みなさん、こんにちは。
今回は、青函トンネル記念館を見学し龍飛崎の散策をした後、フェリーで下北半島へ向かいます。

ホテルの窓からは、龍飛崎の風力発電が見えます。

ホテル竜飛の朝食は普通でしたが、なかなか美味しかったです。

ホテルのロビーから手前のあじさいと津軽海峡が一望できるコーヒーもまた格別ですね。
これから青函トンネルの見学が行われる青函トンネル記念館は8時40分からだそうなので、少し寛いでから出発することにします。

ホテルロビーには、青函トンネルの工事をしていた時に使用した鋲が展示されています。
この鋲は、トンネル工事の際に測量基準点として使っていたようです。

青函トンネル記念館のある『道の駅みんやま』へやってきました。
ここでは、青函トンネルについての解説&展示が行われ、更には『体験坑道』というプログラムがあり、実際に青函トンネルの中を見学できます。

青函トンネル完成時の記念碑が展示されています。
石碑には、当時の津軽海峡線(在来線)時代に走っていた快速『海峡』のイラストが刻まれています。

ここが青函トンネル記念館です。
ちょうど入場5分前なので、ここで待つことにします。8時40分頃から受付が始まりました。その後、体験坑道の受付を済ませます。しかも、一番早い便の9時ちょうど発で申し込みます。ちなみに、体験坑道は予約しなくても申し込みができるそうです。
ビクティニ:ここが青函トンネル記念館だよ
チョコボ:たしか青函トンネルへはケーブルカーで下るんだよね。楽しみだ~

体験坑道について簡単な解説がされています。
実は、これから我々の乗る体験坑道のケーブルカーは、本坑工事の際に地下と地上を結ぶための重要なトンネルだったのです。これを『斜坑』といいます。ちなみに、上越線の新清水トンネルを掘削の際に使用した斜坑は、土合駅の階段として再利用しているという例がありますが、青函トンネルに限っては非常に特殊な構造なので、その斜坑はケーブルカー用のレールとして引かれています。
ところで、青函トンネルの概要としては、以下の特徴が挙げられます。
- 青函トンネルの全長は53.85km。そのうち海底部の走行区間は23.3km
- 現場の作業員数約1,400万人
- 掘削の際に排出された土砂の量が約630万㎥(東京ドーム約5コ分)
- 工事の際に使用した鋼材の量が約17万トン(東京タワー約42基分)
- 使用した火薬の量が約2,900トンに及ぶ(ドラム缶約14,500コ分)
- 使用したセメントの量約85万トン(25メートルプール約2,361杯分)
- コンクリートの厚さ 列車が通るところで約70cm、他のところで約20cm
- 青函トンネルの線路には『スーパーロングレール』(つなぎ目のないレールのこと)を採用
- 工事期間が約24年間(構想期間も入れると約42年間)。構想の初めが1946年頃、工事開始が1964年、完成が1988年
- 総工事費約6,900億円

いよいよ青函トンネルの中へ潜入します。
青函トンネル内部へは、青函トンネル竜飛斜坑線の『もぐら号』というケーブルカーで入っていきます。ちなみに、このケーブルカーは作業員の保守作業でも使われることがあるようです。
ビクティニ:さあ、これから青函トンネルの中へ入ります
チョコボ:おお!なんか凄そう!トンネルの中はどんな感じなんだろう?

さあ、いよいよ青函トンネル内部へ進入します!
見ての通り、坑道にはケーブルカー用のレールが敷かれています。このレールはおそらく工事用の資材や工事用工具を搬入するために敷かれていたものかと思われます。しかし、現在では避難経路もしくは保守作業員が使用するルートになっています。所要時間はたった7分で海面下約140メートルの体験坑道駅へ到着します。この斜坑は斜度14度つまり勾配24.8%(距離100メートルに対して高低差24.8メートル)あります。


そして・・・海面下約140メートルの体験坑道駅にやってきました!
さすが全長53.85kmという当時としては世界最長を誇るトンネルなだけあって、まさに異次元世界にいるかでさえ感じます。ちなみに、ここのトンネルの一番深い所は海面下約240メートルの場所にあります。
ビクティニ:ついに来た!ここが青函トンネルの中だよ
チョコボ:うわ~!まさにダンジョンの中にいるようだ!

