みなさん、こんにちは。
今回は大井川鉄道のSLとアプト式鉄道、そして、寸又峡温泉と夢の吊り橋まで行って参りました。
大井川鉄道の入り口である金谷駅へはJR東海道本線金谷駅からのアクセスになります。
大井川鉄道への乗り換えは雨の日でも、小さな乗り換え用の改札口があるので、いちいち出口に出なくても乗り換えができます。駅員さんに切符(フリーきっぷ)やSLの急行券を購入します。フリーきっぷは『大井川周遊きっぷ』『大井川本線フリーきっぷ(2日間3,500円)』『井川寸又峡周遊きっぷ(2日間2,100円)』『川根温泉ふれあいの泉クーポン(1日間のみ、金谷駅から1,840円 新金谷駅から1,660円)』などの種類があります。大井川鉄道を存分に楽しみたいなら『大井川周遊きっぷ』が最適かと思われます。そのフリーきっぷは有効期間が2日用(4,900円)と3日用(5,900円)があり、普通に土日を挟んで大井川鉄道のSLやアプト式を楽しみたい人には2日用で十分に事足りるかと思います。3日用は土日祝、あるいは土日と有給休暇などを挟んだ連休などでSLやアプト式鉄道の乗車の他、SLや電車の撮影など、とことん大井川鉄道を満喫したい時におすすめです。
今回は2日用の『大井川周遊きっぷ』とSLの急行券を駅員さんから購入して、新金谷駅まで普通電車で行きます。ホームには元南海電車の21000系が停泊していました。
ビクティニ:この電車はとても古い電車だね。まるで昔の西武線に似ているね。
ミュウ:確かにそうかも。
新金谷駅にやって来ました。
この駅が、SL急行の始発駅になります。
ここはたくさんの機関車や客車、様々な電車たちが停泊しています。中でも、留置線で休んでいる旧型客車たちが目立ち、客車や機関車だけでなく他の電車たちも昭和生まれということもあり、あたかもタイムスリップしたような雰囲気が漂います。
新金谷駅の出口からすぐの所に『プラザロコ』があります。
ベンチが多く並べられ、SLの出発時間の待ち合わせや休憩などにちょうどいいでしょう。
かつて軽便鉄道で活躍した蒸気機関車や井川線で活躍した客車などが展示されている他、様々な蒸気機関車の模型も展示されています。
売店では大井川鉄道に関するグッズや静岡のおみやげなどが買えます。また、様々な駅弁も買えます。
ビクティニ:小さな機関車や客車が展示されている・・・。みんな本物の鉄道車両なのも、まるで博物館みたい。
ミュウ:売店では色々なお土産品が売られているね。静岡ということもあってお茶も売られているね。
井川線の客車は中に入ることができるのですが、行った時は例の病気の影響もあり、客車には入れないようです・・・。その代わり、鉄道写真家の中井精也さんが撮った沿線風景や大井川鉄道で活躍する車両たちの写真が展示されています。
プラザロコで展示されているSLの模型は日本のSLを中心に展示されています。
模型の他に、ジオラマや実際に使われていた蒸気機関車の計器や部品なども展示されています。
プラザロコの売店では、神社の絵馬に願い事を書くのと同じように、SLのボイラーに入れる『護摩木』に願い事を書くことができます。また、『滑らない砂』もお守りとして販売されています。いずれも島田市の智満寺にてご祈祷を受けたもので、新金谷駅のプラザロコや千頭駅の売店で購入できます。
『護摩木』は、願い事を書いてSLのボイラーで燃やすことで、煙は天に届き、天は食をいただくことでかわりに人に福を与える言われています。これは、燃焼中のSLのかまに願い事を書いた護摩木を入れると願い事が叶うそうです。
『滑らない砂』はSLや鉄道車両が勾配区間を走行する時の滑り止めに使われるものですが、これはSLが坂を走行する時にその砂をまくことで、安全運行を続けることができます。そのことにあやかって試験に落ちない(滑らない)という、どんな困難にも踏ん張ることができる縁起物と言われているからだそうです。
大井川鉄道といえば、SLが有名です。
大井川鉄道に所有しているSLは4形式5台を所有しており、そのうち4台が現役で活躍しています。
いずれも昭和初期(戦前)に製造されたものですが、同じSLでも機関車によっては形や種類はもちろん、それぞれのSLの汽笛の音も異なります。
当日のSL急行は『C11型』といわれる全国のローカル線や駅の入れ替え、貨物列車などで活躍した日本の花形のタンク機関車です。このSLはC11-190号機で、昭和15(1940)年に製造され、ほとんど九州で活躍し、一時期はお召し列車でも活躍しました。その後、昭和49(1974)年6月12日付で廃車になりましたが、熊本県八代市在住の方が引き取り、昭和53(1978)年から静態保存され、いつか復活を夢見て大切に保管されていたことから、大井川鉄道の関係者に目がつきました。平成13(2001)年6月19日に九州から大井川鉄道に搬送され、動態復元が施されました。そして、平成15(2003)年から動態保存が開始、今日でも元気に走る姿を見ることができます。C11-190号機はナンバープレートが緑色で、除煙板に大井川鉄道の社紋がついているのが特徴的です。
大井川鉄道のSL急行で使われる客車には昭和初期に製造された客車いわゆる『旧型客車』が使用されています。
