ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり昔の鉄道車輌を並べさせたり、昔ロマンを楽しむのが趣味です。よろしゅうお願いします

トロッコ電車で黒部峡谷アドベンチャー

皆さん、こんにちは。

今回は富山県にある『黒部峡谷』にてトロッコ電車に乗車してきました。

 

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黒部峡谷へは富山地鉄でのアクセスが便利

黒部峡谷の玄関口である宇奈月温泉へは、富山地方鉄道で行くことができます。

東京方面からのアクセスだと、北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅(地鉄新黒部駅)より富山地鉄にて約25分です。富山駅から地鉄ですと約1時間半ほどかかります。

 

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黒部峡谷鉄道 宇奈月駅

黒部峡谷鉄道の駅は、宇奈月温泉駅の終着駅付近にありますが、温泉噴水のある出口からだと、Uターンする形になります。また、温泉街側の出口から左に出て歩いていくと峡谷鉄道のりばです。

富山地鉄の終着駅である宇奈月温泉駅からさらに先にトロッコ電車が走っているのは静岡県の大井川鉄道本線の終着駅である千頭駅から先はトロッコ列車が走っているように印象としては少し似ていますが、こちらの方が比較的にぎやかのようです。ただ、きっぷとしてはフリーきっぷや乗車券で乗れる大井川鉄道井川線とは違い、事前に一番初めに乗車する便を予め窓口に伝えてから当日券と整理券を購入する形になっています。また、前日までにインターネットや電話で事前予約することができますが、GWや夏休みなどの連休では取りにくい場合があるので、取るのなら早めに取る平日に出かけられるのを検討されると良いでしょう。

ちなみに我々は当日券で乗車しました。

ビクティニ:ここもトロッコ電車が走っているのか・・・。静岡はよく行くし、大井川鉄道のトロッコ電車は何回かは乗ったことはあるけれど、ここのトロッコ電車は初めてだ・・・。

ミュウ:駅の看板に描かれたおさるさんのイラストが可愛らしいね。

 

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黒部峡谷鉄道のりば

黒部峡谷鉄道のりばは、駅舎から階段を降るとホームがあります。

黒部峡谷鉄道の改札は駅の放送で案内されます。そして、自分が乗車する号車の乗車位置にて待ちます。中にはツアー客も来ているということもあり、ホームは非常に長いです。

 

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黒部峡谷鉄道の機関車

黒部峡谷をゆくトロッコ電車の機関車は電気機関車で、線路の規格は『ナローゲージ(線路幅762mm)』が使用されています(大井川鉄道井川線の線路幅は狭軌の1,067mm)

機関車自体は小さめですが、42kwの定格出力をもち、黒部峡谷の急勾配でも最大13両の客車を牽引できます。また、繁忙期などでは編成が長くなるので、2両の電気機関車で牽引することがあります。

 

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黒部峡谷鉄道の客車

峡谷鉄道の客車には窓のない『一般客車』と窓のある『リラックス車両(追加料金530円)』あるいは『特別客車(追加料金370円)』の3種類あります。

我々はトロッコ電車特有の雰囲気を肌で感じさせるため、あえて『一般客車』に乗車します。一般客車なら追加料金がなく、風通しがよく、黒部峡谷の大自然を間近に感じることができます。ただ、手荷物や帽子、カメラなどを落とさないよう、注意が必要です。

ビクティニ:この客車、窓がないね。黒部峡谷の迫力を楽しむのにはいいかもね。

ミュウ:涼しそうだものね。

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宇奈月湖

宇奈月駅を出て何箇所かトンネルを抜けると進行方向右側には宇奈月湖湖面橋(赤い橋)が見えます。宇奈月湖は下流側にある『宇奈月ダム』によってせき止められた人造湖ですが、とても風光明媚です。

この鉄道は関西電力が所有しているもので、大井川の電源開発を目的に大井川鉄道井川線が敷かれたのと同様に、黒部川における電源開発を目的に敷かれました。そのため、この湖の湖底に旧線が眠っています。大井川鉄道でいうアプトいちしろ~長島ダムといった感じでしょうか。

 

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新柳川原発電所

湖の畔にはヨーロッパ風の古城が建てられています。まさに湖上(こじょう)だけに古城(こじょう)・・・なんてねw

実は『新柳川原発電所』という発電所で、ここからさらに先にある『出し平ダム』から取水された水は巨大なパイプを通し、ここで発電に利用されます。

かつてはここに昭和2(1927)年に建てられた柳川原発電所がありましたが、やはり宇奈月ダムの完成とともに水没することになったことから、同じ場所に発電所が新しく建てられることになったのです。古城のような風貌を持つ発電所が平成5(1993)年に建てられ。現行の発電所として活躍されています。

このように沿線には黒部川の電源開発に関する施設が建てられています。

 

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猿用吊橋

沿線には野生の猿しか渡れない吊橋もあります。運が良ければ野生の猿が見れるかもしれませんが、観光用に作られたものと思われます。ちなみにお猿さんはいないようです。

 

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トロッコ電車から見る黒部峡谷

宇奈月湖を過ぎると、徐々に険しくなっていきます。

黒部峡谷はV字形の峡谷で、北アルプスの鷲羽岳を源流とし、全長86km、高低差3千メートルを有する国内最大の渓谷です。

黒部渓谷で電源開発が検討されたのが大正時代のことで、それまでは厳しい大自然であるがゆえ、人が気軽に入れるような環境ではありません。黒部川は国内において有数の急流地帯で、なおかつ水流の豊富であることから、水力発電には適した環境ですが、あまりの険しい地形であるために、建設資材を運搬する手段がなかったといいます。そこで、黒部ダムなど電源開発に必要な建設資材の運搬及び作業員の輸送を目的とした専用軌道がこの渓谷に敷かれることになったのです。これが、現在の黒部渓谷鉄道のはじまりなのです。
当初は大正12(1923)年に宇奈月~猫又にて工事着手、後に大正15(1926)年に猫又まで開通。さらに昭和5(1930)年に小屋平まで開通し、昭和11(1936)年に小屋平ダム完成及び第二発電所が運用開始。昭和12(1937)年に欅平まで全線開通しました。終点にある欅平駅に竪坑エレベーター設置し、上部軌道開通(欅平~仙人谷)、同時に仙人谷ダム完成及び第三発電所運用開始。そして、戦後に入り昭和22(1947)年黒薙第二発電所が運用開始。昭和26(1951)年、関西電力株式会社が発足し(当時は関西地方において電力不足が深刻だった)、昭和28(1953)年に黒部峡谷鉄道トロッコ電車は地方鉄道法許可取得及び旅客鉄道として営業をはじめました。そして、第四発電所の運用開始及び竣工など、各々の電源開発が行われ、昭和38(1963)年、ついに黒部ダムが完成しました。黒部ダム日本で一番大きい電力用ダムです。
黒部峡谷鉄道はもともとダム建設など資材運搬のための専用鉄道として開業したものですが、当初から地元の人々の利便性を図ることから、『無料便乗』という形で利用されていたようです。しかし、昭和に入ると年ごとに増える観光客に対応するため、便乗料金を徴収した上で一般客でも利用できるようになり、昭和26(1951)年10月に禁止されるまで続けられていたといいます。その頃の黒部峡谷はあまりの険しさに安全性が行き届いていなかったのか、便乘證(乗車証)には『便乘ノ安全ニ付テハ一切保證致シマセン』と書かれていたほどだそうです。
その後、観光用列車として活用したいという要望も強まり、昭和28(1953)年11月5日、関西電力株式会社が地方鉄道業法の許可を得て、『黒部鉄道』として営業運転を開始、昭和46(1971)年には黒部峡谷鉄道株式会社が発足しました。現在では、水力発電施設のメンテナンスのための作業員輸送(資材運搬なども含む)及び観光鉄道として担い、現在に至っています。

 

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黒薙温泉

また、宇奈月温泉だけでなく、黒部峡谷の至る場所に温泉が湧いています。しかも、宇奈月温泉と同じ泉質なので、時間があれば立ち寄ってみるのもいいでしょう。

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黒薙駅と後曳橋

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水路橋
黒部峡谷鉄道の沿線には大井川鉄道井川線と違う点でいうならば、井川線の沿線にはいくつか民家や集落があるのに対して、黒部峡谷鉄道の周辺には民家は殆ど無く深い渓谷に囲まれています。中でも黒薙駅周辺の谷が一番険しい場所です。この渓谷にかかる『後曳橋』は高さ60メートルあり、あまりの谷深さに後ずさりするほどということから、その名が付きました。なお、この橋の横にある古いコンクリート橋は『水路橋』でこの先にある猫又から先程の新柳川原発電所まで水を引いています。

 

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黒部峡谷鉄道にある秘境駅の殆どが作業専用

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出し平ダム

終点の欅平駅はもちろん、途中の黒薙駅鐘釣駅では途中下車ができますが、その他の駅(停車場)柳橋駅、笹平駅、出平駅、猫又駅などでは途中下車できません。

・・・というのも、それらの下車できない駅こそがいわゆる秘境駅ですが、実は設備のメンテナンス資材運搬など、作業のために設けられたからなのです。大井川鉄道井川線の駅は一部を除いて途中下車できるのに対し、この鉄道では途中下車できる場所は限られています。しかも、ほとんど作業用の駅なので、我々一般客が途中下車できるような場所ではないからです。出平駅猫又駅などの近くにダムや水力発電設備などの電源設備があるのも、発電所の建設、あるいはダム建設の資材運搬や作業に利用するために設けられたものと思われます。
大井川鉄道井川線では通年運行しているのとは対照的に、こちらの黒部峡谷鉄道では冬期は運休されます。しかし、運休だからといって、ただただ運休というわけではなく、観光鉄道ということもあり、鉄道の安全確保などから線路設備や車両のメンテナンスなどが行われるのです。

ビクティニ:雰囲気や経緯としては大井川鉄道と似ているけれど、気軽に途中下車できるわけではないのか・・・。本数としては井川線とは違って多いけれど、途中下車する時は予め次に乗る列車を選ばないといけないのね・・・。定員制だからGWや夏休みでは乗りたい便には乗りたくても乗れないこともあるらしい・・・。

ミュウ:下手したら帰れなくなるかも・・・(゜o゜;

作者:乗車する日の前日までに予約できるようになっているはずだから、どうしても乗りたい人には良いのかもしれないけど、その代わり乗車時間までに宇奈月駅に行かないと無効になってしまうから注意したほうが良いようだ。でも、当日券分の席も確保されているはずだから当日でも乗れないわけでもないから、その点ちょっと安心かな・・・?

 

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小屋平ダムと停車場

また、クルマや徒歩では訪れることができないダム峡谷鉄道からなら見ることが出来ます。

こちらの小屋平駅も水力発電関連を目的に設けられたものと思われます。写真の小屋平ダムは昭和11(1936)年に完成したもので、建築家である山口文象氏がデザインしたものです。これは戦前におけるシンプルかつシンメトーリーなダムであり、建築史上においても重要的な位置づけにある近代土木遺産として認定されています。

 

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欅平駅

黒部峡谷鉄道の終着駅『欅平駅』に到着です。

ここで黒部峡谷鉄道の終点になるのですが、実はここから先の黒部ダムまで鉄道が延びているのです!黒部ダムは『アルペンルート』を通るとお目に掛かることができるのですが、ここ(欅平)から黒部ダムへは直接行くことができません。
でも、この駅に併設されている『竪坑エレベーター』を通して800mの高低差のある『上部軌道』『関西電力黒部専用鉄道』として、黒部ダムにつながっているのです。しかし、当然ながら作業員専用の鉄道なので我々一般人がお目にかかれることはまずありません。いわば『黒部ルート(知られざるルート)』なのです。ちなみに、『黒部ルート』抽選で当たれば見学をすることができるようですが、なかなか当たらなかったりするわけでして・・・(汗)

※2020年現在では、あの病気のせいで実施されないようです。

ビクティニ:ずいぶん遠い所まで来たね。終着駅と思ったら目の前に発電所らしき施設もあるぞ。なるほど、かつて大秘境だった黒部峡谷の厳しい大自然と電源開発に携わった人々との戦いを想わせるような歴史があったのかがよく分かる・・・。殉職者も多いはず・・・。マンナンダブマンナンダブ・・・。

ミュウ:こんな山奥でも発電設備があるのが驚きだね!これでぼくらの生活を支えているんだろうね・・・。

 

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黒部峡谷周辺
V字形の険しい渓谷である黒部峡谷周辺には、先ほど通ってきた『出し平ダム』『小屋平ダム』などをはじめ、サンナビキ山名刺山仙人谷などの険しい山々が切り立っています。欅平周辺では特別天然記念物及び特別名勝に認定された『猿飛峡』をはじめ、奥鐘橋名剣温泉人喰岩などがあります。なお、この日は『猿飛峡』まで行く道で土砂崩れがあったのか、行くことができません。

 

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奥鐘橋から見た黒部峡谷

かつては人を寄せ付けぬ秘境の地だった黒部峡谷は険しく、厳しい地形が日本一の大峡谷を物語っています。

黒部峡谷は、立山連峰と後立山連峰から流れてきた黒部川が長い年月を掛けて刻み込んだことで、いかに非常に深い渓谷ができたのかが実感できます。まさに太古の峡谷といっても過言ではないでしょうか。黒部峡谷にかかる赤い橋『奥鐘橋』は高さが34mあり、高所が苦手な人には足がすくみそうです・・・。

 

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黒部ダムへ続く黒部川

この橋の右側は黒部川本流で、仙人谷及び黒部ダム方面へ続いています。

ここから黒部ダムまでは約18kmあり、とても遠い場所にあります。この写真の奥に見える建物は黒部川第三発電所が見えます。『関西電力黒部専用鉄道』も非常に高い標高をもってこの川に沿いながらずっと奥にある黒部ダムまで続いているんでしょうね・・・。

 

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人喰岩

黒部峡谷の険しい地形によって生み出された不思議な芸術を物語っています。

人喰岩は、その名の通り、人を飲み込むような形をしていることからつけられています。こんな険しい峡谷でも自然が生み出した不思議なものが見られるものですね・・・。

 

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名剣温泉
欅平から奥鐘橋の先に足を運ぶと名剣温泉などの日帰り温泉に入ることが出来ます。大峡谷が目の前に広がる露天風呂があり、気が済むまで黒部峡谷の空気を吸いながら温泉を楽しんでみるのもいいでしょう。

 

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唯一スイッチバックのある鐘釣駅
黒部峡谷鉄道は険しい峡谷をゆく鉄道ということで勾配も急ですが、大井川鉄道みたいにアプト式鉄道はありません。ただ、途中の鐘釣駅では唯一のスイッチバックがあります。もともと構内が狭いためか、あるいはトロッコ電車の編成が長い編成にも対応出来るようにするために設けられたと思われます。この駅のスイッチバックは列車が発車する時、一度列車の先頭がポイント手前までバックし、ポイントの向きを変えてから進行方向へ進むという構造になっています。
鐘釣駅では途中下車の出来る駅の一つで、周辺には河原露天風呂があり、『万年雪』もここで見られます。

 

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鐘釣駅では黒部峡谷の天然水が飲める

鐘釣駅では、北アルプスの天然水が飲めるコーナーが設けられています。その場で天然水を飲むのはもちろん、ペットボトルなどで持ち帰ることもできます。

 

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万年雪
百貫山に積もった雪が河原に落ちて蓄積し、それが夏になっても溶けないことから、『万年雪』という名前が付いたと言われています。新潟県、北海道などの北日本ではよく見られる光景ですが、黒部峡谷にもこのように万年雪が見られます。しかし、今年は年々著しくなりつつある地球温暖化の影響ということもあり、わずかしか残っていないようです。

 

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黒薙支線
黒薙駅で分岐されている黒薙支線も電源開発を目的に敷かれていますが、これは黒部川の支流である黒薙川に黒薙第二発電所及び新黒薙第二発電所、二見取水堰堤まで続いています。これも先ほど紹介した欅平の上部軌道と同様、関西電力専用鉄道が保有しており、昭和22(1947)年に開通したものと思われます。実は、この軌道も黒薙温泉に通じており、かつては駅員の許可でここを黒薙温泉への近道として利用することが出来たようですが、最近では保安上の理由から、一般客が通行できなくなっているようです。新黒薙発電所は割と最近に建てられたようですね・・・。

 ★黒部峡谷鉄道の様子★


黒部峡谷鉄道のトロッコ電車で黒部峡谷を冒険!

 

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宇奈月温泉の温泉噴水

トロッコ列車の旅を楽しんだ後は、宿泊はもちろん、日帰りでも宇奈月温泉を楽しむことができます。

宇奈月温泉は大正12(1923)年に開湯し、黒部川の電源開発とともに歴史を歩んできた歴史のある温泉です。黒部峡谷における電源開発に携わった作業員たちで賑わったと言われています。実は、黒部川上流にある黒薙温泉宇奈月温泉の源泉とされ、黒薙温泉源泉から宇奈月温泉郷まで温泉が引かれているのだそうです。

本当は宇奈月温泉にも泊まってみたかったのですが、実質一人旅であるため、あいにく土日祝日だと一人で受け入れてもらうのには難しいようです・・・orz

ビクティニ:宇奈月温泉に泊まりたかったなあ・・・。

にょろもう:ぼくも・・・。でも日帰り温泉でも十分に楽しめたよ!

作者:初めて黒部峡谷鉄道に乗ったけど、色々と見どころが多かった。しかも大井川鉄道より電源開発の歴史が古いのは意外だった・・・。あの頃は黒部峡谷の方が電源開発の歴史としては当時最先端だったのかもしれない。

 

『トロッコ電車で黒部峡谷アドベンチャー』でした。

終わり

北東北浪漫 みちのく紀行 最終日 帰路へ・・・

皆さん、こんにちは。今回は、この旅の最終回となります。どうぞ最後までお付き合いください。

 

昨日、リゾートしらかみ号十二湖を楽しみ、秋田駅前のホテルに宿泊。そして、早朝6時に起床し、すぐにチェックアウトをして秋田駅へ向かった・・・・。

 

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早朝の秋田駅

・・・ということで、秋田駅です。早朝ということもあり、がらんとしています。

ここから関東へ帰路に着くところなのですが、JR奥羽本線経由の在来線で福島から新幹線で帰るか、あるいはJR羽越本線、信越本線、上越線経由の在来線で越後湯沢から新幹線で帰るか、いろいろと検討したのですが、越後湯沢から新幹線を利用するほうが安上がりのようなので、羽越本線経由で帰ることにします。

ビクティニ:さあ、まずは朝飯だけど、朝早くから駅弁を売ってるみたいだから、最後の朝食は駅弁にしよう。関東までの道のりは長いから、腹ごしらえはしっかりしないと・・・。

ミュウ:ところで、どうやって埼玉に帰るの?

作者:色々考えたんだけど、やっぱり羽越本線経由で帰ることになった。最初は福島まで在来線(奥羽本線)で行って、そこから新幹線で帰ることを考えたが、福島から大宮までだと自由席でも8,040円、逆に越後湯沢から大宮までは自由席で5,720円上越新幹線経由の方が安上がりなので、越後湯沢まで在来線(羽越本線、信越本線、上越線)で進み、越後湯沢でちょびっと温泉に浸かってから帰ることにしよう。

ビクティニ:なるほど、確かに合理的なルートかつお気楽な考え方!さすが作者さん!

 

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秋田駅に飾られているD51型蒸気機関車

秋田駅にはD51型蒸気機関車の大きな模型が飾られています。

かつては秋田地区の奥羽本線や羽越本線などの貨物列車で活躍した名残かと思われます。ナンバーが『D51-554』のようですが、SLが秋田から引退した時に最後まで残ったのがこのナンバーだったのでしょうか・・・。

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秋田の駅弁『鶏めし弁当』

朝ごはんといってはなんですが、秋田名物の駅弁『鶏めし弁当』をいただきました。

昨夜に食べたきりたんぽ鍋もそうですが、秋田の食文化としては『比内地鶏』など、鶏肉を主食とし、郷土料理でもよく用いられているといわれています。

ビクティニ:鶏肉はちょっと苦手だけど、秋田の地鶏を使ったお弁当は意外とイケるかも。

ゴンベ:朝に駅弁は最高だっぺ~。うんめえっぺ!

 

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秋田駅を出発

6:50 JR羽越本線 普通列車 酒田行 秋田駅を発車。

乗客の少ない普通列車は早朝の秋田駅を静かに出発してゆきます・・・。でも、車両は相変わらずロングシートの701系であります。

ビクティニ:さらば・・・秋田・・・。

ミュウ:これから長い帰りの旅路がはじまるのね・・・。

 

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JR羽越本線の車窓から見る 日本海

羽越本線の西側車窓は、日本海の大海原が広がります。

この路線は、日本海側の東北の鉄道としては主要路線ということもあり、普通列車の他に特急列車貨物列車も通っています。昔は寝台列車も走っていましたが、今は廃止となっており、主要路線の割にはちょっぴりさみしいローカル線のような感じです。ただ、このあたりも昨日通ってきた五能線と同様、あまりの悪天候に見舞われると運休になることがよくある区間でもあります。特に冬場強風や大雪などで運休になることもしばしばのようです。また、夏場でも大雨や台風などで不通になることも珍しくないようです。

ビクティニ:去年の正月旅行も羽越本線を通っただけあって久しぶりにこの路線の車窓から見る日本海の景色が見れた。

ミュウ:ちょっとさみしい景色だけど、旅情があるよね。

 

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酒田駅

8:44 秋田駅に到着。

ここから先も新潟方面の普通列車に乗り継ぎですが、次の列車は9:36なので、まだ時間があります。途中の酒田駅で自転車を借りて、以前訪れたさかな市場で買い物をしてから、引き続き列車に乗り継ぎましたが、我々が9:36発の普通列車に乗るのはかなりギリギリになってしまいました。でも、駅員さんが列車に我々の乗車を待ってくれたようです・・・。

ビクティニ:駆け込み乗車なんてしたくなかったのに・・・。もう汗だくだよ・・・。9:36発村上行の次が11:45鶴岡行、12:01のが特急で、次の村上行の普通列車が12:52か・・・。乗り遅れたら3時間も立ち往生になるところだったよ・・・。

ミュウ:みんなも駆け込み乗車はやめようね。

作者:久々に走っちゃったけど、なんとか列車に乗れてよかった・・・。

 

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羽越本線 最上川

9:36 普通列車 村上行 酒田駅を出発。

さあ、ここから庄内平野を南下していきます。

途中の鉄橋を渡る最上川は、『五月雨をあつめて早し最上川』という俳句があるように、松尾芭蕉が詠んだ名句が有名です。

 

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鶴岡駅

庄内地方の城下町『鶴岡市』を通過します。

ビクティニ:そういえば、以前に『きらきらうえつ』で鶴岡まで乗ったことがあるのを思い出した。

ミュウ:懐かしいね。

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羽越本線 海の車窓

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笹川流れの車窓

羽越本線の車窓といえば『笹川流れ』が有名です。

以前に『きらきらうえつ号』『海里号』についての記事でも紹介した通り、日本海の浸食によって海岸の岩場が様々な形状を織りなす大自然が生んだ芸術的な海岸線です。

ビクティニ:『きらきらうえつ号』の車窓が懐かしいなあ・・・。

ミュウ:もう、ここを何回通ったのかな?

