ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり、鉄道名所(景観路線や歴史ある鉄道スポットなど)スポットめぐりや風光明媚な鉄道旅、日本の観光地の歴史や景観めぐりなどを紹介するコーナーです。よろしゅうお願いします。

正月旅行 厳冬の山陰旅 縁結び“出雲大社”に参拝&国引きの舞台“稲佐の浜”を鑑賞

皆さんこんにちは。

昨日に日御碕の夕日を眺めまして、出雲大社の近くにあった旅館に宿泊しました。ということで、今回は久々に出雲大社へ参拝してきました。

 

出雲大社は古くから『縁結びスポット』として親しまれています。

 

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出雲大社 入り口

出雲大社の正面入口です。大きな鳥居『出雲大社』の石碑がとても立派です。

ここは『勢溜(せいだまり)』といい、基本的には出雲大社へ参拝する際の定番的な入り口ともいうべき場所です。実は出雲大社境内までの参道にある鳥居はすべてで4箇所あります。そのうち、出雲大社の入り口にあるこの鳥居は二の鳥居(手前から2番目の鳥居)です。ちなみにこの広場が『勢溜』といわれているのは、江戸時代にお芝居で催され、多くの参拝者で人の勢いが溜まるということから、その名前になったとされているそうです。

大鳥居の背後の松林が荘厳さを物語っています。ただ、この時期は年末なのにも関わらず、参拝者はいつもより少なく、わりと閑散としているようです。そのおかげで落ち着いて参拝できましたが、GOTOの取りやめで観光客の少なさにはやや寂しく感じます。

ビクティニ:久しぶりの出雲大社参拝か・・・。ちょっぴり懐かしい。前の時と違って参拝客は少ないが、静かで落ち着く・・・。

ミュウ:さて、参拝に行こう。参道を歩くときは必ず道の端っこを歩かないとね・・・。

作者:真ん中は神様たちが通る道と言われているから参拝者は右か左かのどちらかを歩くのがマナー(できれば左側が基本)。

 

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三の鳥居と松並木の参道(松の馬場)

祓橋を渡るとまた松並木の中大きな鳥居が現れます。

松並木の参道にある鳥居は三の鳥居(3番目の鳥居)です。たくさんの松の木に囲まれた参道とても荘厳な雰囲気で、いかにも神様が宿っていることを想わせます。ここも先ほどの参道と同様に、中央は神様たちが通る道ということもあり、参道の中央には松の根が保護されているため通れないので、参道の端を歩きましょう。
三の鳥居のある松並木の参道(またの名を『松の馬場』)には約千本の松の木が植えられています。これらの松の木は江戸時代初めの寛永年の間(1624年〜1645年)、松江藩主であった堀尾忠氏(ほりおただうじ)の夫人であり前田玄以の娘でもあった長松院(ちょうしょういん)が、祈願成就の御礼に千本の松の木を奉納されたものといわれています。中には樹齢4百年を越える松の木もありますが、近年では江戸時代に生えた松の木は数十本にまで減少しつつあるようです。なお、この松並木は『日本の名松百選』にも選定されています。

ビクティニ:松の木がたくさん生えていて、清々しい雰囲気だし、人も少ないから落ち着いて気楽に参拝ができそう・・・。

ミュウ:前に来たときはもっと人が多かったもんね・・・。

 

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出雲大社境内入り口 四の鳥居

松の参道を抜けた先には出雲大社境内の入り口である『四の鳥居』が見えてきます。そして、『四の鳥居』の奥には拝殿御本殿が見えるのがおわかりいただけるかと思います。

『四の鳥居』『銅の鳥居』という別名があり、この鳥居は長州藩の二代藩主である毛利綱広が寄進したものとされています。よく見ると境内は荒垣に囲まれており、いかにも神聖な場所であることを物語っています。『四の鳥居』入り口付近には手水舎があり、ここで両手や口の中をお清めしてから境内に入ります。ただ、以前は柄杓が設置されていましたが、最近は例の病気の影響で筒から水が流れるタイプのものに交換されているようです。

ビクティニ:さて、あの鳥居をくぐれば出雲大社境内だよ。ここまで来ると心が洗われる・・・。

ミュウ:ここで両手や口をよく清めてから参拝しよう。でも清め方が前よりちょっと違うね・・・。

 

