みなさん、こんにちは。
今回も会津地方をドライブし、裏磐梯の紅葉を見たりします。
宿泊先のホテル側から徒歩5分ほどで五色沼散策路に出られるということなので、朝食後に散策することに。ホテル側からでは、バス停の裏磐梯高原駅サイドの入口から散策できます。散策路は、物産館脇の階段から入れます。
今回は、五色沼探勝路を弁天沼まで歩き、そこでUターンして戻るという形で散策します。
朝の湖沼かかった霧と紅葉が幻想的です。
五色沼を朝に散策すると、このような朝霧が見られます。
朝方に裏磐梯を訪れると、このように霜に包まれた植物も見られます。
鏡のごとく池に映る紅葉もまた芸術的な光景です。
ここは柳沼という五色沼の一部で、比較的大きめな湖沼です。遊歩道の入口にあるため裏磐梯高原駅バス停からすぐ近い場所にありますが、それでも自然の芸術感が否めない景観です。
五色沼の遊歩道では特別保護区になっています。
このあたりはブナをはじめとした原生林地帯になっていて、普段見ないような原生植物が見られます。
五色沼探勝路は、ビジターセンター(毘沙門沼サイド)から裏磐梯高原駅バス停(柳沼サイド)までを結ぶ遊歩道です。
五色沼は裏磐梯でおなじみの湖沼群スポットとして有名です。
これらの湖沼群は、明治21(1888)年の会津磐梯山の噴火により形成されたものだと考えられています。裏磐梯高原には大小300あまりの湖沼群が点在し、裏磐梯を代表する有名な観光地五色沼もその一部です。
裏磐梯では一番メジャーな五色沼探勝路の距離は、片道約4㎞あり所要時間は約1時間と30分という初級のトレッキングコースです。磐梯山を望みつつ四季折々の自然や神秘的な沼を眺めながら散策できます。したがって、裏磐梯のハイキングコースとしては最適です。
ここも五色沼の1つ青沼です。
水には多量のカルシウムと硫酸イオンを含む、名前の通りコバルトブルーに染まる美しい沼ですが、湖底にはウカミカマゴケのカーペットで覆われているため、水面上から見ると青黒く見えるのが特徴的です。
最大深度6m、面積5,750㎡あります。
朝に来てみると、沼面に霧が立ち込める幻想的な光景が見られます。
ビクティニ:池に立ち込める朝霧が幻想的・・・。感動しちゃった・・・
ビクティニJr:森の中にきれいな池があるよ!
トトロ&オオトリサマ:(綺麗なり・・・✨️)
るり沼は先程の青沼より大きく、開けた風景に磐梯山が見えます。
この沼もカルシウムや硫酸イオンを含んだ青く澄んだ美しい沼で、湖底にはウカミカマゴケというコケのマットが埋めつくしています。
最大深度19m、面積18,100㎡あります。
ビクティニ:ここの沼の風景は開けていて、磐梯山が見えるよ。五色沼と磐梯山の風景が見れたよ
ビクティニJr:池から出る霧もいい感じに出てるね
トトロ&オオトリサマ:(美しい・・・⛰️)
ここまで来ると森から開け、吾妻連峰が見える風景となっています。
弁天沼もまた大きな沼です。西部の湖底にはウカミカマゴケのカーペットが広がり、東部にはフトヒルムシロの群落がある1つの沼で、この先にあるみどろ沼とよく似ており、水質と生物相が異なります。
最大深度7m、面積30,300㎡あります。
ビクティニ:ここも大きな沼で、背景の吾妻連峰もまた見事な景観だ!
ビクティニJr:とても大きな池だね!