これらの旧型客車は昭和10~20年代に製造されたもので、『オハ35形(戦前の客車)』が5両、『オハフ33形(車掌室付きの戦前の客車)』が2両、『スハフ42形(車掌室付きの戦後の客車)』と『オハ47形(戦後の客車)』がそれぞれ4両の合計15両が在籍しています。他にも日本ナショナルトラスト所有の『スハフ43形(特急用の客車)』が2両、『オハニ36形(通の客室と荷物室を持ち併せた荷物合造車)』もあります。
かつては全国の旧国鉄(今のJR)において急行列車からローカル線の客車列車まで様々な用途で使われていましたが、昭和末期には客車列車からの電車化で次第に減少し、現役から退きました。現在では、大井川鉄道のSL列車で貴重な旧型客車が現役姿で見られます。
大井川鉄道のSL急行『かわね路号』は、乗車券やフリーきっぷの他にSL急行券(820円)が必要になります。すべて指定席制で、もちろん、当日でも空席があれば乗車できますが、特に桜や紅葉シーズンなどは満席になることがあるので、どうしてもSL列車に乗るのなら、事前に予約されることをおすすめします。
大井川鉄道のSL列車といえば、駅弁が楽しみの1つです。
駅弁は、大井川や静岡ならではの食材を使った『大井川ふるさと弁当』が名物ですが、他にも様々な駅弁があります。中には北海道名物の『つぶ貝弁当』も用意されています。そして、駅弁と川根茶が相性が合います。
ビクティニ:汽車の旅の友には駅弁も隅には置けないね。いただきま~す!
ミュウ:つぶ貝があっさりしていて美味しい!
シャワさん:炊き込みご飯のような駅弁がうまい!(煉獄さん風)まるで峠の釜めしみたいだ。
ゴンベ:うんまいっぺ~!
★大井川鉄道のSLとアプト式鉄道★
新金谷駅を出発したSL急行は、1時間弱で千頭駅に到着します。千頭駅に到着すると、多くの観光客がSLにカメラを向けます。
この駅ではSLの点検や燃料・水の補給も行われます。それが行われた後、機関車は新金谷方面へ進行方向を変えるため、転車台へ向かいます。
ビクティニ:機関車は小さくても十分に蒸気機関車ならではの迫力が伝わっているね。
ミュウ:この後、燃料補給するのかな?
大井川鉄道の本線は、金谷駅から千頭駅まで39.5kmの距離があります。
大井川鉄道は大正14(1925)年に創立し、SLの運行日が日本一(以前は毎日SL運行されるほど)といわれることで有名ですが、もともとは大井川の電源開発における資材輸送などを目的に敷かれたものとされています。そのため、開業当初から貨物列車が多く運行されていたものと思われます。
本線は昭和6(1931)年に千頭駅まで開業しました。当初からSLによる運行がされていましたが、戦後の昭和24(1949)年には電化されます。大井川本線の終着駅は千頭駅ですが、ここは大井川鉄道の終点ではありません。実は井川線がまだこの先に続き、井川駅が大井川鉄道の終点になります。そう、大井川鉄道は井川線を含め、ダム建設などの電源開発の建設資材を運ぶための鉄道だったからなのです。そして、昭和51(1976)年には本線でSLが運行されるようになり、さらに最近では、夏や紅葉の時期などで『きかんしゃトーマス号』が運行されるようになります。また、本線の駅舎はほとんど開業当時から変わらぬ姿で残され、SLや客車も当時からの姿を保持され続けていることから、映画やドラマなどのロケにも使われているのだそうです。そのため、日本はもちろん、世界中からでも『昔ながらの鉄道風景』として注目されているのです。
大井川鉄道本線の終点である千頭駅から先は『南アルプスあぷとライン』こと井川線が井川駅まで25.5km続いています。
車両は本線より一回り小さいです。
以前は機関車が先頭に立ち、客車を引くスタイルでしたが、運転台のついた客車が先頭に立し、一番後ろからディーゼル機関車が押し上げるスタイルになっています。
井川線にも乗車してみましょう。
井川線の車内は天井が低く、身長170cmの私が身をかがめずに立つと頭を天井にぶつけてしまうほどです。
車掌さんは駅区間ごとに違う車両に乗り、忙しそうに安全確認や笛で発車合図をしています。井川線の駅案内の他に、沿線の名所や景色なども案内してくれます。
井川まで行く列車は1日に3~4本しかなく、中には、民家が指で数えられるぐらいしかない駅もあれば、人が全く住んでいない場所に駅があるいわゆる秘境駅も点在します。これは、井川線はもともと中部電力によるダム建設など、大井川の電源開発に携わる設備の建設資材を運搬するための専用鉄道、あるいは林業の木材輸送を目的として敷かれたものだからです。当初は762ミリでしたが、後に線路幅は本線やJR在来線と同様、1,067ミリに改軌されました。これは、建設資材を運ぶ際、木材や建設資材などを運搬する国鉄貨車が本線や井川線に直接乗り入れるのを前提に合わせたものと思われます。大井川ダムや井川ダムなどといった水力発電用のダムが完成すると、これまで中部電力が管理していた『専用鉄道』は、昭和34(1959)年に大井川鉄道が引き継ぎ、『井川線』として、旅客営業が開始されました。また、旅客の他に木材の運搬なども行われていましたが、今ではほとんど『観光鉄道』として存続しています。
デッキ付きの車両も連結されていますが、この日は結構雨が降っているので、デッキにいるとずぶ濡れになってしまうのでやめました。
ビクティニ:井川線からでも桜が見えるよ!