ここが青函トンネルの内部です。
青函トンネルは、青森県今別町から北海道知内町を全長53.85kmで結ぶ海底トンネルです。
トンネル工事は昭和39(1964)年から工事が始まり約24年という長い歳月をかけて昭和63(1988)年3月13日に開通しました。当初は『津軽海峡線』という在来線でしたが、平成28(2016)年3月26日に北海道新幹線が運行開始し、現在に至ります。
今の北海道新幹線はこのトンネルの本線いわゆる『本坑』を走行しているはずですが、このあたりでは線路まではまだまだ離れている場所にあるかと思われます。その本坑のある場所が『竜飛定点』という場所なのですが、かつての津軽海峡線だった頃は『竜飛海底駅』だったのです。昔はそのホームを見学することができたそうですが、今や新幹線の開通に伴い2013年に廃止されています。現在では、列車走行中に火事などの異常事態が発生した場合、ここが『避難所』として使用されます。
ビクティニ:それにしても・・・こんなとんでもない場所によくトンネルを作ったよね
チョコボ:だってここは海の下にいるかいないかの場所だもん・・・

先程の坑道へ続いているかと思われるトロッコ用のレールが引かれています。
このレールを使って本坑工事のための資材や工具類などを搬入していたことが想像できます。また、夜間の保守としても使われる可能性があるかと思われます。

トンネル内には海洋生物が展示されています。
水槽には、津軽海峡に生息すると思われる生き物が飼われています。
ビクティニ:ちょっとした水族館もあるのね
チョコボ:こんな場所でもお魚飼っているんだ

青函トンネルの工事は、津軽海峡の海底地層を掘削し貫通させます。
しかし、皆さんは『青函トンネル』というワードを聞くと、“1本のトンネルで青森と北海道を結んでいる”というイメージを持たれるのかも知れませんが、実は、そのトンネル自体が迷路のように複雑怪奇な構造になっています。簡単に見れば『魚の骨』というイメージが分かりやすいでしょう。
『本坑』は先程も話したように、今の北海道新幹線が通る本線なのですが、その本坑を掘り進ませるためには、先程下ってきた斜坑からアクセスし、『作業坑』や『先進導坑』を通して本坑の掘削工事を行います。作業坑ではトンネル周囲の地盤を固めるために地盤を注入します。先進導坑では本坑とは別の場所にトンネルを掘り、『先進ボーリング』という高速長尺先進ボーリング技術を用いて掘削方向の地質を調べます。ちなみに、このボーリング技術は1km先の地盤が調査できる上に、事前に地下の水脈を発見し、地盤に注入剤を注入することで大規模な出水を未然に防ぐことができたそうです。



ここが坑道展示エリアです。
ここでは、実際に当時の青函トンネル掘削工事が行われていた現場の様子を人形で再現しています。作業に使っていた車両・機械・機器などが展示されています。
これらの車両は、作業員や資材・機械機器類・掘削時に発生した土砂などを運搬するためのものとして使われていました。
また、地下で作業するため、機関車は蓄電池式を使っていたようです。

これは、青函トンネルと英仏海峡トンネルのスペックを比較したものです。
世界最長のトンネルとしては青函トンネルの方が勝っているものの、地層が複雑であるために、工事がかなり難航したかと思われます。英仏海峡トンネルの方が海底部は長いですが、深さも青函トンネルの方が勝っています。しかし、海面下240メートルはあまりにも深く、常に海水がトンネル内に入水しており、また火山岩の地質が多く含まれています。




実際にトンネル掘削工事に使われた様々な工具が展示されています。
1960年代はツルハシやスコップを中心に使っていたのでしょうが、後にドリルマシーンへシフトチェンジしています。時代の変遷を感じさせますね・・・。

これは蓄電池式機関車を充電させるために使われた整流器です。

掘削作業にあたっては、文字通り岩を削り掘るという作業が行われていました。
しかし、ただただ掘削機だけで進ませるとどうしても時間がかかってしまいます。そこで、ダイナマイトを用いて発破し掘削工事を進まるという工法が用いられます。また、先述の通り津軽海峡の地層が複雑なので、その岩質に合わせてダイナマイトの取り付け箇所や本数、深さを変えたり、あるいは点火時期をずらすなどの工夫をします。そうすることで、効率的に掘削工事を進ませることができたのです。
青函トンネルの掘削工事は、本坑の他に作業坑や先進導坑なども含めて、総延長約124kmにおよび、掘削量は633万㎥の土砂が発生しました。これは10トンダンプ98万台に相当します。なお、発生した土砂は谷を埋めたり海の埋め立てに利用されたそうです。

