ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり、鉄道名所(景観路線や歴史ある鉄道スポットなど)スポットめぐりや風光明媚な鉄道旅、日本の観光地の歴史や景観めぐりなどを紹介するコーナーです。よろしゅうお願いします。

世界遺産に登録された富士山と三保の松原・日本平を訪れる

皆さんこんにちは今回は世界遺産に登録された『富士山』をはじめ、『三保の松原』『日本平』に行ってきました。今回は路線バスで『三保の松原』『日本平』を回ってきたのでその内容をお伝えしようと思います。

 

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バス停から見える富士山

『三保の松原』へのアクセスはJR清水駅または静岡鉄道新清水駅から路線バスで約20~25分になります。『三保の松原入口』というバス停にて下車。

 

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羽衣伝説ゆかりの神社『御穂神社』

バス停から歩く途中にある『御穂神社』は世界遺産である三保の松原の近くにある神社です。

こちらの神社は『羽衣伝説』に纏わる歴史のある神社で、日本武尊が東征のおりに立ち寄ったとされる古社で、平安時代の書物にも記録が残されています。毎年2月中旬に行なわれている『筒粥(つつがゆ)の神事』でも知られ、古来より朝廷を始め武将などの信仰を集め、現在も家内安全、縁結び、交通安全、安産子育など、また海の神として信仰される由緒のある神社です。三保の松原に訪れた旨に参拝してみても良いかもしれません。

 

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御穂神社 神の道
『神の道』といわれる参道に生える松並木は、御穂神社と御神木とされている『羽衣の松』をまっすぐ結ばれています。この参道の両脇には樹齢200~400年の老松が茂っており、江戸時代は半島全体が松に覆われるほど松の木がたくさん生えていたといいます。しかし、明治維新後は御穂神社と三保松原周辺の大半の松は旧幕臣などの手によって伐採されてしまったものの、海岸沿いの松原とこの参道周辺の松は『神域』として残されているのです。現在は遊歩道として整備され、夜になるとライトアップされます。

ビクティニ:この世界遺産の地に纏わる『羽衣伝説』はこの松の木から始まったとされると言われているのね。心が洗われるね・・・。

ミュウ:松の木からパワーを感じるね。

 

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羽衣の松

これが、天女が羽衣を掛けたという『羽衣伝説』で有名とされる『羽衣の松』です。

『羽衣伝説』は次のような物語があります。

三保に白龍(はくりょう)という名の漁師がいました。
今朝も三保の松原で釣をしておりました。
見慣れた浜の景色ですが海原に浮かぶ春の富士はとりわけ美しく見えました。

と、どこからともなく、えもいわれぬ良い香りがしてきました。
香りに惹かれて行ってみると一本の松に見たこともない
美しい衣が掛かって風に揺れていました。

「何てきれいなんだろう。持ち帰って家の宝にしよう。」
そういって衣を抱え家に持ち帰ろうとしたその時です。
「もし、それは私の着物です。」
木の陰に美しい女の人が立っていたのです。

「私は天女です。その衣は羽衣といってあなたがたにはご用のないものです。
どうぞ返して下さい。それがないと天に帰れません。」
白龍はこれがかの天の羽衣かととても驚きましたが、
天女の悲嘆にくれた姿を見て羽衣を返す気持ちになりました。

「返すかわりに天人の舞を舞って下さい。」
天女は喜んで承知しましたが
「羽衣がないと舞が舞えません。まず羽衣を返して下さい。」と言うのです。

白龍はふと思いました。羽衣を返せば舞を舞わずに帰ってしまうのではないか。
すると天女はきっぱりと答えました。
「疑いや偽りは人間の世界のことで天上の世界にはございません。」

この言葉に白龍は自分がすっかり恥ずかしくなりました。
羽衣を身にまとうと、天女は優雅に袂を翻し、舞いを舞いはじめました。
どこからともなく笛や鼓の音が聞こえよい香りが立ちこめます。
白龍があっけにとられて見とれているうちに天女はふわりふわりと天へと上り
だんだん高くなったかと思うとみるみる内に愛鷹山から
富士の高嶺に、霞にまぎれて消えていきました。

