ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり、鉄道名所(景観路線や歴史ある鉄道スポットなど)スポットめぐりや風光明媚な鉄道旅、日本の観光地の歴史や景観めぐりなどを紹介するコーナーです。よろしゅうお願いします。

北海道紀行2023GW 1日目 道東最南端の岬“襟裳岬”へ!&初めての乗馬体験

みなさん、こんにちは。

2023年GWに北海道へ旅行に行ってきました。

今回は帯広から出発し、日高地方や富良野をレンタカーで回ります。その後、帯広から釧路まで列車で移動、釧路湿原でノロッコ号やカヌーを楽しんだ後、列車で北見まで進み、丸瀬布や美幌峠、東藻琴のシバザクラを見て女満別空港で終わりという形です。

 

とかち帯広空港からスタート
ということで、羽田空港から飛行機でとかち帯広空港までやってきました。

ここから車を借りて、帯広周辺や日高地方、富良野・美瑛を回ります。

この日は、道東最南端にある襟裳岬まで目指していきます。

ビクティニ:今回は北海道の最南端(道南を除く)にある襟裳岬まで行き、その後は富良野・美瑛をまわって道東へ向かいます。

ビクティニポンチョのピカチュウ:帯広からスタートするんだね。

ぐんまちゃん:北海道は初めてなんだ。群馬生まれのぼくとしてはわくわくしてきた。

アルクマ:どんなところを回るんだろうクマ。

 

 

十勝平野の景色

まずは、レンタカーを借り、帯広周辺をドライブ。あたり一面、白樺の林や雄大な畑が広がっています。

ビクティニ:いかにも北海道って感じだよね。

ビクティニポンチョのピカチュウ:育てているのはじゃがいもなんだろうね・・・

 

旧幸福駅跡(幸福交通公園)
さて、帯広空港から車で10分ほどの場所にある『旧幸福駅(幸福交通公園)』にやってきました。
かつて旧国鉄広尾線が通っていた場所で、当時はここに幸福駅があったのです。

今は『幸福交通公園』として整備され、十勝地方を代表する観光地であります。また、駅名の『幸福』は縁起がいいことから保存され、多くの観光客が訪れます。ここから少し北へ行くと、もう1つの駅跡『愛国駅』があります。そちらも旧広尾線の駅跡です。

ビクティニ:幸福駅に来るのも、これで2回目だね。ここに来るとどこかノスタルジーな雰囲気で好きになるよ。

ビクティニポンチョのピカチュウ:なんか古い車両が停まっているよ。

作者:あれは『キハ22形』というディーゼルカーだよ。昔は北海道各地のローカル線で活躍した気動車なんだ。かつてここを走っていた旧国鉄広尾線でもこれが走っていたんだよ。

 

幸福駅の駅名標

当時使われていた駅名標も至るところで見られます。

この駅名標もだいぶ昔に使われたものと思われます。もっとも今では記念撮影用の台になっているようです。

ビクティニ:さあ、みんなで記念撮影だよ!

ビクティニポンチョのピカチュウ:はいチーズ!

ぐんまちゃん&アルクマ:幸福なだけにハッピー!

カシャ(撮影の音)

 

幸福駅の駅舎
幸福駅の駅舎です。
いかにも北海道らしく昔ながらの木造駅舎がかなり味を出しています。

開業当時と似つかわしい姿で保存されています。

幸福駅は、昭和31(1956)年の8月に国鉄広尾線にて、当初は仮乗降場として開業しましたが、同年11月1日には駅として昇格しています。その後、旅客駅として30年間活躍し、国鉄民営化(JR化)になる直前の昭和62(1987)年2月2日には、広尾線の廃止とともに廃駅となりました。

このような駅名の由来となったきっかけは、現在の札内川のアイヌ語名『サッナイ(sat-nay)』『さつない(幸震)』と当て字し、のちに音読みの『こうしん』を村名としたものの、福井県からの移住が多かった土地であったため、そして“将来の幸福を願うという意味合い”から『幸福』という駅名がつけられたと言われています。

 

幸福駅の切符売り場(?)

