ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり、鉄道名所(景観路線や歴史ある鉄道スポットなど)スポットめぐりや風光明媚な鉄道旅、日本の観光地の歴史や景観めぐりなどを紹介するコーナーです。よろしゅうお願いします。

EF63型電気機関車の体験運転をしてきました!

皆さん、こんにちは。

今回は6月のある日、かつて碓氷峠で活躍していた『EF63型電気機関車』の体験運転をしてきました。

 

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高崎駅

さて、朝6時に家を出て『碓氷峠鉄道文化むら』へ向かいます。

新幹線で高崎駅まで向かい、さらに高崎駅からJR信越本線で横川駅へ向かうと『碓氷峠鉄道文化むら』に到着するはずです。なお、横川方面へ向かう列車本数は概ね1時間んおきに1本と少なめなので、電車で碓氷峠鉄道文化むらへ行く場合は、事前に乗換案内で確認しておくことをおすすめします。

ビクティニ:久しぶりの高崎だ!どうせなら富岡製糸場みたいな

ミュウ:今はそんな場合じゃないでしょうw

ビクティニ:ははは・・・冗談。

 

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信越本線 横川駅

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横川駅から先は行き止まり

高崎駅から普通電車に乗り継いで約30分・・・・横川駅に到着です。

高崎から出ている『信越本線』ですが・・・見ての通り横川駅で終わっています。

実は24年前、さらにここから先は、軽井沢方面へ線路が続いていたのです・・・。それもそのはず、『信越本線』はもともと高崎から長野、直江津(上越市)、長岡、新津を経て新潟と結ぶ路線であり、後に開通する上越線ができるまでは、東京と新潟を結ぶメインルートとして設定されました。ところが、途中にある『碓氷峠』こそ、日本の鉄道の中でも難所の難所といわれていたのです。

今ではここから軽井沢まで行く鉄道線はありませんが、軽井沢までは路線バスで行くことができます。

 

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碓氷峠鉄道文化むら

ということで、雨の日の中、『碓氷峠鉄道文化むら』に到着です。

ここでは、その碓氷峠を通っていた旧碓氷線(旧信越本線)の歴史を後世に伝えるための博物館として、様々な鉄道車両および鉄道施設などが展示されています。そして、碓氷峠の印象らしく『66.7‰』の標識も展示されており、いかに碓氷峠が厳しい難所であったということを物語っています。

碓氷峠は、大昔から東京から長野・北陸などへ通づる関所として古くから知られてきました。

江戸時代、東海道において『箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川』のごとく箱根や大井川という難所があるように、東京と京都を結ぶ『中山道』においても『碓氷峠』という難所があったのです。明治に入ると、鉄道を敷設するという計画が持ち上がります。

当初は中山道を通じて首都圏と京都を結ぶ鉄道ルートが検討されましたが、地形的に山脈を横切るためあまりにも難工事であることから断念します。そこで、今度は太平洋側と日本海側を結ぶためのルートが提案され、再度鉄道の敷設が開始されます。その中で、『スイッチバック』あるいは『ループ線』、またはその両方の方式で敷設するという案が検討されたものの、碓氷峠のあまりに険しい地形ならびに当時の建築技術などの面から難しかったといいます。最終的にはドイツの鉄道を参考に『アプト式鉄道』が採用されました。

 

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旧信越本線 横川~軽井沢間(碓氷峠)で採用された『アプト式』
そして、これまで中山道を歩いて峠を越えていた旅人たちにとって、碓氷峠に念願の鉄道、信越本線の横川~軽井沢間(『横軽』ともいう)が明治26(1893)年に開通しました。

トンネルの数が26箇所、明治土木特有の煉瓦造りの橋梁が18箇所高低差553メートル線路の敷設区間11.2km、さらに『66.7‰(1kmの距離に対して66.7メートルの高低差のこと)』という条件の下、厳しい敷設工事となったのです。中でも一番大きい橋梁『めがね橋』こと『碓氷第三橋梁』は高さ31メートルあり、過酷な土木工事であったことが分かります。

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3900型蒸気機関車
当初はドイツから輸入された『3900型蒸気機関車』で運行開始、のちに煙突の形を工夫した3920型、そして国産の3980型などのアプト式の蒸気機関車が導入されます。

ところが実際の運用上、横川~軽井沢の所要時間が76分ととても長く、最高時速は約9㎞、1日24往復、さらに位置列車につき10両が限界と非効率的かつトンネルの多い環境などから、SLによるばい煙が問題となりました。

そこで明治後半になると、碓氷線における輸送力増加ならびに安全性を見直すため、SLから電気機関車へ置き換える計画が持ち上がります。その際、当時はまだ電気が普及していなかった電力事情などの面から、火力発電所の新設に加えて、丸山変電所および矢ヶ崎変電所も新設されます。

こうして、信越本線の横川~軽井沢間は、明治45(1912)年に電化され、所要時間も50分に短縮されました。

これは、日本の幹線鉄道における初の電化区間となったのです。また、同時にドイツから輸入されたアプト式電気機関車『10000(EC40)型』日本初の電気機関車でもあります。のちに国産のED40型も導入、そしてアプト時代の碓氷線における主役とも言えるべきアプト式電気機関車『ED42型』が昭和9(1934)年に導入されました。

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アプト式電気機関車『ED42型』
『ED42型』国産のアプト式電気機関車で、合計28両が製造され、戦前から昭和38(1963)年までの長い間、まさにアプト時代の碓氷線の主役として活躍してきたのです。

『アプト式機関車』とは、機関車本体に施された『ピニオン』といわれる歯車と線路の中央部に敷かれた『ラックレール』を噛み合わせることで、碓氷線のような急勾配を安全に列車を通過させることができる鉄道方式のことです。また、ラックレールについているそれぞれの歯の位相をずらすことで、駆動力の円滑化ならびに歯車の長寿命化を図るとともに、歯車とラックレールが深くかみ合わせ、安全に列車を通過させることができたといいます。長編成の貨物列車や優等列車では、軽井沢方面に1両横川方面に3両で列車を挟むように連結し、運行されていたようです。

しかし、旧信越本線の横川~軽井沢間のアプト時代の場合、電化方式が東京メトロ銀座線や丸ノ内線と同様『第三軌条方式(600ボルト)』で電化されており、従来の『アプト式』のままだと、やはり輸送面や所要時間において非効率的であることに変わりありません。そこで、新たに『粘着運転方式』へ移行するという計画が持ち上がり、開業から約70年間活躍してきた『碓氷旧線(信越本線旧線)』こと『アプト式』は昭和38(1963)年をもち廃止となりました。

ちなみに、現在日本でアプト式鉄道が体験できるのは、文化むらの『アプトくん』または大井川鉄道井川線のみです。

 

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EF63型電気機関車

そして、従来の『アプト式』よりさらなる輸送力増加および効率的な『粘着運転方式』を実現するため、『碓氷新線(信越本線新線)』の敷設ならびに碓氷峠専用の補助機関車が開発されることになります。

そこで横川~軽井沢間において碓氷峠を越える列車たちを支えるための補助機関車として、『EF63型電気機関車』が昭和37(1963)年に開発されました。

これは碓氷峠の鉄道を支えた守り神にして『峠のシェルパ』といわれていたことでも有名です。

『EF63型』は、単に貨物列車や客車列車の牽引などを用途とした機関車とは違って、当時のJR(国鉄)において最大の急勾配とされる碓氷峠を越える列車たちを支えることを目的に造られたため、他の機関車には無い特殊な機能や装置などが備わっているのです。例えば、急勾配区間を走行する際の勾配抑速用の発電ブレーキをはじめ、列車の暴走から守るための過速度検知装置(OSR)、非常用として電磁吸着ブレーキ、勾配上で長時間停車した際、ブレーキの空気圧が低下してもブレーキの緩みを防ぐロックシリンダなど、様々な安全装置が数多く備わっています。また、EF62型をはじめ、169系、189系、489系、115系電車などとの協調運転を可能にするため、軽井沢方向に多数のジャンパ栓も施されているのも碓氷峠専用の電気機関車としての特徴でもあります。

実際の運用では、軽井沢方面へ向かう下り列車なら、機関車2台がペアとなって列車を押し上げるように進み、横川方面へ向かう上り列車なら、2台の機関車が先頭に立ち、列車を牽引するように列車を支えつつ『発電ブレーキ』を駆使し、急勾配を下っていました。

★EF63型電気機関車 諸元★

  • 軸重18トン
  • 運転整備重量108トン
  • 最大出力2,550kw
  • 軸配置B-B-B
  • 主電動機MT52型✕6
  • 全長18メートル
これらの性能から考えれば、まさに碓氷峠という急勾配に克服するための電気機関車として活躍したということが伺えます。

やがて、国鉄からJR東日本への移行とともに平成に入ると、『長野新幹線(のちに北陸新幹線)』の建設が始まります。そして、長野新幹線の開業決定とともに、これまで『峠のシェルパ』として活躍してきたEF63型は、平成9(1997)年9月30日を最後に鉄道界から姿を消すこととなりました。それと同時に碓氷線(信越本線横川~軽井沢間)も廃止となり、104年におよぶ碓氷峠の鉄道歴史はこれにて幕を下ろすこととなったのです・・・。こうして廃止から24年が経ち、碓氷峠と厳しい戦いを繰り広げた碓氷線は、今でも深い眠りについているのです・・・。

ビクティニ:一見すると普通の電気機関車に見えるけど、実は碓氷峠を通過する列車たちを支える機関車だったんだね。

ミュウ:これが峠を越えるための機関車だったというのを考えれば、ちょっと変わってるよね。

 

さて、碓氷峠の鉄道の歴史を一通り説明したところで、今回の『EF63型電気機関車』の体験運転について説明すると、体験運転をするには、まず講習を受けなければなりません。

そのEF63を運転するにあたっての講習会は、毎月1回で第三週土曜日にて行われます。講習会受付日は、受ける講習の月より2ヶ月前1日の10時から予約が始まりますが、基本的に電話のみの受付になります。しかも、EF63体験運転は人気が高く、予約開始から数分で締め切られることもザラですので、諦めずに何度も電話をかけ直して予約完了させるメンタルがないと講習まですら行くのは難しいでしょう・・・。

講習料は3万円と結構高めで、講習の内容としては、碓氷線の歴史やEF63の概要および構造、実技講習となります。最後に修了試験がありますが、試験と言ってもそこまで難しいものではないようです(60点以上で合格)。

ということで、講習の内容を一通りまとめると・・・

10時から講習が始まります。午前中は信越本線の横川~軽井沢間の鉄道『碓氷線』についての歴史をはじめ、EF63型の仕組みについての座学を受けます。そして、午後にはビデオ講習からEF63の実技講習を受けます。実技を受けるにあたって、元国鉄OBの方からの指示に従って機関車の点検方法を受けます。その過程で、OBの方が実際に現役当時の碓氷線で運行してきた時のエピソードなどを話したりしました。なるほど、鉄道で碓氷峠を越えるのがとても大変だったのかがよく分かりますね。さて、一通り講習を受けたら、最後に修了試験があります。試験の内容としては、碓氷線の歴史やEF63の操作方法などをまとめた、合計10問の三択問題になっています。これに合格すれば、初めてEF63の体験運転ができるようになり、『体験運転証明書』も発行されます。制帽も支給され、今後EF63型の体験運転を行う場合は、『体験運転証明書』および制帽、軍手(100均でも可)が必須になります。また、予約方法も電話で予約またはHPにログインして体験運転したい日にちを選択し、申し込むことになります。

★興味のある方はこちらからどうぞ★

www.usuitouge.com

 

さて、講習会は修了し、その翌日に体験運転を行うことになりますが、私が予約した時間帯は11時半と遅めな方です。なので、妙義温泉のホテルで宿泊してから再度文化むらへ行くことになります。

 

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妙義温泉のホテル 夕食

ということで、妙義温泉のホテルで宿泊しました。磯部駅からタクシーで3千円と高めでしたが、ホテルの夕食は美味しく、群馬地場産のものを使っているので美味しかったです。

ビクティニ:上州豚のしゃぶしゃぶがうまい!

ミュウ:カニもあるよ!美味しい!

 

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信越本線を駆け抜けるD51『SL碓氷』号

朝はホテルから松井田駅まで送ってもらい、また信越本線で横川駅へ向かいます。ホームへ入ると、何やら人々がホームでカメラを構えています。どうやらここにSLが来るようです。そう、信越本線の高崎~横川間には時々SLが走る路線なのです。しばらくホームで待っていると・・・

遠方から汽笛が聞こえてきます!

そして、轟音とともに目の前をD51が通過!

かつて首都圏から長野や北陸を結んだ特急たちが通った信越本線SLが駆け抜ける姿は、まさに圧巻です!

信越本線は、高崎を起点とし、長野・直江津・柏崎・長岡を経由して新潟を結ぶ路線として敷設されましたが、平成9年の横川~軽井沢間廃止をはじめ、軽井沢~篠ノ井間が第三セクターの『しなの鉄道』へ移行、さらに平成27(2015)年の北陸新幹線とともに、長野~妙高高原間が『しなの鉄道』ならびに妙高高原~直江津間が『えちごトキめき鉄道』への移行とともに、信越本線は部分的に解体されています。同じ『信越本線』でも、群馬県では高崎~横川間、長野県では篠ノ井~長野間、新潟県では直江津~新潟間と部分的に途切れているのは、JRから新幹線と並行する在来線の譲渡がされているからだと考えられています。

 

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横川駅の構内

かつて廃線時の夜には多くの人々で賑わいを見せていた横川駅は、今やSLが走る日だけで賑わう小さな終着駅です。

’90年代後半頃(24年前)までは、たくさんのEF63型が滞留し、長野や北陸方面へ向かう特急たちと連結するための要駅として賑わっていたのです。

そのため、平成9年以前の横川駅の構内は非常に広く、ホームも4番線まである1面3線で、機関車を待機させるための側線も数多く敷かれていました。1番線と3番線の間にある中線も、かつて横川~軽井沢間の鉄道が現役であった名残として感じ取れます。また、列車の連結作業を伴う停車時間を利用して、『峠の釜めし』という駅弁をホームで販売する光景も見られました。乗客もその楽しみとして、『峠の釜めし』は非常に好評で、廃線になってもなおも名物の駅弁として今でも親しまれています。

ビクティニ:デゴイチも最高にかっこいいけれど、この鉄道の歴史にもロマンが感じられる・・・。昔はここにたくさんの特急が通っていたということを考えれば、当時はとても賑やかだったんだろうね・・・。

ミュウ:昔はブルートレインや貨物列車も通っていたのかな?

 

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『碓氷峠鉄道文化むら』の敷地内はかつて『横川運転区』だった
今や多くの鉄道ファンや親子連れ、観光客などで賑わう『碓氷峠鉄道文化むら』は、かつて『横川運転区』、国鉄時代は『横川機関区』の構内であったのです。

例えば、EF63型が入っている建物を見てみれば、碓氷線の現役当時は機関車の保守点検を行うための設備であるということが分かります。また、敷地内に敷かれている線路跡もまさに当時の名残を物語っています。いわば、ここは碓氷峠を越える機関車たちの車両基地だったということですね。

 

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EF63型電気機関車の運転台

さあ、本題の『EF63体験運転』と行きましょう!

まずは、鉄道資料館2Fの受付にて体験運転の証明書を見せ、体験運転料金5,000円(30回目からは4,000円)を支払い、軍手をはめて制帽を被ったら、体験運転の待機所へ。

今回は『通常』なので、指導員の指示の下で点検から運転までの操作を行います。なお、運転回数が10回に達すると『見習い機関士』、30回になると『補助機関士』、50回になると『本務機関士』、400回になると『優良機関士』そして500回に達すると『優秀機関士』の腕章が贈呈されます。

運転台の左側には『自動ブレーキ弁(自弁)』および『単独ブレーキ弁(単弁)』、右側には『逆転ハンドル』および『ノッチ(マスコンハンドル)』、そして中央には速度計をはじめ、電圧計、電流計、ブレーキ圧計、表示灯など、碓氷峠越えに必要な様々な計器が配置されています。右側のマスコンハンドルと逆転ハンドルには、普通の機関車には無い特殊な機能が備わっています。特にマスコンハンドルには通常のノッチの他、『発電ブレーキ』が備わっているのが碓氷峠専用の機関車ならではの特徴であり、主に上り列車(勾配は下り坂)では活用されていました。

 

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EF63型電気機関車 体験運転

操作手順として以下の通りです。

★運転準備★

(1)パンタグラフの上昇

  1. バッテリーNFBを『ON』
  2. 逆転ハンドルを『力行』位置へ(前進または後進)合わせてから『中立』へ戻す。
  3. パンタグラフのスイッチを『全上』(2つともパンタグラフが架線に完全接触しているか確認)

(2)空ノッチ試験

  1. ブレーキシリンダ圧力が390kPaになるように確認(単弁は『緩ブレーキ』位置、自弁は『保ち』位置)
  2. スイッチ整備(ATSおよび各NFBを『ON』)
  3. 後進力行『1~6~OFF』(表示灯が点いているのを確認してから少しずつOFFに戻す)
  4. 前進力行『1~6~OFF』(上記と同様にランプ点灯確認)
  5. 前進発電『B~B9~OFF』(上記と同様にランプ点灯確認)

(3)通電試験

  1. HB又入れ(リセット)、MR・MM送風機NFBを『ON』
  2. 前進力行『1ノッチ→OFF』(表示灯点灯を確認してから戻す)
  3. 後進力行『1ノッチ→OFF』(上記と同様)
  4. HB保ちNFBを『OFF』 『HB遮断』表示灯が点灯するのを確認
  5. HB保ちNFBを『ON』
  6. MR・MM送風機NFBを『OFF』

(4)ブレーキ試験

  1. 単弁を『運転』位置、自弁も『運転』位置に合わせる
  2. 自弁 

    ①感度試験 ブレーキ管圧力を40kPa『減圧』 

    ②漏洩試験 ブレーキ管圧力を60kPa『減圧』 漏洩30秒間で20kPa以下

  3. 単弁 BC(ブレーキシリンダ)圧力確認

  ①作用部の感度試験 緩ブレーキを30kPaずつ3回加圧し、100kPa、3回で緩める。 

  ②圧力試験 急ブレーキ位置390kPa 『ユルメ』位置 戻しバネ確認

★運転台変更(エンド交換)★

(1)№1運転台

  1. 自弁 常用全制動(ブレーキ管減圧量140kPa)
  2. スイッチ整備(ATSおよび各NFBを『OFF』)
  3. 切り替えコック 『2』位置へ合わせる
  4. MR・MM送風機NFBを『OFF』
  5. パンタグラフのスイッチを『全下』位置へ。
  6. 線電圧計が『0V』(パンタグラフ降下)を確認し、パンタグラフのスイッチを『閉』位置へ
  7. 標識灯およびMR・MM送風機NFBを『ON』
  8. 自弁・単弁・逆転のハンドルを抜き№2運転台へ移動

(2)途中の通路機械室にてATS切り替えスイッチ エンド『№2』および上下『下り』へ切り替え

(3)№2運転台

  1. 自弁・単弁・逆転のハンドルを挿入
  2. 標識灯およびMR・MM送風機NFBを『OFF』
  3. パンタグラフのスイッチを『全上』位置へ
  4. 切り替えコック 『1』位置へ合わせる
  5. スイッチ整備(ATSおよび各NFBを『ON』)
  6. 自弁『保ち』位置、単弁『重なり』位置へ
  7. 空ノッチ試験 前進力行『1~S~OFF』(表示灯が点いているのを確認してから少しずつOFFに戻す)
  8. 通電試験 HB又入れ(リセット)、MR・MM送風機NFBを『ON』 前進力行『1ノッチ→OFF』(表示灯が点いているのを確認してから少しずつOFFに戻す)
  9. ブレーキ試験
  • 自弁 『運転』位置 ブレーキ管圧力490kPa BC圧力0を確認 『常用ブレーキ』位置 ブレーキ管圧力60kPa以上『減圧』BC圧力150kPa以上になっていることを確認
  • 単弁 『急ブレーキ』位置 BC圧力390kPa 『ユルメ』位置 戻しバネ確認

★上り坂運転★

  1. 元空気ダメ圧力640~790kPaを確認
  2. 逆転ハンドルを前進力行(PF)位置 マスコンハンドルを『1』ノッチ
  3. 電流確認 BC『0』を確認 1番目のポイントレールまで『6』ノッチ
  4. 1番目のポイントレール通過後、『S』ノッチ 進段完了後、そのまま運転惰行
  5. 2番目のポイントに近づいたら『6』ノッチに戻して通過。
  6. 停止目標に接近したら、ノッチを順次戻し、『3』ノッチへ
  7. 停止目標に合わせ自弁でブレーキ管を40kPa減圧させ『停止』
  8. 停止後、すぐにノッチを『OFF』

★運転台変更★

(1)№2運転台

  1. 自弁 常用全制動(ブレーキ管減圧量140kPa)
  2. スイッチ整備(ATSおよび各NFBを『OFF』)
  3. 切り替えコック 『2』位置へ合わせる
  4. MR・MM各送風機NFBを『OFF』
  5. パンタグラフのスイッチを『全下』位置へ。
  6. 線電圧計が『0V』を確認し、パンタグラフのスイッチを『閉』位置へ
  7. 標識灯およびMR・MM送風機NFBを『ON』
  8. 自弁・単弁・逆転のハンドルを抜き№1運転台へ移動

(2)途中の通路機械室にてATS切り替えスイッチ エンド『№1』および上下『上り』へ切り替え

(3)№1運転台

  1. 自弁・単弁・逆転のハンドルを挿入
  2. 標識灯およびMR・MM送風機NFBを『OFF』
  3. パンタグラフのスイッチを『全上』位置へ
  4. 切り替えコック 『1』位置へ合わせる
  5. スイッチ整備(ATSおよび各NFBを『ON』)
  6. MR・MM各送風機を『ON』
  7. 自弁『重なり』位置、単弁『運転』位置へ
  8. 逆転ハンドル『前進発電(FB)』位置 ノッチハンドル『B9』位置へ
  9. ブレーキ試験
  • 単弁 『運転』位置
  • 自弁 『重なり→運転→保ち』位置へ移動、BC圧力200kPa 『常用ブレーキ』位置にてブレーキ管圧力60kPa以上『減圧』BC圧力上昇を確認 
  • 単弁 『急ブレーキ』位置にてBC圧力200kPa 戻しバネ確認後、『運転』位置へ 

★下り坂運転★

  1. 自弁で3回に分けて緩めて『発車』 発電ブレーキが立ち上がっているのを確認
  2. 2番目のポイント通過後、ノッチハンドルを『B8』に合わせる
  3. 途中のブレーキ扱いは指導員の指示に従う
  4. 1番目のポイントレール通過時に制限速度が5km/h以下になっているのを確認
  5. 停止目標に合わせて停止した後、自弁で常用全制動(ブレーキ管減圧量140kPa)
  6. HB保ち NFBを『OFF』 『HB遮断』表示灯点灯確認後、HB保ちNFB『ON』
  7. 前進力行位置で『1ノッチ→OFF』
  8. スイッチ整備(ATSおよび各NFBを『OFF』)
  9. MR・MM各送風機NFBを『OFF』
  10. パンタグラフのスイッチを『全下』位置へ合わせ、線電圧計が『0V』になっていることを確認
  11. バッテリーNFBを『OFF』

  以上です。

ここまで手順が多いと、初めてやる人は混乱するかもしれません。ましてや、碓氷峠を越えるために設計されているがために、操作も思っていた以上に難しいです・・・。とまあ、昔の車両なのでこんな感じなのかという気持ちで留めておくのがいいでしょう(笑)

ということで、『EF63体験運転』はここまでです。お疲れさまでした!

 

   

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碓氷峠の最急勾配が68‰あった説

さて、鉄道資料館の方も見てみましょう。

資料館を見学していると、碓氷峠の最急勾配のことも展示されています。JR(国鉄)における最大級の急勾配をもつ『碓氷峠』の66.7‰で知られていますが、なんと実際には68パーミルもあったようです。

 

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薄い線の電化とアプト式電気機関車の変遷

日本の幹線鉄道で初めて電化された信越本線の横川~軽井沢間は、明治43(1910)年から電化工事され、明治45年から運行を開始したことから始まります。

日本初の電化が施された鉄道とはいえ、600ボルトの第三軌条方式で電化されたということもあり、トンネルの断面も小さかったので、大正期までの電気機関車も小ぶりです。これは『アプト式』という特殊な鉄道方式が用いられているため、運行しながらの保守が必要であるということから、第三軌条方式で電化された理由だそうです。最初にEC40型で運行され、所要時間も50分に短縮。SLの時と比べると運転環境は確かに良くなりましたが、故障が多く、SLに頼らざるを得ない場合もあったようです。さらにEC40より強力なED40型を導入し、初めて1列車に3両の電気機関車で運行が可能となり、SLによる運行は終了。さらに大型のED41型もスイスから輸入され、台車もボギー台車を装備、初めて過速度検知装置が装備され、一定の速度を超えると自動的にブレーキが掛かる装置が初めてこの形式で採用されます。しかし、スイス製の部品が使われているため、保守が困難なことから2両しか増備されませんでした。

そこで、ED41型をベースにしたED42型こそが日本におけるアプト式電気機関車の決定版とされ、アプト時代の碓氷線の全盛期で活躍しました。これまでのアプト式の電気機関車も含めて2軸の歯車を装備していますが、4両のED42型で約360トンの列車を牽引できたといいます。この時、軽井沢方向に1両、横川方向に3両というスタンスで運行することで、急勾配による転落から列車を守ることができたのです。

 

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アプト式の終焉

そして、長いこと碓氷線を支えてきたアプト式から粘着運転へシフトチェンジするため、新線の建設ならびに複線化工事が決まると、昭和38年をもって幕を閉じることとなったのです。

 

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碓氷新線の建設
かくして、昭和34(1959)年8月に新線の建設が始まり、急増する輸送需要に平均時速16kmのアプト式では対応できなくなり、アプト式は廃止にして粘着式による運行へ移行することが決定しました。

新線の建設に至っては、従来のアプト式と同様66.7‰の路線は残しつつ、電化方式も1500V給電の架電方式へ切り替わることとなりました。そして、昭和38年9月30日に新線への切り替えの完了とともに、70年におよぶアプト式の歴史は幕を下ろすこととなったのです。

碓氷線の建設ルートを決める際、明治22(1889)年の峠越えのルートが三つの案が出され、『中尾ルート』『入山ルート』『和美ルート』のうち、横川と軽井沢を直線で結ぶ『中尾ルート』が選ばれ、そのルートは66.7‰の急勾配を持ち、後に『日本一の急勾配』として知られるようになったきっかけとなったのです。なお、新線建設において建設する際、旧線よりやや南側に蛇行するように敷くか、または入山峠を通るように一部ループ線で通す案もあったようですが、最終的には旧線(中尾ルート)と並行するようなルートで敷設されることになったのです。

 

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峠のシェルパ EF63

このような経緯から、『峠のシェルパ』ことEF63型電気機関車が生まれるきっかけとなりました。

EF63は、碓氷峠における『粘着運転用』に対応するため、軸重18トンにして運転整備重量108トンというハイスペックが採用され、当時の電気機関車としては強力だったといいます。当初は客車列車や貨物列車がメインでしたが、後にヨンサントオのダイヤ改正(昭和43【1968】年10月のダイヤ改正)とともに169系や189系、489系などの電車運行も次第に行われるようになり、EF63と電車との協調運転が開始されます。さらに協調運転が可能な電車の開発も行われるようになり、当初8両が限界だったのが、次第に12両編成までの運行が可能になりました。また、当時は単線だったアプト時代では熊ノ平駅も設定されていましたが、複線化に伴い信号場へ降格となり、これまで給電してきた『丸山変電所』『矢ヶ崎変電所』も廃止となりました。なお、『丸山変電所』は復元されています。

★横川~軽井沢間の列車編成★

客車列車および貨物列車の場合

←軽井沢・長野方面       横川・高崎方面→

EF62+客車列車または貨物列車+EF63✕2両

 電車やディーゼル列車の場合

 ←軽井沢・長野方面       横川・高崎方面→

 電車・ディーゼル列車+EF63✕2両

 

しかし、平成に入り長野新幹線の開業が決まると、平成9年9月30日に碓氷新線も廃止となり、EF63の営業運転も終了。碓氷峠を越える鉄道は消滅することになります。

 

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碓氷峠鉄道文化むら ジオラマ運転
資料館1Fには、HOゲージのジオラマ運転が行われています。

鉄道模型の中には、EF63と特急『あさま』189系をはじめ、ブルートレイン『北斗星』、スーパービュー踊り子、成田エクスプレス253系、169系、489系、サンライズエクスプレス、デゴイチのSL列車、京浜東北線209系など、平成期に活躍した車両たちが走っています。

 

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碓氷峠鉄道文化むらに展示されている車両たち
碓氷峠鉄道文化むらの広場には、かつて国鉄時代で活躍した車両たちが静かに余生を送っています。

デゴイチことD51型蒸気機関車をはじめ、EF63型電気機関車の1号機、EF62型電気機関車、EF58型電気機関車、EF30型電気機関車、EF60型電気機関車、EF65型電気機関車、EF80型電気機関車、EF15型電気機関車、EF53型電気機関車、EF59型電気機関車、EF70型電気機関車の他、キハ20やキハ35などの気動車、DD51型ディーゼル機関車、除雪車、様々な客車も展示されています。

ビクティニ:わあ、デゴイチだ!かっこいい!!みんなぼくの大好きな車両ばかりだ!

ミュウ:定期的に補修もしているみたいだね。いつかボランティアにも参加してみたいかも・・・。

 

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EF63型と189系『あさま』

丘の上には、EF63型189系『あさま』が展示されています。

最後まで碓氷線で活躍したEF63と189系の姿は、まさに名コンビというべき存在感でもありました。

 

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丸山変電所

旧信越本線の線路跡が残る遊歩道を歩いてみましょう。

横川駅から延びる遊歩道の途中には煉瓦造りの『丸山変電所』がそびえ立っています。

『丸山変電所』は、明治45年の碓氷線の電化に伴い建てられたもので、アプト時代の信越本線を支えた重要な設備であったのです。この変電所は2棟の建物からなり、『機械室』『蓄電池室』に分かれ、蓄電池室には峠を越える機関車に必要な電力を312個の蓄電池で賄っていました。そのため、充電中は室内に水素や硫酸雲霧の有害物質が大量に発生するため、窓や引き戸などは換気できるように工夫されています。また、機械室では発電所から送られてきた交流電気を直流電気600Vへ変圧し、蓄電池室の蓄電池や機関車へ送電が行われました。もっとも、電化される前のSL時代はかなり過酷だったことから、当時の機関士や乗務員、乗客にとって碓氷線の電化は期待され、その時に建てられた変電所はまさに助け舟のような存在感でもありました。この変電所の役割として機関車に電力を供給することで、日本の鉄道における近代化に貢献した重要的な鉄道施設として価値が高いものとされました。そのため、平成6(1994)年に国の重要文化財に指定され、平成14(2002)年には復元されています。

なお、このような煉瓦づくりの建造物は、群馬県ではこの先にある『碓氷第三橋梁(めがね橋)』『富岡製糸場』などで見ることができます。

 

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旧信越本線 横川~軽井沢間の線路跡

平成9年9月30日まで様々な列車が通っていた碓氷線こと信越本線の横川~軽井沢間は、今となってはすっかり寂れています。

線路跡には、今では使われなくなった架線柱や信号機、標識、橋梁など、まるで時が止まったかのように、廃線当時のままで残されているのがシュールな雰囲気です。

下り線はトロッコが通っていますが、上り線は遊歩道になっています。平成に入るとともに在来線から新幹線へと交通の要が置き換わっていくと思えば、『時代の流れ』というのは無情なものだなと思わせてしまいます。廃線寸前は多くの人々で賑わっていたのでしょうが、今となっては閑古鳥が鳴くほど静まり返っています。架線柱や使われていない線路などは、いずれ自然に還っていくのでしょうか・・・。その遊歩道を歩く我々は、ただただ見守ることしかできません。

 

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さようなら横川駅

ということで、日が暮れてきたので、そろそろ引き上げるとしましょう。

かつてガンガン特急が通っていた信越本線の高崎~横川間は、SLと211系の普通電車が走っているだけです。

ビクティニ:さっきここにSLがいた時はすごく賑わっていたのに、夕方になると一気に寂しくなっちゃった・・・。

ミュウ:まあ、ここは田舎だからしょうがないのかもね・・・。帰ろうか・・・。

 

『EF63型電気機関車の体験運転をしてきました!』をお伝えしました。

 

★おまけ★

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東武8000系

高崎から八高線を通り、途中の寄居で東武東上線のローカル線で活躍する8000系も貴重なものです。残り少なく、引退も近いと思われるので記録はお早めに。

ビクティニ:夜の田舎の電車も寂しい・・・。

ミュウ:古い電車だけど、なぜかホッとする・・・。

GW道東紀行最終日 道東の春 ひがしもこと芝桜公園にて芝桜鑑賞

みなさん、こんにちは。

道東旅行の最終日となりまして、本日は道東の春を迎える『芝桜』を鑑賞してきました。

 

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ホテル部屋から見る屈斜路湖の朝

ホテルの部屋から屈斜路湖が見えますが、雲に包まれています。でもまあ、ここはもともと霧が発生しやすい場所でもあるので、これも道東ならではの自然の1つといっていいでしょう。湖上に見える黒い島『中島』が見えます。

ビクティニ:みんな、おはよう!今日で道東とお別れか・・・。

ミュウ:朝の湖も涼しげだね。

ゴンベ:むにゃむにゃ・・・もう食べられないっぺ・・・。

シャワさん:起きろ!(みずてっぽう)

ゴンベ:寒い!びゃっくょい!おはようだっぺ・・・。

にょろもう:おはよう・・・。

 

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屈斜路プリンスホテルの庭園

ホテルの庭園もいい感じに心が洗われます。近くに屈斜路湖があるので、道東の大自然にあるホテルは心から癒やされます。

 

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屈斜路プリンスホテルの朝食

庭園を見ながら、道東旅行最後の朝食です。朝食も道東ならではの食材がふんだんに使われていています。中でも、別海町や中標津、釧路の酪農で採れたミルクの飲み比べコーナーもあって、楽しい朝食となりました。

ビクティニ:じゃがバタうまい!

ミュウ:北海道のご飯はおいしいね!

にょろもう:おいしい!

シャワさん:これが道東最後の朝食だと思うとちょっぴり寂しいもんだ・・・。でも・・・うまいぜ!

ゴンベ:いただきますだ!ガツガツ・・・うまいっぺ!

 

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屈斜路プリンスホテルのロビーで記念撮影

さて、朝9時頃に屈斜路プリンスホテルをチェックアウト。

ビクティニ:今日はどこ行くんだい?

ミュウ:今日は芝桜を観に行くみたい。

ゴンベ:芝桜も観てみたいっぺ!

シャワさん:そういえば、この時期は芝桜の季節だったな。

にょろもう:芝桜もみてみたいな。

作者:皆さん、全員そろいましたか?では、出発しますよ。

 

 ★屈斜路湖からひがしもこと芝桜公園までのルート★

屈斜路湖から『ひがしもこと芝桜公園』まではクルマにて50分ほどで到達できます。

屈斜路湖を出発し、昨日訪れた『美幌峠』を通過して美幌町に入り、引き続き国道243号を道なりに進んでいきます。美幌方面へ向かう途中のT字路で道道995号線に入りその道を進んでいけば『ひがしもこと芝桜公園』に到着するはずです。ただ、坂道やカーブが多いので、ちょっとした峠越えになりそうです。とはいえ、交通量が少ないので走りやすかったのですがね(笑)

 

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道東の春

途中で、広大な牧草地に生える二本の桜の木が生える景色を見つけました。

遠くに見える雪山に広大な牧草地、そしてその大地に咲く桜の花・・・まさに北海道の春の風景ですね!まるで小岩井農場の一本桜みたいです。

 

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ピンク色に染まった丘が『ひがしもこと芝桜公園』

さあ、クルマを走らせてかれこれ50分・・・。向こうに見えるピンク色に染まった丘が見えます。そう、あそこが『ひがしもこと芝桜公園』になります。

 

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ひがしもこと芝桜公園 駐車場

『ひがしもこと芝桜公園』に到着しました。

やはり芝桜の時期ということもあり、駐車場には多くの車が停まっています。『ひがしもこと芝桜公園』は、北海道大空町にあり、女満別空港からクルマで30分のところにあり、空港から近いのでアクセスも良いです。

 

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ひがしもこと芝桜公園

道東の春を迎える5月、文字通り『ひがしもこと芝桜公園』では芝桜の開花とともに『芝桜まつり』が開催されています。

あたり一面、丘や花畑は白とピンク色に染まり、道東の春を彩る芝桜は、訪れる者を魅了します。

ひがしもこと芝桜公園は藻琴山の麓に位置し、約10ヘクタールという東京ドーム3個分の広さを持つ、北海道では有数の芝桜の名所です。芝桜が咲く丘の歴史は、昭和52(1977)年にただ一人の農家が1株の芝桜が植えられたのがその始まりとされています。のちに、この地にあった温泉に花を添えるため、近所の農家の人々が協力し、あたり一面の丘にまで芝桜を植えていき、やがては大きな芝桜の花畑へ変貌していきました。これが、現在の『ひがしもこと芝桜公園』となり、多くの観光客が訪れます。道東に咲く芝桜は、5月から6月上旬にかけて楽しむことができます。また、開花状況は、毎日HPでアップされているので、訪問前に確認しておくといいでしょう。

★開花状況はこちらで確認できます(ただし開花は5~6月頃)★

shibazakura.net

 

我々が訪れた時には、まだ3~5分咲のようですが、それでも十分に芝桜が楽しめます。これからはもっと綺麗にたくさん咲くことでしょう・・・(しかし、今年は満開になった頃、緊急事態宣言が繰り出されるとは知る由もなく・・・)

ビクティニ:北の大地の丘に芝桜が咲いている!秩父の芝桜も観たことがあるけど、北海道の芝桜もこれまた美しい!

ミュウ:ピンク色に染まった丘が、北海道の春を物語っているね!

ゴンベ:ああ、お団子でもあったら最高だっぺ。

にょろもう:これが芝桜なんだね。お花の楽園だよ・・・。

シャワさん:見事な咲き具合のようだな!

