ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり、鉄道名所(景観路線や歴史ある鉄道スポットなど)スポットめぐりや風光明媚な鉄道旅、日本の観光地の歴史や景観めぐりなどを紹介するコーナーです。よろしゅうお願いします。

熊本旅行記2日目 広島から関門海峡を通り熊本へ・・・

みなさん、こんにちは。

今回は広島から熊本へ向かいます。

 

山陽新幹線と山陽本線で下関へ
今回は、関門海峡を船で通過するのと、『SL人吉』に乗車するため、新山口まで新幹線、下関までは山陽本線で進みます。

ビクティニ:とりあえず、みずほ605号で新山口駅まで進み、下関までは山陽本線で進もう。この便なら新山口で下関行きの普通列車に乗り換えられるはずだ

ミュウ:あとはのぞみとかこだまとかがあるけど、ここは九州新幹線も通っているんだね。

 

山陽新幹線の車窓
ということで、山陽新幹線みずほ605号で新山口駅まで進みます。

今回は青春18きっぷを使って旅行しますが、一部は新幹線を使います。そもそも、広島から下関までは223kmあり、その区間を在来線で行くと4時間近くと大変時間がかかるため、途中まで新幹線を使わざるを得ない感じです。新山口まで在来線で行くと2時間と30分はかかりますが、新幹線だとたった30分で到着できます。山陽新幹線が博多まで開業したのは昭和50(1975)年のことで、それまでは在来線の山陽本線が広島や山口の大幹線だったことが伺えます。

ビクティニ:新幹線は早いよね。在来線で行くと2時間ぐらいかかるけど、新幹線ならあっという間だ。

ミュウ:車窓がまちや田園地帯が流れるように進んでいくね。

 

新山口駅から山陽本線に乗り換え
10:47新山口駅に到着。ここから山陽本線の普通列車に乗り換えます。

新幹線ホームから出口のある改札へ出ます。そして、ここから青春18きっぷを活用するため、在来線で進みます。なお、山口エリアの山陽本線は、すべて普通列車のみです。快速すらありません。また、本数も概ね1時間おきに1本と少なめですので、乗り遅れないようにします。しかし、乗り換え時間は十分あるので問題ありません。

ビクティニ:次は山陽本線に乗り換えよう。でも新山口駅の在来線改札は相変わらず駅員改札みたい

ミュウ:ここは田舎だからだろうね・・・

 

山陽本線の普通列車
山口エリアの山陽本線は、115系や227系が活躍しています。

そして、この区間の山陽本線は特急はおろか快速すら走っていません。すべて普通列車のみで運行されています。その上、1時間おきに1本の本数ですが、九州から関西・首都圏などを結ぶ物流路線でもあることから貨物列車も多数走っています。

11:05発 普通列車 下関行きで下関駅へ向かいます。

 

山陽本線 普通列車の車内
山陽本線の普通列車の車内は、セミクロスシートになっています。

在来線の普通列車とはいえ、やはり長距離を走るためか、特急並みの設備です。田園地帯にぽつんと建つ赤い屋根の家、田んぼに林、山口県ののどかな車窓が流れていきます。

ビクティニ:田園風景がのどかだね・・・

ミュウ:山口県の風景って昔ながらの景色が多いよね

 

下関駅に到着
さて、12:12下関駅に到着です。

黄色の115系は岩国~下関を走っています。したがって、岩国や山口方面から来た普通列車はここで終着駅になります。しかし、山陽本線は神戸から門司を結ぶ路線なので、ここ下関駅は山陽本線の終点ではありません。しかも、神戸~門司間はなんと534kmもあるので、とてつもない長大路線です。

ここからさらに西へ行けば、門司駅いわゆる九州にして実質の山陽本線の終点ですが、九州へ行くにはこの駅で門司方面へ行く電車に乗り換える必要があります。なぜならば、この先は『交流区間』、すなわち『デッドセクション』があるため、直流区間しか走れない115系はこの先へは行けません。門司までは交流区間と直流区間の両方を走れる415系という交直流電車で行くことになります。

ビクティニ:下関駅に到着したよ。でも、今回はあえて船で関門海峡を通過するよ。

ミュウ:目の前に九州へ行く電車があるのにそれには乗らないんだ。

 