掘削工事の様子を人形で再現したものです。
写真の人形がもっているのは『削岩機』という機械で、先端にノミをつけ圧縮空気のパワーで衝撃を与えることで、ダイナマイトを掘削対象の岩石に埋めるための道具として使われました。

トンネルの岩盤を固定させるための道具としてロックボルト(アンカーボルト)が使われました。
これは岩石に開けた穴にモルタルを流し込んだ上で、その中にボルトを押し込み、更にはモルタルが固まった後でボルトを締めて岩盤を支えます。本坑では通常6メートル毎に設置されましたが、場所によっては形状も地質に合わせて数種類使われていたようです。

掘削後の壁面には、写真のように『支保工』という鉄骨で埋めていました。
これは掘った後のトンネルが崩れないよう岩盤を支えるためのものです。
ちなみに、トンネル工事の際に使用した支保工や鉄筋・仮説レール・鉄筋など使用した鋼材は・・・なんと16万8千トンにおよびます。これは東京スカイツリー5基分に匹敵する量だそうです。

掘削された土砂は、こちらの『ずり積み機』で集められ、銅車に詰め込んでいたそうです。

このさく孔機は、先進ボーリングおよび水抜きボーリングなど多様に使われ、青函トンネルのような海底トンネルの工事ではまさに必需品だったそうです。

青函トンネルの地盤は、様々な地層が混ざっているゆえに、場所によっては崩落しやすい地盤もありました。
そこで、『二重管リバース工法』を使うことによって軟弱な地質や断層破砕帯で先進ボーリングを行う時に使います。これは外管と内管の間に水を送りつつ、内管の中を移動する水でコアを排出することで、効率よく掘削工事ができたそうです。先進ボーリングによる掘削延長は121km、施工孔数が273箇所あり、これは次々と変化する地盤を正確に判断して掘削方法を検討する上で重要な役割を果たしたといいます。


本坑の掘削工事を行うにあたっては、その周囲に岩盤を注入することで、地盤崩落や海水の浸入を防ぐことができます。
まず、着工もしくは支保工が掘削の中心となるとして、その外側には『緩みゾーン』、更に外側には『注入ゾーン』として設定します。注入する際、薬液は確実に岩の亀裂を埋めるためにトンネル半径の3倍、更には断層破砕帯では5~6倍の範囲で注入されたそうです。
しかし、高圧で岩盤に注入してしまうと、逆漏れになる恐れがあるため、岩質によっては様々な逆漏れを防ぐ方法が模索されました。
硬い岩盤には、『パッカー工法』が用いられ、これは岩盤と注入管の間にゴムのパッカーを用いることで逆漏れを防ぐことができたそうです。
軟弱な岩盤には、『ケーシングパッカー工法』が用いられました。これはケーシングパイプと注入管の間にパッカーを用いて、更に岩盤とケーシングパイプの間にも注入材を固めることで逆漏れを防ぐことができたそうです。

これは『グラウト』という注入材を作るための機械です。
セメントと水を混ぜ合わせることで短時間でグラウトが作れます。いわゆるコンクリートのようなものですね。

孔を作るために必要な工具は、この二重管と専用のドリルで作ります。

グラウトの材料は、セメントや水を使って混ぜ合わせ調合します。
セメントミルクと水ガラスを混ぜ合わせることで、廉価かつ施工性に優れ、更に止水や地盤補強にも効果的で圧縮強度も高い万能なグラウトができるそうです。