作者:もし、関東へ帰る時のルートが奥羽本線だったら、途中で山形新幹線が通るから、それはそれで面白いかも・・・(例えば線路幅が違ったり)。

 

★きらきらうえつ号についての記事はこちら★

okuchichibu551.hatenablog.com

 

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村上駅

11:42 村上駅に到着。

次の新潟方面の列車は12:26発新潟行なので、約40分弱時間があるので、駅付近の食堂で昼食を取ることにします。村上市はが名物なので、鮭料理がいただけるお店を探してみます。

ビクティニ:ようやく新潟県に入った。羽越本線ってとても長いよね・・・。駅の近くに美味しいお店はないかね・・・。

ミュウ:さっきの酒田駅で乗り遅れたら昼食は酒田市で取ることになってたかもね・・・。

 

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村上市といえば鮭

近くの観光協会に聞いてみたら、駅チカで鮭料理がいただけるお店意外と近くにありました!

村上市で鮭が盛んになったのは、青砥武平治が三面川の支流で鮭が育つことが出来る環境を作ったのがそのはじまりとされています。村上市で行われるサケ漁伝統漁法『居繰網漁(いぐりあみりょう)』が三面川で行われ、大川では『コド漁』といわれる全国的に珍しい鮭漁も行われています。また、鮭に感謝をささげる『鮭魂祭(けいこんさい)』『水神様』などの神事・行事が毎年行われるほど村上市は鮭との縁は深いものです。いわば『鮭のまち』といわれています。

ビクティニ:最終日の帰りの道中で鮭料理が食べられるとは思わなかった。美味しい!

ミュウ:美味しい!

にょろもう:ぼくの大好物だ!いただきます!・・・これは最高!

ゴンベ:うんめえっぺ!帰りのお昼ごはんに鮭が食べられるとは・・・。オラ感激だっぺ!

おもてなしの宿 石田屋|村上市観光協会 -鮭・酒・人情 むらかみ-

 

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12:26発 普通列車 新潟行

昼食を終え、引き続き普通列車で南下してゆきます・・・。

12:26発 普通列車 新潟行 村上駅を出発。

車両は新潟地区でおなじみになったE129系です。

 

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新発田駅

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新発田駅から新津方面の羽越本線 発車案内

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羽越本線 新発田~新津で運行されるキハ110系(ワンマンカー)

12:59 新発田駅に到着。

ここで、新津方面へ向かう列車に乗り換えます。

新発田駅では、羽越本線の秋田方面から来た列車が新潟方面へ向かう時は『白新線』を通ります。ここから関東方面へ向かうのには『羽越本線(新津方面)』が近道ですが、本数としてはかなり少ないので注意が必要です。上の写真を見れば分かる通り、新潟市近郊区間なのにも関わらず2時間半以上も時間が空いています。

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羽越本線 新発田~新津の車窓

羽越本線の新発田~新津の区間は完全に単線で、大幹線の路線とは思えないほど閑散としています。

羽越本線は新潟と秋田を結ぶ路線と思われがちですが、実際は新潟駅とは別の新津駅~秋田駅を271kmで結ぶ日本海沿いの大幹線です。しかし、新発田駅~新津駅だけは、完全にローカル線という風貌が漂っています。それでも、かつては『日本海』『トワイライトエクスプレス』『あけぼの』などのブルートレインや数々の夜行列車がここを通過していたのです!現在でも貨物列車がこの区間を通過します。もしかしたら、この路線唯一の旅客列車である普通列車があんなに本数が少ないのは、貨物列車を通しやすくするものと思われます。

ミュウ:ちょっぴり殺風景かも・・・。

ビクティニ:でも昔はたくさんのブルートレインがここを通っていたんだ。

 

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新津駅

13:50 新津駅に到着。

ここから信越本線に乗り換えて長岡方面に乗り換えます。

新津駅は信越本線羽越本線磐越西線の3路線が集う鉄道ターミナル駅です。『SLばんえつ物語号』の始発駅でもあり、近くに鉄道車両製造工場があります。また、当時はここに大規模な機関庫があり、このあたりに住む人々が鉄道業で栄えていたことから、新津は『鉄道の町』として今でも親しまれています。

ビクティニ:新津駅か・・・。今日のSLは休んでいるみたい・・・。

ミュウ:毎年のようによく来るね・・・。

作者:ちなみに、ここには鉄道資料館もあるようだ。腕木式信号機があるとちょっと雰囲気出るかも。

 

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信越本線の普通列車 長岡行

14:27 信越本線 普通列車 長岡行 新津駅を出発。

ここから先は信越本線、上越線を経由して越後湯沢まで在来線を進みます。車両はやはりE129系です。

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長岡駅で上越線に乗り換え

長岡駅で上越線に乗り換えます。この駅では信越本線柏崎方面上越線が分岐されます。

普通列車 越後中里行ですが、ワンマン運転になっています。一昔前とは打って変わってワンマン運転になっている路線が増えている気がします。これからワンマン運転が次第に拡大してゆくのでしょうか・・・。

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JR上越線から見る田んぼの車窓

15:29 上越線 普通列車 越後中里行 長岡駅を出発。

あとは、このまま越後湯沢まで進んで行きます。上越線は関東と新潟を結ぶ大幹線のはずなのですが、ワンマン運転ということもあり、普通列車は短い2両編成で運行されています。時代の流れとともに普通列車も寂しく感じます。上越線は辺り一面に広がる田んぼの中山間部に沿うように進んでゆきます。

ビクティニ:だんだん関東に近づいていく・・・。

ミュウ:新潟県ももう終わりかな?

 

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越後湯沢駅に到着

16:50 越後湯沢駅に到着。

越後湯沢は川端康成の小説で有名な『雪国』に登場する舞台としても有名で、その名の通り、温泉地であり、冬場にはスキーで賑わいます。

さて、ここで在来線の旅は終わりです。あとはここから新幹線で帰るだけです。

越後湯沢から先の水上方面への上越線は1日に5~6本しかありません。そのため、ここから先は在来線で通過するのには困難かと思われます。また、越後湯沢から水上方面へ抜ける最終の在来線は17:50発終電としてはかなり早いので、それに乗り遅れると、ここで新幹線乗換は必須になるでしょう・・・。

とはいえ、せっかくの温泉地なので、日帰り温泉に入ってから新幹線で帰宅しようと思います。

ビクティニ:ここで『北海道&東日本パス』の出番と在来線旅はおしまいか・・・。あとは、ここでひとっ風呂浴びてから帰路につこう。

ミュウ:もう鈍行の旅は十分に楽しんだから後は新幹線で帰ろう。ちょっと酔っちゃった・・・。

周辺には様々な日帰り温泉がありますが、越後湯沢駅で日帰り温泉を楽しみたいなら、駅中にある『ぼんしゅ館』という店舗に『酒風呂 湯の沢』という日帰り温泉があります。日本酒を使ったお風呂は、お酒の香りでリラクゼーションを保ち、お酒の成分で血行が促進される健康的な日帰り温泉です。新幹線や列車の待合時間を利用して利用してみるのも良いのかもしれません。

www.ponshukan.com

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今回の旅で最後の夕食

日帰り温泉を楽しんだ後は、駅中のお寿司屋さんでいただきました。お風呂から上がったのは18:20ごろですが、例の病気のせいで越後湯沢駅で食事ができるのはこのお寿司屋さんしかやっていないようです。また、まだ18時台なのにお土産屋さんも閉まっていました・・・。

ビクティニ:日帰り温泉のあとは、今回の旅最後の夕食か・・・。思えば、岩手から青森までいろんな所へ行ってきたけれど、まさか岩木山へ登山に行くとは思わなかったなあ(笑)ゴンベくんは今回の旅を通してどうですか?

ゴンベ:今回は結構美味しいものが食べられて、いい宿に泊まれて、まるで夢のようだったっぺ~!というわけで、最後の夕食もいただきますだ~!!美味しいっぺ~!

作者:実は以前にも越後湯沢に訪れたことはあったのだが、当時は18時でも賑わっていた記憶があるのに、最近はすっかり寂れている・・・。やはり、コ×ナの影響みたいだね・・・。

www.jalan.net

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帰路へ・・・

さて、夕食も終えたところで、上越新幹線で関東へ帰路につき、今回の旅はこれにて締めたいと思います。みなさん、最後までご覧いただきまして、ありがとうございました!

ビクティニ&ミュウ:GOOD BYE EVERYONE!

 

北東北浪漫 みちのく紀行 完

最後までご覧いただきまして、ありがとうございました!

 

THE END

北東北浪漫 みちのく紀行 6日目 “リゾートしらかみ号”で行く白神山地 十二湖めぐりの旅

皆さん、こんにちは。

今回は鰺ヶ沢から『リゾートしらかみ号』に乗車し、世界遺産の一つとされる『白神山地』の一部である『十二湖』を訪れてみようと思います!

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朝の岩木山

ホテルの部屋から見た朝の岩木山です。朝焼けの岩木富士はとても美しいです。昨日登山した時の達成感とともに美しい岩木山にご合掌・・・。

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ホテルの朝食

ホテルの朝食も和食の箱入り定食になっています。まさに青森ならではのふるさとの味でした。

ビクティニ:青森の朝食はとても美味しい。

ミュウ:ご飯もちょうどいい温度で炊けているから美味しい!

にょろもう:味噌汁も美味しいね。

ゴンベ:うんまいっぺ!

 

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朝のホテルロビー

清々しい朝の海はとても穏やかです。雄大な日本海の見えるホテルのロビーは心が和みます。

ビクティニ:朝の海はとてもきれいだ。

ミュウ:今日も暑いけど、いい1日になると良いね。

 

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リゾートしらかみ号

9:56 鯵ヶ沢発 秋田行 入線。

さあ、待望の『リゾートしらかみ号』が入線してきました!

リゾートしらかみ号には『ブナ編成』『青池編成』『くまげら編成』の3種類あります。今回、我々が鯵ヶ沢駅から乗車する列車はリゾートしらかみ2号で、こちらの『青池編成』になります。なお、どの編成が来るかは、時期によって異なります。実際に乗車する編成を事前に知りたい人は『JR東日本 たのしい列車 リゾートしらかみ』と検索して調べてみるのも良いのかもしれません。

★リゾートしらかみ号についてのHPはこちら★

www.jreast.co.jp

★リゾートしらかみ号の旅 映像★


リゾートしらかみ号でゆく十二湖めぐりの旅

 

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千畳敷駅

鰺ヶ沢駅から約20分で千畳敷駅に到着します。

ここでは約14~15分間停車します。この駅のすぐ近くにある『千畳敷』は、長い停車時間を利用して自由に見学や撮影などが楽しめます。ただし、駅と海岸は横断歩道で隔てられているので、道路を渡るときはクルマには十分に注意しましょう。

ビクティニ:見てみて!すぐ近くに海が見えるよ!行ってみようよ!

ミュウ:クルマには気をつけてね。あと、停車時間も限られているから、あまり遠くには行かないでね。

作者:大丈夫、発車時間の3分前には必ず警笛が合図として鳴るから、それまで列車に戻るんだよ。自由に海を眺めていいけど、必ず停車時間の3分前には列車に戻ってね。

 

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千畳敷海岸隆起生誕200年記念碑

千畳敷海岸の入り口には、太宰治の文学碑が鎮座されています。

この石碑には小説『津軽』に登場する『五 西海岸』よりこの千畳敷のことが書かれているとされています。石碑には・・・

木造から、五能線に依って約三十分くらいで鳴沢、鯵ヶ沢を過ぎ、その辺で津軽平野もおしまいになって、それから列車は日本海岸に沿うて走り、右に海を眺め左にすぐ出羽丘陵北端の余波の山々を見ながら一時間ほど経つと、右の窓に大戸瀬の奇勝が展開する。・・・

・・・というように当時、太宰治が五能線の汽車に乗られた際に、風光明媚な千畳敷海岸の日本海を観られて心を和んだことでしょう・・・。

 

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大町桂月文学碑
また、大町桂月文学碑も鎮座されていました。そういえば、岩木山山頂にもこのような石碑がありましたね。

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千畳敷海岸

千畳敷海岸は、その名の通り平たい岩棚が海岸になっているとても風光明媚な景観です。この海岸は寛政4(1792)年の地震によって隆起し、岩床がせり上がって出来たとされています。大昔は殿様がここに千畳の畳を敷いて宴を催したとされている説があることから、『千畳敷』という名前の由来になったと言われているようです。


ビクティニ:平たい岩場の海岸も浄土ヶ浜とはまた違った感じだね。
ミュウ:岩場に海水が溜まっているよ。

 

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津軽西海岸の車窓


JR五能線の沿線には、先程通ってきた千畳敷海岸をはじめ、岩石のそびえる海岸線など、風光明媚な景観スポットが少なからず点在しています。また、海岸線が日本海側(西側)にあるため、『夕日スポット』としても知られています。

JR五能線は川部駅(青森県田舎館村)~東能代駅(秋田県能代市)にて昭和11(1936)年に全開通しました。全長147.2㎞を有し、津軽西海岸に沿いながらゆく風光明媚なローカル線です。一時期は、国鉄末期以降の全国各地のローカル線(特に特定地方交通線)が過疎化などによって次々と廃止され、五能線も例外でなかったと言っていいほど廃止危機に追い込まれましたが、1990年代より五能線における観光列車運行の積極化がなされたといいます。さらに平成9(1997)年には、我々が今乗車している『リゾートしらかみ号』を運行。さらに沿線の景観である世界遺産に指定された『白神山地』海沿いの風光明媚な海岸線などの景観から、JR五能線を『観光路線』として活性化することで、多くの観光客を魅了したのです。これが、JR五能線を廃止危機から救ったきっかけとも言えるでしょう・・・。

ビクティニ:初めて五能線には乗ったけれど、海の景色がとっても素晴らしい!夕方だったらもっと綺麗かもね・・・。

ミュウ:ただ、天候や波の状況が酷いと運行はされないみたいだね。僕たちが五能線に乗っているときに急に天気が悪くなったら怖いかも・・・(^^;

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深浦駅

深浦駅はJR五能線の中間地点にあります。

深浦町は、7000人あまりの町で、世界遺産『白神山地』の玄関口であり、岩石の海岸線と雄大な日本海が見渡せる風光明媚な町です。また、青森県の中でもマグロの水揚げ量が日本一を誇る大間町と並ぶほど、本マグロがたくさん獲れる町でもあります。他にも『不老ふ死温泉』という岩場の海岸線に湧く有名な温泉もあり、時間が許されれば日本海の夕陽とともに温泉に浸かることも出来ます。かつては、江戸から明治にかけて北前船の拠点ともなった港町でした。北前船は日本海を介して大阪や北海道などから食料を一度に運ぶために用いられた大型帆船のことです。しかし、当時の船には動力がなく、風の流れによって港で待たなければならず、特に津軽海峡の潮の流れがとても強いことから、津軽海峡は帆船の難所と言われていたのだそうです。

ビクティニ:不老ふ死温泉に入ると長生きするって言われているけれど、本当かな・・・?本当だったら入りたいかも・・・。

ミュウ:入りたいのは分かるけど、時間が時間だから・・・。

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五能線で活躍していた8620型蒸気機関車

途中のウェスパ椿山駅では、かつて五能線で活躍していたSLが保存されています。

約40~50年前の五能線には先日通った花輪線と同様、『ハチロク』こと『8620型』という蒸気機関車が活躍していたのです。『8620型』は当初、幹線の旅客列車で活躍。その後は各地のローカル線で1970年代まで活躍し、大正生まれの割には国鉄時代におけるSL終焉期まで末長く活躍しました。五能線では客車列車の他に、地元の人々が生活などで使う物資の輸送も行われていた貨物列車、あるいは客車と貨車が一緒に連結されていた『混合列車』の機関車としても活躍されていたようです。

ビクティニ:こんなところにSLが置いてあるよ!昔は五能線を走っていたんだね。このSLが五能線を走っていた当時はもっと海が綺麗だっただろうね・・・。

ミュウ:昔のローカル線ならSLはどこでも見れたんだね。

 

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十二湖駅

 11:26 十二湖駅 到着。

この駅が十二湖への玄関口になります。十二湖へは路線バス(十二湖駐車場ゆき)にて行くことが出来ます。バスは列車のダイヤに合わせて運行されているようなので、問題はないようです。ただ、大きな荷物はこの駅に併設されているコインロッカーに入れておくと良いでしょう(ただしバスに乗り遅れないように注意)。

ビクティニ:ここから十二湖に行けるみたいだ。バスもすぐ来るみたいだから、早めにバス停に行こう。

ミュウ:早めにコインロッカーに荷物を預けとこうね。

 

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十二湖駐車場
十二湖駅からバスで約15分・・・十二湖駐車場に到着です。ここからは十二湖遊歩道への入り口になります。十二湖駐車場のバス停近くにはキョロロという物産館があり、食事や買物も出来ます。

ビクティニ:ここが十二湖への入り口なんだね。

ミュウ:ちょうどお腹が空いたね。ここでなにか食べていこうよ。

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昼食

物産館にて昼食をいただきます。昼食にはラーメンやたこ焼き串をいただきました。普通の食堂といった感じでしょうか。

ビクティニ:ラーメンうまい!

ゴンベ:うんまいっぺ~!

ミュウ:食べ終わったら十二湖散策だね。

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十二湖散策道 入り口

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十二湖におけるおすすめコースの目安

十二湖世界自然遺産に登録されている『白神山地』の一部分になっています。

我々が十二湖を訪れたのは初めてなので、訪れた当時は回り方があまり分からなかったのですが、初めて十二湖を訪れる、あるいは単にハイキングを楽しみたいならば、上の地図を見れば分かる通り、『十二湖ウォーキングコース』がおすすめコースになっているようです。つまり、手軽に白神山地の雰囲気を楽しみたいなら、青池沸壺の池ブナの原生林を回るだけでも十分かと思われます。もっとも我々みたく列車旅をしている人には時間に限りがあるので、『金山の池』『糸畑の池』など、比較的遠い(マイナーな)場所まで訪れるとなると時間もあまりないかと・・・。

 

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鶏頭場の池

十二湖には『青池』をはじめ、『沸壺の池』『鶏頭場の池』などの湖沼群が点在する起伏の多いエリアで、ブナの原生林が生えています。

十二湖は、名前からすると「12箇所の湖沼がある」と思われがちですが、実際には33箇所大小の湖沼が存在しています。では、なぜ『十二湖』と呼ばれているのかというと、大崩山の展望台(鶏頭場の池と青池の間にある登山道の先にある)から見下ろした時、12箇所の池が見えることからその名前の由来になったと言われています。
写真の『鶏頭場の池』も代表的な十二湖の池の1つです。地図で見るとその名の通り「鶏の頭のような形」をしていることから、その名前の由来になったそうです。

ビクティニ:十二湖に点在するそれぞれの湖沼につけられている名前はどこか不思議な感じ・・・。まるで裏磐梯の五色沼みたい・・・。

ミュウ:緑の森に広い池は癒やされるね・・・。

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青池

これが十二湖を代表する池・・・『青池』です!

その名の通り、青く浸透している青色の池で、池の底に沈み込んでいる倒木も見えるほどの透明度です。しかし、なぜ青く見えるのかは未だに解明されていませんが、とにかく青い色の池がまさしく秘境感を物語っています。池の底に沈み込んだ倒木は、まるで道東にある『神の子池』のようです。

ビクティニ:うわあ~、この池はとっても綺麗だよ!池に沈んだ倒木が見えるよ!この池を見ていると、去年の北海道旅行で美瑛へ行ったときに見た『青い池』を思い出すね・・・。

ミュウ:でもなんで池の色は青いんだろう・・・?

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ブナの原生林

白神山地の象徴といえば、言わずもがな『ブナ原生林』です。

白神山地は、秋田県北西部と青森県南西部にまたがる約13万ha(ヘクタール)に及ぶ広大な山地帯で、十二湖のエリアもその一部分に含まれています。そのため、この界隈に生える植物や原生林は太古のままの美しい景観になっています。
白神山地が世界自然遺産に登録されたのが平成5(1993)年のことで、ほぼ人の営みの影響を受けていない世界最大級といわれるブナの原生林をはじめ、多種多様な動植物も生息する貴重な生態系が保たれています。

ビクティニ:これだけ深い森の中にいると思うと、まさに世界遺産である白神山地の中にいることを物語っている・・・。

ミュウ:日の光を浴びた森の中・・・。大自然の中にいるって感じ・・・。でも、虫が寄ってくるのはイヤ(>ω<)

 

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ブナの木
白神山地に生えている原生林はブナが代表的ですが、他にミズナラ、カツラ、トチ、イタヤカエデなどの樹木も生えています。十二湖周辺で見られる植物を探してみると新たな発見も見つかるのかもしれません。

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十二湖周辺の散策エリアマップ
十二湖の周辺には『青池』『鶏頭場の池』の他にも『沸壺の池』『日暮の池』『落口の池』『王池』などの湖沼は見られます。運が良ければ、カワセミなどの野鳥も目にすることも出来ます。また、アメリカのグランドキャニオンのような景観が日本で唯一見られる『日本キャニオン』も存在します。

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沸壺の池

『沸壺の池』も先程の『青池』と同様に鬱蒼とした緑の原生林の中で青く染まっています。

こちらの池は『青池』に負けぬほど一層透明度が高いとされ、幻想的な雰囲気を醸し出しています。池の中に沈み込んだ木は、実は生きているのです!また、名前を見て分かるように、この池のほとりの木の根元から湧き出た水がこの池に溜まっていることから、『沸壺の池』という名前の由来になったと考えられています。

ビクティニ:ねえ、見てみて!この池はとっても綺麗だよ!まるで道東にいるみたい!ああ、この池を見ていると、またいつか道東に行きたくなるかも・・・。

ミュウ:ここから北海道って目と鼻の先だよね(^ω^)

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十二湖庵
十二湖にある茶処『十二湖庵』では先程の『沸壺の池』から出た湧き水を使った抹茶を淹れてくれます。実は、沸壺の池から流出された清水は『平成の名水百選』にも選ばれています。この茶処のすぐ脇にはその清水が汲める水場があり、自由に持ち帰ることができます。ちなみに私はその湧き水を持ち帰り、つくばいの水に使用しましたw

ビクティニ:抹茶が無料で飲めるのはとてもありがたい!

ゴンベ:ちょっとしたお菓子もあるっぺ!

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落口の池

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王池

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日暮の池
十二湖の湖沼として代表的な『青池』『沸壺の池』『鶏頭場の池』の周辺には『落口の池』『王池』、『日暮の池』などがあります。さらに離れた所では『金山の池』『糸畑の池』など、名前としては魅力がありそうですが、いずれもマイナーな場所にあるためか、そこまで行く人はあまりいないようでした。

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十二湖駅 待合室

さて、十分に十二湖を散策した後、駅に戻ってきました。ここで帰りのリゾートしらかみ号が来るのを待ちましょう。

ビクティニ:十二湖ってあんなに広かったとは思わなかったけど、池とか綺麗だったね・・・。まるでジブリの世界みたいだった。

ゴンベ:歩いたらお腹すいたっぺ~。

作者:後できりたんぽをごちそうしてあげるよ。

ゴンベ:おお!本当だっぺ~!楽しみだっぺ~!