下関駅
下関は本州最西端にあり、この下関駅は本州で最後の駅ということになります。

ですが、下関市は人口26.8万人で山口県では人口が一番多い都市で、唯一の中核市および中枢中核都市に指定されています。そのこともあってか、山口県の政令指定都市であるはずの山口市(19万人)より人口がはるかに多いようです。そして、下関は古くからふぐの漁が盛んで、市内の至る所にふぐ料理を提供するお店が見られます。

さて、下関から門司港まで連絡船で渡航するのですが、駅周辺ではなかなか連絡船ののりばは見当たりません・・・。

ビクティニ:グーグルマップで見てみよう・・・どうやらここからしばらく歩いたところに『唐戸』というところから連絡船が出ているらしい

ミュウ:ということは、すぐ近くに港があるわけじゃないのね・・・

 

下関 唐戸エリア
下関駅からしばらく歩いていくと、観覧車が見え、遊園地のような場所にたどり着きます。

このあたりは『海響館』という水族館や『はい!からっと横丁』という遊園地があります。そう、ここは『唐戸』というエリアなのです。中でも『唐戸市場』は、関門海峡でとれた魚介類などが提供されており、様々な海の幸が堪能できます。さて、門司港へ行くには、ここの港から出る連絡船で渡航します。

ビクティニ:さて、ここが『唐戸エリア』だね。連絡船の乗り場は?

ミュウ:ここまで歩くのに15分ぐらいかかったかも。意外と遠いんだね・・・

 

連絡船の桟橋
ようやく連絡船の乗り場までたどり着きました。

今回はここから連絡船で門司港へ進みます。下関と門司港を結ぶ連絡船は、概ね20分ごとに出航しています。運賃は片道400円です。所要時間は5分とあっという間に九州に到着します。下関と門司港を結ぶ連絡船は古くから重要な航路であり、最近までは『海上国道2号線』と呼ばれていたそうです。

ビクティニ:ここが連絡船ののりばだね。さあ、切符を購入して九州へ渡航しよう

ミュウ:今日は晴れ日と思いきや雨が降ってきたよ。すごい大雨だ!

 

関門橋
関門連絡船は、『関門橋』という大きな橋と平行するように下関(唐戸港)と門司港を結んでいます。

航路の東側には関門橋、西側には巖流島(船島)が見えます。

ここは、日本と釜山や上海などを結ぶ貨物船や旅客船が行き交う重要な海峡で、多い時には、1日に約千隻ものの船舶が通っているそうです。

下関と門司港の距離はわずか1.5kmでありながら、水深はなんと最大47メートルあり、潮の流れは非常に速く、鳴門海峡や来島海峡(くるしまかいきょう)に次いで国内第3位です。特に早鞆瀬戸(はやとものせと)では壇ノ浦の干潮の頃になると東流れが最も速く、満潮の頃になると西流れが最も速くなるそうです。満潮と干潮は1日に2回ずつあるのですが、ここの東西の流れも概ね規則正しく1日2回で、関門海峡の一番狭い早鞆瀬戸では約9.4ノット(1ノットは時速1.852kmなので時速17.409km)の潮流が発生します。

海峡にそびえる関門橋は、山口県下関市と北九州市門司区を結ぶ全長1,068メートルの吊り橋で、昭和48(1973)年の開通当時としては東洋一の長さだったそうです。あの橋には関門自動車道が通っており、海底には国道2号線と歩道が通っています。さらに関門橋の向こうにある海底には山陽新幹線の海底トンネルが通っています。なお、在来線の関門トンネルは、ここより2kmほど離れた南西の海底を通っています。

 

門司港

ということで、門司港に到着です!