 

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牛のイラストを彩る芝桜
芝桜が咲く丘には、牛のイラストも描かれています。

これは牛のご当地キャラクターこと『ノンキーくん』だそうです。そう、大空町は空港のある芝桜が美しい町として知られていますが、実は酪農が盛んな町でもあるからなのです。

 

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ゴーカートで芝桜を鑑賞
この公園には、芝桜を様々な角度から楽しむためにゴーカートや遊覧車が用意されています。

ゴーカートは1周820メートルで芝桜を眺めながら1人でも十分に楽しむことができます。

 

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麓から見上げる芝桜の丘

公園内に設けられた遊歩道を歩いてみましょう。

丘の麓から見上げてみると、丘の上には林や桜の木、白樺など、いかにも北海道らしい芝桜の風景が感じられます。丘に立つ木にも桜の花が咲き、丘の向こうに見える青空が明るい風景を醸し出してくれます。

 

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芝桜の丘から見るゴーカート場と東藻琴の農場

丘の中腹から見てみると眼下にゴーカート場が見えたりする公園が、まるで遊園地に来たかのような感覚を覚えます。そして、遠くに見える緑や茶色を彩る農場や山々が北海道らしい風景です。

ビクティニ:二年前に行った富良野・美瑛を思い出すね・・・。

ミュウ:そういえば、美瑛でもゴーカートに乗ったなあ・・・。

 

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丘に咲く芝桜
目の前に咲く芝桜は一つ一つ咲き誇り、絨毯のごとく咲き広がっています。

麓には芝桜の咲く丘、中腹や丘の上に咲く桜の木が、まさしく道東の春ならではの風物詩そのものです。

ビクティニ:芝桜がまるで桃源郷のようだ・・・。

ミュウ:北海道の春はこんなに暖かいものだったんだね。

ゴンベ:あ~、美味しいものが食べられて幸せだったっぺ~。

 

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芝桜公園に咲く桜の花

芝桜公園に生える桜の木にも桜の花が咲いています。5月になってようやく咲き始めた桜の花が見られるのは、遅い春の北海道ならでは。

 

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丘の上から見る東藻琴の風景

今度は丘の上から景色を見てみましょう。

丘の上からは手前には芝桜の花畑、奥には畑や山々の風景・・・。

広大な田園風景や山々の背景に、ピンク色に染まる芝桜の風景は、まさに道東の春を彩る美しい景観です。かつてここは『東藻琴村』で、この公園のある場所も、もともとは白樺や笹、トクサなどが生い茂る村有林でした。しかし、一人の農家が自宅で栽培した芝桜の苗を一つ一つ植栽し、約八年かけて作り上げた大きな芝桜のお花畑道東の観光名所として様変わりしたのです。そして、平成18(2006)年には旧女満別町と合併し、『大空町』として誕生し、いまや大空町は空港のある風光明媚な芝桜が鑑賞できる町へ発展しています。

ビクティニ:遠くに見える田園風景にピンクの絨毯のように広がる芝桜は、春の北海道だね・・・。富良野の花畑とどっちが美しいんだろうか・・・。

ミュウ:ここから見ると、北海道は本当に広いんだなって実感させられるね・・・。

 

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大空の見える芝桜と記念撮影
丘の斜面に咲く芝桜青い空とのコントラストが美しいです。

道東の自然青空の風景が溶け込んだような風光明媚な景色に心が洗われますね・・・。

ビクティニ:みんな、ここで記念写真撮るよ!

みんな:いいよ!

作者:いいですか~?では撮りますよ~、1+1は?

みんな:2~!

(カシャ!)

 

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芝桜の丘と大空
芝桜北の原風景が広がる丘、そして北の大地を覆うような青い空・・・。

どこまでも広がる田園風景芝桜青い大空が織りなす景観が、まさにここが『大空町』という町名にふさわしいです。

ビクティニ:青い空に白い雲・・・。青天と花の楽園だね・・・。例の病気のことなんか忘れてしまいそう・・・。

ミュウ:地面に咲く小さな花に癒やされる・・・。

 

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地面に咲く芝桜
地面の至るところに咲く芝桜にも癒やされます。

遠くから見るだけでなく、足元に咲く芝桜を覗いてみると、自然と心が和みます。

ビクティニ:春の時期は、桜のお花見もいいけど、芝桜の鑑賞も癒やされるよね。

ミュウ:無数に咲く小さな花にも生命力を感じさせるね。

ゴンベ:美味しいものが食べられるのも幸せだけど、たまにはお花見も最高だっぺ~!

にょろもう:やっぱりお花はいいよね。

シャワさん:釧路湿原や知床では、色々なことがあったなあ・・・。

 

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ニジマス釣り
芝桜公園では、芝桜の鑑賞ゴーカートなどが楽しめる他、ニジマス釣りも楽しめます。

この釣り堀で泳ぎ回るニジマスは北海道の川ならどこでも生息しています。ニジマスは一般的に炭火焼きや塩焼きにすると美味しい川魚です。1時間1,500円でできますが、帰りの飛行機の時間ということもあり4匹釣って50分で終了。

 

 

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銀領水

藻琴山から湧き出る『銀領水』という湧き水は飲めます。水質が非常によく、 藻琴山が銀色に輝いている姿から、その湧き水の名前になったのだとか。

 

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ひがしもこと芝桜公園の芝桜とお別れ

さて、女満別空港から出る飛行機は15:10に出発予定なので、もう空港へ行かなければなりません。最後にこの1枚で芝桜とお別れをしたいと思います。春の道東よ、ありがとう!そして・・・さようなら・・・(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

 

 

 

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女満別空港

さて、レンタカーの旅は、女満別でクルマを返却して終わり。

女満別空港からは、飛行機で関東へ帰ります。

ビクティニ:楽しい時間もあっという間に過ぎちゃうもんだな・・・。

ミュウ:そうだね。えーっと確かぼくたちが乗る便はJAL564便、15:10に出る飛行機だったね・・・。

作者:飛行機のチケットは取りましたよ!集合時間の14:30までロビーに集まってください!

ビクティニ&ミュウ:さすが!でも、お腹が空いた。

 

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道東最後の昼食

道東最後の昼食はサーモンいくら丼です。今回の旅で最後のごはんタイムになります。

ビクティニ:いただきます!うまい!北海道で最後のご飯はやっぱりうまい!

ミュウ:美味しい!

ゴンベ:うまいっぺ!

にょろもう:おいしい!

シャワさん:北海道とはもうお別れか・・・。でも、うまいぞ!みんなに自慢したいな。

 

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女満別空港のロビー

女満別空港のロビーには食事ができる他、様々なお土産がそろった売店もあります。

作者:みなさん、揃いましたか?

ビクティニ:OKだい!

ミュウ:あとはゴンベくんたちがトイレから戻ってくるはずだけど。

作者:ちなみに、お土産には定番の『白い恋人』や炊き込みご飯の素、バターまで買っちゃいましたよw

ゴンベ:みんな、おまたせだっぺ!

シャワさん:悪い、待たせたな!

にょろもう:おトイレは済ませたよ!

作者:全員揃いましたね?では搭乗口へ参りましょう!

 

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空港で待機中のJAL564便

さあ、我々が乗るJAL564便 羽田空港行きは既に出発準備に取り掛かっています。

ビクティニ:さらば、道東・・・。

ミュウ:いつかまた来るからね。

 

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飛行機を見送るスタッフの方々

これで、関東へ帰路に就きます。空港では大空町の観光協会のスタッフと思われる方々からお見送りがありました。我々はそのお見送りを受けながら、女満別空港を後にします・・・。

 

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さようなら道東・・・

女満別空港から発った飛行機は、どんどん上昇していきます。女満別の田園地帯から離れ、網走湖や能取湖などを見下ろしながら、飛行機は南下していきます。

ビクティニ:釧路湿原よ、網走よ、知床よ、阿寒湖よ、摩周湖よ、屈斜路湖よ、芝桜よ・・・さようなら・・・。この思い出は決して忘れない・・・。

ミュウ:今回は天気に恵まれていて良かったね。もう大冒険しているみたいでドキドキしちゃった。

 

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飛行機から見る十勝山脈

十勝山脈の見える北海道の大陸からはどんどん遠ざかっていき、やがては本州の太平洋側上空を飛行していきます。

 

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関東に到着する飛行機

北海道の大陸から抜けた飛行機は東北地方を通過し、やがては関東へ入っていきます。そして、東京の都心部も見えたところで徐々に高度が下がり、羽田空港に着陸しました。

 

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羽田空港に到着

17時ちょうど、羽田空港に到着しました。

ここで、今回の北海道旅行はおしまいです。

みなさん、最後までご閲覧ありがとうございました!

ビクティニ:お疲れ様。

ミュウ:北海道の旅は楽しかったね!

作者:お疲れさまでした!これにて道東紀行は終了です!

 

2021年『GW道東紀行』 終わり

 

GW道東紀行5日目 道東三湖 阿寒・摩周・屈斜路カルデラ湖めぐり

皆さんこんにちは。

5日目は、『道東三大湖』といわれる、阿寒湖をはじめ、摩周湖屈斜路湖の三つの湖を回ります。

いずれも晴れの日に行ってきたので、初めて湖の全景が見れました。

 

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朝方の阿寒湖と雄阿寒岳

阿寒湖の静けさと雄阿寒岳のシルエットが穏やかな朝を迎えます。

 雄阿寒岳のてっぺんから見える朝日が優しく阿寒湖の湖面を照らしてくれます。

ビクティニ:朝の阿寒湖もキレイだね。

ミュウ:鳥のさえずりも聴こえてくるね。

 

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朝食

阿寒湖のホテルでの朝食は、目の前に見える阿寒湖を眺めながらいただきます。

ビクティニ:いただきます!目の前の阿寒湖を見ながらの朝御飯もこれまた格別!うまい!

ミュウ:昨日は昼御飯すら食べなかったことを考えると、特別に美味しく感じるね(^^

にょろもう:カレーうまい!

ゴンベ:和食もうまいっぺ!

シャワさん:サラダもうまい!

 

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阿寒湖の湖畔を歩くエゾシカの群

そして、朝食を食べている最中に・・・なんと目の前の阿寒湖の湖畔をエゾシカが何匹か通っていきました!昨日の阿寒湖への夜ドライブの時も何度か出会したかと思えば、朝食の時にエゾシカの群れが見れるとは思いにも寄りませんでした。夜や夕方だけでなく、早朝でも野生動物の活動があるものなんですね・・・。

 

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阿寒湖遊覧船 乗り場

阿寒湖の観光遊覧船で回るのが定番です。

阿寒湖には『毬藻(マリモ)』が生息する湖として全国的に有名で、この乗り場の売店や周辺のお土産屋などで売られています。

阿寒湖を回る遊覧船は、この桟橋にあるチケット売り場で購入できます。また、宿泊施設では遊覧船の割引券も用意されていたりするので、阿寒湖ホテルに泊まった後で、遊覧船に乗ると少し安く乗船できるのも嬉しいところです。しかも、昨日泊まったホテルのすぐ近くに遊覧船のりばがあるのも分かりやすいです。

 

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阿寒湖の遊覧船
遊覧船雄阿寒岳をバックにやってきました。

昨日乗った知床の観光船と似ていますが、こちらは湖を回るので、知床のオホーツク海を回る知床観光船と違った道東の景観が楽しめます。阿寒湖の遊覧船の名前は『ましゅう丸』だそうです。

阿寒湖の遊覧船は阿寒湖を1周するように回るコースで、小島や大島の脇から通り、滝口の入り江を回って雄阿寒岳側の岸を沿うようにチュウルイ島へ向かいます。チュウルイ島でマリモの見学を15分ほどしてから直接温泉街の桟橋へ戻るという合計85分のコースになっています。大人一名で2,000円で楽しむことができ、そのうちマリモ展示観察センターの見学料が含まれています。 

遊覧船のご案内:阿寒観光汽船

 

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阿寒湖の入り江
阿寒湖は、入り江が多いのも特徴な湖です。

このあたりは『滝口』といわれるエリアで、新緑紅葉など、四季折々の景観を楽しむことができます。周りが木々に囲まれた入り江の中を、船の後方から見てみれば、恰もマングローブの中をクルージングしているかのような感覚を覚えます。

ビクティニ:前回来た時は霧に覆われていていたけれど、今回は晴れの時に見れてよかったね。やっぱり北海道旅行はGWの時がいいのかもしれないね。

ミュウ:ここも枯れ木が目立つね。夏になれば、緑でいっぱいかもね。

 

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阿寒湖 滝口
入り江の奥には、恰も湖面に浮かぶ庭園のごとく風光明媚な光景が広がります。

このあたりは阿寒湖の景勝地であり、阿寒湖において唯一の流出河口になっています。この入り江では、阿寒湖の水がここから阿寒川へ流れ出ているため、その様子が恰も滝のようであることから『滝口』と呼ばれています。冬になるとハクチョウも集まる場所にもなります。この滝口よりさらに阿寒川方向の奥には『太郎湖』『次郎湖』があり、阿寒湖から流れた水はこの奥にある『太郎湖』を通じて阿寒川へ流れ出ています。

 

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雌阿寒岳と阿寒富士

阿寒湖の西側には『雌阿寒岳』をはじめ、南岳、東岳、瘤山、剣ヶ峰などの成層火山がそびえ立ち、それらの山々を合わせて『阿寒山群』と呼んでいます。

雌阿寒岳の南側(阿寒湖から見て奥の方)には『阿寒富士』があり、その西麓にはオンネトーやポントーなどの小さな湖が点在しています。

雌阿寒岳は、約2万年前から火山活動が始まり、何度も噴火が繰り返されたことで、十の山々が複雑な山体を形成しました。これを『複式火山』といわれていますが、主峰のポンマチネシリは標高が1499メートルあり、これは約4千年前に出来たもので、現在でも火山活動を続けています。雌阿寒岳の中心とされる『中マチネシリ』が噴火した影響で、その山頂に直径1.1kmある外輪山(第一火口)が生じました。続いて、火口中腹に第二火口と溶岩円頂丘、その北西部に第三火口が開き、その中マチネシリの南側にそびえる北山、西山、ポンネアンチシが寄生火山として成長しています。

一方、阿寒富士(標高1476メートル)は約2千年前に誕生し、山麓部にはアカエゾマツ、トドマツなどの森林に囲まれ、標高1000メートル付近にはハイマツが密集、さらに1100メートルを越えれば岩石や砂れき帯になっているのが特徴です。雌阿寒岳には、『メアカンキンバイ』をはじめ『メアカンフスマ』、『エゾノマルバシモツケ』、『ガンコウラン』などの高山植物が生えています。

雌阿寒岳はアイヌ語で『マチネシリ(女山)』と呼ばれています。

 

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雄阿寒岳

阿寒湖を挟んで、雌阿寒岳の反対側には『雄阿寒岳』がそびえ立ち、阿寒湖から見て東側に位置しています。

標高は1370メートルあり、アイヌ語で『ピンネシリ(男山)』と呼ばれています。

かつては活火山でないとされていましたが、過去1万年以内には噴火していたことが判明されたことから、平成23(2011)年に活火山に認定されています。雄阿寒岳は、安山岩質の地質を持つ成層火山です。また、溶岩ドームを持つカルデラ火山でもあり、火山活動は1万4千年前から始まったとされています。山麓から中腹までトドマツやアカエゾマツ、ダケカンバなどの亜高山帯針葉樹林に囲まれていますが、エゾマツは少ないようです。その山に生える高山植物は雌阿寒岳や知床などと比べると少なめですが、イワウメやスミレ、ツマトリソウなどの高山植物が生えています。

 

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チュウルイ島

阿寒湖にはいくつか島が浮かんでおり、大島、小島、チュウルイ島、ヤイタイ島の4つの島があります。

それら4つの島のうち、『チュウルイ島』のみ上陸できます。

このチュウルイ島では、『マリモ展示観察センター』があり、阿寒湖に生息する『毬藻(マリモ)』の生態を見学することができます。上陸時間および鑑賞時間が15分ほどになっています。本来ならほぼ1時間おきに来るので、事前に次の便まで見学ができるようになっているはずでしたが、今回は例の病気の影響もあってか、1日4便しか来ませんので、乗り遅れたら大変です・・・。

 

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チュウルイ島 島内

島内は小さな島とはいえど、結構森深く、マリモ以外にも様々な昆虫や野鳥などが多く生息しています。運が良ければ見れることもあります。

ビクティニ:ここは自然に囲まれていいところだよね。鳥の鳴き声も聴こえてくるし。

ミュウ:でも今回は例の病気のせいで減便しているみたいだから、なるべく早めに見学しようよ。

 

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チュウルイ島から見る雄阿寒岳と雌阿寒岳

チュウルイ島の展望台からは阿寒湖をはじめ、雄阿寒岳雌阿寒岳阿寒湖温泉街、様々な山々が背景に見えます。ここも前回訪れた時は霧がすごく、ほぼ見れませんでしたが、今回は青々しい阿寒湖に雪山のような阿寒山群が見えます。

ビクティニ:昨日の知床五湖も広かったけれど、阿寒湖は大きいよね。湖の向こうに見える山の景色まで綺麗だし。

ミュウ:このあたりの湖の底にはマリモがたくさんいるんだよね。

 

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マリモ展示観察センターに展示されている毬藻(マリモ)

『マリモ展示観察センター』では、水槽には多くの毬藻(以下マリモ)が展示されており、マリモの生態についての解説も分かりやすく掲げられています。

阿寒湖に生息するマリモたちは、国内おいて大小の個体が群生しているのはこの阿寒湖だけとされています。

阿寒湖は、周辺の火山活動によって誕生した湖ということもあり、マリモの成長を促す湧き水、生育形を多様化させる底質、さらにマリモを適度に動かすための風波など、唯一マリモが生息しやすい環境条件が全てにおいてクリアされているからだと考えられています。阿寒湖でマリモが発見されたのは明治末期の明治30(1897)年のことで、ある植物学者が雌阿寒岳の気象観測調査のため、偶然に訪れた阿寒湖で見つけた緑色の球体がその『阿寒湖のマリモ』として後世へ知れ渡っていったのです。しかも阿寒湖に生息するマリモの個体数が6億5千万個にもおよび、このように球体状になっているマリモが多く生息する阿寒湖は、日本中はおろか世界的に見てもほんの一握りしかないほど珍しいと言われています。そのため、阿寒湖のマリモは『国の特別天然記念物』に指定されています。ちなみにアイヌ語では『トーラサンペ(湖の御霊)』という名前から、あるいは『スカナキップ(丸いもの)』のいずれかが後に『毬藻(マリモ)』という和名で呼ばれるようになったと言われています。

ビクティニ:これが阿寒湖のマリモ・・・近くで見ると大きいよね。

ミュウ:数も多いし、植物なのか生き物なのか・・・。

シャワさん:マリモはね、一見すると植物に見えるけど、実は『藻(も)』の仲間なんだ。海でいうとわかめや昆布などと同じものだな。

にょろもう:きれいな水の中で暮らしているから、この湖はマリモたちにとっても暮らしやすいのも分かるね。

ゴンベ:マリモでっかいっぺ!

 

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大型球状体のマリモ
阿寒湖には大小のマリモが数多く確認されていますが、中でもこのような大きい球状体のマリモも数多く確認されています。

このように大きな球状体のマリモが生まれるのは、世界的に見ても、この阿寒湖だけとされています。しかも、直径15cm以上におよぶ個体は、なんと10万湖程度。これだけ大きなマリモが生成されているということは、阿寒湖はそれだけマリモが生息しやすい環境であるということがよく分かります。

 

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毬藻(マリモ)が生息する阿寒湖

マリモが多く生息する『阿寒湖』は道内において五番目に広い湖です。

阿寒湖は、周辺が多くの火山群に囲まれ、約15万年前の噴火によって誕生した、いわゆる『カルデラ湖』です。

阿寒摩周国立公園に位置する阿寒湖は、言わずもがなマリモの生息地ですが、他にもアメマスやイトウ、コイ、ニジマスなどの魚も多く生息し、この湖で釣りに来る人も多くいます。また、冬になるとワカサギ釣りで賑わいます。

阿寒湖には、『マリモの唄』が古くから歌われ、この遊覧船でもその唄を聴くことができます。この唄は昭和28(1953)年に安藤まり子氏が歌い、阿寒湖に伝わるアイヌの悲恋をテーマにしたのだそうです。

  『マリモの唄』

  唄:安藤まり子 作詞:岩瀬ひろし 作曲:八洲秀章

  1. 水面をわたる 風さみし 阿寒の山の 湖に 浮かぶマリモよ なに思う マリモよマリモ 緑のマリモ
  2. 晴れれば浮かぶ 水の上 曇れば沈む 水の底 恋は悲しと 嘆きあう マリモよマリモ 涙のマリモ
  3. アイヌの村に 今もなお 悲しくのこる ロマンスを 歌うマリモの 影さみし マリモよマリモ 緑のマリモ

ビクティニ:これが『マリモの唄』・・・改めて聴いてみると悲しい青春を感じさせられる・・・( ;∀;)

ミュウ:阿寒湖らしくもの寂しい感じが伝わって来るね・・・。

 

★阿寒湖遊覧船の旅★


www.youtube.com

 

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アイヌコタン

阿寒湖の温泉街には、『アイヌコタン』という名所があります。

アイヌコタンの『コタン』はアイヌ語で『集落』を意味しています。

阿寒湖アイヌコタンは、前田一歩園財団の三代目園主こと、前田光子氏がアイヌの生活を守るために店や住まいのための土地を無償で提供したことから始まった場所と言われています。そのため、全道各地からアイヌが集まり、様々なアイヌ文化が持ち寄せられたのです。その中でも、阿寒湖のアイヌコタンでは、各々のアイヌ文化の伝統が引き継がれ、様々な伝統が混ざりあったことで、独自のアイヌ文化へと発展した町でもあります。

阿寒湖アイヌコタンでは、アイヌの伝統文化が受け継がれた生活が今でも営み、アイヌ独自のお店が立ち並び、主に木彫りの工芸品や生活用品などがお土産として売られています。もちろん、マリモの瓶詰めも売られています。

ビクティニ:これがアイヌの文化か・・・。なるほど、確かにどこか異国情緒を思わせる雰囲気だ・・・。

ミュウ:門の上に飾られているフクロウの木彫りもインパクト感あるよね。

作者:確かにどれもセンスの良い木彫りのお土産がいっぱいですな。ちなみに、私は定番のマリモの瓶詰めや木彫りの写真立てを買いました。

 

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アイヌ古式舞踊
『阿寒湖アイヌシアター(イコロ)』では、アイヌの『古式舞踊』をはじめ、『ロストカムイ』『火のカムイの詩』など、北海道のアイヌ文化ならでは詩や踊りが鑑賞できます。

中でも阿寒湖で受け継がれた古式舞踊は有名で、かつてアイヌがカムイ(神々)から作り方を教わった祭具『イナウ』をモチーフに披露されます。『イナウ』とは、それそのものがカムイであり、この地に現れる時に捧げるための供え物とされ、カムイの世界に送る土産でもあるのです。イナウは、アイヌとカムイを繋ぐ意思疎通を図るための仲介役であり、真の気持ちを正しい気持ちで伝えるのを補ってくれる大きな役割があります。それが歌と踊り、そして祈りなのです。

アイヌ古式舞踊は1回30分1,500円で楽しむことができ、本来なら11時から楽しむことができます。しかし、この日は例の病気の影響ということもあり、夜の20時から開園のようです・・・orz

阿寒湖アイヌシアター〈イコㇿ〉 - 阿寒湖アイヌコタン

 

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途中のパーキングから見る雄阿寒岳

さて、阿寒湖を楽しんだところで摩周湖へ行ってみましょう。

途中にあるパーキングからは阿寒湖とは違った角度で雄阿寒岳が見れます。

ビクティニ:ここから見る雄阿寒岳は、まるで富士山に見える・・・。

ミュウ:確かに富士山に見えるね。こないだ行った田貫湖を思い出した・・・。

 

★阿寒湖から摩周湖(第三展望台)へのルート★

 

 

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摩周湖第三展望台

 阿寒湖からクルマを走らせて1時間弱で摩周湖にやってきました。

やってきたのは、『摩周湖第一展望台』よりさらに奥へ行ったところにある『摩周湖第三展望台』です。

駐車場は道の路側に配置されており、大型の観光バスがこないので、人気を避けてじっくり摩周湖の全景を楽しみたいなら、まさにうってつけの展望台です。この展望台は、第一展望台より湖に近く、標高もさらに高い場所にあるため、定番の第一展望台とは違った角度や高さでより迫力のある摩周湖を見ることができます。ただ、標高が高いこともあり風も強いので、帽子やカメラなどの私物が飛ばされないように注意しましょう。湖に落としたら拾えません。

ビクティニ:お~!!これが第三展望台から見た摩周湖だ!そういえば以前行った時は第三展望台まで行かなかったし、霧で全然見れなかったけれど、今回はきれいに見えるよ!深い谷に青い湖・・・まさに秘境の場所でこんなに大きな湖を見たのは初めてだ!(*゚∀゚)

ミュウ:でも、風が強い・・・(>ω<)

作者:すごい高さだ!十分迫力のある高さですな!でも、帽子を落としたらえらいこっちゃ・・・。

 

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深い谷に囲まれた摩周湖

摩周湖も阿寒湖と同様、約7千年前の大規模な噴火によって成形された窪地に水が溜まったカルデラ湖の1つです。

摩周湖は日本一かつ世界的に見てもトップ級なほど透明度の高い湖で、写真で見てもお分かりのように、周りが深い谷に囲まれた場所にあります。

あまりの透明度から青以外の日光などの反射が少ないことから、よく晴れた日には『摩周ブルー』といわれる碧色を纏った神秘的な湖が見られます。さらに、湖の周辺は深い谷や断崖絶壁に囲まれている上、風も強いため、先ほどもお話した通り湖に降りることができません。この湖は前日に訪れた知床五湖と同様に、流れ入る川も流れ出る川も無いので、水位は一定に保たれています。水深が212メートルあり、周辺のカルデラ壁も数百メートルあるので、摩周湖の深さは相当なものであるということが分かります。この湖も『阿寒摩周国立公園』に位置し、アイヌ語で『カムイトー(神の湖)』といわれています。まさに人を寄せ付けぬ『秘境の湖』にして『神秘の湖』ですね!

湖の中央部に浮かぶ小さな島は『カムイシュ島』で、湖に突き出すようにそびえ立つ大きな山は『摩周岳(カムイヌプリ)』です。

 

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斜里岳方向(北側)を見る摩周湖
摩周湖の北側を見てみましょう。

摩周湖のさらに向こうに見える写真左側には、斜里岳が見えます。ということは、摩周湖から見れば、知床半島とは目と鼻の先にあるということが分かります。さらに写真右側の奥の方には『裏摩周展望台』がありますが、ここから行くとかなり遠回りになってしまうため、行くのが大変かと思われます。

 

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釧路方向(南側)を見る摩周湖
続いて南側も見てみましょう。

南側も摩周湖が続いています。そして右側の岸(谷)には『摩周第一展望台』があります。というか、目の前に広がる大きくて高い場所から見る摩周湖を眺めつつ、時々風切り音が聴こえてくるのが、ちょっと不気味です・・・(・_・;)

 

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『カムイシュ島』がより近くで見れる第三展望台

第三展望台から見る摩周湖の景観は、第一展望台と違い、その湖に浮かぶ『カムイシュ島』や『摩周岳』が一層近い距離で見ることが出来るのも、第三展望台ならではの楽しみ方です。また、6月から10月にかけては霧が発生しやすい場所であるため、早朝には摩周湖の湖面を覆う『雲海』を見ることができます。

ビクティニ:ここの展望台から摩周湖を見てみると、湖に浮かぶ島がはっきり見えるね。

ミュウ:それに湖との距離感もまるで違うよね・・・。

 

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第三展望台の西側には硫黄山も見れる
第三展望台の駐車場側からも眺望ができ、硫黄山も見れます。

山の麓に見える湖は、一見屈斜路湖に見えますが、『キンムトー』という小さな湖のようです。屈斜路湖は、硫黄山のさらに向こうにあります。眼下に見える農村が、道東の広さが感じ取れます。

 

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摩周湖第一展望台

続いて第一展望台から摩周湖を観てみましょう。

摩周湖第一展望台は、摩周湖を眺める定番的な展望台です。

しかし、定番な場所にあるだけあり、第三展望台の駐車場は無料なのに対し第一展望台の駐車場は有料500円で観光バスや路線バスも停まります。

第一展望台から見る摩周湖の景観も十分に楽しめます。先ほどの第三展望台より3~4kmほど南側にあるため、第三展望台からの眺望は180°のパノラマで見ることができますが、こちらの第一展望台からの眺望はほぼ一定の方向からしか見れません。しかし、一定の方向からしか見れない分、カムイシュ島や摩周岳や斜里岳をまとめて見れるので、記念撮影スポットとしては最適かもしれません。

ビクティニ:さっきの展望台からは島や摩周岳が間近で見れたけれど、第一展望台から観てみると、島が小さく見える。

ミュウ:湖の向こうには斜里岳が見えるね・・・。

 

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摩周湖第一展望台で昼食
摩周湖を眺めたところで、昼食にしましょう。

摩周湖の昼食は、定番の『弟子屈ラーメン』と焼きとうもろこしをいただきます。ちなみに『弟子屈ラーメン』は弟子屈町のご当地ラーメンだそうですが、野菜の旨みと味噌ベースのスープの旨味が詰まっていて美味しかったです。

ビクティニ:昨日は昼食すら食べれなかったけれど、『弟子屈ラーメン』という味噌ラーメンがとっても美味しいんだよね。いただきます!・・・うまいッ!!(煉獄さん風風) やっぱりご当地の味噌ラーメンは美味しいね!

ゴンベ:トウモロコシもうまいっぺ!

ミュウ:スープも美味しいね!

にょろもう:コーンの甘味が効いていて美味しい!

シャワさん:摩周湖の展望台のレストランには美味しいものが提供されているのが嬉しいよなwうまい!

 

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屈斜路プリンスホテルの部屋から見える屈斜路湖

さて、摩周湖を観た後は、これまで買ってきたお土産を自宅に送るため、一度ホテルへチェックインします。さらに脚立と小さな荷物だけ持って美幌峠で撮影に参ります。

屈斜路湖の湖畔にあるプリンスホテルが今回の旅行で最後の宿になりますが、このホテルの客室の窓からは、目の前に屈斜路湖が見れるのもかなりの魅力だったりするので、2年前の北海道旅行でも泊まったことがあります。

ビクティニ:おお、屈斜路湖だ!自然の中にあるホテルっていいね!

ミュウ:2年前は霧で見れなかったんだよね・・・。

 

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美幌峠

屈斜路湖の見える『美幌峠』にも足を運んでみましょう。

『美幌峠』は、文字通り弟子屈町から屈斜路湖・美幌方面へ国道243号を道なりに進んでいくと、カーブや急勾配が続く坂道を登った『道の駅 ぐるっとパノラマ美幌峠』にあります。しかし、国道243号は主要道路で時々大型車両やトラックがよく通るので、ドライブでの訪問の際はくれぐれもご注意を・・・。また訪問の際、自転車でもいけますが、路肩が狭い箇所が多いため、対向車などには注意が必要です。。

さて『美幌峠』ですが、標高は約525メートルあり、その峠の眼下には屈斜路湖があります。ちなみに、ここはかの有名な映画『君の名は』の舞台として登場した場所でもあります。

 

ビクティニ:うわ~!スゲェ!ここから下は屈斜路湖が見えるよ!遠くから見ても、かなり大きい!

ミュウ:湖の島もずいぶん大きいよね~。どうやったらあんなに大きくなるのかな?

 

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美幌峠から見た屈斜路湖

屈斜路湖『阿寒摩周国立公園』にあり、阿寒湖や摩周湖と同じカルデラ湖です。

しかし、この湖で最大の特徴を述べるべき点は・・・なんと日本最大のカルデラ湖だということなのです!

水深は117メートルと摩周湖ほど深くないものの、面積は79.5k㎡あり、日本にある湖の中で六番目の広さを持ちます。これは約3万年前、周辺の藻琴山やサマッカリヌプリなどの火山の噴火活動によって、火山が円型に陥没。その陥没した地形が『屈斜路カルデラ(いわゆる屈斜路湖の原型)』といい、現在の屈斜路湖に至ってはその火山活動や地殻変動によって形成されたものといわれています。また、先日に川下りした釧路川もこの湖から流れています。

この湖には、先ほどの摩周湖にあったカムイシュ島より明らかに大きな島が浮かんでいます。あれは『中島』という島で、面積は5.7k㎡、周囲12㎞もあり、日本の湖にある島の中では一番大きいものです!さすが北海道!何もかもスケールが大きいという印象があるのも頷けます。『中島』は、周辺の火山活動によってできたものであり、溶岩円頂丘が貫入しています。

写真右側に突き出している半島は『和琴半島』です。その半島も火山の活動によってできたもので、大昔は火山の溶岩ドームだったのです。そのため、その半島では地熱が高く、冬でも凍結しないという、冬は凍結する北海道では珍しい場所でもあります。

また、屈斜路湖周辺には至るところで温泉が湧き出ており、この湖の東岸にある『砂湯』は砂浜を掘ると温泉が出てきて入れるという野趣的かつ珍しいスポットもあります。

ビクティニ:こんなに大きな島が浮かぶ湖って珍しいね。あの湖自体も大きいってことは、結構深いんだろうね・・・。

ミュウ:さっきの摩周湖も風がすごかったけど、ここも風が強いよ・・・(><)

 

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美空ひばり『美幌峠』
展望台では、美空ひばり氏が唄う演歌『美幌峠』の生歌が石碑から流れてきています。

『美幌峠』の歌は、演歌らしい音楽とともに、道東の自然や景観、そして屈斜路湖と美幌峠らしい風景を物語っています。特に『最果て』、『霧』、『雪』など、道東の自然ならではの美しさや静寂な景観が上手く表現されているので、心が癒やされます・・・。

 

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天下の絶景といわれる美幌峠
美幌峠は、天気の良い日には眼下に広がる屈斜路湖が見下ろせる大パノラマです。

屈斜路湖の奥には、硫黄山や摩周岳が見え、さらに向こうには知床連山や斜里岳も見える、道東の大自然に包まれた絶景スポットです!先ほどの摩周湖と同様、カルデラ湖というだけあって、峠から見下ろす湖の絶景はとても絵になります。さらにちょうど夕暮れ時なので、夕陽の光を浴びた屈斜路湖も一段と美しく感じます。しかし、こんなに雄大な絶景が見れる一方で、時期によっては雲海が見れることもあります。

実は二年前にもここを訪れたことがあったのですが、当時はあまりの悪天候で全く湖が見れなかった記憶があります。しかし、今回GWの時期に訪れてみて、こんなに美しい雄大な屈斜路湖の絶景が見れたのは初めてです!

 

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屈斜路プリンスホテルに宿泊

美幌峠を観終えた後は、ホテルに戻ります。

二年前の北海道旅行でも、このホテルにお世話になったことがありますが、屈斜路湖が近くにあるので、北海道の自然を肌に感じながら過ごすのには、うってつけです。

ビクティニ:美幌峠から見る屈斜路湖が大きくて迫力があった!

ミュウ:あの峠も風がとっても強かったね・・・。

travel.rakuten.co.jp

 

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プリンスホテルのすぐ近くに屈斜路湖

プリンスホテルの近くには屈斜路湖の湖畔があります。こんな近くに湖畔があるホテルも珍しいですね。湖畔からは、屈斜路湖の中島や遠くに見える山々の背景が、いかにも大自然の中に居ることを物語っています。

 

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屈斜路湖クッシー伝説?

ところで、屈斜路湖には『クッシー伝説』があるというのをご存知でしょうか?何を隠そう『クッシー』といわれる海獣は、1970年代に目撃したとされる未確認生物のことでです。それを目撃したのは1973年に偶然遠足に来ていた中学校の生徒たちで、ネス湖にネッシーがいたのと同じように、屈斜路湖でもそれにあやかって『クッシー』という名前が付けられていたそうです。

 

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屈斜路プリンスホテルの夕食

今宵の屈斜路プリンスホテルの夕食です。今回の旅行で最後のホテルの夕食はビュッフェスタイルでとても美味しかったです。

ビクティニ:最後の夕食は豪華だ!いただきます!うまい!!

ミュウ:北海道らしい食材もふんだんに使われていて美味しい!

シャワさん:うまい!!知床でお昼ご飯が食べられなかったのがうそのようにうまいぜ!

ゴンベ:うんまいっぺ~!!

にょろもう:北海道最高!!

 

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屈斜路プリンスホテルに展示されている四季折々の道東風景写真

屈斜路プリンスホテルの館内には、道東四季折々の風景写真が飾られています。美幌峠や屈斜路湖の風景写真の他にもキタキツネの写真も展示されています。

 

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阿寒湖のホテルでもらったメロンパンと『白い恋人ドリンク』をいただく

今朝、阿寒湖のホテルをチェックインする際にもらったメロンパンとホテルの売店で売られている『白い恋人ドリンク』をいただきました。阿寒湖のホテルでは必ずといっていいほどもらえたりするので、とてもありがたいです。また、北海道の観光地やホテルの売店などで売られている『白い恋人』のお菓子をドリンク版にした『白い恋人ドリンク』もココアみたいで美味しかったです。

ビクティニ:以前に阿寒湖のホテルに泊まった後、たしかメロンパンくれたような気がするな・・・。甘くて美味しい!北海道らしいうまさ!

ミュウ:『白い恋人』のジュースも美味しいよ!

 

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屈斜路プリンスホテルの部屋で道東最後の夜を過ごす

今回の道東旅行で最後のホテルで一夜を過ごします。

屈斜路湖の夜の静けさとともに、道東最後の夜を過ごすにふさわしいです。

ビクティニ:いつも家で寝る部屋より寝心地が快適・・・おやすみなさい・・・。

ミュウ:明日で北海道から帰るんだね。

ゴンベ:でも、美味しいものがいっぱい食べられたから満足だっぺ~。

にょろもう:たくさんの自然を見てきたけど、どれも心が洗われたよ・・・。

シャワさん:特に知床にいた時は、本当に冒険でもしている感じだったよ!

 

『GW道東紀行5日目』終わり

最終日へ・・・。

 

GW道東紀行4日目 世界自然遺産“知床”名所めぐり!

皆さんこんにちは。

今回は、世界自然遺産とされる知床の大自然を回ります。

 

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知床のホテルの朝

朝の知床は鳥のさえずりが聴こえてくるように、爽やかです。まるで昨日までの悪天候とは打って変わって晴れています。

作者:皆さん、おはようございます!

ビクティニ:おはよう!

ミュウ:おはよう!

にょろもう:・・・おはよう・・・。

シャワさん:おはよう!