ビクティニ:まあ明日はひとまず帰るだけだもんね。

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帰りのリゾートしらかみ号

十二湖駅17:04発 リゾートしらかみ号 秋田行に乗車。

さて、かえりのリゾートしらかみ4号で秋田まで進みます。4号は『ブナ編成』のようです。

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リゾートしらかみ号『ブナ編成』の車内
ブナ編成の車内は白神山地のブナをイメージされています。そのため、とてもあたたかい印象を受けます。なお、この日の列車は乗車数は少なく、奥羽本線内に入った頃はボックス席はがら空きのようでした。

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秋田駅に到着

18:56 秋田駅に到着。

秋田駅に到着した『リゾートしらかみ号』は運用後、車庫に帰っていきます。その際に我々はリゾートしらかみ号の回送を最後までお見送りをしました。

ビクティニ:リゾートしらかみ号の旅は本当に最高だったなあ・・・。また乗りに行きたいなあ・・・。

ミュウ:今度、東京オリンピックが終わったら乗りに行こうか?

作者:ハハハ、それは名案ですね!しかし、その前にコ×ナが消えれば良いのだが・・・まあ心から祈るばかり・・・。

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秋田といえばなまはげ

秋田は、『なまはげ』で有名です。

子供が悪さやいたずらをしたりすると、「悪い子はいねえが!!」という掛け声とともに家の中に入ってくるというのをよく聞くかと思います。

ビクティニ:もし、どっかの馬鹿なユーチューバーが人の悪口をほざいたりすると、なまはげが・・・「悪いガキはいねえが!!」って乱入してきたら面白そうw

ミュウ:・・・変な想像してない?

ビクティニ:・・・なんてね冗談だよw

 

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秋田名物『きりたんぽ鍋』

さて、夕食は秋田名物『きりたんぽ鍋』をいただきたいと思います。

『きりたんぽ』秋田の郷土料理の1つで、串に挿して味噌を塗って焼くもの鍋に入れて煮るという2通りのタイプがあります。今回はきりたんぽ鍋でいただきました。私は人生初のきりたんぽ鍋となりましたが、秋田産のもち米を使用したというだけあってなかなか歯ごたえがあります。

ゴンベ:いただきますだ~!!ガツガツ・・・うんめえっぺ!

ビクティニ:待ってました!きりたんぽ鍋!!いただきます~!!・・・最高に美味しい!ハタハタの天丼もうまい!

作者:もうお腹いっぱいです・・・。ごちそうさま!

なお、ちょうど夕食を食べ終えた頃、お店のスタッフが秋田に纏わる昔話も聞かせてくれました。これはなかなか貴重な経験かと思いました!

tabelog.com

 

さて、秋田駅前のホテルに宿泊した後、朝早く出発し関東へ帰路につきます。

 

北東北浪漫 みちのく紀行 6日目 おわり

最終日へ・・・

北東北浪漫 みちのく紀行 5日目 津軽富士で有名な“岩木山”に登山 津軽の城下町“弘前”を散策

皆さん、こんにちは。今回は『津軽富士』として知られる『岩木山』の登山に行って参りました。

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ホテルの部屋から見る岩木山

弘前のホテルからは雲の被った岩木山が見渡せます。

ビクティニ:東北地方の殆どが雨になっているところが多いみたいだけど、この辺は晴れているみたいだね。

ミュウ:今日は岩木山に登るみたいだけど、天気に恵まれていてよかったね。

作者:もし雨だったら、まちなか散策やねぷたの博物館、斜陽館に行こうかなと思った・・・。

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ホテルの朝食

以前もこのホテルに泊まった時には朝食はバイキングだったのは覚えていますが、やはり例の病気の影響もあり、定食になっているようです。

ビクティニ:今日は岩木山の頂上まで行くから、しっかり食べるか。

ミュウ:朝ごはんは美味しいけど、ちょっと少ないかも・・・?

ゴンベ:うんまいっぺ!青森の朝ごはんも美味しいっぺ~!

にょろもう:ねえねえ、あの山は何ていう山なの?

作者:あれは『岩木山』という山なんだよ。これから登山に行くことになるんだ。

 

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弘前市の町並み

弘前市は人口約17万人で、『弘前城』のある城下町です。青森ねぷたで有名で、夏には『ねぷた祭り』が開催されます。また、旧弘前市立図書館など、洋風建築物が多いのも特徴的で、『城下町』『洋風文化』が重なり合ったハイカラな雰囲気を醸しています。

さて、朝8:00にホテルを出発し、岩木山へ向かうために弘前駅前でレンタカーを借ります。

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弘前市はりんごの町としても有名

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弘前市の界隈に点在するりんご園

県道3号線を西方へ進み、岩木山スカイラインに入り、岩木山八合目までクルマを走らせます。

途中でいくつかりんご畑りんご園を目にしますが、実は弘前市日本におけるりんごの生産量が日本一で、年間の生産量が・・・なんと約16万トンと言われています!次位の生産量である長野市でさえ約3~4万トンですから、全国的にケタ違いな生産量を誇っているということが分かります。そのため、弘前市の界隈には『りんご公園』『観光りんご園』などのりんご狩りスポットがあり、8月から11月にかけてりんご狩りを楽しむことが出来ます。

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岩木山神社

途中で岩木山神社に寄り道します。岩木山山麓にある神社というだけあってとても荘厳な雰囲気です。

岩木山神社は、古くから『お岩木様』『お山』などと親しまれ、陸奥津軽地方の開拓の神、農海産物の守護神などが祀られています。『信仰の山』にして霊山・神山とされる『岩木山』は津軽地方では仰望させられ、地元の人々からの慈しみの徳を授けています。岩木山大神は太古より神霊岩木領にお鎮まりになられ、宝亀10(780)年に社殿を山頂に創建したのがそのはじまりとされています。その後の延暦19(800)年、征夷大将軍坂上田村麻呂公によって再建され、山麓に下居宮を建立し、岩木山山頂にあるお社は『奥宮』という名前になり、寛治5(1091)年、神宣によって下居宮を現在地(百沢地区)に奉遷したのが現在の岩木山神社です。江戸時代には津軽藩主の為信・信義・信牧・信政により大造営が行われ、近代には崇敬者の熱意を集め、日本において北門鎮護の名社として、農場・漁業・商工業・医療・交通など、深い信仰の源であることから多くの参拝者が各地から訪れます。もちろん、参拝に来るだけでもご利益はあります。
ちなみに、この神社から先の方には岩木山山頂へ通ずる登山コースがあり、この神社で参拝してから登山に行かれる登山者も少なくないようです。

ビクティニ:大雨に見舞われた九州の復興が進みますように。東日本大震災で被災した福島の原発事故もいち早く解決しますように・・・。

ミュウ:今年は日本に台風が来ませんように・・・。

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岩木山神社の狛犬
神社ならどこでも見られる狛犬は台座の上に座っている姿というイメージが付きがちですが、岩木山神社の狛犬楼門を囲う石柵につかまるような姿は全国的に見ても大変珍しいですね。二体の狛犬にはそれぞれ上下の向きが違います。上向きになっているのが『金運』、下向きが『恋愛運』というご利益があると言われているようです。なんでも、携帯やスマホなどの待受画面にするとご利益になるとか・・・?

ビクティニ:ぼくは上向きの狛犬を携帯に撮ったよ!これでお金持ちになれるといいなw

ミュウ:もうティニちゃんったら・・・。

作者:たまたま一眼で撮った写真が『上向き』だから『金運』だ。これから仕事で忙しくなるかも・・・w

 

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岩木山スカイライン入り口

さて、岩木山神社で参拝をした後は、岩木山八合目まで参ります。

岩木山には『百沢ルート』『嶽温泉ルート』などいくつか登山ルートがありますが、中には山頂の途中までクルマで進むことができる『岩木山スカイライン』があります。その名の通り山麓と八合目を結ぶ有料道路で、昭和40(1965)年に開通しました。これは青森県の有料道路としては初めて開通したものだそうです。
途中には料金所があり、通行料(往復分)入場料として以下のように設定されています。

原付・バイクなど・・・1,050円

軽自動車・・・1,520円

小型・普通自動車・・・1,830円

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69箇所のカーブが続く岩木山スカイライン
岩木山スカイラインの全長は9.8kmあり、さらに入り口から終点まで合計69箇所のカーブが連続しています。山麓側ではブナの原生林が生えており、稀にサルなどの野生動物に遭遇することもあります。岩木山は日本の山岳では比較的登りやすい山と言われていますが、途中の八合目まで車で行けるのは、登山をあまりしない私にとってはとてもありがたいことです。

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八合目付近のスカイライン景色
八合目に近づくに連れ、視界は開けてきます。しかし、霧が生えていて何も見えません。ただでさえ、この日は暑いのにも関わらず、標高が高く、空気も湿っているからか非常に涼しいです。

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岩木山八合目

山麓から69箇所のカーブが続く長い道を抜けると岩木山八合目の駐車場に到着です。八合目に着いた頃には辺り一面、霧に覆われています。

ここまで来れば、山麓から頂上まで登るよりかはずいぶん楽かと思われます。それでもわざわざ山麓から登山する登山者もいますが、片道が概ね4~5時間なので、往復で登山となると丸々1日はかかってしまうでしょう・・・。

ビクティニ:あの道路を通ったら、あっという間に高いところまで来ちゃった・・・。ということは、ここからはもう山頂かな?

ミュウ:いや、それでも山頂まで結構距離ありそうだよ。それにしても霧に覆われていて何も見えない・・・。

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IWAKI1625(展望台・休憩所)
八合目には展望台兼ね休憩所があり、山麓から登ってきた登山者たちが休憩するために、あるいは登山帰りの休憩などで利用されます。八合目から見た下界の景色が見渡せます。

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岩木山八合目 バス停
また、スカイラインにも路線バスが設定されており、バスでも八合目まで行くことが出来ますが、本数としては非常に少ないようなので、バスで登山に行かれることを検討するならば、時刻表をよく確認する必要があります。運転日も決められた日しか運行されないので注意です。また、天候がひどいとスカイラインは閉鎖されます。交通手段がどうであれ、岩木山に登山に行かれる際は天候をよく確認してから行くようにするのが望ましいでしょう。ちなみに帰りのバスの時刻表は以下の通りです。

★岩木山八合目バス時刻表★

行き先:すべて岳温泉行き(弘前バスターミナル行き接続あり)

9:50 11:50 13:50 15:50  

※令和2年度の時刻表です。

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岩木山リフト乗り場
ここから九合目まではリフトで一気に進むことが出来ますが、やはり例の病気の影響で土日祝日しか運行されず、この日は運行していないようです・・・。本当ならリフトが動いている方が良かったのですが、残念・・・。仕方なくこのリフト乗り場の脇から続く登山道から登って行くしかないようです・・・。

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九合目までの道
九合目までの道は藪のような道を通って行かなければなりません。岩場もいくつかあり、九合目まで歩いて登山するのには約15分ぐらいかかりました。

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岩木山九合目
長い藪道を抜けると開けた岩場までやってきました。ここが九合目ということになります。ここから山頂までは片道で約30~40分くらいかかります。晴れた日にはここから下界の景色が眺められるはずなのですが、ここも霧に覆われていて景色が見えないようです。

ビクティニ:やっと九合目まで来た・・・。意外ときつい道のりだった・・・。というか山頂までまだまだ先みたいだね。

ミュウ:25分で行けるルートもあるみたいだけど・・・。なんか危なさそうだね・・・。

作者:本来、リフトが動いていたら、岩木山山頂までのルートが分かるかもしれないのに・・・。もし岩木山がだめなら鳥海山でも良かったが、なおさらここまで来たのならば、もう岩木山まで行くしかないよね・・・。でも、どっちに行ったらいいんだ・・・。

他の登山者:それならこっちに行けば岩木山山頂だよ。

ビクティニ:本当?ありがとう!行ってみるわ。

 

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岩木山の高山植物
岩木山の山頂付近にはミヤマガラシ、アキノキリンソウ、ヤマハハコ、マルバシモツゲ、センブリ、リンドウなどの高山植物が見られます。

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岩木山山頂付近の周りの景色
岩木山の山頂に近づくに連れ、周りの岩場の景色は山深い景色になっていきます。深い谷がいかにも標高の高さを物語っています。しかし、足を踏み外してしまうと谷底まで真っ逆さまになってしまうので、慎重に進んだほうが良さそうです。

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鳳鳴ヒュッテ

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鳳鳴ヒュッテの由来
しばらく進んでいくと『鳳鳴ヒュッテ』という山小屋(?)というか避難小屋が見えます。ここで岩木山神社方面から来た『百沢ルート』と合流します。ところで、気軽に登れる山なのにも関わらず、こんな場所に避難小屋があるのかというと、昭和39(1964)年に秋田県立大館鳳鳴高校生の5人が遭難し、4人が落名したという事故があったことから建てられたようです。

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山頂までラストスパート
避難小屋を過ぎると、もう山頂も近いはずです!ただ、ここから先は、先程の登山道と打って変わって斜面が急になっていきます。あたかも岩場にしがみつくような感覚で登らなければならず、場所によっては斜面が45度になっていて、かなり慎重に行かないと大ケガしてしまいそうです。フュッテから山頂まではあと約30分程で到着できそうです。

 

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岩木山山頂

10:30に八合目を出発してから約1時間・・・。ついに・・・。

岩木山山頂に到着しました!

岩木山は『津軽富士』という別名を持ち、標高は1625mあります。これは、青森県で一番高い山です。

なぜ『津軽富士』と呼ばれているのかというと、古くから信仰の山として津軽地方の人々から親しまれてきたといいます。その山岳信仰の歴史から『お岩木様』とも呼ばれ、家内安全や豊作を願うための『お山参詣』と呼ばれる行事も行われるほどです。

ビクティニ:ようやく山頂までやってきた!ここまで高い山に登ったのは初めてだ!ぼく、とても感動したよ(´;ω;`)ウッ…

ミュウ:すごいよね。1625メートルだって・・・。

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山頂に建てられた大町桂月歌碑
山頂には文学碑が建てられています。

『四方八方の千万の山を見下して 心にかかる雲もなき哉(よもやまのちよろずやまをみおろして こころにかかるくももなきかな)』

これは『大町桂月歌碑』という弘前市の文学碑で、ここから見下ろす雲一つない下界の景色があまりにも美しかったのを詠まれたのでしょう・・・。

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岩木山神社 奥宮

岩木山の山頂に聳え立つ社が岩木山神社の『奥宮』です。

山頂に建つ小さな祠は、あたかも今日も津軽地方を見守るかのようです。史書によると、お山参詣で登拝した者はこの神像にお神酒をかけ、持参した餅をこすって持ち帰り、家の者に食べさせたという説があるようです。

ビクティニ:山頂からの景色を眺めつつ参拝とは素晴らしい!(二礼二拍手一礼)福島の復興が進みますように・・・。

ミュウ:コロナの時代は短期で終わりますように・・・。

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山頂から見る絶景

岩木山の山頂では津軽平野日本海などの絶景を楽しむことが出来ます。

運良く晴れた日には津軽海峡北海道の松前半島などの景色も見渡せます。自分の足で八合目から山頂まで登ってきたというのを思い返すと、本当に達成感でさえも感じてしまいます。こんなに素晴らしい絶景はこれまでにないほど初めてです(´;ω;`) この景色を見ていると、ジブリ映画『天空の城ラピュタ』の世界を想わせてしまいます・・・。

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山頂から下山

さて、山頂の絶景を十分に満足したところで、下山しましょう。真下には先程の避難小屋が見えます。

下山する時は、登る時以上に慎重に降りなければなりません。上の写真をご覧になれば分かるように、特に山頂付近では斜面がとても急なので、非常に慎重に降りないと大ケガしたり、あるいは最悪の場合、転落してしまう恐れがあるので十分に注意しないといけません。

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岩木山の谷から見える津軽平野
下山中でも、谷間から見える東側には津軽平野の景色が楽しめます。これだけ険しい登山道から風光明媚な里山が見えるのは不思議な気分です。

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九合目から見る下界の景色
九合目まで戻ってきました。
先程、山頂まで行こうとした時の九合目の周りの景色は霧に覆われ、何も見えなかったのですが、午後になるとすっかり霧は晴れてきたようです。北側は鰺ヶ沢の陸地日本海の絶景が一望できます。岩木山から見る海の景色を眺めていると、心が洗われます・・・。

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八合目駐車場への下山口

下山口までは行きと同様にこの道を通らなかればならないんですよね・・・orz

もしリフトが動いていれば、ハイキングのつもりで来れたのに・・・。コ×ナのバカヤロー。゚(゚´Д`゚)゚。

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登山後の八合目駐車場
13:10頃 八合目駐車場に到着。
10:30に登山を始めてから往復で2時間40分の登山時間となりました。登山を終えた頃の八合目は着いた時と違って霧は晴れ、下界の景色がよく見えます。

ビクティニ:ここに着いた時は霧で覆われていて何も見えなかったのに、最後の最後で晴れて嬉しい・・・。

ミュウ:大変な山登りのご褒美だね!

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岩木山から見る東側の景色
岩木山の東側は深浦町方面の景色で、向こうも日本海ですが、白神山地の連峰が見えます。あそこには明日行くであろう『十二湖』も・・・。

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展望台から見た景色

駐車場にある休憩所の展望台からでも下界の景色を眺められます。

先程の山頂や九合目ほどでないにせよ、この展望台からでも日本海下界の絶景は十分に楽しめるかと思います。登山に行かなくてもドライブがてら景色を眺めるために、あるいはインスタ映えをするためにスカイラインを登ってみるというのも有りかもしれません・・・。

ビクティニ:登山した後の絶景はぼくらに祝福してくれているみたい。まるで山頂まで行った達成感のごとく、こんなに美しい景色が見れるのは嬉しくて涙が出そう(´;ω;`)ウッ…

ミュウ:去年行った北海道の美幌峠や津別峠もこんな感じで晴れればよかったんだけどなあ・・・。

 

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スカイライン出口

さて、我々は岩木山を下山し、弘前の町並みを少し散策してみようと思います。

帰りのスカイラインも行きと同様、69箇所のカーブが続く長い坂道を下っていきます。先程通ってきた料金所まで戻ってくれば、もうここから先は下界ですね(笑)

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弘前の名物はりんごだけでなく焼きとうもろこしも美味しい
弘前市はりんごだけでなく、岩木山山麓にはとうもろこし畑があり、焼きとうもろこしも名物になっています。

ビクティニ:焼きとうもろこしも美味しい!

ゴンベ:うんまいっぺ~!

 

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弘前城

岩木山から弘前市街に戻ってきました。『弘前城』の周辺を散策してみます。

小ぶりでありながらも、東北地方で唯一天守が江戸時代から残る大変貴重な『弘前城』『国の重要文化財』の1つです。真夏の弘前城の姿は勇ましく聳え立つ姿に圧巻されます。

津軽藩の基礎つくり、当時の高岡城こと弘前城を建てた津軽為信は、現在の弘前市を築き、支えてきた人物でもあります。
そんな津軽為信弘前城の関わりにはこのようなエピソードがあります。
彼の父である守信は後継者となる男子がないことから憂い、岩木山に祈願。その日の夜明け頃、夢に白髯の老翁が現れ「吾は岩木山権現の神である。汝にこの扇を与えよう。此れを以て子とするがよい」と告げられ、守信が扇を手にした途端に夢が覚め、その男子が誕生したのが『扇』と名付けました。それが後の『為信』になります。
戦国の動乱期の中の永禄10(1567)年、南部氏の支配下にあった津軽平野で大浦城は孤立しており、家来の数も300に満たぬ城に大浦為信婿養子として迎えられたのです。
彼は婿養子ということもあり、信頼できる側近もいなかったものの、合戦に敗れた落ち武者や流れ者の中から有能な人物を召し抱えることで強力な側近武士団を作り上げることができたのです。
為信の母は下久慈(岩手県久慈市)の城主・久慈備前の後妻となり為信を産んだとされていますが、母は久慈備前の死とともに家督を継いだ先妻の子に家を追われることになり、当時14歳であった為信を連れて家を出ます。母子は縁を頼りに大浦城に身を寄せ、そこで為信は同じ年の大浦為則の娘、阿保良と恋に落ち、永禄10(1567)年、為信は18歳で婿養子となりました。2人が結婚した翌月、父の為則が急死したことから、大浦城は為信と阿保良のものとなり、「いつか主君である南部氏をしのぎ、津軽を手にしたい」という津軽統一の野望を持ちます。元亀2(1571)年には南部高信を討ち、為信の津軽攻略が始まりました。戦に勝つために賭博場で見つけた多くのならず者を手勢に加え、あるいは婦女子を襲わせるなど、傲慢な一面もあった為信でしたが、家族に気をとられた敵方は戦に専念できずに没落。この出撃に当たり、阿保良はならず者たちに花染めの手ぬぐいに強飯を包んで与えたというエピソードがあったのです。彼らは若く美しい城主夫人からの贈りものに勇み、出陣したと言われています。
家康没後の元和3(1617)年、日光東照宮が建立され、この東照宮に津軽家が真っ先に城地を持つことが許されると、万一の場合でも東照宮を盾にすれば幕府さえも手出しができず、徳川の天下が続く限り藩の安泰が約束されたといいます。しかし、高岡城(現在の弘前城)が完成して16年後の寛永4(1627)年には落雷により天守閣は焼失、翌年三層の櫓を再建したもの天守閣となり、これを機に城名を『高岡』から『弘前』へと変更。これは天海によるもので、天台密教の真言『九字の法』から選んだものとされています。これが現在の弘前城です。
現在の弘前城の天守は、九代目藩主寧親が櫓造営の名目で幕府の許可を得て、文化7(1810)年に完成したものです。
建築年代こそ新しいものではあるものの、濠側の東・南両面には鉄扉窓をつけず、矢狭間だけの構造で、一層目・二層目にはその中央に張りをつけた切妻破風、石落としなどを設けた古形式の構造になっています。

 

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岩木山と弘前城

岩木山弘前城天守景観はとても似合います。

晴天の真夏日に津軽のお城と遠くに聳え立つ岩木山の姿も美しいものです。ただ、いくら北東北といえど、とても暑い真夏日です・・・。

ビクティニ:津軽の山 真夏日の城 暑きかな ・・・なんてね。

ミュウ:来年のGWにまたここに来れば桜も見れるんじゃない?

