こんにちは。今回は松山で坊っちゃん列車に乗ったり松山城を散策しようと思います。
実は、松山市の街自体には松山城、道後温泉といったこれらの観光地の他に美術館や商業施設、船着き港などが集中的に集まっていることから、『コンパクトシティ』と言われるほど観光しやすかったりします。また、この街は『夏目漱石』という文豪の出身地で、『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』『こころ』などと言った有名な小説を書いた事でも有名なのです。
そんな松山市を散策してみようと思います。
今回紹介する『坊っちゃん列車』は伊予鉄が運営しており、こちらの路面電車(市内電車)の路線内を走っています。
なお、『坊っちゃん列車』の時刻表に関しては以下のホームページに掲載されていますので、坊っちゃん列車に乗車する際はこちらのダイヤを参考にしていただければと思います。
★平日用ダイヤ★
http://www.iyotetsu.co.jp/sp/botchan/timetable/weekday.html
★土休日・祝日用ダイヤ★
http://www.iyotetsu.co.jp/sp/botchan/timetable/weekend.html
ちなみに我々はホテルから出て、JR松山駅前から松山市駅まで路面電車で移動、さらに『坊っちゃん列車』の始発駅である古町駅まで移動しました。また、この日は平日ダイヤだったので、9:07発の坊ちゃん列車に乗車しました。
松山市駅から郊外電車で移動し、市内電車のホームで待っていると・・・『坊っちゃん列車』の登場です!
坊っちゃん列車の客車はマッチ箱のような客車になっていて、内装は完全に木製です。
ビクティニ:まるで童話とかに出て来るような汽車だね。なんか銀河鉄道の夜に出て来る汽車と雰囲気が似ているね。
ミュウ:椅子とかも木で出来ているんだね。
★坊ちゃん列車★
坊っちゃん列車の車内です。窓はいかにも大正期か昭和初期タイプのもののようです。また、案内板もレトロで、松山名物の『一六タルト』も名物になっていますね。
『坊っちゃん列車』は車窓を見れば分かるように路面電車の線路を走るため、「道路の上を走る汽車」と親しまれています。そもそも、このように『坊っちゃん列車』なのかというと明治21年に伊予鉄道が開業した当時から活躍してきた蒸気機関車がモデルになったとされており、松山市民の足として活躍してきたのです。また、この『坊ちゃん列車』の由来は、夏目漱石の小説の一つである『坊っちゃん』にてその列車を登場人物が乗っていたという説があることから、そのままタイトルとなり、『坊っちゃん列車』という名前で親しまれ、現世に至っています。
本家の『坊っちゃん列車』が走っていた当時の伊予鉄道はもともと明治20年に「日本最古の軽便鉄道」として創設され、さらに明治21年10月28日にまつ松山~三津間に鉄道が引かれた時の列車がその本家である『坊っちゃん列車(当時は本物のSL)』がその始まりだと言われています。そして、後に昭和に入ってから電車に運行形態が切り替わり、昭和6年にはお役御免になったようです。
道後温泉駅に到着した『坊っちゃん列車』。ここで機関車が転車台で向きを変えます。
昼間の道後温泉駅です。全体的にレトロで洋風な駅舎です。よく見るとスタバもあります。
ビクティニ:やっぱり西洋のレトロな建物は雰囲気が素晴らしい!北海道に行くとこういう建造物が見れるかもね・・・?
ミュウ:喫茶店もあるよ。
先程の『坊っちゃん列車』です。方向を変えた後、しばらくこちらの引き込み線で待機しています。『坊っちゃん列車』は、21世紀に入ってから間もない平成13(2001)年10月に復活を果たしました。現在では2台復活しており、『1号機関車』と『14号機関車』が活躍しています。いずれも明治製の機関車で、ドイツから輸入されています。こちらの『1号機関車』は明治21年に製造され、ドイツ国ミュウヘンのクラウ社から輸入されたものです。一方、14号機も同様にクラウ社で製造され、明治41年に輸入されました。本家の『坊っちゃん列車』の機関車は、かつて石炭と蒸気を動力源として動いていましたが、現在の『坊っちゃん列車』の機関車は『ディーゼルエンジン』を採用しています。なお、煙突から出ている煙は蒸気機関車としての演出として見立てるためのもののようです。
朝風呂に道後温泉にも入りました。
やはり本館の「道後温泉」という看板に風格が出ています。
ビクティニ:朝風呂の道後温泉も良いものだよ~。風呂上がりの牛乳もうまかったよ~。
ミュウ:さっぱりしたよ~。だけど、あそこは実質銭湯だから、事前に石鹸やタオルとかレンタルしなきゃいけないんだ・・・。
温泉街の雰囲気も庶民的ながら食事処やお土産屋が充実しています。