ミュウ:雨が降らなければもっといいのに・・・。
途中のアプトいちしろ駅では、『ED90形』というアプト式の電気機関車が列車の最後尾に連結されます。
この駅では電気機関車との連結作業を見学することができます。また、この駅にはトイレや自販機が用意されており、停車時間の合間に利用できます。ただし、乗り遅れにはご注意を(発車時間になると車掌さんが知らせてくれる場合があります)。
アプト式鉄道とは、線路の中央部に敷かれた『ラックレール』と『ピニオンギア』を噛み合わせることで、急勾配の坂を安全に上り下りする特殊な鉄道方式のことです。かつては旧国鉄の信越本線横川駅~軽井沢駅では『アプト式鉄道』が採用されましたが、構造上、所要時間がかかることから、昭和38(1963)年に粘着運転へシフトされたことで、一度廃止になります。そして平成2(1990)年、井川線の線路切り替えによってアプト式鉄道が27年ぶりに復活し、日本で唯一のアプト式鉄道となったのです。
また、この駅から長島ダム駅へは旧線の廃線跡を使ったハイキングコースになっています。ただ、途中のトンネル(ミステリートンネル)には照明がないため、自分で懐中電灯を事前に用意するか、あるいはこの駅で懐中電灯をレンタルしないと大変です。旧線のトンネルを抜けるとキャンプ場と長島ダムへ出られます。
井川線のアプト区間は、90‰(パーミル)を持つ日本の鉄道で最大の急勾配です。
90‰は1kmの距離に対し、90メートルの高低差を進むことを意味しています。
なぜ、このような急勾配が生じたのかというと、この先にある長島ダムの建設に伴い、かつてあった井川線の旧線が水没されることになったのです。そのため、このように別の場所に線路が敷かれることになり、これがいわゆる井川線の新線および観光の一環としてできたといわれています。井川線は基本的には非電化の路線ですが、アプト式鉄道のあるアプトいちしろ駅~長島ダム駅だけはアプト式の電気機関車のみが動力となるため、電化されています。また、他の区間と比べてラックピニオンレールで固定されているため、震動が少ないです。
アプトいちしろ駅から1つ目のトンネルをくぐると、大井川とこの線路の高低差が一気に高くなりました。
この高さや車内に乗っている時の傾斜が感じられることから、いかにも90‰の急勾配が急な坂かを物語っています。そして、この下に旧井川線の線路跡があるのですが、このあたりで線路跡が残っているのはキャンプ場までのようで、その先は完全に水没しています。
進行方向右側の車窓の正面には『長島ダム』が見えます。
長島ダムは高さ109メートル、堤頂長308メートルあります。
大井川水系に建てられたダムのほとんどが発電用ですが、この長島ダムは唯一の多目的ダムで、大井川流域に水道水を供給している他、工業用水や農業用水などの供給が行われています。また、このダムは唯一水力発電は行われません。
アプトいちしろ駅では標高396メートルだったのに対し、長島ダム駅に到着すると標高は485メートルまで上ってきました。1つの区間(1.5km)で高低差が89メートルも一気に上ってきたというのは驚きですね!