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出雲大社 拝殿

『四の鳥居』をくぐれば、いよいよ縁結び出雲大社の拝殿が目の前に現れます。

出雲大社の境内に入ったら必ずお参りするべき存在感を漂わせ、出雲大社特有の特徴ともいうべきである大きなしめ縄が吊るされています。

このしめ縄(注連縄)は約1トンものの重さ長さが6.5メートルあり、とても大きいものです。こちらの拝殿は現在のもので昭和34(1959)年5月に建てられたもので、十分に年季を感じさせます。我々はお参りした後、ご祈祷もしてきたのですが、出雲大社におけるご祈祷は、必ずこの拝殿の殿内で行われます。他にも古伝新嘗祭などの特別なお祭り、様々な奉納行事もこの拝殿で行われます。
もともとあった古い拝殿は昭和28(1953)年の不慮な火災によって焼失されたそうです。その後は新興の事業に着手、ただちに高松宮宣仁親王を総裁にいただき、全国の崇敬者の方々の浄財によって、その6年後の昭和34年に戦後の本格的な木造建築として屈指の規模を誇る新拝殿が完成したものが現在の拝殿です。ちなみに、この拝殿を建てる総工費は1億1千万円かかったとされています。
ところで、このしめ縄は他の神社とは違って一回り大きなしめ縄が使われているのは一般的によく知られていますが、実は他にも特徴的な意味があります。それは、しめ縄が逆向きに巻かれているということです。それはどういうことなのかというと、これは出雲大社に祀られている大国主命(オオクニヌシノミコト)の他に様々な神様たちが宿られているという存在を示すという意味合いから逆向きになっているという言い伝えがあるからなのです。そして、一般的にはご存知の方はあまりいらっしゃらないかと思いますが、実際はこの本殿には大国主命の他に五柱の神が祀られているといわれています。その五柱の神は以下の通り・・・
  • 天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)
  • 高御産巣日神(タカムスヒノカミ)
  • 神産巣日神(カミムスヒノカミ)
  • 国之常立神(クニノトコタチノカミ)
  • 豊雲野神(トヨクモノノカミ)
なんでも天地開闢の始神(いわばはじまりの神々)ともいうべき神々とされています。そのはじまりの神々とされる五柱の神々を尊重していることから、大国主命の右側(参拝者から見れば左側)に祀られています。神道においてしめ縄でいうと神様(拝殿側)から見れば、右側の方が神の力があるとされているからなのです。すなわち、正面(参拝者)から見れば左の方ほど上位とされているということなのです。そのことから、このしめ縄は、正面からよく見てみると左側が太く、右側が細く(神様から見れば左側が細く、右側が太い)見えるのです。
参拝時に忘れてはならないのが、普通の神社なら『二礼二拍一礼』ですが、ここでは『二礼四拍一礼』ですので、間違いのないようにご注意を。

ビクティニ:しめ縄が大きくて立派だね~。ここでは二礼四拍一礼だったな・・・。(二礼四拍一礼)来年度は平和に暮らせますように・・・。

ミュウ:1日でも早くコロナが終息しますように・・・。

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出雲大社 御本殿

 