にょろもう:しかし、暑いよね~。東北ってもっと涼しい所かなって思ったけど・・・。

 

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平成までの弘前城本丸

弘前城天守に入ってみます。

ところで、本来の弘前城のイメージと言えば、石垣の一角に聳え立つ本丸を思い浮かびがちなのですが、実際には石垣に建っておらず、広場の中央(仮天守台として)に建っています。どういうことなのかというと、昭和58(1983)年に発生した日本海中部地震後に石垣の調査をした際、石垣が内濠側に約1m膨らみ、高さが30cmも沈み込んでしまっており、天守自体が全体的に傾いていることから、天守自体を移動させ大規模な石垣修理を行うことになったのです。そのため、広場に現在の天守が聳え立つ形となったわけです。

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天守の曳屋工事(天守の移動)
天守の移動は1年と4ヶ月もかけて現在の仮天守台に移されています。200年以上前に建てられた天守は重さ400トンもあるのにも関わらず、ジャッキやレールなどを使ってよく移動できたのはかなり驚きました。それにしても、お城の天守を移動させるのは全国的に見てもかなり異例かと思われます。

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石落とし
 お城ならどこでも設けられた『石落とし』は言わずもがな石垣を伝って攻めてきた敵から身を守るために欠かせない仕掛けの一つです。

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杏葉牡丹紋のついた駕籠
場内に展示されている駕籠は三代藩主津軽信義公が使用したものと思われます。また、この駕籠には『杏葉牡丹紋』の紋章が付けられています。これは為信が最高官位である関白の座を半ば強請され、豊臣秀吉に譲った近衛前久に見舞いの金品などを贈り、京都の近衛家を訪れ「公の祖父、尚道殿の落胤である」と主張。それを認めた前久は為信を猶子とした上で、家紋である牡丹にちなんだ杏葉牡丹の使用を許されたのがその所以と言われています。ちなみに津軽牡丹杏葉牡丹の一種とされています。

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三層目は全国の名城の写真ギャラリー
三層目日本中の名城の写真が飾られたギャラリーになっています。最近火災で消失した首里城がいち早く再建されるといいですね・・・(´;ω;`)

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仮天守台から見た岩木山

天守台から見た岩木山です。

現在は仮天守台から岩木山が見えますが、何年か経ち、石垣の修理工事が終わればこの光景も見納めになる日が来るのかもしれません。

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北門にあるカフェで昼食

昼食は弘前城北門にあるカフェにて昼食をいただきます。

ビクティニ:カレーライスだ!いただきます。

ゴンベ:いただきますだ~!

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本丸井戸跡
この井戸枠はもともと天守より北側の石垣沿いにあったものですが、天守の移動の際、同時にこの場所に移設したと思われます。造られた時期は不明ですが、本丸の石垣とは違う岩木山から採掘された凝灰岩から出来ているようです。

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藤田記念庭園

弘前公園の近くには『藤田記念庭園』があります。

弘前市出身の藤田謙一氏が大正8(1919)年に別邸を構える際、東京から庭師を招き、つくらせた江戸風な景趣の庭園で、弘前市が市政施行百周年記念事業として整備され、平成3(1991)年7月に開園しました。
まちなかにあるとはいえ、あたかも心が洗われるような景観で、多くの訪問者を魅了します。なんでも、先日に訪れた平泉の毛越寺庭園に次ぐほどの広い庭園です。池も広い回遊式庭園なので暑い夏には憩いの場ですね。ハナショウブツツジ滝の流れるスポットなど、心が和みます。

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藤田記念庭園 和館
庭園にある回廊式の和館もどこか昔懐かしい田舎の家みたいでとても落ち着きます。回廊に飾られた金魚のねぷたも素敵です。ところで、室内に椅子が置かれていますが、何かのイベントがあるのでしょう・・・。

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藤田記念庭園 洋館

弘前市は城下町から和洋折衷の文化に満ち溢れています。

庭園にある洋館洋風文化の象徴の一つです。弘前市における代表的な近代建築の担い手である堀江佐吉氏の子孫が設計及び施工にあたり、ステンドグラス窓ガラスなど、当時からの名残と思われる物が数多く残っています。また、藤田謙一資料室があり、藤田謙一氏に関する歴史も学べます。

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洋館にある大正当時の雰囲気が残る喫茶店
洋館には喫茶店も併設されており、休憩がてら大正時代当時から残る洋風な雰囲気の中で庭園を眺めながら喫茶軽食などを楽しむことが出来ます。いくら風光明媚な庭園でもこんな真夏日に限っては暑いので、ソーダフロートを注文しました。しかし、歴史的な雰囲気が残る喫茶店で休憩ができるというのもなかなか出来ない経験です。今度、弘前市に訪れる機会があれば、ランチで是非立ち寄ってみたいものです。

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弘前市立観光館にある大きなねぷた
さて、弘前城周辺を一通り回ったところで、観光館で買い物をしてから五所川原方面に向かいます。本当は旧弘前図書館も観てみたかったですが、残念ながら5時までにクルマを返さなければならないので、またの機会に・・・。

ビクティニ:大きなねぷたも相変わらず迫力があるよね。なんというか、厳つい形相が力強いし。

ミュウ:もう、5時までにクルマ返さなきゃ・・・。

作者:あ、そうだった・・・(岩木山のリフトが動いていたらこんなことにならなかったのに・・・orz)。

 

・・・というわけで、弘前市からクルマを走らせて約30分・・・。

五所川原市についた頃には既に5時を過ぎていましたが、なんとか返却できました・・・。

 

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JR五能線

なんやかんやで五所川原駅まで歩いてきました。

五所川原駅からはJR五能線に乗車し、今夜の宿泊先である鰺ヶ沢まで進みます。車両はキハ40系です。五能線でも新型車両の導入が決まっているので、こちらのキハ40系も見納めになる日も近いことでしょう・・・。

18:18 JR五能線 鰺ヶ沢行 乗車。

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JR五能線の車窓から見る岩木山
じきじき引退が近いキハ40系の車窓から青森の穏やかな田園風景岩木山を眺めるのもまた旅情があります。

ビクティニ:五能線は初めて乗ったけれど、昔ながらの気動車で岩木山の車窓はなかなか乙だね。

ミュウ:いい感じに日が暮れていくよ・・・。

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JR五能線の車窓から見る夕暮れの日本海
また、JR五能線の車窓は、岩木山風光明媚な田園風景だけでなく、日本海の車窓も楽しむことができます。我々が五能線に乗車した頃にはちょうど日本海はいい感じに夕焼けで染まっていました。

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鰺ヶ沢駅

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世界自然遺産『白神山地』ブナ原生林のある町 鰺ヶ沢

18:48 鰺ヶ沢駅に到着。

鰺ヶ沢町は、ブナ原生林などの動植物の宝庫である自然世界遺産『白神山地』のある町です。イカ漁業がさかんで、随所にイカの一夜干しイカの浜焼きが売られているお店も多いです。また、この町のどこかのイカ焼き店で番犬として飼われている秋田犬の『わさお』も有名になっています。なんでも某テレビ番組などで『ブサかわ』で好評のようですが・・・。

ビクティニ:ここが鰺ヶ沢という町か・・・。ずいぶん穏やかな場所だね・・・。

ミュウ:ここからでも岩木山が見えるよ。

さて、鰺ヶ沢に到着した後は予め予約しておいた送迎にて今宵の宿に参りましょう。

 

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鰺ヶ沢のゆるキャラ
鰺ヶ沢では、イカの他にヒラメなどの海産物が穫れることから、ヒラメの漬け丼も美味しいことでも有名のようです。本当に青森・・・いや東北は美味しいものが食べられるスポットが多いものです。

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鰺ヶ沢のホテルから見る日本海の夕暮れ

19:00頃 鰺ヶ沢温泉ホテルグランメール山海荘に到着

今宵お世話になる『鰺ヶ沢温泉ホテルグランメール山海荘』のロビーはとても広々しく豪華です。おまけにロビーから見る日本海の夕暮れも見えます。

ビクティニ:おお、これまた豪華なホテルを選んだね!しかも日本海の夕焼けも見えるよ!

ミュウ:東北ってほんとにいいところ(^^

にょろもう:夕焼けの海はいいよね・・・。

ゴンベ:もうお腹すいたっぺ~。早くごちそう食べたいっぺ~!

ドレディア:お花畑もいいけど、たまには海の景色もいいかも。

ポンチョピカチュウ(ビクティニ):今日はもう疲れちゃった・・・。もうお部屋に行かない?

 

travel.rakuten.co.jp

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秋田犬の『わさお』とリゾートしらかみのねぷた
館内には鰺ヶ沢町のマスコット(?)である秋田犬『わさお』リゾートしらかみ号のねぷたも飾られています。五能線を走るリゾートしらかみ号もこのあたりではどこかの観光地を走るSLみたいに歓迎されているようですね。ねぷたのリゾートしらかみ号は『くまげら編成』でしょうか。

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ホテルの夕食
鰺ヶ沢のホテルは非常に豪華というだけあって、夕食もとても豪華です。

ビクティニ:お~!今日も夕食豪華だ!いただきます!

ゴンベ:ホタテの味噌汁もあるっぺ~!いただきますだ~!

ミュウ:美味しい!青森の夕食も最高に美味しいよ!

にょろもう:まるで東北が楽園みたい・・・。

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夕食時に津軽三味線の演奏
夕食を食べている時にちょうど津軽三味線の演奏ショーが始まりました。津軽三味線でおなじみの『じょんがら節』をはじめ、津軽地方になじみのある曲が久しぶりに聴くことができました。

ビクティニ:去年の北海道旅行の札幌時計台で聴いて以来、津軽三味線も久々に聴いたよ・・・。相変わらず力強い音色だね。さすが津軽地方に代々伝わる文化だよ。感動した・・・。

ゴンベ:カッコいいっぺ~!


ホテルの夕食時に津軽三味線を披露

 

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ホテルの部屋

ビクティニ:明日はいよいよ『リゾートしらかみ号』に乗って、十二湖を見るんだって。リゾートしらかみ号は初めてだから楽しみだ。

ミュウ:何でも十二湖って『青池』が人気みたい。

ゴンベ:十二湖でも美味しいもの食べたいっぺ~。

にょろもう:水辺のエリアみたい。十二湖の池に入ってみたい。

ポンチョピカチュウ(ビクティニ):いやいや入っちゃダメでしょ?

ドレディア:森の中でお散歩もいいわね。

作者:明後日のかえりの新幹線と帰路ルートはどうしようかな・・・(えきねっとや時刻表でかえりの新幹線と帰路ルートの検討中)?

 

 

北東北浪漫 みちのく紀行 5日目 おわり

6日目へ

北東北浪漫 みちのく紀行 4日目 宮沢賢治ゆかりの牧場“小岩井農場” スイッチバックのあるローカル線“花輪線”

皆さん、こんにちは。

今回は宮沢賢治ゆかりの地の1つとされる『小岩井農場』に訪問しました。

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ホテルの部屋から見る岩手山の朝日

 岩手山の朝日とともに新しい1日が始まります。東北の朝日はとても清々しく、あたかも心がリセットされるような気分です。

 

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雫石プリンスホテルの朝食

朝食の量もちょうど良く、洋食と和食のバランスがいい感じです。

ビクティニ:やっぱり、東北のごはんは美味しいね。さすがぼくのふるさと!

ミュウ:今日も暑いから水分はよく摂らないとね。

ゴンベ:今日は小岩井農場で散策っぺね。バーベキューやソフトクリームが楽しみだっぺ!

にょろもう:ぼくは涼しいところに行きたいな。

 

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小岩井農場 入り口

ということで、朝8時半にホテルを出発し、小岩井農場まきば園にやってきました。

牧場のテーマパークといった感じですが、マザー牧場のような華やかさはないにせよ、落ち着いた印象のある牧場で、岩手山山麓の大自然に囲まれています。

小岩井農場まきば園は朝9時から開園されます。

ビクティニ:さあ、小岩井農場に到着!もうすぐ開園するはずだ・・・。しかし、日向にいると暑いなあ・・・。

ドレディア:早くひまわり畑が見たいわ。

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小岩井農場 入場券

さあ、ホテルの特典でもらった入場券で入場します。宿泊した雫石プリンスホテルから小岩井農場までは車にて10分で行くことが出来ます。そのうえ、ホテルのプランによっては小岩井農場入場券付きという特典があるので、朝から小岩井農場で遊びたい人にはとてもおすすめです。ちなみに盛岡市内から車でのアクセスは約30分です。

ちなみに入場料は大人800円、子供300円です。

なお、入場する際、PCR検査を受けた上での入場になります。

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晴れた日の小岩井農場

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まきば園から見る岩手山

小岩井農場とても広大な敷地を持ち、面積は全体的に見ても、3千ha(ヘクタール)の広さを誇り、なんと東京ドーム640個分の広さです!

そのうちの40ha観光牧場の敷地となっています。

実は、宮沢賢治もこの小岩井農場をこよなく愛し、数多くの作品が残されているといいます。中でも心象スケッチとして描かれた『春と修羅』大正期の小岩井農場の風景をそのまま活かした作品として有名で、当時の風景を後世に残す作品の1つです。また、小岩井農場の周辺には一本桜が生えており、春には桜の開花岩手山の農場風景が楽しめます。

ビクティニ:まさに大自然に囲まれた牧場って感じ。岩手山も見える!

ミュウ:ちょっと雲が被ってるけどね・・・(^^;

にょろもう:やっぱり外は暑いよ・・・。

ポンチョピカチュウ(ビクティニ):晴れていてよかったけど、暑いかも・・・。

ゴンベ:ソフトクリーム食いたいっぺ~。

ドレディア:丘の向こうにひまわり畑が見えるわよ!

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夏の小岩井農場に咲く花々
夏の小岩井農場でも、多くの花々が彩りを見せてくれます。去年に行った北海道の富良野を思い出してしまいました・・・。

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小岩井農場 上丸牛舎

明治24(1891)年に創業した小岩井農場は『歴史的建造物』の宝庫でもあります。

上丸牛舎では、小岩井農場における『酪農発祥の地』になっています。牛舎群をはじめ、倉庫や事務所、サイロなどこれら6棟の歴史的建造物は近現代における進歩的な象徴であり、『我が国における近代農業の発展過程を知る上で重要』と評価されたことから、『国の登録有形文化財』に登録されました。

また『酪農』が盛んで、主に牛乳や生乳、チーズ、バターなどの乳製品が作られ、時代の進歩とともに品種を改良し、現在でもなお良い品質かつ安心・安全な乳製品が今日でも生産され続けています。なんでも、意外なことにこの小岩井農場が日本の酪農において近代酪農の先駆けとなった、いわばパイオニア的な存在なのです。

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牛舎で飼育されている乳牛たち

この農場で育てられている乳牛は、こちらの牛舎にて飼育されています。

明治期にはオランダから輸入された『ホルスタイン種』が飼育されていましたが、後に品種改良を続け、種畜の生産供給(ブリーダー)事業を行なわれると、本格的な牛乳やバターなどの乳製品の生産が始まりました。現在、この農場で飼育されている約2千頭の乳牛はすべてこの農場で生まれ、明治期代々から続けられてきた『土作り・草作り・牛作り』によって健康的な乳牛が飼養されています。

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小岩井農場で作られた生乳入りの牛乳
小岩井農場で作られた牛乳には、明治期から代々続けられた品質の結晶が詰まっています。
この牛乳は小岩井農場における酪農事業の生乳生産から製品加工までの工程で一貫体制の優位性、小規模な生産ながら『質の高さ』『こだわり』『本物志向』という要素がつまっており、自然の風味がしっかり生かされているのです。

ゴンベ:この牛乳、いつも飲む牛乳とは違うほど美味しいっぺ~!

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2号牛舎

牛舎群の中にある2号牛舎はもともと病蓄用の牛舎として明治41(1908)年に建てられましたが、大正8(1919)年に現在の場所に移設され、母牛が子牛を分娩(ぶんべん)するための牛舎として使用されています。2階建ての木造建築切妻造下見板張がまさに当時の歴史を物語っています。

2号牛舎で誕生した乳牛は1年と4ヶ月間育成され、餌づけとともに妊娠・出産され、出産してから約330日後には搾乳されます。それを終えた後、約80日間搾乳された乳を母牛に飲ませ次の出産に備えます。このサイクルが繰り返されますが、要らなくなった牛は・・・なんと牛肉になってしまいます・・・(かわいそうですが、我々の食卓としては生かされています)。

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秤量剪蹄室
乳牛を育てる上では重要なもので、牛の体重測定や爪切りを行っていた施設です。足を痛めると牛の健康状態に支障が出るため、蹄の爪切りは欠かせなかったといいます。

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3号牛舎

3号牛舎昭和10(1935)年建築と比較的新しいものですが、これは明治期に建設された旧1号・旧3号牛舎の木材を再利用して建てられました。

かつては種牡牛の飼育も行われていたことから、多様な飼育室を設けられていたのはその名残だといいます。現在は牛舎1階が子牛の養育場に使用され、月齢ごとに飼養されているため、それぞれ管理方法が異なりますが、ガイドの方いわく「第3牛舎で飼われている子牛はとても優秀」とのことで、今日も高品質な乳製品が作られているのは、まさにこの牛舎のおかげといっても過言ではないということなのです!また、この農場においては一番大きな牛舎で、今でも『歴史的建造物』『牛舎』として活用されていることから、『重要文化財』にして『生きている遺産』としても称されているといいます。

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1号牛舎

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1号牛舎の梁にツバメの巣

1号牛舎昭和9(1934)年に建てられ、当時最新鋭であった『スタンチョン式牛舎』が特徴的です。

もともとは産室を併設した授乳用の牛舎として建設されましたが、現在は搾乳用として使用されていいます。1階は牛舎で、最大68頭の牛を収容できます。2階は乾牧草貯蔵用の倉庫になっており、風通しを良くするため、窓や出入口などの開口部は大きくあります。また、生乳にアンモニア臭がうつることを防ぐため、暑さに弱い乳牛が過ごしやすいよう工夫されています。これは場主であった岩崎久彌の命から『30年後でも恥ずかしくない牛舎を』という思想が込められているからなのです。さらに『スタンション式』の構造を採用することで、雪が落ちやすいような構造になっています。これらの工夫の観点から、小岩井農場の歴史を示す重要文化財の1つにもなっているのです。

 

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ミルク館

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ミルク館の様子

小岩井農場で搾られた生乳は、こちらの『ミルク館』にてバターやチーズ、あるいはヨーグルトなどの乳製品が製造されています。

この日は、チーズが作られていますが、チーズの作り方をざっと説明すると、搾取された生乳を約30分ほど加熱処理させ、除菌します。次に加熱処理された生乳を『レンネット』という凝乳酵素を加えて固めます。固まったらワイヤーでサイコロ状にカットし、チーズのもととなる『カード』から乳清が抜けるよう数時間混ぜます(乳清は子牛の飲み物として再利用されます)。カードを1箇所に集めて重石を乗せてさらに乳清搾取し固めます。今度はカードを丸くするため、型に押し込み機械で圧搾して約4時間反回転させながら遠心力で更に搾取して固めていきます。圧搾したら冷水冷却塩水に浸して加塩します。表面の水分を拭き取り、厳しい検査のもと、本熟成させたら・・・熟成チーズの出来上がりになります!

なお、『ミルク館』ではソフトクリームやチーズ、ヨーグルトの試食やその場で召し上がれますが、あいにくの例の病気のせいでやっていないようです・・・orz

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小岩井農場に保存されているD51型蒸気機関車

農場内にはかつて走っていた『D51型蒸気機関車』のナメクジ型(1次形)が静態保存されています。

後ろのブルートレイン客車2両宿泊施設になっているようです。この機関車は北海道で活躍したもので、SLが引退する昭和50(1975)年12月まで活躍された後、昭和52(1977)年に小岩井農場に保存されているようです。蒸気機関車が小岩井農場に聳え立つ姿を見ていると、あたかも『銀河鉄道の夜』を連想させてしまいます。

ビクティニ:こんなところにSLがあるなんて思わなかった。それにしても、この農園に保存されているD51はたくましく見えるね・・・。

ミュウ:ずいぶん古いSLだね・・・。農場にSLは結構似合うかも。

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小岩井農場 まきばの鐘

小岩井農場にはが設置されています。

昔は始業時間や終業時間などを告げるために使われていました。この鐘の音は『耕耘部の方から西洋風の鐘が鳴る。かすかだけどもよく聞こえる』というように宮沢賢治の作品にも登場しています。当時の思いを馳せる鐘の音は今でも聴くことが出来ます。

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小岩井農場 ミニゴルフ
小岩井農場ではミニゴルフアーチェリーなどのアクティビティも楽しめます。ミニゴルフをしましたが、私以外にやっている人はいなかったようです。

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トロ馬車(馬車鉄道)

この農場には馬がトロッコを牽く鉄道馬車こと『トロ馬車』があります。

馬車鉄道は明治から昭和にかけて全国的に広がった交通手段の1つで、かつての小岩井農場においては飼育餌生乳などの物資輸送などで使用されました。

広大な小岩井農場に馬車鉄道が敷かれたのは明治37(1904)年のことで、当時あった農場本部から先程の上丸牛舎までの3.6kmが敷設されました。後の大正10(1921)年に旧国鉄橋場線(現:JR田沢湖線)が開通されると、汽車で行けるようにするため、農場本部から小岩井駅までの2.5kmが延伸、それまで農場から盛岡駅までの交通手段が馬車だったのが、小岩井駅までトロ馬車で行けるようになったといいます。しかし、昭和30年代になると、自動車の普及とともに長年親しまれていた『トロ馬車』昭和33年に姿を消すこととなりました。
現在『鉄道馬車』が残っているのはここと北海道の開拓村のみ現存する非常に貴重なものです。小岩井農場で動かしているトロ馬車(馬車鉄道)『観光資源』として復元されており、牧歌的な風景とともに当時の面影を残す馬車鉄道を楽しむことが出来ます。全国的に珍しい鉄道馬車で昔の小岩井農場を想わせてみるのもいいでしょう・・・。

なお、出発時刻は特になく、お客が乗ると出発します(大人500円 子供400円)。

ビクティニ:お馬さんがSLみたい

ミュウ:機関車に見えるかもね・・・。

 

★馬車鉄道の様子★


小岩井農場に残る貴重な馬車鉄道『トロ馬車』

 

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小岩井農場の向日葵畑

小岩井農場の夏花といえば、向日葵です。農場の一面に咲く向日葵はまさに夏の風物詩です。去年の北海道旅行に見た向日葵畑を思い出しますね・・・。

ビクティニ:ひまわり畑だよ!夏の牧場といえばやはりひまわり畑だね。

ドレディア:きれい・・・。夏の牧場にひまわりは素敵ね。

 

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農場にある宮沢賢治の詩碑

宮沢賢治は、何度も訪れるほど小岩井農場をとても愛していたと言われていますが、心象スケッチて描かれたとされる『春と修羅』の詩の中に含まれる『小岩井農場(パート1)』の中には当時の農場を舞台とした詩や童話を書いたといいます。そして、『小岩井農場』という詩は591行という最長の詩で、賢治の思想がよく現れています。

すみやかなすみやかな万法流転のなかに

小岩井のきれいな野はらや牧場の標本が

いかにも確かに継起するといふことが

どんなに新鮮な奇蹟だろう

                     宮沢賢治

これは季節の循環を踏まえ、万物の生命が明滅する中で、小岩井農場の姿が時代の流れとともに変貌していく姿に力を得て、賢治の『あたらしくまつすぐに起て』というように自らを励ます契機になったのです。この石碑に描かれている碑文は賢治の親友である森佐一宛の手紙の封筒に書かれていたものと思われます。

 

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 上丸牛舎1・2号サイロ

上丸牛舎まで歩いてみると巨大なサイロが2つ現れます。

これらのサイロは明治41(1908)年に建てられ、トウモロコシなどを粉砕し、ここで飼料を作るための施設です。いずれもレンガ造りで、青草を与えられない冬場でも飼料を確保できるようにするため、『サイレージ』という発酵飼料を作っていました。これらのサイロは昭和50年代まで使用され、日本に現存するサイロとしては最古のものです。

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上丸牛舎 本部事務所

農場の本部事務所です。明治36(1903)年に建てられた木造平屋づくりで、玄関ポーチの円形の垂れ飾りがついた鼻隠しと、重厚な扉・窓枠・窓台などが施されているのが特徴的です。

周辺の樹木が小さかった当時は望楼部分から農場全体を見渡すことができ、宮澤賢治が書いた『小岩井農場』という詩の中に『本部の気取った建物…』と詠まれました。小岩井農場の中枢として担い続ける現役の事務所で、小岩井農場に関する資料実際に使われた備品などが展示されています。

 

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重要文化財にしてイーハトーブの舞台となった小岩井農場

小岩井農場に現存する歴史的建造物は牛舎やサイロ、各倉庫群などを含めると21棟あり、これらの施設は『国の重要文化財』に指定されています。

明治末期から昭和初期にかけて建てられたこれらの『小岩井農場施設』酪農から畜産、生産技術や生産加工における試行錯誤・開発のパイオニアの結晶であり、その過程を物語る上では片付けられない貴重な遺産なのです。また、全体的に美しい風貌を放つ小岩井農場は宮沢賢治の作品舞台となった岩手県内の7箇所の国指定名勝『イーハトーブの風景地』の1つにもなっています。

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小岩井農場 バーベキュー

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小岩井農場のソフトクリーム
小岩井農場では、山麓館バーベキュー食堂で昼食を楽しめます。最初は山麓館で昼食にしようと思いましたが、山麓館の方は結構混んでいるようだったので、外でバーベキューを楽しむことに。

バーベキュー食堂では受付にて食券を購入して注文する形式のようです。私はラム肉をはじめ、野菜焼き、ご飯定食、海鮮焼きをいただきました。

ビクティニ:小岩井農場といえばバーベキューに限るよな~♪

ゴンベ:おお!これを待ってたっぺ~!いただきますだ~!