ゴンベ:ZZZ・・・

 

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朝食

知床の朝ごはんも美味しかったです。

ビクティニ:朝食も知床らしく海鮮ものが使われていてうまい!

ミュウ:スイーツも美味しい!

ゴンベ:お茶漬けもうまいっぺ!

にょろもう:ホタテも美味しい!

シャワさん:塩辛もうまい!

 

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知床観光船『おーろら』

朝10時頃にホテルを出発して知床観光船『おーろら』に乗船します。

知床の観光といえば、オホーツク海から知床半島を眺める観光船は外せません。

知床の遊覧船には大型船だったりクルーザーだったり色々ありますが、今回は初めてなので、大型の遊覧船で乗船します。大型船は、クルーザーと違って振動が少ないため、快適に知床を満喫したい人や船酔いが心配な人にはおすすめします。また、低速で走行する分、バードウォッチング様々な名所のシャッターチャンスも撮れやすいのも大型船ならでは。

ちなみに、この観光船には『カムイワッカの滝航路』『秘境知床岬航路があります。カムイワッカの滝まで行く『カムイワッカの滝航路』は、知床の自然を気軽に体験できる1時間半のコースです。観光に時間がない人や知床の色々なスポットを回りたい人にはおすすめです。一方、『秘境知床岬航路』は、とことん知床の大自然を満喫するコースで、所要時間は3時間45分とかなり長めです。このコースはほぼ半日で遊覧船から知床の自然をじっくり鑑賞し、遠くの海岸を徘徊するヒグマをはじめ、海のクジラやイルカなどの野生動物に出会えるコースなのでとても見応えがあります。ただ、コース自体が長いので、1日のうちに知床五湖や知床峠を回りたい人にはちょっと向かないかもしれません。

知床観光船 おーろら 公式ホームページ

 

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ウトロ港

遊覧船が発着する『ウトロ港』は、漁港であり、昔からサケやカラフトマスの漁業が盛んです。この港には、知床の自然ならではの景観が見られ、『オロンコ岩』『ゴジラ岩』などの奇岩が見られるのも、知床の魅力でもあったりします。

 

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ウトロを出港する観光船

10時半にウトロ港を出港した観光船は、海岸線に沿って知床岬方面へ進んでいきます。今回参加するコースは『カムイワッカの滝コース』になります。

ビクティニ:5月なのに遠くに雪山が見えるよ!

ミュウ:今日は暑いのに雪が残っているのは不思議・・・。

 

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観光船から見る知床国立公園

観光船の進行方向右手には知床半島の大陸が見えます。

奥に見える陸橋を越えれば、『知床国立公園』の域内になります。

『知床』は、北海道の北東端部に位置し、アイヌ語で言うと『シリ・エトク』つまり『地の果て』を意味しています。北東の端へ延びた半島にオホーツク海に囲まれた『知床国立公園』は、火山の活動あるいはオホーツク海の流氷などによって険しい地形や美しい景観が織りなされ、他の地域では見られない海や川、森の生態系、この界隈に棲む様々な動植物を育む自然環境こそが、まさに『日本最後の秘境』と呼ぶにふさわしい場所です。また、ヒグマやシャチの大型哺乳類をはじめ、絶滅危惧種に指定されている大型猛禽類も多く生息しています。これらの豊かな生態系や自然環境が評価されたことから、平成17(2005)年7月、『世界自然遺産』に登録されました。

 

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オホーツク海から見る知床連山
観光船から知床半島を眺めると、半島に『知床連山』がそびえ立っています。

『知床連山』は半島手前の斜里岳から一番端にある知床岳まで続く約70kmの山脈で、いずれも標高は概ね千数百メートル級です。しかし、5月とはいえ山頂に雪が被ったままなのは、やはり北東端にあるためか、周りが海に囲まれた環境にあるため、春でも雪が降りやすい環境でもあるからなのでしょう。その山脈の中で一際目立つ大きい山は『羅臼岳』です。標高1660メートルあり、知床連山で一番高い山です。春でもこれだけ雪が残っているのは、いかにここが『最果ての地』であることが伺い知れます。

 

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オホーツク海と知床半島
知床半島に海岸沿いには、崖や岩が切り立った地形が多いのが特徴です。

海や森林に包まれた自然環境は、まさに『原生の自然環境』そのものです。半島の内陸部には山岳地帯、羅臼湖や知床五湖などの湖沼があり、さらにヒグマをはじめオジロワシやオオワシ、エゾシカ、キタキツネなど、たくさんの野生動物が生息します。秋になるとカラフトマスが産卵のために川を遡上します。オホーツク海側にもクジラやイルカ、さらにシャチなどの海獣が生息しています。さらに、冬になるとオホーツク海は流氷が漂流し、流氷の時期にはトドやアザラシなど、冬にしか見られない生き物が見られることがあります。このように流氷による海の恵み、サケ類の遡上による海と陸のつながり、海・川・森が支える貴重な生き物・・・それら三つの要素から、知床ならではの特徴や価値観が世界自然遺産の基準を満たす条件として十分に認められているのも頷けます。

 

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知床の海を飛ぶカモメ
天気が良ければカモメが知床の海上を優雅に飛ぶ姿も見られます。

知床の海を飛び回るカモメには、オオセグロカモメやウミネコ、ミツユビカモメが生息しています。冬にはワシカモメという大きめのカモメが越冬のために知床にやって来ることもあります。

ビクティニ:か~も~め~の水兵さん♪

ミュウ:優雅に海の上を飛び回るカモメも元気そうだね。

 

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知床硫黄山とカムイワッカの滝
ウトロ港を出ること約40分・・・進行方向右側に太い滝谷間の奥に見える雪山が見えてきました!

『カムイワッカの滝』『知床硫黄山』です!

『知床硫黄山』はその名の通り、知床連山における唯一の活火山で、標高は1562メートルあります。実はこの知床硫黄山こそ、この半島に存在する第四紀火山のうち一番大きいもので、少なくとも24万年前から活動が始まったとされています。今でも度重なる噴火によって純度の高い硫黄が噴出され、慶応元(1865)年から硫黄の採掘が行われていたといいます。また、二箇所の火口があり、度々多量の溶融硫黄を噴出する活動が繰り返されています。これは世界的にも珍しい噴火形式といわれています。

このような活火山からは、『カムイワッカ川』という川を介して海岸では『カムイワッカの滝』としてオホーツク海へ流れ落ちています。先程も説明したように硫黄山から湧き出た水には硫黄を多く含むので、非常に酸性が強いのです。そのため、その滝周辺だけ海の色がエメラルドグリーンになっているのは、多くの硫黄を含んだ水がオホーツク海へ流れ出た影響と思われます。また、このあたりの内陸には『カムイワッカ湯の滝』があり、その川自体が温泉になっており、6月から秋頃にかけて多くの観光客が沢登りで賑わいます。しかし、整備が一切行われていない分、自然そのものの川であるため、一歩間違えれば事故につながりかねません。そして言わずもがなヒグマの生息地で、携帯電話などの電波は全く届かないので注意が必要です。

 

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知床半島 先端部
ここから先は『知床国立公園』の中枢的な場所で、この半島の一番奥には『知床岬』があります。

さらにここからはヒグマが出没しやすいエリアで、ヒグマに遭遇する確率はなんと・・・日本いや世界的に見ても遭遇率は非常に高く、しかも知床半島の先端部は特にヒグマが密集する場所で世界一と言われています!また、海岸沿いの至る所には『番屋』がいくつか点在しており、昆布漁が行われ、このあたりは『羅臼昆布』という最高級な昆布の産地になっています。

このようにヒグマがたくさん生息するエリアの奥に『知床岬』があるというのを考えれば、まさに日本の最果ての最果てにある『真の秘境』です!しかも知床岬まで行く道は無く、一般人は観光船からでしか見ることができません。知床岬は国立公園の中でも特別保護区に指定されているため、動力船から上陸は不可、カヤックは上陸可でも海上は北風が強く到達は不可能、つまり実質立ち入り禁止という極めて特殊なエリアなのです。そして、周辺が海なのにも関わらず短い夏の間だけ高山植物が咲くまさに原始的な自然が手つかずのまま保たれています。

そんな知床岬までは羅臼側の相泊から徒歩という方法もありますが、先述の通り岬まで行く道は皆無で、普通の登山とは全く次元が違います。というのも、岩や崖をクライムしたり、場所によっては海の中に入らなければならない箇所も多く、崖から海までの高低差が数百メートルある場所も多いため到達は非常に困難です。帰る時も最後まで自力で脱出しなければならず、携帯電話などの電波も届かなければ、救助も非常に困難です。そのため、遭難が後を絶たず、過去には死亡事故もあったほど危険な場所です。また、ヒグマ遭遇率も非常に高く、ヒグマによる人身事故が起きても不思議ではありません。ですので、知床岬を生で観たいなら、観光船から観るのが唯一安全に観れておすすめです。わざわざ危険を冒してまで何日も掛けて、トレッキングで知床岬まで行くという楽しみ方はおすすめしません。

 

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観光船内から見る知床半島

観光船から見る知床半島は知床連山の他に海岸には『プユニ岬』『乙女の涙(フレペの滝)』、そして先程見た『カムイワッカの滝』などのスポットが見られます。さらにカムイワッカの滝の先の方へ行くと『ルシャ湾』や番屋小屋が並ぶ海岸があり、その海岸でヒグマが殆どの確率で見れます。

ビクティニ:船内から見ても知床の自然の雄大さが十分に伝わってくる・・・。

ミュウ:崖に囲まれた地形がすごいよね。

ゴンベ:この辺の魚は美味しいだっぺ・・・。

シャワさん:切り立った地形がいかにも知床らしさを物語っているな・・・。

にょろもう:海も深そう。

 

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ウトロ港に到着した観光船

カムイワッカの滝まで行ってここまで戻ってきました。カムイワッカの滝と知床硫黄山とのコラボレーションはとても絵になり、しかも観光船からしか見れない景色なので、皆さんも知床に来たら是非オホーツク海から見た知床の自然を体感したいものです。

 

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ヒグマ現る!

さて、観光船でクルーズした後は、知床峠知床五湖へ向かいます。その途中、路肩に別のクルマが停まっていたのを見つけたので、何かと思えば・・・・。

ヒグマのお出まし!!

それもそのはず、知床はヒグマが生息する場所なのです。さすが知床!自然世界遺産に登録されている理由がよく分かります。北海道内なら、冬場を除いて至る所で見かけたりするものですが、特に知床ではヒグマに遭遇することが多く、北海道内におけるヒグマの個体数のうち、全体の3分の2が知床で生息しているといわれています。ドライブしている時も道路や道端などで見かけたりするのが日常茶飯事だったりします。そのため、知床でドライブやツーリングする時は、ヒグマなどの野生動物が道路に飛び出してくることがあるので、十分に注意しなければなりません。また、最近では観光客やツーリングなどで興味本位に近づいたり、あるいは餌やりをするという不謹慎な行動が問題になっているようです。特に餌やりをすれば本来の野生動物としての理性が失われ、餌を求めるために人里や市街地などに侵入し、最悪の場合は死亡事故につながりかねません。そして、理性を失ったクマは、最終的に駆除しなければならないという悲劇でさえも起きてしまいます。ですので、ヒグマを見かけたら、決して興味本位で近づいたりしないようにしましょう。特に餌を与えることは絶対にやめてください!これがヒグマによる人身事故の原因にもなります。もしヒグマに出遭っても、そっと見守るか、クルマから降りずに遠くから撮影しても十分いい写真が撮れます。

★ヒグマに出遭った時の注意事項★

知床を訪れる方へ|知床のひぐま

 

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知床自然センター

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知床自然センターの展示場
国道334号の知床五湖と知床峠への分岐点に『知床自然センター』があります。

知床の自然や生態系などを学ぶことができ、知床財団による解説やトークプログラムなどが催されています。ここでは、インフォメーションカウンターにて知床のアクティビティに必要なアイテムのレンタルの貸出しが行われています。特に知床五湖の地上遊歩道では泥濘(ぬかるみ)が多いので、そこを散策するのに必要な長靴も1日500円でレンタルができます(逆に地上遊歩道でそのまま普通の靴で行くと泥や土で汚れてしまう上、泥濘を避けるために誤って道端の植生を破壊する恐れがあるので長靴は必須)。また、先ほど観光船から見た『フレペの滝』への遊歩道が整備されているので、そちらの散策もできます。

なお、ここから先にある知床五湖のフィールドハウスでは長靴の貸出しはしていないので、知床五湖の地上遊歩道を散策する場合は、必ずここで長靴のレンタルをすることをお忘れなく(地上遊歩道の散策をお考えの場合、交通手段はレンタカーまたは自家用車が望ましい)。また、路線バスも本数が少ないので、事前に時刻表を確認した方が良いでしょう(路線バスで知床五湖を訪れたい時は高架木道のみの散策の方が無難)。

 

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知床横断道路(知床国立公園)の入り口

まずは知床峠の方へ車を走らせます。

先ほどの分岐点から先はいずれの方面も『知床国立公園』の域内なので、ヒグマやエゾシカ、キタキツネなどの野生動物が出てきても不思議でないエリアです。ウトロから羅臼方面へは『知床横断道路(国道334号)』が続いていますが、時期によっては夜間や早朝は閉鎖されることがあります。特に斜里町と羅臼町の境界あたりは11月上旬~4月下旬にかけて積雪が多く、通行時間も時期によって決められており、9時半から終日までの時期もあれば、夕方の16時までしか通行できないことがあるのです。これは積雪の影響によるもので、このあたりの天候も他の地域とは桁違いなほど特殊な環境であることから、通行時間が短い場合があります。そのため、この道路は『日本一開通期間が短い』といわれ、特に冬場は通行が困難といっても過言ではありません。また、この道路では急カーブも多く、特に道路が凍結している時は細心の注意が必要です(チェーンを装備した方が無難)。

 

『知床横断道路』を羅臼方面へクルマを進ませていくうちに、最初は林の中を走っていた景色が徐々に高原の風景へ変わり、開けた景色になってきました。

 

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斜里町と羅臼町の境界線上にある『知床峠』

開けた景色の中を淡々と走っていくと、ついに『知床峠』へ到着しました!

『知床峠』は知床横断道路の頂上部にあり、斜里町と羅臼町の境界に位置する峠で標高は738メートルあります。標高が千メートルにも満たしていないのにも関わらず、随所に雪が積もっているのは、ここは非常に特殊な自然環境で、いかにも知床の自然の厳しさが伝わってきます。

この周辺には『羅臼湖』という秘境の湖があります。

 

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知床峠と羅臼岳

知床峠『知床八景』の一つで、この峠から見える羅臼岳とのコラボレーションは見事な絶景です!

羅臼岳や知床峠の周辺に生えるハイマツもいい感じに高原という雰囲気を醸し出しています。

冬になると閉鎖になるくらい到達困難な知床峠は、いかにも道東の自然の厳しさを物語っており、5月になっても雪が残る景色がこれまた美しい景観を保っています。ここまで気候条件や通行規制が厳しい場所にある知床峠は、まさに『知床の秘境』の一つです。また、夜でも通行ができる時期には満天な星空が見られることもあるので、夜の知床峠ドライブに星空を見に行ったり、あるいは撮影するのも夜の知床ならではの楽しみとも言えるでしょう。

ビクティニ:さっきの羅臼岳がこんな近くで見ると結構なスケールだ!

ミュウ:このあたりも所々に雪が積もっているんだね・・・。

 

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知床峠から見る国後島

天気が良ければ、知床峠から東側には『国後島』が見えます。

ここから根室海峡の奥に見える国後島は、いわゆる『北方領土』の一つになっています。

知床半島東側にある羅臼町からは30kmも離れていない国後島は、本来なら『日本の領土』になるはずですが、現在でもロシアによって不法占領されているのです。そのため、国後島に住む人たちは殆どロシア人で、実質ロシアの国という風潮になっているようです。こんなに近く見えるとはいえ、あの島まで到達するのにはほぼ不可能に等しいほど困難だそうです。もっとも、漁港の多い羅臼町には国後島へ行くためのフェリー乗り場を整備するのにはとても無理があると思いますが・・・。

国後島は全長122kmあり、北海道側から一番近いところで沖合16kmに位置する火山島です。その島の名前も北海道のアイヌ語からつけられ、『草の島』という意味からの由来で付けられたのだそうです。

 

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北方領土(北方四島)

知床峠の展望台には『北方領土』の石碑があります。

『北方領土』は先ほども話した通り、本来は日本の領土であるはずの島々が今でもなおロシアに占領されていることから、『北方領土問題』として取り上げられています。

その北方領土として『国後島』をはじめ『択捉島』『色丹島』『歯舞群島』のそれら島々のことを指し、その島々の地域が四つに分けられていることから別名『北方四島』といわれています。そんな北方領土は、奥尻島や利尻島、礼文島と同じように北海道の周海にある小さな離島に見えますが、それらの島々の面積を合わせれば5千k㎡となり、千葉県や愛知県の面積に匹敵する大きさから、意外と広大な面積を持っています。特に国後島や択捉島は北方領土の中でも大きい島で、国後島自体も沖縄本島の面積に勝っています。そして、北海道本島から一番近い歯舞群島の『貝殻島』は根室半島から、なんと僅か3.7kmしか離れていないのは驚きですね!

気候は海洋気象の影響を受けているので、知床半島と同様に寒暖とも穏やかで、千島寒流と対馬暖流が互いにぶつかり合っています。そのため、水産物がとても豊富な環境であり、古くから『世界三大漁場』の一つに数えられているのです。

そんな北方領土における問題の歴史は戦後間もない頃・・・当時のソ連軍による占領が始まりました。昭和26(1951)年のサンフランシスコ平和条約において、日本は千島列島を放棄したものの、千島列島の中に『北方領土』が含まれていないにも関わらず、「その4つの島々も我々のものだ!」と言わんばかりに、ソ連はその条約を拒否します。日ソ交渉で領土問題は解決に至らなかったことから、昭和31(1956)年に『日ソ共同宣言(平和条約締結交渉の継続ならびに歯舞群島・色丹島の譲渡)』を規定しました。

こうして、北方四島の帰属の問題は解決となり、平和条約が締結され、それらの島々は実質ロシアのものになりました。これが『北方領土問題』の歴史なのです。

そして、令和になった現在でもロシアは、国後島や択捉島を中心に戦車や対空ミサイルなどが配置されるなど、いかにも軍事的な防御態勢に入っているのだそうです。

 

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キタキツネ
知床国立公園には、ヒグマはもちろんのこと、エゾシカやキタキツネなどの野生動物が生息します。

それらの野生動物の中で人気が高いとされているのは、キタキツネです。

キタキツネは、北海道の至るところに棲んでおり、特に道東には多くのキタキツネが生息し、当然ながらこの知床でも遭遇率がかなり高いです。さらに夜行性ということもあり、夜になると遭遇する確率も非常に高く、特に野生動物が多く生息する知床では、必ずと言っていいほど頻繁に見かけるようになります。昔のアイヌ文化では、衣類などの毛皮を作るために、捕獲もされていたようです。そのため、当時のアイヌ人たちは、『チロンヌプ(我々がたくさん殺すもの)』あるいは『フレップ(赤いもの)』などで呼ばれていたのだそうです。しかし、かつては毛皮を作る目的で狩猟対象になった一方で、キタキツネにはある危険が潜んでいるのです。

そう、一見愛嬌のあるキタキツネの体内には、『エキノコックス』といわれる寄生虫が潜んでいるからなのです!

エキノコックスは、イヌやキツネ類などの糞便内に潜む虫卵からなる寄生虫で、人体に入ると感染します。しかもその感染力がとても強く、人体の肝臓や肺臓、腎臓、胃、脳などで包虫が発育することで様々な症状を起こし、最悪の場合は死に至ります。これが、『エキノコックス症』という恐ろしい症状です!(まるで近年問題になっている『例の病気』に似てますね・・・)

また、キタキツネに直接素手で触れても感染するので、ヒグマと同様に無闇に近づくととても危険です。『きれいなバラには棘がある』という言葉があるように『可愛い動物には危険がある』という気持ちで、キタキツネは危険な生き物であるということを常に認識しなければなりません。もし遭遇しても決して近づかないように注意してください。間違っても絶対に触ったりしてはいけません!

 

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知床五湖フィールドハウス(地上遊歩道の入り口)

続いて、知床五湖も散策します。

知床五湖は、ウトロ方面から知床自然センターのある分岐点で道道93号に入り、カムイワッカ湯の滝方面へクルマを走らせ、道なりに進んでいくと、『知床五湖フィールドハウス』に到着します。フィールドハウスの駐車場は500円と有料で、その料金は知床自然保護や遊歩道の整備・補修などに使用されます。

知床五湖では、駐車場脇にある高架木道だけでも知床の自然を十分に満喫できますが、地上遊歩道を歩く場合、このフィールドハウスで散策を安全に楽しむため、手続きレクチャーが随時行われます。また、パークサービスカウンターには休憩所があり、散策後の休憩や軽食ができ、知床のお土産がそろった売店もあります。

 

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地上遊歩道を散策するのには手続きが必要

知床五湖地上遊歩道を散策するためには、フィールドハウスの受付にて手続きをします。

高架木道のみの散策なら無料で楽しめますが、地上遊歩道を散策する場合は有料で、開園時期は4月下旬頃から10月下旬頃にかけて楽しむことができます。

通常であれば、申込書に所定事項を記入した上で入園料250円のチケットを購入し、レクチャーを受けることで、初めて自由に散策できます。しかし、時期によって5月中旬から7月末にかけては、『ヒグマの活動期』であるため、5月10日から7月末までの期間はガイドさんによるツアーに参加することになっており、事前に予約しておく必要があります。ツアー代金もルートによって異なり、大ループの場合は4,500~5,300円で、所要時間は約3時間(ただし当日参加の場合は6,000円かかります)。小ループは3,500円で所要時間は約1時間半です。

アクセス|知床五湖

知床五湖|知床斜里町観光協会

 

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立ち入り認定証

申込書に必要事項を記入し、受付に見せると、それが『立ち入り認定証』として初めて知床五湖の地上遊歩道への立ち入りが許可されます。というのも、知床五湖も『知床国立公園』の中にあるだけあって、特別保護地区になっています。さらに貴重な原生林や野生動物、植生などが生息するエリアへ入るということから、『知床五湖利用調整地区』と言われています。

 

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ヒグマに出会さないための注意事項
知床五湖を散策するからには、『ヒグマの生息地にお邪魔する』という慎んだ気持ちで入らなければなりません。

当然ながら、知床国立公園内は世界的にヒグマの高密度地域であり、知床五湖や地上遊歩道でも例外なく生息します。そこで安全に散策するためには、『ヒグマに出会わない』ことが一番重要です。散策時に鈴や笛、あるいは声を出すなどして自分の存在をヒグマに知らせます。そうすることで、ヒグマは自然に人間のいる場所から遠ざけてくれます。また、当然ながらヒグマに餌を与える行為やゴミの放棄は絶対にしてはいけません。もしヒグマに出遭っても走って逃げたりすると、ヒグマは動きの早いものに反応するため、追いかけてくる危険があり、しかもヒグマは時速60kmで走れるのでとても逃げられません。また、慌てて騒ぐと刺激させてしまうので危険です。ヒグマに視線を向けたまま、静かにゆっくり離れる方が無難です。

 

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地上遊歩道は2つのコースに分かれている

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知床五湖の地上遊歩道 地図

知床五湖は、その名の通り5つの湖沼が点在する『知床八景』の一つです。

知床五湖の地上遊歩道には『大ループ』『小ループ』の2つのコースに分かれています。

『大ループ』は高架木道も含めて全周で3kmあり、所要時間は約1時間30分で散策できます。知床の自然をじっくり鑑賞したい人や5つの湖をすべて見たいという人にはおすすめなコースです。

『小ループ』は高架木道も含めて全周で1.6kmあり、所要時間は約40分で散策できます。時間がない人や知床五湖の原生林の雰囲気を軽く楽しみたい人にはおすすめなコースです。ただ、このコースは五湖のうち、二湖の一部と一湖しか見れません。

そして『高架木道』のみのコースは往復で1.6km、所要時間は約40分で散策でき、気軽に知床の自然を満喫したい人にはおすすめなコースです。こちらのコースは一湖湖畔まで歩くコースで、地上から高い位置にあるため、知床の大まかなイメージという雰囲気をヒグマへの不安もなく体験できます。このコースは一湖しか見れなく、地上遊歩道へは降りられません。

 

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地上遊歩道を散策する上で必要なレクチャー
知床五湖地上遊歩道に入るためには、まずレクチャーを受けなければなりません。

レクチャーの内容としては、安全に知床五湖の自然を満喫するためのマナーや注意事項などをDVD鑑賞やガイドさんの説明でレクチャーが10分ごとに行われます。地上遊歩道は、先述の通りヒグマの生息地なので、コースの案内ヒグマの出没情報が提供され、ヒグマに出会さないための対策および注意点などを説明します。また、当然ながら地上遊歩道にはトイレはありませんので、地上遊歩道へ入る前に必ずトイレは済ませておきましょう。

 

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地上遊歩道への入り口
レクチャーを一通り受けたら、地上遊歩道へ入ります。

地上遊歩道では、当然ながら食べ物の持込みはご法度で、散策する際には笛や鈴などを予め持参しておくのが望ましいでしょう。また、地上遊歩道は原生な自然がそのまま残っているため、常にヒグマが生息している場所であるという認識をお忘れなく。今回は通常の自由形式で散策ということになるので、ガイドとの同伴はありませんが、万が一ヒグマを目撃した場合は、遊歩道の一部、あるいはすべてが閉鎖になる場合があります。ですので、地上遊歩道を散策する時は常にヒグマに注意を払いながら散策するという覚悟が必要です。

 

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『大ループ』と『小ループ』の分岐点

入り口からすぐの地点に『大ループ』『小ループ』の分岐点があります。

今回は、我々が知床への訪問するのが初めてなので、あえて知床の自然を思う存分に満喫できる『大ループ』を選びました。

ビクティニ:せっかく知床に来たんだから、どうせなら『大ループ』へいざ出発!

ミュウ:ヒグマに出会いませんように・・・。

ビクティニ:ヒグマが出てきたらVジェネレートをお見舞いする・・・・なんて冗談w

 

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地上遊歩道の様子

地上遊歩道の道は、まるで獣道のごとく細い道が延々と続いています。

道の周りは笹や原生林に囲まれていて、まさに知床の自然の中を探検している気分です。

ビクティニ:ガンバ ガンバ ガンガンガンバ♪ なみがおどるよガンバ すいへいせんだよガンバ♪ ガンバ ガンバ ガンバとなかまたち♪

ミュウ:昔のアニソンなの?

 

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随所に生えるミズバショウ

遊歩道の道端には、至るところにミズバショウが生えています。道端や林の中、小さな沢、ちょっとした沼などに生えており、知床の自然には水の育みが感じ取れます。しかし、ミズバショウはヒグマの餌にもなったりするので、場所によってはミズバショウが食べられた跡が見られるかもしれません。

 

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知床の森の中を流れる沢

知床五湖の周辺には、数々の小川や沢が流れています。夏になると水の音や沢のせせらぎが生み出すマイナスイオンで清涼に感じます。このあたりには沢や湖沼にはエゾアカガエルサンショウウオといった爬虫類も生息します。苔生した石もまさに秘境にいることを実感させられます。

 

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知床の湿地帯

知床の森の中にも、先日訪れた釧路湿原と同じように湿地帯になっているのも、知床五湖ならではの自然環境そのものでもあります。

  

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知床の原生林
知床国立公園に生える原生林も自然な形のまま、静寂な雰囲気を醸し出しています。

よく見ると木々の所々に樹皮が剥がされた跡や根っこがむき出しで倒れた木が随所に見受けられます。これは知床に生える原生林こそ『太古の自然』そのもので、寿命となった樹木が海から流れる風や雨などによって木が倒れ、その倒木から新たな芽を吹き出し、このような自然のサイクルも感じ取れます。

この原生林にはエゾリスエゾシマリス、エゾシマフクロウ、エゾシカ、クマゲラなどの生き物が生息し、運が良ければ目にすることができます。

 

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五湖
しばらく歩いていくと、最初の湖に到着しました。

これが『知床五湖』の1つとされる『五湖』です。

原生林の中に点在する五つの湖こそ、実は知床半島の火山活動による影響と深い関わりがあると考えられています。

大昔の4千年前に現在も活火山とされる知床硫黄山の火山活動によって大規模な土砂崩れが起きました。その山頂は大きく崩れ、硫黄山から流れた大量の土砂や溶岩の塊が西側の山麓を流れ落ち、やがて『流れ山地形』といわれる独特な凹凸地形が成形されました。その起伏に地下水が湧き出て堆積したことで、現在の『知床五湖』が誕生したといわれています。そのため、それらの湖には流れ込む川も無ければ流れ出る川もありません。まさに自然現象が生み出した奇跡の湖なのです!

ビクティニ:これが知床五湖の湖か。まるで鏡のように湖に山が映ってる!

ミュウ:湖も底も見えるくらい透明だね!

ゴンベ:こりゃ大きい湖だっぺ!

シャワさん:これまでいくつもの湖を見てきたが、ここまで見事な湖は見たことがない!

にょろもう:カエルの鳴き声は聴こえるかな・・・?

 

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知床五湖の散策ルートマップ

知床五湖の大ループは、5つの湖をすべて見ることができ、小ループと比べるとかなりの広さが実感できます。知床の自然をとことん満喫するなら思い切って大ループを選ぶことで、知床の自然を気が済むまで満喫できるのがいいところですね。

 

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四湖

五湖から歩いていくと、『四湖』があります。

湖の向こうには知床連山の知床硫黄山が見えます。

湖面や湖の奥に見える知床連山とのコントラストはとても絵になります。こうして見ると知床硫黄山が近いように感じます。また運が良ければ、アオサギなどの水鳥が見られることもあります。

ビクティニ:さっきの湖より広くて硫黄山がはっきり見えるよ!

ミュウ:雪山と湖の景色がきれい!

シャワさん:あとはアオサギがいれば写真として完璧かもな。

ゴンベ:ここも大きな湖だっぺ!

にょろもう:涼しい・・・。

 

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三湖
これまた開けた大きな湖に出ました。

『三湖』です。

ここまで来ると、さっきより鳥のさえずりが聴こえてきます。ここでちょうど遊歩道の半分まで来たのでしょうか。フィールドハウスから見て三湖が一番遠い場所にあるように見えます。湖には小さな島も浮かんでおり、見る角度によって湖の背景に知床連山が見えたり見えなかったりする景色の変化も楽しいものです。また、三湖湖畔沿いの遊歩道もこれまた長く、大ループ全体の3分の2を占めています。

ビクティニ:これまた大きい湖だね・・・。そもそも5つの湖には川がないのに湧き水でこんなに大きな湖ができるなんて・・・。自然って不思議だよね・・・。

ミュウ:去年に行った青森の十三湖を思い出すね・・・。

シャワさん:道東の自然にはわからないこともあるもんだな・・・。

にょろもう:広い湖が気持ちいい~。

ゴンベ:ここで暮らす動物たちは何を食べて暮らしているんだろうッペ・・・。

作者:エゾリスならこの辺の木の実やドングリを餌にして暮らしているね・・・。ヒグマは・・・。

 

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二湖

そして、知床五湖の中で一番大きい『二湖』にやってきました。

この湖も三湖と同じように小さな島が浮かんでいるので、景色的に三湖とよく似ています。また、この湖の遊歩道も長いので、二湖なのか三湖なのか見分けがつきにくい位です。このあたりでも鳥のさえずりが聴こえてきます。

ビクティニ:この湖はもっと大きいね・・・。奥の方へ続いているように見えるし。

ミュウ:この湖が一番大きいんじゃないかな。

シャワさん:まるで二年前に行った阿寒湖に似ているな・・・。

にょろもう:大きな湖に暮らしてみたいかも・・・。

ゴンベ:湖の中に魚は暮らしているっぺ?

作者:多分、暮らしていないと思いますよ。だって川がないですからね。

 

さて、二湖を境にここで大ループと小ループはここで合流し、一湖と高架木道へは同じ順路を進んで行きます。

 

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一湖

そして、地上遊歩道で最後の湖『一湖』までやってきました。

今まで見てきた湖とは違って周辺はかなり開けています。ウトロ側には戦場ヶ原のような草原が広がっています。そして、背景には知床連山がそびえ立ち、湖の向こうには羅臼岳、そしてこの写真の右側には斜里岳も見えます。

ビクティニ:今までの見てきた湖は周りに木々が生えていたけど、この湖は半分が草原になっているから、開放感があるね!

ミュウ:ようやくここまで来たね・・・。ここまで来るのに1時間半もかかったね。

シャワさん:まるで本当に冒険しているようで楽しかったぜ。

にょろもう:この湖もきれいだね。

ゴンベ:あとは、高架木道まで行くだけだっぺ・・・。

作者:そう、高架木道に出ればヒグマの心配はありません。

 

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地上遊歩道から高架木道へ

一湖から先の方へ進んでいくと、ようやく高架木道が見えてきました。

ここから高架木道へ上がれば、ヒグマに襲われる不安はありません。ただ、高架木道への通路は一方通行のため、一度ゲートをくぐってしまうと二度と地上遊歩道へは戻れません。

 

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湖畔展望台から見る知床五湖(一湖)と知床連山

地上遊歩道から高架木道へ上がってきました。

高架木道の湖畔展望台から見る知床五湖(一湖)知床連山の景観は美しく、知床のダイナミックな自然が十分に伝わります。

高架木道から唯一湖が見れる一湖の周辺は、昭和40(1965)年頃までは放牧地として利用されていたことがあります。そのため、知床五湖に棲む生き物も人間の営みによる影響があり、一湖にはかつて放流されたフナやスイレンが確認されているようです。

ビクティニ:いやあ、ここまで来ると達成感があってここから見る知床連山と湖の景色が一段と美しく感じるよ・・・。

ミュウ:ここまで来れば、ヒグマの心配はないね・・・。

にょろもう:疲れた・・・。

シャワさん:俺たちは知床の自然の中を冒険してきたんだね・・・。改めて知床の自然の厳しさがよく分かったよ・・・。

ゴンベ:お腹すいたっぺ~。

作者:お疲れ様。さあ、ゴールはもうすぐだからもう少し頑張りましょう!

 

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高架木道

高架木道は、知床の自然を気軽に散策できるようにするため、平成23(2011)年に完成しました。

高架木道は全長約800メートルあり、往復で1.6kmを歩くだけのコースで、地上のコースと違ってどんな時期も問わずに気軽に知床の自然を満喫できます。

その高架木道にはいくつか展望台があり、知床の景観や雰囲気を楽しんだり、あるいは撮影を楽しんだりすることができ、『連山展望台』『オコツク展望台』、そして『湖畔展望台』の三箇所の展望台が設けられています。先ほどの知床五湖(一湖のみ)と背景の知床連山が見渡せる湖畔展望台が高架木道の折り返し地点になります。ただし地上遊歩道へは入れません。この木道は道産のカラマツ材が用いられ、知床の自然と調和が取れています。また、ヒグマが入ってこれないよう、高さは約2~5メートル、さらに7千ボルトの電気柵も設置することで、ヒグマが上がってくる心配はないので、安心できます。特に地上遊歩道から上がってきた人には安堵感を覚えることでしょう。

 

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高架木道から見る羅臼岳
高架木道から羅臼岳を観てみましょう。

まるでサバンナのような原野と雪の被った羅臼岳を見ていると、改めて知床の自然が美しくも厳しいことが感じ取れます。

 

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高架木道から見るオホーツク海
高架木道からは、知床のオホーツク海が見えます。

原野の向こうに見えるオホーツク海は、まさに知床の海と大地が織りなす大自然の景観です。ちょうど夕暮れ時ということもあり、オホーツク海を照らす陽の光が美しい景色が見れました。

ミュウ:見て!夕暮れ時のオホーツク海が綺麗!

ビクティニ:頑張って地上遊歩道を歩いてきた甲斐があったな。

 

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エゾシカ

知床でもエゾシカは多く生息しています。

知床五湖の周辺や地上遊歩道でも生息しており、高架木道から見るとエゾシカの親子が確認できます。さすが知床、世界自然遺産に登録されているだけのことはありますね。

 

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遠ざかってゆく一湖と知床連山
高架木道で遠ざかる知床五湖の一湖知床連山を振り返ってみると、長かった地上遊歩道を歩いてきた達成感が感じ取れます。

遠くから一湖知床連山を観てみれば、知床らしく絶景な景色です。

実は世界自然遺産に登録された知床にも、かつては人の活動があったのです。

大正から戦後にかけては多くの人々が入植し、農業や酪農を営む姿があり、その暮らしが昭和40年代まで続きましたが、時代の流れとともに人々はこの地から離れていったのです。残された開拓跡地は、乱開発の危機にさらされたことがあったといいます。そこで、その危機にあった知床の地を救うべく、斜里町は昭和52(1977)年、「しれとこで夢を買いませんか」というキャッチフレーズとともに土地の買取に必要な資金の寄付を全国的に呼びかけます。そして、33年の歳月をかけてすべての保全対象地の買取を完了することができたのです。これを『しれとこ100平方メートル運動』といい、現在でも様々な森作り作業を進めています。

 

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ヒグマの親子

駐車場へ向かって歩いていると、多くの撮影者や観光客が何かに釘付けになっていたので見てみると・・・。

なんと、ヒグマの親子ではありませんか!!

本日2回目となるヒグマの発見です!知床は言わずもがなヒグマの分布地とはいえ、ヒグマの親子を生で見るのは人生初なので、思わずカメラを構えてしまいましたw 知床の森の中を歩いてきた最後の最後でヒグマの親子が見られたのは、まさに奇跡のご褒美ですね!さすが知床!世界的に有名なヒグマの生息地というだけあります!

