みなさん、こんにちは。
今回は、GWに道東に行ってまいりました。
9:35 成田空港発 釧路行き MM591便
最近就航した格安でいけるピーチ航空で釧路へ向かいます。
関東から北海道へ行くのには羽田空港から行くのが一般的だったりするのですが、ピーチ航空で北海道へ行くとなると成田空港から出発するようです。ということで、自宅を早朝5時に出てJR武蔵野線と北総線(京成線)に乗り継いで8時頃に成田空港に到着。無事にMM591便に搭乗できました。
・・・さあ、2年ぶりにいざ北海道へ!
9:35に成田空港を発ったMM591便はだんだん関東から遠ざかり、北北東へ進んでいきます。関東平野の街並みが小さく見えます。
太平洋側の沿岸に沿いながら空の上を進んでいきます。関東から釧路まではだいぶ離れているので、下は海が広がっているでしょう。
成田空港を出発して1時間半あまり・・・。長い空の旅が終わり、ついに北海道の大陸が見えてきました。
大陸に上陸すると、飛行機は高度を落とし、たんちょう釧路空港に着陸します。
11:20 たんちょう釧路空港に到着。
ついに、2年ぶりに北海道の大地へやってきました。
この空港ではタンチョウやヒグマ、エゾシカのモニュメントが展示されています。
ビクティニ:とうとう道東まで来ちゃったな・・・。
ミュウ:2年ぶりだね・・・。
釧路空港から連絡バスに乗り継ぎ、釧路の市街地に到着しました。
ビクティニ:久々の釧路駅だ・・・。懐かしい・・・。
ミュウ:ここまで来るのに、長い旅だったからお腹が空いた・・・。
ビクティニ:確かこの辺に、自分で作る『勝手丼』が食べられるお店があったはず・・・。
釧路は、カニなどの海鮮ものがたくさんとれることで有名であり、こちらの『和商市場』では、毛ガニやタラバガニをはじめ、様々な海鮮物が売られています。中でも、『花咲ガニ』は、この地域でしかとれない非常に珍しいカニまで売られています。私は、あまりの珍しさについ購入し、自宅発送してもらいました(笑)
そして、釧路といえば『勝手丼』が名物です。
和商市場ではラーメンや海鮮の定食などが食事ができるお店もありますが、せっかく釧路に来たのなら、自分で好きなネタを選んで自分流の海鮮丼ができる『勝手丼』をいただきます。
勝手丼の丼はこちらの専用のお惣菜屋で注文できます。丼のご飯のサイズはお茶碗サイズから2.5人前分まで選択できます。また、オプションで花咲ガニのカニ汁やカニクリームコロッケなども販売されています。私は普通に1人前で注文し、カニ汁もいただきました。また、事前に和商市場のHPからクーポンの発券またはスマホでHPにのっているクーポンを見せれば10%割引してくれます。ちなみに酢飯にもできるとのことですが、私はそれを知らずに酢なしのご飯でいただいたのはちょっと惜しかったです・・・orz
ということで、自分なりにまぐろや甘海老、サーモン、ホタテ、そして花咲ガニなど、北海道ならではのネタを選択しました。
中にはウニなどの高級食材もありましたが、あまり多くのネタを注文するとそれ相応に値段が高くなり、ウニのような高級食材を注文しても高くなってしまい、あまり夢中になりすぎると2千円はオーバーしてしまうかもしれません(笑) そして、中にはクジラの肉(ミンククジラと思われる)もネタとして出ていました。
ビクティニ:おお、これが釧路名物の『勝手丼』か!クジラの肉まであるのは珍しい。うまい!(煉獄さん風)
ミュウ:厚焼き玉子も美味しい!
ゴンベ:花咲ガニもうまいっぺ!
シャワさん:カニ汁も花咲ガニか!カニの出汁が出ていてうまい!
