皆さんこんにちは。
今回は大晦日に松江周辺を観光してきました。
2020年の大晦日は全国的に雪が降るような天気で、山陰地方におけるJRや飛行機などもほぼマヒ状態という状況でした。そんな最中、路線バスだけは動いているようですので、それを使って松江周辺を観光しました。
まずは、八重垣神社へ参拝します。八重垣神社は出雲大社と同様、『縁結び』の神社です。
この神社はヤマタノオロチ(八岐大蛇)退治で有名なスサノオノミコト(素戔嗚命)および国の乙女の花ことクシナダヒメ(櫛名田姫)の夫婦が祀られ、特に恋愛成就の大神、いわば『縁結びの大親神』といわれています。ここはヤマタノオロチから逃げてきたクシナダヒメが避難した場所とされています。スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する時にクシナダヒメを佐草の里の大杉(奥の院)を中心に八重垣を造り、そこに身を隠したのです。そして、ヤマタノオロチを退治した後、日本最古の和歌とされる『八雲立つ出雲 八重垣妻込みに八重垣作る 其の八重垣を』という勝利の歌を詠まれ、この歌はにあるように『出雲国』または『出雲地方』など『出雲』という名前がついたのはその由来だと言われています。すなわち、この八重垣神社こそ、出雲由来の原点ともいうべき存在かもしれません。
ビクティニ:今年の大晦日の大雪は、まさにヤマタノオロチかもね()
ミュウ:今日はこのあたりのJRは全滅だものね・・・。
八重垣神社は、恋愛などの縁結びの他に良縁成就や夫婦円満、除災招福、諸願成就などにもご利益があります。
天つ神スサノオノミコトと地つ神クシナダヒメ【櫛名田姫】(以後イナダヒメミコト【稲田姫命】)の御二柱はこの出雲の地にて結ばれた縁結びの大親神様を主祭神とする八重垣神社は古くから朝廷、国司、藩主の崇敬が厚く、御神徳の高い出雲国を代表する古社ならびに名社として多くの参拝者は訪れます。明治期には文豪で有名な小泉八雲が西田千太郎とともに行楽がてら松江周辺の神社めぐりの際、取材されたようです。特にこの神社の奥にある『鏡の池』に興味を示したそうです。
しかし、今年の大晦日は例の病気に加え、未曾有な大雪の影響もあり、例年と比べて参拝者はかなり少ないようです。
(二礼二拍手一礼)
ビクティニ:例の病気がなくなり、自分のやりたいことができますように・・・。
ミュウ:ティニくんと一緒に旅できますように・・・
作者:来年こそ、東京オリンピックが開催できますように・・・。
そして、この境内の奥へ進むと、『佐久佐女の森』があり、その中に『鏡の池』もあります。
『佐久佐女の森』は、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する時にイナダヒメミコトを難から逃すために、この森の周辺に八重垣を造ってイナダヒメミコトを隠した場所です。その時に、この森の中にある池を飲料水として、あるいは自らの姿を映した池と伝えられていることから、『鏡の池』と呼ばれるようになったのです。また、ここに訪れた小泉八雲は『神秘の森』と呼ばれていたといいます。
そして、この池にはイナダヒメミコトの御神霊が宿られ、現在ではご縁の遅速を占う『縁占いの池』として知られ、池の奥にはイナダヒメミコトを祀る天鏡神社が鎮座されています。この池に占い用紙を浮かべ、その用紙に10円玉か100円玉を用紙の上に静かに置きます。15分以内に早く沈むと縁が早く、30分以上遅く沈むと縁が遅くなると言われています。近くで沈むと身近な人、遠くで沈むと遠方の人とご縁があると言われています。占い用紙はこの神社の神札授与所で購入することができます(1枚100円)。
ビクティニ:東北の皆さんが元気に過ごせる日が来ますように・・・。
ミュウ:ティニくんと旅に出られますように・・・。
八重垣神社の近くにはカフェもあります。