ミュウ:お肉だけじゃなくて野菜も食べなきゃね!

にょろもう:ホタテやエビも美味しそう♪

このあと、ソフトクリームもいただきました。

ゴンベ:濃厚なミルクの風味が最高だっぺ~♪

 

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乗馬
乗馬もしてきました。普通の馬ポニーの2つコースがありますが、ポニーは子供しか乗れないようです。お馬さんに乗ってみるのもまた牧歌的な気分です。

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盛岡駅

さて、小岩井農場の歴史と文化、アクティビティを十分に満喫したところでJR盛岡駅に戻り、ここからJR花輪線を通り、弘前へ向かおうと思います。

ビクティニ:ここから花輪線で弘前に向かうのか・・・。列車本数としてはかなり少ないみたいだな・・・。

ミュウ:しかも乗り換えが結構遠いね。駅の入口からも遠いし・・・。花輪線は銀河鉄道線と同じ乗り場みたい。

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IGRいわて銀河鉄道及びJR花輪線のりば

盛岡駅からIGRいわて銀河鉄道線JR花輪線のりばは東北新幹線や東北本線などの在来線のりばからはかなり離れたところにあります。

盛岡以北の旧東北本線は平成14(2002)年に東北新幹線が八戸まで延伸された際、IGRいわて銀河鉄道という第三セクターに移転されたため、JRの在来線とは打って変わってかなり簡素な改札口です。

ビクティニ:まるでどこかの田舎駅みたいな入り口だな・・・。なんかJRの改札口とは思えない・・・。

ミュウ:地元の人ならこの駅で乗り換えるのには大変かも・・・。

 

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IGRとJR花輪線の分岐駅 好摩駅

15:06 盛岡駅出発 JR花輪線 普通列車 大館行に乗車。

JR花輪線の列車はキハ110系というディーゼル列車で運行されていますが、途中までIGRいわて銀河鉄道線の線路をしばらく進みます。途中の好摩駅ではIGRいわて銀河鉄道線と分岐されます。

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JR花輪線の車窓から見る岩手山

JR花輪線は好摩駅と大館駅を106.9kmで結ぶローカル線です。

この路線も磐越西線や陸羽東線、北上線など、奥羽山脈を横断する東北のローカル線の1つで、かつては『ハチロク』こと『8620型蒸気機関車』が活躍していました。

★詳しくはこちら↓★

花輪線−なめくじ会の鉄道写真館

ビクティニ:天気が良ければ岩手山が見れるよ!

ミュウ:のどかだね~。

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JR花輪線 峠越え

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川沿いの車窓

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森の車窓
花輪線の難所といえば、松尾八幡平(当時の岩手松尾)~安比高原(当時の竜ケ森)の竜ケ森越え7kmも続いた峠の難所の1つ重連でハチロクが牽く貨物列車の姿は圧巻だったことでも有名でした。
岩手県から秋田県に入り、だんだん山深くなっていきます。沿線には『湯瀬温泉』『大滝温泉』などの温泉地があり、鉄道旅で温泉を楽しんだり、あるいは温泉宿に宿泊しながら鉄道旅を楽しめます。

ビクティニ:こんな山深いローカル線を通るのはまた面白い。沿線の温泉宿も泊まってみたいかも?

ミュウ:森の中を進んでいるみたい・・・。

 

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JR花輪線にスイッチバックのある十和田南駅

JR花輪線は途中の『十和田南駅』『スイッチバック構造』になっているのが特徴です。

なぜこのようにスイッチバック構造になっているのかというと、ここから先に小坂方面に鉄道を伸ばすという計画があった名残のようです。

実は、このJR花輪線はもともと『秋田鉄道』という民間鉄道として大正9(1920)年に敷かれたものなのです。当時のこのあたりは鉱山で栄えていた界隈で、この花輪線も前身は鉱山鉄道として敷かれたものと思われます。一説によれば、現在の十和田南駅を中央駅とし、鹿角方面を南線小坂方面を北線とするという計画でした。当時は鹿角には『尾去沢鉱山』、小坂には『小坂鉱山』といい、これは秋田県を代表する2つの鉱山が存在し、それらの鉱山を鉄道で結ぼうとしたのがその名残と思われます。結局は南線(現在の花輪線)のみの着工・開業となり、延伸先の地域住民の根強い反対や多額の建設コストをかけての工事を続けていたことから北線(小坂方面)が着工されず、このような形で現在に至っています。

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JR花輪線にある唯一のスイッチバック

スイッチバックとは、列車の進行方向を転換させるためわざと線路をジグザグ状に設置した構造のことです。

これは車両の退避を行うために設置されたり、あるいは峠越えする際、高低差を稼ぐためなどに使用される方式の1つです。例えば、花輪線のように終点への進行方向とは逆方向に車両を進ませ、通ってきた線路とは別の線路へ進ませることで『スイッチバック』という構造になります。この写真だと、盛岡方面から来た十和田南駅の終点への進行方向に対して左側の線路大館方面への線路になります。
なお、十和田南駅は名前の通り十和田湖への最寄り駅であり、かつてはここから十和田湖を結ぶ路線バスが運行されていたようですが、やはり立地や環境だけに平成15(2003)年には廃止されたようです(当時は急行もあったが路線バスの廃止とともに廃止)。

ビクティニ:スイッチバックの駅があるのは珍しいな。名前からしていかにも十和田湖の最寄り駅のようでなんか寂れているようだ・・・。蒸気機関車も走っていたということは、昔はここに転車台とかもあったはず・・・?

ミュウ:やはり辺鄙な場所にあるからなのかな・・・?それとも本数が少ないから・・・?

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大館盆地に入ったJR花輪線
十和田南駅を過ぎると、徐々に平地になっていきます。午後3時に盛岡駅を出発してから約3時間で18:12に大館駅に到着します。

ビクティニ:東北のローカル線としては結構長かったな・・・。大館駅に着く頃には日が暮れてきた・・・。

ミュウ:森の中をゆくローカル線の旅もまた楽しいね。

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大館駅にてJR奥羽本線に乗り換え

18:12 大館駅到着

18:14 JR奥羽本線 普通列車青森行に乗車

大館駅ではJR奥羽本線に乗り換えます。先程まで通ってきた花輪線とは対照的に電車ですが、やはりロングシート(笑)

ビクティニ:流石に3時間も列車に乗っているとちょっと疲れてくるかな・・・。

ミュウ:まあまあ、もう少しで弘前に着くから頑張って・・・。

 

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奥羽本線の車窓
JR奥羽本線で青森方面へ進んでいきます。青森県に入る頃にはすっかり日が暮れてきました。実は昔の奥羽本線もSLの難所があったことでも知られ、中でも『矢立峠』が最大の難所だったと言われています。

ビクティニ:あたり一面暗くなってきた・・・。旅情はたしかに感じるけれど、ちょっとさみしい・・・。

ミュウ:でもそんなに密になってないからちょうどいいんじゃないかな。

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弘前駅に到着

18:57 弘前駅に到着。

弘前に到着したのはもう夜になってしまいました。

ビクティニ:弘前に来たのはこれで2回目だね。『ようこそ弘前へ』という歓迎も久しぶり・・・。『弘前さ よぐ来たねし』の津軽弁も・・・。

ミュウ:でも相変わらず改札はICカードが使えないね。

作者:長距離移動だったからか疲れた・・・。

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弘前駅のねぷた

青森といえばねぷたです。

ねぷたは津軽地方に伝わる伝統工芸品の1つで、弘前駅ではねぷたのモニュメントが飾られています。ちなみに8月には『ねぷた祭り』が開催されるのですが、今年は例の病気ということもあってか、残念ながら今年度のねぷた祭りは中止になっているようです・・・。

ビクティニ:青森のねぷたはいつ見ても素敵だけど、今年はやらないのは残念・・・。

ミュウ:『疫病退散』って書いてあるよ。例の病気が早く終息するといいよね・・・。

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夕食

夕食は弘前駅前にあるイトーヨーカ堂の洋食屋さんにていただきました。ちなみにちょうどこのお店に入った時間がラストオーダーだったので、本当にぎりぎりでした・・・。

ビクティニ:たまにはファミレスもいいかも・・・。僕の好物のオムライスだ!いただきます!

ゴンベ:いただきますだ~!

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弘前の町並みに飾られた金魚ねぷたと今宵のホテル

20:00頃、ホテルに到着。弘前の町並みの至る所に金魚のねぷたが吊るされています。ちょうどこの時期は『ねぷた祭り』の季節なのですが、今年度のねぷた祭りはないようです。そのかわり、夜の弘前に金魚のねぷたが光る幻想的な光景が見れました。

 

さて、明日は岩木山へ登山に行きます・・・。

 

北東北浪漫 みちのく紀行 4日目 おわり

5日目へ

北東北浪漫 みちのく紀行 3日目 世界文化遺産の古都“平泉”に訪問 奥の細道の舞台“中尊寺”へ御参拝

皆さんこんにちは。

今回は、花巻温泉に泊まった後、東北の世界文化遺産にして北の古都として知られる『平泉』に訪れたいと思います。

 

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宿泊した花巻温泉の旅館

朝9時半頃に旅館を出発し、JR花巻駅まで送迎バスで送ってもらい、そこからJR東北本線を南下、平泉まで行きます。

ビクティニ:温泉は最高だった。また行きたいね。さあ、平泉へ行こう!

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JR花巻駅

花巻駅からJR東北本線で平泉駅まで向かいます。次の列車が快速ジパング平泉号のようです。この列車は快速列車で『北海道&東日本フリーきっぷ』『青春18きっぷ』などで乗車できますが、『指定席』『自由席』があり、指定券は530円で購入します。

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ジパング平泉号の車両は国鉄型特急485系が使用されている

10:24 花巻発 快速ジパング平泉号 一ノ関行き

ジパング平泉号の車両としては、今となっては希少になりつつある485系が使用されています。言わずもがな国鉄型特急の車両で、かつては東北新幹線が出来る前の東北本線では特急車両として活躍していました。もしかしたら、こちらのジパング号の485系もその一人として活躍していたのかもしれません・・・。

 

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かつての東北本線特急を彷彿させる車窓
快速列車とはいえど、あたかもかつての東北本線を駆け抜けた特急に乗車している感覚になるのはちょっと不思議と思うのかもしれませんが、車両だけにあまり違和感はなさそうです。高速で流れる東北の車窓がいかにも東北本線の特急という感じです。実際に乗車したのが指定席で車窓がパノラマになっています。でも、時期が時期のためなのか、指定席がまばらのようです。ちなみにジパング平泉号の1号車と4号車(指定席)に乗車すると平泉についての歴史や解説などのギャラリーも併設されており、平泉の歴史や文化を事前に知ることが出来ます。

ビクティニ:東北の景色は9年ぶりで、それ以来長いこと見ていなかったから懐かしいね・・・。

ミュウ:のどかでいいよね・・・。そういえば、作者さんのお兄さんは関西に行くって言ってたけど、大丈夫かな・・・?

にょろもう:岩手は平和でいいよね・・・。

 

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東北本線の車窓から見る平泉の森

車窓の西側に見える平泉の森の中に『中尊寺』があります。どこか尊厳が雰囲気が漂ってきますね。

ビクティニ:あの森の中に中尊寺があるんだね・・・。

ミュウ:東京から新幹線で来るとこの車窓は見れないかもね。

にょろもう:そろそろ降りる準備しよう。

 

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平泉駅に到着

11:07 平泉駅に到着。ここが中尊寺の最寄り駅になります。東京方面からの東北新幹線一ノ関駅から2つ目の駅です。

 

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世界文化遺産“平泉”の玄関口

世界文化遺産である平泉の玄関口、平泉駅からは中尊寺毛越寺などへアクセスすることが出来ます。

毛越寺はここから徒歩でも十分に行けます(徒歩7分)。一方、中尊寺となると1km以上も離れているため、徒歩でも行けなくもないですが、徒歩だと20分もかかってしまいます。時間がない時や両方回りたいならば、レンタサイクルを借りることをおすすめします。

ビクティニ:徒歩で行くと日が暮れるかも・・・。

ミュウ:中尊寺ってこんなに遠いんだ・・・。

 

★平泉駅から中尊寺までのアクセス★

 

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中尊寺通り
平泉駅から中尊寺までは『中尊寺通り』を進んでいくと分り易いでしょう。ただ、途中で2つ踏切を渡らないといけません。通りにはいくつかお土産屋や飲食店がありますが、まるで小京都のような感じです。

 

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中尊寺 月見坂

ここが中尊寺の入り口『月見坂』いわゆる参道になります。中尊寺に参拝する時は必ずこの参道を登っていきます。

平泉は『奥の細道ゆかりの地』としても知られています。松尾芭蕉がこの地に訪れたことが有名で、平安時代に奥州藤原氏という一族によって治められました。これには仏教を基盤とした理想世界の実現を目指していたからなのです。

当時、奥州藤原氏が栄えていた時代の寺院遺跡群などが数多く遺され、それら五つの『平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群』がここ中尊寺毛越寺をはじめ観自在王院跡・無量光院跡・金鶏山など、平安時代末期の11〜12世紀頃に栄えた日本の北方領域における政治や行政上の拠点でもありました。また、奥州藤原氏には『平和思想(浄土思想)』という本心があり、阿弥陀如来を信仰し、極楽浄土への往生を目指すというものです。「誰もが成仏できるようにしよう」というこの思想は、8世紀頃から日本にも徐々に広まったと言われ、東北地方において当時戦乱が激しかった11世紀頃、奥州藤原氏の初代である藤原清衡は「敵味方の区別なく、戦禍で多くの命を失った人々の魂が浄土へ導かれるように」という祈りを込め、中尊寺金色堂を建立したという歴史が残されています。それがまさに平和を祈願するという『平和思想』にして『浄土思想』に基づいた各々の寺院風光明媚な庭園の美しさに平和を創るという世界観から、平成23年(2011)6月26日にユネスコの世界文化遺産に登録されたのです。

 

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中尊寺の麓に立ち並ぶ土産屋
中尊寺の入り口には、いくつかお土産屋さんが立ち並んでいます。月見坂から見てみるとまるで京都のどこかの観光地を彷彿させられます。お土産屋の中には岩手の伝統工芸である『南部鉄器』が売られているお店も結構ありました。

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弁慶堂

中尊寺境内には『本堂』『金色堂』の他に『弁慶堂』『地蔵堂』『大日堂』『薬師堂』など、いくつかお堂があります。

その中の1つ『弁慶堂』は文政9年(1826)に再建したもので、藤原時代に五方鎮守のために火杖の神としてご本尊の勝軍地蔵として『愛宕堂』という名前でしたが、義経・弁慶の木像を安置したことで、明治以降は『弁慶堂』と呼ばれるようになりました。堂内の格天井に60種余りの草花が鎌倉彫りで描かれているのが特徴的です。

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東物見台から見えるJR東北本線の線路

中尊寺境内にある『東物見台』は弁慶堂付近にある高台で、北上川衣川の合流する川と奥州の平野が見渡せます。

北上川の支流である衣川はいにしえの都人の歌にも多く詠まれ、歌枕にもなっていたとされています。平野の部分は『衣川古戦場』あるいは『弁慶立往生の地』で、合戦の舞台となったと言われています。また、衣川を渡るJR東北本線が通っており、列車の撮影スポットにもなっています。

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中尊寺 本堂

そして、中尊寺の境内の中心的なお堂はやはり、こちらの『本堂』です。

中尊寺のある『関山』というこの山自体が中尊寺境内であり、この境内における中心的な本寺ということになります。明治42(1909)年に再建され、古くから伝わる法要儀式の多くはこの本堂で勤められます。
本尊は丈六の釈迦如来で、像高約2.7m、台座・光背を含めた総高は5mに及ぶ尊像が鎮座されています。中尊寺の大壇主藤原清衡公が『丈六皆金色釈迦像』鎮護国家大伽藍の本尊として安置したことから、平成25(2013)年に造顕・開眼供養されました。中尊寺の寺格としては『天台宗東北大本山』となっています。

 

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中尊寺本堂の鐘

ちょうど12時に本堂の鐘が鳴り始めました。やはりお寺の鐘の音は心が浄化されますな・・・(*´艸`*)

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不動堂
本堂の近くにある不動堂は昭和52(1977)年建立の祈祷堂で、御本尊の不動明王は貞享元(1684)年、仙台藩主伊達綱村公により天下泰平を祈願し新調されました。鎮座されている不動明王様は、邪を破り、自らの過ちを正してくれる仏様です。参拝者の願い事に応じ、家内安全・病気平癒・受験合格・交通安全など、多くの信者をはじめ、一年を通して御祈祷をされる方々も少なくありません。中尊寺に来たら是非立ち寄りたいスポットの1つです。

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峯薬師堂
瓦葺きの単層宝形造りで、御本尊は丈六(約2.7m)の薬師如来の座像はカツラ材の寄木造りになっています。これは藤原時代末期に作られたもので、重要文化財に指定され、讃衡蔵(さんこうぞう)に安置されています。薬師如来(やくしにょらい)は大医王仏とも言われ、正式には薬師瑠璃光世界の教主であり、除病安楽・息災離苦などをかき消してくれる御仏としてとして古くから信仰されています。もともとは境内の別峯に建てられていましたが、度重なる野火に遭い、元禄2(1689)年にはここに移されたものです。

 

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旧鐘楼
康永二(1343)年、金色堂別当頼栄の発願により鋳造された盤渉調の梵鐘(ぼんしょう)です。撞座は長い歳月にわたる打鐘により窪み、今この鐘が撞かれることはありません。鐘に刻まれた銘文には建武四(1337)年、山の堂塔が火災により焼失したとされ、奥州藤原氏以後の歴史を伝える貴重なものです。

 

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讃衡蔵

讃衡蔵は奥州藤原氏の残した文化財3千点あまりを収蔵する宝物館です。

平安期の仏像や国宝の1つとされる中尊寺経の名である『紺紙金銀字交書一切経』をはじめとする数々の経、奥州藤原氏の副葬品などが納められるなど、平泉の黄金文化を後世に伝えるべきものが数多く展示されています。これは平安時代奥州藤原氏によって造営されたもので、館内に入れば正面に並んだ三体の丈六仏がお出迎えです。また、本堂の御本尊であった『阿弥陀如来座像』も展示されています。ただし、共通拝観券(大人800円)が必要になります。

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讃衡蔵の御朱印
御朱印がほしい人には受付時に予め御朱印帳を提出すると、御朱印を押印してくれます。

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中尊寺 金色堂

さあ、中尊寺境内における代表的スポットとも言うべき『金色堂』にやってきました!

こちらの『金色堂』は言わずもがな『国宝』にして『重要文化財』ならびに平成23(2011)年に『平泉の世界文化遺産』に登録されました。

これは中尊寺創建当初の姿を現在に伝える唯一の建造物であり、天治元(1124)年に上棟されました。館内では撮影ができないので、実際の写真はお見せできませんが、お堂の内外に金箔を押した『皆金色』の阿弥陀堂が鎮座されています。須弥壇の上には、ご本尊阿弥陀如来が中央に、観音菩薩勢至菩薩がそれぞれ左右に三体ずつ地蔵菩薩が並んでいます。孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されており、親子四代の御遺体が安置されているのは世界的に見ても他に例がないほどです。
最前列には持国天と増長天が破邪の形相でこの仏界を守護しており、これらの仏像構成は金色堂独特のものであり、他ではお目にかかれない貴重なものになっています。また、堂内の装飾には、4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで白く光る夜光貝の螺4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで白く鈿細工、透かし彫り金具や漆蒔絵の他に象牙や宝石によって飾られるなど、至るところに平安時代後期の工芸技術を結集した荘厳なもので、いかにも美術工芸品のような美しさを放っています。これには極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いが込められていると言われています。

 ビクティニ:何もかもが神々しい光景で感動した・・・。

 ミュウ:まるで美術館でも来たかのようだった・・・。

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奥の細道の碑と松尾芭蕉の像

平泉は『奥の細道』の舞台としてよく知られていますが、実際には芭蕉が訪れる500年前、平氏を討伐した後、官位を兄に無断で拝命したことがきっかけで追われる身となった義経は平泉で自害し、さらに奥州藤原氏も滅亡したという悲しい歴史があったとされています・・・。

そしてその500年後の奥の細道を経て訪れたとされる元禄2(1689)年3月27日に江戸(現在の東京)を発ち、東北や北陸へ六百里(約2400km)の150日間・・・『奥の細道』の旅に出ます。そして、平泉の中尊寺に訪れた松尾芭蕉は次のようにこの詩を詠まれています。

『夏草や 兵どもが 夢の跡(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)』

平泉に訪れた松尾は高館(たかだち)にのぼってあたりを見渡せば、藤原時代のような栄華の痕跡はあとかたもなく、ただ夏草が茂る風景が広がるばかり。これは500年前の文治5(1189)年、当時義経をかくまった藤原氏討伐のため、源頼朝の襲来によって藤原氏消滅に起因したものと思われ、その栄華の儚さを詠んだ句です。

『五月雨の 降り残してや 光堂(さみだれの ふりのこしてや ひかりどう)』

光堂とは金色堂のことで、あらゆるものを朽ち果てさせる五月雨も、光堂にだけは雨を降らせず残してくれたかのように、華やかであった藤原時代の終わった500年経っても光堂は衰えを見せぬ美しい姿を見せてくれると詠んだものです。

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金色堂覆堂
これは正応元(1288)年、鎌倉幕府によって金色堂の修復が行われた際にこの覆堂が建てられたものと考えられてきました。しかし近年の調査によると、金色堂再建後50年ほど、簡素な覆屋根がかけられ、増築後を経て室町時代中期の16世紀頃に現在の形になったものと見なされているようです。そして先ほどの新覆堂が出来る昭和38(1963)年までこの覆堂が使われ、新覆堂の建築がされると、この場所に移築されました。

 

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平泉 白山神社

そして、中尊寺境内には『神社』も存在します。

中尊寺境内にあるこちらの『白山神社』は嘉祥3(850)年、中尊寺を開いた慈覚大師が加賀の白山(福井県)をこの地に勧請したのがそのはじまりとされています。十一観音も作られ、中尊寺の『鎮守白山権現』と称されています。慈覚大師自らが彫った十一面観音が本尊として安置され、橋爪季衡の持仏・運慶作の正観音と源頼朝の持仏・毘沙門天が安置されていたといわれていますが、嘉永2(1849)年の火災で焼失されました。境内にある能舞台(能楽殿)は、嘉永6(1853)年、仙台藩によって再建されたもので、近世の能舞台遺構としては東日本唯一のものとして重要文化財に指定されています。

 

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平泉名物『自然薯そば』

平泉では、自然薯山菜がよく採れる地域であり、中でもそば粉を使わない平泉産の自然薯を100%使用した『自然薯そば』平泉の名物とされています。また、黒糖かりんとう饅頭平泉の名物とされ、焦がし蜜の香ばしい甘味が人気のお菓子です。

ビクティニ:夏といえば、やはり冷たいお蕎麦が一番!