トトロ&オオトリサマ:(大きな池とお山が絶景・・・!✨️)
るり沼から流れてきた沢水が青沼へ流れ落ちていくのが見えます。
この光景を見ると不思議と癒やされるものです・・・。
五色沼エリアには、シダといった原生的な植物も生えています。
これはクジャクシダという植物です。
探勝路には落ち葉がいい具合に落ちており、あたかも紅葉のカーペットのような感じになっています。
五色沼探勝路から戻り、ホテルをチェックアウトします。
10時頃にホテルを出発して、この後は中瀬沼探勝路へ散策に行きます。
ビクティニ:今日はまさにお出かけ日和。裏磐梯散策にはうってつけだね
ビクティニJr:紅葉もきれいだね
トトロ&オオトリサマ:🍁
中瀬沼探勝路(レンゲ沼)を散策してみます。
ここも裏磐梯の散策路の1つで、中でも中瀬沼展望台も裏磐梯の名所の1つです。このあたりも中瀬沼展望台までは概ね10~15分ほどで到着できるので、ちょっとしたハイキングにはちょうどいいでしょう。ただ、ここには熊の出没の可能性もあるので、鈴など音の出るものを持参しておくと良いでしょう。
姫沼も裏磐梯に点在する湖沼の1つです。
沼の奥には4羽のオカヨシガモが佇んでいました。
中瀬沼探勝路の風景です。
まるで湿原のような雰囲気です。このあたりは探鳥にも適し、春にはキビタキやオオルリ、初夏にはホオジロやアオジのさえずりなどを楽しめます。
中瀬沼展望台も裏磐梯の景観スポットとして有名になっています。
沼地に生える紅葉の木々が覆い茂げ、晴れ渡った青空に磐梯山のシルエットが映ります。
ビクティニ:ここが中瀬沼展望台だよ。湖に生える木々が不思議な景観だ
ビクティニJr:ここからも磐梯山が見えるよ!
トトロ&オオトリサマ:(森と磐梯山がきれいじゃ・・・🌲⛰️)
展望台からは、木々の生える中瀬沼と会津磐梯山の風景が見渡せます。
紅葉に染まった木々が生い茂る湖沼と磐梯山が幻想的かつ芸術的な光景です。
中瀬沼も、磐梯山の噴火によって誕生した湖沼の1つです。
裏磐梯に点在する様々な湖沼は、1888年に起こった磐梯山(標高1816メートル)の噴火によって誕生したもので、五色沼や中瀬沼もその一部です。
噴火時には、磐梯山北側にあった『小磐梯(標高約1750メートル)』が大規模な山体崩壊や岩なだれを起こしたことで、川がせき止られ桧原湖をはじめ秋元湖、小野川湖、曽原湖といった湖が裏磐梯に誕生しました。さらに、その周囲に形成された五色沼や中瀬沼といった湖沼群も、噴火とともに発生した流れ山の窪地に水がたまって誕生したのです。
噴火直後こそ岩なだれによって埋め尽くされた荒地と化したものの、現在の裏磐梯高原では、数百年という歳月が経ち新たな森へと移り変わります。その自然サイクルによって、裏磐梯は様々な生き物が暮らす楽園となったのです。
ちなみに、『流れ山』というのは、火山の爆発や地震によって、火山体で大規模な山崩れが発生し大量の土砂が流れ下ることでその地形が造られる現象のことです。磐梯山の場合、北側で山体崩壊が起きると、山体表面から崩れ落ちた岩石によって『流れ山地形』として形成され、裏磐梯の至る所に流れ山と思わしき名残を見ることができるということです。実はこの展望台もその磐梯山の噴火によって生じた岩なだれが堆積してできた流れ山の1つだそうです。
レンゲ沼を優雅に泳ぐ水鳥も癒やされます。
沼には、カルガモやマガモ、オオヨシガモが優雅に泳いでいました。
裏磐梯高原には、磐梯山の噴火によって先程の五色沼や中瀬沼をはじめとする多くの湖沼が形成されました。