前回や前々回も八重垣神社に訪れたことがあるのですが、今日に限っては大雪や例の病気などもあり、他に参拝に来る人はあまりいないようです。このカフェに来た客は私ともう一人の方だけだったので、ちょっとさみしい気がします。とまあ、外は寒いのでちょっとした休憩にはよろしいかと。あとはバス待合わせにもちょうどいいですね。あと、ノートもあったので書かせてもらいました。
松江といえば、怪談などの文豪として有名な小泉八雲のゆかりの地として知られています。
彼の生み出した『耳なし芳一』や『雪女』などをはじめとする怪談の作者として有名で、他にも紀行、随筆、文芸批評、民俗学など、様々な分野においても数多くの作品を残してきました。『ラフカディオ・ハーン』こと小泉八雲は西洋人でありながら、日本に対する偏見がなく、むしろ好意的な目で当時の日本の良さを世界的に紹介した、当時の西洋人としては非常に優れていた人物でもありました。中でも、『知られぬ日本の面影』『心』『東の国から』という随筆集が代表的なものです。それらの作品は当時の日本の風俗、習慣、文化などの単なる記録だけでは片付けられない、美しい文体で描かれた、大変素晴らしい文学作品を残したのです。
この旧居では英語教師として松江に赴任した八雲は、セツ婦人と結婚した後、かねてから念願であった武家屋敷を求め、借りて暮らしていたのです。八雲が暮らしていたこの屋敷はかつて江戸時代中後期に建てられた旧松江藩士岸根家の武家屋敷だったもので、母屋を取り囲むような日本庭園があるのが特徴的です。また、この屋敷は『ヘルン旧宅』という別名を持っています。
小泉八雲がセツとともに暮らしていた屋敷にはとても風流な日本庭園があります。
わびさびの雰囲気を漂わせる美しい庭にはサルスベリの木、蓮の花などが咲く花々が四季折々の彩りを見せてくれます。訪問当時は雪が積もっていましたが、この屋敷を取り囲むように広がる庭園のうち、西庭・南庭は砂敷の中に飛び石や石灯篭が施された枯山水庭園が見られます。この庭園には自然の山水を絡めた造りになっており、我々訪問者にも心が魅了されます。しかし、このあたりでは見られる『出雲流庭園』とは違って平たい中島が花壇のようになっており、文豪好みの植栽や花々が楽しめるように築庭されているようです。特に庭園の片隅に飾られたシャチホコが、後述の『知られざる日本の面影』の中で描かれています。
日本の文化を好んだ八雲は、この庭園を見て、大いに喜ばれていたといいます。浴衣と下駄姿で庭園を散歩したり、あるいは居間から三方の庭をじっくり眺めるのが好きだったといいます。
居間から眺める庭園を愛していた八雲は『床を背にして座ると三方の庭が眺められる』と、たいそうご満悦であったということもあり、ここに訪れた来客との会話もはずんだといいます。
この庭園をもとに『知られざる日本の面影』や『松江の印象記』など、多くの著書がこの邸宅で書き上げられ、中でも『知られざる日本の面影』の第16章『日本庭園』にはこの庭のことが書かれており、夏になるとこの庭に住み着く蛙が非常に増え、鳴き声の大合唱にもなるといいます。その時、八雲は土蔵から出てきたヘビが蛙を食べようとするのを見てかわいそうに思い、食事に使うつもりだった肉を土蔵の石段に置いて「蛙を食べないでくれ」と言い、蛙に対する優しい想いが伝わるエピソードが今でも語られています。西洋ではカエルやヘビは嫌われているはずなのに、八雲さんは西洋人とはいえども、蛙やヘビには優しかったのですね・・・。
セツ婦人が東京在住時代に江ノ島でお土産に買ったもので、八雲はこれで家族を呼ぶ際に使われていたようです。
八雲が使っていた書斎です。
ここでは、怪談や多様な作品などを書いていました。この書斎からでも、庭園が見られ、『知られざる日本の面影』に登場する『日本庭園』を書いていた時に庭園の風景を眺めながら書いていたのでしょう。なお、八雲は左眼を失明していたことや、右眼も極度に近眼だったことから、原稿や論文などを書く時には、机を高くして字を見やすくしていたそうです。
『出雲に於ける小泉八雲』を書いた根岸磐田氏の原稿も遺されていました。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の生涯です。