JR釧路駅から路線バスで30分の場所に釧路湿原が一望できる代表的な『釧路市湿原展望台』があります。
この展望台では、釧路湿原についての歴史や成り立ち、そしてこの湿原に生息する生態系などを知ることができます。1階は売店とレストランのある無料施設となっていますが、2階は展示室、3階の展望室と屋上の展望台は有料施設で、屋上からは釧路湿原や連峰、釧路市の街並みが見れます。この展望台は昭和59(1984)年に建てられ、釧路湿原に生える『ヤチボウズ』をイメージしているのだそうです。
釧路市湿原展望台の周辺にある遊歩道のジオラマが展示されています。1周で歩くと2.5km、1時間弱が所要時間のようです。
釧路湿原はもちろんのこと、北海道の川ならどこにでもいるのがニジマスです。
ニジマスは明治10(1877)年にアメリカから日本へ移植されたのが最初とされていますが、北海道に移植され始めたのが大正に入って以来、次第に放流も行われるようになりました。全身をはじめ背びれ、脂びれ、尾びれなど、腹部を除く体の背側を中心に小黒点が散在し、側線(体の両側に線状に走るうろこ上に開口した小さな穴の列)に沿うように赤紫色、あるいは虹色の帯をもつのが特徴的なサケ科の仲間です。日本では本州はほとんど確認されていない一方で、北海道では自然繁殖していることから、日本で見られるニジマスは北海道がほとんどです。また、ニジマスは流れが緩い川を好み、北海道では流れの緩い川が多いことから、北海道はニジマスが育ちやすい環境でもあるのです。もともとは外来種であるため、本来であれば特定外来生物に指定されなければならないのではありますが、実際には国内で水産上重要種となっていることが考えられることから、あまり外来種であるという認識を持つ人は多くないようです。そして、ニジマスはサケ科魚類の中でも全国的に養殖や放流が盛んに行われているため、ニジマスは国内においても身近な存在になっていきました。ところが、近年では生態的影響を考慮しなければならなくなってきたことから、養殖関係や釣り用は別として、放流に関しては見直さなければならないかと思われます。ニジマスは昆虫やプランクトン、ヨコエビなどを餌とし、サケと同様、ムニエルや塩焼きなどの食卓に使われています。
釧路湿原で生息する魚類は、ニジマスやヤマベなどのサケ科が生息していますが、そのサケ科の中でも、一回り大きなサケ科の魚も存在します。
こちらの『イトウ』というサケ科の魚は、日本最大級の淡水魚にして『幻の魚』といわれています。これは獰猛な捕食の形容や極端に臆病という性格から、滅多に姿を見せないと考えられています。また、著しい減少から、絶滅危惧種IB類(近い将来に絶滅する可能性があるもの)に指定され、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストにも掲載されたのだそうです。
イトウの雌は6歳(60cm)を迎えた春に初めて産卵し、2千個の卵を生みます。産卵から約2ヶ月間で孵化され、1年後には7cm,さらに3年後には20cmほどに成長します。成熟するのには雄だと4年、雌だと6年ほどかかります。寿命は15~16年が長寿とされ、成熟した親魚は4月上旬から中旬にかけて支流に遡上、婚姻色の雄が雌をめぐって争います。雌は3cm以上の小石のある清流部で5~6回に分けて産卵します。また、サケは生涯に1回だけ産卵しますが、イトウは一生に何度も産卵するのです。イトウは体長10cmまでは陸の昆虫を食べますが、大きくなるとカエルやネズミ、ヘビなどを捕食します。
イトウは漢字で書くと『魚鬼』(魚へんに鬼と書く)と書きます。アイヌ語では『知来(チライ)』と呼ばれています。
釧路湿原といえば、タンチョウの生息地であることは有名です。