それらの湖沼の中でも、桧原湖は裏磐梯で一番大きな湖です。大きさは全国4位の大きさを誇る猪苗代湖に及ばないものの、写真を見ればかなり大きな湖ですね。湖岸周は約31㎞、最大水深31メートルあります。
ここも裏磐梯のシンボルの1つで、湖岸にはほとんど人工物がないため、まさに太古の自然を感じさせます。四季折々の風景を楽しめます。春には桜、夏には新緑、秋には紅葉、冬には雪景色が楽しめます。特に、冬になると湖面が氷結し、氷上を歩けます。さらにワカサギ釣りも楽しめます。
★裏磐梯高原から日中線記念館へのルート★
さて、裏磐梯の自然散策を満喫したところで、喜多方市方面へ進みます。
この後、喜多方市にある『日中線記念館』へ訪問しようと思います。
裏磐梯から喜多方市街へは国道459号を経由する形で進んで行きます。
途中で道の駅へ寄り道して休憩および昼食にします。道の駅裏磐梯は、桧原湖の西側に位置し、ちょうど裏磐梯高原と喜多方市街への中間地点にあたります。ここでは、食事だけでなく直売所もあり、地場産の野菜なども購入できます。
ビクティニ:ここで一休みしよう
ビクティニJr:ぼく、アイスたべたい
道の駅で喜多方ラーメンをいただきます。
福島県ではもちろん、全国的にも有名なラーメンです。やはり醤油味の平打ち麺のラーメンがいかにもさっぱりしています。他にも、山塩ラーメンも会津地方ならではの名物にもなっています。
ビクティニ・Jr:美味しい!
トトロ&オオトリサマ:(๑´ڡ`๑)
山塩ソフトもいただきます。
このあたりで採れる山塩は、口の中で苦味やべったりとした印象を与える、マグネシウム(にがり成分)成分が、海水から造るお塩と比較すると極めて少なく、とてもさらりとしたものが特徴的で、主に温泉水を煮詰めて作られます。
北塩原村では山塩が採れることでも有名だそうです。
ビクティニ・Jr:このソフト、塩の味がしておいしい!
裏磐梯からクルマを走らせて約1時間あまり・・・
日中線記念館へやってきました。
会津地方には、かつて日中線という当時の国鉄のローカル線が走っていたのです。
そして、ここは見ての通り日中線の終点駅である熱塩駅があった場所です。
旧駅舎の建物自体はほぼ現役当時の状態を保ち、どこかノスタルジーなデザインになっています。あたかも銀河鉄道の夜に出てくるようなデザインにも見えます。
ビクティニ:なるほど、ここが日中線が走っていた場所なのか・・・。
ビクティニJr:昔はここに汽車が走っていたのかな?
日中線記念館についての案内もあります。
日中線は、明治25(1892)年に栃木県今市市と山形県米沢市を結ぶ東北縦貫鉄道(後の会津鉄道や野岩鉄道など)として計画され建設運動が始まったことから始まります。その努力が実ったことで昭和11(1936)年1月に喜多方~熱塩間の11.6km(途中の駅は会津村松駅、上三宮駅、加納駅)が日中線として着工され、昭和13(1938)年8月18日住民の歓喜の声とともに開通しました。開通当時の主な目的は、熱塩地区にあるマンガンや金、加納にある銀や石膏などといた、戦争の物資輸送のために敷かれたものだそうです。そのため、この路線には急行列車が走れない簡易路線だったと言われています。ゆえに当時はほとんど貨物列車もしくは混合列車しか走っていなかったことが推測されます。
日中線を走った当時のSLの写真などが飾られています。
