ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり、鉄道名所(景観路線や歴史ある鉄道スポットなど)スポットめぐりや風光明媚な鉄道旅、日本の観光地の歴史や景観めぐりなどを紹介するコーナーです。よろしゅうお願いします。

熊本旅行記6日目 阿蘇カルデラをドライブ旅! 前篇

皆さん、こんにちは。

今回は、阿蘇カルデラとその周辺をドライブしていきます。

 

ホテル阿蘇の司を後にする一行

朝になりまして、阿蘇山の周辺をドライブします。

しかしながら、この日は雨だったり曇りだったり微妙な天候です・・・。

ビクティニ:バイバイ、ホテル阿蘇の司!これから阿蘇山を見よう!

ミュウ:でも、朝はすごく雨が降ってたみたい・・・

 

阿蘇神社 神の泉
さて、まずは阿蘇神社に参拝しにいきましょう。

阿蘇神社の楼門前には、沢水のように絶え間なく天然水が流れています。

古くから不老長寿の御神水として崇められ、他の神社でも見られる入口の手水舎と同じですが、ここの手水舎の水は天然水なので飲めます。このあたりは湧き水が豊富で、神社周辺の商店街には至るところでこのように天然水が湧き出るスポットが点在しているので、暑い夏には丁度よい場所です。

ビクティニ:このお水、とっても美味しい!

ミュウ:つめたくて涼しい!

 

阿蘇神社
阿蘇神社は、文字通り熊本県の阿蘇地方を代表する由緒ある神社です。

阿蘇神社の歴史は古く、孝霊天皇9年(紀元前282年)に創立されたとされ、2300年の歴史が刻まれています。ここがこの神社の総本社で、全国的に約500社点在しています。

この神社では、神武天皇の孫神で阿蘇を開拓した健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめ家族神12神を祀り、2千年以上の歴史を有する古社です。古くから阿蘇山火口を御神体とする火山信仰と融合し、肥後国一の宮として崇敬を集めてきました。宮司職を世襲する阿蘇氏は、国内有数の旧家としても知られています。中世には武士化して肥後国を代表する豪族に成長しました。500社にわたる分社が国内に点在しているのには、このような歴史背景にあるからと考えられています。

 

阿蘇神社 保存修理工事

阿蘇神社の社殿群は、、天保6(1835)年~嘉永3(1850)年にかけて、熊本藩の寄進によって再建されたものであり、神殿や楼門などの六棟は国重要文化財に指定されています。特に楼門は九州最大の規模を誇り、『日本三大楼門』の一つとされているそうです。

しかし、皮肉なことに阿蘇神社の楼門も2016年の熊本地震で倒壊、さらに社殿も倒壊するなどの甚大な被害を受けていますが、着々と復旧が進んでいます。

 

阿蘇山に放牧されている牛

さて、阿蘇神社を参拝したところで、草千里へドライブしていきます。

麓から県道111・298号(阿蘇パノラマライン)を延々と登っていきます。

すると、たくさんの牛たちがまったり佇んでいる放牧場が広がっています。

阿蘇ならではの牧歌的かつ長閑な光景です。

しかし、この放牧場では牛の色は白と黒ではなく、赤茶色または黒色の牛が放牧されています。これらの牛は『あか牛』といわれる熊本県と高知県のブランド牛です。

 

米塚
阿蘇カルデラには、いくつもの丘が成形されています。

中でも『米塚』といわれる地形が一際目立ちます。

高さ80メートルあり、約3千3百年前の噴火で形成されたものとされています。

お茶碗を逆さにしたような山で、頂上部がくぼんでいるのが噴火した名残であることから、この山も阿蘇山の外輪山の1つとされています。一説によると、かつて神様が飢えていた人々を救うため、空から米を降らし、そのてっぺんからすくい分け与えたという伝説があることから、『米塚』という由来になっているようです。

 

草千里

だいぶ登ったところで、開けた所までやってきました。

ここが阿蘇カルデラの草原『草千里』です。

『草千里ヶ浜』ともいわれ、中岳をはじめとする山々が眺望でき、また放牧された馬を見ることができます。

しかしながら、この日は天候が良くないのか、訪問当時はあたり一面霧に覆われており、中岳は見れず、馬が放牧されている姿は何処にもありませんでした。また、乗馬もできるそうですが、それもやっていないようです。

ビクティニ:ここが『草千里』という場所だね。でも霧で阿蘇山が見えない・・・。

ミュウ:緑色の草に包まれていて、まさに草千里だね。でもどうして天気が良くない日が続いているんだろう?