タンチョウは、春の3月から4月にかけては産卵をし、雄と雌が交代しながら約1ヶ月間、卵を温めます。5月になるとヒナが孵り、初夏から秋にかけて雌が子育てをします。そして、冬になると食料が少なくなるため、給餌場に道内から多くのタンチョウが集まります。そのため、釧路湿原では冬になるとタンチョウが必ずといっていいほど、頻繁に見かけるようになるのです。さらに年を越した2月頃には求愛活動をします。その時、タンチョウの華麗なダンスが見られます。これがいわゆる『求愛ダンス』であり、その儀式とともに親のタンチョウは自分で育てた子供のタンチョウを追い払う『子別れ』も見られることもあります。
タンチョウの餌はトンボやチョウなどの昆虫の他に、エゾアカガエルなどの両生類やブナなどの魚類を食べて暮らしています。また、冬期にタンチョウたちが集まる給餌場にはトウモロコシが餌として用意されます。
釧路湿原には、人間の活動によって海外から入ってきた生き物、いわゆる『外来種』が棲み着いています。
例えば、飼育場からミンクや食用のためにアメリカから持ち込んだウチダザリガニなどが繁殖し、次第に数を増やしているため、この湿原に生息する生き物や生態系に影響を与えています。そのことから、平成17(2005)年に『外来生物法』が制定され、外来種を取り除く活動が、この釧路湿原でも始まったといいます。
展望台の展示スペースには釧路湿原の野草を造花にして作った地元の方々のオブジェ作品まで展示されていました。
釧路湿原で見かけるのが、『ヤチボウズ』です。
ヤチボウズは、『スゲ』といわれる植物の根が集まったことで出来た植物(?)の1つです。中身は絡まったスゲの根や土が含まれ、その土の中には蟻や蜘蛛などの甲虫類、サンショウウオのすみかにもなっています。
このようなヤチボウズが見られるのは、釧路湿原だけでなく、道東の至る所で見られることがあります。
釧路湿原の歴史は、縄文時代から始まりました。
石器時代の終わりごろの縄文時代、太平洋からの海水が低地へ浸入したことで、いわゆる『縄文海進』がはじまり、約6千年前に『古釧路湾』ができたことで、その場所が現在の釧路湿原が成形されたと言われています。そのため、釧路湿原とその周辺の地層にはアサリやカキ、オオノガイなどの貝殻やその化石が発見されています。
縄文前期を過ぎた約4千年前、紀行が寒冷化したことで、海水が次第に水が退かれていきます。これを『縄文海退』といい、湾口に砂丘列が成形され始め、古釧路湾は汽水性の内湾や潟湖で成形されます。その場所の約3千年前には、次第に湿原へと変貌していきます。これがいわゆる『釧路湿原の原型』で、その湾跡には釧路川として、そしてその周辺の湖沼は、縄文期の海退によって湖ができた『海跡湖』が出来たのです。
縄文時代が終わった北海道では、古代国家が発展した本州とは違い、縄文以降も狩猟や採集、漁ろうなどを営んでいました。これは旧石器や縄文時代から続縄文・擦文を経てアイヌへ続きます。
擦文は平安のころとされ、雑穀や鉄の利用、方形住居など、本州の影響を強く受けた最後の土器文化であったのです。
釧路湿原は、日本で最初に『ラムサール条約湿地』として昭和55(1980)年に登録されました。
また、手つかずの大自然がそのまま残る湿原には、天然記念物、国設鳥獣保護区、国立公園特別保護地域になっています。特にこの湿原に生息するタンチョウは特別天然記念物とされ、それらの動植物も、非常に貴重なものであることから、『ラムサール条約』の登録湿地となった理由であります。そのため、国内はもちろんのこと、国際的にも人気が高いのです。
このようにラムサール条約に登録されているのは釧路湿原だけでなく、霧多布湿原や別寒辺牛湿原、サロベツ原野、阿寒湖、ウトナイ湖、風蓮湖など、北海道の至る自然で登録されています。
北海道の国立公園には、釧路湿原国立公園も含まれています。