トンネル掘削直後は、その岩盤が崩れる前に素早く固めなければなりません。
そこで、トンネルの岩盤にコンクリートで固めていくのですが、その方法として『吹付けコンクリート』が用いられます。この技術は、掘削した直後にコンクリートを岩盤に吹付け崩壊を防止するという方法で、安全性はもちろん掘削作業のスピードアップにも大きく貢献したそうです。その作業も掘削後に素早く固めなければならなかったので、かなり過酷な作業だったかと思います。
坑外からセメントをベルトコンベアーで坑内へ運搬し、そこで水と調合させてコンクリートを作ります。更に作ったコンクリートを吹き付け機にセットし、岩盤にコンクリートを吹き付けてトンネルの崩壊や海水の浸入を防ぐのです。
作業坑や先進導坑・斜坑など比較的小規模なトンネルでは吹付けコンクリートが用いられ、その厚さ約20cm。列車が通過する本坑では厚さ約70cmもののコンクリートで使用。そちらは専用の機械で注入されていました。また、それらのコンクリートの使用量は、約22万9千㎥におよびます。


青函トンネルの掘削工事では、幾度ものの出水事故が発生していました。
・・・というのも、青函トンネルは津軽海峡の海底の更に深い場所を掘削することから、度重なる異常出水の事故が4回ほど起こっていたのです。特に昭和51(1976)年5月に吉岡工区で起こった異常出水事故は、他の事故と比べて出水量が非常に多かったことが分かります。それゆえ、この事故による殉職者も多かったことでしょう・・・。

掘削工事において度重なる異常出水の対策として、青函トンネル内に排水設備の増強が行われました。
竜飛工区には毎分110トン、吉岡工区には毎分98トンを排水設備容量とする、通称『100トン体制』が計画され、湧水の斜底坑集約や水門の設備などの関連設備も増強されました。この計画は、昭和54(1979)年12月に行われたそうです。他にも、トンネル内に酸素を送りこむための送風設備も完備されています。

工事中における出水事故などの異常時の対策として、作業員に知らせるための警報機も用意されました。


開業当時の1988年から2014年までの竜飛海底駅だった頃の写真集が飾られていました。

さて、トンネル内の見学を終え、地上へ戻ってきました。
ケーブルカーが記念館駅に到着すると、トンネルへ通づる防風扉が閉まっていきます。これはトンネル内から地上へ吹いてくる風を遮断するために閉めています。
チョコボ:見てみて、シャッターが閉まっていく・・・
ビクティニ:あれはトンネル内から吹いてくる突風から守るために遮断しているんだ
★青函トンネル体験坑道の様子と展示館の様子★(おまけあり)



展示ホールでは、青函トンネルに関する資料が展示されています。
青函トンネル本坑の原寸模型やトンネルの形状模型などで分かりやすく再現させています。
チョコボ:なるほど、青函トンネルの高さはこんなに高いのか・・・
ビクティニ:函館へ行くのに北海道新幹線で青函トンネル通ったことがあるけど、そこまで天井が高いなんてね・・・


青函トンネルの線路には『三線式スラブ軌道』が設けられています。
これは、トンネル内に新幹線が通る他、在来線の貨物列車も通るためです。もともと青函トンネルに敷かれていた在来線の線路(幅1,067ミリ)に対してトンネル内側に標準軌用(幅1,435ミリ)のレールを1本のレールを付け足すことで、三線軌条ができます。
北海道新幹線は『整備新幹線』にあたり最高速度は260kmですが、青函トンネルの区間では160kmに抑えられています。これは青函トンネルの区間では貨物列車も通るため、200km台で通過しようとするとその貨物列車が風圧で転覆する恐れがあるからだそうです。ただ、時期によって貨物列車が全く通らない時間帯では、一部の便が260kmで青函トンネルを通過することもあるようです。
また、最近では『第二青函トンネル』という構造も実現しつつあるようです。


青函トンネルには様々なケーブルが行き交っています。
列車を通すための架線をはじめ、き電線、高圧用・低圧用ケーブル、照明用ケーブル、信号用ケーブルなどがトンネル中に張り巡らされています。

トンネル内の電気設備は、こんな感じになっています。
まず、列車を走らせるのには架線(吊架線およびトロリ線)が必要になります。高圧・低圧配電線に信号用ケーブルも通り、更にトンネル内を照らす蛍光灯も備わっています。ここまで設備が整うのにはかなりの費用がかかることでしょう・・・。また、定期的にレールや蛍光灯の交換も行われるので、これだけ長大なトンネルで保守するのにはかなり大変かと思われます。