出雲大社の中枢かつ象徴的ともいえる御本殿には大国主大神(オオクニヌシオオカミ)が祀られています。

先ほど参拝した拝殿とは違って、一層荘厳な雰囲気が漂っています。

こちらの御本殿は、江戸時代の延亨元(1744)年に建てられた大昔のもので、高さが24メートル、平面規模は柱間が10.9メートル四方の大きさを持つ、木造の本殿建築としては国内最大級の規模となっています。芸術的かつ日本最高峰の建築技術を誇る『大社造(たいしゃづくり)』という日本最古の神社建築様式で造られており、国宝としても指定されています。そのため、我々参拝者はもちろん、芸術家で有名な岡本太郎でさえも魅了されるほど注目されます。
御本殿内は大国主大神の御神体そのもので、社殿が南を向いているのに対して御神体は西を向いています。これは御神殿の構造や西の方角を鎮護するためとされています。我々参拝者はまず見ることができませんが、御本殿の内部の天井には極彩色が豊かな『八雲之図』という天井画が描かれています。これは名前通りに雲の数が『八』でなく『七』になっているのには、『八』は永遠を示す数字とするために、その手前の『七』で蘇りを表しているという言い伝えがあるそうです。
そして御本殿の最大の特徴といえば、『大社造』特有の『田』の字型に組まれた九本の柱(中央の柱には『心御柱』という神聖な柱が立っている)で支えられた正方形の間取で模っており、高床式(床が高い位置にある)が用いられていることです。これは古くから高さを追求した『高層神殿』を構想したものと思われます。また、正面が『妻入り(正面から見て屋根が開いた本を伏せるような形に見える位置に入口がある構造のこと)』であることや、屋根のてっぺんには『千木(ちぎ=二本の柱を交差させたもの)』『勝男木(かつおぎ=鰹節の形状に似ていることからついた装飾)』『鬼板(おにいた=銅板でできた装飾)』などで装飾されているのも『大社造』の特徴の1つです。この様式は出雲地方の神社特有のもので、この神社に限らず、美保神社、須佐神社、神魂神社などでもこのような様式が用いられています。なお、ある一説によると、古代の本殿は高さ48メートルというとんでもない巨大神殿が存在していたという説があるようです。

 

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西神苑のウサギたち

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御本殿裏のウサギたち

出雲大社の界隈には至るところにウサギの像が鎮座されています。

これは『因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)』に登場することに由来しています。大黒様(大国主大神)が神々の従者となり、大きな袋を背負いつつ因幡に赴かれている途中で毛皮剥がされて苦しんでいるウサギに出会います。隠岐の島に住んでいたウサギがワニ(サメのこと)と自分の仲間とのくらべっこで数えるふりをし、ワニたちをだまして海を渡るための足場にしてしまったことで彼らを怒らせて皮を剥がされます。そこにたまたま通りかかった大黒様に治療しようとするも、大黒様の兄神たち乱暴者かつとても意地悪で、海水に浸して風に当たらせるなど、余計にそのウサギを苦しませました。大黒様も彼らに苦しまれたことがあり、時には殺そうとしたほど冷酷だったそうです。とんでもない神様もいたものですね!しかし、あまりの惨状に感じた大黒様は今度は川の真水で洗い蒲花の上で寝かせることで元のウサギに戻りました。こうして大黒様がウサギを助けたという伝説は物語として古事記にも記されています。そのことから、『ご慈愛の御神像』といわれる『因幡の素兎』がモチーフとなった大国主大神とウサギの青銅の御像の他に現在46羽のウサギたちが祀られています。

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ご慈愛の御神像

その物語を通せば、大国主大神はとても優しい心の持ち主の神様であるということを思わせます。

ビクティニ:『いなばの白兎』ってなんか泣けるな・・・。大黒様って本当に優しい神様だったんだな・・・。なるほど、もしかしたらその物語こそまさに『縁結び』といわれる所以なのかもしれない・・・。

ミュウ:大黒様の兄神はとんでもない神様だったんだね・・・(怒)

 

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摂社【素鵞社】

出雲大社御本殿の周りには摂社末社があります。

素鵞社は天照大御神の弟神である素戔嗚命(スサノオノミコト)が御祭神とされています。出雲国において有名な神話とされるヤマタノオロチ退治に活躍されました。また大国主大神の親神でもあり、大神国づくりの大任を授けられたとされています。いわば、この御社こそ大国主大神の生みの親のようなものですね・・・。また、有名な神話に登場し、出雲の開拓にも携わった素戔嗚命を祀るこの素鵞社こそ本殿の周りにある御社群の中でも一番の御神気が強いといわれています。
ところで、この御社には秘密があり、稲佐の浜から採ってきた砂を拾い、この御社に参拝してこの御社の床下にある砂箱にお供えすると、その砂箱にある御砂を持ち帰ることができ、その御砂にはご利益があるといわれています。もし、素鵞社の御砂をいただきたいなら、まずは稲佐の浜に訪れ、そこで砂を拾ってから出雲大社参拝に行かれた方がよいかと思います。

 