一回り小さなヒグマは子供のヒグマです。そういえば、先ほどのレクチャーでヒグマの出没情報に高架木道の周辺でも出ていましたね。

 

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連山展望台
高架木道から見る知床連山も絶景です。

5月でも雪が積もったままの連峰の風景が見れるのは、北海道の冬は長いということを実感させられます。夏になれば緑の知床連山が見れることでしょう・・・。

 

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高架木道の入り口(地上遊歩道からの出口)

さて、無事にフィールドハウス(駐車場)へ戻ってきました。

地上遊歩道から歩いてきた場合はこの高架木道の入り口が遊歩道の出口になります。1時半から散策を始めてからここまで戻ってくるのに3時間かかりました。

 

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知床五湖まで路線バスも出ている

知床斜里駅やウトロ温泉からは路線バスも出ているので、レンタカーを借りなくてもバスで行くこともできます。

しかし、最終は16:40なのでバスで知床五湖へ訪れる場合はよくバスの時刻を調べてから計画を立てて行くようにしましょう。

 

★知床の自然を回る実際の様子★


www.youtube.com

 

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知床五湖の散策終わり

さて、知床五湖の散策が終わったところで、本日の宿泊先である阿寒湖へ向かいます。

まずは、先ほどレンタルした長靴を返却するために、途中の知床自然センターへ寄り道します。返却が終わったら、阿寒湖へ直行するわけなのですが・・・。知床から阿寒湖まではなんと・・・・約150kmも距離があるので、かなりの長距離ドライブとなりました・・・。

ビクティニ:ここから長いドライブ旅になりそうだね・・・。今日はお昼ごはんさえも食べていないんだ・・・。

ミュウ:ほんとに知床の森を歩いていたらお腹が空いちゃった・・・。

作者:わかりました、長靴を返してから、なるべく急いで阿寒湖へ行こう。

 

★知床から阿寒湖までのルート★

 

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知床の海と夕日

 夕焼けの知床のオホーツク海はとてもきれいです。ウトロは知床半島に西側に位置しているため、夕日がきれいに見えます。

 

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道東の夕焼け

知床半島のウトロから車を走らせて1時間ほど・・・ようやく知床半島を抜けて斜里町の市街地を通り、北海道本土に入りました。道東の夕焼けがとてもきれいです。

 

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斜里岳
途中で、斜里岳が見えるパーキングで休憩しました。

夕焼けの空に映る斜里岳はとても美しい姿です。

斜里岳は『日本百名山』に選ばれており、標高は1547メートルあります。アイヌ語でオンネヌプリ(大きな山、年老いた山)と呼ばれ、知床半島の付け根に位置する山で、知床火山群、阿寒火山群のほぼ中間にあたる秀麗な成層火山です。平野にぽつんとある独立峰的な山なので、道東の山としてはかなり目立ち、インスタ映えも抜群な景観です。

 

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JR釧網本線の列車

途中でJR釧網本線の列車を見かけました。この後、釧網本線の踏切を通過し、国道391号線に出て弟子屈方面へ。さらに弟子屈町の交差点で阿寒横断道路こと国道241号線に入り、そのまま足寄・阿寒湖方面へクルマを走らせます。

 

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雄阿寒岳のシルエットが見える国道241号線

阿寒湖方面へ進んでいくうちに、だんだん日が暮れてきました。正面に見る雄阿寒岳もいい感じにシルエットが夕暮れの空に映ります。しかし、日が暮れると野生動物が次第に活動しやすくなる時間帯になるため、途中で何度かエゾシカに遭遇してしまいます。ぶつかりそうになった時には、思わずクラクションを鳴らしてしまいました。阿寒湖に到着するまで、少なくとも5回は遭っちゃったかな・・・。

 

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阿寒湖のホテルに到着

そして、知床からクルマを飛ばしてかれこれ2時間弱・・・。ようやく阿寒湖の温泉街に到着しました・・・。実は今回予約したホテルは夕食付きで、最初は余裕のある時間帯でチェックインできたはずでしたが、思わぬ予定で阿寒湖に到着したのが夜の7時20分ごろとかなり遅い時間帯で到着。もしもっと遅れていたら、せっかくの夕食が食べられなくなっていたのかもしれません・・・。

ビクティニ:大変だったね・・・。運転お疲れさん。

ミュウ:結構急いでいたよね大丈夫?少なくとも80キロは出てたよ?

作者:なんとか・・・。でも到着までになんとか燃料ギリギリまで持ち、阿寒湖に着いたのは運に見放されていなかったようですな・・・。

travel.rakuten.co.jp

 

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阿寒湖の夕食

さあ、長かったドライブも終わり、阿寒湖で夕食をいただきます。

ビクティニ:まさか知床峠へのアクセスがここまでシビアだとは思わなかった・・・。でも、五湖で最後の最後でヒグマの親子が見られたのはちょっと嬉しかったかもね。

ミュウ:最初はヒグマは怖い生き物って思ったけど、何もしなきゃ一方的に襲うような生き物じゃないのが分かったよ。

シャワさん:いやあ、知床五湖の遊歩道を実際に歩いてみれば、本当に知床の自然の厳しさを思い知らさせた。それにひきかえ知床岬だったら・・・。

にょろもう:昼ごはん食べなかったからお腹すいた、いただきま~す!うまい!

ゴンベ:うんめえ~!!ずっとご飯食べなかったからお腹ペコペコだっぺ!

 

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阿寒湖のホテルの部屋

ビクティニ:今日は夕方に知床を出発して、阿寒湖に着いたのが夜中とは思わなかったよ。長距離ドライブになるとはね・・・。

ミュウ:まさかエゾシカが何度も出てくるなんて。

ゴンベ:でも、昼ごはんが食べられなくても、夕食は美味しかったっぺ!

にょろもう:さっきの湖と森の中の冒険は楽しかったよ。

シャワさん:今日は世界遺産を見てきたからな・・・。知床の自然は今回の旅行で十分満足したと思う。

 

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阿寒湖から見る星空
阿寒湖のホテルの部屋からは、天気が良ければ満天の星空が見えました。

部屋を暗くして窓際を覗いてみれば、阿寒湖の夜空には無数の星がきれいに見えます。中には流れ星も降っていました。道東の自然の中だからこそ、美しい夜空の芸術も楽しめます。今日、阿寒湖の星空が見れたのは、知床の自然の中を長時間歩いてきたご褒美のようなものですね。

 

『GW道東紀行4日目』終わり

5日目へ・・・

GW道東紀行3日目後半 レトロな駅舎で食事ができる“北浜駅”&知床の入り口にある滝“オシンコシンの滝”

皆さんこんにちは。

今回は世界自然遺産に登録されている『知床半島』までドライブします。

長かった網走監獄の見学が終わり、いよいよ知床半島へ進んでいきます。しかし昼食がまだなので、途中の北浜駅で昼食休憩します。

 

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北浜駅

まずは、知床へ向かう途中で北浜駅に立ち寄ってみます。

釧網本線にある北浜駅は、『流氷に一番近い駅』として親しまれています。

駅舎自体も開業当時のまま原型を保つ木造駅舎がいかにもレトロな感じで、様々なドラマや映画のロケ地にも使われているのだそうです。

ビクティニ:ずいぶん古い駅だね・・・。まるで最果てにいるかのよう・・・。それに5月なのに寒く感じるのは、やはりよっぽど北の方にいるってことだよね。

ミュウ:風も結構強い・・・。

 

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北浜駅 入り口の看板
入り口の看板も所々錆びていて、長年使われてきた貫禄が感じられます。

少なくとも昭和30年代から使われてきたものと思われるでしょう・・・。ちなみに、北浜駅は元からこの名前だったわけではなく、『濤沸(とうふつ)』と呼ばれていましたが、既存の駅名と紛れやすく、同音の地名が他にも多いことから、混同を避け別の名前で駅名を変えます。それは、『北見の浜にあたる』として『北浜駅』という名前になったのです。

 

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北浜駅 駅舎内

駅舎内は、あちこちに多くの切符や手紙、名刺、写真などが数多く飾られています。まるでどこかの廃駅で見た光景ですね・・・。ここにやってくる列車の本数は、やはり1日7往復しかありません。特に網走方面への列車は、11時台の次が・・・なんと夕方の17時まで、つまり日中は6時間も列車が無いのです!

この駅にはカフェレストランも併結されていますが、列車で来るのにはあまりにも本数が少なすぎるので、訪れるのなら直接クルマで来る方がいいのかもしれませんね・・・。というか、列車本数の少ない駅でカフェレストランがあるのは、列車で訪問というよりドライブインのごとく立ち寄る感覚ですね。

 

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北浜駅 ホーム

駅舎から扉をくぐると、すぐにホームへ出ます。北浜駅は、小さな無人駅なので、改札口はおろか切符券売機すらもありません。駅舎に飾られたホーロー駅名票や筆文字のような文字で書いた看板、そして古くから残る木造駅舎・・・。まさしく北海道ならではのローカル駅舎ですね。ブルーシートに巻かれた機械(?)はおそらく除雪に使うための機器と思われます。

 

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ホームの目の前はオホーツク海
ホームの目の前には、オホーツク海が広がっています。

それもそのはずこの駅は『オホーツク海に一番近い駅』ということもあり、北の湖と寂れた木造駅舎がいかにも『最果ての駅』としての雰囲気が醸し出されています。さらに『流氷に一番近い駅』といわれているのも、冬になると流氷が立ちどころに見られるようになるからなのです。

ビクティニ:流氷が見られるとまた景色もきれいだけれど、今は流氷が見られないから、ちょっと物寂しい・・・。

ミュウ:それに風も強いから寒いかも・・・。

 

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知床半島方面を見る北浜駅
駅舎の横にある展望台に登って知床半島方向を見てみましょう。

オホーツク海の向こうには知床半島があり、その半島にそびえる山々が見えるのは『知床連山』です。知床連山は、右側から見て『斜里岳』『海別岳』『遠音別岳』『羅臼岳』『三ツ岳』『硫黄岳』、そして知床半島の一番奥に『知床岳』がそびえ立っています。我々がこれから向かうであろう知床半島のウトロまではここからだと、まだまだ距離がありそうです・・・。

 

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網走方面を見る北浜駅

 網走方面です。ここから海岸沿いに行くと能取湖サロマ湖湧別町紋別市などがあります。もし訪問時期がもう少し早ければ流氷が見れたのかもしれません。また、天気がいい日には夕日朝日が見れるので、夕日の北浜駅も見てみたいものです。

 

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北浜駅のカフェレストラン『停車場』

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レストランの天井にも実際に使われた鉄道部品が飾られている
北浜駅に併設されているカフェレストラン『停車場』レトロな駅舎の雰囲気を楽しみながらお食事ができます。

カフェの椅子はかつて釧網本線や石北本線などで活躍したと思わしき旧型客車の座席が使われています。また、床や天井には網棚、転轍機、サボ、機関車のプレート、タブレットなど、様々な鉄道部品が数多く飾られています。しかも、窓際のテーブル席には天井に網棚が配置されていて、あたかも列車に乗車している感覚でお食事ができるという鉄道ファンならとても喜ぶお食事スポットです。

★興味のある方はこちらからどうぞ★

HOME | オホーツク海に一番近いJR北浜駅・喫茶「停車場」【公式】

 

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北浜駅『停車場』での昼食

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デザートのティータイム

『停車場』のメニューには名物の『停車場ランチ』をはじめ、カニラーメン、カレーライス、オムライス、パスタなどがあります。昼食にはカツカレーをいただきました。これだけ鉄道グッズに囲まれた雰囲気のあるレストランで食事をしていると、まるで食堂車で食事をしているようです。窓越しには釧網本線のホームとオホーツク海が見えます。もっとも釧網本線の列車本数が少なすぎるので、昼食時に列車が見れることは無いのでしょうが・・・。

ビクティニ:レトロな駅舎で鉄道の雰囲気を感じながら食事ができるなんて、夢みたいだ・・・。いただきます!・・・うまい!

ミュウ:ここにある鉄道グッズはみんな当時物なんだろうね。美味しい!

シャワさん:たまにはカツカレーもうまいよな!

にょろもう:落ち着くし、おいしい。

ゴンベ:うまいっぺ!流氷も見れたらもっといいっぺ~。

 

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知床方面への道中景色

北浜駅で昼食休憩後、国道244号で斜里方面へ進んでいきます。さらに国道334号と合流してウトロ方面へ進みます。


★北浜駅から知床ウトロまでのルート★

 

国道334号線に入ると、知床半島の海岸線に入ります。進行方向左側に広がるオホーツク海を眺めながら淡々と続く道をドライブするのが楽しい気分になります。

 

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オシンコシンの滝

 北浜駅からクルマを走らせて約1時間弱・・・。『オシンコシンの滝』に到着しました。

斜里からクルマでウトロ方面へ向かう国道334号線の途中にあります。

『オシンコシンの滝』は、水の落下が途中で二つに分かれていることから、別名『双美の滝』と言われており、『日本の滝百選』にも選ばれています。この滝はチャラッセナイ川(アイヌ語でチャラチャラ滑り落ちる水という意味)の河口付近に位置し、高さは約50メートルあります。『オシンコシンの滝』は、アイヌ語で『オ・シュンク・ウシ』からなり、『川下にエゾマツが群生するところ』という意味から、その名前が由来になっています。

また、オシンコシンの滝の駐車場には売店があり、中には珍しいものが売られているので、興味深いものもあるのかもしれません。

 

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オホーツク海へ流れ落ちる川の水

オシンコシンの滝から大きく流れ落ちた水がオホーツク海へ悠々と流れていきます。海げ流れる小川の周りの岩には苔が生え、周りの草木もいかにも原生の植物を思わせます。

 

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近くで見るオシンコシンの滝

オシンコシンの滝の近くまで行って見てみましょう。

滝の麓にいると、まさに水しぶきが身体に掛かるほどダイナミックなスケールです!

知床(ウトロ)の入り口にある滝とはいえ、十分に知床の自然の中にいることが実感できます。そして、海岸沿いを流れる滝としては珍しく、しかも大規模な大きさの割には駐車場から近い場所にあるのも珍しいのではないでしょうか。

ビクティニ:ずいぶん大きな滝だ・・・。華厳の滝よりすごいかもね。

ミュウ:こんなに近くで見れるんだ。

シャワさん:すごい水しぶきだけど、水タイプの俺には気持ちいいぜ!

にょろもう:ちょっと寒いけど、涼しいよ~。

 

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ウトロの街並み

オシンコシンの滝からしばらくクルマを走らせていくと、ようやくウトロの街並みまでやってきました。

ここが世界自然遺産『知床』の観光拠点『ウトロ』となります。

ウトロの街並みは斜里市街地から約50kmほど離れた場所にあり、クルマで40分ほどで行けます。また、知床斜里駅からは路線バスも出ています。ただ、ここまで来る路線バスの本数は少なく回れる箇所も限られてくるので、知床の自然をじっくり満喫したいならばレンタカーを借りるか自家用車で回る方が望ましいかと思われます。しかし、札幌からクルマでここまで移動するとなると、移動だけでも丸1日は掛かってしまうという覚悟は必要かもしれません・・・。

ウトロは、漢字で書くと『宇登呂』となり、アイヌ語で言う『ウトゥルチクシ(その間を我々が通る場所)』という意味からなっています。また、ウトロには漁港があり、オホーツク海でとれたサケやマス漁が盛んに行われ、観光では観光船やクルーザーで知床岬方面へのクルーズの船着き場にもなっています。

ウトロはオホーツク海に面した環境に位置しているため、『海洋性気候』となっています。これは他の地域と比べると冬とはいえども、冷え込みが弱く、比較的温暖で、過去最低気温は-21℃と比較的高いのです。真夏でも涼しい場所ですが、実は国内において特に気候の変化が激しい場所であり、フェーン現象によって天候や季節、時間帯によっては暑くなったり寒くなったりすることが多かったりするのです。そのため、気候によっては春や初夏になっても内陸の山岳部には雪が残っていたり、あるいは5月でも雪が降ってきたりするのもザラだったりします。また、フェーン現象によって生じる風向きによって気温が乱高下を起こしやすく、どんな季節でも真夏と冬の気候が混同することも珍しくないそうです。ですので、知床をドライブする際は事前に当日の天気や注意報などの情報をよく確認した上で行かれたほうがよろしいかと思います。

 

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ホテル知床に到着

天気が次第に悪化してきたので、早めにホテルでチェックインの受付を済ませました。本来は夕方に観光船でオホーツク海や知床半島のクルーズを楽しむ予定でしたが、この日は天気が悪かったので、網走監獄やオシンコシンの滝を観てから宿泊先のホテルに入るという形になりました。ということで、明日は知床観光船や知床峠、知床五湖を回りたいと思います。

ビクティニ:いきなり天気が崩れるとは思わなかったな・・・。やっぱりオホーツク海側にいるから天気が変わりやすいんだろうね・・・。

ミュウ:さっき北浜駅やオシンコシンの滝にいた時は風も強かったもんね・・・。

 

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知床のホテルの夕食

知床のホテルに出る夕食には、北海道ならではの食材がふんだんに使われています。和洋折衷な料理をはじめ、海鮮ものやお寿司、カニなどが出たりするのも知床ならではです。

ビクティニ:北海道といえばカニがおいしいよね!いただきます!うまい!(煉獄さん風)

ミュウ:温泉も気持ちよかったし、お刺身も美味しいよ!

ゴンベ:もうお腹が空いたっぺ、いただきますだ~!ガツガツ・・・うんめだー!

シャワさん:知床のご飯はとてもうまい!やっぱり育つところが違うんだよなあ。

にょろもう:美味しい!

 

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ホテルの部屋

ビクティニ:今日は網走監獄とオシンコシンの滝を観てきたけど、網走監獄って五つに伸びた舎房があるだけでなく、農園監獄だったのは初めて知ったよ。

ミュウ:明日は遊覧船に乗って知床五湖を探検に行くんだね。リングマに出くわさないかちょっと心配かも・・・。

シャワさん:リングマはいないと思うけど、あそこはヒグマの生息地だからな。知床五湖には『地上遊歩道』があるはずだから、そこに入るためには、事前にレクチャーを受けないといけないからな。後は、遊歩道を散策する時は、何か音が出るものを持っていった方がいいかもな。

にょろもう:でも、あそこは湖があるから涼しくて快適かもね。

ゴンベ:明日も美味しいものが食べられるといいっぺ。

作者:え~っと、明日は知床峠へ行く道は開通するはず。でも、通行時間が9時半~16時までか・・・(明日の旅行日程の計画中)。

 

『GW道東紀行3日目後半』終わり

4日目へ・・・。

 

GW道東紀行3日目前半 ルパンでも脱獄不可能?!日本最恐の刑務所 網走監獄の秘密

みなさん、こんにちは。

3日目は日本最恐といわれた『網走監獄』を観て、その後は知床へ向かいます。

 

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朝の網走駅

これから、レンタカーを借りて網走監獄や知床へ行く予定なのですが、網走駅前のレンタカーは9時からとのことなので、それまで網走駅のホームを見学してみます。

ビクティニ:随分レトロな駅だね。まるで当時のままで残っているかのよう・・・。

ミュウ:主要駅のわりには古い駅だね・・・。

 

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網走駅に停車中の普通列車

網走駅は、JR石北本線釧網本線の発着駅です。

ここは石北本線の終着駅ということもあり、札幌からの特急列車もここまでやってきます。そして、ここから釧網本線が釧路まで続いています。国内での乗換駅としては、最北端です。実は、当初の網走駅は、現在とは別の場所に初代網走駅として建てられましたが、ここから釧路方面へ続く釧網本線が輸送力に期待されることから、釧網本線の全線開通と同時にこの場所に現在の網走駅として移転し、当初あった旧網走駅は『浜網走駅(貨物駅)』となり、昭和59(1984)年には廃止になります。また、かってはこの駅から湧網線も分岐されていましたが、それも昭和62(1987)年に廃止となっています。石北本線の普通列車はキハ40系およびキハ54系が活躍しています。

ビクティニ:昔の網走駅は蒸気機関車がたくさん活躍していたんだろうね・・・。

ミュウ:東京と全然違って、みんなディーゼルなんだ・・・。

 

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網走駅 改札口

網走駅の改札は、東京や首都圏とは違って常時改札が行われているのではなく、列車が到着した時だけに行われるようです。ただ、入場券を買うと駅構内を自由に見学できます(ただし列車には乗れない)。どちらも本数が少ないので、どこぞのローカル線の駅のごとき、列車の到着時間に合わせて駅員さんが検札をします。もっとも令和でも自動改札でないいわゆる駅員改札が残る駅は、まさに昔ながらの駅という雰囲気が残っています。

 

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当時の石北・釧網本線の写真

昭和40年代の石北本線と釧網本線には多くの蒸気機関車が活躍していました。

特に旭川方面から来た石北本線には多くの急行や特急、貨物列車が行き交っていたようです。

 

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網走刑務所の作業製品

駅には網走刑務所の作業製品が展示されています。

刑務所で作られた日常品や調度品などがグッズとして販売されています。これらのグッズは、この駅から女満別方面へ1キロぐらい行った網走刑務所で売られていて、中にはそこらのホームセンターのものより安い値段で家具や調度品も販売されているようです。

 

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網走名物 かにめし弁当
さて、網走の名物といえば、やはり『かにめし弁当』が美味しいです。

網走に来たら、ぜひとも食べてほしい逸品です。今回はホテルで素泊まりした分、網走名物である『かにめし』を朝食としていただきました。しかも朝ということもあり、炊きたてで美味しかったです。

ビクティニ:いただきます!・・・うまい!(煉獄さん風)やはり炊きたては違うね!

ミュウ:カニの匂いが香ばしくて美味しい!

ゴンベ:いただきますだ~!ガツガツ・・・うまいっぺ~!

シャワさん:うまい!これぞ北海道グルメの醍醐味ってやつだな。

にょろもう:こんな美味しいものが朝ごはんなのは、最高!

 

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石北本線と釧網本線の存続へ・・・

JR東日本JR東海は優秀である一方、JR北海道九州四国貨物は国鉄民営化から赤字傾向になっているといわれています。

特にJR北海道は、他のJR会社の中では一番経営状況が芳しくないと言われています。

JR北海道の鉄道網は、札幌圏や函館圏を除くと、ほとんど利用者が少ない区間が多いのが現状です。昭和30~40年代当時はまだ、クルマの普及が進んでおらず、道路の整備が進んでいない時代でもあったことから、鉄道の需要がまだまだあり、たくさんの鉄道路線が存在していたのです。しかし、モータリゼーションの進行とともに、道民の生活がこれまでの移動手段である鉄道から自家用車へと次第に変わっていきました。そのため、末端路線いわゆる『特定地方交通線』といわれる路線は次々と廃止になっていき、令和に入ってもなお、廃線や廃駅が進んでいるというのがJR北海道の現状です。

そして、それらの多くの路線が『単独維持困難線区』いわゆるJR北海道単独での維持が厳しい路線がほとんどで、石北本線や釧網本線もその部類に含まれています。特に石北本線は、札幌から北見・網走などの都市間輸送においては重要な路線なのにも関わらず、JR北海道だけでは維持するのが難しいそうです。一方、釧網本線では沿線にオホーツク海沿岸の流氷世界遺産の知床阿寒摩周国立公園釧路湿原などといった景観的な観光資源に恵まれていることから、道東の観光路線として存続しているため、観光の振興としては大いに発揮できる可能性があります。しかも、沿線にこれだけ魅力的な観光地があるのは国内的に見ても非常に稀だそうです。そのため、時期のよってはノロッコ号や冬の湿原号などの観光列車で賑わいます。

そして、令和に入って間もない時期に、少子高齢化による人口減少社会はもちろんのこと、例の病気の影響で『緊急事態宣言』とともにJR北海道の経営は更に悪化しつつあるのが皮肉な状況下でもあります・・・。この状況下で鉄道を支えるためにも、沿線自治体の援助や我々旅行者が鉄道を活用することが重要です。なので、北海道の列車本数が少ないからと行って、なんでもレンタカーだけに頼るのでなく、鉄道の旅も楽しんでこそ、真の北海道の魅力が伝わるかもしれません。

 

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網走監獄入り口(鏡橋)

さて、網走駅でレンタカーを借りて『博物館網走監獄』へ足を運んでみます。

この橋は、網走刑務所の囚人たちが収容される時も出所の時も、『川面に我が身を映し、襟を正し、心の垢をぬぐい落とす目的で岸に亘るように』と刑務所の外堀に沿って流れる網走川に架かる橋を必ず渡らければならないのです。そのため、この橋は『鏡橋』といわれています。ちなみに、鏡橋は4回にわたりかけ替えられていますが、この橋は2代目で五条大橋で有名な擬宝珠を模倣して造られたものです。

 

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博物館網走監獄 入り口

『博物館網走監獄』の入り口で、ここから先が凶悪犯罪者も恐れる『網走監獄』になります。

当時の網走村に『網走監獄』が設置されたのは明治23(1890)年のことで、その10年後、『網走区裁判所』も設置されたのが始まりです。当時、この地方の村に行刑施設や司法施設が各々の役割を担って歴史に刻んできました。これは「法のもとで裁かれ、行刑施設で罪を償う」という秩序に基づき、網走は罪を憎み、正義と向き合ってきた街であるということです。博物館内にある施設は旧構築物を移築した上で復元し、北海道開拓の基盤として築き上げてきた功績を行刑資料などとともに顕彰し、当時の構築物の保存公開を通して北海道における教育的な文化の発展を後世に伝えています。

 

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博物館 網走監獄について

『博物館 網走監獄』は昭和58(1983)年7月6日に開館した公共的博物館で、公益財団法人『網走監獄保存財団』が運営しています。

これは昭和48(1973)年から網走刑務所の全面改築が始まったのを契機に多くの市民の間から『網走監獄』と呼ばれていた明治当時の建造物を『文化財』として移築復元すべく財団法人として設立されました。この財団法人の手によって貴重な遺構がまさに後世へ伝えているということですね。

 

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網走監獄 正門

入り口から入ると、一際目立つ大きな赤レンガの門が立っています。

これは『赤レンガ門』という、網走刑務所の正門です。大正13(1924)年に建築され、全長は23.2メートルあります。重厚で威風堂々とした大きな赤レンガの門が、いかにも『最果ての刑務所』といわれるだけあって、当時は恐れられた時代の刑務所としての威厳を感じさせられます。門の左右には部屋が設けられ、一人が正門の担当看守が受付として配置され、もう一人が面会に来た家族などの待合室や申込みに使われていました。

そして、この建造物に使用されている煉瓦・・・実は普通の煉瓦より20~30%小さいのです。それは煉瓦を焼成する時に窯の中に塩を入れ、塩が分解する1,160℃以上の高温で焼き上げることで、釉薬をかけた黒褐色となり、このような小さく黒い煉瓦が出来上がるのです。ちなみに、この焼き方は今では使われていないため、かなり貴重なものだそうです。

 

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網走監獄 庁舎

網走刑務所において管理部門は欠かせません。

そこで、刑務所の管理部門の主軸としての役割を担う『庁舎』が建てられました。最高責任者の典獄室をはじめ、会議室、総務課、戒護課、用度課、教育課、作業課の各課に区切られていました。

この建物は明治45(1912)年に建てられ、木造平屋建てで、寄棟瓦葺き屋根に屋根窓があるのが特徴で、半月型のアーチに窓が設けられ、中央の破風には紋章である『旭日章』が飾られています。屋根窓は左右両端後方に両翼を延ばし、正面4箇所、両端にそれぞれ1箇所ずつの合計6箇所に半円アーチのドーマー窓も設けられています。

 

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フィニアル風(頂華)の鬼瓦
上部にはフィニアル風の鬼瓦を掲げた切妻破風やアーチの破風板意匠を見せ、洋風の窓が奥に埋め込まれ、その下の鬼瓦を掲げた入母屋屋根の車寄せポーチも洋風の建造物を物語っています。

このように明治期に建てられた建造物は、当時の学校や官公庁の建築に見られた様式であり、いわば和洋折衷の『擬洋風建築』といわれ、水色やグレーを纏った庁舎に明かりが灯れば、網走の人々からは『最果ての不夜城』といわれるほどだったといいます。しかし、初代の庁舎は明治42(1909)年の火災で焼失してしまいます。その3年後に二代目の庁舎として再建され、監獄の管理棟として活躍し、昭和63(1988)年に博物館網走監獄に移設保存され、重要文化財に指定されています。

 

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囚人苦役論および苦役本文論

網走監獄の歴史は、明治維新後の近代国家への脱皮を目指して邁進する明治維新新政府にとって、アジアへ進出する列強の動きに乗り出す時代から始まります。

当時はロシア帝国の南下政策に対する危機感が強いため、北海道の防備強化のため、開拓を推進することが新政府の急務となっていたのです。そこで、当時膨大な数に膨れ上がっていた長期重罪囚らを開拓の先兵として送り出されることになります。これは、当時の太政官大書記官金子堅太郎による発想で、「もともと彼等は暴戻の悪徒であって、尋常の工夫では耐えられぬ苦役に充て、これにより斃れても監獄費の支出が減るわけで万やむを得ざるなり」という要約としてこの『囚人苦役論』が提案されました。それこそが、内務卿山縣有朋の廉価な労働力で北海道開拓を進め、さらに刑が終了した囚人が住み着くことで、北海道の人口増加を促進するというのが『苦役本文論』として引き継がれ、初代北海道庁長官こと岩村通俊によって囚人による北海道開拓が推し進められることとなったのです。

 

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樺戸集治監 建設予定地の見取り図

北海道に建設される集治監の建設地は、石狩川沿岸、胆振後志方面、そして十勝川沿岸の中から選ぶこととなります。内務卿の一人である伊藤博文は、月形潔を団長とする8名の調査団を北海道へ派遣し、それら三候補の中から調査を行いました。その結果、札幌に近い場所ながら豊かな土地が広がり、なおかつ水運の便を持つ石狩川に近い立地から、樺戸郡石狩川上流にある『須部都太(すべつぶと)』が最初の集治監建設地として選ばれたのです。その集治監は2千人の囚人が収容できるもので、明治14(1881)年に完成。この集治監の初代典獄が月形潔で、その場所が現在の『月形町』になったのもその由来になったと言われています。

 

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監獄開拓と集治監

明治に入る前の北海道は、まだ未開の地でもありました。

当時は『蝦夷』といわれていたこの大地に住む人々は野草を摘み、鳥獣や魚を捕るといういかにも原始的な生活をしていたのです。そこで、未開の蝦夷の地に『監獄の開拓』『屯田兵開拓』『移住民開拓』の三つの段階で進められ、中でも『監獄の開拓』によって道が敷かれたり、家が建てられたり、森だった土地に農耕地として拓かれるなど、屯田兵や移住民の入植を進めるための基礎的条件が整備されることになったのです。

その開拓の拠点として『集治監』が設置され、明治14年に監獄則が規定されました。この集治監は内務省直轄の大規模な監獄で、フランス刑法典の流刑植民地で用いられた中央監獄方式で、本監をもとに分監を配置し、囚人労働による殖産の実を挙げることを目指した重罪流刑囚の刑執行方法です。このように、道内においては明治14年に樺戸集治監、その翌年に空知集治監、道東へ飛んで明治18(1885)年に釧路集治監、その分監が明治23(1890)年に網走囚徒外役所、明治26(1893)年に帯広外役所が設置されることになったのです。それらの拠点として送られた大勢の囚徒たちが、道路の開削や屯田兵屋建設、農地開拓、石炭や硫黄の採掘など、様々な開拓事業に使役されたのです。

 

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釧路監獄署網走囚徒外役所の開設

釧路集治監典獄こと大井上輝前は、網走より北見や石狩地方へ伸びる国道中央道路の建設を、北海道庁から請負い、工事の起点が網走村から始まりました。外役所の設置場所の調査にあたったところ、原始林に囲まれ、網走川に沿った地形が最適な環境であったために、この場所に設置されました。先遣隊50名による仮監と仮事務所が2か月間かけて建設され、釧路より囚徒1,200名および看守173名が、網走村への移動が始まり、ロシア帝国からの南下政策に備えるべく、中央道路の開削拠点地として『釧路監獄署網走囚徒外役所』が開設されたのです。

その収容施設には囚徒1,500人が収容できる一大監獄であり、後に網走囚徒宿泊所、釧路集治監網走分監、さらに北海道集治監網走分監に改名され、その動きから独立した集治監として発足することになったのです。

 

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囚人労働によって大地に拓かれた道路と土地

囚人労働によって拓かれた土地は総面積7千k㎡で、拓かれた道路も724kmという長大な距離におよびました。そして、道路だけでなく、土地や田畑などの開墾も囚人たちの重労働よって北海道の開拓が進行されたのです。しかし、未開拓地ということもあり周辺はヒグマが出没しやすく、なおかつ北海道は非常に広大な原野での超重労働はまさに過酷な作業環境でもありました。加え冬期には雪や厳しい寒さに耐えられなくなって死亡した囚人も少なくありません。しかも、その重労働によって耐えられず死亡する極悪人が次々と処分されることで、刑務所にとって都合がようで、まさに『地獄の監獄』というのはこういうことです・・・。

その後、囚人労働はあまりにも過酷であったのか批判を浴び、大正に入ると一段落しますが、それでも開拓するべく労働力が必要で『拘禁労働』が生まれます。これは内地から騙されて連れてこられた若者たちを雇い、非常に過酷な肉体労働に従事していたのです。主に鉄道建設や土木工事などが主流でしたが、安全性や衛生などを完全に無視した長時間労働で、残酷な言い方をすると自分の体を食べて生きのびるタコに例えられ、もしくは他の地域から雇われたことを意味することから『タコ』と罵しられながら労働することから『タコ部屋労働』と言われています。しかも逃げ出そうとすると処刑され、中には生きたまま人柱にされた者もいたようです・・・。

これが恐ろしいほど惨状な背景にあった『北海道開拓』の歴史です。

 

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網走刑務所二見ケ岡刑務支所 小屋組

網走刑務所の二見ケ岡刑務支所は木造の刑務所で、日本最古のものです。この舎房は明治29(1896)年に創設され、三翼からなるT字型の建築物です。移築時の調査によれば小屋組み形式が三翼とも異なっていることが確認されています。それら三翼のうち二翼が洋風、一翼が和洋折衷という形式です。それらの形式の中で『和洋折衷』をはじめ『キングポストトラス』『クイーンポストトラス』の三種類が用いられました。特に『和洋折衷』『クイーンポストトラス』は構造としてはよく似ており、いずれも無柱構造としては安定しています。

 

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釧路集治監 網走囚徒外役所 正門

刑務所の門塀は、受刑者の逃走を防ぐことで、社会の治安を守ることが目的で必要なものですが、社会の目から受刑者を遠ざけるために造られたものです。この塀は、明治5(1872)年の監獄則に基づいて石造りか煉瓦造りにすることが定められていましたが、監獄設置の永久性や仮設性、資材の調達関係など、地域の事情によって造られていました。網走の場合は、資材の調達が困難であったことから、創設当時は木造だったのです。

 

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教誨堂

釧路監獄署網走外役所として設置されて以来、農業監獄として整えられた明治30年代の網走監獄建物群は、樺戸集治監や釧路分監の建造物をしのぐほど優れたものであったといわれています。

ところが、これらの建造物は明治42年の火災によって焼失してしまいました。

こちらの『教誨堂』は明治45年の復旧時に建てられたもので、作業で切り出した木材を使って造ったものです。

受刑者いわく『神仏の宿る家』ということで、どの建物よりも精魂こめて造られたものだそうです。屋根は桟瓦葺入母屋造りで、小屋組みは二重梁より上に『キングポストトラス』を組み込んだ大スパンのクイーンポストトラスで、柱や陸梁を方杖で固め、無柱の大空間を実現しています。また、屋根の瓦も網走監獄の窯を使って焼いたもので、妻飾りの破風には植物の葉をあしらった独特な鰭付懸魚が吊るされています。これは、和洋折衷の意匠や技法を組み合わせた建築技術が込められています。

教誨事業の行われた講堂であり、教誨とは収容者に対して精神的、倫理的、宗教的な強化指導が行われます。僧侶や牧師さんなどの宗教者が刑務所を訪れ、受刑者に人の道を説き、犯罪で荒んだ気持ちを和らげ、更生へ導くことに尽くしたといいます。このように「宗教心を持つことが大切であるということ」が説かれることで獄則を守り、希望を持って再生への道を歩むことが教え導かれたのです。

この建物は、昭和56(1981)年に移築復元され、平成17(2005)年に国の有形文化財に認定されました。

 

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三眺ブラスバンド

 戦前までは教誨事業による仏教の浄土真宗本願寺系の宗派が行っていたことから、正面には仏壇をこしらえ、阿弥陀如来像が安置されていました。戦後になると、多目的の場となった教誨堂では、軽スポーツをはじめ、仏壇が置かれていたスペースが舞台へ様変わりし、演芸会や映画会が開催されるなど、受刑者たちにとっては、まさに憩いの場となったのです。

中でも、演芸会は受刑者たちには楽しいひと時でもあり、収容者の情操教育の一環として職員の指導による『網走刑務所三眺ブラスバンド』が結成されました。正月の元旦にはその『三眺ブラスバンド』による娯楽演芸大会が開かれていたのです。そして、その演奏に使われた楽器は、昭和24(1949)年当時から使われていたものです。

 

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書写

演芸会やスポーツの他に、書写も行われていました。自分たちで書写を書くことで、自らの心を清めていたのでしょう。

 

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教誨堂では図書の貸出しも行われていた
教誨堂では図書の貸出しも行われていました。

教誨堂(刑務所)に保管されている図書は『官本』といい、貸出簿に記入してから貸し出され、または閲覧カードに読みたい本の名前を記入し、それを閲覧カード入れに提出すると、教育課から居房に本が届くという感じになっていたようです。これらの図書は、辞書や学習書をはじめ『石盤』という受刑者の漢字練習や算数の計算練習などに使ういわばドリルのような練習学習本まで用意されるなど、受刑者の教育に関するジャンルが用意されていました。他にも刊行物まで用意されていたようです。

 

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網走刑務所の歌

そして、網走刑務所には刑務所の歌まであります。ここまで用意されていると、受刑者たちの教育というか、まるで学校のようです。

 

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教誨堂の教育沿革と図書利用についてなど

教誨堂は、文字通り受刑者たちに教誨を行う場所で、原則として休業日や日曜日に行われます。教育は基本的に18歳未満の受刑者に行われますが、一般の受刑者でも場合によっては受けることもあるのだとか。教誨堂が憩いの場でも、階級によってできることが限られているようです。また、図書の閲覧でもそれぞれ決まりがあるようです。

 

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行刑史に見る監獄教誨・教育の改革

教誨の歴史は、以前にお話した『安政の大獄』のあまりの残酷な出来事からはじまります。明治に入ると牢獄の改善をなすべく、教憲三条『国民教化運動』進出して神職や僧侶によって初めて『教誨』が行われました。その三条には、神国の旨、天理人道、そして皇上を奉戴し朝旨の遵守というもので定められていたのです。これは、『教誨』の語意として父母の慈愛と仏陀の慈悲、あるいは詩経晋書にある語句で仏典で使われるようになったといいます。そして、時代が進むごとに次第に『受刑者たちの憩いの場』として変わっていくのでありました。

 

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懲罰房

これは樺戸集治監にあった懲罰房ですが、これは、獄内で規則を犯した受刑者に対して七日間、重湯だけの生活をさせて懲罰を与えるために設けられたものです。

このような房が立ち並ぶ周囲に木塀で囲むことで、その房の中は『闇堂』といい、さらに房の中には日光など外からの光が入らないことから『闇室』とよばれていました。

 

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煉瓦造り独居房

さらに監獄内で規則を守らない受刑者に対しては、もっと重い罰が課せられていました。

それは、一定の期間に食事の量を減らすという罰があったからなのです。

そこで、明治末期に造られた『独居房』には屋根が全く無く、扉は二重になっており、さらに煉瓦造り(イギリス積み)という重圧なもので40cm以上はあります。正面に前室があり、その先には鉄格子で隔てた独居室が設けられています。

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独居房の内部

これは、明治期当時の監獄の決まりには「規則に違反した者は窓の無い暗闇の部屋に閉じ込め、さらに食事を減らして反省させる」というとても厳しい罰則があったことから、その目的で建てられたものと思われます。・・・確かに狭い暗闇の中での生活は辛いでしょうし、食事も殆どないというのを考えると、かなり苦しい罰だったでしょうね・・・。夏になると分厚い壁で余計に暑く、冬になると極寒でしょうし・・・。ちなみにこれは明治45年に建てられたもので、登録有形文化財に指定されており、明治期の行刑施設の現存としては非常にまれだそうです。

 

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網走監獄の浴場
監獄には、浴場も用意されています。

これは、千人近い受刑者を効率よく入浴させるため、入浴時間は15分と決められ、刑務作業のグループごとに入浴させていました。脱衣場で服を脱ぎ終わると、一つ前の浴槽の前に並び、看守の号令とともに浴槽へ入ります。一つ目の浴槽には三分間入り、次に体を洗い、さらに二つ目の浴槽に入った後、髭を剃ります。こうして各々の工程時間を三分刻みで行うことで、合計15分間という入浴時間になるのです。浴槽は、立ち膝で手を上げた状態で入浴させるために深くなっています。おまけに看守の監視で私語や愚痴などが許されない空気に包まれながらも、この入浴の時間は受刑者たちにとっても日課といっていいほど楽しみの一つだったようです。

そして、入浴するのに必要なタオルや石鹸は官給品として支給されます。さらに成績優良者には官給品の他、所内で指定された物の中から選んで購入することができます。それを『自弁品』といいます。石鹸は盗んだり無駄遣いをさせないようにするため、吊るしたり袋に入れるなどして使わせていました。

 

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網走監獄 五翼放射状平屋舎房

網走監獄で代表的なスポットで、受刑者たちが脱獄することが困難といわれた『五翼放射状平屋舎房』です。

当初は明治42(1909)年の火災で焼失されてしまいましたが、後に復旧工事が急がれ、五つの舎房からなる『五翼放射状平屋舎房』として明治45年に建て直されました。

上空から見ると、その名の通り見張り台を中心に五方向の放射状に各々の舎房が伸びており、庁舎と並んで網走監獄における主要施設です。そして、明治期に建てられた木造監獄建築としては稀少なもので、歴史的価値が高いとされています。この舎房は明治45年から昭和59(1984)年まで使用されており、まさに明治からの獄舎としては、完全に原型を留めた国内最大規模なものだったといいます。そして国内の監獄としては最北端ということもあり、歴史的・学術的にも非常に貴重な遺構であるということが窺い知れます。

 

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中央見張所
舎房の中に入ってみましょう。

中央に見張所が設けられています。これは受刑者が逃亡や脱獄できないようにするため、看守が五つに延びた通路を180°見張ることができるようになっていたのです。

ビクティニ:なるほど、たしかにこれじゃ例のルパン三世でも脱獄できないわけだ・・・。

ミュウ:しかし、24時間も見張り続けるってなるとね・・・。

 

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網走監獄 舎房の内部

舎房の内部は、いかにも監獄らしく薄暗い空間です。

まさに『網走刑務所』のイメージそのものです!