かつての幸福駅の切符売り場らしき建物も見受けられます。

ここで、広尾線の切符の発売を行っていたのでしょう。

今でこそ、土産物を扱う売店として使われていますが、現役時代は待合所兼ねで売店として使われていたようです。当時は、駅名の縁起の良さから乗車券やら入場券やらでブームを巻き起こした時期があったそうです。

 

愛の国から幸福へ
この駅では、“愛の国から幸福へ“というキャッチフレーズがつけられています。

幸福駅の周辺はほとんど畑ばかりで開業当初からこそ利用者は10人前後と非常に少なかったものの、昭和48(1973)年のNHKの紀行番組『新日本紀行』の『幸福への旅~帯広~』にてこの幸福駅が紹介されたことから、知名度が上がり有名となりました。そのため、昭和47(1972)年には7枚しか売れなかった愛国~幸福間の切符は、その翌年には約300万枚、さらに4年間で千万枚超えも売れた時期があったといいます。

ところが、ブームの最盛期となった1974年の営業係数が704から189へと大幅に改善されたものの、翌年の1975年以降は徐々に悪化、“愛の国から幸福へ“というブームはもはや一時的な効果でしかなかったようです。

 

当時の広尾線の時刻表

売店の“愛国駅から幸福ゆき“の切符の販売看板も当時のままで残されています。

当時のアピール看板も時代を感じさせられます。

右の看板こそ当時現役だった幸福駅の時刻表ですが、見ての通り1日6往復と少ないように見えます。特に8時台の次が12時やら14時とかなり空いているようです。恐らくこの時刻表は国鉄末期の1986年頃のものと思われます。

 

幸福駅のホーム
幸福駅のプラットホームです。
現役当時は1面1線のいわゆる『棒線駅』でした。

ホームや線路、駅名標などは現役当時の状態なままで残されており、そして田園風景の中に残された2両のディーゼルカー・・・。どこかノスタルジーな雰囲気を醸し出しています。ホームに面した場所にディーゼルカーが展示されているのを見ると、あたかも現役時代の姿を見ているかのようです。もっとも、今でこそこのディーゼルカーは動いていません。

 

幸福駅について

当時はただ畑の中にある駅だった幸福駅もいつしか“愛の国から幸福へ“というフレーズで有名になったことを考えると、ブームの影響は凄まじかったものと伺えますね。

そのフレーズからこの駅をテーマにした曲もヒットしたそうです。

昭和末期には鉄道駅としての役割を終えても、ふれあい公園として整備されてから多くの市民や観光客が訪れる観光地として生まれ変わり、幸福駅の存在が今でも伝わっているのが感じ取れます。

 

かつて広尾線で使われたディーゼルカーの窓から見る風景
昔に使われたディーゼルカーの車内から田園風景を眺めてみましょう。
こうして見ると、まるで現役時代の広尾線に乗っているようです。

現役時代は、畑が線路の脇にまで広がって、もっと牧歌的な雰囲気だったに違いありません。

ビクティニ:昔ながらのディーゼルカーから見る車窓って不思議と癒やされるよね・・・。もし、ぼくが昭和生まれのポケモンだったらな・・・

ビクティニポンチョのピカチュウ:その頃はまだ生まれてないでしょ(笑)

ぐんまちゃん:なんか川場村のSL公園みたいだね。でも、群馬ではディーゼルカーなんてあまり見ないから、珍しいかも?

アルクマ:長野にも廃線になった鉄道はあったけど、昔の北海道ではたくさん鉄道があったんだクマ。このようなディーゼルカーって小海線や飯山線でも走っていたのかな?

