皆さんこんにちは。
今回は『熊本旅行記』の最終日になります。
この日は、南阿蘇エリアをドライブし、関東へ帰ります。
★黒川温泉から高森湧水トンネル公園までのルート★
まずは、南阿蘇エリアにある『高森湧水トンネル公園』へ向けてクルマを走らせます。
所要時間としては概ね50分程度ですが、途中で県道の狭い道も通るので、対向車が来ないことを祈りながら進んでいったのを覚えています。・・・とはいえ交通量は多いわけでもないので問題なしか・・・。
途中で『上色見熊野座神社』に参拝してきました。
ここは阿蘇山の東にある神社で、伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、石君大将軍が祀られています。
土合駅のように長い階段が続く参道には、百基近くの灯篭が並んでいます。また神殿の奥にある『穿戸岩』は、健磐龍命(タケイワタツノミコト)の従者こと鬼八法師が蹴破ったとされています。それは縦横10メートル以上の大風穴があいています。
『穿戸岩』は巨大な岩山を大きな風穴が貫いていることから、どんなに困難な目標でも必ず達成できる象徴として『合格・必勝』のご利益があるそうです。特に受験生の人にはもってこいかもしれませんね。
また、神社の境内には御神木『なぎ』があります。これは『凪』に繋がり、波風を鎮めること、さらには葉脈のない葉の特徴から、縦には簡単に裂けるものの横に引きちぎろうとすると相当の力が必要なことから、昔から男女が『縁が切れないように』とお互いになぎの葉を身につけたり、嫁ぐ娘に母親が持たせることもあったのだとか。
ビクティニ:ウクライナ情勢が解決されますように・・・
ミュウ:いつまでもティニくんと旅行ができますように・・・
黒川温泉から約50分~1時間あまり、高森町にやってきました。
観光交流センターにクルマを停め、ここで自転車を借りて『高森湧水トンネル公園』へ行きます。
ビクティニ:さて、トンネル公園へいって例のあれを見に行こう
ミュウ:昨日テレビでやってたもんね
ということで、『高森湧水トンネル公園』に到着しました。
入り口には、中央に大きな池があり、吹き上がる噴水が涼しげです。
クルマはもちろん、南阿蘇鉄道の高森駅から徒歩10分で訪問できます。
ビクティニ:中央の池が涼しげだね。そして、向こうにトンネルの入り口が見える
ミュウ:ここは一体何のためのトンネルなんだろう?
このトンネルが、『高森湧水トンネル公園』の入り口です。
入場料300円でこの先に入れます。
このトンネルは、かつて旧国鉄が熊本からここ高森と高千穂を経て宮崎県の延岡を結ぶ鉄道敷設が計画され、ここに鉄道を通すことになっていたのです。
この工事は昭和48(1973)年12月から旧国鉄高森線および高千穂線を結ぶ鉄道敷設工事が行われ、このトンネルもその路線の一部として掘削されることになります。ところが、昭和52(1977)年2月に掘削工事の際に地下水源にあたり、トンネル内に大量の出水に見舞われる大惨事が起こり、その後も度々出水事故が起こりました。このような背景から鉄道建設は中止となり、その跡地にできたのが『高森湧水トンネル公園』なのです。
ここに鉄道を通すのにあたり、鉄道省(後の国鉄)は豊肥本線の立野駅から延岡へ鉄道敷設の計画に乗り出します。昭和3(1928)年に立野駅から高森駅間にて開業。当初は『宮地線』でしたが、豊肥本線の全通から『高森線』に改称されます。更に宮崎県側は『高千穂線』として三田井(後の高千穂)まで昭和47(1972)年に開業。ちょうどこの時に2つの路線が直通しようとしたその時、このトンネルで異常出水事故が起きたがために工事は中断され、昭和55(1980)年には凍結されました。それから時が流れ、昭和59(1984)年に旧国鉄高森線から第三セクター『南阿蘇鉄道』として転換されています。一方、宮崎県側の高千穂線も第三セクター化し、『高千穂鉄道』になりますが、2005年の台風によって鉄道設備は全滅、更に県や自治体が復旧費用を捻出できぬまま、負担に難色を示し全線が廃線されています。
そして、このトンネルもかつての鉄道敷設の成り行きの名残とも言える産物だということです。
ビクティニ:このトンネルに入ってみよう
ミュウ:奥からは涼しいね
ということで、トンネル内に入ってみましょう。
内部は至るところにイルミネーションで施されています。
ビクティニ:トンネルの中でイルミネーションの光の演出は、とっても素敵!
ミュウ:すごいきれいだね!