ビクティニポンチョのピカチュウ:ここは標高が高いから、ひんやりしていて涼しい!

トトロ:トトトロ・・・(少し寒い・・・)

 

草千里ヶ浜の池
阿蘇カルデラに点在する『草千里ヶ浜』は、だだっ広い緑の草原に大きな池や池塘が美しい自然の景観を織りなしています。

まさしくジブリの世界にいるかのように不思議な雰囲気です。

ジブリの世界に例えるならば、『天空の城ラピュタ』でしょうか。

阿蘇の代表的な観光地である『草千里ヶ浜』は、約3万年前に形成された直径約1kmの火口の中には二重の火口と2つの池が点在しています。そのうち西側にある池は『火口底』、東側の池は内側が『火口』になっています。なお、内側の火口はデイサイト質の溶岩ドームが吹き飛ばされたもので、その一部が『駒立山』として残っているのです。

雨水が溜まってできたとされる池、烏帽子岳の北麓に広がる火口跡に78万5千平方メートルの大草原のコントラストこそ、『草千里ジオサイト』ともいわれています。

火山活動によって織りなす大草原が放牧地という牧歌的な風景は、風光明媚にして絶景です。

 

阿蘇火山博物館
さて、阿蘇火山の歴史を知るべく『阿蘇火山博物館』にも見学してみましょう。

ここでは、阿蘇火山に関する資料や解説などが展示されています。他にも、阿蘇火山についての歴史や火山の活用などをまとめたシアターが放映されています。

ビクティニ:ここにもくまモンがいるよ。

ミュウ:ここならみんな大好きくまモンだもんね

 

阿蘇火山(中岳)の構造

阿蘇山こと阿蘇火山は、文字通り『活火山』です。

大昔はもとより最近でも度重なる大噴火を引き起こしています。

こちらの解説は昭和40(1965)年のデータのようですが、当時のマグマの移動の観測によると深さ約40km、約10kmならびに火口直下約1kmの場所に位置することから推測されています。

阿蘇火山はA級火山に指定されるほど代表的な火山の1つです、しかしながら、桜島や浅間山などに比べると小さな爆発のみですんでいるようです。すなわち、この火山は比較的粘性が低いマグマに由来する活動であるからではないかとされています。

また、阿蘇火山の一部である『中岳』の噴火の特徴として、火山灰を伴う小規模な噴火が度々繰り返されるだけで、溶岩を流出するほどの噴火は殆ど見ることはないようです。

 

熊本県の温泉地
熊本県には、約1400箇所の温泉が湧き出ています。

熊本県の温泉地の数としては国内屈指の多さで、5番目に多い県です。温泉が大変多い北海道をはじめ群馬県、長野県などと肩を並べるほどの多さです。

このように熊本県内で千以上ものの温泉が湧き出ているのは、阿蘇火山が生み出した自然の産物なのです。また、阿蘇山に限らず九州では火山が多く点在するので、その分温泉も多く点在しているのが九州ならではの特徴でもあります。

 

地熱発電の仕組み

阿蘇山をはじめとする活火山の周辺には、このような地熱発電施設が設けられている場合があります。

これは、その地熱発電の原理を示す模型です。むろん、火山から発する『地熱』をエネルギー源とし、その地熱によって高温となった熱水を更に温めます。すると、その熱水は『水蒸気』となり、発電用のタービンを回して発電しているのです。そのため、エネルギーの補給は不要で、また自然に悪影響をもたらす廃棄物が少ないという利点があることから、まさにエコな発電方式ともいえるでしょう。

 

