ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり、鉄道名所(景観路線や歴史ある鉄道スポットなど)スポットめぐりや風光明媚な鉄道旅、日本の観光地の歴史や景観めぐりなどを紹介するコーナーです。よろしゅうお願いします。

2023年 正月旅行 山陰・長崎方面 美保神社にて初詣&水木しげるロード

皆さん、こんにちは。

今回は、松江城の周辺にある神社や美保神社へ初詣に行ってきました。

 

玉造温泉駅

まずは玉造温泉駅から松江駅まで列車で移動します。

ビクティニ:今日は松江で初詣だけど、どの神社がいいか迷うな・・・

ビクティニポンチョのピカチュウ:とりあえず松江城の周辺で探してみようよ

 

山陰本線 キハ47系
松江や出雲市を通る山陰本線は、寝台列車や特急が走りますが、普通列車は電車と気動車が共同で走ります。

普通列車は主にディーゼルが多いです。こちらは『キハ47系』という車両で、国鉄時代から活躍しています。

 

松江護國神社
かつては松江城内だった場所にある松江護国神社に参拝します。

この神社は、国のために尊い命を捧げられた出雲地方・隠岐地方ご出身の英霊約2万2千柱を奉斎しています。ここは松江城内の『上御殿跡』と呼ばれる史跡であり、開祖堀尾晴公が築城の折、指揮を取られた場所だと言われています。

この神社は『大勝利祈願』で有名だそうです。

ビクティニ:・・・肥薩線や磐越西線、大井川鉄道などSLが走る路線の復旧が無事に進みますように・・・。そして、SLやまぐち号のD51やC57が復帰できますように・・・

ビクティニポンチョのピカチュウ:復旧が進むと良いね

 

城山稲荷神社
城山稲荷神社も、当時の松江城内にある神社の1つです。

この神社が創建されたのは、寛永15(1638)年のこと。当時新たに松江藩主として領国入りした松平直政の夢枕に一人の美少年が現れました。彼が、自らを稲荷真左衛門と名乗ると、“私はあなたをすべての災厄からお守りいたします。城内に住む場所を作っていただければ、城内はもちろん、江戸の屋敷まで火事から防ぎましょう”と言い消えていきました。そこで城内に建てられたのが城山稲荷神社であるという言い伝えがあります。

また、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が松江に滞在していた頃、毎日の散歩でこの神社に訪れたとされ、所狭しに並べられた狐の石像がお気に入りだったそうで、随神門のそばにある狐像を非常に愛でられたといいます。

先程の護国神社では書き置きをもらいましたが、この神社では、例の病気で御朱印がもらえず・・・。

 

月照寺
月照寺は、松江城から西に行った場所にあります。

ここは、当時松江藩主を務めた松平家の廟(びょう)が納められている古刹。約1万㎡の広さを持つ境内には、本堂や宝物殿に続き初代から第九代藩主までの廟所が厳かに並んでいます。かつては『洞雲寺(とううんじ)』という禅寺で、長い間荒廃していましたが、徳川家康公の孫に当たる初代藩主こと松平直政公が、生母・月照院の霊牌を安置するために浄土宗の『蒙光山(むこうさん)月照寺』として改称復興したのが始まりとされています。その後、二代目の綱隆が父の遺命により境内に廟を造り、山号を『歓喜山』に改めて以降、九代にわたり藩主の菩提寺の墓所に納められました。これは『松江藩主松平家墓所』として国の史跡に指定されています。

 

★松江から美保関までのルート★

さて、美保神社へ参拝にいくため美保関へ向かいます。

まずは、松江駅でレンタカーを借り、国道431号を進んでいきます。

そして、道なりに進んで約50分弱・・・美保関に到着します。

美保関は松江市にあるのですが、島根半島の一番東にあります。どちらかというと、島根県というよりも鳥取県寄りにあるといったほうが良いでしょう。

 

美保関灯台

美保関灯台までやってきました。

美保関灯台は島根半島最東端にある『地蔵崎』にそびえ立ち、明治31(1898)年11月8日に初点灯された山陰地方で最古の灯台です。高さは14メートル、そして水面から83メートルあります。明治に造られた石造りというだけあって、とても風格のある灯台です。その歴史的かつ文化的価値のある文化財として、平成10(1998)年にはドイツのハンブルクにて開催された“IALA(国際航路標識協会)”の総会において、『世界の歴史的灯台100選』に選ばれました。

