ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり、鉄道名所(景観路線や歴史ある鉄道スポットなど)スポットめぐりや風光明媚な鉄道旅、日本の観光地の歴史や景観めぐりなどを紹介するコーナーです。よろしゅうお願いします。

富士山の見える景勝地“日本平”&徳川家康ゆかりの神社“久能山東照宮”に参拝

みなさん、こんにちは。

今回は、日本平久能山へ参ります。

 

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由比PA

まずは、国道139号線を下り、富士ICから東名高速に入り、静岡方面へ向かいます。途中の由比PAで休憩をすると、目の前に駿河湾が見渡せます。海の向こうには伊豆半島のシルエットが見えます。

ビクティニ:海だ!向こうに大きな陸地が見える・・・。

ミュウ:伊豆半島だね。

 

東名高速の清水ICから一般道へ降り、カーナビに従って日本平へ向かいます。

 

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日本平

富士山の絶景が見られることで名高い日本平にやってきました。

ここは、大和武尊(ヤマトタケルノミコト)の伝説にちなんで名付けられた由緒ある景勝地です。

JR静岡駅からバスでおよそ40分、JR 清水駅からのバスはおよそ30分で訪れることができます。また、東名高速の日本平久能山スマートICからおよそ20分、静岡ICからおよそ30分、清水ICからおよそ25分で到達できます。
標高は307メートルあり、日本の観光地百選コンクールで第1位に選ばれるほどの日本一の絶景スポットとして多くの家族連れやライダーたちで賑わっています。

ビクティニ:去年に来た時は桜があんなに咲いていたんだけど、今年はちょっと早かったかな・・・?

ミュウ:う~ん、まだ早かったかもね・・・。

 

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日本平名物 抹茶たいやき
日本平では、桜えびしらすお茶など、様々なお土産が揃っていますが、ここは『抹茶たいやき』も名物スイーツとして有名で、注文(1個190円)すれば焼きたてで提供してくれます。そのたい焼きの生地や餡には川根茶葉をふんだんに使用しており、甘さ控えめの程よい緑茶独特の香りが漂います。これぞ、静岡に来たら是非いただきたいスイーツの1つです。おやつや休憩がてらに食べてみては?

ビクティニ:静岡といえば、安倍川餅もうまいが、抹茶のたい焼きがこれまた最高のおやつだ!いただきま~す!

ゴンベ:これはうまそうだっぺ~。いただきま~すだ!うんめ~!

シャワさん:静岡茶というか川根茶の匂いだ。ほろ苦さがこれまた丁度いい甘さだね。

ビクティニ:やけにお茶の匂いに詳しいね。どうして川根茶って分かるんだい?

シャワさん:いや、なんとなく川根茶の匂いがしたんだ。

ミュウ:ズコッ!でも確かにいい香り、おいしい~(*´∀`*)

 

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日本平 レストラン

レストランもメニューが豊富で、静岡名物の地場産もふんだんに使われています。

中でも、桜えび静岡茶を使った茶そば駿河湾で採れた海産物などをテーマとしたメニューが用意されています。ちなみに昼食には海鮮丼をいただきました。

ビクティニ:静岡のご飯は、海鮮ものに限るね!いただきま~す!

ゴンベ:うなぎも食べたかったけど、やっぱり海の幸はうまいっぺ~!

シャワさん:わさびの辛味が魚の独特の匂いを和らげる・・・。うまい!

ミュウ:茶そばも美味しい!

 

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日本平夢テラスから見る富士山と駿河湾

夢テラスの展望デッキからは駿河湾清水港三保の松原沿岸の街並み山々、そして、天気が良ければ富士山が見渡せます。特に、ここから見える富士山の眺めが非常に有名とされています。

これぞ、まさに日本を代表する絶景の1つで、東海道のロマンを想わせます。ここから望む富士山の絶景は古くから絵画に描かれてきたといいます。中でも、この駿河の地では、『ヤマトタケル伝説』にも登場し、『古事記』『日本書紀』にもそのエピソードが纏られています。例えば、ヤマトタケルが日本統一の途中、焼津の火事で命を落としかけた時に使った『草薙剣(くさなぎのつるぎ)』『天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)』で草をなぎ払って、危機から逃れることができたといわれています。そのため、日本平の麓にはヤマトタケル伝説にちなんだ草薙神社などのスポットも存在しています。
そして、『日本平』という地名は、幕末に駿府町の奉行こと貴志孫太夫忠美が描いた彩色写生画『寿留嘉土産(するがみやげ)』として登場することから、地名として初めて記録に登場しました。
日本平は、静岡市南部に位置する有度山の山頂の一部分とされ、その南麓には断崖絶壁が続いています。少し見る方角を変えると、伊豆半島南アルプスの連峰なども見渡せます。2月から3月までは梅の開花、そして3月下旬になると桜の開花で周辺の丘の景色を彩ります。また、夜になると夜景も見ることができる『夜景スポット』にもなります。

