしい田舎の家みたいでとても落ち着きます。回廊に飾られた金魚のねぷたも素敵です。ところで、室内に椅子が置かれていますが、何かのイベントがあるのでしょう・・・。
弘前市は城下町から和洋折衷の文化に満ち溢れています。
庭園にある洋館も洋風文化の象徴の一つです。弘前市における代表的な近代建築の担い手である堀江佐吉氏の子孫が設計及び施工にあたり、ステンドグラスや窓ガラスなど、当時からの名残と思われる物が数多く残っています。また、藤田謙一資料室があり、藤田謙一氏に関する歴史も学べます。
洋館には喫茶店も併設されており、休憩がてら大正時代当時から残る洋風な雰囲気の中で庭園を眺めながら喫茶や軽食などを楽しむことが出来ます。いくら風光明媚な庭園でもこんな真夏日に限っては暑いので、ソーダフロートを注文しました。しかし、歴史的な雰囲気が残る喫茶店で休憩ができるというのもなかなか出来ない経験です。今度、弘前市に訪れる機会があれば、ランチで是非立ち寄ってみたいものです。
さて、弘前城周辺を一通り回ったところで、観光館で買い物をしてから五所川原方面に向かいます。本当は旧弘前図書館も観てみたかったですが、残念ながら5時までにクルマを返さなければならないので、またの機会に・・・。
ビクティニ:大きなねぷたも相変わらず迫力があるよね。なんというか、厳つい形相が力強いし。
ミュウ:もう、5時までにクルマ返さなきゃ・・・。
作者:あ、そうだった・・・(岩木山のリフトが動いていたらこんなことにならなかったのに・・・orz)。
・・・というわけで、弘前市からクルマを走らせて約30分・・・。
五所川原市についた頃には既に5時を過ぎていましたが、なんとか返却できました・・・。
なんやかんやで五所川原駅まで歩いてきました。
五所川原駅からはJR五能線に乗車し、今夜の宿泊先である鰺ヶ沢まで進みます。車両はキハ40系です。五能線でも新型車両の導入が決まっているので、こちらのキハ40系も見納めになる日も近いことでしょう・・・。
18:18 JR五能線 鰺ヶ沢行 乗車。
じきじき引退が近いキハ40系の車窓から青森の穏やかな田園風景や岩木山を眺めるのもまた旅情があります。
ビクティニ:五能線は初めて乗ったけれど、昔ながらの気動車で岩木山の車窓はなかなか乙だね。
ミュウ:いい感じに日が暮れていくよ・・・。
また、JR五能線の車窓は、岩木山や風光明媚な田園風景だけでなく、日本海の車窓も楽しむことができます。我々が五能線に乗車した頃にはちょうど日本海はいい感じに夕焼けで染まっていました。
18:48 鰺ヶ沢駅に到着。
鰺ヶ沢町は、ブナ原生林などの動植物の宝庫である自然世界遺産『白神山地』のある町です。イカ漁業がさかんで、随所にイカの一夜干しやイカの浜焼きが売られているお店も多いです。また、この町のどこかのイカ焼き店で番犬として飼われている秋田犬の『わさお』も有名になっています。なんでも某テレビ番組などで『ブサかわ』で好評のようですが・・・。
ビクティニ:ここが鰺ヶ沢という町か・・・。ずいぶん穏やかな場所だね・・・。
ミュウ:ここからでも岩木山が見えるよ。
さて、鰺ヶ沢に到着した後は予め予約しておいた送迎にて今宵の宿に参りましょう。
鰺ヶ沢では、イカの他にヒラメなどの海産物が穫れることから、ヒラメの漬け丼も美味しいことでも有名のようです。本当に青森・・・いや東北は美味しいものが食べられるスポットが多いものです。
19:00頃 鰺ヶ沢温泉ホテルグランメール山海荘に到着
今宵お世話になる『鰺ヶ沢温泉ホテルグランメール山海荘』のロビーはとても広々しく豪華です。おまけにロビーから見る日本海の夕暮れも見えます。
ビクティニ:おお、これまた豪華なホテルを選んだね!しかも日本海の夕焼けも見えるよ!
ミュウ:東北ってほんとにいいところ(^^
にょろもう:夕焼けの海はいいよね・・・。
ゴンベ:もうお腹すいたっぺ~。早くごちそう食べたいっぺ~!
ドレディア:お花畑もいいけど、たまには海の景色もいいかも。
ポンチョピカチュウ(ビクティニ):今日はもう疲れちゃった・・・。もうお部屋に行かない?
館内には鰺ヶ沢町のマスコット(?)である秋田犬『わさお』とリゾートしらかみ号のねぷたも飾られています。五能線を走るリゾートしらかみ号もこのあたりではどこかの観光地を走るSLみたいに歓迎されているようですね。ねぷたのリゾートしらかみ号は『くまげら編成』でしょうか。
鰺ヶ沢のホテルは非常に豪華というだけあって、夕食もとても豪華です。
ビクティニ:お~!今日も夕食豪華だ!いただきます!
ゴンベ:ホタテの味噌汁もあるっぺ~!いただきますだ~!
ミュウ:美味しい!青森の夕食も最高に美味しいよ!
にょろもう:まるで東北が楽園みたい・・・。
夕食を食べている時にちょうど津軽三味線の演奏ショーが始まりました。津軽三味線でおなじみの『じょんがら節』をはじめ、津軽地方になじみのある曲が久しぶりに聴くことができました。
ビクティニ:去年の北海道旅行の札幌時計台で聴いて以来、津軽三味線も久々に聴いたよ・・・。相変わらず力強い音色だね。さすが津軽地方に代々伝わる文化だよ。感動した・・・。
ゴンベ:カッコいいっぺ~!
ビクティニ:明日はいよいよ『リゾートしらかみ号』に乗って、十二湖を見るんだって。リゾートしらかみ号は初めてだから楽しみだ。
ミュウ:何でも十二湖って『青池』が人気みたい。
ゴンベ:十二湖でも美味しいもの食べたいっぺ~。
にょろもう:水辺のエリアみたい。十二湖の池に入ってみたい。
ポンチョピカチュウ(ビクティニ):いやいや入っちゃダメでしょ?
ドレディア:森の中でお散歩もいいわね。
作者:明後日のかえりの新幹線と帰路ルートはどうしようかな・・・(えきねっとや時刻表でかえりの新幹線と帰路ルートの検討中)?
北東北浪漫 みちのく紀行 5日目 おわり
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