見張り台から延びる五つの舎房の廊下は、ベルギーの監獄をモチーフにしたもので、いかにも受刑者たちが逃げることができない空間にするためだといわれています。また、五翼放射状平屋舎房ということもあり、中央見張所を起点とした五棟の舎房が放射状に造られているため、少人数でも監視しやすいという利点があったといいます。こうして明治から昭和末期まで70年以上も『現役の獄舎』として網走刑務所で使用されていたというのを考えれば、歴史を感じさせられますね・・・。ちなみに現存する木造舎房としては世界最古だそうです。確かにここまで薄暗いと日本最恐と言われるのも頷けます・・・。

 

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舎房廊下の天井

舎房には、第1~5舎があり、舎房の廊下の長さも違います。第1・3・5舎が約58メートル、第2・4舎が約73メートルあり、明かり窓が第1・3・5舎に2箇所、第2・4舎に3箇所設けられています。廊下の天井には、下弦材を鉄筋で繋いだクイーンポストトラスの小屋組み、中央部には逆Y字の鉄筋の開き止めが露出されています。

 

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舎房の廊下に設置されたストーブ
網走は極寒地であるため、ストーブや暖房は欠かせません。

いくら極悪人を収容するための施設でも、やはりストーブといった暖房機器を設置しないわけにもいきません。そこで監獄内でもストーブが設置されることになります。当初は薪ストーブが使用されていましたが、時代が進むとともに石炭、石油、スチーム暖房へと近代的に整備されていきます。第5舎に設置されているストーブは2台設置され、これは均等に暖気が伝わるようにするために、非常に神経を使うことから、決められていたといいます。こちらの薪ストーブは、かつて網走刑務所で使用されていたものと同じものを受刑者たちで製作したのだそうです。

 

 

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雑居房

受刑者を収容するための部屋である『雑居房』『独居房』が2種類で合計226室あります。

雑居房は六畳分の広さがあり、定員は3~5名ほどで126室あります。

 

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斜め格子

この刑務所の第1・3舎房室の廊下側には、暖房、換気、通気、監視を兼ねた独特の菱型の斜め格子になっています。これは収容者同士で向かい合う部屋の中を見ることができなくし、廊下から監視する看守からはいずれの部屋の監視ができる構造になっています。

 

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独居房
 文字通り定員1名の居房もあります。

これは『独居房』というもので100室あります。当然ながら雑居房より狭いので、窮屈な感じがします。また、監獄の中で規律違反を繰り返す受刑者に対して懲罰が与えられ、些細なことであれば、典獄の判断によって職員の訓戒で済ませられる場合があります。しかし、その違反行為があまりにも酷い場合は『屏禁罰(へいきんばつ)』というとても厳しい罰が与えられ、この狭い独居房の中に日夜一定の期間に入れられ、部屋から出さずに減食させて反省させられます。さらに『重屏禁』になると、暗闇の房内に閉じ込め、寝具すらも与えられません。さきほどの煉瓦造りの独居房と罰が似ていますが、暗闇の中に閉じ込められると思うと・・・。

 

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くの字格子

先程の『斜め格子』は向かい合った受刑者同士で耳打ちしないように作られていますが、第2・4・5舎房室の一部の廊下壁には格子の断面が『く』の文字になっているものがあります。これは受刑者が完全に廊下への視界を完全に遮断するためで、さらに廊下からも見れないようにしつつ、廊下からの暖房などの暖かい空気を入れるような構造になっています。また、扉の穴は受刑者が不審な行動や規則違反などをしないように監視するために設けられた穴で、これを『視察孔』と呼んでいました。

 

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網走監獄について
網走監獄は、網走の50人の先遣隊によって創設されたもので、これは『農業監獄』を意図に設計されたことから、他の集治監より優れていたのです。

当初は網走刑務所から2kmほど離れた二見ケ岡に大農場を開墾します。しかし、明治42(1909)年に大火に見舞われ、ほとんどが焼失してしまいます。その翌年に監獄の復旧が始まり、復旧工事は収容者たちによって行われました。そこで、新たに建てられた監獄は、建物の配置や質素など、保安の看視および経営の得失を考慮したものと思われます。また、網走監獄を再建する際、中央から放射状に獄舎を見張る形式にするのですが、ある記録によれば、十字型の獄舎にするという案もあったようです。

 

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天才脱獄魔 白鳥由栄

そして、いくら日本一最恐かつ脱獄不可能と言われた網走刑務所でも、やはり脱獄した強者はいました。

それもそのはず天才脱獄魔とうたわれたこの男・・・白鳥由栄だったのです。

それは、緻密な計画を企てることはもちろん、大胆不敵な行動力人並み外れた体力、そして、人心掌握術などを使って何度も脱獄を繰り返していたのです。さらに特別厳重な監視の中でも成功しており、府中刑務所で最初は反抗的な態度でしたが、それがうそのごとく変貌し模範囚になります。こうして脱獄不可能と言われた監獄を抜け出し、天才的な脱獄術を持つ強者は、まさにルパン並の能力です!そんな脱獄を繰り返しつつも、懲役を科せられ、府中刑務所で13年間過ごし、昭和36(1961)年には仮出所となり、その後は真面目に働きました。

 

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明治の脱獄王 西川寅吉(五寸釘寅吉)

明治期にも、この刑務所から脱獄した強者がいました。

それは、五寸釘を使って脱獄を企てた西川寅吉という脱獄王で、『五寸釘寅吉』というあだ名を持っていました。

彼も白鳥由栄と同様、人並み外れた身体能力や囚人仲間の手を借りて脱獄を6回も成功させたといいます。彼は三重県出身で、若い頃は伊勢で丁半博打のいかさま師といわれ、盗みを見つけた巡査から逃げるとき、土塀を越すために五寸釘を踏み抜いて12kmも走り追跡からまいたことからその異名が付けられていました。こうして窃盗や強盗を重ね、投獄されては何度も脱獄し、6回も逃走を成功させたといいます。しかし、その後は埼玉で捕まり、釧路分監に移送されてから反省の態度を示しました。そして網走監獄では表門を清掃する晒掃夫という一番信頼のある囚人が用いられる約に取り立てられ、大正13(1924)年には高齢を理由に、長かった監獄生活が終わりました。そして、彼の息子に引き取られ平穏な日々を送ることができたのです。

 

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二見ケ岡農場の農作業

二見ケ岡農場は、受刑者たちに『働く』という喜びを体験させ、健全な心身を作ることを目標に明治29(1896)年に設置されました。

これは独自の農園訓練規定を設け、寒冷地農業に取り組むというものです。この刑務所の農場は16.18k㎡(1,618ヘクタール)という日本一広い面積を持ち、これは東京ドーム約76個分に匹敵します。この広大な農場で、受刑者たちは働く大切さや、農業の大切さを学んでいったのでしょう・・・。ここに展示されている人形の模型は春の開墾から種まき、夏の草刈り、秋の収穫を再現し、農機具や馬橇、金輪荷馬車は実際の農作業で使われていたもので展示されています。

 

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登り窯
明治時代当時の日本は、西欧に倣って近代的な獄舎を建築するため、受刑者たちに刑務作業として建築材料である煉瓦の製造が行われました。

網走監獄でも例外なく煉瓦が使用され、所内の建造物や懲罰房、サイロ、倉庫などもその煉瓦で造られています。網走監獄の窯は、三眺山の傾斜を利用した『登り窯』が使われました。これは傾斜を使うと効率よく大量の煉瓦が作れるようにするためと言われています。また、監獄内で煉瓦が大量に生産でき、作業も受刑者たちに作業させることで、効率的かつ費用がかからなかったそうです。

 

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二見湖畔神社

この神社では、二見ケ岡農場で働く受刑者が、二見ケ岡を見下ろすような位置に桜の木を植え、社を建てました。神明造りの小さな社でありますが、これは受刑者たちが春の種まきから秋の収穫にかけての豊作を祈願し、さらに作業を行う上で安全を祈るために建てられたとても大事な社です。

 

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二見ケ岡刑務支所

これは網走刑務所における農園作業の先導的施設として、明治29(1896)年に網走の西方丘陵地にて『屈斜路外役所』として建てられたものです。

この建物が建てられた時、網走湖や能取湖の湖が眺望できる位置に建設され、後に『二見ケ岡刑務支所』に改名。1世紀を超えてもなお、網走刑務所の収容者たちの食糧を担うための場所として、あるいは広い農場で収容者たちが作物の管理から収穫まで自立的に行うための開放的処遇施設として重要な役割を果たしていたのです。そして、現存する木造刑務所としては最古で、平成11(1999)年にこの博物館へ移設されました。各々の建物の建築年代は、庁舎、舎房、炊場が創建当時の明治29年、教誨堂および食堂が大正15(1926)年、鍵鎖附着所が昭和5(1930)年とそれぞれ違います。明治期当時はそれぞれ独立して建っていましたが、大正以降になると、次第に施設の重要性が高まるとともに必要な建物を整えて渡り廊下でつなぎ、庁舎も改築され、ほぼ現状の586坪の農場施設にもなっていったのです。そのため、農園を持つ刑務所の建築群は他にない位、全国的に珍しいものとされています。また、一連の施設を残している点から、非常に貴重で、刑務所としての構外農場施設の発展過程をよく表しているため、行刑史上高い価値が認められています。

 

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二見ケ岡刑務支所 庁舎

二見ケ岡刑務支所の庁舎は、先程の網走刑務所の庁舎より小規模な感じになっています。小ぶりな洋風建築に外壁が下見板張り、屋根は寄棟造鉄板葺き、小屋組はキングポストトラスで、突出部は和小屋になっています。南面中央に玄関を配置し、南北に廊下を通し、東側に事務室、西側に宿直室、休憩室という構造です。床中央部にレンガ敷き、他はコンクリートの土間、天井には鏡天井で廻縁に繰形を施しています。

 

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二見ケ岡農場施設 彫刻作業場

二見ケ岡農場で作業する受刑者たちは、受刑者自身の責任や自立心を養うことが目的で開放処遇が行われます。写真は、彫刻の作業場のようです。奥のポスターには「いらいらするな くよくよするな ぎすぎすするな おおらかに おおらかに」のメッセージが見えます。おそらく受刑者たちの心を和らげて作業に集中させるためのものなのでしょう。

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二見ケ岡農場 食堂

毎日の食事は、翌日の労働への意欲と備えとして、受刑者たちにとっては欠かせないほど、大変大切な時間でもありました。これは、二見農場にて自分たちが育てた作物を収穫したものを毎日の食事に使うことで、農業や労働の尊さを学ばせることができたのです。また、受刑者の決められた席で配膳係が配る食事を残さずに食べたといいます。これが『食へのありがたみ』というものなのですね。

 

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二見ケ岡農場の作業風景(ジオラマ)

これは、二見ケ岡農場で働く受刑者たちの1日の様子を再現したジオラマです。職員に監視されながらも、広大な農場で作業させるために、監視は比較的穏やかで、受刑者たちに農業で働かせることで、自然や食へのありがたみを学ばせているのです。また、農業への関心が高まることも効果があったといいます。

 

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二見ケ岡農場 舎房
 中でも歴史的価値が高いと言われているのが『舎房』です。

ここも一見すると先程の『五翼放射状平屋舎房』と同様に両側に房が並んでいることから似ていますが、そちらとは打って変わって天井が低く、第2舎房までしかありません。しかし、明治中期の歴史を物語る獄舎建築としては歴史的価値が十分に高いと思われます。

 

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二見ケ岡農場 舎房 雑居房

雑居房も壁が斜め格子になっていますが、天井観察窓や窓が若干大きいためか五翼放射状平屋舎房と違って、少し明るく感じます。

 

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懲罰用具
刑務所内で使われた戒具は様々ですが、これは受刑者が脱獄や暴行などを防止するために、行為当事者に課せられた懲罰用具が使われていました。

右側の座っている人の戒具は防声具、真ん中は鎮静具、そして左端の戒具は、数ある戒具の中でも、最も恐れられたといわれた『カニ錠』というもので、身体を『くの字』に曲げさせ、手足を鎖で固定させる怖い戒具です。身体がエビのように曲げられると腹部は締め付けられ、背中や腰に激痛が走るからです。そのあまりの苦しさに汗を流し、口からカニのように泡を吹いて気絶してしまうことから、『カニ錠』の由来になっているのだそうです。

 

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教戒師からの説教

これは受刑者たちに教戒師から説教を聞いている場面です。旧網走監獄でいう、教誨堂と同じで受刑者たちに人の道を説き、更生への道へ導くという法話を聞きます。

 

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伝書鳩
明治期当時はまだ電気が普及されていない時代であったため、通信手段の1つである電話も普及されていませんでした。

そこで、緊急を要する連絡および定期的な報告手段として、『伝書鳩』が用いられていたのです。数百キロも離れた場所から、何日間も迷うことのなく巣へ帰ってゆく伝書鳩こそ、まさに電話のない時代において有効的な通信手段だったといいます。二見ケ岡では伝書鳩を調教し、脚環に電文(収容人員や異常なしの報告など)を入れて、二見ケ岡と網走刑務所の間を伝書鳩を通して連絡し合っていました。そのため、電気や電話のない通信手段が限られた当時において、伝書鳩は非常に重宝されていたのです。

 

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稲架掛け
農場内で収穫した稲は、木で組んだ『稲架(ほさ)』に掛けられます。

これを『稲架掛け』といい、束ねた稲を棒などに吊るして約二週間ほど天日や微風によって乾燥させます。地方によって『いねかけ』『とうか』『かかけ』など様々な呼び方があります。網走刑務所の住吉農場では、秋の収穫時にこのような光景が見られたのは、二見ケ岡ならではの風物詩でもありました。

 

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網走刑務所水門

網走刑務所の前方には『網走川』という川が流れており、この川を利用して、生活物資や農場に使う肥料などを刑務所に運ぶための貴重な水路として使われていました。これは、いかだで肥溜めを農場へ運ぶ当時の様子を再現したものです。

 

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休泊所(動く監獄)

どんなに監獄から離れた現場でも、短期間のうちに自分たちで寝泊まりする場所を確保しなければなりません。そこで現地で丸太や茅などの建築材料を集め、大急ぎで建築を進ませて作業が終わるまではこの小屋で寝泊まりをしていたのです。

 

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ニポポ

網走の民芸品である『ニポポ』北方民族の守り神であり、網走刑務所の受刑者が製作しています。

『ニポポ』は、アイヌ語で『木の小さな子』、あるいは『人形』という意味で、どんな願いでも叶えて幸せになるという意味があります。

例えば、ニポポに向かって「今日はたくさんの獲物をください」とお願いをして出かけ、得てきたものを料理し食事前にニポポの口に与えて感謝していたといいます。これは網走市の民芸品として考古民族学研究家米村喜男衛氏の考証から、素朴かつ優雅な手彫りのニポポを皆の幸福のためにという意味で世界的に紹介したのです。

 

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釧路地方裁判所 網走支部
これは、釧路地方裁判所網走支部及び網走簡易裁判所が新庁舎建設のために、旧庁舎を取り壊すのに際して、単独法廷、合議法廷、合議室、勾留質問室および仮監置室などの部分を譲り受けて復元および保存したものです。

この建物の外観は、明治33(1900)年から昭和27(1952)年まで使われた旧網走区裁判所の外観を再現していますが、内部の移築物は昭和27年から平成3(1991)年まで使用されていたものを再現しています。かの有名な『梅田事件』からこの地域で発生した多くの事件など、ここで裁かれ、実刑判決を受けた被告人の多くがこの網走刑務所で服役しました。

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合議室

合議裁判の途中で当事者からの異議申し立てなどがされ、その場で即断できない場合、三人の裁判官がこの部屋で合議した場所です。

 

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単独法廷

この法廷は釧路地方裁判所網走支部および簡易裁判所で、平成3年まで使用された単独法廷です。刑事裁判では、重罪(死刑あるいは無期、短期1年以上の懲役、ならびに禁錮に当たる罪)については原則、合議法廷(三人の裁判官)で審理されます。その他の罪については単独法廷(一人の裁判官)で審理されます。特に簡易裁判所における審理は常に単独で行われるため、犯罪発生率の高い窃盗事件などの処理が多いことから、この法廷は使用回数が多かったのです。そのため、事実上重要な役割を果たしたといえるでしょう。

 

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合議法廷

重罪事件があった場合は、こちらの合議法廷で行われ、ここも三人の裁判官によって審理されます。傍聴席から見て正面が裁判官席(中央に訴訟を指揮する裁判長で、その両鱗に陪席裁判官が着席)で、その手前には書記官と速記官が着席し、裁判の経過を記録を行う他、裁判の補助を行います。左奥には廷吏(法廷内の秩序維持を担当)が着席しています。証言台をはさみ左側は検察官席、右側は弁護人席です。通常はいずれも一人ずつですが、事件の内容によっては複数の検察官が、あるいは被告人の希望などによっては複数の弁護人が、各々出廷する場合があります。証言台の手前には被告人席、拘置所から護送されてきた刑務官が同席しています。これは法廷で検察官が証人尋問を行っているのを再現しています。

 

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梅田事件
それらの事件の中で『梅田事件』という有名な重大事件がありました。

これは無関係の犯罪に巻き込まれ、間違った裁判によって無期懲役を言い渡された梅田さんが、仮釈放後も無実を訴え続け、ようやく34年後には再審によって無罪を勝ち取りました。再審とは一度有罪判決を受けても、確定した刑事裁判をやり直す制度のことです。この時、梅田さんは無実であることを認められるべき新たな証言や鑑定証言を提出し、釧路地方裁判所網走支部に再審の請求を行った結果、第一次再審請求においては、上訴裁判所においても請求は認められませんでしたが、34年という長い歳月をかけてようやく仮釈放後の第二次再審請求ではそれが認められたことで、梅田さんは『無罪放免』を勝ち取ったのです。このように、事実上事件とは関係もない人を闇雲に疑っては、挙げ句の果てに拷問や暴力などによる自白、そして真実にもならない自白を裏付ける不十分な証拠のまま有罪判決されるといういわゆる『冤罪が問われる事件』として悪い意味で有名になりました。こういった理不尽な事件は、もはや他人事では済まされない、まさに梅田さんがこれだけ重篤な被害者であったかがよく分かります。この教訓を通して、慎重に判断を下さなければならないというジレンマがあるというのを肝に命じておくべきだと思いました。

 

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網走監獄に棲むエゾリス

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エゾヤマザクラ

網走監獄の敷地内には時折エゾリスを見かけることがあります。

また、GWや5月上旬~中旬にかけてはエゾヤマザクラの開花も楽しめます。

国内最恐と謳われた監獄とはいえ、やはり自然の中ということもあり、網走監獄の腹黒い歴史が刻まれている一方で、森の自然が楽しめるのも網走監獄の魅力でもあったりするのです。

 

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耕耘庫

ここは農機具や肥料などを保管する倉庫として、あるいは収穫された作物を保管するための小屋です。農園刑務所としての役割を持つ網走刑務所に開墾された広大な農地で使用されるため、このような小屋が多く必要で、板葺きのものもあれば草葺きのものまで10棟ほどあったといいます。

 

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味噌蔵

自給自足が要求される監獄においては経費削減が必要で、創立後間もない明治25(1892)年に工場が建てられ、味噌や醤油が自給されていました。この小屋では、醤油や味噌の製造経験のある受刑者が専属にあたり、耕作面積も麦についで大豆が広く、仕込みの手加減で微妙な味になるからです。当時使用された樽は『五十石』といわれるもので、約9千リットルものの醤油が入れる大きな樽が使われていました。

 

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哨舎
網走刑務所も含めて、全国にある刑務所には看守が受刑者たちを見張るための施設が必要でもありました。

そこで、明治13(1880)年に内務省が制作した図式に基づき、刑務所の出入り口や作業場などで『哨舎(しょうしゃ)』といわれる見張所を設けて、外からの侵入防止受刑者たちが良からぬことをしていないかの監視を行っていました。哨舎の配置方法は刑務所によって異なりますが、網走刑務所の場合は八箇所設けられていました。網走刑務所の哨舎は六角形になっており、360°ガラス窓を配置することで効率よく監視できたのです。また屋根はドーム状、屋根先に鉾状の装飾、下見板張りとした、小ぶりながらも洋風な仕様で、登録有形文化財に指定されています。

 

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以上で『博物館 網走監獄』の見学は終わりますが、いかがでしたか?

『網走監獄』は北の方にあるというだけあり、冬になると厳しい寒さに見舞われ、受刑者たちにとってはもはや地獄という言葉に他ならぬ、たしかに『日本一恐ろしい監獄といわれています。しかし、網走監獄は過酷なイメージがある一方で、受刑者たちの心を清め、なおかつ農業や様々な作業をさせることで、仕事への有難みはもちろんのこと、自分たちで育てた作物を食卓にすることで食への有難みが伝わり、あるいは教誨堂による人の道を教えてくれる、有難みを学ぶ場所でもありました。このような経緯があることから『網走監獄』は邪心を打ち払い、自ずの過ちを糧にして物事に対する感謝の気持ちを持たなければならないということを後世に伝えるべきだと思っています。

さて、『網走監獄』の見学が終わったところで、これから知床半島へ向かいたいと思います・・・。

 

『GW道東紀行3日目前半』終わり

3日目後半へ・・・。

GW道東紀行2日目 釧路湿原を満喫!くしろ湿原ノロッコ号乗車&カヌー川下り

みなさんこんにちは。

道東紀行2日目の5月4日は、二年前と同様、ノロッコ号に乗車、そして釧路川のカヌー川下りに参加しました。

前回は夏に行きましたが、今回はGWの時期に行ってきたので、夏とはまた違った印象になるのかもしれません。

 

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釧路の朝食

さて、釧路の街並みを見下ろしながら、朝食をいただきます。以前は釧路ラーメンまであったほどメニューが豪華でしたが、今回のは例の病気ということもあってか、種類は若干控えめになっているようです。しかし、それでも量としては十分だと思いました。

ビクティニ:久しぶりの北海道の朝ごはんだ!いただきます!

ミュウ:清々しい気持ちで朝ごはん食べたのは久しぶり!

ゴンベ:うまいっぺ~!

にょろもう:いつもより豪華な朝ごはん・・・うまい!

シャワさん:魚がうまい!ところでノロッコ号に乗るのは何時だったっけ?

ビクティニ:11:06に出発するはずだから、まだ時間があるみたい・・・。

ミュウ:まだ時間があることだし、少し街を散策してから行こうよ。

シャワさん:それもそうだな。

 

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朝の幣舞橋

ということで、朝の釧路市内を散策してみましょう。

朝の釧路川にかかる幣舞橋は、まるでヨーロッパにいるような風景です。

ビクティニ:朝の釧路港は静かで清々しいね・・・。

ミュウ:カモメが優雅に飛んでいるね。

 

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朝の釧路港

朝の釧路港も静かで清々しいです。フィッシャーマンズワーフを背景に、奥の工場や倉庫などが、釧路の港という雰囲気です。太平洋へ流れる朝の釧路川は、夕暮れとは対象的ににぎやかです。

 

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米町本通
幣舞橋を渡り、釧路の港町を散策してみます。

道なりに歩いていくと『米町地区』に出ます。釧路市は古くから、漁業が盛んであり、林業や馬産地などを背景に道東の中枢として栄え、この『米町地区』こそ、釧路の発祥の地であったのです。これは江戸時代末期から明治初めにかけて釧路地方の開発に携わった当時の佐野孫右衛門(屋号は米屋)の功績から『米町』という地名がついたといいます。また、その地域から釧路の街の発展が始まっことから『元町』ともいわれています。ここは文豪としてかの有名な石川啄木の発祥地であり、かつては啄木も通っていた遊郭や料亭などが建ち並んでいたといいます。そのため、ここにはいくつか啄木が詠んだ歌碑があるので、時間があれば探してみるのもいいでしょう・・・。

 

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米町公園

米町地区の高台には米町公園があり、ここから釧路港が見下ろせます。晴れた日には日高山脈摩周岳などの連峰も見渡せます。この公園はもともと児童公園でしたが、米町地区の土地区画整理事業に基づいて、昭和63(1988)年より市内唯一の歴史公園として整備されています。そのため、ここには記念碑や啄木の歌碑などが鎮座されています。灯台や街灯などが洋風かつノスタルジーな雰囲気を醸し出し、いかにも異国情緒を想わせます。

 

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釧路港修築碑

釧路港は17世紀中頃、釧路川河口に松前藩主がアイヌとの交易のため、商船がやってきたのがはじまりとされており、『東蝦夷道中記』にも記述されています。明治20(1887)年、当時の北海道庁のイギリス人技師であるチャールズ・スコット・メーク氏が港湾造成の計画を立案し、明治32(1899)年に開港しました。当時の釧路市はかつて水産・石炭・紙パルプの三大基幹産業が盛んであり、その港湾も道東における流通拠点として発展したことから、昭和26(1951)年に重要港湾に指定されました。そして、最終的には3つの埠頭の整備が完了し、平成23(2011)年には国際バルク戦略港湾の穀物の分野で認定されたことがあります。そのため、道東では生乳や乳製品の生産が盛んであり、その乳牛の飼料はその原料となる穀物の産地である北米から一番近いことから穀物の輸入拠点港として機能しています。

 

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釧路一之宮 厳島神社
釧路の港町には由緒ある厳島神社があります。

この神社は江戸時代から弁天、阿寒、稲荷の三祠を奉られていました。アイヌ民族が『カムイシュマ(神岩)』と呼び、木幣を奉るとともに漁場請負人である佐野孫右衛門が神殿を建立、以来豊漁が続いたことで参拝者が増え、『産土神(うぷすながみ)』と崇敬しました。そして明治に入り、現在地に本殿拝殿を造営およびご遷座とともに安芸国(広島)の厳島神社より御分霊をいただき、大正には縣社に昇格されました。また、大正天皇の摂政として、昭和初期には釧路市行幸の際もこの神社を御親拝され、釧路市民からも愛される格式のお宮として親しまれています。この神社は古くから『クスリ』と呼ばれ、漁業や交易、交通の要とされる釧路の港町を守護する神社として今でも語り継がれています。

 

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釧路駅

さて、釧路の港町を散策したところで、釧路駅に戻ります。ちょうどノロッコ号の改札が行われていました。奥にはノロッコ号の列車が停まっています。

ビクティニ:ノロッコ号の改札が始まっている!切符を用意しよう・・・。

ミュウ:発車までまだ時間があるから急がなくてもいいよ・・・。

作者:じゃあ昼食の弁当も買ってこよう。

 

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くしろ湿原ノロッコ号

ノロッコ号が停まっているホームには、SLのように多くの旅行者や親子連れの家族で賑わっています。

くしろ湿原ノロッコ号は平成元(1989)年6月24日よりJR釧網本線の釧路~塘路間で運行され、今年で運行開始から32年経ちます。文字通り釧路湿原の景色を眺望するための観光列車です。基本的に4両編成で運行され、そのうち1両が自由席ですが、当日の自由席は混雑している場合があるので、じっくり釧路湿原の景色を楽しみたいのなら展望席(指定席)の切符の事前購入をおすすめします。

今回のノロッコ号のヘッドマークには『釧網本線全通九十周年』のメッセージが入っています。近年はJR北海道の路線廃止や廃駅が進む中、釧網本線は沿線の自然に囲まれた環境に恵まれているので、このまま観光路線として後世に残してほしいと思います。

ビクティニ:今回でノロッコ号に乗るのが2回目だね。最近は旅行に行く人はただでさえ少ないのに、ノロッコ号に乗る人はいる時はいるんだよね。

ミュウ:乗る人はほとんど道民なんだろうね・・・。

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ノロッコ号プリン

ノロッコ号といえば、名物の『ノロッコ号プリン』も定番の1つです。ノロッコ号の売店で売られており、濃厚な生乳を使用しているとのことで、ノロッコ号に乗ったら、ぜひ食べてほしい代物です。

 

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釧路駅のホーム

釧路駅のホームには釧網本線の列車の他に、根室本線(花咲線)の列車や札幌方面への特急も出ています。釧網本線は、東釧路駅~網走駅を166kmで結ばれていますが、始発駅は釧路駅になります。普通列車の殆どは1両編成だったりします。

11:06発 くしろ湿原ノロッコ2号 塘路行き 釧路駅を出発

ビクティニ:釧路駅バイバイ!網走までいってきます!

ミュウ:釧路の町もバイバイ!

 

★釧路湿原 ノロッコ号&カヌー下り★


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岩保木水門

東釧路駅から先は釧路湿原の中を進む釧網本線に入ります。

しばらく進むと『岩木保水門』が見えます。これは釧路川を仕切る水門で、大正時代の洪水で釧路市街は大きな被害を受けたことをきっかけに、昭和6(1931)年に本流の新釧路川と旧流路との分岐点に建てられました。旧水門は全幅20メートル、高さ5メートルの扉体が2門あるもので、戦前に建てられたものということもあり、上部が木造になっています。現在の水門は平成2(1990)年に完成した2代目のもので運用されています。旧水門は、現在は使われていませんが、歴史的建造物という価値観があり、解体されずにそのまま残っています。また、夕日スポットの名所にもなっており、このあたりでもタンチョウが見れることもあります。ちなみにこの名前である『岩保木』になったのは、アイヌ語で『イワ・ポキ(山の下)』という由来から名付けられました。

 

 

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ノロッコ号から見る釧路湿原
釧路の市街地からだんだん遠ざかり、釧網本線をゆくノロッコ号の車窓の景色は釧路湿原へと景色を変えていきます。

運が良ければ、車窓からはタンチョウをはじめエゾシカキタキツネなどが見られることがあります。

ビクティニ:タンチョウはどこに・・・。・・・あ、エゾシカがいたような・・・?

ミュウ:あ!今シカがいたよ!

作者:え?どこどこ??

 

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釧路湿原駅
釧網本線の途中にある釧路湿原駅は、ログハウス調の素敵な駅舎です。

この駅から徒歩20分ほどで『細岡展望台』があり、昨日訪れた釧路市湿原展望台とは違った釧路湿原の風景を見ることができます。ただ、この駅には一部の普通列車が通過してしまう便があるので、帰りの列車の時刻はよく調べてから訪問した方がよろしいかと思います。しかも、ただでさえ本数が少ない釧網本線ですから・・・。

ビクティニ:二年前は細岡展望台で釧路湿原を見たなあ・・・。

ミュウ:あの時は例の病気が流行る前の時期だったから、懐かしいよね・・・。

 

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ノロッコ号から見る釧路川と湿原
細岡駅~塘路駅間は進行方向(網走方面)の左側に釧路川釧路湿原が見渡せます。

このあたりは、タンチョウやエゾシカなどの野生動物が見つかりやすいエリアです。さらにカヌーで川下りしているところも見れます。ただ、夏に行った時とは違って若干枯れ草色になっていますが、よく見ると木の枝に若葉が茂っているのが見えます。鉄道の車窓風景に湿原が広がる大自然は夏でなかれ、どんな季節でも絵になります。

ビクティニ:カヌーをしている人がいるよ!・・・思えば鉄道車窓で湿原が見れるスポットは他になかったりするんだよね・・・。

ミュウ:これからカヌーで川下りが楽しみだね!

 

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塘路駅に到着

11:54 塘路駅に到着。

ここでノロッコ号の旅はおしまいです。塘路駅は釧網本線の駅で、アイヌ語の『トオロ(沼の所)』という由来で、その名の通り塘路湖が近くにあり、かつて湖畔には『トオロコタン』という集落が存在していたのだそうです。また、塘路湖はカヌーの拠点になっていることから、ノロッコ号や他の列車の到着時刻に合わせて集合を行うカヌーツーリングの主催会社のスタッフがよく待機していたりします。この時期はGWで多くの参加者が集まるはずなのですが、例の病気の影響ということもあり、我々を含めて2組のみという少人数での案内のようです。

ビクティニ:ノロッコ号よ、ありがとう!さて、今度はカヌーで川下りだよ。集合場所はここでいいのかな?

ミュウ:ちょうど招集をやってるよ!行こう。

 

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レイクサイドとうろ(元村ハウスぱる)

今回のカヌーツーリングは、前回の2019年夏と同様、『レイクサイドとうろ(元村ハウスぱる)』さんの方で受付になります。コースも同様に塘路湖から細岡駅付近まで釧路川を下るという形です。ちなみに今回は13:00からのスタートですが、12:45に再度こちらに集合とのことです。まずは受付を済ませてから昼食にしようと思います。今回はキャンペーンで運良く4,000円引きにしてくれたのがとても嬉しかったです(喜)

ちなみに、こちらのカヌーツーリングは2019年のNHKのブラタモリでも放送されたそうです。

 

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昼食タイム

ということで、カヌーツーリングの開始前に、事前に購入した昼食をいただきます。

ビクティニ:牡蠣弁当だ!いただきます!・・・うまい!厚岸産の牡蠣だよ! 

ミュウ:美味しい!ノロッコ号のプリンも美味しいよ!

にょろもう:みずみずしくてうまい!

ゴンベ:濃厚でうまいっぺ~!

シャワさん:うまい!こりゃ広島の牡蠣より美味しいかもな・・・。

 

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釧路川カヌーツーリング

さあ、釧路湿原カヌーツーリングの始まりです。

前回はレイクサイドとうろから塘路湖を進むように漕いでのスタートでしたが、この日は風が若干強いのか、塘路湖からアレキナイ川への河口からのスタートのようです。

まずはJR釧網本線と国道391号の橋下をくぐり、釧路川の支流アレキナイ川を下っていきます。このあたりはタンチョウを始め、オジロワシエゾシカなどの野生動物が頻繁に出てきます。

ビクティニ:さーて、タンチョウくんはいるかな?

ミュウ:エゾシカとかは出てきそうだよね。

 

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JR釧網本線の列車
ちょうど橋の下を通過した直後に釧網本線の列車が通過していきました。

道東のローカル線の列車はやはり1両編成というのがザラのようです。しかし、東京のような喧騒な都会とは違って、とても長閑な雰囲気です。私は、このような自然と鉄道が調和した鉄道風景はとても好きです。かつての釧網本線には、蒸気機関車が客車列車や貨物列車、あるいは混合列車を引いて走っていました。昭和40年代の釧網本線は『C58型』という蒸気機関車たちの独壇場で、蒸気機関車がこの雄大な釧路湿原を駆け抜けた当時の風景を回想したくなります。

 

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オジロワシ

木の枝の上に止まった大きな鳥を見つけました!