ビクティニ:去年に来た時は、富士山が綺麗に見れたんだけどなあ・・・。桜の花も咲いているところは咲いているけれど、まだ三分咲き・・・といったところかな・・・?

ミュウ:昨日は富士山が見えていたのに今日は見えないね・・・。

シャワさん:あれが三保の松原か・・・。

ゴンベ:あの海でとれる桜えびは美味しいだろうっぺ・・・。

 

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ロープウェイから見る『屏風谷』と『地獄谷』

日本平から久能山東照宮へはロープウェイでアクセスできます。

日本平と久能山東照宮の間は深い谷で隔てられているため、ロープウェイを使う時は、よく運行時刻を確認した方がいいでしょう。

駅からバスで行く場合は、日本平にバス停がある他、長い石段を下ると久能山下のバス停が久能山の麓にありますが、バスの本数が少ないので注意しましょう。往復では1,250円(小人700円)で、片道が700円(小人350円)になります。11時~15時までは10分間隔で運行されますが、他の時間帯では15分間隔で、久能山発が17:00で最終になるので、乗り遅れのないようにご注意を。
ロープウェイからは久能山と日本平の間に『屏風谷』『地獄谷』といわれる深い谷が眼下に広がります。この時期は桜の季節ということもあり、深い谷に咲く小さな桜の木がピンク色の桜の花を彩っていました。

 

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久能山東照宮 楼門

久能山東照宮で参拝する時は、社務所の受付にて参拝料500円を払ってから入場します。

その時に御朱印帳を用意して受付に出しておくと、御朱印をつけてくれます。御朱印には『金のなる木の御朱印(初穂料700円)』も用意されており、御祭神である徳川家康公に纏わる遺話の特別な御朱印で、木の芳醇な香りで癒やされます。ただし、通常の御朱印とは違い、御朱印帳に貼るタイプのようです。

 

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久能山東照宮 楼門

さて、入場したら正面の『楼門』という大きな門をくぐります。

楼門とは二階建ての門のことで、軒下中央に第108代 後水尾(ごみずのお)天皇の宸筆『東照大権現』の扁額が掲げてあることから、『勅額御門(ちょくがくごもん)』とも言われています。また、門の中央部の蟇股(かえるまた)には獏(ばく)の刻印が彫られています。これは、戦争の道具である銃や刀などの材料である鉄や銅を食料とすることで、『平和の象徴』とされる言い伝えがあるからなのです。

 

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久能山東照宮 境内

石段をのぼり楼門をくぐると、久能山東照宮の境内に出ます。

久能山は、もともと日本平とともに平野だったのが、隆起によって出来たもので、昔は日本平として続いていました。

長い歳月をかけての浸食作用などの影響で堅い部分だけが残ったことで、このように孤立した山となったのが、現在の久能山となったのです。高さは216メートルあり、この山は大昔、観音菩薩の霊場とされ、観音信仰の聖地だったといいます。
久能山のはじまりは『久能寺縁起』によれば、推古天皇の御代(7世紀頃)秦氏の久能忠仁が初めて山を開き、そこに一寺を建て、観音菩薩の像を安置し、『補陀落山久能寺』と称したのと同時に『久能山』という名前も付けられたといいます。当時の久能寺は平安朝の仏教隆昌とともに多くの僧坊が建てられ、僧行基、伝教大師などをはじめ多くの名僧知識が来往し、平安末期から鎌倉初期にかけて360坊、1500人の衆徒をもつ大寺院となったのです。国宝の『久能寺経』なども伝授され、源頼朝は伊豆国内から所領を寄進、源義経も薄墨と呼ばれる笛も奉納されたことでも伝えられています。鎌倉時代には300あまりの禅坊が建てられたことも『海道記』に記され、いわば東海道屈指の寺院として栄えていたのです。
永禄11(1568)年には武田信玄公は、久能山が要害ということを知ると、久能寺を北矢部(静岡市清水区にある鉄舟寺)に移して山上に城砦を築き、『久能城』となりましたが、天正10(1582)年には武田氏が滅び、駿河国一帯が徳川氏が領有したことから、久能山も徳川氏のものとなりました。慶長11(1606)年には榊原清政が城主となり、その息子である照久が継ぎます。そして、徳川家康公は久能山が要害の地であることから早くから着目し、照久に「久能山は駿府城の本丸と常に思召す」と伝えられ、元和2(1616)年4月17日、久能山にて逝去。同時に久能城は廃止となり、その地に創建されたのが久能山東照宮なのです。

