みなさん、こんにちは。
今回は、道東を周遊するようにドライブ旅をします。
その後、JR塘路駅にクルマを停めてから釧路市内で1泊します。
令和8年5月2日(日曜日) 天候:晴れのち曇り
屈斜路湖と美幌峠


屈斜路湖の湖畔からは、美しい朝日が見れました。
屈斜路湖は道東にあるカルデラ湖の1つで、面積79.5k㎡、最大深度は約125メートル、周囲約57kmあります。国内で6番目の広さですが、カルデラ湖としては日本最大です。また、湖には中島という島が浮かんでいるのも特徴的です。こういう道東の自然風景はいつ来ても飽きないものですね。



せっかくなので朝の美幌峠へ行ってみましょう。
屈斜路プリンスホテルからはクルマで5~10分ほど美幌方面へ走らせると到着できます。
美幌峠から見る屈斜路湖はとても清々しい風景です。岩場の背景には、雄大な屈斜路湖が映っています。
弟ビクティニ:お~!すごい!最高な眺めだよ!
兄ビクティニ:そうだろう?ここは美幌峠という場所でね。ここから見下ろす屈斜路湖は絶景さ!
チョコボ:素晴らしい!これが北海道の大自然ってやつだね。
ヤドキング:おお、久しい光景じゃ!美しい!


美幌峠から見る屈斜路湖の全貌です。
ここの峠から屈斜路湖を見下ろす自然風景は、まさにパノラマビューです。しかも朝に訪れると、正面に太陽が映り、このような清々しい写真が撮れます。美幌峠は、標高525メートルあり、屈斜路湖には中島と和琴半島が見えます。また、この湖でのアクティビティも充実しており、ここも釧路湿原と同様、カヌー体験ができます。
兄ビクティニ:どうだい?最高な眺めだろう?
まめっち:さいこーです!
ふらわっち:こんなにきれーなけしき見たことない!
弟ビクティニ:喜んでもらえて良かった~。
チョコボ:それに冬になると、あそこにたくさんのハクチョウが集まるらしいね。いつか会いに行きたいね。
ヤドキング:おお、麗しき絶景じゃ・・・。

美幌峠は、歌謡でも歌われています。
旅情がありますね・・・。


美幌峠は、弟子屈町と美幌町の境界にあります。
屈斜路湖側には弟子屈町、その反対側には美幌町で分かれています。

美幌峠からホテルに戻り、朝食にします。
朝食のメニューもまた北海道名物が使われていて美味しかったです。
みんな:おいしい・・・。
まめっち:ビクティニさん、これからどこへ行きますか?
兄ビクティニ:そうだな・・・。実は、きのう駅逓所のおじさんから聞いた話によると、別海にはもう1つ鉄道公園があるらしい。まずはそこへ行ってみようと思う。
弟ビクティニ:後は摩周湖も見てみたいな。
兄ビクティニ:そういえば、昔に行った第1・3展望台とは全く別の場所にもう1つ展望台があるらしいから、そっちも行ってみようか。
弟ビクティニ:そだね~。
チョコボ:そういえば、別海町のどこかに、かつてサハリンで走ったというD51があるらしいんだけど・・・。
ふらわっち:お花畑も見てみたいな・・・。
ヤドキング:とりあえず、裏摩周展望台を見に行ってから鉄道公園に行ったらどうじゃ?
作者:なるほど、では今日はそれで行ってみましょうか。
★屈斜路プリンスホテルから裏摩周展望台へのルート★
まずは裏摩周展望台までクルマを走らせてみましょう。
ちなみに、プリンスホテルから裏摩周展望台までは、クルマで概ね1時間程度で到着できます。
裏摩周展望台(摩周湖)

国道243号をしばらく別海方面へ走ります。『萩野集会所』付近のT字路で左折し、道道885号線へ入ります。この時、信号などの目印はありませんが、養老牛方面への看板があるので、その看板の先のT字路で左へ進みます。

次に道道885線を道なりに進んでいきます。すると、『西養老牛』の看板が立てられている十字路をまた左へ曲がり、しばらく道なりに進んでいきます。

別海町を走っているはずなのに、途中から中標津町を走っています。
しかし、このあたりは交通量が非常に少ないので、とても長閑な風景が楽しめます。
あそこに見える山岳は、斜里岳と知床連峰です。

しばらく進んでいくと、長いトンネルシェルターに差し掛かります。
そして、長いトンネルを抜けた先には、すぐに裏摩周展望台へ続く道が進行方向左側に現れます。あまり速度を出しすぎると通り過ぎてしまうのでご注意を。初めていく人にはカーナビで行くことをオススメします。

裏摩周展望台の入り口までやってきました。
裏摩周展望台は清里町に位置し、弟子屈町にある第1・3展望台とはちょうど反対側にあります。
ここでは、本来の摩周湖とはちょっと違った風景が楽しめるのです。また、第一展望台ではクルマを停める時に駐車代として500円徴収されますが、ここでは無料で停められます。また、弟子屈の展望台と違って割とマイナーな場所にあるため、観光客も少なめです。いわば隠れた絶景穴場スポットってやつです。ただ、駐車場は、約15台ほどと台数が限られているので、早めの時間帯に訪れることをオススメします。
近くにいた係員のおばちゃんが私に快く挨拶を交わしてくれました。
兄ビクティニ:さて、着いたよ。ここが裏摩周展望台だ。
弟ビクティニ:ずいぶん高い場所に来たね。展望台はすぐそこみたい。