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末社【十九社】
末社である十九社です。
普段は全国の八百萬の神々への遙拝所(ようはいじょ)になっていますが、旧暦10月(神無月)には全国の神々が大国主大神にお集りになられ、人々の幸福や生成発展などの神議なさる神在祭(じんざいさい)が斎行されます。その間は神々の宿所となり、特に神無月の時期に参拝するとより御神気をいただけます。ちなみに旧暦10月(神無月)は現在でいうと12月上旬のことなので、よりパワーをいただきたいなら12月上旬頃がいいのかもしれません。しかし、祭事以外の時期は遙拝所、すなわち、全国の神様へのお願い事をする郵便局のようなもので、神在祭の時期以外に参拝しても全国の神様にそのお願いごとは届くはずなので、どんな時期でも来たら参拝しておいても損はありません。

 

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末社【釜社】
釜社には宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)が祀られています。素戔嗚命の御子神であり、食物を司る神様です。全国のお稲荷様の御祭神でもあります。毎年11月23日に行われる『古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)』の終段では、この社の御神体を拝殿に奉遷し、御釜の神事が斎行されます。そのお祭りは最も重要な祭事とされ古くから奉仕されています。

 

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出雲大社 神楽殿

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神楽殿の大注連縄

もともと『風調館(ふうちょうかん)』といわれていた神楽殿は本来、千家國造家(出雲大社宮司家)の大広間として使用されていました。

明治期に入ると出雲大社教の神殿としても使用され、現在では國造家大広間、また出雲大社の神楽殿として祭事やご祈祷だけでなく、神前結婚式も執り行われています。

この神楽殿は出雲大社教が特立百年を迎えた折に現在の神楽殿として建て替えられたものです。その大広間は270畳分の広さを持ち、さらには神社建築としては珍しく正面破風の装飾にはステンドグラスが用いられています。
正面に吊るされた大注連縄(おおしめなわ)長さ約13メートル重さが5.2トンと先ほどの拝殿のしめ縄より長さが2倍、重さがなんと5倍以上あります!この大注連縄は数年に一度新しい大注連縄に懸け替えられます。神楽殿に吊るされている大注連縄には同県飯南町から採られた稲藁が材料として用いられ、さらにその重い大注連縄を吊るすために用いられる『吊り木』も飯南町から採られた樹齢150年の檜が使われています。直径65センチ以上、長さ20メートル以上の真っ直ぐな檜が条件とされています。また、付け替えだけでも丸一日かかります。大注連縄作りから付け替えまでの工程を考えれば、とても大掛かりな作業であるということが分かります。

 

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出雲大社を参拝した後は名物の『出雲そば』をいただこう

さて、出雲大社に参拝が終わったお昼時、名物の出雲そばをいただきました。

出雲そばは文字通り出雲地方を代表するべき食文化の一つとされています。普通のそばより若干黒っぽいのが特徴です。普通のそばならそばの実の中心を使った白い粉を使った、いわば更科そばが一般的ですが、出雲そばの場合は粉の選別はせずに殻のついたまま(玄そば)で挽くという製法になっています。そのため、見た目が黒っぽく香りが際立ち栄養価も高く、風味や食感がまさに『日本のそば』そのもののそばが堪能できるということなのです。

出雲そばは一般的に『割子そば』というイメージを持たれがちですが、私としてはざるそばにしても天そばにしても似合うと思います。むしろグルメな私には天丼と出雲そばとのコラボレーションこそ、出雲ならではのグルメです。

ビクティニ:出雲といったら言わずもがな『出雲そば』が一番!やはり出雲そばは他の地域で食べるそばより芳醇な香りでコシも強いから食べごたえがあるんだよね。いただきます!

ミュウ:天丼も美味しいよ!

にょろもう:そば湯もお茶感覚で飲めるから美味しい!