阿蘇山で見られる植物
阿蘇山は言わずもがな『活火山』ですが、火口の周辺は火山荒原とも言われる環境においてもイタドリやコイワカンスゲなどの植物が自生します。

特に火口付近で自生するイタドリは、火山灰に埋もれているのにも関わらず、長い根で枯れずに芽を吹き出すことから、生命力が強いです。

半球状に生えるコイワカンスゲも、火山灰によって成長するので、徐々に半球状の群生を生み出します。

他にも、阿蘇山麓ではミヤマキリシマの群生が見られることがあるので、それを探してみるのもいいのかもしれません。

 

皿石
これは、『皿石』といわれる溶岩の破片の1つです。

見ての通り皿のような形をしています。

主に中岳の周辺で見られるもので、噴火する際に『火山弾』として吹き出します。また、火口から発生する火山ガスによって岩石の表面が溶け、それが岩石の周辺に付着しながら成長しできたものです。

 

阿蘇山の草原のサイクル
阿蘇山の周辺に生える草原は、1年を通して様々な行事が行われています。

夏の時期こそ、あたり一面緑に覆われた大草原ですが、春から秋にかけて牛や馬の放牧が行われます。そのため、阿蘇の草原は『千年の草原』ともいわれ、草原の一帯は少なくとも千年以上前からこの草原を利用し、暮らしてきたことが考えられます。そのことから、いつしか『草千里』またの名を『草千里ヶ浜』と言われるようになった所以ともいえるでしょう。

秋が終わると、草原は枯れ草となり、冬には『野焼き』が行われ枯れ草を燃やします。

なぜ『野焼き』をするのかというと、草原の低木の成長を抑え、新たな草の芽吹きを促すためには欠かせない作業なのだからです。こうすることで、草原環境を維持しているということです。また、この草原に生息する生き物を守るのにもつながっています。

野焼きが終わると春にはまた新草が芽吹き、秋までかけて放牧されるのが阿蘇の草原の1年です。

阿蘇の草原では、大きく分けて『採草地』『放牧地』『湿地』で成形されています。これらの草原が阿蘇の景観が今日も保たれています。

 

阿蘇中岳の噴火によってもたらされた被害
阿蘇火山は、大昔から中岳を中心に噴火が度々起こっています。

これは昭和初期から平成初期にかけての噴火データを噴石分布図をもとに纏めたものです。

少なくとも火口から半径約1km以内の範囲で噴火時に降ってくる『噴石』によって、様々な被害をもたらしてきたようです。

 

火山弾の例1

火山弾の例2
『火山弾』は、文字通り噴火する際に火山の中のマグマから『破片』として火口から吹き出るものです。

そして、火口から吹き出されたマグマの一部である破片が空中で固まって、写真のように様々な形になります。また、形だけでなく状態によって岩石の表面の色も異なるようです。

 

壊れた火口カメラハウジング
中岳にて大噴火が起きた際、噴石が直撃して破損したカメラハウジングも展示されています。

この破損具合を見れば分かるように、阿蘇火山の噴火の凄まじさを物語っています。

右側の機械は1992年9月29日に、左側の機械は2016年10月8日の噴火によって破壊されています。

このような被害があったことから、中岳をはじめとする阿蘇火山の火口は非常に危険であるということが伺い知れます。そもそも火山の噴火は自然現象なので、いつ噴火するかは分からないのです。

 

スコリア
これは『スコリア』といわれる黒い軽石です。

別名『岩滓(がんさい)』とも言われています。

黒色または暗褐色をした多孔質という内部構造になっています。通常のスコリアの他に白色、淡色にもなっているものは軽石(浮石)とよばれ、黒系のスコリアよりさらに多孔質で軽いで、その軽石も噴火した時に含まれます。スコリアは玄武岩や安山岩をはじめ、鉄やマグネシウムなどの物質を含み、マグマの発泡によって生じます。

阿蘇火山から噴出されたスコリアは、その火山灰が火山の下部に降り注ぎ、やがて『米塚』といわれる円錐状の山を成形します。これらを『スコリア丘』といわれ、火山周囲に点在するスコリア丘は、火山が噴火した当時の様子を現在に伝えているのです。