山口県と福岡県の県境に架かる『関門橋』がまさしく関門海峡の景観です。

言わずもがな、ここまで来ると九州に上陸したことになります。

門司港は福岡県北九州市門司区にある港です。

関門海峡に面し、もともと北九州港を構成する地区を中心とした市街地の名称でもあります。ここは北九州有数の観光名所として有名で、海沿いの倉庫群や歴史的建造物など、かつて港町の雰囲気を感じることができます。地区の名称は港としての『門司港』である地域であることと、地区の交通拠点である『門司港駅』に由来しています。

明治22(1889)年11月に門司港が国の特別輸出港(米・麦・麦粉・石炭・硫黄に限定した輸出港)に指定されて以降、金融機関や商社・海運会社の支店が相次いで進出し、外国への航路拠点ならびに貿易港として発展していました。また、当時は関門海峡を横断するトンネルや橋はまだなく、連絡船が唯一の交通手段であり、ここ門司港もその発着地であったため、九州の玄関口としての役割を果たしていたようです。しかし、昭和17(1942)年7月に関門鉄道トンネルが開通したことで、門司港駅や連絡船を経由しなくても本州との行き来が可能になったこと、さらに戦後になると中国などの大陸貿易が途絶えたことなどから、貿易港としての役割は終えることとなったのです。

そして、昭和63(1988)年には門司港駅舎が国の重要文化財に指定されたことを機に、地区内に残る歴史的建造物を生かした観光地としての整備が行われ、『門司港レトロ』として平成7(1995)年3月にグランドオープンし、現在は年間200万人以上の観光客を集めています。

ビクティニ:ここまで来るとまさに九州だ。とうとう来たんだね。

ミュウ:海の上に架かる大きな吊り橋を造った人はすごいよね・・・。

トトロ:トトト~(これが海なんだね・・・)。

ビクティニポンチョのピカチュウ:そうだよ。ここは海峡といって陸と陸の間に海があるんだ

 

門司港で昼食
さて、門司港に到着したところで、すでに昼過ぎなので遅めの昼食に。

本当なら、じっくり門司レトロを見て昼食に名物の『焼きカレー』が食べたかったのですが、この日は混んでいるということに加え、今回は時間の都合上、近くのお寿司屋さんで昼食にすることに。しかし、注文した海鮮丼も美味しかったです。

ビクティニ:せっかく遠くまで来たのに、門司レトロが見れる時間がないのは残念・・・。いただきます。・・・でもまあ、なかなか美味しい

ミュウ:また行ける機会があったらじっくり見てみたいね

ビクティニポンチョのピカチュウ:茶碗蒸し美味しい!

 

門司港駅

門司港駅は連絡船のりばからすぐ近い場所にあります。

この駅はかつて、関門トンネルや関門橋ができる前の連絡船時代は、まさに九州の玄関駅としての役割を担っていたのです。

そういった時代の背景にあった貫禄のあるエピソードに加え、大正期ならではの洋風建築の駅舎から、まさしくレトロ感があり、歴史のロマンを感じさせられます。

この駅は大正3(1914)年に開業し、開業当時は『門司駅』と名乗っていましたが、昭和17(1942)年には『門司港駅』に改称されています。昭和63(1988)年には国の重要文化財に指定。何でも日本において重要文化財に指定された駅舎としては初だそうです。最近では平成31(2019)年には6年にも及ぶ復元工事を終え、大正時代当時の姿に復元されています。

この駅舎は一見すると石造りのように見えますが、実は木造二階建ての『ネオ・ルネサンス様式』が用いられているのです。両側に小さな塔を持つ銅板葺きに加え、下見板張り、さらに左右対称の造りになっているのが特徴的で、これは『門』を表現しているだそうです。緑青色の屋根や窓まわりの繊細な仕上げ、そして2階バルコニーの装飾など、当時の建築者のこだわりが感じられます。

ビクティニ:おお!この駅舎はこれまた貫禄のある駅舎だ!とてもレトロな雰囲気が醸し出されている。

ミュウ:まるで、タイムスリップしたかのようだね!

 

門司港駅の0哩(マイル)標

さて、次の電車に乗るべく、改札を通りましょう。

線路の行き止まりには、腕木式信号機や『0哩(マイル)標』の石碑が建てられています。

ここは記念すべき鹿児島本線の起点駅であるため、この石碑はいわば『0キロポスト』です。

雰囲気こそ当時のままながら、今もなお現役で活躍する駅舎構内には九州鉄道の起点を表す『0哩標』をはじめ、門司港に帰り着いた引揚者や復員兵が安堵の思いで喉を潤した『帰り水』、戦時中の金属供出から逃れた『幸運の手水鉢』など、様々な歴史のエピソードが飾られています。また、かつては門司港と下関を結ぶ連絡船の主要駅だったこともあり、駅から桟橋までを結んでいた『関門連絡船通路跡』が今でも残っているのも、当時この駅が玄関口として栄えていた名残ともいえます。