これは湿原が釧路の市街地の近郊に位置しているため、市街地に近い国立公園としては非常に珍しい国立公園です。この公園の大部分がヨシの草原やハンノキ林などが生える低層湿原であり、太古から変わらぬ河川も、いかにも原始的かつ広大な水平的景観を醸し出しています。北海道における国立公園は、他にも阿寒国立公園をはじめ、支笏湖や洞爺湖、サロベツ、大雪山、そして知床も指定されています。北海道にはそれだけ国内有数の大自然が多く残されているということなんですね。
展望台の屋上に出ると、ジャングルのごとく、あたり一面に釧路湿原が広がっています。
行った時期が5月上旬とはいえ、湿原は枯れ木が目立ち、恰も本州の冬のような景色で若干寂しい感じです。まあ、これからの夏には所々に若葉が茂っていくのでしょうけれど・・・。
南側を見てみれば、釧路市の市街地も見えます。
こうして、見てみると釧路の街が湿原とこんなに近く感じるのが不思議な光景ですね。市街地の近郊に釧路湿原が広がるというのを考えれば、釧路は産業と自然が調和した街であるということを伺えます・・・。
展望台の脇からは、遊歩道が続いています。
この遊歩道は気軽に釧路湿原の自然を観察でき、また湿原が眺望できる散策路で、1周2.5キロメートルあり、1時間弱で釧路湿原の雰囲気を肌で感じ取ることができます。
釧路湿原は、国内で有数の湿地帯にして日本最大級の規模を誇っています。
その湿原を含む釧路湿原国立公園は、面積が約2万8千ヘクタール(約280k㎡)有しており、これは東京23区の総面積に匹敵する広さです。その広大な湿原に生えるヨシの草原やハンノキ林、釧路川とその周辺の支流や湖沼などが織りなす、水と植物の調和がとれている景観、さらにラムサール条約によって、タンチョウを始めとする貴重な水鳥の生息地として国際的に重要なものとされることから、国際的に高く評価されています。国内においても有数かつ貴重な自然の宝庫にして財産的価値があるものとして後世に受け継ぐべく、昭和62(1987)年7月31日に国内で28番目の国立公園に指定されました。
釧路市湿原展望台の周辺には遊歩道や木道が設けられており、釧路湿原で気軽にウォーキングができます。
この遊歩道は2.5kmもあるので、ゆっくり歩けば1時間で楽しめます。さらにバードウォッチングや植物の観察などでもっとじっくり見ながら散策するのなら1時間半か2時間あれば十分に散策できるでしょう。ただし、交通手段が路線バスの場合は、必ず最終バスの時刻をよく確認した方が良いです。
遊歩道は、木道が整備されているので、気軽に釧路湿原の自然の中にいるということを実感させます。所々に休憩所や休憩所があるところで、湿原の空気を吸ったり、あるいはバードウォッチングもできます。しかし、5月でも枯れ木の林のままなのがちょっと寂しく感じます。まるで晩秋か関東の冬のような感じです。
『こもれびの階段』では、迂回するよう緩い階段を下りながら湿原の自然を間近に観察できます。このあたりは野鳥のさえずりが聴こえそうな雰囲気ですが、この日はかなり静かで、野鳥は一羽もいません。夏なら葉っぱが茂り、鳥のさえずりで聴こえるのでしょうが、時期が時期なだけにまだ閑散としています。
釧路湿原の遊歩道には、ノビタキやアオジ、ゴジュウカラ、シジュウカラ、シマエナガなどの野鳥がこのあたりでくつろいでいるはずですが、野鳥の姿がなく、代わりにカラスが一羽だけ飛んで来たのは、ちょっとガッカリです・・・。
遊歩道の途中で小さなつり橋がありますが、寸又峡のつり橋と違って地面が低く、足場が広いので、歩きやすいです。ただ、柵の鎖が錆びかけているのがちょっと気になります・・・。そして、つり橋の向こうには分岐点が見えます。
ここからは、北斗遺跡や湿原探勝歩道方面へ向かう道が別れています。
この分岐点を左へ進むと遊歩道の続きですが、右へ進むと探勝歩道に出られます。他にもあおさぎ広場から探勝歩道へ出られますが、通行止めのようです。
先程の分岐点から探勝歩道方面への道を歩いていくと、いかにも湿原らしき沼が視界に現れました。
水と草・・・まさにここが釧路湿原の湿地帯です!