裏摩周展望台の正面には摩周湖があります。また、近くには『神の子池』があります。
地図で見れば分かるように、ここは第一展望台からはちょうど反対側にあるということが分かります。


裏摩周展望台からは、雄大な摩周湖が目の前に広がります。
ここの展望台は標高585メートルの場所にあります。
目の前に広がる風景が同じ摩周湖とはいえ、本来の眺望スポットである第1展望台とは風景がだいぶ違いますね。第1展望台から見ると、右側に摩周岳(カムイヌプリ)が見えますが、ここの展望台では左側に大きく見えます。また、小さな島もやや右側奥に浮かんでいるように見えます。何より、第1・3展望台は高い場所から摩周湖が見えるのに対し、裏摩周展望台では弟子屈の展望台より低い場所にあるため、より間近で摩周湖のスケールさを感じ取ることができます。
弟ビクティニ:お兄ちゃん、ここから見る摩周湖は絶景だね!
兄ビクティニ:うん、これはとても素晴らしい眺めだ!何とも言えぬ美しさ・・・。
チョコボ:まさにFFに出てくるような秘境感と絶景だ!
ヤドキング:おお、これは見事な絶景じゃな~!
まめっち:すごいです~!
ふらわっち:ましゅ~こはこんなに大きんだね~!


ここから摩周湖を眺めると、とても深い湖に見えます。
そう、摩周湖も屈斜路湖と同様、『カルデラ湖』です。
世界屈指の透明度を誇り、晴れた日には『摩周ブルー』と呼ばれる深い青色に染まります。アイヌ語では『カムイトー(神の湖)』と呼ばれ、周辺には河川がありません。しかし、水位は年間を通して一定に保たれています。更に、写真で見れば分かるように、周りには湖に面する岸辺などは一切無く、崖に囲まれているので近づくことができない、まさに神秘的な湖です。また、天候によっては霧が発生することがあるのですが、ここは第1・3展望台と比べるとやや低い場所にあるため、意外と霧が発生しにくいそうです。湖に浮かぶ小さな島は、実は『溶岩ドームの一部』です。1万数千年前に今の摩周湖のある場所に火山が形成されました。さかんに大噴火を繰り返し、ついに7千年前には最大の噴火をおこしたことで、大量の火山灰と火砕流を噴出しました。この跡地が大きくくぼんで『カルデラ』ができあがり、約3千年間休止の間、そこに水が溜まったことで今の『摩周湖』が誕生したと言われています。
摩周湖は、面積19.22k㎡、容積2.86k㎥、水深は・・・なんと約212メートルあります。これは道内の湖としては最大水深は2番目、容積は4番目の大きさです。

展望台入り口にあるビジターセンターでは自販機があり自由に休憩ができます。
また売店もあり、ちょっとしたおやつなどを購入できます。中には湯の花の入浴剤も売られています。
兄ビクティニ:少し休んでから出発しよう。
弟ビクティニ:そだね~。

裏摩周展望台からは、斜里岳も見えます。
別海町鉄道記念公園


次に、『別海町鉄道記念公園』へやってきました。
ここは、かつて旧国鉄標津線の西春別駅だった場所にできた鉄道公園です。
ここには、D51型蒸気機関車をはじめ、ラッセル車のキ100形、車掌車ヨ3500形。そして、標津線で活躍した気動車キハ22形といった当時の鉄道車両が展示保存されています。
弟ビクティニ:わ~、ここには機関車や貨車がいっぱい!なかなか楽しい!
兄ビクティニ:そうだろう?これはD51だけど、なんか仕様がちょっと違うね・・・。それに、ナンバープレートをよく見るとハイフン付きなのが珍しい。
チョコボ:どうやら、このD51はかつてサハリン(樺太)で活躍した機関車らしいね。



そのとおり。
ここに展示されているD51‐27蒸気機関車は、第二次世界大戦後の昭和24(1949)年3月に日本の三菱重工業で製造され、サハリンで活躍したものです。
サハリンでは、1949年から1970年代頃までの長きにわたり石炭輸送を中心に活躍していたようです。その後、日本へ戻ってきたのが1981年ごろのようです。こちらに展示されているD51‐27は、機関室のキャブが『完全密閉式』になっています。これは、サハリン特有の極寒地での防寒のために施されたものです。ちなみに、当時のソ連サハリン州は、もともと日本領(樺太)であったことから、国内と同じ1,067ミリ(狭軌)を採用していました。
サハリンで活躍したD51は、一見同じ形式でも国内で活躍した他のものとは違う特徴を持っています。
まず、『ナンバープレート』をよく見てみましょう。
日本国内のD51は、通常、形式名の次にそのまま番号を入れるスタイルになっていますが、サハリン向けの機関車のプレートには『D51』と『27』の間にハイフンが付いています。これは、『サハリン向け』として区別するためにつけたものと思われます。また、動輪や足回りも赤く塗られているのもサハリン向けであるという特徴です。
日本に帰ってきたサハリン向けのD51は、ここに展示されている『D51-27』の他に道内平取町にももう1台『D51-23』が保存されています。サハリンでも、『D51-4』と『D51-22』の2両だけが残り、全体的な保存数を見てもわずか4両しかない貴重なもので、ここに保存されているサハリン向けのD51もその1つです。