 

安全の鐘

この鐘は、門司港駅の開業以来、正常運行ならびに作業の安全を願うために鳴り続けたものです。

現在は静かにその精神を生かし、乗客の安全を見守っています。

 

門司港駅のホーム
ホームの屋根なども、ほぼ開業当時の状態で保たれています。

ホームは広く、『もじこう』の駅名標も立派です。

ということで、次に発車する14:06発 普通列車 二日市行きで小倉駅へ向かいます。さらにそこから新幹線に乗り換えて久留米駅まで移動し、そこで『SL人吉』に乗車します。

ビクティニ:さて、この電車で小倉まで行き、新幹線で久留米まで移動か。でも、何のために急いで久留米まで・・・?とにかく行くしかないみたい。というかJR九州の電車に乗るのが初めてだ!

ミュウ:まあ、九州なんて初めて行く場所なんだし、ある意味斬新かもね。駅員さんも、なんか赤いシャツ着てたよ。私服っぽいというか、どっちかというとラフな感じ?だね。

 

門司駅
これが現在の『門司駅』です。

この駅は、山陽本線における実質の終点駅です。下関から関門トンネルを通ってきた列車は、ここで折り返すか小倉まで乗り入れてきます。先ほど通ってきた門司港駅は、実質元祖の門司駅であり、この駅が開業した当初は『大里駅(だいりえき)』として開業したそうです。そして、関門トンネルが完成してからこちらの駅が『門司駅』と改称され、こちらの駅が現在で言う九州の玄関駅となっているのです。思えば、下関駅から連絡船ののりばまでの位置が分かりにくい上、15分も歩かされたのは、本当に苦労しました・・・。

 

小倉駅で新幹線に乗り換え

さて、小倉駅に到着した後、次の新幹線は14:24なので乗り換え時間は5分しかありません。予め購入した新幹線の切符を改札に通し、新幹線乗り場へ急ぎ足です。次の新幹線はさくら555号鹿児島中央行きです。

 

久留米駅でSL人吉を待つ
15:02久留米駅に到着。ここで、『SL人吉』が到着するのを待ちます。

ビクティニ:あ~、なるほど。どうやらSL人吉に乗るために、わざわざ急いでいたということか。そういえば『人吉』って名前のわりに、どうして運行先が鹿児島本線なんだろう・・・?

ミュウ:2年前になんか本来運行するはずの肥薩線が台風やらで鉄橋が流されちゃったじゃない。それ以来、肥薩線はずーっと運休のままだから運行できない。だから鹿児島本線での運行になっちゃったみたい。

ビクティニ:そうか、たしか人吉は肥薩線が通る場所だもんな。どうせなら運行先を豊肥本線にして『SL阿蘇』として運行すれば良かったような気がするが・・・。たしかに人吉は通らないのに『SL人吉』として鹿児島本線を走るのはちょっと不自然かも・・・。阿蘇ならまだ分かるかもだけど・・・

作者:とはいえ、SLを運行しようというJR九州の熱心さが感じられるのはせめてもの救いですがね。まあ、肥薩線が1日でも早く復旧してくれることを願いつつ、SLに乗車しましょう。

 

SL人吉
しばらくホームで待っていると、『例の列車』が入線して来ました!

そう、『SL人吉』です!・・・と言いたいところですが、先頭はディーゼル機関車に牽引され、SLは列車に引っ張られるようにバックしています。

先ほども述べたように、肥薩線は令和2(2020)年の台風で鉄橋が崩壊し、それ以来ずっと運休のままなので、SLは鹿児島本線を走っているのです。確かに複線の鹿児島本線をSLが走るのは少々違和感があるとは思います・・・。

ビクティニ:え?あれがSL列車なの?先頭はSLじゃなくて・・・?