 

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出雲名物『ぜんざい』

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ぜんざいと一緒についてくるおみくじ

出雲といえば、ぜんざいも名物の一つです。

出雲大社の神様は、あらゆる『結びの神様』です。縁結びや子宝の縁はもちろん、友人や仕事関係の縁などの縁も結んでくれることから、パワースポットとしても知られています。そのパワーから縁結びと名物のぜんざいは関係していると言われています。餅と小豆で雑煮を作った『神在餅』を由来とする説があるとされ、もともと出雲地方では神前へのお供え物として捧げられたといいます。全国から神々が集まる神無月(旧暦10月)の『神在祭』でも振る舞われ、出雲弁のなまりで『ずんざい』と呼ばれ、さらに京(現在の京都)に伝わったことで一般的に『ぜんざい』と呼ばれるようになったのがそのはじまりだといわれています。
そして、個人的に出雲大社参拝後のおやつやスイーツでおすすめしたいのがこちらの出雲大社勢溜前にあるご縁横丁『ぜんざい餅』がおすすめです。ここでは普通のぜんざいの他に抹茶を使ったぜんざい夏季限定の冷やしぜんざいなどがあります。また、ぜんざいを注文すると縁みくじもついてくるので、縁結びの運試ししてみるのもいいかもしれません。ちなみに私は『吉』を引きました。

ビクティニ:デザートにぜんざいをいただいたよ。個人的に抹茶ベースのぜんざいが好みだね。

ミュウ:おみくじも付いているからおもしろいね。

 

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神話の舞台とされる『稲佐の浜』

出雲大社から海岸方面へ約1キロ西へ行くと浜辺に浮かぶ小さな島が特徴的な『稲佐の浜』があります。

『稲佐の浜』古事記や日本書紀にも登場する神話の舞台にもなっているとされています。

中でも『国引き神話』が有名です。こちらの『稲佐の浜』では『国引き神話』またの名を『国譲り神話』のゆかりの地としても知られています。『記紀』の国譲り神話では、大国主神が高天原から派遣された武甕槌神(タケミカヅチノカミ)と国譲りの交渉をしたのもこの場所で、その言い伝えがあるとされる『屏風岩』がこの海岸から少し離れた場所にあります。また、この海岸の南側にある『長浜海岸』は国引きの時、島を大陸につなげる綱になったという言い伝えも残されています。
先ほど説明したように、出雲大社では毎年10月に全国の神様が集う古伝新嘗祭の会議が執り行われますが、その会議が開かれる場所がまさにこの海岸なのです。また、神々をお迎えする神事もここで行われます。その中でも旧暦10月10日の夜に『神迎え神事』が行われ、19時から篝火を焚き神々をお迎えする準備が始まり、やがて龍蛇神をはじめとする神様たちの行列を見守ります。また、毎月1日の早朝には『塩汲み神事』という稲佐の浜の海水を汲み上げ、出雲大社及び荒神社に奉納する神事があり、大社町の方々によって執り行われています。そして、ここで拾った砂は先ほど参拝した御本殿周辺の御社群にある素鷲社の砂箱にお供えし、その砂箱の御砂をもらうとご利益があります。
この海岸のすぐ海に浮かぶ小さな島は『弁天島』という島です。島の中腹には小さな鳥居がそびえ立っており、その祠には『豊玉毘古命(トヨタマヒコノミコト)』が祀られています。なんでも、安産や子宝にご利益があることから、どちらかというと女性向けの参拝のようです。また、出雲神話を伝承する出雲神楽も開催されているようで、なかなか見られないそうです。もし稲佐の浜に行った時にたまたま行われる神楽を見かけたら是非見てみたいものです。
そして、この海岸で忘れてはならないのが、『夕日鑑賞スポット』であるということです。昨日に訪れた日御碕の夕日はまた格別に美しいものでしたが、ここで夕日を観ても十分に心が洗われます。実は以前にもこの浜で夕日を観たことがありますが、本当に癒やされました。美しい曲線を描く海岸線砂浜にそびえる小さな島日本海、そして夕日や青空とのコントラストが風光明媚であることから『日本の渚百選』にも登録されています。ただ日本海側であるため、曇りまたは雨にもなりやすいこともあるので、運が良ければ夕日が拝められると言ってもいいでしょう・・・。みなさんも稲佐の浜に訪れる機会があれば、一度は夕日を拝めておきたいものです。

ビクティニ:何年か前、海の夕日を観るためにこの海岸に来たんだよね・・・。懐かしいというか泣けてきた・・・。

ミュウ:昨日、日御碕で観た夕日はとてもきれいだったよね(^^

にょろもう:昼間に観てもきれいだな。海の潮騒も穏やかだね・・・。

 

『縁結び“出雲大社”に参拝&国引きの舞台“稲佐の浜”を鑑賞』をお伝えしました。