また、『日本の灯台50選』にも選ばれており、灯台の旧事務所は、現在は『ビュッフェ』に改装されており、日本海を眺めながら食事や休憩ができます。

 

地蔵崎
地蔵崎は、島根半島の最東端に位置する場所です。

地蔵崎の崖上に立つ古風な灯台がとても良い絵になります。

ここも『島根半島・宍道湖中海ジオパーク』の一部であり、日本海ができる前に生じた“大陸分裂”によって地層が露出しているのが特徴的です。また、このあたりは複雑なリアス式海岸を形成しているため、断崖景観が美しく、高い展望台から雄大な日本海が絶景です。

ビクティニ:日御碕の灯台もいいけど、美保関の灯台も素敵だね。雄大な日本海に感動・・・(´;ω;`)

ビクティニポンチョのピカチュウ:ここは日御碕より高いね!

 

美保関の港町
美保関の漁港です。

道路のすぐ脇に海があり、たくさんの漁船が停泊しています。

美保関は、かつては『美保関町』という自治体がありましたが、平成17(2005)年の合併によって松江市に編入され、『松江市美保関町』になっています。そして、港町に神社があるという珍しい光景です。島根半島の東端に位置し、海に囲まれた美保関町は、神と海にゆかりのある“聖なる岬”として古くから親しまれています。また、国譲り神話にも登場し、江戸時代には北前船で栄えていました。このように海と国譲り神話の調和がとれている町こそ、まさに風光明媚とも言えます・・・・。

 

美保神社
美保神社は『えびす様』の総本宮として有名な神社です。

小さな港町に建つ大きな社殿に威風堂々さが感じられます。

美保神社には、三穂津姫命(みほつひめのみこと)と『えびす様』こと事代主神(ことしろぬしのかみ)がご祭神で、いずれの神様も音楽に縁が深く、境内でも奉納コンサートが行われるほどだといいます。

出雲大社の大国主命(オオクニヌシノミコト)は大黒様、美保神社のえびす様と合わせて『えびすだいこく両参り』と呼ばれています。両者の神様に合わせてお参りすると、より良い縁に恵まれるという言い伝えがあるそうです。

えびす様は『海上安全・大漁満足・商売繁昌』の神様として信仰されていますが、美保神社は全国3千以上あるえびす様の総本宮なのです。

ビクティニ:先日、出雲大社に参拝して同時にここで参拝すると良いことがあるかも。・・・今年こそは戦争がなくなりますように・・・

ビクティニポンチョのピカチュウ:今年はウクライナの人が元気になりますように・・・

 

青石畳通り
美保神社の境内の脇から、『青石畳通り』という小さな畳通りが続いています。

まるでジブリの千と千尋に出てくるようなどこか昔懐かしい雰囲気です。

美保関町は、かつて美保神社の門前町として栄えていたのです。この青石畳通りも美保神社から仏谷寺に至る江戸時代からある参拝道の遺構として今でも残されています。

美保神社の鳥居をくぐり右に曲がると石畳の通りに入り、150メートルほど行って左に曲がり100メートル行った場所に仏谷寺があります。神社前の通りには越前石が使われ、この青石畳通りには海岸から運ばれてきた凝灰岩が使われています。正方形に近い物から長方形など様々な形状があり、中には80㎝四方の大きなの敷石もあるそうです。

敷設されたのは文化年間から弘化年間(1804~1847年)の江戸時代後期のこと。当時は、北前船の西回り航路の寄港地として栄えており、50件ほどの回船問屋が集まっていたそうです。この通りの畳石は、もともと物資の積み降ろし作業の効率化のための舗装として、ここの海石を切り出し敷設されたと言われています。かつてその賑わいを見せていた古い町並みと石畳の道が当時の面影として今でも保ち、その哀愁な雰囲気が参拝者を魅了しています。 

 