これは、貨物列車などに連結されていた車掌車です。


これは、機関車の先頭に連結し、除雪作業をするためのラッセル車です。
冬になると、豪雪地帯となる北海道では、線路に積もった雪を除雪する際、こちらのラッセル車が使われました。今のJR北海道では、別の新しい除雪車両が使われています。



こちらのオレンジの車両は、かつて旧国鉄標津線で活躍したディーゼル車両のキハ22形です。
これは、本州向けのキハ20形の寒冷地向け(北海道向け)として製造されたものです。客室窓には『二重窓』が施され、強化された温水暖房、更にはデッキの設置など強力な耐寒耐雪構造が施されています。主に、標津線をはじめ道内の各非電化路線で運行され、一部は本州の青森などでも使われたそうです。1987年にはJR北海道に引き継がれ、民営化後もしばらく活躍しましたが、老朽化で1991年には全車引退しています。
この車両も道内の鉄道を支えてきた貴重な国鉄型気動車です。
弟ビクティニ:お兄ちゃん、ここにはオレンジの電車が停まっているよ!
兄ビクティニ:これは電車じゃなくて『気動車』、つまり『ディーゼルカー』だね。それに、これも昔は走っていたけど、今は動いてないよ。


キハ22形の運転台を覗いてみると、速度計もかなり古いものです。
昭和54年11月ごろに釧路で全般検査を受けていたようです。



公園内には、当時の西春別駅の名残と思われるホーム跡が残されています。
それもそのはず、ここにはかつての標津線が通っていたのです。そして、ここの旧西春別駅も当時の標津線にあった駅の1つです。その証拠に、ホームには昔の駅名標、構内には当時の線路や腕木式信号機、踏切警報機などが残っています。
標津線は、前回でもお話したように、厚床駅を起点として、中標津駅で分岐し根室標津駅や標茶駅まで通っていた地方交通線(ローカル線)です。
西春別駅は中標津駅と標茶駅の間にあった場所で、中標津からは5駅目、標茶からは4駅目です。標津線において廃止となった駅は17駅であり、その廃線区間は総距離117kmに及びます。それだけでも十分に長い距離ですね。ちなみに、蒸気機関車時代ではC11型蒸気機関車が標津線で活躍していたそうです。タンク機関車なのによくあんな長距離を走れますね・・・。


公園内には、かつて標津線で使われていたと思われる他の駅名標も展示されています。
それぞれの駅名標には『光進』、『上春別』、『春別』、『平糸』、『別海』と書かれています。

記念公園の資料館も見てみましょう。
エントランスから入ると、当時の標津線の写真が展示されています。
SLから気動車まで様々な時代を通じて標津線を守ってきたのです。

これは、当時の西春別駅にあった運賃表です。
標津線の各駅の他、網走や釧路、根室、帯広、北見、旭川までの他に道内の遠いところでは札幌や函館まで、さらに本州方面の東京や仙台、大阪までの運賃が書かれていたんですね。当時はそこまで遠い所までキップが買えたんですね。

資料館内には、当時の標津線の駅名標が展示されています。


これは、標津線で活躍した車両に装備されていた扇風機や計器類などです。
速度計や圧力計、プレート、扇風機などはおそらくキハ22形に装備されていたものかと思われます。また、吊り下げ式の灯火や旋回窓は蒸気機関車に装備されていたもののようです。


これは、当時の出札機と改札に使われていたハサミなどです。
ここに展示されている出札機は、おそらくかつての西春別駅にあったものかと思われます。そして、改札ハサミもあるということは、当時の西春別駅に駅員さんが常駐していたようです。





標津線の歴史についてのエピソードが分かりやすく解説されています。
標津線は、戦後の開拓とともに全線開通しましたが、やはり冬になると雪との闘いになる路線であったことが分かります。当時は、周辺の道路網が発達していなかったので、それだけ重要な路線だったんですね。
馬車鉄道からはじまり、蒸気機関車、ディーゼル車両へ引き継ぎましたが、1989年には標津線の歴史に終止符が打たれたのですね。ちなみに標津線の始発駅であった厚床駅では、『ほたて弁当』が売られ、当時はその駅弁で賑わっていたといいます。
しかしながら、道路網の発達とモータリゼーションの進行とともに標津線は1989年には廃止となったのです。これは私が生まれるギリギリの年ですね。

これは、標津線の歴史を表した年別表です。
標津線が敷設される前は、まさに開拓前の原野で、当時の旅人は駅逓所や馬車を使って目的地まで向かっていたといいます。
そして、大正に入って根釧原野に開拓が進められるようになったものの、交通の便が悪いことから生活物資や生産品の輸送手段に悩んでいました。そこで、根釧原野に鉄路が敷かれることになったのが、『標津線』です。その時、海岸線にするか内陸線にするかで計画されており、両案で政争がありましたが、結局、当時の標津村長の強い支持と要請で原野線に決まったそうです。
しかし、ここまでの歴史背景があってせっかく完成した鉄道なのに、平成の初めに廃線となってしまったのは、ちょっと勿体無いような気もします・・・。