トンネルの壁穴には竹のランプシェード照明が配置されています。
竹のランプシェードから放つ光の演出がとても幻想的です。高森町の人々の温かさが伝わるほどの手作り感があります。なんでも夏には七夕祭り、冬にはクリスマス・ファンタジーで賑わうそうです。
トンネルの中央部には、湧き水が流れる水路が通っています。
かつてこのトンネルには線路を敷く予定だったのでしょうが、中央に水路があるのには線路は敷けないことから考えると、この水路は公園として整備された時に造られたものと思われます。そして、この水路は今や高森町における貴重な水源になっており、高森町の人々の生活にも欠かせないものとなっていることでしょう。
訪問時は夏ということもあり、水路にはたくさんの七夕が飾られていました。
高森町をはじめ地元の保育園や小学校はおろか、高森町にある企業などからも七夕の作品を提供しているのだそうです。みんな幻想的で素敵な七夕でありました。
ビクティニ:みんな高森町の人たちが作った七夕なんだね。昔、仙台に住んでいた頃、見ていた七夕祭りもこんな感じだったかな。懐かしい・・・
ミュウ:地元の人たちの温かみを感じるね
トンネルの一番奥までやってくると、不思議な光景を目にします。
“ウォーターパール”という仕掛け噴水です。
これは特殊ストロボを利用した水と光の演出です。1本1本の流水が、あたかも真珠のごとくきらめく水玉のようになり、時には止まっているように、時にはゆっくり流れたり逆流したりするように見立てる不思議な噴水スポットです。
ビクティニ:これが噂の“ウォーターパール”という噴水だ!まるで水玉が浮いているみたい!
ミュウ:池袋サンシャインシティの噴水よりすごいかも
ビクティニポンチョのピカチュウ:こんなに不思議な噴水は見たことがない!どんな仕組みになっているのかな?
トトロ:トットロ~!(きれい!)
★高森町から通潤橋までのルート★
さて、『高森湧水トンネル公園』の見学を終え、上益城郡山都町にある『通潤橋』へ向かいます。
放水が行われるのは13時からなので、自転車を返却したらすぐに出発します。
高森町から通潤橋まではクルマで概ね40分程度です。
しかし、道の駅『通潤橋』に到着したのがちょうど13時すぎだったため、到着した頃にはすでに放水が始まっていました。
ということで、滝のように水が流れ落ちる巨大な石橋・・・『通潤橋』に到着しました。
遠くから見ても十分圧巻な光景です!
通潤橋は、当時水不足に悩まされていた白糸台地に農業用水を送るために造られた国内最大級のアーチ式水道橋です。
水路の長さは126メートル、橋の長さは75.6メートル、橋幅が6.3メートル、アーチの大きさは半径は27.6メートル、そして橋の高さが20.2メートルあります。
ここから約6kmほど離れた場所を流れる笹原川の上流より水を引き、約30kmものの水路を経てこの巨大なアーチ橋を通り、白糸台地へ水を送っています。これを『通潤水路』と呼び、この橋もその水路の一部になっています。そして、通潤橋を渡った水は白糸台地にある約100ha(ヘクタール)の田んぼを潤しているのです。
ビクティニ:これが『通潤橋』の放水だね!まるで橋の上から滝のように水が流れ落ちている!とてもダイナミックな光景だ!
ミュウ:すごいよね、こんな橋なかなかないよ・・・うあ?雨が降ってきた!
ビクティニポンチョのピカチュウ:これで回りの田んぼを育ててるみたいだね。でも一体どうやって放水しているのかな?不思議な橋だね
トトロ:トットロ~!(大きい!)
さて、放水が終わった後の通潤橋を見てみましょう。
所々に草や苔が生えているのが見え、完成から150年以上経っていることが実感できます。
ちなみに通潤橋の放水は、土日祝を中心に放水が行われる他、8月下旬から9月中旬に掛けて開催される『山都の三大祭り』のうち『八朔祭』が催される日でも放水が行われています。
当時、この橋の建設者である布田保之助によって造られた通潤橋は、白糸台地に農業用水を送ることを目的としたことで、安定した水供給の解決策となり、昭和35(1960)年に国の重要文化財に指定されました。また、国際かんがい排水委員会によって初代の『かんがい施設遺産』として平成26(2014)年に登録。そして、通潤橋・通潤用水の完成以来、白糸台地一帯は150年以上にわたり、伝統的な水利用ならびに農耕活動によって形成された景観が維持されていることから『通潤用水と白糸台地の棚田景観』として平成20(2008)年に重要文化的景観に選定されました。
なお、このような伝統的な水利用が今でも行われています。まさに、歴史的文化が生きる農耕活動ですね。
これは、通潤橋の構造を示したものです。
笹原川から取水された水は水路に流れ込み、通潤橋を介して白糸台地に送られます。