旅館『美保館』
さて、今回は美保関に泊まろうと思います。

美保関に泊まるなら、老舗旅館『美保館』がおすすめです。

この旅館は明治41(1908)年に創業し、歴史的有形文化財に指定されています。また、現在も建具や電灯も当時のものを使用し、かつて漁師たちが使っていたと思わしき古民家を改装した宿泊施設が備わっているのが魅力的です。

いわば、歴史的建造物を活用したゲストハウスと言った感じでしょうか。

ビクティニ:こぢんまりとした港町にある風光明媚な旅館に泊まれるのは、最高な気分だよね

ビクティニポンチョのピカチュウ:思ったより結構いい雰囲気かも

 

古民家を活用した部屋
さて、我々を案内したのは、かつて使われた船宿を改装した『ゲストハウス神邑』というゲストハウスです。

しかし、船宿から改装されているとはいえ、とてもきれいな内装になっています。ここはゲストハウスですが、当日は泊まる人が少ないので大変快適に過ごせました。しかし、美保関では夕飯を食べる場所はないのですが、ポットなども完備されているので、自分たちで事前に夕飯を用意しておくことをおすすめします。

ビクティニ:思ったよりいい部屋だね!昔は漁師たちが使ってたみたい

ビクティニポンチョのピカチュウ:まるでゲストハウスみたいだけど、昔の歴史的な建物に泊まるのも自慢できそう

くまモン:小さな港町で一晩過ごすのも悪くないモン。ここは静かでいいモン

 

美保館 本館
さて、美保館の朝食を食べに本館へ足を運びます。

平成16(2004)年に国の有形文化財に登録され、いたるところに当時の遺構が見受けられます。

まるでタイムスリップでもしたかのような感覚です。

写真の吹き抜けも、いかにも当時の旅館としての雰囲気が出ています。

美保館本館は明治38(1905)年に着工、そして明治41年に完成しました。ここでは、かつて使われた建具や備品などが展示され、昔懐かしい黒電話も使用されています。これぞ、当時の歴史を活かし文化を古き良き景観を現世に残すという姿こそ日本にあるべき光景です。

 

美保館の朝食
美保館の朝食メニューも良いものです。

メニューには、山陰名物の海産ものがふんだんに使われています。

イカの刺身にしじみの味噌汁、干物など山陰らしい朝食ですね。まさしくわれわれ日本人にはあるべき食文化です。

ビクティニ:美味しい!これだよ日本の朝食は・・・(´;ω;`)

ビクティニポンチョのピカチュウ:これは美味しいね!会場の雰囲気もいい感じだし

くまモン:黒川温泉の朝食もこんな感じだったでしょ?美味しい!

作者:いつも仕事の日の朝食は簡単なパンばかりだから、普段あまり朝食に和食を食べない身としては最高に美味しい!

 

美保館から見る漁港

旅館のすぐ目の前には漁港があり、たくさんの漁船が停泊しています。

旅館から漁港が見れる光景は珍しいですね。まさしく港町という風景です。まるで、昔の家族旅行に行った伊豆や三浦海岸を思い出します。

 

有形文化財に登録された美保館
朝食会場にもなっている美保館本館は、明治38年に建てられた、築120年という歴史のある旅館です。

これは営業中の国登録の有形文化財旅館としては、島根県初だそうです。

当時の土木技術からすると重圧かつ複雑な建築美を保ち、まるで千と千尋の世界にいるかのような異空間に引き込まれているようです。ここは朝食会場の他にコンサート会場などにも使われることもあるそうです。

 

水木しげる記念館
さて、この日は鳥取県境港市にある『水木しげるロード』を散策してきました。

そして、『水木しげるロード』の奥の方へ歩いていくと『水木しげる記念館』があります。

ここでは、水木しげる先生が生み出した代表作『ゲゲゲの鬼太郎』をはじめ、その他妖怪たちや河童などが登場する様々な作品などが展示されています。

ビクティニ:久しぶりの水木しげるロードだ。何年ぶりかな・・・

ビクティニポンチョのピカチュウ:境港に来たのは初めてだけど、いろんな妖怪がいるんだね。これまでのポケモンとどっちが多いのかな?

 

鬼太郎たち
記念館内には、鬼太郎ファミリーが勢ぞろいです!