これは、標津線の路線地図です。
写真を見れば分かるように、根室本線(花咲線)の厚床駅からスタートし、途中の中標津駅で根室標津方面と標茶方面へ分岐されています。そして、当時あった中標津駅の近くには空港があります。もし、標津線が今でも残っていたら、中標津空港への利便性も変わっていたのかもしれませんね・・・。


標津線の厚床~西別(後の別海駅)は、昭和8(1933)年に開通し、当時の別海町民は歓喜を上げていたといいます。
標津線の開通は、まさに別海や標津、中標津の人々の足として、また根釧原野における産業を支えるものだったのです。
標津線は、周囲の根室本線や釧網本線が大正~昭和初期に開通し、その後にできた路線です。路線図で見ると、中標津で分岐していたことが分かります。先日に訪れた奥行臼駅は、厚床駅から1コ手前にあったんですね。で、今いる西春別駅跡も標茶寄りにあるのが分かります。

標津線の保線に使われた道具です。これでレールの交換とかをやっていたのでしょう。

これは、標津線で使われた『通票閉そく機』です。
当時の標津線は全線単線で、列車同士がすれ違える駅では、このような機械が設置されていました。
これは、単線区間での列車の衝突を防ぐため、1区間ごとに1つの『通行手形(タブレット)』だけを発行・管理する鉄道保安装置です。つまり、1つの区間を列車が通過するのには、そのタブレットがないと通行できません。
写真左にある輪っかは、通行手形を入れるためのものです。写真右側の機械は、通行証の発行のためのものです。これは、区間の両端駅にそれぞれ設置されており、駅員が操作することで、金属製円盤(タブレット)を取り出し、それが『通行手形』として渡されると初めてその1区間が通行できるようになります。この方式を用いることで、単線区間での列車同士の衝突を防ぐことができたのです。


これは、標津線で使われていた保線用車両です。

これは、旧西春別駅の構内図です。
中央にホームがあり1番線が標茶方面、2番線が根室標津方面となっていたようです。3番線は側線のようですね。ホームの有効長を見る限り、最大4両が停車できるようになっていたようですね。駅本屋とホームへは、おそらく構内踏切で結んでいたかと思われます。

当時の西春別駅では、4箇所の転てつ機が設置され、それぞれの転轍機のレバーと場内・出発信号機が連動できるようになっていました。
出発信号機は、列車が出発する際にレバーを下げ、列車が駅構内を出終えると、レバーを上げるようになっていたようです。
場内信号機では、各方面から列車が入る時にレバーを下げ、列車が駅に到着した時にレバーを上げる仕組みになっていたようです。


これは、標津線のさよなら列車が運行された時に使われたヘッドマークです。終焉の時には、華々しくブルートレインで飾っていたんですね。

これは、標津線の列車に使われたと思われる『だるまストーブ』です。
北海道のような寒冷地を走る列車には、このようなだるまストーブが使われていました。標津線では、写真で見る限り、客車列車に使われていたようです。




他にも、標津線に関する記念きっぷや記念グッズなどが販売されていました。
多和平展望台

さて、次は『多和平展望台』の方へ足を運んでみましょう。
多和平展望台は、標茶町にあります。
他にも、キャンプ場や『グリーンヒル多和』があり、そこで食事や休憩などができます。ちょうどお昼時なので、こちらのグリーンヒル多和でランチタイムにします。
弟ビクティニ:もうお昼だね。そろそろご飯にしようよ。
チョコボ:そうだね。あ、ここだったら食事ができるよ。
弟ビクティニ:あ、本当だ。じゃあ、ここでご飯にしようか。

ということで、グリーンヒル多和にてランチタイムにします。
ここでは、バーベキューができるそうですが、私は普通に食事をすることにします。
今回はハンバーグステーキをいただきました。
みんな:いただきます!・・・美味しい!

多和平で食べるソフトクリームもまた、濃厚で美味しかったです。
なんでも、このソフトには名物の中標津牛乳から作られたものだそうです。
まめっち:このソフトおいしいです!
ふらわっち:あまくておいしい!

さて、ご飯を終えた所で、多和平展望台へ行ってみます。
展望台は、駐車場から丘を登った場所にあります。丘はキャンプ場になっているようです。ここの多和平展望台は、道東の大牧場を望む360度のパノラマ展望台です。運が良ければ、牛の放牧が見られます。
兄ビクティニ:さあ、ついたぞ。ここが多和平展望台だ。
弟ビクティニ:せっかくだから、あの展望台から覗いてみようよ。

これは、展望台から東側を撮影したものです。
牧草地や林が広がり、阿寒富士や雌阿寒・雄阿寒岳がうっすら見えます。この方角には、阿寒湖があります。道東の丘もまた、美瑛にも劣らぬ北海道らしさの丘風景が広がっています。

これは南側を撮影したものです。
この方角で見ると、牧場の先には釧路湿原があり、更にその先には太平洋があります。この日は、この先にある塘路駅で一晩中、クルマを停めておくことになるでしょう・・・。