釧路湿原は日本一の広さを誇り、東西に約25キロメートル、南北に約36キロメートルくらいの約1万8千ha(約180万k㎡)の面積を持っています。
これはJR山手線の内面積の大きさに匹敵する広さです。
ヨシやスゲの湿原をはじめ、ミズゴケ湿原、ハンノキ林によって、四季折々の湿原が織りなされています。この湿原は、地表から深さ1~4メートルには泥炭層、さらにその下には、砂や泥、小石、貝の化石などが含まれる地層があるのが特徴的です。このような地層になったのは、かつてこの場所が海であったということを物語っているからなのです。
そして、その地層に含まれる『泥炭』は、湿原に生える植物が冷たい水に使った状態で分解せずに堆積したもので、釧路湿原では1年に1ミリの割合で積み重なっています。
釧路湿原は、釧路川やその支流、あるいは海跡湖や湖沼などで形成された湿地帯であり、その場所に湧き出る湧き水などでもこの湿原を潤しています。
この湿原はタンチョウやオジロワシなどの貴重な生き物が生息するだけでなく、湖沼や水たまりをよく覗き込めば、様々な昆虫に出くわすこともあります。中でも『トビケラ』という昆虫もこの湿原に生息する昆虫の1つで、この湿原でも約50種類が発見されています。この昆虫はチョウの仲間であるという共通点から、その祖先より約2億年前に分かれたものとされ、幼虫は水中で育ち、成虫になると陸上で生活します。このように、トビケラは釧路湿原における生態系の1つとされており、自然界の食物連鎖によって、その幼虫は水中の魚の餌に、あるいは成虫も鳥や魚の餌にもなったりします。そのような生態系のサイクルによって重要な役割を果たしているということです。
湿原探勝歩道に入ると、道端にたくさんのヤチボウズが見られます。
まるでゲゲゲの鬼太郎か人間の髪の毛のような感じに見えます。
釧路湿原ではよく見られるヤチボウズは、スゲ類などの植物の根が大きな株をつくり、泥炭層の表面に突き出たものです。これらはひと朝ひと晩ではできるものでなく、四季の変化によってこのような形になるのです。秋になると葉は枯れて放射状に倒れますが、低温過湿な釧路湿原では微生物が活動できない環境であるため、枯れた状態で残ります。冬になると周辺の土壌は凍結し、春になるとともに雪解け水がその株周囲の土壌をえぐるように侵食し、なおかつその株の根を潤すことで、また新しい草や茎が発芽します。これを繰り返すことによって、このようにヤチボウズという株が生成されるのです。大きいものは40cm~50cmほどの高さになり、恰も人間の髪の毛のように見えることから、谷地(ヤチ)はいわばアイヌ語でいう『湿地の坊主』ということで、『ヤチボウズ』と呼ばれるようになったのです。
ヤチボウズの中身には、蟻や蜘蛛などの虫が棲み着き、冬はサンショウウオが越冬のために、この株の中に入り込んでいたりします。これらの株の中で生き物たちの活動が感じられるのも、この湿原における生態系そのものでもあります。
釧路湿原では、『ヤチマナコ』といわれる水たまりがスゲなどの植物に囲まれるように生成された沼として所々に点在しています。
和名でいうと『谷地眼』と書きますが、『谷地』はアイヌ語で『湿地』といわれ、いわゆる湿地に壺状に大きく開いた底なし沼のことで、一歩間違えればヤチマナコに転落してしまう恐れがあります。ヤチマナコの深さは数メートルあり、落ちてしまうと抜け出せなくなってしまうので、遊歩道や探索歩道を歩くときは十分に注意しなければなりません。
ヤチマナコがこのように生成されるのは次のことが考えられます。
- この湿原に流れる小さな流れは、次第に植物に覆われ埋まっていくが、蛇行するカーブの部分が比較的幅が広いため、水たまりとして残る。
- 泥炭の中を浸透する水が湧き出す場所に小さな水たまりができることで、その水たまりの周囲に堆積していた泥炭が地下水の流れによってえぐり流され、壺型の池ができる。