アプト式区間は長島ダム駅で終了し、アプト式機関車も切り離され、元の編成で進んでいきます。
進行方向右側には『接岨湖』が見えます。接岨湖は、先程も説明したように長島ダムの建設によって生じた、いわゆる人造湖です。この湖の底には旧井川線の線路が沈んでいるかと思われます。まるでかつてこの湖の底に線路が通っていたというのが考えられないくらいです。そして、この湖の中に消滅した駅『川根唐沢駅』や『犬間駅』も深い眠りについています。また、時期によっては地元の高校生たちによるカヌー競技がしばしば行われているそうです。
ひらんだ駅を発車すると右側の車窓には20枚ほど井川線沿線の景色や鉄道写真などが展示されていました。
トンネルを抜けると、『奥大井レインボーブリッジ』が見えてきます。
『奥大井レインボー』ブリッジは高さが70メートルあり、半島を挟むように2本の橋で接岨湖に架かっています。
東京にあるレインボーブリッジより先に『レインボーブリッジ』の愛称がつけられていますが、知名度的に東京のレインボーブリッジの方がメジャーだったりするので、こちらのレインボーブリッジは『奥大井レインボーブリッジ』の方が相応しいのかもしれません。また、レインボーブリッジの進行方向左側には旧井川線の線路が見えます。
小さな半島にぽつんと浮かぶ小さな駅は言わずもがな秘境駅で有名な『奥大井湖上駅』です。
奥大井湖上駅は我々が以前に星空観測ツアーでお世話になった駅ということもあり、いわゆる静岡県屈指の星空スポットにも選ばれていることなどから『Cool Japan Award 2019』に選ばれたことがあります。
文字通り湖に浮かぶような秘境駅で、この駅もアプト式鉄道と同様、長島ダムの建設によって誕生した秘境駅ですが、実は観光用の駅としてできたものです。ホームの脇には『風の忘れもの』という幸せを呼ぶ鐘があり、その脇に設置された『愛の鍵箱』に恋人同士が錠前をかけると永遠の愛が叶うといわれています。その錠前と鍵は千頭駅や奥泉駅、井川駅などで購入できます。最近では展望台にカフェまで併設され、湖上の絶景を眺めながら気軽に休憩や軽食が楽しめます。また、湖上駅から接岨峡温泉まではハイキングコースにもなっており、歩いていくこともできます(所要時間は50分ほど)。
列車は接阻峡温泉を過ぎると、大井川の渓谷はますます険しくなっていきます。
しばらく進むと、『尾盛駅』といわれる本当に何もない秘境駅があります。
この駅の周辺には民家などが一切無い上、道路さえもつながっていない、いわゆる真の秘境駅です。ホームは非常に簡素なもので、見ての通り殺伐な雰囲気を醸しています。では、なぜこんな場所に駅があるのかというと、かつては井川ダムの建設の作業者が常駐していた場所で、宿舎や小学校、そして医者も常駐していたといいます。しかし、井川ダムが昭和32(1957)年に完成すると、ここに住む人はいなくなり、一時期は林業による木材の運搬も行われていましたが、次第に1970年代のモータリゼーションの変化とともに完全に使われなくなったのです。
人が住んでいなければ乗客数もいない駅なら、本来は廃止するべきなのですが、実は廃止にできない理由があります。
それは、大井川上流部は古くから森林資源が豊富な場所であるからであり、その地域で切り出された木材は大井川の流れを利用し、下流へ運んでいた、いわゆる川狩りが行われました。しかし、大井川本流にダムや発電所が建設されることで、川狩りそのものができなくなってしまい、その後は木材の輸送は鉄道で行なうため、尾盛駅はダム建設作業員の居住地および木材の積み出しを目的とした駅として補償されることになりました。とはいえ、林業は安い輸入木材の普及とともに次第に衰退し、この駅から木材積み出しは行なわれなくなりましたが、それらの補償措置があることから廃止せずに今でも残っているそうです。そのため、林業や電源開発の作業者が利用したと思わしき廃屋などが処々で残っています。一時期は、秘境駅ブームにあやかり500人ほどの利用者がいたようですが、最近は降りる人は殆ど0に近いようです。
尾盛駅を過ぎると、『関の沢橋梁』を通過していきます。
『関の沢橋梁』は川底から71メートルという日本一の高さをもつ鉄道橋です。
上の写真をご覧いただくと、川底までは相当な高さであるということがお分かりいただけるかと思います。列車によっては観光停車することもありますが、高所恐怖症の人には足がすくむかもしれません。そして、この鉄橋は榛原郡川根本町と静岡市葵区の境界線になっています。ここから静岡市ということは、全国の県庁所在地の中でも相当な面積を誇っているということですね!