青函トンネルの開業に向けて工事に勤しむ現場の人たちが描かれたドキュメンタリー映画として公開されていたようですね。





展示ホールでは、青函トンネルについてのビデオも分かりやすく解説されています。ちなみに解説は青函トンネル記念館のマスコットキャラクター『もっくん』が解説してくれます。
ビクティニ:なるほど
チョコボ:わかりやすいね

津軽海峡線はもともと在来線として敷設された路線ですが、今の新幹線が走行できるように設計されています。
海底かつ世界最長(開業当時)のトンネルという条件から、防災や塩害の対策が施された設備も完備されています。運転用の電力は電力会社から供給され、交流2万5千ボルト(在来線時代は2万ボルト)のATき電式によって列車に送っています。
き電変電所などの設備は、函館指令センターより集中監視制御を行っています。
他にも、トンネル内における排水ポンプや照明設備、換気装置などは、莫大な電力が必要になることから、特高配電所や高圧配電線路が設けられています。


青函トンネルは、全長53.85kmを持つ日本一長い鉄道トンネルです。
そのうち海底部が約23kmにおよび、本坑をはじめ作業坑や先進導坑という3種類のトンネルで複雑怪奇に構成されています。掘削作業のために造られた作業坑と先進導坑は、今では海水の排水や換気、保守用通路として引き続き使用されています。
トンネル内において走行する列車は、すべて函館指令センターの集中管理のもと運行されています。そしてトンネル内の定点には、列車が火災などの緊急時でも対応できるよう消火設備や排煙設備が備わっています。その技術が施された設備は世界一だといわれています。ここまで聞くと日本の土木技術の粋が感じ取れるエピソードですね。

青函トンネルが貫通する地質はこんな感じになっています。
青函トンネルの断面図を見れば、凝灰岩や安山岩といった第三紀火山岩・堆積岩。更には泥岩や砂岩といった軟弱な地盤・・・。これだけ複雑な地層を貫通するのには、苦難な工事に加え、掘削中に出水事故や崩落が起こりやすかった環境であることが分かります。中でも『黒松内層』や『八雲層』は地盤が軟弱だったそうです。
~参考までに更に詳しい地質図はこちら~









青函トンネルができるまでには、約24年の歳月をかけた自然との壮絶な戦いが刻まれたエピソードがあったのです。
青函トンネルの工事にあたり、第一に地質調査が行われます。青函トンネルは、青森県と北海道を結ぶためのトンネルとして構想され、1946年から徹底的な調査が始まりました。海上から測定・測量が行われ、貫通条件の良い地形調査を津軽半島サイド(今別・三厩ルート)、下北半島サイド(大間ルート)でそれぞれ調査が行われました。その結果、一番条件が良いとされる約23kmの津軽半島サイド、つまり今別・三厩ルートが選ばれたのです。これが後の『青函トンネル』として開通することになります。
そして、1946年から十数年にわたる調査を行ったのち、ついに1964年より本格的な工事が始まります。ところが、事前の調査だけでは情報が足りない部分もあり、工事中でも海底のボーリングを通して調査が行われました。そこで実際のトンネルを作る前に、その脇に別のトンネルを調査用として掘削します。これは地層や海水の浸入具合を調査し、事前に事故を防ぐためです。
青函トンネルが貫通する地層(津軽海峡西部)には、『グリーンタフ』という緑色の凝灰岩が多く含まれています。詳しく見ると五つの部分で分かれています。本州側の陸部には火山岩主体の地層、本州の海底部には火山岩が含まれる訓縫層。そして海底中心部が八雲層および黒松内層になっていて、特にその地層が軟弱であるがゆえに、工事箇所としては一番難関だったかと思われます。北海道側の海底部では訓縫層、北海道側の陸部では八雲層と黒松内層になっています。ここまで声質の違う地層が複雑に混じり合うと、貫入や割れ目、断層が多い上に、海底より更に地下での作業が強いられるため、いかに過酷な環境下で工事が行われていたかが伺えます。
また、幾度ものの出水事故が発生しており、硬い地盤でも出水事故に見舞われたといいます。それも海底部に限らず、陸地部である竜飛でも複雑な地層になっておりいます。それゆえ、工事中に湧き水とぶつかり出水事故に見舞われ、工事が再開するまで約6ヶ月ほどかかったそうです。そして、本来の直進ルートは断念し、危険な断層を避けるように迂回しつつも工事が進められました。
訓縫層が含まれる本州海底部の地層では、泥岩が所々混じった軟弱な地盤であるため比較的掘削しやすかった箇所です。しかしながら、そこでは断層や火出岩の貫入が多いゆえに圧力や熱水作用により変質し、崩れやすい箇所でもありました。このため、トンネル工法も岩質に合わせて2~3種類に使い分けたといいます。
調査開始から40年が経ち、1983年1月、ついに先進導坑が北海道と本州が初めて繋がります。やがて、1985年3月・・・ついに本坑が貫通しました。特に貫通点となった海底部では黒松内層という砂質泥岩が主体の地層だったことから、その地盤を固めるのに一番苦労した箇所だったかと思われます。
そんな超難関工事をもたらした青函トンネルでは、度重なる出水事故に加えて強大な土圧が工事の難航に拍車をかけていたのです。特に北海道側の吉岡工区には最大の難関ともいえる『F10断層』が一番困難だったそうです。その地盤は軟弱かつ膨張性が強いため、掘ればトンネルに強い地圧がかかり、削岩機がダメになってしまうほどで、人力で掘らざるをえなかったり、その圧力で折れ曲がった鉄柱を立て直したりの繰り返しで、1km掘るのには5年もかかったといいます。
また、1976年5月には、吉岡工区にて大規模な出水事故が発生しました。しかも、これまでの出水事故とは比べ物にならないぐらいに水量が多く、なんと毎分85トンにまでおよびました。これはどんなに強力な防水扉でさえも虚しく破られるほどの水圧で、作業坑では3kmにわたって浸水し、ほぼ水没状態になりました。結局、排水するまで約2ヶ月ほどかかり、出水箇所まで戻るまでには162日かかったそうです。
こうして、様々な困窮を乗り越えてきた青函トンネル工事は約24年という長い歳月をかけ、1988年3月13日に開通することとなったのです。