このように釧路湿原の底なし沼としてできるのはとてもミステリアスですね。
ちなみにヤチマナコの池塘には、ヤチウグイやトゲウオ(イトヨ)などの小魚、あるいはマルタニシなどの貝類が生息しています。そして、ヤチマナコの水に泥炭が含まれているため水温が暖かく、真冬でも+5~6℃、あるいは10℃以上になることもあります。そのため、これらの生物は冬場でも生息でき、タンチョウたちにとっても格好の餌場にもなったりするのです。
大昔の釧路湿原には、縄文から擦文(さつもん)時代に亘る重複遺跡の機構が眠っています。
このあたりでは、旧石器時代に焚き火をした跡をはじめ、縄文時代の住居跡や貝塚、あるいは擦文時代の住居跡などが今でも残されているといいます。特に擦文時代に使われたであろう鉄器や繊維、はた織具の一部分、栽培植物の種子などが出土されています。それらを含んだ遺跡は、釧路湿原における最大規模かつ重要なものとして、国の指定史跡にもなっています。
約2万年前の釧路湿原は、氷河期ということもあり現在より気温が低く、その当時の界面が100メートルほど低かったため、まだ陸地だったのですが、約6千年前には気温の上昇とともに太平洋からの海進によって、この場所は海に覆われていったのです。そのため、かつてこの場所は『古釧路湾』の一部分であったことが窺えます。さらに気温の低下とともに徐々に海水が退かれ、古釧路湾のあった場所に砂丘が発達し、河川から流れた土砂などが流れ込んだことで、次第に湾を埋めていきました。このように海退が進んでいく中で、湾内の西側が隆起、東側は沈み込む地盤変化ができたことで、塘路湖などの海跡湖がいくつか生成され、現在の釧路湿原となったということです。
湿原遊歩道の道端や林の間にも様々な植物が生えており、このあたりは『バイケイソウ』や『エゾエンゴサク』などが生えています。その中でひときわ目立つのが『バイケイソウ』です。楕円形の大きな葉っぱが特徴で、初夏の6月頃には緑白色の花を咲かせます。一見ミズバショウのように見えますが、実は毒のある植物なのです。その草を誤食してしまうと、嘔吐や下痢、手足のしびれ、めまいなどの症状が現れ、最悪の場合が死亡してしまうことがあるほど危険な植物なのです。このような植物は釧路湿原のように湿った場所に生えていたりするので、もしヒグマなどが誤食すれば間違いなく倒れてしまうでしょう・・・。
道端に生えている『エゾエンゴサク』は、北海道ならどこでも見られる他、東北地方でも見られる植物です。釧路湿原に生える植物の1つで、春の4~5月にかけて花を咲かせ、開花後はは地上部か枯れて根だけになり、秋や冬にかけて休眠し、春になるとまた発芽するという春にしか活動しない植物です。『エゾエンゴサク』は雪解け後の林地帯に真っ先に咲き始め、その花の色は変異であるため、淡い青があれば紫色、赤紫、ピンク、純白色などの多彩な花を咲かせます。道東では、釧路湿原の他に、知床などでも見ることができます。
サテライト展望台からは、広大な釧路湿原が目の前で広がります。
2万8千haもある釧路湿原は、日本一の広さを持つ湿原というだけあって、地平線の彼方までこの光景が続いています。夏になると、緑で彩られていかにも湿原らしい景色が見れるかと思いますが、まだ若葉が茂っていない湿原は、やっぱり寂しい印象です・・・。しかし、時々ウグイスの鳴き声が聴こえてくるので、春といえば春ですね。この展望台は東の方へ向いているので、この方角には塘路湖や釧路川、JR釧網本線の線路などがあります。
湿原遊歩道には様々な野鳥が生息するので、巣箱まで設けられています。でも、この日は野鳥の気配が無いのがちょっと残念ですが・・・orz