開通時からC12型蒸気機関車が日中線の主力機として、わずか10㎞あまりほどの喜多方駅と熱塩駅の間を行ったり来たりしていたようです。当初は1日6往復だったものの、徐々に本数も少なくなり、戦後には朝に1往復、夕方と夜の3往復の混合列車(客・貨物列車兼用の列車)にとどまりました。ゆえに、“日中は走らぬ日中線”と揶揄されるように、昼間の時間帯には全くといっていいほど日中線に列車はなかったそうです。一応、熱塩駅付近には熱塩温泉はあるものの、湯治客や温泉の宿泊客も少なく、ほとんどが地元学生のみの需要だったようです。また、戦後でもかつての熱塩加納村にあった与内畑鉱山の石膏、加納鉱山の銀や銅鉱石を輸送する役割も担っていましたが、昭和47(1972)年に廃鉱となると貨物需要も減少し、やがて廃止されます。
昭和45(1970)年にはC11型蒸気機関車が入線し、C12を置き換えます。終点の熱塩駅には転車台こそあったものの、そもそも路線自体の距離も短いゆえに撤去され、もっぱら転車台がなくても運行ができるタンク機関車のC11型で十分事足りていたようです。朝の時間帯では、喜多方方面へはバック運転で、熱塩方面は通常の方向で戻るという形に。一方、夕方と夜の運用では熱塩方面がバック運転、喜多方方面へは通常の方向になるという変則運転で運行されたそうです。日中線自体が簡易路線として敷設されたことで列車は低速で運行されていながらも、多くの沿線民たちの足として親しまれてきたのです。
駅ノートにメッセージを残してきました。
日中線の絵本も展示されています。
現役当時の様々な日中線の写真や熱塩駅の絵画などが展示されています。
一見、何の変哲もないローカル線でも多くの人々から親しまれてきたことが分かります。
当初こそ戦争における物資輸送の需要があった日中線も、昭和30年代後半頃から車社会が発達したことで、徐々に利用者が減少し、昭和49(1974)年10月には『さよならSL』が運行され、本州最後のSLの運行を終えることとなりました。
さらにSLからディーゼル機関車へ変わったものの、相変わらずの赤字。
昭和45(1970)年2月、国鉄は国鉄財政赤字再建10ヵ年計画を発表し、国鉄東北支社は、これに呼応して日中線を廃止したい旨を表明します。同年3月、喜多方地区期成同盟会は直ちに日中線の廃止反対並びに野岩線の早期着工を国会議員、運輸省等に望んだものの、情勢の好転は望まれず昭和55(1980)年12月に至り“日本国有鉄道経営再建促進特別法”が公布され、日中線をバス転換の対象路線として指定されました。
これにより、日中線は第一次特定地方線に指定され、“日中線特定地方交通対策協議会”が昭和56(1981)年10月21日に発足し協議されたものの、代替バスへの転換にやむ得なく同意したことで、ついに日中線は昭和59(1984)年3月31日で廃止され、約45年あまりの歴史に終止符を打つこととなったのです。
日中線で使われたと思われる様々な備品が展示されています。
行き先サボをはじめ、制帽やタブレットなど、当時の鉄道備品が残されています。ちなみに、日中線ではどのような信号方式だったといえば、そもそも運行本数が極端に少ないので『タブレット閉塞*1』で運行されたのではないかと推測できます。
終焉の時に使われた特性のヘッドマークも展示されています。
見るからに地元の人たちで作ったかのような手作り感が否めない素朴なものです。なんか時代を感じさせますね・・・。
熱塩駅のホーム跡にも出てみましょう。
見ての通り、ここには線路が敷かれていた場所です。もちろん、ホーム側にも線路がひかれていたのですが、他にも側線や転車台があったと思わしきスペースも見受けられます。
ビクティニ:昔はここに鉄道があったんだね・・・。なんとも不思議な光景・・・
ビクティニJr:え?ここ昔は駅だったの?