青函トンネルの掘削工事に使われたシールドマシーンの模型です。

これは発破された時に発生した岩石の破片です。手で軽くたたいてもなかなかの硬さです。

1990年には天皇両陛下が視察のために青函トンネル記念館へ訪れになられたそうです。

龍飛崎も散策してみましょう。
ここでは、『津軽海峡冬景色』の歌謡碑が設置されています。
赤いボタンを押すと、石川さゆりの名曲『津軽海峡冬景色』が流れます。“ごらんあれが竜飛岬北のはずれと…”と2番の歌詞が流れます。それを聴きながら津軽海峡を眺めるのもまた風情を感じます。

龍飛崎から見る津軽海峡の光景です。
夏でも『津軽海峡冬景色』の曲を聴きながら津軽海峡を見ていると、違和感なく「来たなあ津軽海峡」という臨場感がわきます。
ビクティニ:ああ・・・来たな津軽海峡・・・。初めて来たけど、とっても絶景だね!
チョコボ:向こうには北海道の陸地が見えるよ


歌謡碑のすぐ近くには、『階段国道』があります。
この階段自体が国道339号の一部になっており、歩行者しか通行できない国道としては全国的に見ても非常に珍しい階段国道です。ちなみに、この階段国道は日本唯一のものだそうです。
ビクティニ:階段の横に国道標識がある光景なんてあまり見ないよね
チョコボ:ていうか、この階段自体が国道とは・・・





階段国道を下ってみましょう。
この階段は362段ありますが、それほど急でもなくむしろ歩きやすいです。
階段国道の道脇には所々あじさいが咲いています。
龍飛崎のあじさいは7月頃になると見頃を迎えますが、お盆休みの8月でもまだまだ開花が観られます。いくつか咲き終えた花もありますが、まだきれいに咲いています。
ふらわっち:あじさいの花がきれいね
マラカッチ:きれいですワ


階段国道の一番下までやってきました。
改めて階段と国道標識の組み合わせを見ると、いかにも違和感なほど珍しい光景です。
ウメテツ:なるほど、この階段自体が国道になっているんですね・・・。これは珍しい
ビクティニ:この風景を見ると熱海の伊豆山を思い出す・・・
チョコボ:この階段、下りるのはヨイヨイだけど、登るのは大変かも。でもあじさいと海の風景を観ながら登るのもいいかも