オジロワシです。遠くから見てもかなり大きな鳥です。

全長が70~98cmあり、翼を広げると180~240cmにもなるそうです。体重は3~7kgあり、全身には褐色の羽毛で覆われ、頭部は淡褐色に淡黄色の羽毛を纏っています。オジロワシは、サケやマスなどの魚をはじめ、エゾシカなど動物の死骸などを食べて暮らしています。そのため、オジロワシやオオワシは猛禽類の鳥として数えられています。

釧路湿原はもちろん、北海道ならよく見かける鷲で、他にも知床やオホーツク海沿岸、野付半島、十勝平野、道北などで見ることができます。しかし、近年は次第に数が減少しつつあることから、天然記念物に指定されています。また、オオワシと並んで絶滅危惧種に指定されていますが、実はオジロワシの方が「近い将来に野生絶滅の可能性がある」として絶滅危惧種IB類に分類されています。もっとも、オジロワシとオオワシの区別は素人ではなかなか見分けが付かないのかもしれません。

 

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アレキナイ川から見る釧路湿原

釧路湿原はラムサール条約湿地です。

手前の川岸から奥地までヨシやスゲの湿原が広がり、湿原の所々に生える木々が、まさに太古の自然を感じさせます。この湿原には、塘路湖をはじめ、周辺のシラルトロ湖釧路川とその支流ヤチナマコなどの底なし沼が点在しており、いかにも国内屈指の水と動植物の楽園です。その湿原のある釧路湿原国立公園は、面積が22,070haと国内最大であり、東京23区に匹敵する面積です!大昔は海の中にあった釧路湿原は、4千~6千年前には次第に海水が退かれ、泥や砂が溜まり、現在の湿原が誕生したのです。そのため、このあたりの地形は『泥炭層』で構成され、この湿原の所々に湖沼が点在しているのも、かつてここが海であったということを物語っています。

 

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アレキナイ川と釧路川の合流地点

先程のアレキナイ川の全長は2kmほどで、川幅が狭かった支流で、釧網本線の線路が見えてきたあたりで釧路川本流と合流します。

周りの川岸から露出する木々や木の枝がまるでジャングルのようです。

 

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釧路川

アレキナイ川から釧路川に入りました。

釧路川は、全長が154kmある道内で4番目に長い一級河川で、屈斜路湖を源流とし、最終的には釧路港を経て太平洋へ流れています。かつては交通の要として栄え、硫黄や木材などの物資はこの川を下って運んでいたといいます。そして、この川にはダムなどの人工物が一切無く、上下流の高低差は120メートルしかないことから、国内で有数の穏やかな川です。そのため、この湿原に生息する動植物が豊富で、タンチョウやオジロワシ、シマフクロウ、キタサンショウウオ、エゾシカなどの生き物が暮らしやすい環境ともいえるでしょう。釧路湿原を流れるこの川には、アメマスやニジマス、カワゲラ、イトウなどの魚が暮らしています。

ビクティニ:釧路川は大きな川の割には、流れが静かで落ち着くね・・・。湿原の澄んだ空気も心が洗われる・・・。

ミュウ:あとはタンチョウも出てくればいいんだけどね・・・。

 

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釧路湿原のシンボル タンチョウ

釧路湿原のシンボルといえば、やはりタンチョウです。

釧路湿原をはじめ、道東を代表する大変貴重な野鳥で、特別天然記念物に指定されています。

タンチョウは日本最大級の野鳥で、全長が1.4メートルあり、翼を広げれば2.4メートルにもなります。白を中心に、黒や赤を纏った美しいコントラストが日本の野鳥らしく気品に満ち溢れています。かつては日本中で見ることが出来たタンチョウですが、本州ではまず目にすることがなく、日本で見られるのは道東だけです。一時期は絶滅したと思われていた、いわば『幻の瑞鳥』でもありました。そのため、釧路湿原に生息するタンチョウは『湿原の神』(アイヌ語では『サルルンカムイ』)といわれています。冬になると越冬のために餌を求め、この湿原に集まることから、確実に見れるようになりますが、そうでなくても通年見ることができます。もっとも、GWの5月上旬はヒナを育てる時期であるため、湿原の奥地にいることが多かったりします。なので、川岸ではなかなか見れなかったりするのですが、今回は偶然にも1羽のタンチョウを拝むことができました。

ちなみに本来のタンチョウ(中国などの個体)は、越冬する渡り鳥ではあるのですが、釧路湿原に生息するタンチョウは渡り鳥ではなく、いわゆる留鳥なのです。そのため、釧路湿原のタンチョウは通年目にすることができます。

タンチョウの他にも、アオサギやクマゲラ(キツツキの仲間)などの野鳥にも出会えます。

 

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湿原上空を飛び回るオジロワシ

この湿原の上空には、オジロワシやオオワシなどの鷲が優雅に飛び回っています。オジロワシは、タンチョウと同様に留鳥で、こちらも釧路湿原で通年見ることができます。

 

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エゾシカ
釧路湿原には、エゾシカもたくさん生息しています。

この湿原ではもちろん、道内なら至るところで出くわしたりします。特に道東や道北ではよく目にすることが多いです。エゾシカはニホンジカの一種であり、文字通り北海道のみ生息するシカです。普段は茶色の体に白斑模様をしていますが、冬になると毛皮の模様は黒色っぽくなります。そして雄は角が生え、年ごとに生え変わります。かつては乱獲や大雪などで一時期は絶滅しかけましたが、近年は次第に増加しつつあり、平成30(2018)年には66万頭を記録するほどにまで増えています。そのため、農林業への被害貴重な植物などへも被害がおよび、あるいはJRの線路や道路へ飛び出したり居座ってしまうことも多いため、自動車や列車が衝突事故を起こしてしまったりすることも珍しくありません。しかし、最近はその個体数を減らすため、捕獲が行われています。そして捕獲されたエゾシカは鹿肉として道民の食卓などで活用されています。

 

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釧路湿原の木々に生える若葉

この時期の釧路湿原は、ヨシやスゲなどの植物が枯れ草のままですが、岸辺や陸地に生える木々には既に若葉が茂っています。湿地の植物も、次第に新しい芽を出して夏には緑に染まっていくことでしょう・・・。

 

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カヌーの終点 細岡サイド

さて、塘路湖から約8~9キロほど下ってきたところで、細岡サイドに到着です。この後は先程の集合場所に戻り、大きな荷物をまとめてから網走方面へ列車で向かいます。

 

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途中で偶然見かけたタンチョウ

先程の元村ハウスぱるへ帰る途中で、2羽のタンチョウを見つけました!タンチョウは湿原だけでなく、人里にも現れることもあります。畑に佇むタンチョウはまさに風光明媚な風景です。

 

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塘路湖

次の列車まで1時間半ほどあったので、塘路湖周辺を散策してみます。

『塘路湖』は釧路湿原で一番大きい海跡湖です。

この湖は標高8メートル、周囲約18km、面積が約6.37k㎡、最大水深が7メートルあります。この湖は『ト・オロ(沼のある所)』から由来になっています。周辺のシラルトロ湖達古武(たっこぶ)沼も海跡湖であり、それらをあわせて『塘路三湖』といい、こちらの塘路湖では、イトウやトゲウオ、ワカサギ、コイ、ウグイなどの魚が生息するため、カヌーの他に釣りもできます。冬にはワカサギ釣りも楽しめます。それらの湖もかつてはここが海だった場所であるということを窺わせます。また、周辺にあるサルボ展望台やサルルン展望台からは、釧路湿原や塘路湖が見下ろせます。

 

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北海道集治監釧路分監本館
散策してみると、一際目立つ洋風な歴史的建造物を見つけました。

この建物は昭和44(1969)年12月、北海道立標茶農業高等学校敷地内に既設されていた北海道集治監釧路分監本館を標茶町発祥の地であるここに移築復元されたものです。そして、翌年の6月に強度の開拓資料や動植物などの標本展示を目的として『標茶町郷土館』として開館しました。

明治期には国事犯などの囚徒が激増していたため、収監に悩ませていた政府によって明治18(1885)年に標茶町に釧路集治監が設置され、この建物はその庁舎として明治19(1886)年に建てられました。そして、明治34(1901)年の廃止までの約16年間、収監された囚徒たちにとっては、言葉に言い表せないほど苛酷な労働が強いられていたそうです。その後は陸軍省所属となり、軍馬の飼育施設として使われ、戦後には昭和32(1957)年まで北海道立標茶農業高等学校の庁舎として使われていましたが、新校舎の落成から長い歴史に幕を閉じます。そして、『重要な歴史文化財』として後世に残すため、復元されることとなり、移築後は『標茶町郷土館』として平成29(2017)年8月まで使用されました。こうして、北海道開拓史における歴史を物語る上では欠かせないものとなり、昭和41(1966)年には標茶町文化財第一号、平成21(2009)年には経済産業省の近代化産業遺産として、平成30(2018)年11月には北海道遺産に認定されました。

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塘路湖エコミュージアムセンター

塘路湖エコミュージアムセンターにも立ち寄ってみます。

釧路国立公園には、釧路市、釧路町、標茶町、鶴居村に渡って広がる国立公園です。そのうちの塘路駅の周辺には細岡展望台、コッタロ湿原展望台、サルボ展望台、サルルン展望台の4つの展望台があり、塘路駅からはレンタサイクルを借りて回ることができます。先程通ってきたアレキナイ川はちょうど塘路駅の裏側を通っていたんですね。

 

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釧路湿原との暮らしと時代の変遷
釧路湿原は、古くから道東の人たちの生活とともにあったエピソードがあります。

釧路湿原の周囲には縄文や擦文時代の遺跡をはじめ、土器や石器、貝塚などが出土されています。それは、この湿原ならではの自然の恵みを受けて暮らし、当時の人々はその自然とともに生活を歩んできたのです。しかし、戦後の1960年代より人間の手によって農地および住宅地の開発などで、湿原の面積が当時の6割にまで減少しました。このことから、貴重な 湿原の価値観を見直すべく、昭和55(1980)年にラムサール条約湿地となり、今でも釧路湿原の景観と向き合わなければなりません。

 

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釧路湿原 水の生き物
釧路湿原の生命線とされ、湖沼や川に生息する生き物たちも、その水なしでは生きていけません。

そして、釧路湿原に生息する『トンギョ(トゲウオ)』も代表的な魚ですが、そのトンギョにもいくつが種類がいます。『トミヨ』『イバラトミヨ』『エゾトミヨ』は背びれに8~12本ほどの棘を持ち、4~6月には雄が岸辺の水草に巣を作り、底に雌が産卵をします。そして、雌は稚魚が巣を離れるまで子育てをします。この湿原の中ではイバラトミヨが最も多く生息しています。

イトヨは背びれに大きな棘を3本あり、一回り大きい棘は7~8cmほどあります。4~6月の産卵期には雄は目と体側は青、腹部が赤くなります。雄は川底に細い溝を掘り、枯れた草の根や繊維を集めて巣をつくります。そして卵が孵化し、稚魚が泳げるようになるまで、つきっきりで保護するのです。

また、ウチダザリガニのような外来種は、この湿原の生態系を脅かしているのも環境問題とされています。

 

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釧路湿原の生き物たちの生活を支えるヤチハンノキ
釧路湿原に生息する野鳥たちは、という住処も欠かせません。

その中で、ヤチハンノキは、木の枝にオジロワシなどの巣、あるいは枯れた幹に棲み着く虫はキツツキたちにとって恰好な餌場になっています。特にアオサギにとっては巣作りをするのに最適の場です。

その役割を果たしているヤチハンノキは川岸などに生え、釧路湿原の景観を保つ植物の1つです。しかし、その湿原自体は道場の栄養分が低いため、大きく成長することができないことから、夏でも枯れてしまいます。その根本から新しい芽を出し、数本の幹を伸ばしています。これは幹が一本のハンノキは種子から成長してできたものとされています。このように何代かにわたり樹林が成形されているのだということが実感できます。これも、湿原ならではの生態系ということですね。

 

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地元の子供たちがつくった釧路川のマップ エゾシカとの衝突事故

ミュージアム内の掲示板には地元の小学校の子供たちが作ったと思われる釧路川の地図と生態系の発表が飾られています。地元の子供たちも釧路川の素晴らしさを理解しているようです。

道東では、エゾシカがよく出没するエリアで、所々に『動物注意』の標識が立っていたりしますが、そうでなくとも突然シカが飛び出してくることがあります。特に夜間や早朝は、頻繁に活動しやすいので、その時間帯に運転する時は、さらに注意を払わなければなりません。

 

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太陽光発電建設で生態系が懸念される釧路湿原

今年でラムサール条約に登録されてから40年経ち、かつては絶滅の心配がされていたタンチョウの生息数は千羽以上にまで回復はしたものの、最近は太陽光発電の建設による生態系への脅威が懸念されています。特にキタサンショウウオへの生態が心配されています。キタサンショウウオは釧路湿原の他は北方領土でしか確認されていないため、非常に貴重な生き物です。また、釧路湿原に生息するタンチョウの個体数回復のため、できるだけ人との関与を減らそうという動きも出ているようです。

 

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個体が増えたタンチョウへの給餌問題
タンチョウは、特別天然記念物に指定されるほどとても重要な野鳥ではあるのですが、個体数が増えた一方で、給餌量が不足しているのが問題になっています。

タンチョウが冬になると釧路湿原に集まるのは、実をいうと冬は餌の確保が難しく、この湿原の数カ所に設置された給餌場では確実に餌が確保できるため、その餌を求めるために道内中から集まってくるのです。しかし、あまりにも個体数が多いがために、給餌しきれないのを理由に給餌の削減と「自立してほしい」という声も挙がっています。そのため、鶴居村の農家や牛舎などにタンチョウが侵入してきて困っているという声もあるのだとか・・・。だからといって、タンチョウを餓死から守る方法を考えるのも課題になっています。最近はタンチョウは釧路湿原だけでなく、十勝平野をはじめ、胆振地方、日高地方、宗谷、オホーツク海沿岸などでも見かけることがあるようです。

 

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殖民鉄道
大正時代の道東は、まだ道路が整備されていない時代は、馬車汽車などが大活躍という時代でもありました。

その当時は、作物や生活用具の運搬などをはじめ、開拓民の生活の足として、馬車鉄道が敷かれることになりました。標茶では、標茶線を始め、多くの路線が敷かれ、多くの地域の人々の交通の足となりました。大正時代は馬を用いた、いわゆる馬車鉄道が主流でしたが、昭和に入るとガソリン車が導入されます。しかし、現代の鉄道とは違い、信号設備などがないことから、乗客の安全は保証されていなかったのだそうです。

 

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簡易軌道
かつての道東には『簡易軌道』と呼ばれる、小さな鉄道が通っていたのです。

簡易軌道も殖民鉄道と同様に、開拓民の足として拓殖(開拓すること)を目的に敷かれたもので、釧路湿原などのような泥炭地でも軌道が敷ける鉄道です。しかし、鉄道の部類とはいえ、地方鉄道法や軌道法に基づいていない、いわゆる「未開拓地における道路の代わり」を担うためのもので、本来の鉄道とは全く異なるものだったのです。当初は馬車でしたが、のちにガソリン車が導入されます。また、信号などが無く、事故やトラブルが起きたりすることもザラだったといいます。

標茶における簡易軌道は、殖民軌道としての運行から始まりましたが、従来の馬車輸送では交通事情が不安定でした。そこで、その問題点の解決および交通の確保を目的に、『簡易軌道』敷設されることになり、標茶線では昭和33(1958)年、幌沼線では昭和41(1966)年に開通されます。ところが、沿線地域の離農が始まり、これまで簡易軌道で行っていた生乳の輸送は、次第にトラック輸送へ切り替わり、昭和46(1971)年に簡易軌道は廃止となり、簡易軌道の歴史は昭和40年代後半を皮切りに幕を閉じたのです・・・。

 

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塘路駅

さて、網走方面へ向かう列車の時間が近づいているので、塘路駅へ送ってもらいました。塘路駅の駅舎もログハウス仕様でいい雰囲気です。

ビクティニ:さあ、もうじき列車が来るはずだ・・・。それにしてもさっきはタンチョウが見れてよかったね。

ミュウ:オジロワシもかっこよかったね。

 

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塘路駅 時刻表

釧網本線の列車本数は、とにかく少ないです。列車間隔が1~5時間に1本で運転されています。特に日中は、網走方面が9:27発の次がなんと14:46発、釧路方面も13:03発の次が18:12発といずれも5時間もありません。なので、塘路のカヌー体験の集合現地に列車で訪問する場合は、列車の時刻をよく調べてから行かれることをおすすめします。

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普通列車 網走行き

釧路方面からやってきた普通列車の網走行きに乗車します。普通列車は基本的に1両編成で運行されることがほとんどのようです。普通列車はキハ54系500番台で運行されます。

 

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釧網本線の車窓から見る釧路湿原

16:36 塘路駅を出発

塘路駅を出た列車は、風光明媚な釧路湿原を後にし、網走へ向かって進んでいきます。夕暮れに入る釧路湿原の車窓もまた、いい感じに美しく写っています。

 

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釧路湿原を駆け抜ける車窓

釧網本線の車窓には、釧路湿原の景色が流れるように進んでいきます。

水たまりに生える木々もいかにも湿原という雰囲気が出ています。この風景は茅沼駅まで楽しめます。冬になると『SL冬の湿原号』も走るようになり、雪の釧路湿原にSLの旅というのも、楽しみの1つです。

 

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標茶駅
標茶駅まで来ると、釧路湿原はこれでおしまいになります。

この駅からはかつての旧国鉄標津線が中標津方面へ続いていましたが、国鉄民営化後の平成元(1989)年には廃止になっています。標茶はアイヌ語で『シペッ・チャ(大きな川のほとり)』に由来しています。つまり釧路川が流れているというのが印象的な町ということですね。ちなみに冬期には『SL冬の湿原号』もやってきます。

 

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釧網本線 弟子屈付近の車窓

釧路湿原を抜けた釧網本線の列車が弟子屈町に入ると、車窓はだんだん牧草地へと風景が変わっていきます。このあたりから牧場や農地が多くなっています。

ビクティニ:さっきまで湿原を走っていたのがうそのように車窓の景色が変わったね・・・。

ミュウ:一気に寂しい風景になっちゃったかも・・・。

 

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摩周駅(旧弟子屈駅)

摩周駅は、弟子屈町の中心駅で、摩周湖屈斜路湖など、阿寒摩周国立公園の最寄り駅です。

かつては『弟子屈駅』という駅名だったのですが、全国的に有名となった摩周湖を生かしたネーミングセンスから、平成2(1990)年に『摩周駅』へ改称されたとのこと。また、駅には足湯も設けられています。

 

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川湯温泉駅

川湯温泉駅は、文字通り川湯温泉(弟子屈町)はもちろん硫黄山も最寄り駅です。この駅は観光駅ということもあり、駅の事務室や貴賓室に当たる部分にはレストランが設けられており食事ができる他、足湯も設けられています。なお、最寄りの川湯温泉までは4kmほど離れているので、タクシーかバスを利用することになります。

ビクティニ:川湯温泉にも入ってみたいかも・・・。

ミュウ:駅舎もいい雰囲気だもんね。

 

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釧網本線 野上峠
釧網本線の川湯温泉駅~緑駅は『野上峠』という峠越えの区間があります。

釧網本線は釧路~川湯温泉が釧路管内、そして緑~網走がオホーツク(網走)管内になっています。しかも、途中で珍しく1箇所だけトンネルがあります。さらにこのあたりはエゾシカが出没しやすいので、突然シカが飛び出してきた時には汽笛が炸裂です!

 

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緑駅

緑駅は周辺が深い森に囲まれた小さな駅です。

この駅では交換待ちで何分か停車します。ちなみに『緑』というシンプルな駅名になったのは「緑の囲まれた静かな土地」からなんだそう。

 

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ルパン列車とすれ違う

緑駅で列車交換していると、なんと『ルパン列車』がやってきました!

 

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釧網本線 清里町~斜里町
峠を越えると、今度はじゃがいも畑が広がるの田園地帯の中を駆け抜けます。

というか、湿原から牧草地、深い森の中、だだっ広い畑という車窓の景色の変化が楽しいですね。

ビクティニ:だんだん日が暮れてきたね・・・。

ミュウ:乗車してから1時間半は経つね・・・、北海道ってこんなに広いんだね・・・。

 

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知床斜里駅

18:29 知床斜里駅に到着

その名の通り、世界遺産『知床』の玄関駅で、ウトロや知床五湖などへの観光の拠点となっています。そのため駅前にはホテルがいくつかあり、ウトロ方面へ向かう路線バスも出ています。

この駅では25分も停まります。別にこの駅で列車の交換待ちということもないのに、なぜそんなに長時間停車するのかはよくわかりません・・・。もしかしたら知床から路線バスの接続待ちかもしれません。

ビクティニ:明日は知床へ行くことになるだろうね・・・。

ミュウ:それにしても停車時間が長い・・・。

 

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オホーツク海が見える車窓
知床斜里駅を出ると、今度は右側の車窓にはオホーツク海が見えます。

冬になると流氷が見られます。もっとも、この時間帯では真っ暗で海がうっすら車窓に映るだけです。

ビクティニ:海が見えるけど、すっかり真っ暗になっちゃった・・・。

ミュウ:さっきまで山や林の中を走ってきたのが、海の景色になっちゃったね。

 

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夜の浜小清水駅

浜小清水駅を過ぎる頃には、完全に真っ暗になってしまいました。このあたりは『小清水町』という町で、じゃがいもの産地で知られており、『原生花園』もあります。

 

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夜の北浜駅

夜の北浜駅は、木造駅舎に淡い明かりがちょっとシュールな雰囲気です。夜のオホーツク海の潮騒や北の風が感じられる駅はいかにも『最果ての駅』という印象が強いです。

 

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網走駅 到着

19:45 網走駅に到着

塘路駅から釧網本線の列車に乗車してから3時間・・・ようやく目的地の網走駅に到着しました。

網走に到着した頃には、完全に夜です。網走市はオホーツク海に面した町で、『網走監獄』で有名です。

ビクティニ:長かったな・・・。ようやく網走に着いたよ・・・。

ミュウ:お腹が空いたね・・・。

 

 

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網走で夕食

さあ、お待ちかねの夕食タイムです!

網走で美味しい焼肉屋さんをネットで見つけたので、先程の列車で予約の電話を入れておきました。本日の夕食は『網走ビール館』で食事にしました。道東の牛肉を使った焼き肉やご当地ビール『網走ビール』がいただけます。また、石焼ビビンバも絶品です。

ビクティニ:網走にこんな美味しい焼肉屋があるとは思わなかった!いただきます!・・・うますぎる!

ミュウ:これは美味しい!

シャワさん:たまには焼き肉もいいものだ!

ゴンベ:いただきますだ~!ガツガツ・・・石焼ビビンバ最高だっぺ!

にょろもう:ぼくにもわけてよ・・・。

作者:網走ビールうまい!!(煉獄さん風)

tabelog.com

 

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網走のホテル

今晩は網走で一泊して、明日はレンタカーでクルマを借りて網走監獄を観てから知床へ向かいたいと思います・・・。

travel.rakuten.co.jp

 

『GW道東紀行2日目』終わり

3日目へ・・・

 

GW道東紀行1日目 自分流の海鮮丼がつくれる?!釧路名物『勝手丼』&晩春の釧路湿原

みなさん、こんにちは。

今回は、GWに道東に行ってまいりました。

 

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成田空港から飛行機で北海道へ

9:35 成田空港発 釧路行き MM591便

最近就航した格安でいけるピーチ航空で釧路へ向かいます。

関東から北海道へ行くのには羽田空港から行くのが一般的だったりするのですが、ピーチ航空で北海道へ行くとなると成田空港から出発するようです。ということで、自宅を早朝5時に出てJR武蔵野線と北総線(京成線)に乗り継いで8時頃に成田空港に到着。無事にMM591便に搭乗できました。

・・・さあ、2年ぶりにいざ北海道へ!

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さらば関東

9:35に成田空港を発ったMM591便はだんだん関東から遠ざかり、北北東へ進んでいきます。関東平野の街並みが小さく見えます。

 

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雲の上をゆく

太平洋側の沿岸に沿いながら空の上を進んでいきます。関東から釧路まではだいぶ離れているので、下は海が広がっているでしょう。

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北海道の大陸が見えてきた

成田空港を出発して1時間半あまり・・・。長い空の旅が終わり、ついに北海道の大陸が見えてきました。

大陸に上陸すると、飛行機は高度を落とし、たんちょう釧路空港に着陸します。

 

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たんちょう釧路空港に到着

11:20 たんちょう釧路空港に到着。

ついに、2年ぶりに北海道の大地へやってきました。

この空港ではタンチョウヒグマエゾシカのモニュメントが展示されています。

ビクティニ:とうとう道東まで来ちゃったな・・・。

ミュウ:2年ぶりだね・・・。

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釧路駅

釧路空港から連絡バスに乗り継ぎ、釧路の市街地に到着しました。

ビクティニ:久々の釧路駅だ・・・。懐かしい・・・。

ミュウ:ここまで来るのに、長い旅だったからお腹が空いた・・・。

ビクティニ:確かこの辺に、自分で作る『勝手丼』が食べられるお店があったはず・・・。

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和商市場

釧路は、カニなどの海鮮ものがたくさんとれることで有名であり、こちらの『和商市場』では、毛ガニタラバガニをはじめ、様々な海鮮物が売られています。中でも、『花咲ガニ』は、この地域でしかとれない非常に珍しいカニまで売られています。私は、あまりの珍しさについ購入し、自宅発送してもらいました(笑)

 

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勝手丼専用の丼

そして、釧路といえば『勝手丼』が名物です。

和商市場ではラーメンや海鮮の定食などが食事ができるお店もありますが、せっかく釧路に来たのなら、自分で好きなネタを選んで自分流の海鮮丼ができる『勝手丼』をいただきます。

勝手丼の丼はこちらの専用のお惣菜屋で注文できます。丼のご飯のサイズはお茶碗サイズから2.5人前分まで選択できます。また、オプションで花咲ガニのカニ汁やカニクリームコロッケなども販売されています。私は普通に1人前で注文し、カニ汁もいただきました。また、事前に和商市場のHPからクーポンの発券またはスマホでHPにのっているクーポンを見せれば10%割引してくれます。ちなみに酢飯にもできるとのことですが、私はそれを知らずに酢なしのご飯でいただいたのはちょっと惜しかったです・・・orz

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釧路名物『勝手丼』
ということで、自分なりにまぐろ甘海老サーモンホタテ、そして花咲ガニなど、北海道ならではのネタを選択しました。

中にはウニなどの高級食材もありましたが、あまり多くのネタを注文するとそれ相応に値段が高くなり、ウニのような高級食材を注文しても高くなってしまい、あまり夢中になりすぎると2千円はオーバーしてしまうかもしれません(笑) そして、中にはクジラの肉(ミンククジラと思われる)もネタとして出ていました。

ビクティニ:おお、これが釧路名物の『勝手丼』か!クジラの肉まであるのは珍しい。うまい!(煉獄さん風)

ミュウ:厚焼き玉子も美味しい!

ゴンベ:花咲ガニもうまいっぺ!

シャワさん:カニ汁も花咲ガニか!カニの出汁が出ていてうまい!

 

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釧路市湿原展望台

JR釧路駅から路線バスで30分の場所に釧路湿原が一望できる代表的な『釧路市湿原展望台』があります。

この展望台では、釧路湿原についての歴史や成り立ち、そしてこの湿原に生息する生態系などを知ることができます。1階は売店とレストランのある無料施設となっていますが、2階は展示室、3階の展望室と屋上の展望台は有料施設で、屋上からは釧路湿原や連峰、釧路市の街並みが見れます。この展望台は昭和59(1984)年に建てられ、釧路湿原に生える『ヤチボウズ』をイメージしているのだそうです。

 

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釧路湿原の遊歩道 ジオラマ

釧路市湿原展望台の周辺にある遊歩道のジオラマが展示されています。1周で歩くと2.5km、1時間弱が所要時間のようです。

 

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ニジマス
釧路湿原はもちろんのこと、北海道の川ならどこにでもいるのがニジマスです。

ニジマスは明治10(1877)年にアメリカから日本へ移植されたのが最初とされていますが、北海道に移植され始めたのが大正に入って以来、次第に放流も行われるようになりました。全身をはじめ背びれ、脂びれ、尾びれなど、腹部を除く体の背側を中心に小黒点が散在し、側線(体の両側に線状に走るうろこ上に開口した小さな穴の列)に沿うように赤紫色、あるいは虹色の帯をもつのが特徴的なサケ科の仲間です。日本では本州はほとんど確認されていない一方で、北海道では自然繁殖していることから、日本で見られるニジマスは北海道がほとんどです。また、ニジマスは流れが緩い川を好み、北海道では流れの緩い川が多いことから、北海道はニジマスが育ちやすい環境でもあるのです。もともとは外来種であるため、本来であれば特定外来生物に指定されなければならないのではありますが、実際には国内で水産上重要種となっていることが考えられることから、あまり外来種であるという認識を持つ人は多くないようです。そして、ニジマスはサケ科魚類の中でも全国的に養殖や放流が盛んに行われているため、ニジマスは国内においても身近な存在になっていきました。ところが、近年では生態的影響を考慮しなければならなくなってきたことから、養殖関係や釣り用は別として、放流に関しては見直さなければならないかと思われます。ニジマスは昆虫やプランクトン、ヨコエビなどを餌とし、サケと同様、ムニエルや塩焼きなどの食卓に使われています。

 

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イトウ
釧路湿原で生息する魚類は、ニジマスやヤマベなどのサケ科が生息していますが、そのサケ科の中でも、一回り大きなサケ科の魚も存在します。

こちらの『イトウ』というサケ科の魚は、日本最大級の淡水魚にして『幻の魚』といわれています。これは獰猛な捕食の形容や極端に臆病という性格から、滅多に姿を見せないと考えられています。また、著しい減少から、絶滅危惧種IB類(近い将来に絶滅する可能性があるもの)に指定され、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストにも掲載されたのだそうです。

イトウの雌は6歳(60cm)を迎えた春に初めて産卵し、2千個の卵を生みます。産卵から約2ヶ月間で孵化され、1年後には7cm,さらに3年後には20cmほどに成長します。成熟するのには雄だと4年、雌だと6年ほどかかります。寿命は15~16年が長寿とされ、成熟した親魚は4月上旬から中旬にかけて支流に遡上、婚姻色の雄が雌をめぐって争います。雌は3cm以上の小石のある清流部で5~6回に分けて産卵します。また、サケは生涯に1回だけ産卵しますが、イトウは一生に何度も産卵するのです。イトウは体長10cmまでは陸の昆虫を食べますが、大きくなるとカエルやネズミ、ヘビなどを捕食します。

イトウは漢字で書くと『魚鬼』(魚へんに鬼と書く)と書きます。アイヌ語では『知来(チライ)』と呼ばれています。

 

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タンチョウの模型

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タンチョウの生態サイクル

釧路湿原といえば、タンチョウの生息地であることは有名です。

タンチョウは、春の3月から4月にかけては産卵をし、雄と雌が交代しながら約1ヶ月間、卵を温めます。5月になるとヒナが孵り、初夏から秋にかけて雌が子育てをします。そして、冬になると食料が少なくなるため、給餌場に道内から多くのタンチョウが集まります。そのため、釧路湿原では冬になるとタンチョウが必ずといっていいほど、頻繁に見かけるようになるのです。さらに年を越した2月頃には求愛活動をします。その時、タンチョウの華麗なダンスが見られます。これがいわゆる『求愛ダンス』であり、その儀式とともに親のタンチョウは自分で育てた子供のタンチョウを追い払う『子別れ』も見られることもあります。

 

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タンチョウの餌

タンチョウの餌はトンボやチョウなどの昆虫の他に、エゾアカガエルなどの両生類やブナなどの魚類を食べて暮らしています。また、冬期にタンチョウたちが集まる給餌場にはトウモロコシが餌として用意されます。

 

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釧路湿原に生息する外来種
 釧路湿原には、人間の活動によって海外から入ってきた生き物、いわゆる『外来種』が棲み着いています。

例えば、飼育場からミンクや食用のためにアメリカから持ち込んだウチダザリガニなどが繁殖し、次第に数を増やしているため、この湿原に生息する生き物や生態系に影響を与えています。そのことから、平成17(2005)年に『外来生物法』が制定され、外来種を取り除く活動が、この釧路湿原でも始まったといいます。

 

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野草ギャラリー

展望台の展示スペースには釧路湿原の野草を造花にして作った地元の方々のオブジェ作品まで展示されていました。

 

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ヤチボウズの模型

釧路湿原で見かけるのが、『ヤチボウズ』です。

ヤチボウズは、『スゲ』といわれる植物の根が集まったことで出来た植物(?)の1つです。中身は絡まったスゲの根や土が含まれ、その土の中には蟻や蜘蛛などの甲虫類、サンショウウオのすみかにもなっています。

このようなヤチボウズが見られるのは、釧路湿原だけでなく、道東の至る所で見られることがあります。

 

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釧路湿原の成り立ちと変遷

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出土された縄文土器や貝殻

釧路湿原の歴史は、縄文時代から始まりました。

石器時代の終わりごろの縄文時代、太平洋からの海水が低地へ浸入したことで、いわゆる『縄文海進』がはじまり、約6千年前に『古釧路湾』ができたことで、その場所が現在の釧路湿原が成形されたと言われています。そのため、釧路湿原とその周辺の地層にはアサリやカキ、オオノガイなどの貝殻やその化石が発見されています。

縄文前期を過ぎた約4千年前、紀行が寒冷化したことで、海水が次第に水が退かれていきます。これを『縄文海退』といい、湾口に砂丘列が成形され始め、古釧路湾は汽水性の内湾や潟湖で成形されます。その場所の約3千年前には、次第に湿原へと変貌していきます。これがいわゆる『釧路湿原の原型』で、その湾跡には釧路川として、そしてその周辺の湖沼は、縄文期の海退によって湖ができた『海跡湖』が出来たのです。

 

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土器と石器

縄文時代が終わった北海道では、古代国家が発展した本州とは違い、縄文以降も狩猟や採集、漁ろうなどを営んでいました。これは旧石器や縄文時代から続縄文・擦文を経てアイヌへ続きます。

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擦文土器

擦文は平安のころとされ、雑穀や鉄の利用、方形住居など、本州の影響を強く受けた最後の土器文化であったのです。

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ラムサール条約湿地となった釧路湿原

釧路湿原は、日本で最初に『ラムサール条約湿地』として昭和55(1980)年に登録されました。

また、手つかずの大自然がそのまま残る湿原には、天然記念物国設鳥獣保護区国立公園特別保護地域になっています。特にこの湿原に生息するタンチョウは特別天然記念物とされ、それらの動植物も、非常に貴重なものであることから、『ラムサール条約』の登録湿地となった理由であります。そのため、国内はもちろんのこと、国際的にも人気が高いのです。

このようにラムサール条約に登録されているのは釧路湿原だけでなく、霧多布湿原や別寒辺牛湿原、サロベツ原野、阿寒湖、ウトナイ湖、風蓮湖など、北海道の至る自然で登録されています。

 

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北海道における国立公園
北海道の国立公園には、釧路湿原国立公園も含まれています。

これは湿原が釧路の市街地の近郊に位置しているため、市街地に近い国立公園としては非常に珍しい国立公園です。この公園の大部分がヨシの草原やハンノキ林などが生える低層湿原であり、太古から変わらぬ河川も、いかにも原始的かつ広大な水平的景観を醸し出しています。北海道における国立公園は、他にも阿寒国立公園をはじめ、支笏湖や洞爺湖、サロベツ、大雪山、そして知床も指定されています。北海道にはそれだけ国内有数の大自然が多く残されているということなんですね。

 

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釧路市湿原展望台 屋上
展望台の屋上に出ると、ジャングルのごとく、あたり一面に釧路湿原が広がっています。

行った時期が5月上旬とはいえ、湿原は枯れ木が目立ち、恰も本州の冬のような景色で若干寂しい感じです。まあ、これからの夏には所々に若葉が茂っていくのでしょうけれど・・・。

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展望台から見る釧路の市街地

南側を見てみれば、釧路市の市街地も見えます。

こうして、見てみると釧路の街が湿原とこんなに近く感じるのが不思議な光景ですね。市街地の近郊に釧路湿原が広がるというのを考えれば、釧路は産業と自然が調和した街であるということを伺えます・・・。

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湿原展望遊歩道 入り口
展望台の脇からは、遊歩道が続いています。

この遊歩道は気軽に釧路湿原の自然を観察でき、また湿原が眺望できる散策路で、1周2.5キロメートルあり、1時間弱で釧路湿原の雰囲気を肌で感じ取ることができます。

 

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釧路湿原国立公園

釧路湿原は、国内で有数の湿地帯にして日本最大級の規模を誇っています。

その湿原を含む釧路湿原国立公園は、面積が約2万8千ヘクタール(約280k㎡)有しており、これは東京23区の総面積に匹敵する広さです。その広大な湿原に生えるヨシの草原やハンノキ林、釧路川とその周辺の支流や湖沼などが織りなす、水と植物の調和がとれている景観、さらにラムサール条約によって、タンチョウを始めとする貴重な水鳥の生息地として国際的に重要なものとされることから、国際的に高く評価されています。国内においても有数かつ貴重な自然の宝庫にして財産的価値があるものとして後世に受け継ぐべく、昭和62(1987)年7月31日に国内で28番目の国立公園に指定されました。

 

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湿原展望遊歩道 案内

釧路市湿原展望台の周辺には遊歩道や木道が設けられており、釧路湿原で気軽にウォーキングができます。

この遊歩道は2.5kmもあるので、ゆっくり歩けば1時間で楽しめます。さらにバードウォッチングや植物の観察などでもっとじっくり見ながら散策するのなら1時間半か2時間あれば十分に散策できるでしょう。ただし、交通手段が路線バスの場合は、必ず最終バスの時刻をよく確認した方が良いです。

 

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こもれび広場

遊歩道は、木道が整備されているので、気軽に釧路湿原の自然の中にいるということを実感させます。所々に休憩所や休憩所があるところで、湿原の空気を吸ったり、あるいはバードウォッチングもできます。しかし、5月でも枯れ木の林のままなのがちょっと寂しく感じます。まるで晩秋か関東の冬のような感じです。

 

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こもれびの階段

『こもれびの階段』では、迂回するよう緩い階段を下りながら湿原の自然を間近に観察できます。このあたりは野鳥のさえずりが聴こえそうな雰囲気ですが、この日はかなり静かで、野鳥は一羽もいません。夏なら葉っぱが茂り、鳥のさえずりで聴こえるのでしょうが、時期が時期なだけにまだ閑散としています。

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閑散とした林にカラスが・・・

釧路湿原の遊歩道には、ノビタキアオジゴジュウカラシジュウカラシマエナガなどの野鳥がこのあたりでくつろいでいるはずですが、野鳥の姿がなく、代わりにカラスが一羽だけ飛んで来たのは、ちょっとガッカリです・・・。

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遊歩道 つり橋

遊歩道の途中で小さなつり橋がありますが、寸又峡のつり橋と違って地面が低く、足場が広いので、歩きやすいです。ただ、柵の鎖が錆びかけているのがちょっと気になります・・・。そして、つり橋の向こうには分岐点が見えます。

 

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遊歩道の分岐点(ひだまり広場)

ここからは、北斗遺跡や湿原探勝歩道方面へ向かう道が別れています。

この分岐点を左へ進むと遊歩道の続きですが、右へ進むと探勝歩道に出られます。他にもあおさぎ広場から探勝歩道へ出られますが、通行止めのようです。

 

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水や草木で織りなす釧路湿原

先程の分岐点から探勝歩道方面への道を歩いていくと、いかにも湿原らしき沼が視界に現れました。

・・・まさにここが釧路湿原の湿地帯です!