 

キハ22形の車内
広尾線で使われたディーゼルカー『キハ22形』の車内です。

車内の床は昔ながらの板張りで、椅子や窓枠なども木でできています。また、天井の扇風機も当時は冷房がなかった時代ならではの代物。まさしくノスタルジーな雰囲気ですね。

 

キハ22形の運転台

キハ22形の運転台です。

この運転台も最近ではあまり見ない、いわゆるアナログな仕様になっています。

 

幸福駅の駅舎内に貼られたたくさんの幸福行き切符

駅舎内にはたくさんの幸福行きの切符が無数に貼られています。

幸福駅への思いが込められているのでしょう。

 

幸福駅で食べるソフトクリーム

幸福駅で食べるソフトも美味しいです。

ここは畑に囲まれた田園風景なので、濃厚なソフトを味わいながら眺める幸福駅なだけに幸せです。

 

幸福行き切符をポストに投函

ここでは、幸福行き切符のはがきの裏に送り先を書いてポストに入れると、送り先に幸福行きの切符はがきがオリジナルの消印を押印した上で送られます。

 

★幸福駅から襟裳岬までのルート★

さて、幸福駅から襟裳岬まで車を走らせます。

幸福駅から襟裳岬までの所要時間では概ね1時間半ほどで距離はなんと106km

かなりの長距離ドライブになります。最初は帯広・広尾自動車道を進み、国道236・336号を経由して襟裳岬へ向かいます。

しかし、襟裳岬までの道中はかなり長く、最初は牧歌的な牧場の風景を走りますが、国道336号に差し掛かると、海の風景に変わっていきます。さらに襟裳岬へ近づくにつれて晴れから曇りに変わっていき、海も凄まじい大しけと壮絶な景色へと様変わり。

そして、襟裳岬へ近づくにつれて次第に風も強くなってきます。

 

襟裳岬への看板

帯広から車を走らせ、かれこれ1時間半・・・・ようやく襟裳岬に近づきました。

しかし、ここに居るだけでも強風が車に襲いかかります。周囲の風力発電のプロペラもかなりの速度で回転していました。襟裳岬の自然の厳しさが垣間見えますね・・・。

 

襟裳岬に到着
先程の幸福駅から車を走らせて約1時間半、ようやく襟裳岬に到着しました。

帯広・広尾道および国道236号を経て広尾町を経由し、さらに国道336号をひたすら南下して進んでいくと、やっとの思いでたどり着きます。

ここでは、広い駐車場にお土産屋がある他は殺風景な原野ただっ広い太平洋が広がる、まさに自然の中にある秘境です。

アクセスとしては、車で直接行くことができますが、一番近い空港の『とかち帯広空港』からでさえも軽く100kmはあるので、かなりの長距離になります。路線バスもアクセスは可能ですが、運行本数も少ないので、よく調べておいた方がよさそうです。

ビクティニ:ここが襟裳岬だね。でも、ここにいるだけで強風が身体に当たる・・・。

ビクティニポンチョのピカチュウ:周りは遮るものがないから風が半端ないや・・・。

 

襟裳岬について
襟裳岬は、道東最南端かつ日高山脈の最南端に位置し、日高山脈襟裳国定公園にあります。

日高山脈は北海道屈指の山脈地帯で、真ん中にあることから“北海道の背骨“という別名もつけられています。南北150kmに及び、2千メートル級の山々が連なる山脈の突端部に“襟裳岬“が点在しています。ここはアイヌ民族の精神的・聖地的に重要な場所であるとして、国の名勝である『ピリカノカ(アイヌ語で『美しい形』)』の四箇所目として『襟裳岬(オンネエンルム)』(アイヌ語で『大きな岬』)が平成22(2010)年に指定されています。

 

風の館
ここは、国内屈指の強風地帯です。

襟裳岬では、風速10メートル以上ものの風が吹いています。このように風の強い日は年間260日以上もあるそうです。

こちらの『風の館』では、望遠鏡を使ってアザラシを観察したり襟裳岬特有の強風を体験したりできます。

ビクティニ:たたでさえ、ここに居るだけでも十分風が強いのに、強風体験で風速20メートル以上ものの強風を受けたらと思うと・・・。もはや嵐のように吹き荒れている・・・。イメージ以上に穏やかな岬じゃない気が・・・。

ビクティニポンチョのピカチュウ:年間の殆どの日は強風が吹く場所と聞いたけど、まさかここまで風が強いなんて・・・。

 