・・・というように、この『羽衣の松』とされる大きな一本松で羽衣と天女に纏わる伝説が今でもなお伝えられています。また、羽衣伝説の舞台とされる三保の松原は、15世紀に作られたといわれる謡曲『羽衣』によって一躍有名となり、毎年10月に能楽として今でも披露されています。長唄、筝曲、舞踊、浮世絵、歌舞伎などを通じた簡明かつ幻想的な『羽衣』の物語はあまりに有名で、教科書や唱歌にも載るようになったそうです。

 

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世界遺産 富士山

 そして、世界遺産の象徴である富士山三保の松原の最大の見どころといえば、駿河湾の向こうに見える富士山が有名です。

これぞ『浮世絵』『日本絵画』で描かれている“三保の松原と富士山のコントラスト”なのです。これは江戸時代の歌川広重が描いた東海道五十三次『江尻』にもあるように、松林の緑打ち寄せる白波海の青さ富士山が織りなす風景・・・まさに『東海道のロマン』を思わせる風物詩の一つと言えるでしょう・・・。

ビクティニ:素晴らしい!青く晴れた空に海の向こうにそびえ立つ富士山・・・まさに東海道ならではのロマンだ!

シャワさん:歌川広重も晴れた富士山を見たことだろう・・・。

ゴンベ:大きいっぺ!

ミュウ:うっすら見えるのがまたいい雰囲気だね!

 

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静岡名物 安倍川餅
静岡名物のスイーツである『安倍川餅』もおすすめです!

ゴンベ:安倍川餅食いたかったっぺ!

ビクティニ:マカロンもいいけど、餅系のスイーツは大好き!

 

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日本平の桜

続いて、日本平にやってきました。日本平からでも富士山が綺麗に見えるスポットになっていることでも知られています。この時期は桜も咲いています。

ビクティニ:静岡の春は早いね。桜が咲いている。

ミュウ:綺麗だね。今日は暖かいものね。

 

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昼食
昼食は日本平のレストランにて、静岡らしく茶そば桜えびのかき揚げをいただきます。

ビクティニ:これが茶そばか・・・。美味しそう!いただきます!

ゴンベ:桜えびうまそうだっぺ!いただきますだ~!

 

 

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日本平夢テラスから見る富士山と駿河湾

日本平から見た富士山は大変有名です。

この高台から見える青く晴れた富士山の姿こそ、古くから景観の地として親しまれてきたこともあり、歌川広重が描いた富士山をはじめ、数多くの絵画に描かれてきたのです。実は、この富士山には『古事記』『日本書紀』に登場するヤマトタケル(日本武尊)に纏わる神話や、富士山を飛び越えた聖徳太子竹取物語天人伝説など・・・数々の神話と伝説が残されているといわれています。この写真の右下には先ほど訪れた『三保の松原』があります。

 

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日本平から望む富士山
晴れた日には美しい姿を見せる富士山の見える『日本平』という名前がついたのは、幕末の安政年間の記録で初めてその名前が登場したのが始まりといわれています。そして、日本平から見る富士山の景観が美しいと親しまれたことから、『日本百景』『日本観光地百選』などにも選ばれています。

ビクティニ:日本平から見る富士山が最高!まるで東海道五十三次を思わせる景観だ!昔の人はこんなきれいに見える富士山を見て魅了したのかな。

ミュウ:海と富士山が綺麗!

シャワさん:駿河湾と富士山のコントラストがいかにも東海道の雰囲気が出ているね。右下には僕たちが行った『三保の松原』が見える!高台から見ると立体感のある駿河湾と富士山のパノラマがダイナミックだ!

ゴンベ:富士山と海が絶景だっぺ!さっき食事したテラスからみる富士山は最高だったっぺ!