関の沢橋梁を通過すると静岡市葵区に入ると『閑蔵駅』に到着します。
この駅と井川駅だけは静岡市にある大井川鉄道の駅に数えられています。
この駅も秘境駅という風貌が出ていますが、ここは道路とつながっており、民家も少しながら点在するため、尾盛駅のような殺風景な感じではありません。千頭駅から出ている路線バスもここまで乗り入れています。出口から道路の方へ歩くとバス停があり、『やまじゅう商店』という売店もあります。
このあと我々は、千頭行き列車で奥泉駅まで乗り、寸又峡温泉へ行くバスに乗り換えとなるのですが、我々の他に数名の乗客もいました。
ビクティニ:完全に山深い場所まで来てしまったね、ここまで来るのは初めてかも。まるで別世界みたい。ここが静岡市なのはちょっと違和感が・・・。
ミュウ:さっきの鉄橋はすごかったね。
閑蔵駅から先はようやく大井川鉄道の終点である井川駅ですが、ここから井川駅までの距離はかなり長く、断崖絶壁の中を進むことになります。しかも、閑蔵駅から井川駅までの距離はなんと5kmと井川線の駅間としては最長です。また、閑蔵駅は標高が578メートルなのに対し、井川駅は686メートルと駅間の高低差も108メートルと一番大きいです。道中の車窓からは南アルプスの山々が見渡せ、『接岨峡』といわれる大井川の渓谷もさらに深くなり、見ごたえもあるのではないかと思います。
奥泉駅に戻ってきました。
ここから寸又峡温泉へ行くバスに乗り換えるため、待合室で待機しますが、この日はかなり雨が降っているため、路線バスが動かないとのこと。これは参りました・・・orz そこで仕方なくこれから寸又峡温泉に泊まるであろう旅行者に自分たちも含めて宿の方に迎えに来てもらうことになりました。
ビクティニ:まさか、こんなことになるとは・・・。天気って恐ろしい・・・(~_~;)
ミュウ:旅行する上で一番気をつけないといけないのは、交通がどうたらでもなく、天気だったりするんだよね・・・。
作者:そういえば、去年の連続的な大雨で九州の鉄橋がやられたんだっけか・・・。
奥泉駅の待合室には貴重な旧線時代の井川線の写真が飾られていました。
この写真は水没する前の井川線と川根唐沢駅で、SL列車によるイベントも行われていたんですね。この写真はおそらく昭和50~60年代のものかと思われます。
さて、そんなこんなで寸又峡温泉の旅館に到着しました。
本日、我々が宿泊した旅館は『翠紅館』さんにお世話になります。寸又峡温泉は千頭駅から路線バスで40分ほど、奥泉駅からは30分ほどのアクセスです。ただ、奥泉駅と寸又峡温泉まで唯一行ける県道77号線は1車線分しかないほど道が狭く、断崖絶壁の道を通るため、運転に自信がなければ路線バスでのアクセスが望ましいでしょう。
その温泉自体が見つかったのが明治22(1889)年のことで、その源泉のあった場所に湯山温泉として開発されたものの、大間ダムの建設とともにその源泉は水没されてしまいます。その後、昭和32(1932)年に別の場所で源泉が見つかり、南アルプスの登山客などにも利用されましたが、昭和37(1962)年に湯山(大間川)から温泉街へ引湯したことから寸又峡温泉として全国的に有名になったのです。
寸又峡温泉は硫化水素系・単純硫黄泉で、とろみのある泉質なのが特徴的で別名『美女づくりの湯』といわれています。入浴後は肌を滑らかにするという性質を持っていることから、特に女性には人気があります。効能としては、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、うちみなど、様々な症状にも効きます。また、町営の露天風呂も完備され、日帰りでも都会の喧騒を忘れて気軽に天然温泉を満喫することができます。
ビクティニ:ここの温泉はとても快適に入れた。
ミュウ:山奥の温泉だからね。
寸又峡温泉の夕食は、とても豪華です。
献立はアマゴの塩焼きや猪鍋、湯葉、山菜などその他奥大井の食材をふんだんに使ったメニューで揃っています。やはり山奥ならではの野趣あふれる食材に舌鼓です。
ビクティニ:夕食も豪華だ!いただきま~す!うまい!
ミュウ:猪鍋もヘルシーで美味しい!
ゴンベ:うまいっぺ!
シャワさん:山菜をたくさん使っているね。うまい!
作者:地酒も最高!
『翠紅館』のロビーには夜間を炭火で沸かす囲炉裏も用意されています。この囲炉裏を見ていると、まるで故郷に帰ってきたように癒やされます。
寸又峡の朝はとても清々しいです。
寸又峡温泉から夢の吊り橋のある『寸又峡プロムナードコース』を散策してみましょう。
寸又峡温泉から夢の吊り橋へは徒歩で20分ほどで到達できます。そして、プロムナードコースを散策する所要時間は概ね1時間半が目安です。
ビクティニ:雨もやんだから、今日は夢の吊り橋まで行ってみよう。
ミュウ:本当だったら昨日に行きたかったけど、雨がすごかったからね・・・。
寸又峡には『夢の吊り橋』へ行く『プロムナードコース』の他に森林浴ができる『シャワーグリーンコース』や、気軽にハイキングができる『外森山ハイキングコース』もあります。