 

阿蘇中岳 火口湖
火山の山頂火口には、このような湖が形成されます。

これを『火口湖』といい、阿蘇中岳の火口湖は温度が高いことから『湯だまり』と言われています。

この現象は、中岳の活動が落ち着いている時期に見られ、通常はこのような青緑色をしています。温度は約60~70℃と高く、pHは0.1を下回るほど酸性が強いのです。そのため、日本はおろか世界中の火口湖と比べても大変珍しい火口湖です。

 

阿蘇中岳における活動年表および古文書
阿蘇中岳における活動年表と古文書です。

年表を見るだけでも、阿蘇の火山はこれだけ多くの噴火が確認されているのかが確認できます。また、とある古文書の文章には「千里ヶ浜に長さ四尺幅貳間斗りの大石」とあるように、長さは1.2メートル、幅3.6メートルなので、かなり大きな噴石が降ってきたということを想像すると・・・・。阿蘇火山はそれだけ噴火が多く、今でも活火山で度々噴火を起こしています。しかし、これだけの噴火が多いということは『自然は生きている』という意味でもあるのです。まさに山の生命力を感じさせるかのようですね。

 

阿蘇中岳における映像記録
阿蘇中岳で起こった噴火を実際に撮影した記録が残されています。

これは昭和初期から平成初期にかけての噴火記録が保存されていますが、これまで度々起こる噴火が起こるまでに『湯だまり』から始まります。それから土砂噴出現象および火口底露出が起こると『赤熱現象』が発生します。更に火炎現象が起こり・・・やがて『噴火』が起こります。これが噴火するまでのサイクルになります。

 

噴出物から見た噴火の記録
これは、阿蘇カルデラ東部にある外輪山上に積もっている火山灰層をそぎ取ったものです。

最下部は、紀元前の大昔に流出した砕流堆積物が見られ、最上部が耕作面になっています。その間の地層は主にカルデラ内に発生した中央火口丘群が次第に発達し、時代ごとに降り積もった火山灰が層として積もっていったのです。この記録は少なくとも約5万年前から現在までの噴火記録であるということです。ちなみにこの写真でいう層の見方でいうと、左の層に行くほど地層は深くなり、地層の歴史は古くなります。

 

日本中の火山から採掘された岩石の一部
ここでは、日本列島にある火山から採掘された岩石が展示されています。

日本を代表する富士山の岩石は、玄武岩質でできているようですが、日本にある火山の大半は『安山岩質』の火山岩で形成されているようです。『安山岩質』は火山岩の分類でいうと、いわば中間的性質を持つものであり、日本列島のような成熟した島弧でよく見られる比較的ポピュラーな火山岩とされています。

 

ここで『活火山』について軽く説明すると、以下のように気象庁によって定義されます。

①過去約1万年以内に噴火したもの

②噴気活動が活発なもの

このような定義から、現在は日本において111の活火山が存在しています。中でも特に活動が盛んな19の活火山(阿蘇山も含む)については気象庁によって常時観測が行われています。

なお、2006年までは『活火山』の定義としては「過去2千年の間に噴火したことのある火山」と定義されていましたが、実際には2千年という期間は、火山の一生(数千年以上)から考えれば、短い期間だと考えられています。このことから、これまで2千年と定義してきた内容を「過去約1万年以内に噴火したもの」を『活火山』として改正されたという逸話が残されています。

実際には数千年以上にわたり活動を停止していた火山が再び噴火したという例があるそうです。

 

火山の種類
火山には様々な種類があります。

まずは地形でいうと、『楯状火山』『成層火山』『溶岩ドーム』そして『カルデラ』に分けられます。

楯状火山・・・比較的傾斜が緩やかな火山。西洋のたてをふせたような形状でマグマの粘性は低く、あまり爆発的噴火をしない。

成層火山・・・数百万年の寿命の間に何千回も噴火する活発的な火山。マグマの粘り気は標準的。ほぼ同じ火口から複数回噴火を繰り返すことで、火口周囲に溶岩および火山砕屑物・火砕流堆積物が積み重なり、円錐状の火山体が形成される。このため、 火山体は溶岩および火山砕屑物・火砕流堆積物などの互層であり、それが層を成していることから『成層』の名が付いた。なお、この種類は日本で言う富士山が代表例である。