これは、東側を撮影したものです。
こちら側は、自然に近い牧場が果てしなく続いています。写真正面には野付半島、右側には、根室や納沙布岬があります。そして、左側には知床半島の羅臼方面が続いています。


北側は、オホーツク海へ続く方角で、先程おとずれた摩周湖や美幌峠があります。更には斜里岳や西別岳の山岳も見えます。正面に見える山が西別岳で、右側の雪を被った山が斜里岳です。さらに、写真右側には知床半島があります。


多和平展望台から見る道東の風景です。
展望台から見る牧歌的な風景が、いかにも道東らしい光景です。先日に訪れたナイタイ高原牧場よりも、こちらの方が牧場らしい緑の風景が広がっています。この風景、日本ではなかなかお目にかかれません。そして、360度広がる道東のパノラマを眺めながら中標津牛乳を飲むのもまた、一段と北海道気分が味わえて最高です。
弟ビクティニ:お兄ちゃん、ここからはとってもいい眺めだよ!なんだか牧場らしい匂いも・・・。
兄ビクティニ:そうか、良かったな。ここで飲む牛乳も格別だね。あそこが昨日行った納沙布岬があるよ。で、あそこがさっき行った裏摩周展望台や美幌峠の方向だ。

多和平展望台の前で記念撮影もしました。
ここの展望台は標茶町の観光名所であり、シンボルでもあります。これと似たような360度パノラマ展望台は、他にも中標津にある『開陽台』があります。そちらはここより立派な展望台だそうなので、次に道東へ来た時には、そちらも訪れてみたいですね・・・。
兄ビクティニ:いや~なかなかいい風景だったよ。
弟ビクティニ:北海道の風景は最高だよね!
チョコボ:ぼくは北海道ではヒグマの遭遇を心配してたけど、そんなこと無くて良かった。
ヤドキング:海の幸も牛乳も美味しいからのう。
まめっち:いい思い出になりましたね。
ふらわっち:あとは、このじきに『しばざくら』もさいているらしいから、それもみてみたいな~。
ひがしもこと芝桜公園
★多和平展望台からひがしもこと芝桜公園へのルート★
さて、今度はひがしもこと芝桜公園へクルマを走らせます。
所要時間は概ね1時間ほど。国道243号を北上し、途中の川湯温泉の先にあるT字路で『網走方面』へ左折し道道102号に入ります。山道を通り道なりに進むと到着します。ただ、道道102号ではゲートが設置されており、一定の雨量を超えると通行止めになってしまうので、注意が必要です。

目的地へ向かう途中で、黒いキツネのような生き物を発見しました。
見るからにキタキツネでもない『黒いキツネ』です。これはなかなか珍しい発見ですね。この生き物を調べた限り、『ギンギツネ』もしくは『十字キツネ』といわれる北海道のキツネとしては非常にレアな個体だそうです。あるいはキタキツネの遺伝種変異なのかキツネの祖先なのか・・・。それらはあくまで諸説ですが、なぜ毛が黒いのかまでは未だにナゾです。
道東の生き物は、奥が深いですね・・・。

ひがしもこと芝桜公園へ向かう道の途中で、屈斜路湖が見える展望スポットがあります。
ここは、朝に訪れた美幌峠とは違った方向から見た屈斜路湖ですね。美幌峠からの眺望は、真下に屈斜路湖が見える感じですが、こちらの藻琴山サイドから見ると明らかに風景が違います。手前には笹薮が広がり、その奥に屈斜路湖が見えます。この風景もなかなかいい絵になりますね。こんなに遠くから見ると、いかにもクッシーが出てきそう・・・かも?

多和平展望台からクルマを走らせて、約1時間・・・。
ピンクに染まる丘が見えてくると、ひがしもこと芝桜公園にやってきました。
ここは、女満別空港がある大空町に位置しています。したがって釧路方面からクルマで訪問する場合、距離は120km程度、所要時間は約2時間ぐらいは見ておいた方がいいでしょう。
ひがしもこと芝桜公園の『芝桜まつり』は、ちょうどこの日で初日です。そのために、公園周囲の駐車場への交通整理が行われていました。前に訪れた時は、通常の駐車場で停められましたが、今回は臨時駐車場へ案内され、そこからは道路を地下道でまたぐようです。
芝桜公園の入り口には、ちょっとしたフードコートの他に、芝桜の苗も販売されています。せっかくなので、芝桜の苗を6株購入しました。購入した苗は、旅行から帰ったら、すぐ庭に植えることにします。
ちなみに、ひがしもこと芝桜公園の『芝桜まつり』は入園料700円です。
弟ビクティニ:お兄ちゃん、丘がピンク色に染まっているけど、ここは?
兄ビクティニ:ここは『ひがしもこと芝桜公園』という場所で、5月ごろになると、芝桜の見頃になるんだ。ちなみに、秩父の芝桜は3月下旬から4月中旬頃が見頃だよ。

公園内に入ると、すでに丘がピンク色に染まっています。
写真手前の方は、まだピンク色には染まっていないものの、少しずつ開花が始まっています。ひがしもこと芝桜公園の『芝桜まつり』は、毎年5月中に開催されます。2026年度では、5月3日から5月31日まで行われました。
弟ビクティニ:お兄ちゃん、あのピンク色のは芝桜?
兄ビクティニ:そうさ、ちょうど北海道では見頃になっているよ。キレイだろう?
弟ビクティニ:うん、とてもキレイ!
チョコボ:これは見事に咲いているね!
ヤドキング:素晴らしい!北海道の自然と調和しとる。
まめっち:うわ~、きれいですね~!
ふらわっち:わ~、すごい!これが『しばざくら』の開花なのね!きれい~!