ゴンベ:このお蕎麦、そば粉の代わりに自然薯を使ってるっぺ!うまいっぺ!

ミュウ:かりんとう饅頭も甘くて美味しい!

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中尊寺境内にある茶処
また、中尊寺境内にある茶処では、お抹茶や和菓子もいただけます。時間がある時や参拝後の休憩などに利用してみるのも良いのかもしれません。ちなみに私が立ち寄った茶屋には『奥の細道』についての写真が飾られていました。

tabelog.com

 

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JR東北本線の普通列車

15:53平泉発 東北本線 普通列車盛岡行に乗車。

自転車を返却し、JR東北本線でそのまま盛岡方面へ向かいます。普通列車の701系『ロングシート』ですが、沿線の風景もあってか、なぜか旅情を誘われるような感覚になってしまいますw

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盛岡駅に到着

17:16盛岡駅に到着。

盛岡駅JR東北本線の終着駅になっています。

新幹線では東北新幹線から秋田新幹線が分岐されており、秋田方面に行くことが出来ます。盛岡から先の在来線は、かつて東北本線という路線でありましたが、2002年の東北新幹線の延伸に伴い、東北新幹線に並行する旧東北本線『IGRいわて銀河鉄道』第三セクターの路線となり、現在に至っています。他にも田沢湖線山田線花輪線といったローカル線もありますが、いずれも非常に列車本数が少なく、1日の列車本数としては指で数えられるぐらいの本数しかありません。なので、盛岡から先の青森方面や秋田方面などへ通ずるローカル線を行かれる場合は、時刻表(できれば最新のものをおすすめする)をよく確認した上で行かれた方がよろしいでしょう・・・。なお、IGRいわて銀河鉄道線を通る場合、青春18きっぷは使用できないのでご注意を(ただし『北海道&東日本パス』『3連休パス』などは使用可)。

さて、ここからレンタカーを借りて、雫石方面へ向かいます。

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雫石プリンスホテル

JR盛岡駅からクルマを走らせて約40分、雫石プリンスホテルに到着。明日は朝から小岩井農場に行くため比較的近い雫石プリンスホテルに泊まります。今回予約したプランの中には小岩井農場の入場券付きという特典があるので、とても便利です。

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ホテルから見る岩手山の夕暮れ

今回、雫石プリンスホテルに宿泊予約した時、岩手山の見える客室を選びました。ホテルに到着した時にちょうど岩手山の夕暮れを見ることが出来ました。

ビクティニ:夕暮れがきれいだね・・・。

ミュウ:お部屋もおしゃれだし、ほんとに作者さんの宿選びは上手いね。

作者:まあ、こういうのには慣れてるからねw

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ホテルの夕食

ホテルの夕食は本来ならビュッフェ形式になるはずだったのが、例の病気の影響もあってか、魚料理か肉料理を選ぶタイプでしたが、夕食自体は十分豪華です(^^) ステーキの他にカニも出ました。温泉も広い露天風呂で、風呂周りの池を鯉が泳いでいるのが見れてとても素敵です。

ビクティニ:ステーキうまい!

ミュウ:カニも美味しいよ!

ゴンベ:いただきますだ~!幸せだっぺ~!

にょろもう:デザートも美味しかったよ~。

travel.rakuten.co.jp

 

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ホテルの部屋

ビクティニ:明日は朝から小岩井農場で遊んで、午後にはJR花輪線まわりで青森県に入って弘前まで行く予定らしい。盛岡から弘前はちょっと遠いけど、花輪線の車窓も楽しみだ。

ミュウ:明日は天気は良いらしいし、夏に牧場って涼しげでいいかも。

ゴンベ:明日はソフトクリームを食べたいっぺ~!

にょろもう:花輪線に乗る予定の列車に乗り遅れないようにしないとね・・・。

ドレディア:ひまわり畑も見れるのね、楽しみ~。

ビクティニポンチョのピカチュウ:ZZZZ・・・。

 

北東北浪漫 みちのく紀行 3日目 おわり

4日目へ

 

北東北浪漫 みちのく紀行 2日目 日本の昔話のはじまり“遠野物語”と“銀河鉄道の夜”のモデルにもなった“めがね橋(宮守川橋梁)”

皆さん、こんにちは。

今回は宮古市に宿泊した後は、遠野市をちょっと観光し、SL銀河号の通る『めがね橋』こと『宮守川橋梁』という有名撮影地にてSLを撮影しました。

ということで朝8時に旅館を出発し、三陸道を南下して釜石駅まで戻ります。しかし、三陸道に入る頃には雨が結構降っていました。

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道の駅やまだ

途中の道の駅で休憩を取りつつ、三陸道を下っていきます。

このあたりもリアス式海岸があり、三陸ジオパークの1つとされていますが、ここも9年前の東日本大震災による未曾有な惨禍に見舞われました・・・。

ビクティニ:ああ・・・僕のふるさとでもある東北がこんな悲しいことが起きるなんて誰が予想したのかな・・・?

 

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釜石駅

8:50 釜石駅に戻り、レンタカーは返却します。その後、JR釜石線にて9:04発の普通列車 花巻行きに乗車。今日は遠野の昔話を聴ける『語り部』のお話しを聴いてから、めがね橋のSL撮影もしようと思います。

ビクティニ:本当は三陸鉄道にも乗りたかったけど、時間の都合上、レンタするしかなかったのね。まあ、このあたりは列車本数が少ないから仕方がないのかな。

 

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普通列車とSL銀河用客車

釜石駅には普通列車の花巻行きとSL銀河用の客車が停泊しています。JR釜石線の普通列車の大半はワンマン運転で運行されているようです。中には『快速はまゆり号』も走っており、一部は指定席(指定券530円)も設けられています。SL銀河号の客車のデザインがとてもおしゃれで、まさに銀河鉄道の夜という世界観でさえも感じてしまいます。

9:04 釜石駅を出発。

実は、この列車に乗っている時に、私と同様にSL銀河号の撮影が目当てのおじさんも乗車しており、途中の陸中大橋駅で下車し、Ωカーブのある仙人峠の赤い鉄橋を通過するSLを撮るとの事。でも、今回は釜石線の代表的な撮影スポットにてSLを撮るのが目的なので、私はめがね橋とSLの写真を収めれば十分だと思いますがね・・・。

 

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遠野駅

10:15 遠野駅に到着。

ここで下車し、遠野に纏わる昔話(遠野物語)を聴いてみたいと思います。

遠野市は人口約3万人弱の町で『日本昔ばなし』『座敷わらし』などの民話をはじめ、『河童のふるさと』としても知られています。

 

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とおの物語の館

実際に遠野市の昔話を聴きたいという人にはこちらの『とおの物語の館』がおすすめです。

『昔話蔵』では、『座敷わらし』『河童淵』などをはじめとする昔話を体験したり、聴くことが出来ます。普段の喧騒や日々のストレスなどで疲れを癒やしに遠野の昔話を聴きに行かれてみては?

ビクティニ:とても癒やされた・・・。今までの嫌なことはみんな忘れてしまいそう・・・。

ミュウ:昔話もいいよね・・・。でも、なぜか眠くなるかも・・・。

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昔話について

昔話というものは、日本では数多く残されていますが、それらは研究者や語り手によって記録・研究がされて出来たものと解釈されています。

昔話の原点にもなったと言えるのが、意外なことに約200年前のドイツのグリム兄弟から本格的に始まったと言われています。1800年代の初頭から昔話の採集を始め、1812年に『グリム昔話集第1巻』を出版し、社会下層の人々が伝えてきた口承文化に価値を認め、それが滅びようとしていた危機感から昔話の採集を始めたと言われています。昔話の採取のみならず、言語学者として『ドイツ語辞典』の編さんを始めるなどのエピソードが残されています。いわば、『グリム童話』の始まりでもあったのです。グリム童話の代表的な作品例でいうならば、『長靴をはいた猫』『ヘンゼルとグレーテル』『小人の靴屋』などがあります。それは国の文化の価値観から生み出されたものなのです。民衆の口承文化への価値を理解し、普遍性を持つことで昔話に魅了されたり、あるいはその魅力で親しみを持たれるようになり、現在に至っているのです。

そして、遠野市における昔話の原点にもなったのが、遠野出身の若者、佐々木喜善が聞き覚えていた伝承を柳田國男が書き留めていた『遠野物語』です。

それをきっかけに喜善は遠野や周辺で語り継がれてきた話を精神的に集まるようになり、その中で発表された『江刺郡昔話』において『おとぎ話』でも『童話』でもない『昔話』という言葉が初めて使われたのがそのはじまりでした。すなわち、遠野市が昔話の原点となったのは、柳田國男の呼びかけで全国的に収集がはじまり、国際的な比較ができる分類を完成させた関敬吾によって受け継がれたのです。
関敬吾は、日本の昔話が世界的な位置づけで考察し、世界で共通的に使用されている昔話の分類を導入することで、日本の同大な昔話を分析・分類していきました。また、欧米の研究を国際的に開かれたものにし、昔話における研究基礎を築いた彼の功績は高く評価されています。こうして、約3万5千に及ぶ日本の昔話を分類することに成功したのです。それらの研究資料が遠野市にて所蔵されています。

 

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昔話の語りが実際に聴ける『遠野座』

『遠野座』では、語り部が遠野に纏わる昔話を語ってくれます。

遠野の昔話で代表的なものでいうと『おしらさま』『河童淵』『座敷わらし』の3つがありますが、実際に我々が聴いたお話しは、遠野の昔話の代名詞にもなっている『おしらさま』『河童淵』でした。いずれも東北弁らしい話し方で、どこか癒やしを感じさせられます・・・。そして、実際に聴いた昔話の最後には、よく童話や絵本などの終わりで使われる『おしまい』『めでたしめでたし』ではなく、『どんどはれ』という言葉で締めくくられます。これはいわゆる『おしまい』や『めでたしめでたし』を岩手県中北部の方言にしたもので、今でもこの言葉は使われています。

★昔話の語りに興味のある方はこちらをどうぞ★

遠野市立図書館

 

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柳田國男展示館(旧高善旅館)

とおの物語館には『柳田國男展示館』がありますが、これはかつて柳田國男が滞在した旧高善旅館という歴史的建造物です。

こちらの旅籠は明治~昭和にかけて遠野において代表的な旅籠だったようです。館内では、何もかも当時の原型を保ち、いかにもどこかノスタルジーな雰囲気が漂っています。柳田國男をはじめ、折口信夫、ネフスキーなどが宿泊し、民俗学調査の拠点としても活用されていたようです。

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柳田國男と日本民俗学

柳田國男が生んだ各々の昔話には、それぞれ原点があります。昔話のもとになるべき原点といえば、『日本民俗学』というものです。

平民が過去を知り、数々の経験やこれまで通ってきた経緯を知る。つまり、自らを知ることで反省すること・・・。いわば、柳田國男には、人々の暮らしの中で、自分の歴史を学んでこそ国の未来を拓くという決意が『日本民俗学』であり、昔話のはじまりとも言えるでしょう・・・。

 

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柳田國男の生涯について

ここでは、多くの昔話を生んだ柳田國男の生涯について紹介されています。柳田國男は遠野に纏わる昔話、『遠野物語』の始まりとも言える日本民俗学という未踏の学問分野を築いたパイオニアであり、日本近代における天才的な独創性を持っています。彼の思想には『貧困のない幸福な生活が送れるようにしたい』という想いがありました。

それは『幼い時の経験』や『凝り性と野心と負けん気な強み』が心情的です。8人兄弟のうちの6男で、彼の他の3人の兄弟は、医師、歌人、軍人、画家など、各々違う道を進み、いずれも優れた功績だったといいます。興味のある本なら読み更けてしまう一面があることから、創造力がある一方で、彼が幼き時代は、とても辛い貧困生活の中で生活してきたのです・・・。
そして、彼が16歳になり明治23(1890)年・・・東京に上京すると、彼の文学という才能が芽生えます。本格的に短歌を学びながら西洋式の詩にも取り組まれ、かの有名な近代文学の代名詞とも言える森鴎外や田山花袋などに出会います。その後は明治30(1897)年に東京帝都大学に進学。その当時は農民の暮らしを研究する農政学という学問を学ばれました。
明治33(1900)年、東京帝都大学を卒業し、農商務省に就職します。官僚時代を通しての農村の視察や講演を行うため、日本国中を旅します。その度の過程で、各地に伝わる習俗伝承に興味を惹かれ、それらの記録を書き記した本を出版しました。これがいわゆる『遠野物語』のはじまりなのです。また、官職を引退する大正8(1919)年まで農村研究も続けられました
大正10(1921)年には国際連盟の委任統治委員の代表に抜擢され、スイスのジュネーブをはじめ、世界中の多様な文化について学び、日本の現状や未来を見つめ直す契機ともなりました。
大正12(1923)年9月1日・・・日本では『関東大震災』が起こってしまいます。その当時ロンドンにいた柳田國男がその一報を開きました。同年11月8日に日本へ帰国しますが、未曾有な惨禍に『本筋の学問のために起つといふ決心をした』と回想しています。帰国直後から講演活動を開始、その年のうちに委任統治委員を辞任しました。
昭和9(1934)年、ついに彼の本業である日本民俗学初の概論書とされる『民間伝承論』が発表、民俗学の理念や方法を実践する全国的な民俗調査の報告会である『木曜会』が始まりました。これには約300回に渡る例会を重ね、日本民俗学研究の中核的なサロンとして、その発展の基礎を築き上げていったのです。

これが、柳田國男が築き上げた『日本民俗学』の中に『遠野物語』が生まれたというエピソードなのです。

 

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遠野名物の蕎麦

遠野物語のエピソードを深く知ったところで、遠野名物の蕎麦をいただきます。

遠野の名物といえば、ジンギスカンで知られていますが、遠野は日本民話のふるさとらしく、蕎麦がふさわしいと思います。他にも、遠野の特産品でよく知られているのが、『どぶろく』というにごり酒です。その名の通りお酒なので、間違っても親戚の子供やご子息のお土産として使わないでくださいね(笑)

ビクティニ:遠野といえばお蕎麦がよく似合う!

ミュウ:いい香り・・・。

ゴンベ:寿司もうまいっぺ!

にょろもう:夏といえば冷えたお蕎麦が美味しいよね!

 

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遠野といえば河童のふるさと

遠野は『河童のふるさと』としても知られ、カッパ伝説が今でも残っているという言い伝えがあります。

遠野駅から約7kmぐらい離れた場所にある『カッパ淵』はバス、あるいはレンタサイクルで約30~40分で訪れることが出来ます。土淵町の常堅寺裏を流れる小川の淵にはカッパが多く住んでおり、人々を驚かしてはいたずらをしたという伝説が残っています。淵の岸辺には、カッパ神を祀った小さな祠があり、子持ちの女性がお乳が出るようにと願ををかけると叶うという言い伝えがあり、願かけには、赤い布で乳の形を作って祠に納めるのがしきたりとされています。

しかし、今日は生憎の天気ということもあり、そもそもカッパ淵まで行くのにはちょっと遠いです・・・。

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遠野駅前にある河童の池
遠野駅前には河童たちが暮らす池のオブジェがあります。河童という存在感が遠野市のシンボルになっています。

 

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遠野駅に停泊中のSL銀河号

ちょうどSL銀河号が遠野駅に進入してきたところです。昨日は釜石方面(下り)でしたが、この日は花巻方面(上り)への運行となっています。

実はSL銀河号の運行形態として、他の地域を走るSLとは違い、普通なら同じ区間を1日に1往復ですが、土日を挟むように2日間かけてJR釜石線の花巻~釜石間を往復するというダイヤになっています。SLばんえつ物語号の停車時間が長い野沢駅や津川駅での停車時間はたかだか15分程度ですが、遠野駅で約1時間以上も停車するのはかなり異例と思われるでしょう・・・。ちなみにSLばんえつ物語号の走行距離はJR磐越西線会津若松~新津間で片道111km日本のSL列車運行の中では一番長く、1日で1往復なのにも関わらず、SL銀河号はJR釜石線花巻~釜石間で90km。わずか21km差SL銀河号の方がじっくり時間をかけているのかが分かります。

 

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めがね橋の最寄り駅である宮守駅

13:10遠野発 普通花巻行きに乗車し、13:37に宮守駅に到着。

さあ、ここからが『銀河鉄道の夜』のモデルとなったJR釜石線の真髄・・・『めがね橋(宮守川橋梁)』にてSL銀河号を見届けようと思います!めがね橋はこの駅から徒歩10分の所にあります。めがね橋の撮影スポットはドライブインの芝生広場になります。

ビクティニ:さあ、ここからが正念場だ。心して撮影しよう。ちなみにこの駅にはコインロッカーなど荷物を預かる場所はないから、大きい荷物を担いでいる人は自己責任で管理してね。

ミュウ:でも、ボストンバッグならなんとかなるかも・・・。

作者:ボストンバッグには三脚も入っているから地味に重いんだよな・・・。

 

★宮守駅からめがね橋までの徒歩ルート(例)★

 

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めがね橋(宮守川橋梁)

さて、JR釜石線の有名撮影スポットである『めがね橋』に到着しました!この橋を14:25頃にSL銀河号が通るはずなので、ここでカメラを構えます・・・。

こちらの『めがね橋』は半月状の大きなアーチが5つ連なるのが特徴的で、正式名称は『宮守川橋梁』になります。この路線の前身とも言うべき『岩手軽便鉄道』は、言わずもがな宮沢賢治作の童話の1つとされる『銀河鉄道の夜』のモデルになったと言われています。春、夏、冬にはライトアップがされ、いかにも宮沢賢治の生み出す『銀河鉄道の夜』という幻想的かつイーハトーブの世界感に魅了されます。

ビクティニ:大きなアーチ橋に洋風なデザインが何もかも素敵な『めがね橋』だね。ジョバンニたちが乗った汽車もこの橋を通ったのかな?

ミュウ:ここにSLが通るんだよね。早くみたいな~。

 

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めがね橋は『恋人の聖地』にもなっている
また、こちらの『めがね橋』は恋人の聖地にもなっており、恋愛やデートスポットなどでも是非訪れたい名所です。

さて、めがね橋に到着してかれこれ30分・・・。ついに・・・。

 

 

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『めがね橋』を渡るSL銀河号

念願のSLと『めがね橋』を撮影した!

SL銀河号が洋風なデザインを放つ『めがね橋』とのコラボレーションこそ・・・まさに『銀河鉄道の夜』そのものです!すべてにおいて、幻想的かつイーハトーブ感を醸す宮沢賢治クオリティが我々に披露してくれました!

★SL銀河号通過シーンはこちら★

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JR釜石線の見どころスポット

JR釜石線には数多くの見どころがあります。

先ほど行ってきた『めがね橋』をはじめ、桜並木赤い橋(鬼ヶ沢橋梁)岩手軽便鉄道の名残のある旧鱒沢トンネルなどの名所があります。春になれば桜とSLで撮影を楽しめます。実は、先ほどの『めがね橋』が有名な宮守川橋梁の他に『達曽部川橋梁』というもう1つの『めがね橋』があります。アーチ間に空いている穴が1つか2つ空いているのが特徴的で(宮守川橋梁はアーチ間の穴が1つだけ空いている)、別名『岩根橋』と呼ばれています。国道283号沿いに位置し、こちらのほうが『銀河鉄道の夜』の舞台にもなったという説があるようですが、宮守川橋梁でも十分にその雰囲気は味わえると思います(笑) なお、『達曽部川橋梁』へのアクセスは岩根橋駅から東へ5分歩いた場所にありますが、その駅は快速通過駅でわりとマイナーな撮影スポットということもあり、列車本数は比較的少ないので、列車で訪れる際は注意が必要です。

 

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JR釜石線の車窓

15:37 宮守駅発 快速はまゆり号盛岡行 乗車。

JR釜石線の沿線は、南側の車窓には猿ヶ石川の景観が楽しめます。

ビクティニ:あの川は銀河鉄道の夜でいう天の川かな?

にょろもう:川が眺められる車窓もいいよね(^^

 

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花巻温泉の旅館

15:59 新花巻駅に到着。駅から送迎バスにて花巻温泉へ行くことが出来ます。というか、新花巻駅から温泉街へアクセスできる送迎バスはとてもありがたいです。

16:30頃、花巻温泉の温泉旅館にチェックインします。今宵の宿は花巻温泉愛隣館さんにお世話になります。この時期はちょうどGOTOキャンペーンということもあり、本来の宿泊代の3~4割分安くなり、思う存分温泉気分に浸れるので、まさに一石二鳥ですな(*´艸`*)

ビクティニ:これまたいい宿選んだなw 一度、花巻温泉に泊まってみたかったんだ。

ミュウ:結構すてきなホテルだね。作者さんの宿選びにセンスがあるよね。

作者:まあ、北海道&東日本フリーきっぷがあるから、鉄道で移動するときもかなり楽だしねw

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花巻温泉の旅館 夕食

花巻温泉の夕食はとても豪華でした。岩手県の食材もふんだんに使われ、名物であろう『わんこそば』『じゃじゃ麺』『ジャージャー麺』も出ました。温泉大浴場もとても広く、大変快適に過ごせました。また、飲める温泉としても知られ、健康維持にもいいとされています。皆さんも岩手県に来たら、花巻温泉は是非おすすめしたいと思います。

ビクティニ:温泉がとても快適だったし、夕食も岩手名物ばかり・・・。涙が出そう(いい意味で)

ミュウ:美味しい!岩手県っていいところだよね。

にょろもう:岩手県はわりと涼しいかもね。避暑とかにいいかも。

 

北東北浪漫 みちのく紀行 2日目 おわり

3日目へ

 

★おまけ★

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旅館で行われたマジックショー

ビクティニ:イベントやってるとは思わなかったな。何年ぶりかな?マジックショー見たのは・・・

ミュウ:炎が出た!すごい!