『外森山ハイキングコース』には外森神社と『天狗の落ちない大石』があり、特に『天狗の落ちない大石』は断崖絶壁な場所に立っているにも関わらず、絶妙なバランスでありながら落ちそうで落ちない石が石段の脇にそびえ立っています。その大石には、受験生や建築現場で働く人など、『落ちてはならない人々の守り神』として信仰されています。そして、受験や試験シーズンとなる1月や2月には『天狗の落ちない大石』の絵馬を外森神社に奉納するため多くの参拝者が訪れます。
静岡県屈指の秘境でもある『寸又峡』は、大間ダムのチンダル湖に架かる『夢の吊り橋』をはじめ、四季折々の景観、そして、ニホンザルやカモシカなどの野生動物も生息する大自然で、『21世紀に残したい日本の自然百選』などにも選ばれています。
寸又峡温泉はかつて『千頭森林鉄道』が通っていた場所でもあるため、このように森林鉄道の駅だったと思わしき建物が建っています。
温泉街から『夢の吊り橋』へは、このゲートをくぐり、道なりに進んだ場所にあります。見ての通り車両は通行不可で、ここからは徒歩のみとなります。
大井川源流部は南アルプスの大自然に囲まれた環境で、人を引き寄せない環境です。
寸又峡も南アルプスの南麓に位置し、それらの源流部は日本国内において原生自然環境保全地域に指定されているのはわずか五箇所しかなく、そのうち寸又峡や大井川源流部もその1つです。しかも、本州では唯一の指定地であり、他の地域では縄文杉で有名な屋久島やはるか南にある南硫黄島、そして、北海道の十勝山脈や知床エリアが手つかずの状態で自然が残っているだけで、とても奇跡的なことだということが伺えます。ただ、最近ではJR東海による『リニア新幹線』を大井川源流部に通すため、トンネルの掘削工事が行われることから、大井川の水量減少が懸念されているようです。どうなることやら・・・。
寸又峡はとても深い谷に囲まれた環境で、春はヤマザクラ、夏は新緑、秋は紅葉、冬は枯れ木の風景が見られます。
この渓谷に流れる寸又川は大井川の支流の1つで、岸壁から湧き出る天然水が大小の滝として流れ落ちています。この遊歩道も処々で天然水が湧き出ており、一部が湧き水で水浸しになっている箇所がありました。また、寸又峡は朝日岳や沢口山、前黒法師岳など(寸又三山)に挑戦する登山者も訪れます。
遊歩道から見下ろしてみると、『夢の吊り橋』とはまた別の吊橋がかかっています。あれは『猿並橋』という吊橋で温泉街から朝日岳の登山口として使われています。しかし、観光用である『夢の吊り橋』とは違い、あの吊橋の先は登山道になっているため、観光客は入れません。
遊歩道をしばらく進んでいくと、天子トンネルが見えます。
このトンネルを通れば大間ダム湖と『夢の吊り橋』への道が見えてくるはずです。天子トンネルの手前にトイレがありますが、ここから先はトイレはないので、事前に済ましておくといいのかもしれません。
さて、トンネルを抜けた所で、分岐点が見えてきました。右の下り坂が『夢の吊り橋』への道になります。
切り立った深い谷底に大規模な人工物が見えるのが、中部電力『大間ダム』です。
大井川水系には、たくさんダムが建てられていますが、長島ダム以外に建てられたダムは発電用を目的に建てられたもので、大井川本流以外に寸又川でも3箇所ダムが建てられました。『大間ダム』もその1つです。
このように、寸又峡でも井川線と似たような専用軌道が通っており、その鉄道もかつては中部電力の前身である富士電力の専用線として敷かれていたのです。そして、寸又峡は深い谷で、河川の傾斜が急であることから、水力発電を行うのに適した環境でもあります。そのため、井川線と同じように大間ダム、さらにこの先にある千頭ダムなどの建設資材を運んでいたのです。後に『千頭森林鉄道』として昭和44(1969)年までこの場所に鉄道が通っていたということになります。
水力発電用のダムとは、ダム湖に溜まった水を取水し、発電所までの高低差を利用することで水圧を上げ、その勢いで発電用タービンを回転させて発電する方式です。
水力発電で用いられるダムにはいくつか種類があり、日本最大級を誇るダムと言われる『黒部ダム』は『アーチダム』に分類されますが、国内のほとんどは『重力式ダム』が用いられています。これはダム自体の重みで、水や土砂などの重みによる外力に耐えることができ、滑り出しや倒れることなどがないほど安全性に優れていることから、地震の多い日本では最適とされています。
『大間ダム』の場合、重力式のダムとして設計され、発電機は毎分100~1200回転で、発電量としては3千~1万8千ボルト、最大出力が1万6千500kw(常時380kw)で発電されています。また、放水される量が決まっており、大間ダムは毎秒0.6㎥(ドラム缶3本分)の量で河川維持されています。
切り立ったV字形の深い谷底には、『夢の吊り橋』が見えます。
ここを下っていくと『夢の吊り橋』まで近づけます。この高さから見ると、寸又峡がこんなに深い谷であるということが実感できるかと思います。
道なりに下っていくと『夢の吊り橋』に到着です。
『夢の吊り橋』は言わずもがな静岡県有数の景勝地にして寸又峡ならではの名所です。その知名度は日本のみならず、世界的にも『死ぬまでに渡りたい絶景の吊り橋』として認定されました。
しかし、本来ならチンダル現象になるはずのダム湖は、大雨が降った後なのにも関わらず、なぜか干上がっている上に水が濁っています。一体どういうことでしょうか・・・?