道後温泉駅のシャンデリアもセンスが良いものです。
松山城へはこちらの「ロープウェーイ街」をしばらく歩いた所にロープウエイ乗り場があります。そこからロープウェイ又はリフトでむかいます。
ここがロープウェイ乗り場になります。ちなみに松山城の観覧券(510円)+リフト又はロープウェイの往復分(510円)でそれらを総合券で買うと1020円です。
ロープウェイは10分おきに運行されており、リフトはいつでも行けるようです。
ミュウ:ロープウェイは早いけど、10分も待たないといけないのね。
ビクティニ:じゃあ、リフトで行くか。
ということで、リフトで松山城麓まで行きます。ちなみにリフトからは松山城や松山市の景色が見渡せます。
そして、帰りのリフト乗り場から松山城までは徒歩10分です。
松山城の城垣と櫓が見えます。松山城は『勝山(標高132m)』の山頂にそびえ立っています。松山城は賤ヶ岳(しずがたけ)の合戦で有名な七本槍の一人である加藤嘉明によって築いたお城です。慶長5年の関ケ原の戦いにおいて、徳川家康側に従軍した加藤嘉明は同7年に伊予正木(愛媛県松前町)より道後平野に位置する勝山に城郭を移し、翌8(1603)年にその城下町の名前が『松山』になったことから、後に『松山城』になっています。
ミュウ:名前としては少し似てはいるけど、このお城は高いところにあるんだね。
太鼓門です。こちらが本丸への入り口にもなっています。
松山城からの眺望1
松山城からの眺望2
松山城から見た松山市の街並みです。やはり周りは山や海にに囲まれた環境ですね。
ビクティニ:やっぱり松江城とは違って、晴天に恵まれているね。
ミュウ:夕日も綺麗に観れるのかもね・・・。昨日フェリーから観た夕日が綺麗だったね・・・。
松山城の本丸です。先日に訪れた松江城は『国宝』に指定されているのに対し、こちらは『重要文化財』に指定されています。隣のゆるキャラは「よしあきくん」という松山城のマスコットです。
大天守は三重三階地下1階の層塔型の天守で、黒船来航の翌年に落成された江戸時代最後の完全なる城郭建築を採用しています。小天守の方は二重櫓、または東櫓とも言われ、二の丸・三の丸方面の監視防衛するのに重要な位置に配置されています。それらの大天守と小天守、隅櫓をそれぞれ『渡り櫓』で結ばれ、武備に徹した天守建造物群は、日本国において姫路城と並ぶ代表的な『連立式天守』を備えた城郭が特徴的です。
筋鉄門東塀。筋金門は敵から身を守るのにとても重要な役割をしており、天守玄関といった中庭を守っていました。さらに、塀の穴は言うまでもなく射撃で敵から身を守る役割をしていました。
お城の入り口はだいたい穴蔵や石垣が入り口になっていたりします。先日に訪れた松江城は直接正面に入り口がありましたが、こちらの入り口は完全に入り込んでいます。
天守玄関の入り口。
松山城の鯱です。松江城の鯱は大きめでしたが、こちらは小さめになっています。ちなみにこちらの鯱は三都の焼き物師に雛形を製作させ、京都清水から取り寄せたものだそうです。
小天守にある巨大な弓矢。
この弓矢は式具用で上棟式に使用されたようです。
正月ということもあり、鏡餅が置いてあります。
大天守からの眺望1
松山の街並みに山並みが見えます。
大天守からの眺望2
やはり海が見えますね。
ビクティニ:松江城からは宍道湖が見れたけれど、こっちは瀬戸内海が見えるんだね。
ミュウ:山と島々が見えるね。
梅の花が少しずつ咲いていました。
お昼にはきつねうどんをいただきました。シンプルですが、とても美味しかったです。
この後は、市電で松山市駅まで移動し、そこから高速バスで福山駅まで進みます。そして福山駅から新幹線で関東へ帰ります・・・。
ビクティニ:松山城のロマンが素晴らしい!坊っちゃん列車も雰囲気がとても良かったよ。
ミュウ:道後温泉も良かったよ。
さあ、高速バスで福山駅へ向かいます。
路面電車とお別れです・・・。
途中でしまなみ海道を通過します。しまなみ海道は広島県尾道と愛媛県今治を結んでいて、全長59.4kmあります。途中で通過する島々は『大島』→『伯方島』→『大三島』→『生口島』→『因島』→『向島』の順番で通過していきます。ちなみにしまなみ海道はサイクリングロードにもなっています。
ミュウ:やっぱり瀬戸内海がきれいだね・・・。
17:50頃、福山駅到着。
夕飯は福山駅の駅ビルで食べました。
ビクティニ:いよいよ関東へ帰るのか・・・。
ミュウ:また西日本に行きたいな・・・。
この後、のぞみ56号東京行きで岐路に就きました・・・。
ビクティニ:西日本での年越しは最高だったな。
ミュウ:山陰は雨が降ったりだったけど、広島や瀬戸内海は天候に恵まれて良かったね。
この新幹線で半端なく混んでいたのは言うまでもない・・・。
正月旅行(山陰・広島・松山編)
終わり