北東北浪漫 みちのく紀行 1日目 “銀河鉄道の夜”と宮沢賢治の世界 “SL銀河号”に乗車

皆さん、こんにちは。今回は夏休み北東北へ旅行に行ってまいりました。

経路としては岩手県釜石・宮古→遠野→花巻温泉→平泉→雫石・小岩井農場→青森県弘前・岩木山→五能線→秋田→越後湯沢→帰路という形になりました。最後までお付きあいくださいませ。

 

朝6時半に起床し、朝7時に川越駅を出発。そして朝8時に大宮駅から新幹線に乗車します。

8:22大宮発 はやぶさ103号新青森行きに乗車。10:37新花巻着。

 

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新花巻駅 釜石線ホーム

新花巻駅に到着しました。ここからJR釜石線のSL銀河号に乗車します。JR釜石線のホームへは、新幹線の改札口から左に歩くと地下通路で繋がっています。地下通路をそのまま歩いていくとJR釜石線乗り場になります。

 

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SL銀河号

新花巻駅にSLが入線してきました!

これぞ、まさに宮沢賢治が生んだ名作『銀河鉄道の夜』をモチーフにした汽車『SL銀河号』になります。機関車は『C58-239号機』で、後ろの客車はJR北海道から譲渡された 『キハ141系』。客車というよりかはいわゆる気動車のようです。

ビクティニ:SLがきた!美しい音楽とともに入線してくる汽車がまさに『銀河鉄道の夜』そのものって感じ。とても感動しちゃった・・・(´;ω;`)

ミュウ:ヘッドマークも素敵だね。

 

★実際の映像★


SL銀河号で宮沢賢治のロマンと銀河鉄道の夜を体験するミュウ&ビクティニ

 

 

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SL銀河号の車内
車内は大正ロマンを基調としており、いかにも『銀河鉄道の夜』の世界観満載な雰囲気です。まさに宮沢賢治の童話の世界にいるような感じです。あたかも自分がジョバンニになったような感覚になります。 座席などはまさしく童話らしく木製でワインレッドの椅子です。また、車内に配置されたガス灯の照明が素敵です。

ビクティニ:きみと一緒ならどこまでも行こう・・・。

ミュウ:そうだね。みんなが自由になれる世界へ・・・。

 

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駅に設置された腕木式信号機

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JR釜石線の各駅に付けられたエスペラント語の愛称駅名

JR釜石線のSL銀河号の各停車駅にはこのように腕木式信号機の飾りが設置されています。

この飾りこそがいかにも『銀河鉄道の夜』としての雰囲気を醸していますね。腕木式信号機は遠方信号機をモデルにしているようです。また、JR釜石線の各駅にはそれぞれ愛称が付けられており、これは宮沢賢治の作品の1つとされる『銀河鉄道の夜』の作中に登場する『エスペラント語』による愛称が付けられています。例えば、こちらの宮守駅では『ガラクシーア カーヨ(Galaksia Kajo) 』という愛称が付けられていますが、これは『銀河のプラットホーム』を意味しています。こんな感じで釜石線各駅の愛称には釜石方面へ進むごとにストーリーがつながるような印象を受け止められます。また、沿線の雰囲気に合わせて駅名ごとにそれぞれの特徴をエスペラント語にあやかった駅名として愛称が付けられているのです。

★詳しくはこちらをどうぞ★

釜石線 駅名標デザイン - 作品紹介|株式会社JR東日本建築設計

 

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SL銀河号の車内に展示されている天球儀

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SL銀河号の車内に展示されている『銀河鉄道の夜』の原稿

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SL銀河号の車内に展示されている宮沢賢治に関する資料

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SL銀河号の展示スペースに設けられた宮沢賢治ギャラリー
 SL銀河号の車内には宮沢賢治の生涯や彼の生み出した作品『銀河鉄道の夜』の原稿をはじめ、『雨ニモマケズ』『注文の多い料理店』など様々な作品が展示されています。これだけ見ても、十分に宮沢賢治の世界に浸れます。また、プラネタリウム図書館コーナーもありますが、今回は例の病気のせいで紹介できません・・・orz
さて、宮沢賢治という人物について説明すると、明治29(1896)年に岩手県花巻市(当時は稗貫郡花巻川口町)に質・古着商を営む宮沢政次郎とともにイチの長男として生まれた作家です。詩人童話作家をはじめ、教師、科学者など、様々な表情を持っていますが、大正15(1926)年に農民の生活向上を目指すため、農業指導を実践することから『羅須地人協会』を設立するなど、多方面で活躍されました。しかし、あまりの無理さがたたったために病に倒れ、昭和8(1933)年9月21日、37歳という若さで逝去されました。そんな短い生涯の中で、彼の生み出した数多くの短歌童話などを遺しています。中でも『銀河鉄道の夜』の童話や『雨ニモマケズ』などの詩をはじめとした作品が代表的です。

 

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SL銀河号 花巻~遠野の車窓

JR釜石線は花巻駅~釜石駅を90.2kmで結ばれているローカル線です。

かつては『岩手軽便鉄道(釜石西線)』として花巻~仙人峠が大正15(1913)年に開業、そして昭和19(1944)年、国によって敷設された陸中大橋駅~釜石駅の釜石東線(釜石鉱山鉄道)も開業し、昭和25(1950)年に足ヶ瀬駅~陸中大橋駅が開通し、それら2つの路線が1つの路線として繋がったのが現在のJR釜石線となったのです。
花巻~遠野間は比較的勾配が緩やかで、田園地帯が広がるエリアです。中でもJR釜石線最大の見所である『めがね橋(宮守川橋梁)』が有名で、多くの観光客や写真家が集まります。

 

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遠野駅にて約1時間停車

12:13遠野駅に到着。ここでは燃料補給や点検のため、約1時間停車します。

遠野市は『妖怪にまつわる伝説』『日本昔ばなし』、さらに『河童のふるさと』とも言われています。

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思い出ノート

停車時間を利用して、思い出ノートにも記載させていただきました。

ビクティニ:うまく描けたかな・・・。

ミュウ:うまく描けたんじゃない?

 

 

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SL銀河号 遠野~釜石の車窓

遠野駅を出たSL銀河号は徐々に山間部へ入っていき、勾配もだんだん上り坂になっていきます。 先ほど通ってきためがね橋とは違った雰囲気で山深いエリアです。

この先にある上有住駅の近くには『滝観洞』という鍾乳洞があり、岩手県を代表する『龍泉洞』とはまた違った鍾乳洞を楽しむことが出来ます。また、途中にある『Ω(オメガ)ループ』『仙人峠』というJR釜石線で最大の難所があり、岩手軽便鉄道の頃は、当時終点が『仙人峠駅』となっており、そこから陸中大橋駅まで徒歩で移動するのには約3時間かかったといいます。・・・というのも当時の仙人峠駅陸中大橋駅を挟む仙人峠は直線距離で約4kmほどであり、仙人峠駅の標高が560m、陸中大橋駅の標高が254mで、306mもの標高差が非常に大きい上、標高が887mもある仙人峠を越えなければならなかったことから、当時の遠野から釜石までの道中はとても険しいものだったと思われます。のちに足ケ瀬駅から陸中大橋駅間にも線路を通すこととなり、先ほども説明した通り、仙人峠はとても険しい峠なので、土倉峠のトンネルを抜けた先のV形の谷の斜面を縫うような形で『Ω形状』のループ線が完成したと言われています。それと同時にかつて存在した『仙人峠駅』は昭和25(1950)年に廃止となっています。

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仙人峠にあるΩ形状のループ線
余談ですが、なぜ『仙人峠』という名前かというと、ある一説によると遠野物語に登場する仙人が住んでいた峠であることから、あるいは麓の鉱山で千人の鉱夫が生き埋めになったという説、アイヌ語の「背骨の高いところ」という意味の『セレコ』がなまったという由来からなったという説があるようです。

 

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陸中大橋駅はかつては釜石鉱山だった

陸中大橋駅にある釜石鉱山は、北上山地の沿岸部に位置し、明治時代の開坑から現在まで150年余の歴史を持っており、主要のの他に亜鉛なども産出されました。

この鉱山があることで、釜石市は現在でも新日本製鐵釜石製鐵所など、製鉄が盛んな町として知られています。 平成5(1993)年には大規模な鉄鉱石の採掘は終わっているものの、その良質な鉄鉱石は研究などの用途から、現在でも年間100トン程度の採掘が行われているといいます。いわば、この鉱山の存在感は釜石市が製鉄産業の町にもなった原点ともいうべきではないでしょうか。また、岩手県の伝統工芸品の1つとされる『南部鉄器』の原料も、なんとその殆どが釜石産であることから、南部鉄器が今でも造られているのは、まさにこの鉱山があった所以と言っても過言でないでしょう。

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JR釜石線の終点『釜石駅』 よくおでんした釜石へ

15:08 釜石駅に到着。

JR釜石線の終着駅である釜石市は先ほども説明した通り『製鉄の町』が盛んで、ラグビーの町としても有名です。

三陸鉄道も通っており、一時期はNHKの連続テレビ小説『あまちゃん』の舞台にもなったことでも話題になりました。ちなみに駅に飾られている「よくおでんした」の横断幕は釜石市の方言で、「よくいらっしゃいました」という意味だそうです。釜石市は江戸時代末期に日本の近代製鉄が始まった『鉄のふるさと』という意味で平成24(2012)年にリニューアルした際に、平成23(2011)年に発生した東日本大震災からの立ち直りというエールの意味を込めて田中宣廣氏の熱いメッセージが伝わってきます。

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リアス式海岸

さて、JR釜石駅からレンタカーを借り、三陸道にて宮古市方面へ北上します。釜石市から車を走らせて約40~50分。三陸のリアス式海岸の白浜にして岩手県の代表的な景勝地『浄土ヶ浜』です。

リアス式海岸とは、狭い湾が複雑な形状で入り込んだ沈水海岸のことで、『リア』はスペイン語でいう単数、そして『リアス』は『リア』の複数形からなったものと言われています。なぜこのように『リアス式海岸』が出来たのかというと、谷が沈降して出来た入り江を『溺れ谷』といい、もともと直線状になっていた海岸線に対して垂直方向に河川から侵食されて出来た開析谷が溺れ谷として成形され、それがノコギリ状の形状に連なったような地形『リアス式海岸線』と呼ばれるようになったのです。リアス式海岸特有のノコギリ形状を保つように複雑に入り込んだ入り江は水深が深く、波も低いことから、漁業や養殖を営むのには最適な環境であるとされ、古くから漁港としても栄えていたと言われています。

 

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三陸復興国立公園・三陸ジオパークにある風光明媚な海岸『浄土ヶ浜』

三陸復興国立公園、またの名を三陸ジオパークの中心にある『浄土ヶ浜』は、宮古市を代表する勝景地であり、岩手県の代表的な観光地でもあります。

鋭く尖った白い流紋岩が聳え立つ景観が四季折々の表情を見せてくれます。今から約5200万年前の古第三紀(白亜紀の次の時代)に形成されたといわれ、火山岩からできた白い岩と小石によって入り江が作られていることから、『日本の水浴場88選』や『日本の快水浴場百選(海の部特選)』にも選ばれています。緑色の松白い岩肌、そして、静けし浅瀬の海・・・まさに東北の風光明媚な景観です。浄土ヶ浜という地名が付いたのは、天和年間(1681~1683年)に宮古山常安寺七世の霊鏡竜湖(1727年没)が「さながら極楽浄土のごとし」と感嘆したことがその由来と言われています。また、宮沢賢治もこの浄土ヶ浜を訪れ、「うるはしの海のピロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかりぬ」という歌を詠まれています。

ビクティニ:やっぱり東北の自然は癒やされるなあ・・・(*´艸`*) 穏やかな海・・・緑の松・・・白い岩・・・風光明媚な海岸だ・・・。宮沢賢治も愛したほどの海岸と言われているけど、本当に心が洗われるな・・・。

ミュウ:ここは涼しいし、暑い夏にはいいのかもね。

にょろもう:波も穏やかで居心地がいいね。

ゴンベ:岩の景観もいい感じにきれいだっぺ・・・。

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浄土ヶ浜の海鳥『ウミネコ』
浄土ヶ浜では、ウミネコをはじめ、アオジキビタキなど4種類の海鳥を観察することが出来ます。また、青の洞窟遊覧船もあり、青の洞窟では海の洞窟を探検、遊覧船ではウミネコの餌やりを楽しむことも出来るのです。皆さんも時間があればじっくり楽しんでみては?

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宮古市の旅館で宿泊
浄土ヶ浜を観たあとは、宮古市の旅館で宿泊しました。一時期は、平成23(2011)年3月11日の東日本大震災で大打撃をを受けた宮古市ですが、あの惨禍から9年経っても、活気を取り戻しつつあるようです。旅館の夕食は三陸の食材がふんだんに使われ、とても美味しかったです。

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岩手県の伝統工芸品『南部鉄器』

途中の釜石駅の近くにあったお土産屋さんで、南部鉄器の鉄瓶急須を買いました。

岩手県の特産品とされる『南部鉄器』は江戸時代よりちょっと前より岩手県北部や青森県西部の『南部地方(当時の南部藩)』に代々伝わる伝統工芸品として親しまれています。主な製造技法としては『鍛造(鍛金)』『彫造(彫金)』『鋳造(鋳金)』の3種類があります。

『鍛造(鍛金)』とは、主に包丁や鍬・鋤はもちろん、一昔前なら刀などを製造する時に用いられる技法で、熱した鉄をハンマーや金づちなどで打って延ばしたり縮めたりする方法です。よく耳にする『打ち出し』はこの技法に分類され、鍋などの強度を上げ、表面積を多くすることで熱まわりをよくするのにも使われています。また、この技法は鉄瓶やすき焼き鍋などのツルの部分にも一部用いられており、南部鉄器を製造する上でも重要な役割を持っています。鉄瓶急須でいう『取っ手の部分』になります。
『彫造(彫金)』は刀剣や置物などによく用いられる技法で、まさにその名の通り、鉄の塊を彫って形を成型していく技法です。彫金には『たがね』と呼ばれる特殊な道具を使用し、小さく細かい加工が出来ることから装飾品などでよく用いられています。中でも『江戸彫金』と呼ばれるものが有名です。
最後に『鋳造(鋳金)』ですが、これがいわゆる南部鉄器における代表的な製造技法で、いわば『溶けた物質を型に流し込みそれを固めて製造する技法』で製造されたもの・・・すなわち『鋳物(いもの)』と呼ばれています。南部鉄器の『鉄鋳物』の他に山形鋳物に代表される『銅鋳物』、あるいは工業製品などによく用いられるアルミ鋳物・ステンレス鋳物・チタン鋳物などがあります。鋳造技術の原点は狩猟などで使う『鏃(矢尻・やじり)』で、粘土をよくこねて柔らかい粘土板を二つ作り、その粘土板の片方に石の鏃を半分埋め込んで形をとり、もう片方に先に形をとった反対側を押しつけて形をとります。するとそれぞれ半分ずつの形が写し出されるので二枚の粘土板を合わせるともとの鏃とほぼ同じ形の空洞が出来ます。そこに注ぎ口を作り、溶けた物質を流し込み、固まってから型を壊し注ぎ口を切り離せば鋳造の鏃の完成です。これが後に『鋳造』の原点にもなったと言われています。この技法は数千年経った今でも受け継がれています。
鋳造の歴史は紀元前3500年・・・。現在のイラク周辺で栄えたメソポタミア文明の頃、その地域で発生したと言われています。それから約3千年後の紀元前4世紀から紀元3世紀頃の弥生時代においてその多くは中国や朝鮮半島を通り、日本に伝わったとされています。そして後の『南部鉄器』もその歴史を経て今日も日常生活や観光資源などで活かされているのです。また、南部鉄器の急須で入れたお茶には鉄分が含まれているため、鉄瓶でお湯を沸かしたり、急須にお湯を入れると溶け出した鉄分がお湯の中に浸透し、鉄分を摂取できると言われています。そのため、健康維持にも適しています。皆さんも岩手県に旅行に行く機会がありましたら、お土産や思い出に持ち帰ってみては?

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北東北浪漫 みちのく紀行 1日目 おわり

2日目へ

 

いすみ鉄道のレストラン列車ツアーに参加してきました。

皆さん、こんにちは。今回はいすみ鉄道で開催されている『レストラン列車』に参加してきました。

いすみ鉄道でレストラン列車を始めたのが平成25(2013)年のことで、レストラン列車の車両としては基本的に『キハ28形ディーゼルカー』が使用されています。キハ28形は、かつてほぼ日本中で活躍していたディーゼル急行の代表格ともいうべきである『キハ58系』の一部になっています。いすみ鉄道で活躍しているキハ28ー2346JR西日本で活躍していたもので、平成24(2012)年8月27日に鳥塚社長のブログにて譲渡が決まり、いすみ鉄道に入線する際、往年の国鉄急行色に塗装変更した上で導入されました。また、先行導入されていた『キハ52形ディーゼルカー』も平成22(2010)年付で大糸線から引退したキハ52ー125観光急行列車として運行されるのを目的でいすみ鉄道に導入されています。そして、いすみ鉄道の社長を務めていた元社長はNPO法人『おいしいローカル線をつくる会』に任命されています。

 

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いすみ鉄道の入り口 大原駅

いすみ鉄道は大原駅上総中野駅26.8㎞で結ばれています。いすみ鉄道はかつて『旧国鉄木原線』として昭和5(1930)年4月1日に敷設されました。当初はガソリンカーで運行され、戦後にレールバスや蒸気機関車による汽車が活躍しました。そして、国鉄末期の昭和56(1981)年には第一次特定地方交通線に指定され、JRになった後の昭和63(1988)年3月24日にJRから廃止になりましたが、後に『いすみ鉄道いすみ線』として再スタートを切っています。

 

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新型の旧型気動車?!
いすみ鉄道の普通列車としては、一般的に『いすみ300形』『いすみ350形』など形式の冒頭に『いすみ』の文字が入ったものが使用されていますが、中には冒頭に『キハ』がついた往年の旧型気動車を模した新型気動車も走っています。

 

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デンタルサポート大多喜駅
さて、今回予約した『レストラン列車』は大多喜駅にて予約の確認を受けます。大多喜駅ではいすみ鉄道の本社のある駅で、駅周辺には城下町大多喜城の最寄り駅になっています。ちなみに、『レストラン列車』のツアーに参加する際、時期が時期ということもあり、PCR検査を受けた上での参加となりました・・・。

ビクティニ:さあ、レストラン列車の旅のはじまりだよ。

ミュウ:楽しみだね。

 

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レストラン列車の乗車券 いすみ鉄道のフリーきっぷ他

ということで、『レストラン・キハ』の申込みをしてきました。工程としては、11:37に大多喜駅を出発し、大原駅へ向かいます。大原駅でしばらく停車した後、上総中野駅まで向かい、14:06に大多喜駅へ戻ってくるというピストンみたいな感じになっています。フリーパスの写真は、当時の国鉄木原線を走っていたC12型蒸気機関車の汽車なんですね。

 

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いすみ鉄道の国鉄型気動車 キハ28形
今回乗車する『レストラン列車』として使用される車両は、こちらの国鉄急行型ディーゼルカー『キハ28』になります。この車両は『キハ28-2346』というもので、昭和39(1964)年に製造されたものなんだそう。

ビクティニ:1964年ということは、昭和の東京オリンピックが行われていた年に製造されていたんだね。

ミュウ:もう50年以上も昔のやつなんだね。

 

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いすみ鉄道の国鉄型気動車 キハ52形
そして、併結されているもう1つの気動車は『キハ52ー125』になります。こちらは平成22(2010)年に大糸線で活躍した後、いすみ鉄道に譲渡されました。この車両は比較的勾配のあるローカル線を主に活躍していたものです。こちらもキハ28と同様、観光列車あるいは動態保存車として運行されているのです。今で言う一度引退したSLの動態復元みたいなものですね。

 

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国鉄急行ディーゼルならではのサボなど
また、国鉄型の車両なら見ることの出来たサボ号車番号の札などもいかにも往年の国鉄車としての風格を醸し出しています。

 

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『レストラン・キハ』のテーブル席

11:37大多喜駅を出発。さあ、いよいよ待ちに待った『列車の中で食事ができる』というコンセプト『レストラン・キハ』の車内になります。

テーブルにはナプキンやパンフレット、グラスなどが配備されています。かつての寝台列車やブルートレインなど食堂車のあった列車では、列車の中で食事ができましたが、今ではブルートレインなどの寝台列車が次々と廃止となり、現在列車の中で食事ができるのは、『いすみ鉄道のレストラン列車』がその1つになります。ちなみに、『消毒済み』の表札があるのは、やはり例の病気の影響と思われます。

 

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前菜

レストラン列車のツアーに参加すると、いすみ鉄道の社長や社員からの挨拶があり、またレストラン列車のスタッフの方々からの挨拶もありました。

挨拶が終わると、前菜が配膳されます。前菜は確か房総の野菜を使った漬物のようなものだったかな?食材は房総の自然の恵みを活かしたものが使用していると思われます。こんな経験をしたのは、昔に函館までブルートレイン『北斗星』の食堂車で食事をした時以来です。今回の『レストラン列車』を運営しているのはもちろんいすみ鉄道の企画かと思われますが、料理の提供は、千葉県茂原市にあるフレンチレストラン『ペッシェアズーロ青い魚』さんが提供してくれます。

興味のある方はこちらをどうぞ↓

www.pesce-azzurro.net

 

★実際の映像★


【いすみ鉄道】レストラン列車を楽しむポケモンたち

 

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風光明媚な沿線風景
いすみ鉄道の沿線はまるでドラマや映画などのロケ地で使われそうなほど、とても美しい原風景です。まるで典型的な田舎といった感じですね。いくら東京から近くてもここまで穏やかな田園風景を見ていると、首都圏とは思えぬ雰囲気です。

ビクティニ:東京から近い場所とは思えないくらい穏やかな車窓だ・・・。

ミュウ:田舎の風景って感じだね・・・。

 

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国吉駅
途中の国吉駅では、下り列車との行き違いのため、しばらく停まります。この駅ではいすみ鉄道応援団の方々からポップコーンやたこ飯弁当の販売などが行われていました。ローカル線の活気を少しでも見せようという威勢に感動しました(´;ω;`)

 

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大原駅
大原駅では長時間停車します。JR外房線のホームに停まっている特急と国鉄急行型のディーゼルを合わせてみると、まさに時代の今昔を垣間見たような気がしますw

昔の外房線でもキハ58系などの急行型ディーゼルが通っていたはずなので、違和感としては無くもないのかな・・・と思います。

 

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添え物

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海鮮と野菜スープ

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アワビといくらの冷製パスタ

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伊勢海老のパン粉焼きトマトソース

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デザート
『ペッシェアズーロ青い魚』さんが提供するレストラン列車のメニューの内容としては、伊勢海老やアワビなどの海の幸をはじめ、地元の野菜を使用するなど、千葉らしいメニューとなっています。列車の中で本格的な料理が堪能できるのは、とても貴重な経験かと思いました!

ビクティニ:昔、函館旅行に『北斗星』の食堂車で食事したのを思い出した(´;ω;`) 今では貴重な存在になりうる国鉄型のディーゼルカーで食事ができるのは最高!作者さんに感謝しよう!

ミュウ:風光明媚な景色を眺めて美味しい料理が楽しめるなんて、幸せ♡

ゴンベ:うんめーっぺ!函館のホテルで泊まった時の夕食みたいに美味しいっぺ~!