ちなみに大間ダムの湖の色が綺麗なのは、寸又川の水は川底が見えるほど無色透明で、わずかな微粒子が溶け込んだ水に日光などの光を当てると、その微粒子の影響で波長の短い青い光だけ反射され、波長の長い赤い光が吸収されることで、いわゆる『チンダル現象』が起こるからなのです。そのため、この湖は別名『チンダル湖』と呼ばれることがあります。
ビクティニ:せっかくきれいな湖と夢の吊り橋との景観が見たくて来たのに、こんなに干上がっている上に水まで濁っている・・・。残念・・・orz
ミュウ:昨日の大雨でこうなっちゃったのかな?
また、時期によっては、1時間以上も待ち時間ができるほど混雑することがあります。特にGWや夏休みなどでは多くの観光客や家族連れで混み合うことがあるため、混雑を避けるのなら、早朝に行くかシーズンオフなどに行かれるといいでしょう。
寸又峡のプロムナードコースは『夢の吊り橋』はもちろん、かつての千頭森林鉄道の軌道跡を利用した遊歩道や寸又峡ならではの四季折々の景観や野生動物の生態などが楽しめます。
このコースは当時の森林鉄道の名残りがある道床や『飛竜橋』、ダム湖、展望台など、寸又峡の自然を心行くまで散策するもので、運が良ければカモシカやニホンザルなどの野生動物が見られるのかもしれません。
『夢の吊り橋』は高さ8メートル、長さ90メートルを有する吊り橋です。
なぜ『夢の吊り橋』といわれているのかというと、橋の真ん中で願い事をすると恋が叶うという言い伝えがあることから、その名前になったそうです。しかし、私としてはダム湖によって醸し出される美しい湖と吊り橋の景観が見たかったです。
この吊り橋も含めて、大井川流域に暮らす人々は生活道としても使われていました。そして、かつての寸又峡は林業が盛んだった場所でもあり、この奥には林業用としてかけられた吊り橋も少なからず点在していたといいます。
作者:SNS映えしよう。でも、一眼やスマホを落としたら大変なことになるから落とさないように・・・。
ビクティニ:ぼくらは飛んでいるから落ちる心配はないよ(笑) ところで、ここからずっと北の方に『無想吊橋』というおっかない吊橋があるらしいんだけど、高さはなんと83メートル(あるいは100メートルか)で長さが144メートル、なんでも日本一、いや世界一危険な吊橋といわれているんだ・・・。その吊橋は林業用にかけられた他に登山道としても使われたものの、次第に崩壊が進んでいてもう使われなくなったんだよ。あれは高さというより雰囲気的に怖すぎる・・・。
ミュウ:なにそれ~?そんなにおっかない吊橋があったなんて・・・。昔の人って怖いもの知らずだったんだね・・・。
『夢の吊り橋』を渡り終えると、『木こり橋』や『くろう坂』、そして304段の『えっちら階段』が長い上り坂が続きます。私はまだ若いので一気に駆け上がりましたが、お年寄りの方にはちょっときついのかもしれません。また、途中で『やれやれどころ』のベンチがあり、休憩できるようになっています。
いくら遊歩道でも、野生動物が生息する秘境エリアであるため、突然石が落ちてこないとも限らないので、落石には十分に注意しなければなりません。
私が遊歩道を歩いていたら、なんとカモシカが倒れているのに気づき、びっくりしてしまいました。昨日の大雨で転落してしまったのか、落石に打たれたのでしょうか・・・。
尾崎坂展望台の方へ歩いていくと、かつて千頭森林鉄道で使われていた機関車や車両が展示されています。
機関車はディーゼル機関車というより、ガソリンカーのようです。
千頭森林鉄道は井川線と同じように、当初はダム建設の資材輸送を目的に大井川鉄道本線の全線開業とともに昭和6(1931)年に富士電力によって敷かれました。昭和10(1935)年にここから更に奥にある『千頭ダム』が完成し、『寸又川ダム』が昭和11(1936)年に『大間ダム』も昭和13(1938)年にそれぞれ完成すると、帝室林野局に無償譲渡され、のちに『千頭森林鉄道』となります。その後は林業の木材輸送やダムの維持管理などに転用され、寸又峡温泉へ運ぶ観光客専用の列車も運行されたようですが、昭和44(1969)年には廃止になりました。
そして、その名残りとして展示されている森林鉄道の車両こそ、まさにここに鉄道が通っていたということも物語っています。
尾崎坂展望台では、寸又峡の自然を肌で感じながら休憩することができます。
また、トイレはありませんが、自販機で飲み物を購入できます。この展望台からは、南アルプスの連峰がそびえ立つシルエットが眺望できます。また、この展望台から先は千頭ダムまで道が続いていますが、とても危険で観光客が入れるような道ではないため立ち入りは禁止されています。
さて、大間川に沿って歩いていくと『飛龍橋』が見えてきました。
