ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり、鉄道名所(景観路線や歴史ある鉄道スポットなど)スポットめぐりや風光明媚な鉄道旅、日本の観光地の歴史や景観めぐりなどを紹介するコーナーです。よろしゅうお願いします。

北海道旅日記1-2 札幌時計台

こんにちは。前回の続きです。

今回は苫小牧港までフェリーで進み、さらに高速バスに乗り継いで札幌にやってきたところです。

f:id:okuchichibu551:20190824190450j:plain

札幌テレビ塔

さて、札幌時計台付近までは高速バスで降ろしてもらい、時計台まで歩いていきます。

時計台は途中で大通り沿いにテレビ塔があるのが目印になります。ただ、札幌を散策する際、道が複雑だったりするので、よくガイドブックや地図で確認した上で散策することをおすすめします。

f:id:okuchichibu551:20190824191206j:plain

札幌時計台

ということで、札幌時計台にやってきて参りました。

ビクティニ:たくさんの高層ビルに囲まれた中に、1つだけ古い建物があるのが『時計台』なんだね。いわゆる札幌のシンボルの観光名所だ。

ミュウ:時計盤の数字もヨーロッパっぽい感じだね。

こちらの時計台はもともと札幌農学校(現在の北海道大学)における『演武場』として、初代教頭にして学長であったクラーク博士の構想し、また二代目の教頭ホイーラーが平面プランを立て、当時の開拓使の安達喜幸をはじめ主席建築技術者らの設計・監督によって明治11(1878)年10月の校地中央に建てられたものです。当初は時計台は無かったものの、黒田清隆開拓長官の指示で時計台を設置することとなり、明治14(1881)年の5月から8月頃に鐘楼を撤去し、新たに設置されたのがこの『時計台』で、その内部に『時計機械』が組み込まれています。そして、同年の12日からその時計が動き出して以来原型を保ったまま1度も止まることなく現在なおも動き続け、138年も経過しようとしています。そのことから、『日本最古の時計塔』だと言われています。また、その時計塔が建てられた当時は電気がなく、さきほども述べたように『機械構造』となっており、鳩時計や振り子式時計と同じ構造で動力には『おもり』が使われています。そのおもりは小石を木箱に積まれたもので、運針用約50kg、打鐘用が約150kgで、重りの巻き上げは人力により2週間毎に1回巻き上げが行われているようです。時計機械はアメリカのハワード製になっており、時計塔自体は玄関床から4本の独立柱で組まれ、高さ約19m、現在で言う5階建ての構造になっています。現在でも毎時ごとに鐘が鳴り響き、開拓使時代から動いてきた鐘の音を後世に伝えています。

f:id:okuchichibu551:20190825132834j:plain

絵本のサイン会

ということで、中へ入ってみましょう。・・・と思いきや何か絵本のサイン会が行われていたようです。後で読んでみたところ、時計台が刻む『刻(とき)』をエピソードにした物語のようです。

f:id:okuchichibu551:20190825133507j:plain

時計台の歴史についてのエピソード

時計塔の建設に携わったのが安達幸喜です。当初は政府の建設工事を担当する局部でしたが、北海道にも開拓使がおかれ、洋風建築を進めるために請われたのが開拓使の一員になったと言われています。開拓使が進めた中で、札幌本庁舎を始め、豊平館、札幌農学校(現在の北海道大学)の模範家畜房と言った建築に貢献したのです。その安達喜幸こそが、札幌における文化景観を創造した一人と言っても過言ではないでしょうか・・・。

f:id:okuchichibu551:20190825142227j:plain

初代教頭クラーク博士
札幌農学校はもともと東京に開拓史仮学校が開設されたのがはじまりで、明治5(1872)年に北海道の開発に従事する人材育成のため、明治8(1875年)に札幌に移転し札幌学校と改称され、その翌年に札幌農学校と改名されています。また、札幌に限らず北海道の開拓の歴史と密接に繋がっていて、札幌の発展とともに規模も拡大し、東北帝国大学農科大学、北海道帝国大学、そして現在の北海道大学へと発展しています。
この学校の目的は、北海道に近代技術を導入し開拓の人材を養成すること、そして農学や土木工学、測量、英文などの教育が求められます。そんな札幌農学校に教頭として招かれたのが、クラーク博士ことウィリアム・スミス・クラーク。この当時は教頭という立場の人が実質的な責任者かつ校内の全てを取り仕切っていたのです。

クラーク博士はアメリカ出身の教育者で、専門の植物学のみならず自然科学一般を英語で教えていました。農学校の基礎を作り、キリスト教精神を教え、生徒の中にはキリスト教徒も生まれるほどだったとか。
直接科学とキリスト教的道徳教育の指導をし、北海道開拓のみならず、その後の日本の発展に大きな影響を与えた人物を多く生み出しています。