鬼太郎をはじめ、目玉おやじやねずみ男、ねこ娘など、様々な妖怪たちがお出迎えです。丸メガネの描写がいかにも水木しげる先生らしいデザインです。

 

水木しげる先生の主な作品
水木しげる先生の描いた作品は、『ゲゲゲの鬼太郎』の他にも『悪魔くん』『河童の三平』『テレビくん』『のんのんばあとオレ』などの作品が描かれています。

水木しげる先生の作品には、妖怪や河童を主人公とした作品が多いようです。

水木 しげるは、日本の漫画家であり、妖怪研究家にして紙芝居作家でもあります。 大阪で生まれ、鳥取県境港市で育ちました。ペンネームは、紙芝居作家時代に兵庫県神戸市の水木通り沿いで経営していたアパート『水木荘』から名付けられ、昭和33(1958)年に漫画家としてデビューしました。

 

鬼太郎ファミリー
鬼太郎ファミリーについての自己紹介もあります。

鬼太郎は、言わずもがな『ゲゲゲの鬼太郎』の主人公で、人間世界では『悪い妖怪から人間を守る正義の味方』という設定です。しかしながら、原作では怪奇物の主人公にふさわしく、不気味で不吉な少年であり、関わるものに不幸をもたらす存在として描かれていたそうです。

目玉おやじは、鬼太郎の父親で、まだ赤ん坊だった頃の鬼太郎への想いが強く、目玉の妖怪として生き返りました。幼い頃から実の父親として暖かく見守り、時にはアドバイスもしたりしています。

ねずみ男は、鬼太郎の悪友(?)で人間と妖怪の中間的な存在の半妖怪です。お金と権力が大好きで、金儲けを最優先することが多いようです。あるときは鬼太郎の味方であり、あるときは敵に回すことがあります。ルパン三世みたいな妖怪(?)ですね・・・。

ねこ娘は、いわずもがな猫の妖怪で鬼太郎の仲間です。ねずみ男と同じ人間と妖怪との間に生まれた半妖怪ではあるものの、金と欲望に意地汚いねずみ男に対しては反抗的で、彼を見ると野良猫のように目や表情が恐い表情に変貌して襲いかかったりすることがあるのだとか・・・。

子泣きじじいは、老人の姿をしている割に、赤ん坊のような鳴き声を発したりする妖怪。その鳴き声で敵をあおり、自分の体を重い石に変えて敵を押しつぶす能力をもっています。爺らしく酒好きで、酔っ払っていることがしばしばなので、よく砂かけばばあから叱られているのだそう。

砂かけばばあは、子泣きじじいのパートナーで、老婆の姿をしています。文字通り砂をぶっかけて敵を攻撃したり味方を助けたりしています。そして子泣きじじいとは幼なじみなのだそうです。

 

水木しげるの冒険旅行歴
水木しげる先生は漫画家なのはもちろん、妖怪研究家であり、『冒険旅行家』でもありました。

これは、水木しげる先生が実際に世界中をまわった地図です。彼の旅行冒険は長い時期にかけて、妖怪についての研究や参考にするために世界各地を駆け回りました。

 

ストーリーボード
冒険旅行で訪れたパプア・ニューギニアで『ストーリーボード』といわれる民芸品が水木しげる先生のお気入りだそうです。

これは人々の生活や物語が彫り込まれた木の板だそうですが、水木しげるはこれらを気に入り、それまでの自分の半生を『ストーリーボード』として仕立てるようになったといいます。

これらの作品は、下絵を描いて制作を依頼、現地の職人がそれをもとに製作し、完成するまでには半年以上かかったそうです。そのストーリーボードは二つも作られ、もう一つは自宅2階のギャラリーに置かれているのだとか。

 

精霊や妖怪の仮面や置物
妖怪探訪のための冒険旅行では、現地にてプリミティブアートが採取の対象とされてきました。

並べられた置物や仮面に対して、まるで真剣勝負のような気迫で良し悪しの判断をしていたそうです。当時、水木しげるは値段すらも自分の価値観を示し、無造作にお金を差し出して相手を納得させるという精神ぶりには驚きます。このように妖怪コレクションとして個人のギャラリーに展示され、これまでの冒険旅行で集めてきたコレクションに対して喜びに浸っていたのだそうです。