釧路湿原は日本一の広さを誇り、東西に約25キロメートル、南北に約36キロメートルくらいの約1万8千ha(約180万k㎡)の面積を持っています。

これはJR山手線の内面積の大きさに匹敵する広さです。

ヨシやスゲの湿原をはじめ、ミズゴケ湿原、ハンノキ林によって、四季折々の湿原が織りなされています。この湿原は、地表から深さ1~4メートルには泥炭層、さらにその下には、砂や泥、小石、貝の化石などが含まれる地層があるのが特徴的です。このような地層になったのは、かつてこの場所が海であったということを物語っているからなのです。

そして、その地層に含まれる『泥炭』は、湿原に生える植物が冷たい水に使った状態で分解せずに堆積したもので、釧路湿原では1年に1ミリの割合で積み重なっています。

 

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釧路湿原に生息する水生昆虫
釧路湿原は、釧路川やその支流、あるいは海跡湖や湖沼などで形成された湿地帯であり、その場所に湧き出る湧き水などでもこの湿原を潤しています。

この湿原はタンチョウやオジロワシなどの貴重な生き物が生息するだけでなく、湖沼や水たまりをよく覗き込めば、様々な昆虫に出くわすこともあります。中でも『トビケラ』という昆虫もこの湿原に生息する昆虫の1つで、この湿原でも約50種類が発見されています。この昆虫はチョウの仲間であるという共通点から、その祖先より約2億年前に分かれたものとされ、幼虫は水中で育ち、成虫になると陸上で生活します。このように、トビケラは釧路湿原における生態系の1つとされており、自然界の食物連鎖によって、その幼虫は水中の魚の餌に、あるいは成虫も鳥や魚の餌にもなったりします。そのような生態系のサイクルによって重要な役割を果たしているということです。

 

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釧路湿原に生えるヤチボウズ

湿原探勝歩道に入ると、道端にたくさんのヤチボウズが見られます。

まるでゲゲゲの鬼太郎か人間の髪の毛のような感じに見えます。

釧路湿原ではよく見られるヤチボウズは、スゲ類などの植物の根が大きな株をつくり、泥炭層の表面に突き出たものです。これらはひと朝ひと晩ではできるものでなく、四季の変化によってこのような形になるのです。秋になると葉は枯れて放射状に倒れますが、低温過湿な釧路湿原では微生物が活動できない環境であるため、枯れた状態で残ります。冬になると周辺の土壌は凍結し、春になるとともに雪解け水がその株周囲の土壌をえぐるように侵食し、なおかつその株の根を潤すことで、また新しい草や茎が発芽します。これを繰り返すことによって、このようにヤチボウズという株が生成されるのです。大きいものは40cm~50cmほどの高さになり、恰も人間の髪の毛のように見えることから、谷地(ヤチ)はいわばアイヌ語でいう『湿地の坊主』ということで、『ヤチボウズ』と呼ばれるようになったのです。

ヤチボウズの中身には、蟻や蜘蛛などの虫が棲み着き、冬はサンショウウオが越冬のために、この株の中に入り込んでいたりします。これらの株の中で生き物たちの活動が感じられるのも、この湿原における生態系そのものでもあります。

 

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ヤチマナコ
釧路湿原では、『ヤチマナコ』といわれる水たまりがスゲなどの植物に囲まれるように生成された沼として所々に点在しています。

和名でいうと『谷地眼』と書きますが、『谷地』はアイヌ語で『湿地』といわれ、いわゆる湿地に壺状に大きく開いた底なし沼のことで、一歩間違えればヤチマナコに転落してしまう恐れがあります。ヤチマナコの深さは数メートルあり、落ちてしまうと抜け出せなくなってしまうので、遊歩道や探索歩道を歩くときは十分に注意しなければなりません。

ヤチマナコがこのように生成されるのは次のことが考えられます。

  • この湿原に流れる小さな流れは、次第に植物に覆われ埋まっていくが、蛇行するカーブの部分が比較的幅が広いため、水たまりとして残る。
  • 泥炭の中を浸透する水が湧き出す場所に小さな水たまりができることで、その水たまりの周囲に堆積していた泥炭が地下水の流れによってえぐり流され、壺型の池ができる。

このように釧路湿原の底なし沼としてできるのはとてもミステリアスですね。

ちなみにヤチマナコの池塘には、ヤチウグイやトゲウオ(イトヨ)などの小魚、あるいはマルタニシなどの貝類が生息しています。そして、ヤチマナコの水に泥炭が含まれているため水温が暖かく、真冬でも+5~6℃、あるいは10℃以上になることもあります。そのため、これらの生物は冬場でも生息でき、タンチョウたちにとっても格好の餌場にもなったりするのです。

 

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北斗遺跡
大昔の釧路湿原には、縄文から擦文(さつもん)時代に亘る重複遺跡の機構が眠っています。

このあたりでは、旧石器時代に焚き火をした跡をはじめ、縄文時代の住居跡や貝塚、あるいは擦文時代の住居跡などが今でも残されているといいます。特に擦文時代に使われたであろう鉄器や繊維、はた織具の一部分、栽培植物の種子などが出土されています。それらを含んだ遺跡は、釧路湿原における最大規模かつ重要なものとして、国の指定史跡にもなっています。

 

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大昔の釧路湿原は海の中に・・・

約2万年前の釧路湿原は、氷河期ということもあり現在より気温が低く、その当時の界面が100メートルほど低かったため、まだ陸地だったのですが、約6千年前には気温の上昇とともに太平洋からの海進によって、この場所は海に覆われていったのです。そのため、かつてこの場所は『古釧路湾』の一部分であったことが窺えます。さらに気温の低下とともに徐々に海水が退かれ、古釧路湾のあった場所に砂丘が発達し、河川から流れた土砂などが流れ込んだことで、次第に湾を埋めていきました。このように海退が進んでいく中で、湾内の西側が隆起、東側は沈み込む地盤変化ができたことで、塘路湖などの海跡湖がいくつか生成され、現在の釧路湿原となったということです。

 

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バイケイソウ

湿原遊歩道の道端や林の間にも様々な植物が生えており、このあたりは『バイケイソウ』『エゾエンゴサク』などが生えています。その中でひときわ目立つのが『バイケイソウ』です。楕円形の大きな葉っぱが特徴で、初夏の6月頃には緑白色の花を咲かせます。一見ミズバショウのように見えますが、実は毒のある植物なのです。その草を誤食してしまうと、嘔吐や下痢、手足のしびれ、めまいなどの症状が現れ、最悪の場合が死亡してしまうことがあるほど危険な植物なのです。このような植物は釧路湿原のように湿った場所に生えていたりするので、もしヒグマなどが誤食すれば間違いなく倒れてしまうでしょう・・・。

 

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エゾエンゴサク

道端に生えている『エゾエンゴサク』は、北海道ならどこでも見られる他、東北地方でも見られる植物です。釧路湿原に生える植物の1つで、春の4~5月にかけて花を咲かせ、開花後はは地上部か枯れて根だけになり、秋や冬にかけて休眠し、春になるとまた発芽するという春にしか活動しない植物です。『エゾエンゴサク』は雪解け後の林地帯に真っ先に咲き始め、その花の色は変異であるため、淡い青があれば紫色赤紫ピンク純白色などの多彩な花を咲かせます。道東では、釧路湿原の他に、知床などでも見ることができます。

 

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サテライト展望台

サテライト展望台からは、広大な釧路湿原が目の前で広がります。

2万8千haもある釧路湿原は、日本一の広さを持つ湿原というだけあって、地平線の彼方までこの光景が続いています。夏になると、緑で彩られていかにも湿原らしい景色が見れるかと思いますが、まだ若葉が茂っていない湿原は、やっぱり寂しい印象です・・・。しかし、時々ウグイスの鳴き声が聴こえてくるので、春といえば春ですね。この展望台は東の方へ向いているので、この方角には塘路湖や釧路川、JR釧網本線の線路などがあります。

 

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鳥の巣箱

湿原遊歩道には様々な野鳥が生息するので、巣箱まで設けられています。でも、この日は野鳥の気配が無いのがちょっと残念ですが・・・orz

 

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散策後のソフトクリームは美味しい

さて、遊歩道を散策した後は、展望台1階にある売店でソフトクリームが売られているので、おやつにいただきます。散策後は休憩の他にもお土産屋もあるので、記念になるものがあれば立ち寄ってみるのもいいでしょう。

ビクティニ:この辺にタンチョウが生息していると思って探してみたんだけど、タンチョウはおろか野鳥でさえもいなかった・・・。カラスしかいなかったよ・・・。

ミュウ:でもウグイスの鳴き声も聴こえてたじゃん(^^

 

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幣舞橋

さて、再び釧路市街に戻ってきました。

釧路市の名所で有名なのが『幣舞橋(ぬさまいばし)』です。

『幣舞橋』という名前がついたのは、アイヌ語で言う『ヌサ・オ・マイ(幣場の・ある・ところ)』が由来になったといわれています。

この橋は屈斜路湖や釧路湿原から流れる釧路川に架かる『北海道三大名橋』の1つとされています。明治22(1889)年に木橋としてかけられましたが、その橋は当時の道内においては最長の木橋だったようです。当時は『愛北橋』と呼ばれ、のちの明治33(1900)年に初代の幣舞橋として誕生します。そして現在の幣舞橋は初代から数えて五代目として昭和51(1976)年に建設されたものです。これは札幌の『豊平橋(とよひらばし)』旭川の『旭橋』とともに北海道三大名橋といわれているということです。また、霧が出やすい夏には、霧に包まれた橋影や街頭の明かりで彩る、いかにも釧路らしい幻想的な光景であることから、『釧路十景』の1つとされ、『日本百名橋』にも指定されています。

 

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幣舞橋の欄干に立つ像

これは翌朝に撮ったものですが、幣舞橋の欄干には4箇所の像が立っています。

欄干に立つ4箇所の像は『四季の像』といわれています。これらの像にはそれぞれ作者が違い、『春の像』は舟越保武氏『夏の像』は佐藤忠良氏『秋の像』は柳原義達氏『冬の像』は本郷新氏によって造られたものです。

 

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釧路港の夕暮れ

『幣舞橋』夕日の名所として、知られています。

釧路は道内においても有数の夕日スポットであり、この橋も『世界三大夕日』の1つとして、世界的に有名になりました。

これは他の地域では見られない異国情緒な雰囲気に加え、夕日の表情も季節によって違ったりするので、どんな季節でも美しい夕日や夕暮れが美しいのです。港町で見る夕日とはいえ、あまりにも美しい夕日で、大自然が織りなす景観の素晴らしさから、『世界三大夕日』の1つとして評価されたといえるでしょう・・・。

ビクティニ:こんなに穏やかな夕暮れが見える港町はとても素敵だね・・・。ちょっと寒いけれど・・・。

ミュウ:空が曇ってなければ、きれいな夕日が見れたかもね。

 

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釧路名物 海鮮丼&海鮮焼き

釧路の夕暮れを見たところで、夕食にします。

釧路市街では、美味しいものが食べられるお店が結構ありますが、中でも釧路港近海でとれた海産物が豊富で、海鮮焼き海鮮丼は釧路ならではの名物でもあります。

ビクティニ:そろそろ夕食の時間だ、釧路といえば海鮮丼や海鮮焼きが美味しいぞ。いただきま~す!海鮮丼も酢飯でうまい!

ミュウ:美味しい!

ゴンベ:いただきますだ~!うまいっぺ!特に海鮮焼きがうまい!

シャワさん:北海道といえばホタテがうまい!

にょろもう:いくらも美味しいよ!

作者:海鮮ものにはハイボールですな!

tabelog.com

 

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釧路プリンスホテルで宿泊

今回の道東旅で最初の宿、釧路プリンスホテルに宿泊します。やはり時期が時期なために、宿泊客もまばらでした。釧路の市街地にあるホテルでは売店があり、釧路のお土産や特産品などが購入できます。また、宿泊代も比較的リーズナブルなので、釧路や道東への旅行には気軽に利用できるかと思います。

ビクティニ:明日はノロッコ号とカヌーで川下り、そして釧網本線の旅だ。以前来たときは、ノロッコ号しか乗らなかったのに、今回は釧網本線の列車で網走まで乗り通すことになるから、長い旅になりそうだな・・・。

ミュウ:カヌーも久しぶりだよね・・・。明日はタンチョウが見れるかもね・・・?

www.jalan.net

 

『GW道東紀行1日目』終わり

2日目へ・・・

 

春の大井川鉄道&アプト式鉄道 静岡の名所“寸又峡”へ


みなさん、こんにちは。

今回は大井川鉄道のSLアプト式鉄道、そして、寸又峡温泉夢の吊り橋まで行って参りました。

 

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大井川鉄道 金谷駅

大井川鉄道の入り口である金谷駅へはJR東海道本線金谷駅からのアクセスになります。

大井川鉄道への乗り換えは雨の日でも、小さな乗り換え用の改札口があるので、いちいち出口に出なくても乗り換えができます。駅員さんに切符(フリーきっぷ)やSLの急行券を購入します。フリーきっぷは『大井川周遊きっぷ』『大井川本線フリーきっぷ(2日間3,500円)』『井川寸又峡周遊きっぷ(2日間2,100円)』『川根温泉ふれあいの泉クーポン(1日間のみ、金谷駅から1,840円 新金谷駅から1,660円)』などの種類があります。大井川鉄道を存分に楽しみたいなら『大井川周遊きっぷ』が最適かと思われます。そのフリーきっぷは有効期間が2日用(4,900円)と3日用(5,900円)があり、普通に土日を挟んで大井川鉄道のSLやアプト式を楽しみたい人には2日用で十分に事足りるかと思います。3日用は土日祝、あるいは土日と有給休暇などを挟んだ連休などでSLやアプト式鉄道の乗車の他、SLや電車の撮影など、とことん大井川鉄道を満喫したい時におすすめです。

今回は2日用の『大井川周遊きっぷ』とSLの急行券を駅員さんから購入して、新金谷駅まで普通電車で行きます。ホームには元南海電車の21000系が停泊していました。

ビクティニ:この電車はとても古い電車だね。まるで昔の西武線に似ているね。

ミュウ:確かにそうかも。

 

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大井川鉄道の旧型客車たち

新金谷駅にやって来ました。

この駅が、SL急行の始発駅になります。

ここはたくさんの機関車や客車、様々な電車たちが停泊しています。中でも、留置線で休んでいる旧型客車たちが目立ち、客車や機関車だけでなく他の電車たちも昭和生まれということもあり、あたかもタイムスリップしたような雰囲気が漂います。

 

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新金谷駅 プラザロコ

新金谷駅の出口からすぐの所に『プラザロコ』があります。

ベンチが多く並べられ、SLの出発時間の待ち合わせや休憩などにちょうどいいでしょう。

かつて軽便鉄道で活躍した蒸気機関車井川線で活躍した客車などが展示されている他、様々な蒸気機関車の模型も展示されています。
売店では大井川鉄道に関するグッズ静岡のおみやげなどが買えます。また、様々な駅弁も買えます。

ビクティニ:小さな機関車や客車が展示されている・・・。みんな本物の鉄道車両なのも、まるで博物館みたい。

ミュウ:売店では色々なお土産品が売られているね。静岡ということもあってお茶も売られているね。

 

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井川線の客車にギャラリー

井川線の客車は中に入ることができるのですが、行った時は例の病気の影響もあり、客車には入れないようです・・・。その代わり、鉄道写真家の中井精也さんが撮った沿線風景や大井川鉄道で活躍する車両たちの写真が展示されています。

 

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SLの模型

 プラザロコで展示されているSLの模型は日本のSLを中心に展示されています。

模型の他に、ジオラマや実際に使われていた蒸気機関車の計器や部品なども展示されています。

 

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SL護摩木

プラザロコの売店では、神社の絵馬に願い事を書くのと同じように、SLのボイラーに入れる『護摩木』に願い事を書くことができます。また、『滑らない砂』もお守りとして販売されています。いずれも島田市の智満寺にてご祈祷を受けたもので、新金谷駅のプラザロコや千頭駅の売店で購入できます。

『護摩木』は、願い事を書いてSLのボイラーで燃やすことで、煙は天に届き、天は食をいただくことでかわりに人に福を与える言われています。これは、燃焼中のSLのかまに願い事を書いた護摩木を入れると願い事が叶うそうです。
『滑らない砂』SLや鉄道車両が勾配区間を走行する時の滑り止めに使われるものですが、これはSLが坂を走行する時にその砂をまくことで、安全運行を続けることができます。そのことにあやかって試験に落ちない(滑らない)という、どんな困難にも踏ん張ることができる縁起物と言われているからだそうです。

 

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大井川鉄道 SL

大井川鉄道といえば、SLが有名です。

大井川鉄道に所有しているSLは4形式5台を所有しており、そのうち4台が現役で活躍しています。

いずれも昭和初期(戦前)に製造されたものですが、同じSLでも機関車によっては形や種類はもちろん、それぞれのSLの汽笛の音も異なります。
当日のSL急行は『C11型』といわれる全国のローカル線や駅の入れ替え、貨物列車などで活躍した日本の花形のタンク機関車です。このSLはC11-190号機で、昭和15(1940)年に製造され、ほとんど九州で活躍し、一時期はお召し列車でも活躍しました。その後、昭和49(1974)年6月12日付で廃車になりましたが、熊本県八代市在住の方が引き取り、昭和53(1978)年から静態保存され、いつか復活を夢見て大切に保管されていたことから、大井川鉄道の関係者に目がつきました。平成13(2001)年6月19日に九州から大井川鉄道に搬送され、動態復元が施されました。そして、平成15(2003)年から動態保存が開始、今日でも元気に走る姿を見ることができます。C11-190号機はナンバープレートが緑色で、除煙板に大井川鉄道の社紋がついているのが特徴的です。

 

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SLの客車は昭和初期の旧型客車が使われている

大井川鉄道のSL急行で使われる客車には昭和初期に製造された客車いわゆる『旧型客車』が使用されています。

これらの旧型客車は昭和10~20年代に製造されたもので、『オハ35形(戦前の客車)』が5両、『オハフ33形(車掌室付きの戦前の客車)』が2両、『スハフ42形(車掌室付きの戦後の客車)』と『オハ47形(戦後の客車)』がそれぞれ4両の合計15両が在籍しています。他にも日本ナショナルトラスト所有の『スハフ43形(特急用の客車)』が2両、『オハニ36形(通の客室と荷物室を持ち併せた荷物合造車)』もあります。
かつては全国の旧国鉄(今のJR)において急行列車からローカル線の客車列車まで様々な用途で使われていましたが、昭和末期には客車列車からの電車化で次第に減少し、現役から退きました。現在では、大井川鉄道のSL列車貴重な旧型客車が現役姿で見られます。
大井川鉄道のSL急行『かわね路号』は、乗車券やフリーきっぷの他にSL急行券(820円)が必要になります。すべて指定席制で、もちろん、当日でも空席があれば乗車できますが、特に桜や紅葉シーズンなどは満席になることがあるので、どうしてもSL列車に乗るのなら、事前に予約されることをおすすめします。

 

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大井川鉄道のSL 駅弁

大井川鉄道のSL列車といえば、駅弁が楽しみの1つです。

駅弁は、大井川や静岡ならではの食材を使った『大井川ふるさと弁当』が名物ですが、他にも様々な駅弁があります。中には北海道名物の『つぶ貝弁当』も用意されています。そして、駅弁と川根茶が相性が合います。

ビクティニ:汽車の旅の友には駅弁も隅には置けないね。いただきま~す!

ミュウ:つぶ貝があっさりしていて美味しい!

シャワさん:炊き込みご飯のような駅弁がうまい!(煉獄さん風)まるで峠の釜めしみたいだ。

ゴンベ:うんまいっぺ~!

 

★大井川鉄道のSLとアプト式鉄道★


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千頭駅に到着したSL

新金谷駅を出発したSL急行は、1時間弱で千頭駅に到着します。千頭駅に到着すると、多くの観光客がSLにカメラを向けます。

この駅ではSLの点検や燃料・水の補給も行われます。それが行われた後、機関車は新金谷方面へ進行方向を変えるため、転車台へ向かいます。

ビクティニ:機関車は小さくても十分に蒸気機関車ならではの迫力が伝わっているね。

ミュウ:この後、燃料補給するのかな?

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大井川本線の終着駅 千頭駅

大井川鉄道の本線は、金谷駅から千頭駅まで39.5kmの距離があります。

大井川鉄道は大正14(1925)年に創立し、SLの運行日が日本一(以前は毎日SL運行されるほど)といわれることで有名ですが、もともとは大井川の電源開発における資材輸送などを目的に敷かれたものとされています。そのため、開業当初から貨物列車が多く運行されていたものと思われます。

本線は昭和6(1931)年に千頭駅まで開業しました。当初からSLによる運行がされていましたが、戦後の昭和24(1949)年には電化されます。大井川本線の終着駅千頭駅ですが、ここは大井川鉄道の終点ではありません。実は井川線がまだこの先に続き、井川駅が大井川鉄道の終点になります。そう、大井川鉄道は井川線を含め、ダム建設などの電源開発の建設資材を運ぶための鉄道だったからなのです。そして、昭和51(1976)年には本線でSLが運行されるようになり、さらに最近では、夏や紅葉の時期などで『きかんしゃトーマス号』が運行されるようになります。また、本線の駅舎はほとんど開業当時から変わらぬ姿で残され、SLや客車も当時からの姿を保持され続けていることから、映画やドラマなどのロケにも使われているのだそうです。そのため、日本はもちろん、世界中からでも『昔ながらの鉄道風景』として注目されているのです。

 

 

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南アルプスあぷとライン(井川線)

大井川鉄道本線の終点である千頭駅から先は『南アルプスあぷとライン』こと井川線が井川駅まで25.5km続いています。

車両は本線より一回り小さいです。

以前は機関車が先頭に立ち、客車を引くスタイルでしたが、運転台のついた客車が先頭に立し、一番後ろからディーゼル機関車が押し上げるスタイルになっています。

 

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井川線の桜

井川線にも乗車してみましょう。

井川線の車内は天井が低く、身長170cmの私が身をかがめずに立つと頭を天井にぶつけてしまうほどです。

車掌さんは駅区間ごとに違う車両に乗り、忙しそうに安全確認や笛で発車合図をしています。井川線の駅案内の他に、沿線の名所や景色なども案内してくれます。
井川まで行く列車は1日に3~4本しかなく、中には、民家が指で数えられるぐらいしかない駅もあれば、人が全く住んでいない場所に駅があるいわゆる秘境駅も点在します。これは、井川線はもともと中部電力によるダム建設など、大井川の電源開発に携わる設備の建設資材を運搬するための専用鉄道、あるいは林業の木材輸送を目的として敷かれたものだからです。当初は762ミリでしたが、後に線路幅は本線やJR在来線と同様、1,067ミリに改軌されました。これは、建設資材を運ぶ際、木材や建設資材などを運搬する国鉄貨車が本線や井川線に直接乗り入れるのを前提に合わせたものと思われます。大井川ダムや井川ダムなどといった水力発電用のダムが完成すると、これまで中部電力が管理していた『専用鉄道』は、昭和34(1959)年に大井川鉄道が引き継ぎ、『井川線』として、旅客営業が開始されました。また、旅客の他に木材の運搬なども行われていましたが、今ではほとんど『観光鉄道』として存続しています。

デッキ付きの車両も連結されていますが、この日は結構雨が降っているので、デッキにいるとずぶ濡れになってしまうのでやめました。

ビクティニ:井川線からでも桜が見えるよ!

ミュウ:雨が降らなければもっといいのに・・・。

 

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アプトいちしろ駅

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アプト式鉄道の電気機関車

途中のアプトいちしろ駅では、『ED90形』というアプト式の電気機関車が列車の最後尾に連結されます。

この駅では電気機関車との連結作業を見学することができます。また、この駅にはトイレや自販機が用意されており、停車時間の合間に利用できます。ただし、乗り遅れにはご注意を(発車時間になると車掌さんが知らせてくれる場合があります)。

アプト式鉄道とは、線路の中央部に敷かれた『ラックレール』『ピニオンギア』を噛み合わせることで、急勾配の坂を安全に上り下りする特殊な鉄道方式のことです。かつては旧国鉄の信越本線横川駅~軽井沢駅では『アプト式鉄道』が採用されましたが、構造上、所要時間がかかることから、昭和38(1963)年に粘着運転へシフトされたことで、一度廃止になります。そして平成2(1990)年、井川線の線路切り替えによってアプト式鉄道が27年ぶりに復活し、日本で唯一のアプト式鉄道となったのです。
また、この駅から長島ダム駅へは旧線の廃線跡を使ったハイキングコースになっています。ただ、途中のトンネル(ミステリートンネル)には照明がないため、自分で懐中電灯を事前に用意するか、あるいはこの駅で懐中電灯をレンタルしないと大変です。旧線のトンネルを抜けるとキャンプ場と長島ダムへ出られます。

 

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90‰の標識

井川線のアプト区間は、90‰(パーミル)を持つ日本の鉄道で最大の急勾配です。

90‰は1kmの距離に対し、90メートルの高低差を進むことを意味しています。

なぜ、このような急勾配が生じたのかというと、この先にある長島ダムの建設に伴い、かつてあった井川線の旧線が水没されることになったのです。そのため、このように別の場所に線路が敷かれることになり、これがいわゆる井川線の新線および観光の一環としてできたといわれています。井川線は基本的には非電化の路線ですが、アプト式鉄道のあるアプトいちしろ駅~長島ダム駅だけはアプト式の電気機関車のみが動力となるため、電化されています。また、他の区間と比べてラックピニオンレールで固定されているため、震動が少ないです。

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アプト式鉄道から見る大井川の渓谷

アプトいちしろ駅から1つ目のトンネルをくぐると、大井川この線路の高低差が一気に高くなりました。

この高さや車内に乗っている時の傾斜が感じられることから、いかにも90‰の急勾配が急な坂かを物語っています。そして、この下に旧井川線の線路跡があるのですが、このあたりで線路跡が残っているのはキャンプ場までのようで、その先は完全に水没しています。

 

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長島ダム

進行方向右側の車窓の正面には『長島ダム』が見えます。

長島ダムは高さ109メートル堤頂長308メートルあります。

大井川水系に建てられたダムのほとんどが発電用ですが、この長島ダムは唯一の多目的ダムで、大井川流域に水道水を供給している他、工業用水農業用水などの供給が行われています。また、このダムは唯一水力発電は行われません。
アプトいちしろ駅では標高396メートルだったのに対し、長島ダム駅に到着すると標高は485メートルまで上ってきました。1つの区間(1.5km)で高低差が89メートルも一気に上ってきたというのは驚きですね!

 

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接岨湖(せっそこ)

アプト式区間は長島ダム駅で終了し、アプト式機関車も切り離され、元の編成で進んでいきます。

進行方向右側には『接岨湖』が見えます。接岨湖は、先程も説明したように長島ダムの建設によって生じた、いわゆる人造湖です。この湖の底には旧井川線の線路が沈んでいるかと思われます。まるでかつてこの湖の底に線路が通っていたというのが考えられないくらいです。そして、この湖の中に消滅した駅『川根唐沢駅』や『犬間駅』も深い眠りについています。また、時期によっては地元の高校生たちによるカヌー競技がしばしば行われているそうです。

ひらんだ駅を発車すると右側の車窓には20枚ほど井川線沿線の景色や鉄道写真などが展示されていました。

 

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奥大井湖上駅

トンネルを抜けると、『奥大井レインボーブリッジ』が見えてきます。

『奥大井レインボー』ブリッジは高さが70メートルあり、半島を挟むように2本の橋で接岨湖に架かっています。

東京にあるレインボーブリッジより先に『レインボーブリッジ』の愛称がつけられていますが、知名度的に東京のレインボーブリッジの方がメジャーだったりするので、こちらのレインボーブリッジは『奥大井レインボーブリッジ』の方が相応しいのかもしれません。また、レインボーブリッジの進行方向左側には旧井川線の線路が見えます。

小さな半島にぽつんと浮かぶ小さな駅は言わずもがな秘境駅で有名な『奥大井湖上駅』です。

奥大井湖上駅は我々が以前に星空観測ツアーでお世話になった駅ということもあり、いわゆる静岡県屈指の星空スポットにも選ばれていることなどから『Cool Japan Award 2019』に選ばれたことがあります。

文字通り湖に浮かぶような秘境駅で、この駅もアプト式鉄道と同様、長島ダムの建設によって誕生した秘境駅ですが、実は観光用の駅としてできたものです。ホームの脇には『風の忘れもの』という幸せを呼ぶ鐘があり、その脇に設置された『愛の鍵箱』に恋人同士が錠前をかけると永遠の愛が叶うといわれています。その錠前と鍵は千頭駅や奥泉駅、井川駅などで購入できます。最近では展望台にカフェまで併設され、湖上の絶景を眺めながら気軽に休憩や軽食が楽しめます。また、湖上駅から接岨峡温泉まではハイキングコースにもなっており、歩いていくこともできます(所要時間は50分ほど)。

 

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尾盛駅

列車は接阻峡温泉を過ぎると、大井川の渓谷はますます険しくなっていきます。

しばらく進むと、『尾盛駅』といわれる本当に何もない秘境駅があります。

この駅の周辺には民家などが一切無い上、道路さえもつながっていない、いわゆる真の秘境駅です。ホームは非常に簡素なもので、見ての通り殺伐な雰囲気を醸しています。では、なぜこんな場所に駅があるのかというと、かつては井川ダムの建設の作業者が常駐していた場所で、宿舎や小学校、そして医者も常駐していたといいます。しかし、井川ダムが昭和32(1957)年に完成すると、ここに住む人はいなくなり、一時期は林業による木材の運搬も行われていましたが、次第に1970年代のモータリゼーションの変化とともに完全に使われなくなったのです。

人が住んでいなければ乗客数もいない駅なら、本来は廃止するべきなのですが、実は廃止にできない理由があります。

それは、大井川上流部は古くから森林資源が豊富な場所であるからであり、その地域で切り出された木材は大井川の流れを利用し、下流へ運んでいた、いわゆる川狩りが行われました。しかし、大井川本流にダムや発電所が建設されることで、川狩りそのものができなくなってしまい、その後は木材の輸送鉄道で行なうため、尾盛駅はダム建設作業員の居住地および木材の積み出しを目的とした駅として補償されることになりました。とはいえ、林業は安い輸入木材の普及とともに次第に衰退し、この駅から木材積み出しは行なわれなくなりましたが、それらの補償措置があることから廃止せずに今でも残っているそうです。そのため、林業や電源開発の作業者が利用したと思わしき廃屋などが処々で残っています。一時期は、秘境駅ブームにあやかり500人ほどの利用者がいたようですが、最近は降りる人は殆ど0に近いようです。

 

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関の沢橋梁

尾盛駅を過ぎると、『関の沢橋梁』を通過していきます。

『関の沢橋梁』は川底から71メートルという日本一の高さをもつ鉄道橋です。

上の写真をご覧いただくと、川底までは相当な高さであるということがお分かりいただけるかと思います。列車によっては観光停車することもありますが、高所恐怖症の人には足がすくむかもしれません。そして、この鉄橋は榛原郡川根本町静岡市葵区境界線になっています。ここから静岡市ということは、全国の県庁所在地の中でも相当な面積を誇っているということですね!

 

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閑蔵駅

関の沢橋梁を通過すると静岡市葵区に入ると『閑蔵駅』に到着します。

この駅井川駅だけは静岡市にある大井川鉄道の駅に数えられています。

この駅も秘境駅という風貌が出ていますが、ここは道路とつながっており、民家も少しながら点在するため、尾盛駅のような殺風景な感じではありません。千頭駅から出ている路線バスもここまで乗り入れています。出口から道路の方へ歩くとバス停があり、『やまじゅう商店』という売店もあります。

このあと我々は、千頭行き列車で奥泉駅まで乗り、寸又峡温泉へ行くバスに乗り換えとなるのですが、我々の他に数名の乗客もいました。

ビクティニ:完全に山深い場所まで来てしまったね、ここまで来るのは初めてかも。まるで別世界みたい。ここが静岡市なのはちょっと違和感が・・・。

ミュウ:さっきの鉄橋はすごかったね。

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閑蔵駅の先は井川駅
閑蔵駅から先はようやく大井川鉄道の終点である井川駅ですが、ここから井川駅までの距離はかなり長く、断崖絶壁の中を進むことになります。しかも、閑蔵駅から井川駅までの距離はなんと5kmと井川線の駅間としては最長です。また、閑蔵駅は標高が578メートルなのに対し、井川駅は686メートルと駅間の高低差も108メートルと一番大きいです。道中の車窓からは南アルプスの山々が見渡せ、『接岨峡』といわれる大井川の渓谷もさらに深くなり、見ごたえもあるのではないかと思います。

 

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奥泉駅

奥泉駅に戻ってきました。

ここから寸又峡温泉へ行くバスに乗り換えるため、待合室で待機しますが、この日はかなり雨が降っているため、路線バスが動かないとのこと。これは参りました・・・orz そこで仕方なくこれから寸又峡温泉に泊まるであろう旅行者に自分たちも含めて宿の方に迎えに来てもらうことになりました。

ビクティニ:まさか、こんなことになるとは・・・。天気って恐ろしい・・・(~_~;)

ミュウ:旅行する上で一番気をつけないといけないのは、交通がどうたらでもなく、天気だったりするんだよね・・・。

作者:そういえば、去年の連続的な大雨で九州の鉄橋がやられたんだっけか・・・。

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水没前の井川線の写真

奥泉駅の待合室には貴重な旧線時代の井川線の写真が飾られていました。

この写真は水没する前の井川線と川根唐沢駅で、SL列車によるイベントも行われていたんですね。この写真はおそらく昭和50~60年代のものかと思われます。

 

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寸又峡温泉の旅館で宿泊

さて、そんなこんなで寸又峡温泉の旅館に到着しました。

本日、我々が宿泊した旅館は『翠紅館』さんにお世話になります。寸又峡温泉は千頭駅から路線バスで40分ほど、奥泉駅からは30分ほどのアクセスです。ただ、奥泉駅と寸又峡温泉まで唯一行ける県道77号線は1車線分しかないほど道が狭く、断崖絶壁の道を通るため、運転に自信がなければ路線バスでのアクセスが望ましいでしょう。

その温泉自体が見つかったのが明治22(1889)年のことで、その源泉のあった場所に湯山温泉として開発されたものの、大間ダムの建設とともにその源泉は水没されてしまいます。その後、昭和32(1932)年に別の場所で源泉が見つかり、南アルプスの登山客などにも利用されましたが、昭和37(1962)年に湯山(大間川)から温泉街へ引湯したことから寸又峡温泉として全国的に有名になったのです。
寸又峡温泉は硫化水素系・単純硫黄泉で、とろみのある泉質なのが特徴的で別名『美女づくりの湯』といわれています。入浴後は肌を滑らかにするという性質を持っていることから、特に女性には人気があります。効能としては、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、うちみなど、様々な症状にも効きます。また、町営の露天風呂も完備され、日帰りでも都会の喧騒を忘れて気軽に天然温泉を満喫することができます。

ビクティニ:ここの温泉はとても快適に入れた。

ミュウ:山奥の温泉だからね。

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寸又峡温泉 夕食

寸又峡温泉の夕食は、とても豪華です。

献立はアマゴの塩焼きや猪鍋、湯葉、山菜などその他奥大井の食材をふんだんに使ったメニューで揃っています。やはり山奥ならではの野趣あふれる食材に舌鼓です。

ビクティニ:夕食も豪華だ!いただきま~す!うまい!

ミュウ:猪鍋もヘルシーで美味しい!

ゴンベ:うまいっぺ!

シャワさん:山菜をたくさん使っているね。うまい!

作者:地酒も最高!