東北地方に位置する日中線は、冬になると雪で埋もれてしまうこともしばしば。
そこで、登場するのが『ラッセル車』という車両です。
熱塩駅構内に配置されていた『キ100型』というラッセル車で、それを機関車の先端に配置することで、『除雪列車』となり、先端部の出っ張りを利用して線路から雪を取り除くことができたのです。
日中線の旅客列車としては、基本的に客車による運行でした。
その客車も又また茶色い旧型客車で、このオハフ61形は晩年まで日中線で活躍していたものです。そして、デッキのドアも手動になっています。このような旧型の客車が1984年まで活躍していたことを考えれば、日中線が昭和末期まで残ったのは奇跡に近いことでしょう・・・。ちなみにこの客車は、日中線の他にも、磐越西線や会津線(現在の会津鉄道)でも活躍していたそうです。
客車の内部は当時とほぼ変わらぬ状態で保存されています。
まるで銀河鉄道の夜の世界に迷い込んだかのようなノスタルジックな雰囲気です。
デッキの片隅には、とあるスイッチが設置されています。
このスイッチを押すと、現役当時の日中線を録音した音声が流れます。さらにこの客車の照明も点きます。
さて、この後は『SLばんえつ物語号』に乗車するのですが、まだ時間があるので、喜多方市美術館にも立ち寄ってみることにします。
去年もここへ来たことがあるのですが、訪問時は行かなかったので今回は見てみようということで・・・。
喜多方市は、もともと大正から昭和初期にかけて会津地方に来遊した画家をもてなし、制作支援および作品販売などを目的とした画会を催すなど、この地方における文化芸術の発展と普及を努めたという歴史が刻まれています。
この美術館の開設にあたり、市内の美術団体や美術協会をはじめとする永年の要望を受け1995年にオープンしました。そして、外装には喜多方市岩月町三津谷地区の農家作業蔵である煉瓦蔵(木造煉瓦造り)をモデルとして設計し、地域文化の発信施設としての機能を果たせています。
ちなみに、この日は“ブラチスラバからやってきた!世界の絵本パレード”という催しが行われていました。
“ブラチスラバ世界絵本原画展(略称BIB=Biennial of Illustrations Bratislava)”は、スロバキア共和国の首都ブラチスラバで2年ごとに開催される、世界最大規模の絵本原画コンクールのことです。1965年にユネスコと国際児童図書評議会の提唱によって創設され、1967年当時のチェコスロバキアで第1回展が開催されて以来、半世紀以上の歴史を歩んできた美術展です。各国の今を代表する絵本のイラストレーションが一堂に会する機会として、ヨーロッパはもちろん日本でも高い評価を得ているそうです。
さて、この後は喜多方駅でクルマを返却し、ここからSLばんえつ物語号に乗車します。
ビクティニ:これから15時51分発の『SLばんえつ物語号』新津行きに乗車するよ
ビクティニJr:銀河鉄道の旅のはじまりだ~
しばらく駅のホームで待っていると、SLが入線してきました。
そう、“森と水とロマンの鉄道”こと『SLばんえつ物語号』が目の前に姿を表します。
そして、牽引機もおなじみのC57型蒸気機関車180号機です。前面にはSLばんえつ物語号運行25周年記念のヘッドマークも装備されています。
今回でSLばんえつ物語号に乗車するのが15回目になります。
今回は、天候も申し分なく快晴で、山里の夕暮れと夜汽車の旅も思う存分楽しめました。そして、夜になった頃には車窓からはお月様も見れて大満足です。
ビクティニ:夕暮れになっていく車窓を見ると思わず感動・・・・( ;∀;)
ビクティニJr:お兄ちゃん、お月様が見えるよ!