 

ゲゲゲの鬼太郎の漫画
水木しげるの代表作である『ゲゲゲの鬼太郎』1巻を読んでみました。

これは鬼太郎シリーズでは必ずと言っていいほど定番な『幽霊電車』というお話ですが、内容としてはある会社員が「妖怪なんかいない」と信じようとしなかったことで鬼太郎たちをばかにし、彼らの乗ったかえりの電車がその“幽霊電車”なのです。そして、まるで死語の世界へ行くかのような駅名で徐々に恐怖心をあおり、車内の乗客たちが白骨化して彼らを恐怖のどん底に陥れるというお話のようです。

アニメシリーズでも全シリーズが必ず放送され、しかも時代に合わせてストーリーの雰囲気を引き立てています。ちなみに作者が鬼太郎の幽霊電車の存在を初めて知ったのは、当時小1だった頃で4期のやつを見ていたときだったかと思います。

ビクティニ:これが噂の幽霊電車か・・・。おどろおどろしい・・・。しかも駅名が・・・。勾配標識の『44』も不吉だし・・・

ビクティニポンチョのピカチュウ:骨になったイラストが地味にリアルに描かれていて恐い・・・

くまモン:鬼太郎のアニメで見たことがあるモン!最後は地獄に陥れるんだモン。これが妖怪を侮辱した人たちへの運命として描かれているのだモンね・・・

 

妖怪アパート

文字通り、妖怪たちが人間の目につかない場所でひっそり暮らしています。

『妖怪アパート』の管理人は子泣きじじいと砂かけばばあです。そして、アパートの前にあるポストは『妖怪ポスト』で、鬼太郎に助けを求めるため人間の世界からの手紙が送られます。

 

おとろし
これは『おとろし』という妖怪です。

神様を守る妖怪で、ふだんは忘れ去られたような神社に住み着いています。

神様にいたずらしたり悪さをしたりすると、凄まじい音を立て、また上から一気に落ちてきて殺してしまうこともあると言われています。人を戒めるわけであるものの、いつも鳥居の上に居座り、不信心なものが通ると上から落ちてくるという話が一番多い説のようです。

おどろおどろしい姿でありながら、神様を大切にする妖怪もいるものですね。

 

小豆はかり
文字通り小豆をはかる妖怪です。

かつて、東京のとある武士の家に出ました。閑静な夜の中、天井の上をどしどし踏むような大きな音を発したり、パラパラ小豆を撒くような音を立てます。小豆の音は徐々に大きくなり、やがて一斗缶並みの小豆をまくような音まで聞こえたといいます。また、庭の飛び石を下駄で歩く音、手水鉢の水をかける音までしたので、障子をあけてみるも、そこには何もいなかったといいます。

まるで都市伝説のような怪談話ですね・・・。

 

べとべとさん
鬼太郎のアニメや漫画では何気なくちょくちょく出てくる妖怪もいます。

夜道を歩いていると、よくだれかがあとについてくるような気がすることがあるもので、我々人間が「化け物やお化けなんているわけがない」と自分に言い聞かせても、やはり何かがいると思う恐怖のあまり振り向くことさえもできないものです。その恐怖を見ぬふりしていても、緊張感が高まってしまうのです。こんなときには、道の傍らによって「べとべとさん、先へおこし」というと、ついてくる足音がしなくなったといいます。

これが『べとべとさん』という妖怪がいるという説なのです。

 

様々な妖怪たち
ゲゲゲの鬼太郎に登場する妖怪はいろいろあります。

ぬらりひょんをはじめ、朱の盆、キムジナー、、一ツ目入道、まくらがえし、あぶらすましなど、様々な妖怪たちが存在します。

 

全国に点在する妖怪たち
日本中には、様々な妖怪たちが棲み着いていると言われています。

島根県でいうと、『ノウマ』という石見地方に現れた妖怪ですね。彼は夜中に独り歩きしている人間を見つけると喰い殺してしまうという恐ろしい妖怪だそうです。自分の地元である埼玉で言うなら『小豆婆(あずきばばあ)』という妖怪で、雨の夕方、河原で子供を見つけては姿を表し、食べてしまうこれまた恐ろしい妖怪です。アニメでは鬼太郎がそれぞれの妖怪を懲らしめていくという物語になっていくことでしょう・・・。