平地の花畑では、まだ咲いている花が少ないようです。
まだこれから咲くのでしょう。しかし、良く見てみると所々開花しているのが見えます。
弟ビクティニ:この辺の芝桜はまだそんなに咲いてないみたい・・・。
兄ビクティニ:そんなことないよ。良く見てよ。所々花が咲いているよ。
弟ビクティニ:あ、本当だ。

西側の斜面には牛のノンキーマークのイラストが施されるように植栽されている光景もお馴染みです。
丘のてっぺんに生える林と、アート芝桜が絵になります。そして、丘の麓にはゴーカートがあります。他にも日帰り温泉やら釣り堀やらもあります。

芝桜の周りをよく見てみると、つくしも生えています。5月に芝桜とつくしを見ていると、北海道にも春が来たという感じです。


丘の麓から見る芝桜です。
丘をピンク色に染まるように咲く芝桜と、丘の上に生える林の風景は、まさに北海道の春を思わせます。
兄ビクティニ:どうだい?見事な咲き具合だろう?
弟ビクティニ:うん!とってもキレイに咲いているよ!来てよかった!
まめっち:まさにお花畑ですね!
ふらわっち:すごくきれ~ね!あの林もイイカンジ!

斜面から撮影した芝桜の丘も美しいものです。
斜面に咲いている芝桜も見事に咲いているし、奥の丘も芝桜でピンク色に染まっています。そして、白樺と芝桜のコントラストもまた北海道らしさを醸し出しています。
弟ビクティニ:とてもいい眺めだね~。
兄ビクティニ:ああ、最高な風景だよ。
ヤドキング:丘から見る芝桜と牧場の風景も絵になりそうじゃ。ここで一句“雪解けの 丘に染まりし 桃の花”。
チョコボ:ああ・・・。お花畑を見るとFFの世界が懐かしい・・・。
まめっち:芝桜を見ていると心が和みますね・・・。
ふらわっち:それにシバザクラからはいいにおいがする・・・。

芝桜の丘から見る農場風景です。
この調和こそ、『北海道の春』といった感じですね。
兄ビクティニ:いい眺めだ・・・。
弟ビクティニ:秩父の芝桜もいいけど、北海道の芝桜はまた特別なものがあるよね。

丘のてっぺんには山津見神社があります。
山津見神社は大正2年、福島県相馬郡の周辺からこの地に入植した和泉一郎・大本久次郎・室原重成・山田徳四郎の各氏によって御神体を拝受し、この地点を守護の場所として鎮座した山の神様が祀られています。
写真の神殿は、昭和60年春に地域の有志の手により改築されたもので、現在では『芝桜神社』として参拝されています。
兄ビクティニ:世界が穏便になりますように・・・。
弟ビクティニ:お兄ちゃんとまた旅行に行けますように・・・。

ひがしもこと芝桜公園の至るところに芝桜が生え咲き誇っています。
小高い丘陵10ヘクタールに広がる芝桜の丘。こうして今年も丘に咲く芝桜の歴史は、花好きの農家の一人の若者が、終戦直後に庭に植えた一握りの株から始まったといわれています。それは、昭和52年のこと、中鉢末吉さんが、8年かけて丹精を込めた1株1株手塩にかけて育てた芝桜をこの丘に植えたことで、滝上町と並ぶ絶景の初夏の景勝となりました。中鉢さんが最初に育てたのは、戦後、留辺蘂町から亡き姉が終戦直後に一掴みづつもらってきたもので、当時、農家をしていた中鉢さんは徐々に芝桜を増やし、自宅にミニ芝桜公園をつくったことから始まりました。その見事さに藻琴山温泉管理公社から「芝桜で村の憩いの場をつくってほしい」と頼まれ、中鉢さんは離農しその事業に協力をします。
こうして、彼の信念が見事に実り、温泉の丘がピンクの芝桜をまとった一大公園となったのです。
そもそも芝桜はどういう花なのかと言うと・・・
芝桜はハナシノブ科の多年草でフロックスの一種です。もともとは北アメリカ原産で、花壇の縁取りなどに栽培されるために日本へ渡ったと言われています。花の形がサクラに似ており、また芝のように地面をおおうように咲くことから『シバザクラ』と呼ばれています。開花時期は4月~6月上旬ごろで、直径1.5センチメートルほどの赤、桃、白、紫の小花を咲かせます。また、繁殖力も強いので、挿し木や株分けをすることで増やすこともできます。
芝桜公園では、約10万㎡の園内で芝桜の花々で埋め尽くされるように咲き誇ります。
兄ビクティニ:しかし、色んな所に生えては凛々しく咲いているな。
弟ビクティニ:なかなか生命力があるお花だよね。
ヤドキング:うむ、美しくも力強さを感じるのう。
チョコボ:芝桜って、『挿し木』したり『株分け』して育てると増やせるらしいよ。