龍飛崎灯台の方へも歩いてみましょう。
歌謡碑や階段国道からでも遊歩道を経て灯台まで歩けます。そして遊歩道の脇に咲くあじさいも画になります。

龍飛崎の周辺マップです。
灯台や階段国道、青函トンネル記念館、歌謡碑がある他に、吉田松陰の詩碑や太宰治文学碑、シーサイドパーク、ウインドパークなどがあります。

高台からは風力発電群が見渡せます。
龍飛崎は風がよく吹くエリアなので、風力発電には適しています。

龍飛崎の花は、あじさいだけでなくこのような可憐な花も咲いています。
これはキクニガナという花だそうです。
ふらわっち:このお花もきれい
マラカッチ:チコリともいうみたい

龍飛崎の灯台です。
龍飛崎の高台に建っており、1932年から点灯をはじめ現在まで運用しています。灯台の高さ14メートル、海面から119メートルの高さより23.5海里(約43キロメートル)まで照らし、津軽海峡の航行安全を見守っています。

古い灯台と津軽海峡の風景はとても画になります。
ビクティニ:灯台と海の風景は癒やされるな~
チョコボ:見た感じ昔ながらの灯台って感じだね

灯台のある高台から見る津軽海峡の絶景は一味違います。
ビクティニ:ここの高台から見る津軽海峡もまた絶景だ!
ウメテツ:本当にいい景色ですよね!

津軽海峡には様々な船舶が行き交っています。
青森と函館を結ぶフェリーもあれば、貨物船も見えます。
津軽海峡は、日本海と太平洋を結ぶ東西約130キロメートル、最大水深は約450メートルあり、国内に5つある国連海洋法条約上の『国際海峡』の一つとされています。
ゆえに、この海峡には外国船が行き交います。
かつてこの海峡には“青函連絡船『羊蹄Ⅱ』“が通っていましたが、1988年の青函トンネル開通によりその役目は終えています。しかし、津軽海峡フェリーが青森と函館を結んでいるので、その船旅で函館まで行くのも旅情があるのかもしれません。

龍飛崎の先端部です。
見ての通り凄まじい断崖で、明らかに100メートルはありそうな高さです。
いかにも深そうな津軽海峡と高い断崖の龍飛崎はまさしく秘境のような光景でさえ感じます。

お店ではホタテの串焼きが売られていたので、1本いただきました。

わんタクの停留所があります。
1回500円で乗車できるので、レンタカー無しで龍飛崎観光するのには御用達の交通機関ですが、そもそも乗車できる人数も限りがあるので予約推奨です。また1日4便のみなので、利用時は注意が必要です。

さて、昼食に泊まったホテルの食堂でランチタイムにしました。
今回は、海鮮丼をいただきました。海鮮丼には青森らしくホタテやマグロ、サーモンが盛り付けられています。
全員:いただきます!
ビクティニ:・・・うまい!うますぎる!!まさに青森の味だ!懐かしい・・・
チョコボ:おいしい!ぼく魚系が好物なんだ!
ウメテツ:これはおいしいですね!天橋立に来たかのようです


今度は青函トンネル入り口広場までやってきました。
ここでは、イメージ通りの青函トンネルの入り口が間近で見られます。
また、時間が合えば新幹線の通過シーンが見られることもあります。他に貨物列車も通るので、青函トンネルを通過する列車を観たい人には、まさにおすすめのスポットです。
ビクティニ:ここが青函トンネルの入り口だよ
ウメテツ:なるほど、ここに北海道新幹線が通過するわけなんですね
チョコボ:なんか図鑑かなんかで見たことがあるけど、ここって特急とか寝台列車とか通るってあったような・・・
ビクティニ:たしかに一昔前までは特急列車や寝台列車とかが通っていた在来線だったけど、今は新幹線が通っているんだ
ウメテツ:でも、貨物列車が通ることもあるんだよ


しばらくすると、突然警報音が鳴り出しました。
そう、この警報音は作業員向けのもので“列車が通過するぞ”という合図なのです。そして・・・
新幹線が目の前を通過していきます!通過した列車は、はやぶさ11号です。ただ、本来の新幹線のような一瞬ではなく、ゆったりとしたスピードで通過しています。というのも先述のように貨物列車も共用で使用しているため、160kmに抑えられているからなのです。それでも、間近で見ると“さすが新幹線!”と言わんばかりに十分なスピードが出ています。


