ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり、鉄道名所(景観路線や歴史ある鉄道スポットなど)スポットめぐりや風光明媚な鉄道旅、日本の観光地の歴史や景観めぐりなどを紹介するコーナーです。よろしゅうお願いします。

平成の締めくくりは群馬の世界遺産『富岡製糸場』で。そして、群馬の名湯『伊香保温泉』で令和へ・・・。

 

皆さんこんにちは。今回は平成の終わりとともに令和を迎えるという事で群馬の世界遺産富岡製糸場』で平成最後に日を過ごそうと思います。

 

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高崎駅。お馴染みの『おぎのや』の駅弁もあります。

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平成最後の日ということもあり、また高崎駅に来る機会が多いということでメッセージも書かせていただきました。

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上信電鉄高崎駅の入り口。富岡製糸場へのアクセスは上信電鉄で30分、上州富岡駅で下車になります。また、上信電鉄へはJRの改札を出て階段を下りて0番線で乗り換えです。

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上信電鉄の周辺には『多胡碑』をはじめとする『上野三碑(こうずけさんぴ)』という三つの石碑のスポットにもなっています。時間があれば石碑めぐりもしようと思ったのですが、この日は生憎の天候ということもあり、石碑めぐりは断念してしまいました。

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ということで、富岡製糸場の往復切符(2140円)を購入して富岡製糸場を観ようと思います。そして、平成最後ということで『令和記念入場券』の販売がされていました。

やはり地方鉄道はJRとは違って優しいですね。なるほど、お馴染みの硬券なんですね。最も国鉄時代(昔のJR)なんかも硬券だったと思うのですが、最近のJRの切符はIC乗車券または磁気切符ですからねw

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こちらの電車で富岡製糸場の最寄り駅である上州富岡駅へ向かいます。

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ビクティニ:天気が雨だね・・・。

ミュウ:平成最後の日なのにね・・・。

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上州富岡駅に到着です。ここから富岡製糸場までは徒歩で行けます。

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富岡製糸場』は世界遺産にも登録されているという事ですっかり有名になっています。

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富岡製糸場にやってきました。GWという事もあり、また雨が降っているので傘をさしている人が多かったです。

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東置繭所のアーチ中央には『明治五年』の要石があります。以前の記事でも既に紹介したように明治5(1872)年に建てられ、骨組みは妙義山から伐採されたマツ・スギなどの木材が使用されています。またレンガはフランス積みで、接着法としては当時セメントが無く、「漆喰」が使われ、レンガ自体も同県甘楽町で造られたものが使用されています。

富岡製糸場見学★


富岡製糸場を見学

 

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さて、富岡製糸場といえば『ブリュナ館』(首長館)の存在も忘れてはいけません。そもそも、富岡製糸場の建設にあたっては、明治政府の依頼で当時横浜の商社で働いていた『ポール・ブリューナ』氏(フランス出身)を招いて5年間雇い入れたのがそのはじまりで、こちらの建物で住んでいたことからその名前になっているのです。

この建物は明治6(1873)年に建てられ、当時一番南の陽当たりの良い所に建てられました。また、個人の住宅としては非常に大規模で、見ての通り高床式のコロニアル様式でベランダをめぐらし、そして窓には風通しの良い板戸が取り付けられています。一見すると洋風なのですが、湿度の高い日本の気候には適しているのではなかといわれています。

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ブリューナ氏はフランス人で生糸の専門家だったことから、優遇が高かった宿舎だったのが伺い知れます。また、この建物には「地下室」があるのも特徴の一つなのですが、基本的には非公開であるため、実際に見るのは非常に難しいでしょう・・・。

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ビクティニ:ところで、なんで体育館のようなステージがあるのかな?

ミュウ:工女さんたちが娯楽でダンスや舞踊でもしていたのかも。

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平成最後の日に残る桜の花と重要文化財の建造物とのコラボレーションが素晴らしいのですが、雨も結構降っているのはいささか残念なところです…orz

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花壇とフランス積みの建造物もまた絵になりますね・・・。

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これは『セルドン鍋』といい、富岡製糸場の創業に際して導入された『フランス式操糸器』の操糸鍋で、フランスにある『セルドン村』の鍋製品製作所『マン・エ・フェス社』で製造されたものです。また、この鍋はジャムづくりなどでも使われていたようです。

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これが操糸器としては原型といえる『フランス式の操糸器』になります。これで生糸を作ることが出来るというわけなんです。このような機械がこの製糸場に約300釜フランスから輸入されて、日本で新しい機械が導入されるまで使用されました。