にょろもう:コロナでずーっと出かけてこなかったから、本当に出かけられてよかった!

 

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上総中野駅
大原駅から大多喜駅までは急行で、大多喜駅から上総中野方面は各駅停車(普通)になります。終点の上総中野駅では小湊鐵道の列車に接続していますが、いすみ鉄道から小湊鐵道に出るのには、養老渓谷・五井方面への列車本数が1日5本非常に少ないので、乗り通すにはよく時刻表を調べてから行く必要があります。首都圏の中にあるとはいえ、ここまで本数が少ないのは珍しいですね・・・。

 

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車窓から見える大多喜城
いすみ鉄道の車窓で大多喜駅から上総中野方面へ差し掛かる鉄橋では、丘の上に聳える『大多喜城』が見れます。森に囲まれた大多喜城はとても絵になります。

 

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大多喜駅に停車するキハ28とキハ52
14:06大多喜駅に到着。これで、『レストラン列車』のツアーは終了になりますが、フリーパス(本来は急行券が必要だが、フリーパスならそのまま乗車できる)を持っているので、引き続き急行に乗車する際には、そのまま乗車することが出来ます。改めて見てみると、本当に往年の急行型気動車としての雰囲気が出ています。いつまでも、キハ28とキハ52が走り続ける姿が見られるといいなというのが私の本願です。

 

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キハ52車内
今度はキハ52-125に乗車してみます。車内は、大糸線で活躍していた現役当時の状態のままです。大糸線の運賃表や地方ローカル線のワンマン運転で使用される運賃表電光ボードなどもほぼ当時の状態で残っています。キハ52が見られるのは、いすみ鉄道の他にも岡山県の津山機関区新潟県の糸魚川駅で見ることが出来ます。

 

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昔の車内広告

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キハ52の扇風機
車内広告も当時のままで残っているようです。また、車内に設置されている扇風機は当時の列車には冷房装置が無かった名残であり、国鉄時代の車両なら見ることが出来た扇風機は今となって貴重なものになっています。

 

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腕木式信号機と国鉄型ディーゼルカーが絵になる国吉駅

国吉駅で下車しました。国吉駅は、『國吉神社』『上総出雲大社』の最寄り駅にもなっています。また、構内には『キハ30形』腕木式信号機があり、鉄道ファンにはたまらないスポットでもあります。

 

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国吉駅の待合室には鉄道グッズが勢揃い!
国吉駅の待合室には・・・なんと国鉄時代に使用されていたホーロー駅名標をはじめ、サボいすみ鉄道の写真、さらに座席はキハ52で使われていたものをそのまま使っています!駅名標は総武本線外房線内房線などのもので飾られています。昔の駅名標を見ていると、どこか哀愁を感じさせます・・・。

 

 

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國吉神社と出雲大社
国吉駅から10分ほど歩いた場所に『國吉神社』『上総出雲大社』があります。いすみ鉄道周辺で参拝御朱印がほしい人にはおすすめなスポットです。 1つの境内で2つの神社があるのは、なかなか珍しい光景ですね。

 

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國吉神社

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上総出雲大社
約1500年も昔・・・國吉神社の鎮まる苅谷幸野の地は、は安閑天皇の御代に伊甚国(後の夷隅)が春日部后の屯倉(御領地)が置かれ、勅使を迎える仮屋が設けられた地であり、信州の諏訪大神より勧請し建立されたもので、後の明治時代に苅谷地区周辺の神々が集められ、現在では二十八柱の神々が祀られています。この地域では昔からとても愛されている神社です。銀杏の御神木は樹齢300~400年になります。御神徳は家内安全、交通安全、厄除、八方除などのご利益があります。
もう一つの『上総出雲大社』は、島根県にある出雲大社で有名ですが、房総にある出雲大社こそ、実は出雲大社から分祀された由緒正しい神社なのです。関東においては相模原とここの2箇所にしかない、貴重な神社と言われています。なぜ房総に出雲大社があるのかというと、総代のひいおじいちゃんの頃、出雲大社で内紛があったとき、御領地だったここに避難されていた一派がいらして、ここを大変気に入っられたとか。出雲に帰る時に怪力の大男を連れて帰り、相撲大会に出させれば優勝。褒美として御神体をいくつかと神職2人をこの房総の地に送って出雲大社となった・・・という言い伝えがあると言われています。また、本宮のある島根県の出雲大社と日御碕の神社があるのと同じように、この境内にも出雲大社分祀と日御碕神社があります。
ちなみに、参拝の仕方は上総出雲大社では本宮の出雲大社と同じく『二礼四拍一礼』國吉神社と日御碕神社では『二礼二拍一礼』です。参拝する時は間違えないでね。

 

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黒原不動の滝
いすみ鉄道総元駅から徒歩にて5分の所に『黒原不動の滝』があります。高低差が3~4mもあり、水しぶきの音が渓谷に響き渡ります。房総で滝の音が聴きたくなったり、房総の清涼に癒やされに鉄道で訪れたい方には駅チカなのでおすすめです。

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黒原不動の滝への行き方1

総元駅の出口から右へ歩くと踏切があるので渡ります。

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黒原不動の滝への行き方2

踏切を渡り道なりに歩くと看板があるので、その角を左へ進みます。

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黒原不動の滝への行き方3

橋が現れますが、橋は通らずにここを右に進んでいきます。下り坂なので気をつけましょう。

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黒原不動の滝への行き方4

川岸に降りると・・・あれが『黒原不動の滝』です。ここからでも十分滝音は聴こえますが、もっと近くまで行くのには、中洲に降りる必要がありますが、大きな段差があるので子供を連れてくる時は注意が必要です。

 

・・・この後は予め大原駅に預けていたボストンバッグを引き取りに向かうため、滝を撮ったら急遽総元駅に戻り、帰りの列車に乗ったのは公然の秘密であります・・・。

 

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静寂なローカル駅にやってきた列車
この後、大原駅に戻りました。いすみ鉄道の主力車両(?)である『キハ20-1303』はまるで本物のキハ20形にそっくりですね・・・。確かにローカル線を走る車両の名前には冒頭に『キハ』が付くといかにもTHEローカル線って風貌を醸し出します。

 

さて、我々を乗せた列車は大原駅に到着し、ボストンバッグも無事回収でき、埼玉まで長い帰路に就いたのでありました・・・。

 

『いすみ鉄道のレストラン列車ツアー』をお伝えしました。

 

★おまけ★

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いすみ鉄道のお土産品

今回乗車した『レストラン列車』でお土産というか特典をいただきました。入っていたのはキーホルダーやクリアファイル、キハカレー、伊勢海老せんべいなどが入っていました。ここまでしてくれるいすみ鉄道さんと沿線地域の皆さんには感謝いっぱいです!

関東最東端の町“銚子”訪問と銚子電鉄に乗ってきました。

皆さん、こんにちは。コロナでGWは旅行ができず、静岡を最後に4~5ヶ月間旅行に行っていませんでした。あれからもう夏に入りましたが、最近は九州で集中豪雨となり、各地では水浸しになりつつあるようです・・・・。

 

さて、今回は千葉県銚子市にある『銚子電鉄』に訪問しました。

銚子市は関東最東端に位置し、東京からJR特急で1時間と45分。車だと約2時間と40分かかります。銚子市は、昭和8年2月11日に銚子町・本銚子町・西銚子町・豊浦村の3町1村が合併し、全国で116番目で、千葉県においては千葉市に次いで2番目の市として誕生したと言われています。利根川河口をはじめ君ケ浜、犬吠埼、屏風ケ浦に至る海岸線から、水の都とも言われたりします。JR総武本線・成田線の終着駅である銚子駅から先は『銚子電鉄』が続いています。

 

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銚子電鉄のホーム

銚子電鉄(銚子電気鉄道)はJR総武本線・成田線の終着駅である銚子駅から外川駅まで6.4kmで結ばれています。

 この鉄道の歴史は大正2(1913)年に地元有志によって設立された銚子遊覧鉄道を母体とし、第一次大戦中に廃線となった後、大正12(1923)年に復活した地方鉄道の一つです。当時は『銚子鉄道』という名称で銚子~外川間をガソリン車で運行され、開業間もない2年後には早くも電化され、電車が走るようになったといいます。しかし、戦時中の銚子大空襲で車庫や変電所は被災し、一時運行不能に陥りました。昭和23(1948)年に銚子鉄道は企業再生整備法により、『銚子電気鉄道』として再発足することとなったのです。通勤・通学、観光客に限らず、ヤマサ醤油の輸送業務も活躍していましたが、高度成長期以降の1960年代になると、モータリゼーションの波(自動車の普及など)に押され、厳しい経営状況が現在でも続いているといいます。

 

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銚電オリジナルのサボ

銚子電鉄ではこんなオリジナルのイラストサボが飾られています。犬吠埼のイラストが素敵です。

 

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電車内にチーバくんの装飾が・・・

車両はかなり古めかしいです。以前は1両編成の電車が走っていましたが、現在は伊予鉄から譲渡された車両というか、かつては京王線で活躍した車両が活躍しています。この車両は2000形で、元京王2010系になります。車内にはチーバくんの装飾がしてありました。

 

★実際の映像★


ミュウとビクティニが銚子電鉄に乗車した

 

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例の新型コロナウィルスで減便中

以前にも銚子電鉄に訪れたことがあるのですが、当時は1時間おきに2本というダイヤだったものの、最近は例の病気で1時間に1本に減便されているようです。

 

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銚子電鉄の終着駅 外川駅
銚子電鉄の終着駅である『外川駅』に到着しました。このあたりは漁港になっていて、ここから5分歩いた場所に『外川漁港』があります。外川駅の駅舎自体もほぼ開業当時の木造駅舎のままで保たれています。また、隣には昭和30年代ならよく見かけることができた丸ポストが鎮座されています。

 

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NHK連続ドラマ『澪つくし』のロケ地にもなった外川駅
外川駅では、昭和60(1985)年のNHK連続テレビ小説『澪つくし』のロケ風景の舞台にもなりました。その物語に登場するかをるが通学や銚子~外川を行き来していた際に何度も登場していたようです。

 

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犬吠埼と外川漁港の周辺地図
銚子市は利根川の河口に位置し、『港町』として江戸時代から栄えてきたといいます。そのことから漁業をはじめ、醤油醸造も盛んです。このあたりの地理は、犬吠埼や屏風ヶ浦という風光明媚なスポットがあります。また、銚子沖にはイルカやスナメリなどが生息しているので、天気が良ければイルカウォッチングができます。しかし、この日は生憎の天候ということもあり、強風が酷く、明日も厳しいとのことです・・・。

ビクティニ:せっかく来たんだからイルカも見たかったけど、今日も明日も天気が悪いから見れないのか・・・残念だなあ・・・。

ミュウ:九州の方は何日も雨続きだもんね・・・。九州の方は大丈夫かな・・・。

 

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ありがとう駅
銚子電鉄の各駅では、本来の駅名にそれぞれネーミング愛称が付けられています。

銚子駅⇒『絶対あきらめない』

仲ノ町駅⇒『パールショップともえ』

観音駅⇒『金太郎ホーム』

本銚子駅⇒『上り調子 本調子 京葉東和薬品』

笠上黒生駅⇒『髪毛黒生』

西海鹿島駅⇒『ウェルネス8020 こぬま歯科』

海鹿島駅⇒『関東最東端より銚子港直送 千葉石毛魚類』

君ケ浜駅⇒『ロズウェル』

犬吠駅⇒『OTS犬吠埼温泉』

外川駅⇒『ありがとう』

これらは、千葉県や東京都の企業の他に愛知県や沖縄県の企業からのネーミングセンスが付けられています。また、最近では銚子電鉄と台湾鉄路が『姉妹鐵路』として交流を深めています。銚子電鉄と台湾鉄路管理局蘇澳線は、ともに首都から2時間程の距離に位置し、いずれも太平洋に面する漁港に通じる路線であり、更に蘇澳には冷泉があるように、銚子にも温泉があります。それぞれ観光資源として重要なもので多くの共通点があることから、相互の協力と信頼を礎として、両鉄道の友好関係を推進するきっかけとなり、姉妹鉄道の契りを結ぶこととなったのです。

 

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銚電のフリーきっぷ
銚子電鉄では、銚子駅から乗車すると車内にて切符を売ってくれます。銚子電鉄で乗りまくりたい人には『1日乗車券』がおすすめです。当日の乗り降りが自由の他にポートタワーや犬吠駅の売店の割引などの特典があるので、とても便利です。

 

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飯沼観音 銚子大仏
観音駅から徒歩5分のところに『飯沼観音』があり、境内に銚子大仏が鎮座されています。ここは坂東三十三観音霊場の第二十七番札所になっています。
中世期には、銚子地方を納めていた海上氏が壮麗な伽藍を建立したと伝えられ、銚子の町の原型ができたといわれています。飯沼観音は、太平洋戦争末期の銚子大空襲の際、全て消失。1971年に再建されました。
毎月18日には、『ご縁日』としてイベントなどを実施されています。
飯沼観音の大仏様は、宝永8(1711)年に鋳造され、高さは約5mあり、戦争中に受けた弾痕が残っているなど、戦災を受けた悲しいエピソードも・・・。

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銚子港の食堂にて昼食

さて、せっかく銚子に来たので昼食に海の幸を堪能します。本来なら、銚子港で海鮮ものがたらふく食べられる『万祝』さんで食事がしたかったのですが、やはり例のアレで閉まっているようです。また、市場競り市の見学もできますが、そちらも例のアレでできません・・・。仕方がないのでちょうど近くの食堂でお食事をしました。銚子は古くから港町として栄えてきた町ということもあり、豊富な魚介類の穫れます。なので、新鮮な魚介類もその場で堪能できるわけです。ちなみに私はお刺身定食をいただきました。

★興味のある方はこちらをどうぞ★

tabelog.com

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鬱蒼とした森と銚電

本銚子駅は森の中にある駅でいかにも洋風レトロな雰囲気を醸しています。森の向こうからやってくる電車が不思議な光景にも見えます。

 

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チーバくんと記念撮影

銚子電鉄の車内にチーバくんはよく似合うかと思います。森の中を快走する銚電は暑い夏では清涼を感じさせます。

 

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仲ノ町駅構内の裏手に醤油工場

仲ノ町駅では電車の車庫があります。そしてその裏手にはヤマサの醤油工場が見えます。奥に見える大きなタンクは醸造された醤油を貯めるためのタンクでしょうか・・・。

 

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ヤマサの醤油工場ができる

仲ノ町駅の近くにはヤマサの醤油工場があり、当日でも随時見学ができるはずなのですが、やはり例のアレで見学させてもらえませんでした・・・。ちなみに、見学に関しては事前に予約しないと見学できないとのこと。コロナになる前だったら当日でも見学ができたのかもしれません・・・。

 

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犬吠駅

犬吠埼の最寄り駅である犬吠駅の周辺には犬吠埼の灯台日帰り温泉がある他、『地球の丸く見える丘展望館』もあります。しかし、この日は気候がよくないため、周りを見渡しても霧に覆われていて、眺望するのには厳しいようです・・・(´・ω・`)

 

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犬吠駅の売店ではぬれ煎餅が販売されている

犬吠駅では売店が併設されており、ここで銚子名物の一つでもある『ぬれ煎餅』が販売されています。実はこの『ぬれ煎餅』こそ、銚子電鉄の経営危機から救った救世主というべき存在です。

どういうことなのかというと、銚子電鉄は過疎化による人口減少や観光客の減少により年々乗客数が減り、行政からの補助金で何とか運行を維持していました。昭和30年代に年間250万人以上利用していた乗客は、平成に入ると100万人を切ってしまい、いつ廃線になってもおかしくない状況だったといいます。平成18(2006)年、当時の社長に横領が発覚。その額は1億円を超え、すでに行政からの補助金は打ち切りになっており、もはや倒産寸前というまさに背水の陣というべき状況に陥りました。また、国土交通省の監査が入り、老朽化した線路や踏切などの改善・修理の命令も出されました。3カ月以内に線路・踏切などの改修をしなければ運行停止。それには約5,000万円もの費用が必要という、まさに会社にとって“死刑宣告”と行っても過言でないほど絶望的だったといいます。それでも何とかして車両や線路設備などの修理費を稼がなければいけない中・・・数年前より副業にて製造・販売を開始した『ぬれ煎餅』を売ることを試みます。電車を走らせる為に、来る日も来る日も必死になって「買って下さい、買って下さい。」と売り歩きしても、なかなか思うようにはいきません・・・。ところが、そんなある日、膨大な数の『ぬれ煎餅』の注文メールが2千~3千件ほどこれまでになかった注文数に目から鱗が出るように売れたのです。これはテレビやメディアなどにも取り上げられ、ぬれ煎餅は爆発的な売上げを記録しました!
この売上げで車輌の法定検査や老朽化施設の改修などの費用を賄うことができたおかげで、銚子電鉄の倒産危機は免れることができたのです。また、ぬれ煎餅を買ってくれたお客さんの大半が銚子電鉄に乗りに来てくれた人々の気持ちで「がんばれ銚子電鉄」というメッセージも送られたといいます。これが、ぬれ煎餅で銚子電鉄を倒産の危機から救ったエピソードと言われる所以なのです。こうして、ぬれ煎餅の売上や多くの観光客や地元の方々の支援があってこそ、今日も銚子電鉄は走り続けているのです・・・。

 

とまあ、なんか泣けるお話しですね・・・。こうして修繕費を稼ぐためにぬれ煎餅の販売を行っていたのは、こうした厳しい環境の中でも相当努力されていたのかが伺い知れます・・・。

 

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犬吠駅ではぬれ煎餅の体験ができるのだが・・・

犬吠駅ではぬれ煎餅の販売のほか、『ぬれ煎餅の焼き体験』ができるはずなのですが、残念ながら生憎コロナのせいでやはり叶わず・・・orz  本当は手焼き体験もやってみたかったのですが、それさえも叶いません・・・orz ちなみに中井精也さんの写真ギャラリーも併設されていますが、そちらも休館のようです・・・。

 

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犬吠駅のたい焼き

また、たい焼き屋も併設されています。以前は観音駅にたい焼き屋がありましたが、現在は犬吠駅に移設されています。他にたこ焼きもあります。なんでもぬれ煎餅以外でも好評があるとか。

ビクティニ:ぬれ煎餅の手焼き体験はできなかったけど、たい焼きは美味しかったよ。

ゴンベ:うまいっぺ~!

 

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犬吠埼温泉の旅館にて宿泊

天候が一向に荒れてきたので、旅館にチェックイン。犬吠埼の温泉は海に近いということもあり、塩分の温泉で切り傷や疲労、肩こりなどによく効きます。日帰りもいいですが、たまには旅館に泊まるのもいいものです。

ビクティニ:せっかくこんなに遠くまで来たのに、イルカたち見たかった・・・。

ミュウ:ここのところ天気はずっと雨だもんね・・・。

にょろもう:夕日を期待していたのに残念だなあ・・・。

ゴンベ:ぬれ煎の手焼きやってみたかったのに残念だっぺ・・・。

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犬吠埼灯台

旅館に泊まってから犬吠埼の灯台を観てきました。ここの灯台は関東最東端にして本州最東端にある灯台です。

なぜこの名前が付いたのかというと、ある一説によれば源義経の愛犬である『若丸』が義経と従者とともに北上船に乗船したときに岬に置き去りにされ、主人と別れたことを惜しみ、七日七晩鳴き続けたことからこの名前が付けられたと言われています。
こちらの灯台はあたり一面太平洋が広がる大海原の景観、そしてその目立った立地から、平成10(1998)年に世界灯台百選及び日本の灯台五十選にも選ばれ、国の登録有形文化財及び近代化産業遺産に指定されています。また、正門にある丸ポストは特製のもので、郵便物を差し出すと、その灯台のイラストが入った消印が捺印されるようです。
この灯台は明治7(1874)年11月に竣工及び初点灯となり、明治政府のイギリス人灯台技師“リチャード・ヘンリー・ブライトン”によって設計されました。また、国産のレンガを初めて使用した灯台でもあります。

ビクティニ:この前に行った日御碕の灯台は結構大きかったけど、ここの灯台も結構大きいね・・・。

ミュウ:この日は天候が荒れているし、てっぺんにいたら吹き飛ばされそうだよ・・・。

 

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灯台の資料室

 灯台の資料室には、灯台に関する資料や写真などが飾られています。一番奥には地元の小学校のタイムカプセルとして灯台のマーカーも展示されていました。

 

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灯台のてっぺんから見た海
地上から99段の階段を昇って灯台のてっぺんまで行ってみます。灯台自体の高さは31mでやや小さめですが、実際は海面からの高さが約60mと結構な高さです。ここから見下ろす海の景観はとても圧巻です!また、この日は強風でデッキにいたら荷物などが吹き飛ばされてしまいそうです。

 

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灯台の灯火
犬吠埼灯台は、明治政府の工部省灯台寮がイギリスから招へいした灯台技師“リチャード・ヘンリー・ブラントン”の設計及び施工監督のもと、明治5(1872)年9月28日に着工し、明治7(1874)年11月15日に竣工及び点灯されました。その工事費用は、なんと当時のお金でいう44,835円63銭だったと言われています。
工事としては、19万3千枚のレンガが使用され、レンガ自体はイギリスから輸入されたもので、非常に高価だったことから、中沢孝政という灯台寮の技師が国産化を主張、苦心の末に香取郡高岡村でレンガ造りに合った良質の土を発見し、付近の旧藩士に製造法を教わり、製造したものです。このレンガでできた灯塔は、100年以上もの歳月に耐えられる構造になっています。この灯台に使用されたレンズは、当時フランス製の第1等8面閃光レンズを使用していましたが、太平洋戦争により一部が破壊され、現在は灯台局レンズ工場で製造された第1等4面閃光レンズが使用されています。太平洋戦争で破損されたレンズは一部復元され、先ほどの灯台資料館にて小学校のタイムカプセルとして保管されています。レンズは、高さ約2.6メートル、直径約1.9メートルを有する大きなもので、このレンズを水銀が入った器のようなものに浮かべ、その浮かべたレンズをモーターで回転させて点灯しているのです。灯台を光らせる装置も当初は石油灯が使用されていたものの、大正12(1923)年に電気化された後、改良を加え、現在は灯台用に設計された際、わずか400Wの電球が使用されていますが、レンズにより集光され、光度が110万カンデラ(ろうそくの光110万本分に匹敵する明るさ)で、約36km先の海上まで届くという十分な明るさです。このスペックで銚子の海は今日も守られているのです。

 

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銚子ジオパークの景観
銚子のジオパークは、犬吠埼の景観をはじめ、太平洋の大海原と利根川水系の河口に囲まれた水の町農業景観など魅力的な大自然によって恵まれた環境でもあります。中でも“東洋のハーバー”と言われる屏風ヶ浦10kmの海岸線高さ40~50mを有する海食崖はとても圧巻です!しかし、この日は天候が荒天なので、もうちょっと天気が良ければ、その圧巻な絶景が見れたのかもしれません・・・。

 

『関東最東端の町“銚子”と銚子電鉄』をお伝えしました。

 

★おまけ★

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鴨川シーワールドのスナメリ

鴨川シーワールドにてスナメリやシャチのショーも観てきました。

ビクティニ:スナメリとても可愛かった。

ミュウ:間近で見ると可愛いね。