今度は、手前に芝桜を映し遠くの田園風景を撮ってみました。
マクロで見る芝桜と遠くに見える田園風景がとても画になる1枚ですね。


木に咲く桜と野原に咲く桜とのコラボマッチです。
5月でこの光景が見れるのは、まさに“北海道ならではの『遅い春』”です。
弟ビクティニ:お兄ちゃん、埼玉では桜や芝桜は終わってるけど、ここでは桜と芝桜が満開だね。
兄ビクティニ:きっと芝桜の満開はこれからだろうね・・・。
釧路へ・・・
★ひがしもこと芝桜公園からJR塘路駅まで★
さて、ぼちぼちJR塘路駅へ向けてクルマを走らせます。
この日の宿泊地が釧路市内なのですが、明日の予定は今回の旅行最終日なので、釧路空港から飛行機で関東へ帰らなければなりません。
明日の予定は、釧路駅から塘路駅までノロッコ号に乗車後、カヌーツアーに参加するという形で、その後は空港へ直行という流れです。ただ、問題なのはJR釧網本線の列車本数がかなり少ない上、沿線の路線バスもありません。そのため、移動方法も限られてきます。そこで、今回のカヌーツアー主催会社に予め「塘路駅の駐車場にクルマを一晩停めさせてもらっていいですか?」という問い合わせをしました。すると、「停めてもいいですよ」とのことだったので、駐車可能という確認が取れたので、この日は直接釧路市内へは向かわず、塘路駅で一晩クルマを停めることにしました。ということで、カーナビを塘路駅へ目的地として設定し、そこへクルマを走らせて塘路駅からJR釧網本線の列車で釧路へ向かいます。
ちなみに、ひがしもこと芝桜公園の駐車場からクルマを出したのが16時半ごろで、塘路駅までカーナビ目的地を設定したら、塘路駅に到着する時間はなんと18時08分!これでは釧網本線の列車が塘路駅を出発する時刻が18時11分なので、時間がギリギリです。加えて走行距離も90kmなのでガソリンもかなり消費してしまいます。かと言って、途中で燃料補給するとその分の時間が取られ、18時11分の列車には間に合わないので、そのまま塘路駅まで一直線に進むことにしました(しかも休憩なしで)。
いやはや、北海道旅行は憧れだとはいえ、実際に行くってなると本当に難しいですね・・・。道東だけでもこんなに広いから・・・。
とりあえず、塘路駅までクルマを走らせます。

塘路駅へ目指して国道243号を南下していきます。
すると、途中で左側の道端にて『白いもの』を見つけたので目を凝らしてみると・・・
なんとタンチョウを発見!
すぐさま一眼レフX10を構えて撮影をしました。まさか、こんな場所でタンチョウに会えるとは思いもしなかったですね。これは奇跡の出来事です。
で、撮影を終えた後、大急ぎで塘路駅へクルマを走らせました。その上、残りの燃料もゲージが15%を切りギリギリの状態で塘路駅に到着しました。この後、ツアー参加後に燃料補給するにしても、釧路市内ならのスタンドならできそうですが、一番近い所で20kmぐらいのようです・・・。それまで持つか心配ですね・・・。調べたら一応、ガス欠になりそうな時に、スタンドのマークが光るようになっていて50kmぐらいまでは持つようになっているらしいのですが・・・。


そんなこんなで、18時05分ごろ、ようやく塘路駅に到着。
そして、手荷物やボストンバッグだけ回収し、すぐに列車へ飛び乗ります。ただし、芝桜の苗だけはクルマの車内に置いていきます。
その前に、エンジンはちゃんと停めたか確認し、鍵もロックしたかも確認した上で列車へ乗車。ちなみに塘路駅は『無人駅』なので、列車に乗る時は車内で『整理券』を受け取ります。そして、目的地の釧路駅で精算する形です。つまり、路線バスと同じシステムですね。
兄ビクティニ:さあ、塘路駅についたぞ。
弟ビクティニ:お!列車がちょうど停まってるよ。
兄ビクティニ:よし、忘れ物はないね?では飛び乗れ!(駆け込み乗車はやめましょう)

18:11 4727D 普通 釧路行き 塘路駅を出発
ひとまず、塘路駅を後にして釧路駅へ向かいます。明日はまたここに戻ってくることになるでしょう・・・。
車内には外国人らしき旅行者がそこそこ乗っていました。塘路駅を出た列車は、日暮れの釧路湿原の中をゆっくり走っていきます・・・。



18:43 釧路駅 到着
ひがしもこと芝桜公園から塘路駅までクルマを走らせ、そこから列車で釧路駅までやってきました。
思えば、道東での交通手段はほとんどクルマで、この日もまた長いドライブ旅となりました・・・。ちなみに塘路駅から釧路駅までの運賃は680円。
しかし、明日はノロッコ号とカヌーツアーに参加して帰るだけなので、クルマでの長距離ドライブはこの日で終りとなるでしょう。
弟ビクティニ:ようやく釧路駅に着いたね。それに釧網線の列車はなんか違うような・・・。
チョコボ:これは新型車両らしい。