ビクティニ:これで織物が作れるなんて昔の人は凄いよね。

ミュウ:繭をお湯で煮て糸を吐かせるんだね。

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これは『回転まぶし』といい、『まぶし』はカイコが繭を作るための部屋となるもので、カイコが糸を吐き出すと上に登るという習性から、その習性を利用してカイコの重みでまぶしを回転させることで、カイコをまぶしに均等に分布する仕組みができるものです。そのことから、形の良い繭を効率的に作れる道具として活用されています。

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繭から出た生糸は、空気で冷却されて、こちらの『おだまぎ』という糸を巻く道具に巻かれます。

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東置繭所2階の内部です。ここで繭を保管していました。

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西置繭所はまだまだ工事中ですが、来年にはニューアルが終わりそうです。

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これは『ブリュナエンジン』と言われています。これが製糸場が創業した明治5年から約50年間、繭から生糸を作る操糸式の動力源として用いられたものです。そして、この製糸場の建設を指導した『ポール・ブリューナ』氏がフランスから輸入したのがこの機械だったことから、その由来になっています。ただ、見方によっては『ワット式』であるとか・・・。

ビクティニ:うわあ・・・。凄いな。まるでSLみたいだね。

ミュウ:これが発明された当時は化石燃料が無かったんだね。動力はどんな構造で動いていたのかな・・・。

ビクティニ:当時はお湯を沸かした蒸気が主流だったんじゃないかな。

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平成最後の日にこの世界遺産富岡製糸場』で過ごせるのはロマンの賜物ですね(笑)

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女工館及び検査人館にある『貴賓室』も特別公開されているようなので拝見させていただきました。その名の通り、富岡製糸場を訪られた貴賓(いわば身分の高い人や皇族など)が休憩された部屋として使用されたものです。また、部屋の奥にある『マントルピース』はイタリア産の大理石が使用され、建設当時からそのまま残っています。

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女工館』の回廊です。こちらの建物は明治6(1873)年に建設され、フランス人の女性教師4名の宿舎として建てられたものです。その4名の女性教師は、富岡製糸場で働く工女たちに機械製糸の技術を教えるために来日したといいます。そして、来日してからわずか3年にその使命を終えると、フランスへ帰国されたといいます。この建物は『コロニアル様式』と呼ばれ、当時の日本にはなかった建築技術が用いられていました。また、『コロニアル』とは「植民地的」という意味で、当時ヨーロッパ諸国の植民地であった東南アジアなどの熱帯国で生まれた様式です。そのことから床が高く、窓や扉には風通しの良い板戸が使用され、天井の板が格子状に組まれるなど、湿度の高い日本の気候に適した構造になっていると言われています。なお、大正12(1923)年には1階が食堂、2階が会議室に改造されているようです。これらの遺構が130年以上前のものが当時のまま残っているのは、感激です!まさに平成最後の日に昔ロマンが感じられたものです!

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ビクティニ:見て!製糸場がこの角度から見えるよ!こんな130年以上も歴史ある建物に入れるなんてある意味貴重かもね!

ミュウ:こんなに古い建物に入れる機会ってなかなか無いよね。

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操糸場は東繭置所の隣にあります。ちなみに操糸場と東繭置所をつなぐ通路が建設当時からあったようですが、後に撤去されたようです(いつかは不明)。

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操糸場の内部の屋根には『トラス構造』と言われる三角状の骨組みが用いられています。これは西洋の建築技術が用いられています。また、この建物の屋根には柱が無いため、その屋根が崩れないような構造である『トラス構造』が用いられたといいます。また創業当時からは「電灯」が無く、『明かり窓』といわれる窓から日の光を入れて、それを現在の照明代わりにしていたのです。また、蒸気を使って作業をするため、蒸気を外へ逃がすために窓を開けて作業していたようです。

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『トラス構造』の骨組みは、ボルトが用いられていますが、当時は六角形ではなくなんと『四角形』のボルトが用いられているのです!

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また、操糸場にある操糸機は日産プリンス製のものが用いられていました。

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そして、その操糸機は『繊度感知器』(2枚のガラス板の隙間に糸を通し、摩擦抵抗が少なくなると別の繭から糸の継ぎ足しをする)、『集緒機』(煮た繭から出た糸は専用の穴で撚られる。大きま節があるとここで巻取りを停止させる)、『絡交(あやかぎ)』(別の繭糸と撚り合わせる)、『小枠』(生糸を巻く)、『接緒桿』(新しい繭の糸口を繰られている繭につける)、『給繭機』(繭を供給する)、『鼓車』(撚られた糸を小枠へ送らせる)、『回転接緒機』(繭を回転させながら糸を撚る)などで構成されています。