襟裳岬灯台
道東最南端にそびえ立つ襟裳岬灯台です。
見ての通り、まさしく最果てにあるような場所に灯台が建っています。

襟裳岬先端に立つ白亜の大型灯台で、『日本の灯台50選』にも選ばれています。このあたりは強風地帯ということもあってか、襟裳岬沖合では温暖気流と寒冷気流が交わり合うため、霧が発生しやすい環境でもあります。そのため、『海の難所』としても知られており、年間100日ほど海霧が発生することも珍しくありません。

このような襟裳岬に建てられた灯台は、灯塔高(地上から塔頂まで)13.7メートル、ならびに標高(平均海面から灯火まで)73.3メートルあります。現在は第3大型フレネル式レンズを使い、光度は72万カンデラ(実効光度)、光達距離22.5海里(約41キロメートル)の高性能な灯質性能で襟裳岬沖合を航行する漁船や貨物船を見守っているのです。

明治22(1889)年6月25日に初点灯し、当時は特大レンズを使用した第一等灯台でしたが、昭和20(1945)年7月15日に戦時中の爆撃で破壊されてしまいます。

その後、昭和25(1950)2月3日には再建され、現在の白亜の大型灯台として今日も襟裳岬の海の安全を見守っています。

 

風極の地 襟裳岬
襟裳岬では常にと言っていいほど強風が吹いています。
そのため、襟裳岬は“風極の地“とも言われています。

ここに居るだけでも、常にかなりの風が吹いており、体中が冷えてしまいそうです。ここまで強風な場所はなかなか無いでしょう。まさしく『風の岬』と呼ぶにふさわしい場所なのかもしれません。

 

島倉千代子に歌われた“襟裳岬“の石碑と太平洋の海
襟裳岬は、演歌にも歌われたほど有名な岬です。
ここは歌碑が二つもある珍しい場所でもあります。

1つ目は昭和46(1971)年に島倉千代子が歌った“襟裳岬“の歌碑が町名改称の記念とともに建立されたものです。

中でも“襟裳の春は何もない春です“と歌われているのが有名になっています。

演歌“襟裳岬”には・・・

北の街ではもう 悲しみを暖炉で

燃やしはじめてるらしい

理由(わけ)のわからないことで 悩んでいるうち

老いぼれてしまうから

黙りとおした 歳月(としつき)を

ひろい集めて 暖めあおう

襟裳の春は何もない春です

 

君は二杯めだよね コーヒーカップに

角砂糖をひとつだったね

捨てて来てしまった わずらわしさだけを

くるくるかきまわして

通りすぎた 夏の匂い

想い出して 懐かしいね

襟裳の春は何もない春です

 

日々の暮らしはいやでも やってくるけど

静かに笑ってしまおう

いじけることだけが 生きることだと

飼い馴らしすぎたので

身構えながら 話すなんて

ああ おくびょう なんだよね

襟裳の春は何もない春です

 

寒い友だちが 訪ねてきたよ

遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ

 

・・・という最果ての岬ならではの悲しみと寂しさが込められています。

 

森進一に歌われた“襟裳岬“(襟裳の春は何もない春です)
もう1つの“襟裳岬“を歌った森進一の歌碑です。

これは平成9(1997)年の『風の館』の完成とともに森進一が訪れた時に記念として建立されたものです。襟裳岬の歌はこちらの方が有名かもしれません。

なお、歌詞はいずれも全く同じです。

 

襟裳岬の展望台
襟裳岬の展望台です。
ここから太平洋を眺める景色は、壮観にして最果て感が半端ない雰囲気です。

北緯41度55分28秒、東経143度14分57秒に位置し、太平洋に面しています。

襟裳岬は、日高山脈が徐々に標高を下げ、そのまま太平洋へ沈んでいくような地形になっています。強風の地帯に加え、展望台の向こうに見える岩礁と荒波が、いかにも壮絶な自然の中に居ることを物語っています。まさしく北海道の一部分を表徴するありのままの自然地形です。

ここの展望台から海面まで約60メートルほどの高さがあるので、壮大かつダイナミックな太平洋の眺望に感動するほど圧巻な光景です!