さて、これからむつ湾フェリーで下北半島へ向かうため、蟹田港のフェリーターミナルへやってきました。
ここで乗船手続きを行い、受付を済ませます。むつ湾フェリーはカーフェリーということで、今回はクルマごと船で移動します。受付方法としてはこの前の鹿児島と同様、受付に車検証を提示し乗船手続きをしたうえで一定の運賃を支払えばOKです。ちなみにむつ湾フェリーではカードは使用不可で現金のみとなるので、利用する場合はあらかじめコンビニATMなどで現金を用意してから利用することをおすすめします(最低でも1万円程度が望ましい)。ちなみに、今回の旅でのレンタカーはトヨタのヤリスでギリギリ4メートルを超えない大きさなので、運賃は8,900円となりました。やっぱりレンタカーはトヨタのヤリスが便利ですねw
ただ、利用時に注意してほしいのは、出発時刻の30分前までにフェリーターミナルへ来て手続きを済ましておくことをおすすめします。また、乗る便がはっきりしている場合は事前予約をおすすめします。
これから乗る便は第3便の14時ちょうど発なので、13時半ごろまでにギリギリ来れました。

あれがこれから乗るむつ湾フェリー『かもしか』です。
これで津軽半島から下北半島へ進めます。しかし、お盆休みとはいえあまり混んでいないようです。でも、乗る人が少ないおかげでスムーズにクルマを入船させることができました。

さあ、14時ちょうどになりまして、フェリーは定刻通りに蟹田港を出発しました。
船内は自由席なのでどこに座ってもOKです。もっとも乗る人が少ないのでガラガラ快適ですw ただ、最近はフェリーの従業員が人手不足なのか、運休する日もあるようなので、利用する前に必ず運行日は確認しておいた方がいいでしょう・・・。

フェリーは津軽半島を後にして、下北半島の脇野沢港へ向けてむつ湾の海上を進んでいきます。
むつ湾では、時折イルカが見れることもあるそうですが、なかなか見つかりません。
ビクティニ:津軽半島にさよならバイバイ♪
チョコボ:ビクティニくんがポケモンの初期のオープニング歌うなんて珍しい。・・・ていうか懐かしいw

むつ湾では、別のフェリーが走っています。
青森と函館を結ぶ青函フェリーですね。

津軽半島から徐々に離れ、目的の下北半島が近づいていきます。
そして津軽半島よりスケールが大きく見えます。
ビクティニ:オオッ!ついに下北半島が見えてきた
チョコボ:こんなにわくわくする船旅はFF以来だよ


やがて、下北半島に近づいてきました。
思いの外、スケールが大きいです。
下北半島は地図で見ると鈎のような形をしており、恐山をはじめ仏ヶ浦や大間岬、尻屋岬などの景勝地があります。中でも大間のマグロは有名で、全国から食通が集まるほど大好評だそうです。風間浦村にある下風呂温泉も有名で日帰り温泉もできます。また、内陸ではほとんど自然が残されており、ブナといった天然林が自生しているのも下北半島の特徴です。

とうとうフェリーは下北半島の近くまでやってきました。
その時、ぽつんとクジラのような形をした島が我々を迎え入れてくれます。
あれは『鯛島』という小さな島です。脇野沢港から約2km南にある牛ノ首岬の沖合いにあり、島内に伝説に因んだ弁財天が祀られていることから弁天島とも呼ばれています。
その特徴的な形をした島であることから、脇野沢のシンボルとなっているそうです。

鯛島を過ぎると、フェリーは脇野沢港へ入港します。
蟹田港からフェリーで1時間・・・とうとう下北半島へやってきました。
もしフェリーに乗り遅れたら、青森市街や野辺地を通って遠回りすることになっていたことでしょう・・・。そうなるともっと時間がかかったいたのかもしれません。
しかし、むつ湾フェリーがあるおかげで津軽半島と下北半島を1時間で行き来できるので、とても便利ですね。

さあ、とうとう下北半島の脇野沢港に到着です。
果たして、下北半島ではどんな旅が待っているのでしょうか?
次回、下北半島のドライブ旅が始まります。
続く