途中の野沢駅では、SLの点検のために約15分ほど停車します。
その間、自由に記念撮影をしたり機関室の様子や点検の仕事を見学することが出来ます。そして、恒例のごとく先頭の機関車の撮影を行います。薄明るい夕空に半月が浮かび上がります。機関車も入れればまさしく“銀河鉄道の夜”の世界へ誘うような雰囲気です。
津川駅でも15分ほどの長時間停車しました。
ここでは、点検の他に給水や給炭作業も行われます。新潟県まで来ると更に暗くなるので、まさしく銀河鉄道の夜の世界にいるという感覚になります。
ビクティニ:夕闇を照らす機関車のヘッドライトが幻想的かつ感動的・・・。そして、夜空に浮かぶお月様もまた・・・。これこそ銀河鉄道の夜だ・・・
ビクティニJr:お月様とSLがとてもいい組み合わせだね!星空も見えるし
去年と同じく展望車にある『思い出ノート』にコメントを残してきました。
今回は咲花温泉に泊まるため咲花駅で下車します。
ちなみに、ここへ到着する前、途中の三川駅で機関車の点検が行われたようですが、何とか無事に運行できて良かったです。ただ、本来なら18時06分に到着するはずが、まさかの三川駅長時間停車で咲花温泉に到着したのが18時25分ごろになってしまいました。
ビクティニ:ここで咲花温泉に宿泊だ
ビクティニJr:夜汽車の旅の上に温泉も入れるの~、楽しみ
今回、咲花温泉でお世話になった旅館が碧水荘になります。
咲花駅から徒歩5分ぐらいの所、温泉街で一番奥にある旅館ですが、最近では『看板猫』で注目されているそうです。
ビクティニ:今日ぼくらが泊まる旅館だね
ビクティニjr:いい感じの旅館だね
ということで、旅館にチェックインします。
ただ、予約時には「ばんえつ物語号が咲花駅に18:06に到着」の旨を伝えたものの、先程も述べたように途中の三川駅で機関車の故障(?)が起こったために、チェックインを済ませた後、すぐに温泉に入り夕食にすることに。温泉も露天風呂ですが貸切制のため1回30分しか入れません。とはいっても温泉は咲花温泉特有の硫黄の匂いとともに癒やされました。そして、夕食も温泉旅館らしくなかなか豪華な夕食で、米どころで有名な新潟らしくご飯も炊きたてで美味しかったです。これで1泊2食で15,000円はなかなか見合っていると思います。しかも、全室が阿賀野川が見えるので、窓を少し開けて川の音を聞きながら過ごすのもなかなか乙なものです。
ビクティニ:待ちに待った夕食だ~。いただきます。・・・美味しい!
ビクティニJr:炊きたての御飯が最高!
トトロ&オオトリサマ:♨(よきかな~)
朝風呂に入った後、お茶を飲もうとしたら、自分に看板猫が懐いてきました。
咲花温泉の看板猫『チョコくん』です。2020年頃に堤防で弱っていたのを見つけた旅館の主人が病院へ連れて看病し、その後元気な姿で多くの宿泊客をもてなしたことで、『看板猫』として注目されています。見た目はそっけなくても、意外と人懐っこく「ニャア」と優しい鳴き声に癒やされました。やはり看板猫がいると他の旅館にない特別感もあることでしょう・・・。
咲花温泉の朝食も美味しかったです。
メニューは目玉焼きや湯豆腐でシンプルですが、ご飯や味噌汁がとても美味しかったです。
4人:美味しい!
この後も10時の朝風呂も入りましたが、2回目になると800円追加になるようです。
咲花駅からJR磐越西線の列車で終点の新津駅まで乗車します。
磐越西線は、郡山駅から会津若松駅でスイッチバックする形で新津駅までを結ぶ175.6kmの路線です。そのうちSLばんえつ物語号が会津若松~新津間の約111kmを結びます。普通列車も以前はキハ47系やキハ110系、キハE130系が走っていましたが、今はすべてGVE-400系が活躍しています。
実は、上越線開通の1931年まで、磐越西線もかつては首都圏と新潟を結ぶ主要路線として機能していたそうです。また、普段は貨物列車が通らないような磐越西線でも一時期は2011年の東日本大震災における緊急石油輸送として貨物列車が通る役目も担っていたことがあります。
さて、この後は新津鉄道資料館も見てみましょう。
*1:通票がないとその閉塞区間を通過できないようにする鉄道方式のこと