ビクティニ:ここから見る雄大な太平洋が圧巻!長いドライブ旅をしてきて、ようやくやってきた時の感動すら覚えてしまう・・・。

ビクティニポンチョのピカチュウ:やっぱりここは風が強いね・・・。海の波もすごいし・・・。

ぐんまちゃん:うわ~、すごい絶景だ!群馬には海がないから、海の絶景に感動しちゃった!

アルクマ:でも風がすごいクマ・・・。穂高岳の山頂でもすごい風なのに、ここでは穂高連峰もびっくりするほど強風だクマ!

 

太平洋へ吸い込まれるように続く襟裳岬の突端部
さて、風の館から先に続く『突端部』にも行ってみます。
ここから突端部へは長い階段が太平洋へ吸い込まれるように続いています。

そして、眼下には荒々しい大しけがうなる入り江と無数の岩礁が見えます。

やはりここにも強風が吹いています。しかも、先程いた展望台や風の館より太平洋に近い場所にいるので、更に風が強く感じます。ここから突端部を見るとかなり圧巻な光景で、日本ではなかなかこのような光景は見れませんね・・・。

日高山脈の突端部ということもあり、襟裳岬の突端部から先に続く岩礁地帯は、山脈がそのまま海に続いていることから、ここも日高山脈の一部分であることが伺えます。

 

襟裳岬の先端部から続く岩礁地帯
襟裳岬の先端部にやってきました。
ここが日高山脈の突端にして襟裳岬の一番端です。

その山脈が海へ沈んでいくような地形であるように感じ取れます。

ここから更に続く岩礁地帯は、約2kmほどにも及びます。この地形から見れば、まさに日高山脈の陸地が海の中へ吸い込まれているかのように、そのまま太平洋へ続いていることが分かります。

また、このあたりは『ゼニガタアザラシ』といわれるアザラシたちのすみかになっています。

ゼニガタアザラシは、同じ岩礁で通年生息する定着性の高いアザラシで、黒い身体に白いリング模様がついているのが特徴的です。その模様がかつての日本の通貨の銭に似ていることからつけられたといいます。準絶滅危惧種にも指定され、ここ襟裳岬においては、最大で約600頭ものの上陸が確認されている、日本最大の生息地にもなっています。

この時期は5月なので、出産と子育てが行われます。特に夏になると年に一度の換毛(人間で言う衣替え)をするので、それを行うために多くのアザラシたちが岩礁に上陸します。そのため、夏が岩礁に上陸する頻度や時間が多いため、一層多くのアザラシたちが観察できるのです。

写真の岩礁に写る白いものは、ゼニガタアザラシかと思われますが、突端部とはいえども岩礁を撮影するだけでも、あまりにも高低差が大きいせいか遠すぎるのでアザラシなのかどうかすらも分かりません・・・orz

ちなみに、ここから南東185kmの海面下には“襟裳海山“といわれる海中の山が存在しています。襟裳海山こそ、日本海溝の最北端の深い海底に位置し、その海山の高さは、日本一高い山として名高い富士山でさえも凌駕する高さでなんと・・・・・・・・。

4,200メートルあります!!

更にその山頂地点でさえも、海面より約マイナス3,700メートルの深海に位置しているのだそうです。自然の地形って恐ろしいほど不思議ですね・・・。

 

えりも町のお寿司屋で夕食
さて、襟裳岬を見物した後は、近くのお寿司屋さんで夕食にします。

ここで、『生ちらし寿司』を注文しました。海に近いので産地直送物だったかと思います。とても美味しかったです。

ビクティニ:ここの海鮮ちらしはなかなか美味しい!魚介もとれたてっぽいし。

ビクティニポンチョのピカチュウ:ここの海の幸は美味しい!

アルクマ:北海道の海の幸って長野ではなかなか食べられないから、美味しいクマ!

ぐんまちゃん:これはとても美味しい!