溶岩ドーム(鐘状火山)・・・火口の上に噴出したマグマが盛り上がり形成された火山。流紋岩質やデイサイト(石英安山岩)質のマグマで出来ているため粘性は大きい。火口から押し出されたあと遠くへ流れず盛り上がった形状で固まってできたことから『溶岩ドーム』と言われている。なお、雲仙普賢岳の噴火によって形成された『平成新山』や有珠山の噴火によって形成された『昭和新山』が代表例である。

カルデラ・・・火山の噴火によって、火口を中心に大きく窪んでできた地形。断面的には凹状になっており、その直径が約2km以上のものを指す。噴火の際、火山体の崩壊あるいは陥没によって形成されたものが多い。また、雨などによって水が溜まり『カルデラ湖』ができることがある。代表例としては、ここ阿蘇はもちろん、北海道の洞爺湖や屈斜路湖、北東北の十和田湖などが挙げられる。なお、日本におけるカルデラは、阿蘇はもちろん北東北の十和田湖や北海道に行くと見られる。

 

阿蘇火山の地形
阿蘇火山の地形です。

中心には中岳をはじめとする火口丘群があり、周囲はカルデラ壁や外輪山に囲まれています。北側にはJR豊肥本線が通る『阿蘇谷』、南側には高森町や南阿蘇村のある『南郷谷』という地形で南北に分かれています。

 

阿蘇火山の地質
現在の阿蘇は、約9万年前の巨大噴火ならびにカルデラの形成中央火口丘群の活動などによって形成されました。

阿蘇地方では、地質的に火砕流堆積物が多いことや、カルデラ形成前の古い岩石も含まれています。そのため、中央火口丘群には流紋岩(粘り気のあるマグマ)から玄武岩(粘り気のないマグマ)まで、様々な種類の岩石が見られます。またカルデラ内には湖だった頃の堆積物も見られます。九州における火山堆積物は、阿蘇山はもとより大分県や長崎県の一部まで分布しています。特に約27万年前以降、火山から噴出された火砕流が広く覆われ、熊本市や阿蘇山周辺の地形の殆どが火山灰によって形成されたといっても過言ではないでしょう。

 

阿蘇中岳の火山灰
阿蘇山は煙が出ているというイメージがあるように、火山活動の際には火山灰を噴出しているのが大きな特徴です。

このようにして火山灰ができるのは、マグマの表面から生まれます。というのも、マグマの中に含まれるガスが成分としてサイダーのように泡立ち、ガスが連続的にマグマの表面を破壊し続けることではじめて『火山灰』が生まれるのです。

なお、火山灰というのはもちろん我々にとっては危険な物質で、火山ガラスや鉱物の結晶、その他の堆積物などが含まれています。それが人間の目や鼻、口などに入ったりすると障害をもたらしかねません。

火山灰と言っても、実際には石のかけら、様々な鉱物、あるいはマグマのかけらという風に解釈しても差し支えはないかと思います。また、噴火の状態によってかけらの料も変化する場合もあります。そして、その活動によってかけらの形状も穴が多かったりする場合もあります。

 

九州における堆積地帯

九州における体積地帯は、阿蘇山とその周辺はおろか鹿児島県でも火砕流による堆積物が積もった地形が確認されています。

鹿児島県は、桜島があることから、その噴火で堆積物が積り、至るところで台地が形成されたのでしょう。

 

九州におけるカルデラ地帯
九州は火山の多い地形が特徴的です。

特に阿蘇山とその周辺は外輪山が多いため、阿蘇は九州において最大級のカルデラ地帯ともいえます。

一方、九州南部でもいくつかカルデラ地帯が点在しているのが確認できます。

それは鹿児島県に3箇所のカルデラ地帯が存在しているのです。

桜島で有名な『姶良カルデラ』、開聞岳や池田湖のカルデラ湖が点在する『阿多カルデラ』、そして薩摩硫黄島のある『鬼界カルデラ』です。

他にも、大分県や長崎県の一部にもカルデラが点在しています。

 