 

★日本平夢テラスへのアクセス★

<車> 東名高速 清水ICから30分または東名静岡ICor新静岡ICからパークウェイ経由で30分

<交通機関> バス:JR静岡駅から『日本平ロープウェイ行き』ジャストラインバスで40分。『日本平夢テラス』にて下車(580円)。またはJR清水駅から『日本平ロープウェイ行き』日本平シャトルバス(清水日本平線)にて35分。『日本平夢テラス』にて下車(510円)。

 

タクシー:静岡駅から25分(約4200円)

     清水駅から20分(約3300円)

     東静岡駅から10分(約3200円)

 

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日本平ロープウェイ乗り場
日本平から久能山東照宮へのアクセスはロープウェイで行くことが出来ます。日中ならおおむね10分間隔で運転されており、所要時間は5分となっています。

日本平ロープウェイの各のりば料金とロープウェイ乗り場・日本平夢テラスへのバス時刻表はこちら↓

ご利用案内 | 静鉄グループ 日本平ロープウェイ

 

 

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久能山東照宮 参拝初穂料
久能山東照宮に参拝する際、日光東照宮や厳島神社と同様に初穂料が設定されています。大人1人につき500円です(子供は200円)。

 

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久能山東照宮 楼門

 境内に続く石段を登ると『楼門(ろうもん)』をくぐります。

『楼門』は重要文化財に指定され、赤塗二階建ての門が特徴的です。軒下中央に第108代後水尾(ごみずのお)天皇によってお書きになられた宸筆『東照大権現』の扁額が掲げてあることから、『勅額御門(ちょくがくごもん)』という別名にもなっているのだそうです。 門の蟇股(かえるまた)に獏(ばく)の彫刻が彫られており、これは鉄や銅を食料とすることから平和の象徴とされるといわれています。

 

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久能山東照宮 唐門

楼門をくぐると久能山東照宮の境内になります。

久能山東照宮の境内には『神厩(しんきゅう)』『鼓楼(ころう)』『神楽殿(かぐらでん)』などがあります。これらはいずれも重要文化財に指定されています。かつてこの場所には三代将軍家光公の命により寛永12年(1635)に着工、寛永13年正月に完成、高さ約30メートルの五重塔がありました。『唐門』の中には拝殿(御本殿)があり、屋根は銅瓦本葺黒漆塗の四方唐破風造になっています。羽目板に唐獅子牡丹、黒松に鳥の透彫が彫られています。

ビクティニ:梅の花が咲いている・・・。

ミュウ:静岡の春は早いね・・・。

 

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日枝神社
御本殿の右隣には日枝神社が鎮座されています。御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)になります。 創建当時は本地堂(ほんじどう)として薬師如来像(東照大権現の本地仏(ほんじぶつ))が安置されていたものの、明治時代の神仏分離の際に仏像を移し、楼門内東側に鎮座していた山王社(さんのうしゃ)の御神体を納め、社名を日枝神社と改められています。こちらの神社も重要文化財に指定されています。

 

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御神殿

御祭神徳川家康公を祀る『本殿』と参拝をするための『拝殿』を『石の間』で連結した『権現造(ごんげんづくり)』と呼ばれる様式で、かの有名な日光東照宮などをはじめ、全国に数多く創建された東照宮の原型となったのです。

元和3年(1617)に建立し、江戸幕府大工棟梁中井大和守正清の代表的な遺構のひとつであるとともに、江戸時代を通じて権現造社殿が全国的に普及する契機となった最古の東照宮建築であることから、平成22年(2010)国宝に指定されました。また、こちらの東照宮は徳川家康の遺言に基づいて築かれたものといわれています。そう、戦国時代の江戸幕府初代将軍で有名で、歴史の教科書などでもよく出てくる徳川家康と静岡の地は深い関係にあり、家康ゆかりの地でもあるのです。

ビクティニ:(二礼二拍手一礼)コロナウイルスが早く収まりますように・・・。そして、これからGWに北海道へ行くので、今度こそ悪天候になりませんように・・・。

ミュウ:ティニくんとまた旅行に行けますように・・・。

 

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久能山東照宮 御本殿の彫刻

東照宮のいたる所にこのような彫刻が飾られています。

日光東照宮とほぼ同時期に造営された荘厳な社殿には当時一流の職人たちによる見事な彫刻が施されています。これらの彫刻には意味があります。実は家康の願い哲学が込められているという意味合いがあります。例えば、御本殿にある彫刻は『司馬温公の瓶割り』。昔あるとき、かくれんぼをしていた子どもの一人が、大きな水瓶の中に落ちてしまいました。その水瓶はとても大切なものだったので、壊していいかわからず迷っている子どもが多い中、司馬温公は迷わず瓶を割って友達を助けたという中国の故事を描いたものから、『命の尊さ』を説いているといわれています。