ミュウ:よく見てよ、一番うしろにSLが連結されているだけみたい

作者:とにかく乗車しましょう

 

SL人吉の車内

 

車内の内装はモダン調な感じになっており、JR九州ではお馴染みの『水戸岡デザイン』が施されています。他のSL列車とは違い、シートにも種類があり、布地になっているものもあれば、革張りになっている座席まで、いろいろバリエーションがあるようです。この客車は50系客車で、以前は豊肥本線で走っていた『あそBOY』として運行されていましたが、平成21(2009)年からは肥薩線の『SL人吉』として運行されています。

ビクティニ:SL列車にしては洒落たデザインだ!まるでSLばんえつ号の客車に似ているね。

ミュウ:これは素敵なデザイン!・・・というか、ちょっと豪華かもね・・・・?

作者:せっかくこんなに良いデザインしているんだから、SLを走らせるのなら肥薩線以外でいうと豊肥本線の方で走らせてほしかったな・・・

 

SL人吉の車窓
SL人吉の車窓です。

本来なら、球磨川の流れる景色が眺められる肥薩線の車窓が見れるはずだったのに、鹿児島本線の車窓となると、やはり違和感が感じられます。

ビクティニ:SLが複線の線路を走っているのを見ると、まるで上越線か信越本線みたい

ミュウ:沿線は田んぼに住宅街、それに西鉄も走ってるみたい

トトロ:トトトロ・・・(田んぼの風景が懐かしい)

ビクティニポンチョのピカチュウ:車内はいい感じにおしゃれだけど、沿線風景は微妙かな・・・

 

58654号機(8620型蒸気機関車)

途中の大牟田駅でしばらく停車します。

ここでSLの姿が間近で見れたり写真撮影ができます。

SL人吉の機関車は、なんと『58654号機』・・・つまり『8620型』という大正生まれの蒸気機関車なのです!

この機関車は大正11(1922)年、日立製作所笠戸工場にて落成されたものです。当初は長崎本線などで活躍し、後に九州の至るところで活躍しました。また、お召し列車でも活躍していたこともあります。晩年は湯前線の貨物列車を最後に、昭和50(1975)年3月31日に引退しました。その後は、『人吉市SL展示館』にて保存されましたが、昭和63(1988)年には、JR九州にて動態復元され、現在に至っています。当初は『SLあそBOY』として平成17(2005)年まで運行されましたが、その4年後には『SL人吉』として運行されています。

本来なら肥薩線で運航されるはずが、悪天候でダメになり、走る場所が鹿児島本線なのは少々見合わないですね・・・

ビクティニ:これが大正生まれのSLなんだ!『8620型』っていうんだって。この機関車が登場したのが1922年だから・・・ざっと100歳といったところか・・・

ミュウ:100歳か。とても古いSLだね・・・。

 

玉名駅にてSLを見送る

さて、今宵の宿は玉名温泉にて宿泊するため、この駅で下車し、SLを見送ります。

SLはバックで列車を押すように熊本方面へ走っていきます。しかし、SLがバックしながら駅を去る姿は、ある意味面白い見送り方です。

 

玉名温泉 旅館
ということで、玉名温泉の旅館にて宿泊します。

ちなみに玉名駅から玉名温泉まではバスはあるのですが、本数的にあまり出ていないようなので、タクシーで行くしかないようです。

玉名温泉はかつて『立願寺温泉』と呼ばれており、約1300年前から湧き続けている歴史のある温泉郷です。 

ビクティニ:まちなかにある温泉街のわりに駅から離れているとは思わなかったな。とにかく旅館に到着だよ

ミュウ:昔なつかしい旅館といった感じだね

 

旅館にくまモンがいる
旅館にチェックインすると、館内にはくまモンのパネルがあります。

ここが熊本県だからか、自然と見受けられるようになります。というのも、日本で有名なゆるキャラというだけあって、国内のみならず海外でもその名前が知られているのだとか。

ビクティニ:さっそくくまモンとご対面!

ミュウ:これがくまモンなのか。初めて見た

 

夕食

温泉に入った後、近所の焼肉屋さんで夕食にしました。

ビクティニ:いただきます!・・・うまい!温泉街で食べる焼肉は最高!

ミュウ:おいしい。明日は天草に行くんでしょう?

ビクティニポンチョのピカチュウ:明日は天気がいまいちみたい・・・

トトロ:トトト!(クッパおいしい!)

 

『広島から関門海峡を通り熊本へ・・・』をお送りしました