ビクティニ:繭から糸を繰る時に「節(ふし)」がついていたりすると変な形になるから、節のある糸は取り除いて女工さんの手でまた新しい糸に付け替えたりという作業もしていたんだ。

ミュウ:これだけ大掛かりな機械をメンテナンスするのは大変かも・・・。

そして、この操糸場にあるプリンス製の操糸機は昭和62(1987)年まで稼働していましたが、現在ではこことは別の『碓氷製糸場(群馬県安中市)』で同じ機械が今でも使われています。

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繭にまるまでは、こちらの『蚕虫』で育てます。蚕虫は「桑(クワ)の葉」が餌になります。

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蚕は途中で4回ほど脱皮しますが、産まれた直後を『1齢』とし、脱皮ごとに2齢、3齢・・・と呼ばれ、5齢になると初めて繭を作るのです。繭の中で『さなぎ』になり、その後は『成虫』になり、卵を産みます。孵化から産卵まで約1か月かかるのです。

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また、繭はこの冷蔵庫に保管されます。(当時は冷蔵庫はありませんが、繭になったさなぎは殺すという作業をしていた)

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ということで、操糸器の座繰り体験に参加させていただきました。これは操糸法としては典型的なもので、繭を箒でこすって糸を取り出します。糸を取り出した繭をお鍋で煮て、それらの糸を撚ります。お鍋に入った繭を回転させるように箒でお鍋のお湯を回転させながら写真右のおだまきで巻いていきます。そうすることで、典型的な座繰りが成り立つという事なんですね!

ビクティニ:一見料理のように見えるけど、これが伝統工芸品を作っているという事なんだね。

ミュウ:織物や着物の原点にもなったのかな?

 

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さて、富岡製糸場を後に伊香保温泉に行こうと思います。

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商店街でも『令和元年』のポスターが張られていました。

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 上州富岡駅に戻ってきました。車両は旧西武鉄道の車両がとまっています。

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ビクティニ:今年で平成で菜の花が見れるのが最後なんだね・・・。

ミュウ:平成最後の春だね・・・。

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高崎駅に戻って来ました。ここからJR上越線渋川駅まで向かいます。

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一昔前は115系が走っていましたが、最近は211系が活躍しています。

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渋川駅に到着しました。ここからバスに乗り換えます。

ビクティニ:待ちに待った温泉だ~!!

ミュウ:令和に温泉は最高だよね。

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これが伊香保温泉まで行く路線バスになります。本数はそこそこあるので比較的アクセスしやすいです。車内は普通の路線バスとは違い、セミクロスになっています。

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伊香保温泉に到着です。ただ、心なしか雨は容赦なく降っています()

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伊香保温泉には昔ながらの縁日があります。主にアーチェリーや輪投げ、サッカーなどです。

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夕食(平成最後の晩餐)は伊香保のご当地ラーメン『こがねラーメン』をいただきました。塩ラーメンでしたが、スープが濃厚で麺は歯ごたえがあって美味しかったです。

ビクティニ:平成最後の最後の夕食だ~!

ミュウ:スープが美味しいね。

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伊香保名物『石段街』で平成最後の夜を迎えます。夜の温泉街は癒されますが、この日は生憎の天気なのはいささか残念なところです・・・()

ミュウ「夜の温泉街もいいよね。」

ビクティニ「平成最後は有名な温泉地で過ごせるのは良い事だよ。だけど雨じゃなぁ…」

にょろもう「ぼくは雨でも良いんだけどね。」

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下へ降りていくと階段中央部には温泉が流れています。湯けむりの温泉街は良いですね~。

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昔はここまで路面電車が走っていたんですね。

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今宵で平成最後の日に宿泊した宿は『旅館 松本楼』です。まさに平成最後の日にふさわしい温泉宿ですね~。

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ビクティニ:お風呂にはいってこよ~♪

ミュウ:外は雨で寒かった・・・は~っくしょん!!

にょろもう:むしろ雨気持ちよかった~♪

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ビクティニ:お風呂から上がったらマリオストーリーやって、その後はEDで令和を迎えるぞ~。

ビクティニ・ミュウ・にょろもう:5・・・4・・・3・・・2・・・1・・・『令和』おめでと~う!!!

ミュウ:ついに新しい時代だね!!

にょろもう:新しい時代を迎えてものんびりしたいなあ。

ビクティニ:令和になったからには夏に北海道へ行こう!!!

こうして、新天皇がご即位になられ、年号は『平成』から『令和』に変わり、新しい時代の幕開けとなったのでありました・・・。

 

さようなら平成・・・そして、こんにちは『令和』!!

ということで、時代が変わっても当ブログをどうぞよろしくお願い致します!