 

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久能山東照宮 御社殿

この神社の御祭神である徳川家康公初代徳川氏の征夷大将軍でした。

その家康公が祀られている『本殿』と参拝をするための『拝殿』『石の間』で連結した『権現造(ごんげんづくり)』と呼ばれる様式となっています。これは、日光東照宮をはじめ、全国の東照宮の元となったと言われています。

徳川家康公の眠る御本殿は元和3(1617)年に建立し、江戸幕府大工棟梁中井大和守正清の代表的な遺構のひとつとされています。これは国内最古の東照宮建築ということもあり、江戸時代における権現造社殿が全国的に普及するための基礎となったことから、平成22(2010)年国宝に指定されています。

ビクティニ:神々しい・・・まるで宮殿みたい。家康様、GWに北海道へ行ってきます。安全に旅行ができますように・・・。

ミュウ:東京オリンピックが無事に終わりますように・・・。

 

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久能山東照宮の彫刻

東照宮特有の『権現造』に用いられている彫刻は美術品のような装飾になっています。

この彫刻は当時一流であった職人の工芸技術が込められており、徳川家康公の本願であろう『平和への願い』が込められています。日本で最初に創建された東照宮ということもあり、この華やかな社殿には、繊細かつ美しい仕様は、まさに徳川家康公の平和への思いが詰まったものと言っても過言ではないでしょうか。これらの彫刻には『鳥』や『花』、『虎』『ウサギ』『獅子』など様々な動物を象ったものが用いられ、徳川家康公の優しさでさえも感じさせるほど人の心を豊かにさせます。また、御本殿だけでなく、楼門や鼓楼などにもこのような見事な彫刻を目にすることができます。

 

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久能山東照宮 御社殿 内部

ご祈祷の申し込みをすると、普段は見れない御社殿の内部に入れます。

御社殿の内部は、外部より豪華な内装で、天女や鳥などの絵画や彫刻は、徳川家康公の眠る場所に相応しい天界をイメージした内装になっています。また、柱の装飾には徳川氏の紋章が纏められ、天井の黒漆塗りと金の装飾、証明などが豪華絢爛さを物語っています。この御本殿は江戸幕府大工の中井正清(なかいなさきよ)によって築かれたもので、江戸城や駿府城の天守などの建築も担当しました。ご祈祷を受けると、自らの身を清めるとともに神様との親近感を感じ取れる場所で感謝の気持や願い事をすることができます。我々もご祈祷を受けましたが、宮司の参拝作法の教わり方がとても丁寧だったので、安心して受けられました。また、記念に御本殿内で記念撮影もしてくれました。

ちなみに、お宮参りや厄除け、様々な願い事などのご祈祷は5,000円から受けられます。

 

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神廟(しんびょう)

東照宮より少し石段を登ると徳川家康公の眠る神廟があります。

ここには徳川家康公の御遺体が奉られている場所で、御宝塔と言われていました。当初は木造檜葺き造りでしたが、寛永17(1640)年の徳川氏3代目家光公によってこの場所に石造りの御宝塔になり、現在に至っています。この神廟は西向きに建てられていますが、これは家康公の御遺命によるものです。西に公の御両親が子授け祈願の参籠をされたという言い伝えを持つ鳳来寺があり、さらに西には岡崎の松平家の菩提寺大樹寺、そして家康公誕生の地とされる岡崎城があることから、この方向になつています。

 

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徳川家康公の遺訓

神廟の手前には、徳川家康公が生涯をかけて日本の平和な国づくりという思いを『人の一生は・・・』からはじまる『東照公御遺訓』という形で今日に至り伝えられています。

★徳川家康公の遺訓★

(本文)