ラフカディオ・ハーンは、日本が幕末だった頃にギリシャで生まれ、40歳の頃に松江に来て英語教師をされていました。セツとともに暮らし始めてから日本の文化に興味を懐き、様々な作品を通して日本の魅力を世界的に伝えたい気持ちが感じられます。そしてやがては日本人として『小泉八雲』という名前になり、晩年は大学講師になったんですね。
冬の時期の城下町では、松江城のお堀で泳ぐカルガモたちが見られます。
雪が降り積もる冬になっても悠然にお堀を泳ぐカルガモの群れには魅了されます。カルガモの他にも、スズメ、ジョウビタキ、ヒヨドリ、オカヨシガモ、カワウ、ホシハジロなどの野鳥が見られます。城下町とはいえ、松江城では様々な生き物や植物などの小さな自然が残されていることが伺い知れます。
さて、松江の散策を終えたところで、玉造温泉にやって参りました。
玉造温泉は奈良時代初期に開かれた、日本において有数の最古級の歴史をもつ代表的な温泉の一つで、オオクニヌシノミコト(大国主命)とともに国造りをしたスクナヒコナミコト(少彦名命)が発見し、神代のころからあったという言い伝えがあります。その温泉名となっている『玉造』は、三種神器の一つとされる、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)がクシアカルダマノミコト(櫛明玉命)によってこの地にて造られたことから、その名前になったと言います。そして、この温泉地にある『玉作湯神社』にはそのクシアカルダマノミコトが祀られ、多くの勾玉や管玉が社宝として保管されています。また、江戸時代の松江藩でも、泉質がよく、環境にも恵まれたこの温泉地に別荘が設けられ、藩主の静養でも訪れていたようです。
千三百年の歴史を持つ玉造温泉は、天平時代の書物『出雲国風土記』にも『いで湯に一度入ると容姿が端麗になり、再び入れば万病が治る』と綴られていることから、『神の湯』という別名を持ち、平安時代に入ると京の都にまでその噂が広まり、清少納言作『枕草子』にも『玉造』という名前が登場するほど有名になりました。
川の流れが宍道湖へ至る玉湯川にそって数多くの純和風な旅館や飲食店、勾玉のお店などが並んでいるのが玉造温泉の特徴でもあり、我々旅行者には魅了させられ、夜の温泉街は、多くの明かりが灯る夜景が清楚かつ綺麗な光景です。その温泉の成分には関節痛や疲労回復、冷え性、動脈硬化症などに効く健康促進だけでなく美肌効果にも期待できるほどの良い成分が含まれていることから、特に女性を中心に人気を博しています。
玉造温泉の散策がてらの夕食もこの温泉街ならではの楽しみの1つでもありますが、夕食で食べられる飲食店は少ないようです。また、飲食店は川沿いではなくちょっとした路地に入った所にあったりするので、ちょっとわかりにくかったりします。
そこで、2020年最後の晩餐として『そば富』というお店でいただきました。玉造温泉では、出雲そばや海鮮丼などが美味しいですが、今回は海鮮丼をいただきます。
ビクティニ:やはり山陰の海の幸は飽きてやまない・・・。今年最後の夕食いただきます!
ミュウ:どうせなら出雲そばがよかったけど・・・山陰の海鮮丼は美味しいよね!いただきます!
2020年という年は、例の病気で『緊急事態宣言』が出るなど、未曾有な災いがありましたが、2021年こそ、例の病気に打ち勝つ年になることを祈ります・・・。
ビクティニ:歴史ある温泉でどんな病気にも負けやしない!みんな、最後まで希望を捨てずにかんばろうぜ!そして、東京オリンピック・パラリンピックも無事に終わることを祈ろう!
ミュウ:そうだね!
にょろもう:来年は平和の年になると良いなあ・・・。
★おまけ★
我々が玉造温泉の旅館にチェックインした時にお抹茶や和菓子を提供してくれました。こういうのを提供してくれる旅館には頭が下がります・・・。
ビクティニ:お抹茶までサービスしてくれる旅館は素晴らしい!さすが西日本!
ミュウ:縁遠はるばる関東からやってきたかいがあったね!
にょろもう:和菓子も美味しい!
『正月旅行 厳冬の山陰旅 大晦日の松江めぐり』をお伝えしました。