 

★襟裳岬から新冠温泉までのルート★

さて、今宵の宿へ向かうべく、襟裳岬から新冠温泉まで車を走らせます。

距離としてはちょうど100km。これまた長かったです。

えりも町の町並みを出発し、国道336号と235号を進み、様似町、浦河町、新ひだか町を通り、目的地の新冠温泉まで約2時間かけてドライブしました。かなりの長距離ドライブになったので、大変疲れ気味です・・・。

ちなみに、このあたりには、かつてJR日高本線が様似まで走っていたのですが、平成27(2015)年には高波の被害を受け、一部の路盤が崩落してしまいました。そのため、鉄道の復旧が難しいのかそのまま廃線になってしまったようです。しかし、路線バスは運行されています。

 

新冠温泉レ・コードの湯(ホテル・ヒルズ)
今宵の宿に到着したのが、19時50分頃のこと、『新冠温泉』に到着です。

ビクティニ:長いドライブ旅になっちゃったね。やっぱり北海道は広かった・・・。もし、目的地が苫小牧だったらもっとかかっていたかも・・・。

ビクティニポンチョのピカチュウ:途中でガソリンスタンドに寄り道しちゃったもんね。

ぐんまちゃん:高崎からみなかみまでドライブするより長かったかも・・・。

アルクマ:長野県の端から端までの半分ほどの距離があったクマ。

 

 

新冠はレコードの町で有名
新冠町は『レコードのまち』としても知られています。

近くにあるレ・コード館では、新冠町が広く全国に呼びかけてレコードを収集し、保存、あるいは公開されています。現在、歌謡曲からクラシックまで様々なジャンルのレコード36万枚が収蔵されているそうです。

もちろん、新冠温泉のホテルでもレコードを聴くことができるので、訪れたらぜひ昔ながらのレコード音楽を聴きたいものです。

ビクティニ:結構古い音楽だね。かれこれ50年前のものかな?

ビクティニポンチョのピカチュウ:レトロ感があって落ち着くね。

 


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新冠の牧場から見る海の景色
日高地方は、太平洋に面していながら、牧場が多く点在しています。

酪農のために乳牛を飼育しているところもありますが、日高地方では主に馬が飼われているところが多いようです。

さらに、小高い丘や牧場から眺める太平洋の景色も日高地方らしくて素敵です。

 

新冠温泉の朝食

新冠温泉の朝食です。

朝食は、日高地方ならではの食材がふんだんに使われています。

中でもタコ料理が出てきたり、手作りのおにぎりまで・・・全体的に素朴な朝食です。

ビクティニ:おいしい!まさに北海道の食材そのものが使われている。

ビクティニポンチョのピカチュウ:量も質もちょうどいいね。

アルクマ:おいしいクマ!

ぐんまちゃん:おいしい!タコのおでんとかもおいしいね!

 

かつて沿線に存在した日高本線
ホテルの館内には、かつて存在していた日高本線の写真が展示されていました。

先程も話した通り、日高本線の線路は2015年の高波によって、一部の線路が崩落している箇所があり、復旧が難しいことから断念し、廃線時のままで鉄道として運行される日高本線は苫小牧~鵡川間のみになっています。鵡川以東で活躍する現役時代の日高本線の写真が残っているだけでも貴重ですね。

 

新冠ホロシリ乗馬クラブ
さて、宿の観光案内で“ホロシリ乗馬クラブにて乗馬体験ができる”というのを知り、せっかくなので乗馬体験をしたいと思います。

宿の方に聞いたところ、当日は空きがあるとのことなので、今回は『体験林間コース』を申し込みました。コースの所要時間は概ね50分程度で、1回8,000円です。他にも安全のためヘルメットやブーツを着用し、乗馬体験を行います。

 

ビクティニ:ここでは乗馬ができるんだね。でも、ぼくたちは馬に乗れないから見てるだけ。

ビクティニポンチョのピカチュウ:そうだね。それにしても、ここは長閑なところだね。

 