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旅館の囲炉裏

『翠紅館』のロビーには夜間を炭火で沸かす囲炉裏も用意されています。この囲炉裏を見ていると、まるで故郷に帰ってきたように癒やされます。

travel.rakuten.co.jp

 

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朝の寸又峡温泉

寸又峡の朝はとても清々しいです。

寸又峡温泉から夢の吊り橋のある『寸又峡プロムナードコース』を散策してみましょう。

寸又峡温泉から夢の吊り橋へは徒歩で20分ほどで到達できます。そして、プロムナードコースを散策する所要時間は概ね1時間半が目安です。

ビクティニ:雨もやんだから、今日は夢の吊り橋まで行ってみよう。

ミュウ:本当だったら昨日に行きたかったけど、雨がすごかったからね・・・。

 

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外森神社

寸又峡には『夢の吊り橋』へ行く『プロムナードコース』の他に森林浴ができる『シャワーグリーンコース』や、気軽にハイキングができる『外森山ハイキングコース』もあります。

『外森山ハイキングコース』には外森神社と『天狗の落ちない大石』があり、特に『天狗の落ちない大石』は断崖絶壁な場所に立っているにも関わらず、絶妙なバランスでありながら落ちそうで落ちない石が石段の脇にそびえ立っています。その大石には、受験生や建築現場で働く人など、『落ちてはならない人々の守り神』として信仰されています。そして、受験や試験シーズンとなる1月や2月には『天狗の落ちない大石』の絵馬を外森神社に奉納するため多くの参拝者が訪れます。

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寸又峡 モニュメント
静岡県屈指の秘境でもある『寸又峡』は、大間ダムのチンダル湖に架かる『夢の吊り橋』をはじめ、四季折々の景観、そして、ニホンザルカモシカなどの野生動物も生息する大自然で、『21世紀に残したい日本の自然百選』などにも選ばれています。

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千頭森林鉄道 大間駅跡
寸又峡温泉はかつて『千頭森林鉄道』が通っていた場所でもあるため、このように森林鉄道の駅だったと思わしき建物が建っています。

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夢の吊り橋へのゲート入り口
温泉街から『夢の吊り橋』へは、このゲートをくぐり、道なりに進んだ場所にあります。見ての通り車両は通行不可で、ここからは徒歩のみとなります。

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大井川源流部 原生自然環境保全地域

大井川源流部南アルプスの大自然に囲まれた環境で、人を引き寄せない環境です。

寸又峡も南アルプスの南麓に位置し、それらの源流部は日本国内において原生自然環境保全地域に指定されているのはわずか五箇所しかなく、そのうち寸又峡や大井川源流部もその1つです。しかも、本州では唯一の指定地であり、他の地域では縄文杉で有名な屋久島やはるか南にある南硫黄島、そして、北海道の十勝山脈や知床エリアが手つかずの状態で自然が残っているだけで、とても奇跡的なことだということが伺えます。ただ、最近ではJR東海による『リニア新幹線』を大井川源流部に通すため、トンネルの掘削工事が行われることから、大井川の水量減少が懸念されているようです。どうなることやら・・・。

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寸又峡

寸又峡はとても深い谷に囲まれた環境で、春はヤマザクラ夏は新緑秋は紅葉冬は枯れ木の風景が見られます。

この渓谷に流れる寸又川は大井川の支流の1つで、岸壁から湧き出る天然水が大小の滝として流れ落ちています。この遊歩道も処々で天然水が湧き出ており、一部が湧き水で水浸しになっている箇所がありました。また、寸又峡は朝日岳や沢口山、前黒法師岳など(寸又三山)に挑戦する登山者も訪れます。

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猿並橋
遊歩道から見下ろしてみると、『夢の吊り橋』とはまた別の吊橋がかかっています。あれは『猿並橋』という吊橋で温泉街から朝日岳の登山口として使われています。しかし、観光用である『夢の吊り橋』とは違い、あの吊橋の先は登山道になっているため、観光客は入れません。

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天子トンネル

遊歩道をしばらく進んでいくと、天子トンネルが見えます。

このトンネルを通れば大間ダム湖と『夢の吊り橋』への道が見えてくるはずです。天子トンネルの手前にトイレがありますが、ここから先はトイレはないので、事前に済ましておくといいのかもしれません。

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夢の吊り橋への入り口
さて、トンネルを抜けた所で、分岐点が見えてきました。右の下り坂『夢の吊り橋』への道になります。

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大間ダム

切り立った深い谷底に大規模な人工物が見えるのが、中部電力『大間ダム』です。

大井川水系には、たくさんダムが建てられていますが、長島ダム以外に建てられたダムは発電用を目的に建てられたもので、大井川本流以外に寸又川でも3箇所ダムが建てられました。『大間ダム』もその1つです。

このように、寸又峡でも井川線と似たような専用軌道が通っており、その鉄道もかつては中部電力の前身である富士電力の専用線として敷かれていたのです。そして、寸又峡は深い谷で、河川の傾斜が急であることから、水力発電を行うのに適した環境でもあります。そのため、井川線と同じように大間ダム、さらにこの先にある千頭ダムなどの建設資材を運んでいたのです。後に『千頭森林鉄道』として昭和44(1969)年までこの場所に鉄道が通っていたということになります。

 

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ダムの仕組み

水力発電用のダムとは、ダム湖に溜まった水を取水し、発電所までの高低差を利用することで水圧を上げ、その勢いで発電用タービンを回転させて発電する方式です。

水力発電で用いられるダムにはいくつか種類があり、日本最大級を誇るダムと言われる『黒部ダム』『アーチダム』に分類されますが、国内のほとんどは『重力式ダム』が用いられています。これはダム自体の重みで、水や土砂などの重みによる外力に耐えることができ、滑り出しや倒れることなどがないほど安全性に優れていることから、地震の多い日本では最適とされています。
『大間ダム』の場合、重力式のダムとして設計され、発電機は毎分100~1200回転で、発電量としては3千~1万8千ボルト、最大出力が1万6千500kw(常時380kw)で発電されています。また、放水される量が決まっており、大間ダムは毎秒0.6㎥(ドラム缶3本分)の量で河川維持されています。

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深い谷底に見える夢の吊り橋

切り立ったV字形の深い谷底には、『夢の吊り橋』が見えます。

ここを下っていくと『夢の吊り橋』まで近づけます。この高さから見ると、寸又峡がこんなに深い谷であるということが実感できるかと思います。

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夢の吊り橋

道なりに下っていくと『夢の吊り橋』に到着です。

『夢の吊り橋』は言わずもがな静岡県有数の景勝地にして寸又峡ならではの名所です。その知名度は日本のみならず、世界的にも『死ぬまでに渡りたい絶景の吊り橋』として認定されました。

しかし、本来ならチンダル現象になるはずのダム湖は、大雨が降った後なのにも関わらず、なぜか干上がっている上に水が濁っています。一体どういうことでしょうか・・・?

ちなみに大間ダムの湖の色が綺麗なのは、寸又川の水は川底が見えるほど無色透明で、わずかな微粒子が溶け込んだ水に日光などの光を当てると、その微粒子の影響で波長の短い青い光だけ反射され、波長の長い赤い光が吸収されることで、いわゆる『チンダル現象』が起こるからなのです。そのため、この湖は別名『チンダル湖』と呼ばれることがあります。

ビクティニ:せっかくきれいな湖と夢の吊り橋との景観が見たくて来たのに、こんなに干上がっている上に水まで濁っている・・・。残念・・・orz

ミュウ:昨日の大雨でこうなっちゃったのかな?

また、時期によっては、1時間以上も待ち時間ができるほど混雑することがあります。特にGWや夏休みなどでは多くの観光客や家族連れで混み合うことがあるため、混雑を避けるのなら、早朝に行くシーズンオフなどに行かれるといいでしょう。

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寸又峡プロムナードコース

寸又峡のプロムナードコースは『夢の吊り橋』はもちろん、かつての千頭森林鉄道の軌道跡を利用した遊歩道寸又峡ならではの四季折々の景観野生動物の生態などが楽しめます。

このコースは当時の森林鉄道の名残りがある道床や『飛竜橋』、ダム湖、展望台など、寸又峡の自然を心行くまで散策するもので、運が良ければカモシカやニホンザルなどの野生動物が見られるのかもしれません。

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夢の吊り橋から見た大間ダム

『夢の吊り橋』は高さ8メートル、長さ90メートルを有する吊り橋です。

なぜ『夢の吊り橋』といわれているのかというと、橋の真ん中で願い事をすると恋が叶うという言い伝えがあることから、その名前になったそうです。しかし、私としてはダム湖によって醸し出される美しい湖と吊り橋の景観が見たかったです。

この吊り橋も含めて、大井川流域に暮らす人々は生活道としても使われていました。そして、かつての寸又峡は林業が盛んだった場所でもあり、この奥には林業用としてかけられた吊り橋も少なからず点在していたといいます。

作者:SNS映えしよう。でも、一眼やスマホを落としたら大変なことになるから落とさないように・・・。

ビクティニ:ぼくらは飛んでいるから落ちる心配はないよ(笑) ところで、ここからずっと北の方に『無想吊橋』というおっかない吊橋があるらしいんだけど、高さはなんと83メートル(あるいは100メートルか)長さが144メートル、なんでも日本一、いや世界一危険な吊橋といわれているんだ・・・。その吊橋は林業用にかけられた他に登山道としても使われたものの、次第に崩壊が進んでいてもう使われなくなったんだよ。あれは高さというより雰囲気的に怖すぎる・・・。

ミュウ:なにそれ~?そんなにおっかない吊橋があったなんて・・・。昔の人って怖いもの知らずだったんだね・・・。

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えっちら階段
『夢の吊り橋』を渡り終えると、『木こり橋』や『くろう坂』、そして304段の『えっちら階段』が長い上り坂が続きます。私はまだ若いので一気に駆け上がりましたが、お年寄りの方にはちょっときついのかもしれません。また、途中で『やれやれどころ』のベンチがあり、休憩できるようになっています。

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カモシカの死体?!
いくら遊歩道でも、野生動物が生息する秘境エリアであるため、突然石が落ちてこないとも限らないので、落石には十分に注意しなければなりません。

私が遊歩道を歩いていたら、なんとカモシカが倒れているのに気づき、びっくりしてしまいました。昨日の大雨で転落してしまったのか、落石に打たれたのでしょうか・・・。

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千頭森林鉄道の車両

尾崎坂展望台の方へ歩いていくと、かつて千頭森林鉄道で使われていた機関車や車両が展示されています。

機関車はディーゼル機関車というより、ガソリンカーのようです。

千頭森林鉄道は井川線と同じように、当初はダム建設の資材輸送を目的に大井川鉄道本線の全線開業とともに昭和6(1931)年に富士電力によって敷かれました。昭和10(1935)年にここから更に奥にある『千頭ダム』が完成し、『寸又川ダム』が昭和11(1936)年に『大間ダム』も昭和13(1938)年にそれぞれ完成すると、帝室林野局に無償譲渡され、のちに『千頭森林鉄道』となります。その後は林業の木材輸送やダムの維持管理などに転用され、寸又峡温泉へ運ぶ観光客専用の列車も運行されたようですが、昭和44(1969)年には廃止になりました。
そして、その名残りとして展示されている森林鉄道の車両こそ、まさにここに鉄道が通っていたということも物語っています。

 

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尾崎坂展望台

尾崎坂展望台では、寸又峡の自然を肌で感じながら休憩することができます。

また、トイレはありませんが、自販機で飲み物を購入できます。この展望台からは、南アルプスの連峰がそびえ立つシルエットが眺望できます。また、この展望台から先は千頭ダムまで道が続いていますが、とても危険で観光客が入れるような道ではないため立ち入りは禁止されています。

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飛龍橋

さて、大間川に沿って歩いていくと『飛龍橋』が見えてきました。

深い渓谷にかかる鉄骨のアーチ橋は、井川線の関の沢橋梁に似ています。この橋もかつては森林鉄道の一部分だったもので、当初は吊り橋だったそうです。そのため、この橋も森林鉄道が通っていたという歴史を物語っています。しかし、高さが100メートルもある谷を吊り橋で鉄道を通すという発想は考えられませんね・・・(^^;

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寸又峡の桜
秘境の地である寸又峡でもヤマザクラなど、春になれば桜の開花も見ることができます。

ビクティニ:こんな山奥でも桜の花が綺麗だね。

ミュウ:しかも、秘境で桜が見られるのがラッキーかも。

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草履石公園

『夢の吊り橋』の散策を終え、寸又峡温泉に戻ってきました。

寸又峡は『夢の吊り橋』だけでなく、『草履石公園』も整備されており、公園に咲く桜もとても綺麗に咲いておりました。

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夢の吊り橋へ行くときの注意事項
夢の吊り橋の遊歩道は、明かりなどは一切無いので、必ず日没までには戻らなければならないのです。日没後や暗い時間帯に行くと事故になりかねません。また、昨日のように大雨が降っているときも危険なので、夢の吊り橋を渡るのであれば、天気をよく把握してから行きましょう。

 

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大井川鉄道の普通電車

さて、寸又峡温泉と夢の吊り橋を楽しんだ所で、路線バスで千頭駅へ戻ります。

今度はSLの撮影を行うため、普通電車で駿河徳山駅へ向かいます。普通電車に乗るときも『フリーきっぷ』を活用します。

ところで、大井川鉄道はSLが観光の目玉ですが、普通電車も各私鉄から集めた中古電車ということもあり、譲渡車両によってそれぞれ個性があるので見ごたえがあります。

大井川鉄道で活躍する普通電車は、南海電鉄や近鉄、東急電鉄などから来た車両で、いずれも50年前のものということもあり、最新型電車にはない『古めかしさ』も売りのようです。過去には西武や京阪などの中古電車が走っていました。

 

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駿河徳山駅

駿河徳山駅で下車します。

大井川鉄道の普通電車はワンマン運転で運行されているため、駅員さんのいる金谷駅・新金谷駅・家山駅・千頭駅を除いてすべて無人駅です。そのため、駿河徳山駅も無人駅なので下車する時は一番前のドアに移動し、運転士さんにきっぷを見せて下車となります。

駿河徳山駅も含めて、ほとんどの駅舎は開業当時からほぼ変わらぬ姿で保たれています。特に隣の田野口駅では昭和時代の雰囲気を残す駅舎開業当時のままで保たれていることから、『駅舎などを対象とするロケーション・サービス推進事業』のモデル駅としても活用され、映画やドラマなどのロケ地にもなっています。

 

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徳山の枝垂れ桜

駿河徳山駅の周辺を散策してみましょう。

駿河徳山は『枝垂れ桜』が咲く名所ですが、『家山の桜トンネル』と違って穴場の桜スポットだったりします。春になると川根高校の近くにある桜並木は桜の開花でピンク色に染まります。我々が訪れた時はほぼ満開に近い感じでした。

ビクティニ:ここの枝垂れ桜も見事な咲き具合だ!

ゴンベ:桜餅でも食べたいっぺ~。

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駿河徳山の鉄道撮影スポット

散策をしていたら、SLを撮るのに最適な撮影スポットを見つけました!

春の大井川鉄道における撮影スポットとしてはまさにうってつけです。ということで、12:50頃にはここをSLが通過するはずなので、カメラを構えます。

そして・・・・。

 

ブォーーーーーーーーーッ!!!

遠くから汽笛が聴こえてきました!

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駿河徳山の桜とSL

これぞ、まさに春の大井川の風物詩、『桜とSL』です!

ピンク色に染まった桜の花小川のせせらぎとともにSLが通過していきました。

春の大井川鉄道といえば、『家山の桜トンネル』がメジャーな撮影スポットですが、駿河徳山の桜とSLのコントラストがこれまた美しいです。SLは昨日と同様、『C11-190号機』です。

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桜と大井川鉄道の普通電車

普通電車でも昔の電車であるため、とはよく合います。

普通電車は南海電鉄からやってきた旧南海21000系で、昭和33(1958)年に登場しました。かつては南海高野線で特急・急行で活躍し、『ズームカー』という愛称で付けられていました。平成9(1997)年に大井川鉄道へ譲渡され、普通電車として活躍しています。50年前の車両でも元気に活躍している姿を見ていると、まさに『動く鉄道博物館』のようです。

 

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旧南海21000系の車内

南海21000系の車内は転換クロスシートが使われています。

窓際には読書灯が付いた当時としては快適な仕様になっています。ただ、50年前の車両ということもあり、天井からの雨漏りもあってか、一部の座席が使えない感じになっているようです。普通電車とはいえ、当時物の仕様から考えれば、観光鉄道という印象が強いです。

ビクティニ:この電車は、だいぶ古いけれど、今でも元気に活躍しているのもすごいよね。

ミュウ:いつも乗る電車とは雰囲気が違うのもいいよね。

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千頭駅で停泊中のSL

SLの撮影をした後は、帰りもSL列車に乗るため、千頭駅に戻ります。

千頭駅に着いた頃には、すでにSLが入れ替え準備をしていました。

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千頭駅で昼食

千頭駅前にある食堂で昼食をいただきます。丼ものの頼もうと思ったら完売だったようなので、仕方なくラーメンを頂くことに。

ビクティニ:いただきます!

ゴンベ:うまいっぺ!

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千頭駅を出発準備するSL急行

新金谷行きの運行に備え、転車台で方向を変えて、ホームの客車と連結したC11-190号機はすでに出発準備万端です。

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千頭駅を出発したSL

14:55千頭発SL急行『かわね路号』新金谷行きは、大きな汽笛ともに千頭駅を出ました。

千頭行きのSLは上り坂でしたが、新金谷行きのSLは下り坂を進んでいきます。

千頭駅を出ると昔ながらの茶畑を3本の鉄橋を通過します。

 

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茶畑と大井川の車窓

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桜と大井川の車窓

駿河徳山駅を過ぎると、進行方向右側に大井川が流れています。

タイミングが合えば、車窓から見る茶畑大井川の車窓はもちろん、春の大井川には桜の木も似合うものです。

ビクティニ:レトロな客車の車窓から大井川の景色や桜の開花が見れるのは、まさに春の大井川の風物詩でちょっと昭和にタイムスリップしたみたい・・・。

ミュウ:でも大井川って水の量が少ないね・・・。

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田野口駅
途中で通過する田野口駅開業当初と全く変わらぬ姿で保たれています。客車の車窓越しに写すと、まさに昭和へタイムスリップしたかのようです。

 

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塩郷の吊り橋(恋金橋)

大井川本流で最大級の吊り橋『塩郷の吊り橋』が見えてきます。

長さが220メートル、高さが10メートルもあり、昭和7(1932)年にかけられました。正しくは『久野脇橋』といわれていますが、大抵は『塩郷の吊り橋』またの名を『恋金橋』という愛称で呼ばれています。
この吊り橋は、民家や県道、大井川、そしてSLが通過する大井川鉄道をまたぐようにかけられているというなかなかダイナミックな吊り橋です。最近では『水と緑の自然郷コース』というハイキングコースも整備されているようです。また、『世界の果てまでイッテQ』でイモトが渡った吊り橋としてTVでも紹介されています。

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鵜山の七曲り
榛原郡川根本町と島田市の境界線に位置する『鵜山の七曲り』は、南アルプスから駿河湾へ流れる大井川が南東へ流れていくのに対して、地層が北東から南西へ流れたことで、川が南西へ曲がってしまい、このような現象が繰り返されていくうちに川底が掘り下げられ、曲がりが強くなり、『嵌入蛇行(かんにゅうだこう)』といわれる曲流れした川の形になりました。これがいわゆる『鵜山の七曲り』の典型であることから、静岡県の天然記念物に指定されています。

 

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大井川第一橋梁

帰りのSL急行『かわね路号』川根温泉笹間渡駅に停車します。

川根温泉笹間渡駅を発車すると、大井川鉄道で有名な鉄橋『大井川第一橋梁』を通過します。鉄橋の進行方向左側には『川根温泉』があり、日帰り入浴や宿泊ができます。

 

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抜里の茶畑

抜里駅周辺にはあたり一面茶畑が広がっています。

静岡県はお茶栽培が盛んで、このあたりでは『川根茶』が有名です。

『川根茶』は大井川流域の山間部斜面で育つことで、適度な苦さと渋みが味わえるバランスの良い静岡茶の1つです。江戸時代では、紀伊國屋文左衛門が木材の商売とともに持ち帰った川根茶を江戸では好評だったといわれています。

 

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家山駅

15:39家山駅に到着。

ここで普通電車と交換し、出発します。

家山駅も開業当時から変わらぬ木造駅舎と駅構内もレトロな雰囲気を醸しています。『家山の桜トンネル』もこの駅が最寄駅で、徒歩10分で桜トンネルがあり、桜とSLの撮影もできます。

 

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家山の桜

家山駅を出発すると、進行方向右側には『桜トンネル』が見えてきます。

『家山の桜トンネル』は、静岡県の桜スポットの名所であり、毎年の3月下旬から4月上旬まで『桜まつり』が開催されます。約1kmも続く桜トンネルには樹齢約80年のソメイヨシノが約280本植えられており、静岡県の桜スポット第1位に選ばれるほど有名になりました。

ビクティニ:見事な咲きっぷりだね~!

ミュウ:さっきの徳山の桜とどっちが綺麗かな?

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福用のS字カーブ
福用駅付近のS字カーブも、大井川鉄道で有名な撮影スポットで、線形の良いカーブを行くSL茶畑のコントラストも絵になります。

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信楽焼たぬきが並ぶ神尾駅

大井川の下流にありながら、大井川鉄道本線で屈指の秘境駅ともいわれる神尾駅には、信楽焼のたぬきがたくさん並んでいます。

これは、人よりたぬきが多いということから、『神尾たぬき村』で親しまれています。たぬきの中には車掌姿になっているたぬきもいるのだとか。また、その駅名にあやかってPCゲーム『AIR』に登場する『神尾観鈴』と同名であることから、聖地として扱われ、『観鈴ノート』も置かれています。

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門出駅

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合格駅(旧五和駅)

神尾駅を通過すると、大井川から離れていき、これまで川沿いを走っていた車窓は徐々に平野に変貌していきます。

途中で、去年の令和2(2020)年11月12日に開業した『門出駅』を通過します。

新東名高速の島田金谷IC付近に大井川の交流拠点であるお茶と農業の体験型フードパーク『KADODE OOIGAWA』も開業し、お茶の体験をはじめ、地場産レストラン、カフェ、静岡ならではのお土産も勢揃いな空間です。また、かつてこの鉄道で活躍した『C11-312号機』も復元され、この施設で保存されています。こうして大井川鉄道に新駅ができたのは昭和60(1985)年に日切駅開業以来の35年ぶりです。また、それに合わせて、五和駅だった駅名を『合格駅』に改称されました。これは日切駅合格駅門出駅というように三つの縁起の良い駅名にすることで、新たな新名所にするという一環だそうです。

ビクティニ:なんか縁起が良さそうな駅名があるよ。これからの子どもたちには嬉しい出来事かもね。

ミュウ:確かに、去年は例の病気で進学や就職ができない学生たちが多かったから、その演技のいい駅名でコ×ナに打ち勝てばいいよね。

 

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新金谷駅に到着

16:11新金谷駅に到着。

千頭駅を出発してから1時間弱のSL旅は新金谷駅でお別れです。

辛いご時世ながらSLの旅を通して、我々に勇気や希望を与えてくれました。そして、末永く大井川鉄道やSLの存続を心から祈るばかりです。

本当にありがとうございました!

 

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ここまでのご精読、お疲れさまでした。

さて、尺が長くなりましたが、今回は春の大井川鉄道の旅をお送りしました。楽しくご覧いただけましたら、幸いでございます。

ビクティニ:みんな、例の病気に負けずにがんばろう!というわけで静岡旅でした!皆さん、ごきげんよう!

ミュウ:また、どこかでお会いしましょう!

ビクティニ&ミュウ:さようなら~!

 

『春の大井川鉄道&アプト式鉄道 静岡の名所“寸又峡”へ』をお伝えしました。

 

富士山の見える景勝地“日本平”&徳川家康ゆかりの神社“久能山東照宮”に参拝

みなさん、こんにちは。

今回は、日本平久能山へ参ります。

 

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由比PA

まずは、国道139号線を下り、富士ICから東名高速に入り、静岡方面へ向かいます。途中の由比PAで休憩をすると、目の前に駿河湾が見渡せます。海の向こうには伊豆半島のシルエットが見えます。

ビクティニ:海だ!向こうに大きな陸地が見える・・・。

ミュウ:伊豆半島だね。

 

東名高速の清水ICから一般道へ降り、カーナビに従って日本平へ向かいます。

 

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日本平

富士山の絶景が見られることで名高い日本平にやってきました。

ここは、大和武尊(ヤマトタケルノミコト)の伝説にちなんで名付けられた由緒ある景勝地です。

JR静岡駅からバスでおよそ40分、JR 清水駅からのバスはおよそ30分で訪れることができます。また、東名高速の日本平久能山スマートICからおよそ20分、静岡ICからおよそ30分、清水ICからおよそ25分で到達できます。
標高は307メートルあり、日本の観光地百選コンクールで第1位に選ばれるほどの日本一の絶景スポットとして多くの家族連れやライダーたちで賑わっています。

ビクティニ:去年に来た時は桜があんなに咲いていたんだけど、今年はちょっと早かったかな・・・?

ミュウ:う~ん、まだ早かったかもね・・・。

 

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日本平名物 抹茶たいやき
日本平では、桜えびしらすお茶など、様々なお土産が揃っていますが、ここは『抹茶たいやき』も名物スイーツとして有名で、注文(1個190円)すれば焼きたてで提供してくれます。そのたい焼きの生地や餡には川根茶葉をふんだんに使用しており、甘さ控えめの程よい緑茶独特の香りが漂います。これぞ、静岡に来たら是非いただきたいスイーツの1つです。おやつや休憩がてらに食べてみては?

ビクティニ:静岡といえば、安倍川餅もうまいが、抹茶のたい焼きがこれまた最高のおやつだ!いただきま~す!

ゴンベ:これはうまそうだっぺ~。いただきま~すだ!うんめ~!

シャワさん:静岡茶というか川根茶の匂いだ。ほろ苦さがこれまた丁度いい甘さだね。

ビクティニ:やけにお茶の匂いに詳しいね。どうして川根茶って分かるんだい?

シャワさん:いや、なんとなく川根茶の匂いがしたんだ。

ミュウ:ズコッ!でも確かにいい香り、おいしい~(*´∀`*)

 

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日本平 レストラン

レストランもメニューが豊富で、静岡名物の地場産もふんだんに使われています。

中でも、桜えび静岡茶を使った茶そば駿河湾で採れた海産物などをテーマとしたメニューが用意されています。ちなみに昼食には海鮮丼をいただきました。

ビクティニ:静岡のご飯は、海鮮ものに限るね!いただきま~す!

ゴンベ:うなぎも食べたかったけど、やっぱり海の幸はうまいっぺ~!

シャワさん:わさびの辛味が魚の独特の匂いを和らげる・・・。うまい!

ミュウ:茶そばも美味しい!

 

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日本平夢テラスから見る富士山と駿河湾

夢テラスの展望デッキからは駿河湾清水港三保の松原沿岸の街並み山々、そして、天気が良ければ富士山が見渡せます。特に、ここから見える富士山の眺めが非常に有名とされています。

これぞ、まさに日本を代表する絶景の1つで、東海道のロマンを想わせます。ここから望む富士山の絶景は古くから絵画に描かれてきたといいます。中でも、この駿河の地では、『ヤマトタケル伝説』にも登場し、『古事記』『日本書紀』にもそのエピソードが纏られています。例えば、ヤマトタケルが日本統一の途中、焼津の火事で命を落としかけた時に使った『草薙剣(くさなぎのつるぎ)』『天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)』で草をなぎ払って、危機から逃れることができたといわれています。そのため、日本平の麓にはヤマトタケル伝説にちなんだ草薙神社などのスポットも存在しています。
そして、『日本平』という地名は、幕末に駿府町の奉行こと貴志孫太夫忠美が描いた彩色写生画『寿留嘉土産(するがみやげ)』として登場することから、地名として初めて記録に登場しました。
日本平は、静岡市南部に位置する有度山の山頂の一部分とされ、その南麓には断崖絶壁が続いています。少し見る方角を変えると、伊豆半島南アルプスの連峰なども見渡せます。2月から3月までは梅の開花、そして3月下旬になると桜の開花で周辺の丘の景色を彩ります。また、夜になると夜景も見ることができる『夜景スポット』にもなります。

ビクティニ:去年に来た時は、富士山が綺麗に見れたんだけどなあ・・・。桜の花も咲いているところは咲いているけれど、まだ三分咲き・・・といったところかな・・・?

ミュウ:昨日は富士山が見えていたのに今日は見えないね・・・。

シャワさん:あれが三保の松原か・・・。

ゴンベ:あの海でとれる桜えびは美味しいだろうっぺ・・・。

 

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ロープウェイから見る『屏風谷』と『地獄谷』

日本平から久能山東照宮へはロープウェイでアクセスできます。

日本平と久能山東照宮の間は深い谷で隔てられているため、ロープウェイを使う時は、よく運行時刻を確認した方がいいでしょう。

駅からバスで行く場合は、日本平にバス停がある他、長い石段を下ると久能山下のバス停が久能山の麓にありますが、バスの本数が少ないので注意しましょう。往復では1,250円(小人700円)で、片道が700円(小人350円)になります。11時~15時までは10分間隔で運行されますが、他の時間帯では15分間隔で、久能山発が17:00で最終になるので、乗り遅れのないようにご注意を。
ロープウェイからは久能山と日本平の間に『屏風谷』『地獄谷』といわれる深い谷が眼下に広がります。この時期は桜の季節ということもあり、深い谷に咲く小さな桜の木がピンク色の桜の花を彩っていました。

 

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久能山東照宮 楼門

久能山東照宮で参拝する時は、社務所の受付にて参拝料500円を払ってから入場します。

その時に御朱印帳を用意して受付に出しておくと、御朱印をつけてくれます。御朱印には『金のなる木の御朱印(初穂料700円)』も用意されており、御祭神である徳川家康公に纏わる遺話の特別な御朱印で、木の芳醇な香りで癒やされます。ただし、通常の御朱印とは違い、御朱印帳に貼るタイプのようです。

 

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久能山東照宮 楼門

さて、入場したら正面の『楼門』という大きな門をくぐります。

楼門とは二階建ての門のことで、軒下中央に第108代 後水尾(ごみずのお)天皇の宸筆『東照大権現』の扁額が掲げてあることから、『勅額御門(ちょくがくごもん)』とも言われています。また、門の中央部の蟇股(かえるまた)には獏(ばく)の刻印が彫られています。これは、戦争の道具である銃や刀などの材料である鉄や銅を食料とすることで、『平和の象徴』とされる言い伝えがあるからなのです。

 

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久能山東照宮 境内

石段をのぼり楼門をくぐると、久能山東照宮の境内に出ます。

久能山は、もともと日本平とともに平野だったのが、隆起によって出来たもので、昔は日本平として続いていました。

長い歳月をかけての浸食作用などの影響で堅い部分だけが残ったことで、このように孤立した山となったのが、現在の久能山となったのです。高さは216メートルあり、この山は大昔、観音菩薩の霊場とされ、観音信仰の聖地だったといいます。
久能山のはじまりは『久能寺縁起』によれば、推古天皇の御代(7世紀頃)秦氏の久能忠仁が初めて山を開き、そこに一寺を建て、観音菩薩の像を安置し、『補陀落山久能寺』と称したのと同時に『久能山』という名前も付けられたといいます。当時の久能寺は平安朝の仏教隆昌とともに多くの僧坊が建てられ、僧行基、伝教大師などをはじめ多くの名僧知識が来往し、平安末期から鎌倉初期にかけて360坊、1500人の衆徒をもつ大寺院となったのです。国宝の『久能寺経』なども伝授され、源頼朝は伊豆国内から所領を寄進、源義経も薄墨と呼ばれる笛も奉納されたことでも伝えられています。鎌倉時代には300あまりの禅坊が建てられたことも『海道記』に記され、いわば東海道屈指の寺院として栄えていたのです。
永禄11(1568)年には武田信玄公は、久能山が要害ということを知ると、久能寺を北矢部(静岡市清水区にある鉄舟寺)に移して山上に城砦を築き、『久能城』となりましたが、天正10(1582)年には武田氏が滅び、駿河国一帯が徳川氏が領有したことから、久能山も徳川氏のものとなりました。慶長11(1606)年には榊原清政が城主となり、その息子である照久が継ぎます。そして、徳川家康公は久能山が要害の地であることから早くから着目し、照久に「久能山は駿府城の本丸と常に思召す」と伝えられ、元和2(1616)年4月17日、久能山にて逝去。同時に久能城は廃止となり、その地に創建されたのが久能山東照宮なのです。

 

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久能山東照宮 御社殿

この神社の御祭神である徳川家康公初代徳川氏の征夷大将軍でした。

その家康公が祀られている『本殿』と参拝をするための『拝殿』『石の間』で連結した『権現造(ごんげんづくり)』と呼ばれる様式となっています。これは、日光東照宮をはじめ、全国の東照宮の元となったと言われています。

徳川家康公の眠る御本殿は元和3(1617)年に建立し、江戸幕府大工棟梁中井大和守正清の代表的な遺構のひとつとされています。これは国内最古の東照宮建築ということもあり、江戸時代における権現造社殿が全国的に普及するための基礎となったことから、平成22(2010)年国宝に指定されています。

ビクティニ:神々しい・・・まるで宮殿みたい。家康様、GWに北海道へ行ってきます。安全に旅行ができますように・・・。

ミュウ:東京オリンピックが無事に終わりますように・・・。

 

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久能山東照宮の彫刻

東照宮特有の『権現造』に用いられている彫刻は美術品のような装飾になっています。

この彫刻は当時一流であった職人の工芸技術が込められており、徳川家康公の本願であろう『平和への願い』が込められています。日本で最初に創建された東照宮ということもあり、この華やかな社殿には、繊細かつ美しい仕様は、まさに徳川家康公の平和への思いが詰まったものと言っても過言ではないでしょうか。これらの彫刻には『鳥』や『花』、『虎』『ウサギ』『獅子』など様々な動物を象ったものが用いられ、徳川家康公の優しさでさえも感じさせるほど人の心を豊かにさせます。また、御本殿だけでなく、楼門や鼓楼などにもこのような見事な彫刻を目にすることができます。

 

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久能山東照宮 御社殿 内部

ご祈祷の申し込みをすると、普段は見れない御社殿の内部に入れます。

御社殿の内部は、外部より豪華な内装で、天女や鳥などの絵画や彫刻は、徳川家康公の眠る場所に相応しい天界をイメージした内装になっています。また、柱の装飾には徳川氏の紋章が纏められ、天井の黒漆塗りと金の装飾、証明などが豪華絢爛さを物語っています。この御本殿は江戸幕府大工の中井正清(なかいなさきよ)によって築かれたもので、江戸城や駿府城の天守などの建築も担当しました。ご祈祷を受けると、自らの身を清めるとともに神様との親近感を感じ取れる場所で感謝の気持や願い事をすることができます。我々もご祈祷を受けましたが、宮司の参拝作法の教わり方がとても丁寧だったので、安心して受けられました。また、記念に御本殿内で記念撮影もしてくれました。

ちなみに、お宮参りや厄除け、様々な願い事などのご祈祷は5,000円から受けられます。

 

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神廟(しんびょう)

東照宮より少し石段を登ると徳川家康公の眠る神廟があります。

ここには徳川家康公の御遺体が奉られている場所で、御宝塔と言われていました。当初は木造檜葺き造りでしたが、寛永17(1640)年の徳川氏3代目家光公によってこの場所に石造りの御宝塔になり、現在に至っています。この神廟は西向きに建てられていますが、これは家康公の御遺命によるものです。西に公の御両親が子授け祈願の参籠をされたという言い伝えを持つ鳳来寺があり、さらに西には岡崎の松平家の菩提寺大樹寺、そして家康公誕生の地とされる岡崎城があることから、この方向になつています。

 

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徳川家康公の遺訓

神廟の手前には、徳川家康公が生涯をかけて日本の平和な国づくりという思いを『人の一生は・・・』からはじまる『東照公御遺訓』という形で今日に至り伝えられています。

★徳川家康公の遺訓★

(本文)

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。

(意味)

人の一生というものは、重い荷を背負って遠い道を行くようなものだ。急いではいけない。
 不自由が当たり前と考えれば、不満は生じない。
 心に欲が起きたときには、苦しかった時を思い出すことだ。
 がまんすることが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。
 勝つことばかり知って、負けを知らないことは危険である。
 自分の行動について反省し、人の責任を攻めてはいけない。
 足りないほうが、やり過ぎてしまっているよりは優れている。

この御遺訓にはいかにも徳川家康公が日本を永久に平和な国であってほしいという渾身な思いが込められているのが分かります。つまり、欲はなく謙虚な気持ちで、辛かった経験をを思い出すことで、今の自分があるという感謝の気持ちが大切だということを我々に教えてくれているということなのです。ミャンマーや中国、アメリカなどで紛争やクーデターが今でも続いている中、日本が今でも平和志向な国として栄えているのは、まさに徳川家康公の優しさと感謝の気持があってこそだと言っても過言では無いでしょうか。

 

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徳川家康公 御手植えのみかんの木
東照宮の脇に徳川家康公の御手植えのみかんの木が植えられています。静岡は『みかんの産地』としても知られていますが、このみかんの木は駿府城本丸跡にあったみかんの木を徳川家康公が移植したものなんだとか。

 

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東照宮までの石段数
久能山の麓から東照宮まで1,159段の石段数が書かれた看板が掲げられています。足の弱い参拝客やお年寄りのために掲げたものと思われます。

 

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石垣いちご狩り

久能山東照宮の山麓には、『石垣いちご』を栽培しているビニールハウスが多く立ち並んでいます。

石垣いちごは、日本平(有度山)の南斜面の石垣を利用した栽培方法を用いることで育ついちごです。

久能山の南部に東西8kmにわたる久能海岸は、非常に温暖な環境であることから、いちご栽培に適しているのです。また、いちご苗はエキセルシャ種を貰い受け、苗を畑や鉢に植えたりなど、様々な工夫や観察をしていく中で、桃畑の土留めの石垣の間に植えた苗は、冬でも石の輻射熱で発育がよく、甘くて大きな実をつけ、早く熟したいちごが収穫できることから、世界的に例を見ない画期的な栽培方法の1つとなったのです。1月から5月にかけてが食べごろなので、その時期にいちご狩りが開催されています。明治29(1896)年、伊佐須美神社宮司こと松平健雄(松平容保の次男)が川島常吉にいちご苗を託したのが石垣いちごの発端となったと言われています。明治期には文字通り石垣でいちご栽培が行われ、その後の大正期からはコンクリート成形を用いたスタイルとなり、現在に至ります。このいちごのブランドには『章姫』『久能早生』『紅ほっぺ』などの品種があります。

ビクティニ:いちごだ!いただきま~す!・・・甘くて美味い!さすが静岡のいちごは温暖気候がきいているね~。

 

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久能山について

久能山の歴史は、久能寺こと補陀落山久能寺が建てられた平安時代から始まります。

これは天然自然の要害の地を成形する断崖絶壁という環境から、南北朝時代の観応の擾乱(1350~1352年)室町時代の今川氏の内紛花蔵の乱(1536年)など、兵が立てこもる場所にもなったと言われています。

駿府国に攻め入った武田信玄公は、永禄2(1569)年に要害の地久能山にあった寺院を別の場所に移し、もともと久能寺のあった場所に久能山城を築きました。これは北条氏や徳川氏への備えの拠点として重要な役割でもあったのです。
そして、元和2(1616)年4月には徳川家康公が駿府城で薨去し、家康公の遺言とともに御尊骸を久能山に埋葬されました。後に徳川氏2代目、秀忠公が久能山上に本殿などの建造物の造営を命じ、久能山城を廃城し、その場所に久能山東照宮が創建し、現在に至っています。
このことから、久能山は寺院からはじまり、武田氏の拠点となった城郭、そして徳川氏初代将軍こと家康氏の眠る東照宮という歴史的重要な舞台となったのです。

 

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日本平の桜

日本平は春になると、桜の花が見頃を迎え、3月下旬には桜の名所にもなります。

日本平にはソメイヨシノ、ヤマザクラなどの桜の木が約2千本ほど植えられており、静岡県内の花見スポットとしては第8位にランクインされるほど人気があります。

ビクティニ:やはり日本平の桜は綺麗だね・・・。

ミュウ:まさに春の日本平って感じ。ウグイスの鳴き声も聴こえてくる・・・。

 

『富士山の見える景勝地“日本平”&徳川家康ゆかりの神社“久能山東照宮”に参拝』をお伝えしました。