通潤橋に埋め込まれた水路を通す際、『取入口』から水が流入し、長さ約123メートルの石管を通って『吹上口』から白糸台地に農業用水を送っています。これは『逆サイフォン』といわれる連通管によって対岸に水を送る構造になっており、取入口の高さが吹上口より約6メートル高くなっているのだそうです。したがって、その高低差を利用し対岸に水を送ることができたということになります。
通潤橋に流れる水の量は1日でなんと1万5千㎡!この大量な水で白糸台地の水田を潤しているわけです。
写真の地図を見れば分かるように白糸台地は河川より高い場所にあるため、水を送るのに困難であることが感じ取れます。
それに加え、白糸台地の水田は棚田になっているため、水供給の困難に拍車をかけていました。
そこで、『通潤用水』という農業用水路が用いられます。
この水路は、円形分水ならびにここ通潤橋を経て白糸台地に入ります。その際、この橋を通る『上井手(うわいで)』、もう一つはこの橋の下を流れる五老ヶ滝川から取水する『下井手(しらいで)』を通ります。この2本の幹線水路で構成され、それらの水路の先は『分水』といわれる支線水路に分かれて台地の隅々に農業用水を送っているというわけです。その2つの水路と通潤橋が完成したことで、白糸台地の水田の面積は、文政9(1826)年まで約46k㎡あったのが明治15(1882)年には138k㎡と従来の3倍にまで広がったといいます。このように、白糸台地一帯における通潤橋の完成によって創られた環境と歴史、景観などとともに、当時の文化が生きる営みが今でも続けられているのです。
通潤橋から放出される水はここから流れ落ちます。
通潤橋は『サイフォンの原理』の仕組みをもとに応用した水路橋です。
自然に水が流れる通常の仕組みとは異なり、通潤橋の場合はこの吹き出し口を開栓すれば、水圧によって勢いよく水が吹き出します。
サイフォンの原理とは、高い位置の出発地点と低い位置の目的地点に液体を流す際、液体で満たされた管を使うことにより、出発地点よりも高い地点を通過することができる仕組みのことをいいます。簡単な例でいうと、灯油ポンプもはじめにポンプで管に灯油を満たしてしまえば、あとはポンプを使用しなくても勝手に灯油が流れる仕組みということになります。
サイフォンの原理を橋の仕組みに応用している通潤橋は、橋よりも高い位置にある2つの地区を結んでいるので、通潤橋で使われている仕組みは『逆サイフォン』という方式が用いられます。
また、当時はゴムのパッキンなどが無かった時代であるため、水漏れ対策には漆喰が用いられていました。石で作った管の継ぎ目に特殊な漆喰を施すことで水漏れを防ぐ工夫がなされています。そのため、通潤橋は完成から150年以上たっても、現役の水路橋として活用されているという証でもあるのです。
先人の知恵はこういう所にあったのですね・・・。
通潤橋の建築者である布田保之助は、ここ矢部地域の長を務めた行政の責任者でもありました(熊本藩時代の役職で言う『惣庄屋』)。
元来、布田家は数代にわたってこの矢部地域を治めてきた家系であり、保之助の父こと市平次も36歳という若さで逝去しましたが、矢部の開発と人々の生活の安定化を図ってきたのです。
そして、父の意志を引き継いだ保之助は、新田開発に乗り出します。その新田開発を目的として、用水路やため池などの整備を行い、更には道路や橋などの交通網の整備などが行われ、地域の実情に応じて数多くの開発事業を手掛けてきたのです。
【農業】用水・ため池(堤)22箇所
堰 12箇所
【交通】道路162箇所ならびに眼鏡橋3箇所
このような背景から矢部地域において保之助の恩恵を受けない村はなかったと言われるほどだったそうです。
その中でも、『白糸台地へ安定した農業用水の供給』すなわち通潤橋および通潤水路の建造こそ、保之助が手掛けた一番有名なエピソードであり、この逸話が今でも語り継がれています。
さて、通潤橋の見学を終えたところで、遅めの昼食となりました。
昼食は、地元の『矢部茶』を使用した茶そばをいただきます。矢部茶の香りが食欲を注ぎます。
なお、昼食を食べた後、帰路につくためクルマを空港まで走らせ、レンタカーを返却し、関東へ帰っていくのでありました・・・。
ビクティニ:これが最後の昼食だ。いただきます!・・・うまい!みんな、今回の旅はどうだったかな?
ミュウ:とても楽しかった!
ビクティニポンチョのピカチュウ:熊本にはいろんな名所が多くあるのは驚いたよ。特に熊本城なんかは迷子になりそうなぐらい広かったよ
トトロ:トトトロ~(楽しかった)
★高森湧水トンネル公園~通潤橋を見学時の映像★
というわけで、熊本空港に到着し、ここから飛行機で関東へ帰ります。
そして、今回の旅行記は今回で終わりとさせていただきます。皆さん、最後までの読んでいただき、ありがとうございました!
ビクティニ&ミュウ:ありがとう熊本!そして、復興がんばれ!!
『阿蘇カルデラをドライブ旅! 後篇』をお伝えしました。