乗馬体験
ということで、実際に乗馬体験をしました。
今回は自分の手で馬を操り、森林地帯を散歩する『体験林間コース』に参加します。

ここでは、かつて競馬で活躍していたお馬さんたちが、長閑な牧場の中でのんびり乗馬するために飼われています。

ちなみに、今回乗った馬は“プライドエンブレム“くんという名前です。

まずは、ならしで馬の手綱を動かします。足で軽く蹴ると動き出し、手綱を緩めても勝手に動いてくれます。逆に手綱を引っ張ればブレーキとなり、常に引いた状態で停止状態になります。

ある程度馴らしたところで、林の中を散歩します。日高山脈や牧場の景色を眺めつつ、森林の中を散歩する乗馬は他では味わえない牧歌的な気分になります。どこぞの観光牧場なら、たいてい引き馬だったりするのですが、ここでは自分の手で馬を操りながら牧場や森林の中を散歩するスタイルなので、とても楽しい経験となりました。

 

馬の前で記念撮影

我々の参加したグループの次のグループも同じようにレクチャーを受け、林の中を散策していくことになるでしょう。

かつて競馬場で活躍していたお馬さんたちは、こうした長閑な環境の中で、のんびり歩いている方が幸せなのに違いありません。

ビクティニ:さっき作者さんが乗っていたお馬さんは結構大きかったね!ぼくの何倍あるんだろう?

ビクティニポンチョのピカチュウ:インストラクターさんの話によると元は競馬として使われていたお馬さんが飼われているんだって。

ぐんまちゃん:ギャンブルじゃなくて長閑に牧場で暮らす方が幸せだもんね。馬同士のぼくにはその気持わかるよ

アルクマ:長野でも乗馬ができるところはたくさんあるけど、北海道では環境が違うから、見ている方でも楽しいよ!

 

廃止から時が止まったまま残っている日高本線の線路

さて、続きは次の記事になりますが、次回は富良野方面へ向かいます。

これは、ドライブの途中で撮影した日高本線の線路跡です。

日高本線は、もともと苫小牧を起点に、新冠町や日高町、新ひだか町、浦河町、様似町、さらには襟裳岬や広尾町を経由し、最終的には当時の広尾線とつなげて帯広まで結ぶ路線として計画されていましたが、襟裳岬まで鉄道を敷くのには、線路取得用地の確保が環境的に難しいのか、様似駅が終着駅となりました。したがって、日高本線は苫小牧駅から様似駅を約146kmで結ぶ長大ローカル線となったのです。

もともとは王子製紙の関連会社であった苫小牧軽便鉄道(大正13年開業)ならびに日高拓殖鉄道(大正13年開業)という2つの軽便鉄道を、昭和2(1927)年に国有化し、軌間を762mmから1,067 mmへ改軌した上で、昭和8(1933)年~同年号12(1937)年にかけて様似駅まで延長した路線です。もっとも、当時は広尾線でも広尾駅まで開業したものの、民営化寸前の昭和62(1987)年には廃止されています。ただし、未成線区間の様似駅~広尾駅間はジェイアールバス日勝線によって運行されていましたが、そちらも廃止されているようです。

そして、平成27(2015)年1月8日には、厚賀駅 ~大狩部駅間にて、高波により路盤の土砂が流出し、鵡川駅~様似駅間が不通になり、さらにその翌年の8月31日には台風10号によるケーブル切断により更に被害が増し、ついに全線で鉄道による運行は不可能になってしまいました。その後、苫小牧駅~鵡川駅間は復旧できたものの、残りの116kmは復旧されぬまま、令和3(2021)年4月1日には鵡川駅~様似駅間の鉄道事業としては廃止となり、正式に路線バスへ転換され、現在に至っています。このエピソード、旧信越本線の碓氷峠(横川駅~軽井沢駅間)に似ていますが、横軽の場合は新幹線の開業で廃止となったというもので、日高本線の場合は自然災害によって廃止されたものなので経緯としては違います。しかし、鉄道からバス転換された点としては似ています。横軽と同じように、線路はハッキリ残っているし・・・。

 

ということで、次は富良野へ向かいます。

 

“道東最南端の岬“襟裳岬”へ!&初めての乗馬体験“をお伝えしました