さて、遊歩道を散策した後は、展望台1階にある売店でソフトクリームが売られているので、おやつにいただきます。散策後は休憩の他にもお土産屋もあるので、記念になるものがあれば立ち寄ってみるのもいいでしょう。
ビクティニ:この辺にタンチョウが生息していると思って探してみたんだけど、タンチョウはおろか野鳥でさえもいなかった・・・。カラスしかいなかったよ・・・。
ミュウ:でもウグイスの鳴き声も聴こえてたじゃん(^^
さて、再び釧路市街に戻ってきました。
釧路市の名所で有名なのが『幣舞橋(ぬさまいばし)』です。
『幣舞橋』という名前がついたのは、アイヌ語で言う『ヌサ・オ・マイ(幣場の・ある・ところ)』が由来になったといわれています。
この橋は屈斜路湖や釧路湿原から流れる釧路川に架かる『北海道三大名橋』の1つとされています。明治22(1889)年に木橋としてかけられましたが、その橋は当時の道内においては最長の木橋だったようです。当時は『愛北橋』と呼ばれ、のちの明治33(1900)年に初代の幣舞橋として誕生します。そして現在の幣舞橋は初代から数えて五代目として昭和51(1976)年に建設されたものです。これは札幌の『豊平橋(とよひらばし)』、旭川の『旭橋』とともに北海道三大名橋といわれているということです。また、霧が出やすい夏には、霧に包まれた橋影や街頭の明かりで彩る、いかにも釧路らしい幻想的な光景であることから、『釧路十景』の1つとされ、『日本百名橋』にも指定されています。
これは翌朝に撮ったものですが、幣舞橋の欄干には4箇所の像が立っています。
欄干に立つ4箇所の像は『四季の像』といわれています。これらの像にはそれぞれ作者が違い、『春の像』は舟越保武氏、『夏の像』は佐藤忠良氏、『秋の像』は柳原義達氏、『冬の像』は本郷新氏によって造られたものです。
『幣舞橋』は夕日の名所として、知られています。
釧路は道内においても有数の夕日スポットであり、この橋も『世界三大夕日』の1つとして、世界的に有名になりました。
これは他の地域では見られない異国情緒な雰囲気に加え、夕日の表情も季節によって違ったりするので、どんな季節でも美しい夕日や夕暮れが美しいのです。港町で見る夕日とはいえ、あまりにも美しい夕日で、大自然が織りなす景観の素晴らしさから、『世界三大夕日』の1つとして評価されたといえるでしょう・・・。
ビクティニ:こんなに穏やかな夕暮れが見える港町はとても素敵だね・・・。ちょっと寒いけれど・・・。
ミュウ:空が曇ってなければ、きれいな夕日が見れたかもね。
釧路の夕暮れを見たところで、夕食にします。
釧路市街では、美味しいものが食べられるお店が結構ありますが、中でも釧路港近海でとれた海産物が豊富で、海鮮焼きや海鮮丼は釧路ならではの名物でもあります。
ビクティニ:そろそろ夕食の時間だ、釧路といえば海鮮丼や海鮮焼きが美味しいぞ。いただきま~す!海鮮丼も酢飯でうまい!
ミュウ:美味しい!
ゴンベ:いただきますだ~!うまいっぺ!特に海鮮焼きがうまい!
シャワさん:北海道といえばホタテがうまい!
にょろもう:いくらも美味しいよ!
作者:海鮮ものにはハイボールですな!
今回の道東旅で最初の宿、釧路プリンスホテルに宿泊します。やはり時期が時期なために、宿泊客もまばらでした。釧路の市街地にあるホテルでは売店があり、釧路のお土産や特産品などが購入できます。また、宿泊代も比較的リーズナブルなので、釧路や道東への旅行には気軽に利用できるかと思います。
ビクティニ:明日はノロッコ号とカヌーで川下り、そして釧網本線の旅だ。以前来たときは、ノロッコ号しか乗らなかったのに、今回は釧網本線の列車で網走まで乗り通すことになるから、長い旅になりそうだな・・・。
ミュウ:カヌーも久しぶりだよね・・・。明日はタンチョウが見れるかもね・・・?
『GW道東紀行1日目』終わり
2日目へ・・・