阿蘇火山の地形

阿蘇火山の中央火口丘群には、『中岳』の他に『高岳』『烏帽子岳』『杵島岳』『根子岳』の五つの火山が存在しています。

これらの中央火口丘群を『阿蘇五岳』と呼ばれます。

そして、周囲の『阿蘇谷』や『南郷谷』を挟むように外輪山に囲まれているかがよく分かります。この写真で見ると、阿蘇カルデラがいかにスケールが大きいかが感じられます。

阿蘇火山の地質断面
これは、阿蘇火山の断面を示す模型です。

中岳を中心に火山の断面および周辺の地質が表示されています。

阿蘇火山は、もっと古い時代にカルデラが成形された時から噴出物が堆積しています。中岳から吹き出した火山灰が周辺に積もったことで、残り4つの火山が成形されたことで、阿蘇火山の成り立ちとなったとも言えるでしょう。まさに活火山の噴火が生み出したカルデラ地形は不思議かつ奥が深いですね。

 

ここで、阿蘇火山の誕生から現在にかけての生い立ちについて説明しましょう。

阿蘇は世界的に有数のカルデラ火山です。カルデラが形成された際に噴出した火砕流堆積物は九州中部を中心に分布し、またその後生まれた中央火口丘群がカルデラ内に発達しているのです。

①九州中部より北部にかけ第四紀更新世初期(約200~60万年前)、多くの火山が活動していました。今の外輪山など、これらの火山の一部が見られます(俵山・鞍岳・らくだ山など)。

②約60~40万年前頃、九州中部で再び火山活動が活発化し、万年山溶岩、耶馬渓溶結凝灰岩などを噴出。東部外輪壁の一部にもその時期に噴出した流紋岩も見られます。

③約30万年前、大規模な火砕流とともに火山活動が始まり、はじめて『阿蘇火山』が誕生します。その後、約14万・12万・9万年前の合計4回にわたり大きな活動期がありました。

④約9万年の大噴火によって大量の火砕流を噴出および陥没などによってカルデラが形成されました。そして、その窪みに雨水がたまり湖ができました。

⑤カルデラ形成後、まもなく中央火口丘群の活動が始まります。そして立野火口瀬の成形による湖水の流出ならびに溶岩流によるせき止め、再び流出などを数回にわたり繰り返されました。

⑥中央火口丘群のうち中岳は複雑な活動を繰り返しつつ、現在でも噴火活動がなおも行われています。

 

阿蘇火山の岩石 展示
阿蘇カルデラの一帯が『阿蘇ユネスコジオパーク』になっています。

訪問時には阿蘇火山の岩石が展示されていました。

中岳をはじめ、中央火口丘群から噴出された溶岩や火砕流堆積物などが展示されています。

数十万年前のものから3万年前のものが展示され、いずれも太古の堆積物が残っているのは、大変貴重です。

 

阿蘇市は火山と歩んできたまち
阿蘇市も『阿蘇カルデラ』の中にあるまちです。

阿蘇市は、大昔の火山活動によって生まれたカルデラの上に存在しています。

そして『阿蘇ジオパーク』のほぼ中央にあり、比較的起伏の少ない北外輪山に囲まれ、現在の場所にあった湖が消失し、やがて平坦な大地となり、今の阿蘇市として栄えています。また、中央火口丘群や周辺の外輪山に含まれる地下水が流出していることから、水に恵まれたまちでもあります。

そのため、阿蘇市は各地に湧き水が生まれ、水の歴史や文化を育んでいったのです。

 

昼食

昼食は高菜チャーハンをいただきました。

しかもチャーシュー付きなので美味しかったです。また、阿蘇のミルクを使ったフロートも美味しかったです。

ビクティニ:チャーシューうまい!

ミュウ:高菜チャーハンおいしい!

ビクティニポンチョのピカチュウ:ミルクフロートおいしい!