釧路駅の通路にはくしろ湿原ノロッコ号のPRが掲げられています。
翌日はこれに乗ることになるでしょう・・・。

駅ノートには、これからくしろ湿原ノロッコ号に乗り、カヌーでタンチョウを見るという願いで書いてきました。

先ほどの整理券を駅員さんに精算してもらいました。
夜の釧路駅は、終列車ラッシュです。特に釧網本線と花咲線に至っては、釧網本線が川湯温泉行き、花咲線が根室行きとしては最終便になっています。そして、札幌まで行く特急おおぞらも、あれで最終便です。
弟ビクティニ:2日ぶりに釧路に戻ってきたね。
兄ビクティニ:なんだか道東を1周してきたみたいで不思議な気分だよね。根室まで列車で行って、そこからクルマで納沙布岬や屈斜路湖、摩周湖、展望台、廃線スポット、そして芝桜を見たり・・・。道東のいろんなものが見れたよ。
弟ビクティニ:それにクマに遭わなくて良かった・・・。


釧路駅の駅舎は、昔ながらの昭和レトロな雰囲気を放っています。
そして、かつては根室本線や釧網本線で走っていたであろうC58型蒸気機関車の動輪がモニュメントとして飾られています。そして、釧路駅の上空を優雅に飛ぶカモメもまた、港街らしい雰囲気です。
兄ビクティニ:見て、夜空にカモメが飛んでるよ。
弟ビクティニ:本当だ。ということはここは海に近いんだ。
作者:まあ、ここも釧路湿原と同じように大昔は海の中だったからね。

さて、この日は釧路市内の居酒屋で夕食にしました。
今回立ち寄ったお店は、『まるとも水産』という炉端焼きや海鮮丼、握り寿司などを提供しており、ホッケ焼きや牡蠣の浜焼きなどが美味しいそうです。
私は、握り寿司に加えて牡蠣の浜焼きやホッケ焼きを注文しましたが、残念ながらホッケ焼きは売り切れのようです。浜焼きは牡蠣とホタテでいただきます。
兄ビクティニ:いただきます!・・・お寿司うめ~!
弟ビクティニ:カニのお寿司が出て嬉しい!もぐもぐ・・・おいしい!
ヤドキング:ホタテの浜焼きもいけるのう!
チョコボ:焼き牡蠣もうまい!広島の牡蠣より美味しいかも!

この日は、釧路プリンスホテルにて宿泊です。
JR釧路駅から徒歩10分ほどのアクセスです。温泉はありませんが、立派なホテルで朝食も評判がいいので、道東へ旅行に行くときにはいつもお世話になっています。
兄ビクティニ:さて、ここが今回の旅で最後のお泊りだよ。
弟ビクティニ:ここもずいぶん立派なホテルだね。駅から近いし!


釧路プリンスホテルもまた、先日に宿泊した『北海道ホテル』と同様、天皇陛下の御行幸啓の際に泊まられた由緒のあるホテルです。
2023年の第42回“全国豊かな海づくり大会(北海道大会)”の際、天皇両陛下による地方事情御視察の際に泊まられています。これまた由緒あるホテルに泊まったものです。
まあ、これだけ大きいホテルだから分かりやすい立地ですし、値段も他のホテルと比べても割と安価だから、北海道に来ればお世話になりますしね。
他にもパリオリンピックの記念皿も展示されていました。






ホテルのロビーには『昭和100年記念おもいでコーナー』が設けられ、昔ながらのおもちゃや自転車、遊具、家電製品などが飾られていました。
そういえば2026年でちょうど昭和から100年目なんですね・・・。

釧網本線で『くしろ湿原ノロッコ号』がデビューしたのが1989年6月のことで、デビューから37年経とうとしています。
1998年頃まで運行されていた『初代ノロッコ号』は、旧型客車と木造貨車を改造したものでしたが、2026年現在運行されているノロッコ号は『2代目』となっています。しかしながら、2026年度で運行が終了するというのは寂しいものですね・・・。
ちなみに、ノロッコ号が引退した後、新しい観光列車として『赤い星』と『青い星』が運行されるそうです。

弟ビクティニ:今日もまた長いドライブ旅になったね。
兄ビクティニ:もう道東のいろんな所を回ったからな・・・。明日は、ノロッコ号に乗車しカヌーツアーに参加するだけ。あとは帰るというプランさ。だから明日は大した距離は走らないだろう・・・。
チョコボ:明日はタンチョウやオジロワシが見れるといいな・・・。
ヤドキング:ノロッコ号は初めてじゃからのう・・・。しかし引退すると聞いたので、この旅でビクティニたちとノロッコ号に乗れるのは感謝じゃ。
まめっち:明日はノロッコ号とカヌーですね!たのしみです~♬
ふらわっち:きっとステキなたびになりそ~ね!
兄ビクティニ:じゃあ、みんなおやすみなさい。
みんな:おやすみ~!
弟ビクティニ:みんなお疲れ様。ゆっくり休んでね。
5日目 おわり
最終日へつづく