 

ねずみ男が登場!
見学を終えたときにちょうど記念館前に『ねずみ男』が我々の目の前に現れました。

まわりの家族連れや観光客が記念撮影をしています。

ねずみ男の服の色はアニメでは時代によって異なりますが、ねずみ男のきている服が『黄色』なので、アニメで言う4・5期バージョンのようです。

ビクティニ:あ!ねずみ男だ!はじめまして、ぼくはビクティニといいます。アニメでは度々見たことがあるのだけど、多分5期で見たような気がする。

ビクティニポンチョのピカチュウ:鬼太郎のアニメでは、人間たちにねだったり、鬼太郎をだましたりする場面も見かけたりするけど、根はいいのかもね。

 

焼きイカとフライドポテトを昼食に

水木しげる記念館の前でイカを焼いているお店があったので、イカゲソを焼いたのとフライドポテトを頂きました。

目の前でイカを焼いているのを見ていると、香ばしい磯の匂いに癒やされます。そして、フライドポテトと一緒にノンアルを飲むのもまた美味しいです。

ビクティニ:焼きイカ美味しい!

ビクティニポンチョのピカチュウ:ポテトも美味しい!

 

妖怪はがきに色付け
『妖怪はがき』に色付けし、『妖怪ポスト』に投稿して自宅にオリジナルの消印が押された木のはがきを送ることができます。

鬼太郎からねずみ男、ねこ娘のイラストはもちろん、普通のはがきと同じサイズの妖怪はがきがあり、1枚600円で選ぶことができます。この『妖怪はがき』自体は鳥取名産の『智頭杉』が使われています。境港にやってきた思い出や記念に『妖怪ポストの体験』をしてみるのも楽しいものです。

ビクティニ:この見本と同じように塗ればいいのか。・・・・よし!ついでにはがきの裏に「ウクライナが平和になりますように」のメッセージも残しておこう。

ビクティニポンチョのピカチュウ:本当に塗るだけだから簡単だよね。

くまモン:マジックが薄いのは気になるけど、よくぬれてるモン!

作者:まあ、思い出だからね。

 

妖怪ポスト
自分で絵付けした妖怪はがきは『妖怪ポスト』に投函し自宅へ送ることができます。

妖怪はがきを自宅に送るときは、切手を貼って裏に住所や郵便番号と宛先を記入し、スタッフに確認してもらった後で『妖怪ポスト』に入れます。そしてオリジナルの消印には鬼太郎を始めねずみ男、目玉おやじ、ねこ娘、子泣きじじい、砂かけばばあ、一反もめんの6種類があり、それらの中から1つ選び、決められた番号に投函すると該当のキャラクターの消印が押されます。

くまモン:消印には、鬼太郎からねずみ男、ねこ娘・・・の6種類があるけど、どれがいいモン?

ビクティニ:そうね・・・・じゃあねずみ男にしようか (投函) ウクライナが平和になりますように・・・・

ビクティニポンチョのピカチュウ:ねずみ男に愛着があるのね

 

島根から山口方面へ
さて、レンタカーを返却した後、JR山陰本線の列車で山口方面へ進みます。

以前は快速『アクアライナー』が走っていたのですが、やはり例の病気の影響ということもあってか、その快速列車も2022年度のダイヤ改正で廃止されたようです。この日は津和野まで列車移動という予定で、今回は青春18切符を持っているので、なるべく普通列車で進みたいところです。

ビクティニ:さて、もうじき益田行きが来るから、それで進み益田駅で山口線に乗り換えて津和野まで進もう。

ビクティニポンチョのピカチュウ:山口線か・・・聞き慣れないけどローカル線なの?

作者:そのとおり、ただ本数が非常に少ないからよく調べていく方がいいですよ。しかし、最近は快速が廃止になったのは心外ですな・・・

 

『美保神社にて初詣&水木しげるロード』をお送りしました。