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。

(意味)

人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
 不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
 心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
 がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
 勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
 自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
 足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。

この御遺訓にはいかにも徳川家康公が日本を永久に平和な国であってほしいという渾身な思いが込められているのが分かります。つまり、欲はなく謙虚な気持ちで、辛かった経験をを思い出すことで、今の自分があるという感謝の気持ちが大切だということを我々に教えてくれているということなのです。ミャンマーや中国、アメリカなどで紛争やクーデターが今でも続いている中、日本が今でも平和志向な国として栄えているのは、まさに徳川家康公の優しさと感謝の気持があってこそだと言っても過言では無いでしょうか。

 

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徳川家康公 御手植えのみかんの木
東照宮の脇に徳川家康公の御手植えのみかんの木が植えられています。静岡は『みかんの産地』としても知られていますが、このみかんの木は駿府城本丸跡にあったみかんの木を徳川家康公が移植したものなんだとか。

 

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東照宮までの石段数
久能山の麓から東照宮まで1,159段の石段数が書かれた看板が掲げられています。足の弱い参拝客やお年寄りのために掲げたものと思われます。

 

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石垣いちご狩り

久能山東照宮の山麓には、『石垣いちご』を栽培しているビニールハウスが多く立ち並んでいます。

石垣いちごは、日本平(有度山)の南斜面の石垣を利用した栽培方法を用いることで育ついちごです。

久能山の南部に東西8kmにわたる久能海岸は、非常に温暖な環境であることから、いちご栽培に適しているのです。また、いちご苗はエキセルシャ種を貰い受け、苗を畑や鉢に植えたりなど、様々な工夫や観察をしていく中で、桃畑の土留めの石垣の間に植えた苗は、冬でも石の輻射熱で発育がよく、甘くて大きな実をつけ、早く熟したいちごが収穫できることから、世界的に例を見ない画期的な栽培方法の1つとなったのです。1月から5月にかけてが食べごろなので、その時期にいちご狩りが開催されています。明治29(1896)年、伊佐須美神社宮司こと松平健雄(松平容保の次男)が川島常吉にいちご苗を託したのが石垣いちごの発端となったと言われています。明治期には文字通り石垣でいちご栽培が行われ、その後の大正期からはコンクリート成形を用いたスタイルとなり、現在に至ります。このいちごのブランドには『章姫』『久能早生』『紅ほっぺ』などの品種があります。

ビクティニ:いちごだ!いただきま~す!・・・甘くて美味い!さすが静岡のいちごは温暖気候がきいているね~。

 

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久能山について

久能山の歴史は、久能寺こと補陀落山久能寺が建てられた平安時代から始まります。

これは天然自然の要害の地を成形する断崖絶壁という環境から、南北朝時代の観応の擾乱(1350~1352年)室町時代の今川氏の内紛花蔵の乱(1536年)など、兵が立てこもる場所にもなったと言われています。

駿府国に攻め入った武田信玄公は、永禄2(1569)年に要害の地久能山にあった寺院を別の場所に移し、もともと久能寺のあった場所に久能山城を築きました。これは北条氏や徳川氏への備えの拠点として重要な役割でもあったのです。
そして、元和2(1616)年4月には徳川家康公が駿府城で薨去し、家康公の遺言とともに御尊骸を久能山に埋葬されました。後に徳川氏2代目、秀忠公が久能山上に本殿などの建造物の造営を命じ、久能山城を廃城し、その場所に久能山東照宮が創建し、現在に至っています。
このことから、久能山は寺院からはじまり、武田氏の拠点となった城郭、そして徳川氏初代将軍こと家康氏の眠る東照宮という歴史的重要な舞台となったのです。

 

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日本平の桜

日本平は春になると、桜の花が見頃を迎え、3月下旬には桜の名所にもなります。

日本平にはソメイヨシノ、ヤマザクラなどの桜の木が約2千本ほど植えられており、静岡県内の花見スポットとしては第8位にランクインされるほど人気があります。

ビクティニ:やはり日本平の桜は綺麗だね・・・。

ミュウ:まさに春の日本平って感じ。ウグイスの鳴き声も聴こえてくる・・・。

 

『富士山の見える景勝地“日本平”&徳川家康ゆかりの神社“久能山東照宮”に参拝』をお伝えしました。