そんなクラーク博士が札幌に滞在していたのはわずか8ヶ月と短い間だったものの、死の間際には”札幌で過ごした8ヶ月間こそ私の人生で最も輝かしい時だった”という言い残しがあったほど札幌における生活が思い出深いものだったようです。

f:id:okuchichibu551:20190825144357j:plain

黎明期の札幌農学校

明治9(1876)年当時の札幌市の人口が約3千人という誕生して間もない小規模な街の中、農学校が発足したことで、日本の近代文化の発信地の1つとして発展していく礎となったのです。

f:id:okuchichibu551:20190825145107j:plain

時計塔の前身ともいうべき『演武場』
現在の時計塔の前身にあたる『演武場』は北海道開拓の事情を背景に、有事の際に農学校生徒が屯田兵の指揮官となるとともに、開拓の指導者として強い体力を養うことを目的としたものだといわれています。このような訓練を行うための施設military hallの建設を博士は提言しました。これが『演武場』の原点です。博士の提言は明治政府、開拓使の考えとも一致し受け入れられることとなり、クラーク博士のあとを継いで2代目教頭となったホイーラー先生が基本構想図を作り、開拓使工業局主席建築技術者安達喜幸の設計、監督により、演武場が明治11(1878)年10月16日に完成しました。1階は研究室、講義室、動植物や鉱物の博物標本室として使われ、2階が「演武場」として兵式訓練や体育の授業に使われるとともに中央講堂として入学式、卒業式、催事場として使われました。また演武場は農学校生徒にとって新たな学業生活への一歩を踏み出す場所であり、また4年間の学業を無事に修了し学位の授与を受けて社会へ巣立つ晴れの場でもあったのです。

札幌市時計台:時計台のあゆみ

 

f:id:okuchichibu551:20190825150906j:plain

明治期の札幌農学校のジオラマ

現在はたくさんの高層ビルが立っているというイメージの強い札幌ですが、かつては更地が多く、周辺は農場が広がるという環境だったということを思わせます。

f:id:okuchichibu551:20190825151531j:plain

札幌時計台の特徴的な『星の飾り』

 時計台の屋根や小さな飾りに2つの赤い星の飾りが付いているのも特徴的なシンボルの1つだったりするのですが、これは『五稜星』といい、いわゆる開拓使のシンボルマークで北極星を象っています。時計台には17個の星がついていますが、実はこの星マークには意味があり、これは北の大地を開拓するという精神を持った人たちが北極星をシンボルマークにしようという意図があったからだと言われています。北海道でお馴染みのサッポロビールのマークや市営地下鉄のマークもこのような星マークが使われているのもこの地域ならではの特徴でもあったりするわけなんですね・・・。

f:id:okuchichibu551:20190825163022j:plain

農学校の食事は洋食だった


開拓使時代の食生活の一端として、農学校教師ブルックス着任の際の晩餐会の献立としては、洋食が主流だったようです。シカ、白鳥の肉料理やコーヒー、パン、アイスクリームなど、まさに典型的な洋食料理だったといえますね。農学校生徒の食事は当初は洋食でしたが、後に財政上の理由から和食になったようです。

 

f:id:okuchichibu551:20190825165602j:plain

災いから守った時計台のエピソード

明治25(1892)年に起こった大火では農学校の生徒たちが演武場の屋根に登り、降りかかる火の粉から建物を守ったというエピソードもあったようです。また、明治40(1907)年の大火に見舞われた際に郵便局が消失したことから一時的に時計台で業務したことがあったようです。それ以降、明治の後期には時計台の屋根がこれまでの柾ぶきの屋根から鉄板の屋根へと改修され、火災から守るための工夫がなされていたようです。

 

f:id:okuchichibu551:20190825170813j:plain

時計台の建築の際に使用された『柾(まさ)の木』という木材

時計台(演武場)を建築する時に使用された材木は『柾(まさ)の木』という木材が使われています。

f:id:okuchichibu551:20190825194526j:plain

時計台の塗装の変遷

f:id:okuchichibu551:20190825194839j:plain

時計台には『上げ下げ窓』が使われている

f:id:okuchichibu551:20190825195111j:plain

高階哲夫が演武場にて演奏に使われたバイオリン

f:id:okuchichibu551:20190825195333j:plain

時計台の文化にちなんだ歌などなど

f:id:okuchichibu551:20190825195534j:plain

いかがでしたか?これが札幌時計台に纏わる歴史や悲しいエピソードが込められているのです・・・。ということで、この後は青森県弘前大学の三味線サークルによる津軽三味線のイベントがありますので、夕食の後に観てみようと思います・・・。

 

続く・・・。