 

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神廟(しんびょう)

神廟は本殿の後方にある廟門より約40段の石段を登った所にあります。

御祭神徳川家康公の御遺骸を埋葬し奉ったもので以前は御宝塔と称えていました。 元和2年(1616)の創建当初は木造桧皮葺の造りであったものの、寛永17年(1640)に3代将軍徳川家光公により現在の石造宝塔に造替されました。宝塔の高さは、5.5メートル、外廻り約8メートル、前面に唐戸があります。軒の四隅に唐銅の風鐸が掛かっています。この神廟は家康公の御遺命により西向きに建てられており、西の方には公の御両親が子授け祈願の参籠をされたという言い伝えを持つ鳳来寺があります。さらにその西に岡崎の松平家の菩提寺大樹寺、家康公誕生の地である岡崎城があり、その延長線は京の都へと続いています。こちらも重要文化財に指定されています。

 

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徳川家康 御遺訓

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徳川家康

徳川家康公生涯をかけて平和な国づくりを成し遂げられた理念や理想の精髄は「人の一生は・・・」ではじまる『東照公御遺訓』として今でもなお現世に伝えられています。

これは御遺訓に示された人生訓こそ、まさに御生涯から生まれたものであり、徳川家康公の御精神そのものであると言えると思われます。一見簡単な言葉で書かれていますが、実行なかなか難しいものです。それでも家康公はこの御遺訓通りの御生涯を歩まれ、世界に類を見ない長期平和の礎を築かれたのです。そのことから、家康公の『命の尊さ』が今でも語り継がれています。徳川家は『江戸幕府の将軍』であり、家康をはじめ秀忠、家光、家綱・・・と15代目まで続いていたとされています。中でも秀忠がNHKの大河ドラマにて浅井三姉妹の夫として登場していることでも有名です。

 

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久能山のお抹茶
静岡は茶処で有名ということもあり、久能山ではお抹茶が提供されています。

 

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久能山東照宮の御朱印
久能山の御朱印は受付する時に御朱印帳を事前に出すと書いてもらえます。

 

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一ノ門から見る駿河湾
久能山の山麓までは御本殿から1159段もあります。久能山は標高216mと登山でいうなら、ハイキングコースみたいなものですが、ここを下る石段は自然な形で出来ているため、お年寄りの人には大変かも知れませんね・・・。一ノ門から駿河湾が見える海岸線が美しいものです。

 

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久能山の名物『石垣いちご』

久能山の麓では『石垣いちご』などが栽培されています。

これは明治時代に久能山東照宮に奉仕するにあたり、松平健雄宮司より託された苺苗を玉石の間に植え、当時は温室のなかった時代の中、地道な観察や研究の末、冬でも石の輻射熱で苺の栽培ができ、甘く香りのある実をつけることが実証されたのがそのはじまりです。昔はその名の通り石垣に苺苗を植えて栽培していましたが、現在ではコンクリート板を使った栽培がされています。厚さ2cm、縦15cm、横45cmのコンクリート板上部に15cmおきに3箇所、ノコギリ状に切込みを入れます。その板を崩れにくいとされる60~70度の傾斜をつけ、その切込みに苺苗を植えて栽培します。日光を直角に受けるとともに、この海岸線で育つため、海面からの放射熱を受け、保温効果を高めることで、果実の熟成を早めることが出来ます。これが『石垣いちご』の美味しさの特徴といわれています。久能山麓のいちご狩りは観光いちご狩りとしてはパイオニアとされ、今でも日用品や土産物として親しまれています。ちなみに私は日用品として持ち帰らせていただきましたw

 

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久能山下バス停
一応、JR静岡駅・清水駅とともに久能山麓までのバスが出ておりますが、久能山下バス停から久能山東照宮日本平へ行くのであれば、本数は少ないので(特に清水駅方面)訪れる際はよく時刻表を調べてから行くことをおすすめします。

 

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・・・ということで、今回の静岡旅はここまでになります。皆さん、ここまでのご拝読ありがとうございました。

 

『世界遺産に登録された富士山と三保の松原・日本平を訪れる』をお伝え致しました。