トトロ:トトロ~(おいしい)

 

城山展望所から見た阿蘇五岳
さて、これから黒川温泉へクルマを走らせます。

カルデラ盆地から県道11号を北上し、途中で見つけた城山展望台から阿蘇五岳を眺めてみます。

展望台から見る阿蘇五岳は、左側に根子岳、中央には中岳と高岳が見えます。

このあたりは阿蘇くじゅう国立公園になっていて、阿蘇五岳や阿蘇カルデラの眺望が楽しめます。

しかし、この日の天候はくもりか雨といったようで、中岳と高岳には雲が被っていました。また、展望所には売店もあり、ぶどうや梨などが売られていました。

ビクティニ:ここから阿蘇山が見えるよ!盆地の田んぼもいい感じに絵になるな・・・

ミュウ:でも、山頂に雲が被ってるね

 

大観峰

大観峰から見る阿蘇山
眺望スポットとして定番な大観峰からも阿蘇山を眺めてみます。

ここから見る阿蘇山と阿蘇カルデラのパノラマが雄大です!

まるで天空の高原から阿蘇山を見ているようです。先程の城山展望台よりも遠くから見る阿蘇五岳とカルデラの全景を眺められました。

大観峰は、内牧温泉の北東にある北外輪山の一峰です。かつては『遠見ヶ鼻』と呼ばれていましたが、大正期に『大観峰』へと改名されています。阿蘇盆地や阿蘇五岳はもちろん、くじゅう連峰も見渡せます。ここから見る阿蘇五岳は、お釈迦様の寝姿にみえることからも『涅槃像』とも言われています。

 

黒川温泉

さて、長いことクルマを進ませ、『黒川温泉』に到着しました。

黒川温泉は、熊本を代表する定番温泉地で、九州全域でもトップになるほど有名な温泉地です。

しかし、アクセスは非常に困難で、阿蘇より更に山奥にあり、もはや熊本県というより大分県との県境寄りにある温泉街といったところでしょうか。そのため、21世紀に入る前までは、地元新聞が発行する『熊本県万能地図』に、『黒川温泉』の名称がなかったほど秘境の温泉だといいます。そのため、ほとんど開湯当時とはほぼ変わっていない野趣溢れた温泉街です。

黒川温泉の歴史は大変古く、江戸時代中期には『湯治の場』として親しまれていました。かつては肥後細川藩の国境付近にあることから、藩の役人も利用する『御客屋』として位置づけられました。その『御客屋』はまさに写真に写っているものがそれです。明治になると、廃藩置県が行われた後も、けがなどによく効く温泉として半農宿の営みが続けられました。

そして、戦後になると『黒川温泉郷』として発足し、昭和36(1961)年、6軒の旅館によって黒川温泉観光旅館協同組合が設立。『露天風呂を集めた温泉街』のコンセプトをもとに現在でも多くの観光客で賑わっています。

なお、このあたりの道は大変狭いので、路線バスなら問題なく訪問できますが、レンタカーやマイカーで訪問する場合は注意しましょう。温泉街入り口に公共の駐車場があるので、宿泊される方はそちらの駐車場の利用をおすすめします。

ビクティニ:ここが黒川温泉か。川のせせらぎが聞こえてきて、とてもいい雰囲気だ

ミュウ:旅館も良い雰囲気だね

 

黒川温泉 夕食

旅館の夕食も「さすが熊本!」といわんばかりに、熊本ならではの食材がふんだんに使われています。

馬刺しやらマスの刺し身やらで大変美味しかったです。

ビクティニ:うまい!さすが熊本!!今まで泊まった旅館で最高かもしれない・・・

ミュウ:おいしい!

ビクティニポンチョのピカチュウ:おいしいね。やっぱり自然で育ったからなのかな?

トトロ:トトトロ~!(すごくおいしい!)

 

黒川温泉 朝ごはん

朝ごはんも、熊本の食材がふんだんに使われていて、とても美味しかったです。

しかも、旅館から温かいメッセージも・・・。

 

黒川温泉を後にする一行

ということで、次回は『熊本旅行記』の最終回になります!

お楽しみに!

 

 

『阿蘇カルデラをドライブ旅! 前篇』をお伝えしました。