深い渓谷にかかる鉄骨のアーチ橋は、井川線の関の沢橋梁に似ています。この橋もかつては森林鉄道の一部分だったもので、当初は吊り橋だったそうです。そのため、この橋も森林鉄道が通っていたという歴史を物語っています。しかし、高さが100メートルもある谷を吊り橋で鉄道を通すという発想は考えられませんね・・・(^^;
秘境の地である寸又峡でもヤマザクラなど、春になれば桜の開花も見ることができます。
ビクティニ:こんな山奥でも桜の花が綺麗だね。
ミュウ:しかも、秘境で桜が見られるのがラッキーかも。
『夢の吊り橋』の散策を終え、寸又峡温泉に戻ってきました。
寸又峡は『夢の吊り橋』だけでなく、『草履石公園』も整備されており、公園に咲く桜もとても綺麗に咲いておりました。
夢の吊り橋の遊歩道は、明かりなどは一切無いので、必ず日没までには戻らなければならないのです。日没後や暗い時間帯に行くと事故になりかねません。また、昨日のように大雨が降っているときも危険なので、夢の吊り橋を渡るのであれば、天気をよく把握してから行きましょう。
さて、寸又峡温泉と夢の吊り橋を楽しんだ所で、路線バスで千頭駅へ戻ります。
今度はSLの撮影を行うため、普通電車で駿河徳山駅へ向かいます。普通電車に乗るときも『フリーきっぷ』を活用します。
ところで、大井川鉄道はSLが観光の目玉ですが、普通電車も各私鉄から集めた中古電車ということもあり、譲渡車両によってそれぞれ個性があるので見ごたえがあります。
大井川鉄道で活躍する普通電車は、南海電鉄や近鉄、東急電鉄などから来た車両で、いずれも50年前のものということもあり、最新型電車にはない『古めかしさ』も売りのようです。過去には西武や京阪などの中古電車が走っていました。
駿河徳山駅で下車します。
大井川鉄道の普通電車はワンマン運転で運行されているため、駅員さんのいる金谷駅・新金谷駅・家山駅・千頭駅を除いてすべて無人駅です。そのため、駿河徳山駅も無人駅なので下車する時は一番前のドアに移動し、運転士さんにきっぷを見せて下車となります。
駿河徳山駅も含めて、ほとんどの駅舎は開業当時からほぼ変わらぬ姿で保たれています。特に隣の田野口駅では昭和時代の雰囲気を残す駅舎が開業当時のままで保たれていることから、『駅舎などを対象とするロケーション・サービス推進事業』のモデル駅としても活用され、映画やドラマなどのロケ地にもなっています。
駿河徳山駅の周辺を散策してみましょう。
駿河徳山は『枝垂れ桜』が咲く名所ですが、『家山の桜トンネル』と違って穴場の桜スポットだったりします。春になると川根高校の近くにある桜並木は桜の開花でピンク色に染まります。我々が訪れた時はほぼ満開に近い感じでした。
ビクティニ:ここの枝垂れ桜も見事な咲き具合だ!
ゴンベ:桜餅でも食べたいっぺ~。
散策をしていたら、SLを撮るのに最適な撮影スポットを見つけました!
春の大井川鉄道における撮影スポットとしてはまさにうってつけです。ということで、12:50頃にはここをSLが通過するはずなので、カメラを構えます。
そして・・・・。
ブォーーーーーーーーーッ!!!
遠くから汽笛が聴こえてきました!
これぞ、まさに春の大井川の風物詩、『桜とSL』です!
ピンク色に染まった桜の花と小川のせせらぎとともにSLが通過していきました。
春の大井川鉄道といえば、『家山の桜トンネル』がメジャーな撮影スポットですが、駿河徳山の桜とSLのコントラストがこれまた美しいです。SLは昨日と同様、『C11-190号機』です。
普通電車でも昔の電車であるため、桜とはよく合います。
普通電車は南海電鉄からやってきた旧南海21000系で、昭和33(1958)年に登場しました。かつては南海高野線で特急・急行で活躍し、『ズームカー』という愛称で付けられていました。平成9(1997)年に大井川鉄道へ譲渡され、普通電車として活躍しています。50年前の車両でも元気に活躍している姿を見ていると、まさに『動く鉄道博物館』のようです。
南海21000系の車内は転換クロスシートが使われています。
窓際には読書灯が付いた当時としては快適な仕様になっています。ただ、50年前の車両ということもあり、天井からの雨漏りもあってか、一部の座席が使えない感じになっているようです。普通電車とはいえ、当時物の仕様から考えれば、観光鉄道という印象が強いです。
ビクティニ:この電車は、だいぶ古いけれど、今でも元気に活躍しているのもすごいよね。
ミュウ:いつも乗る電車とは雰囲気が違うのもいいよね。
SLの撮影をした後は、帰りもSL列車に乗るため、千頭駅に戻ります。
千頭駅に着いた頃には、すでにSLが入れ替え準備をしていました。
千頭駅前にある食堂で昼食をいただきます。丼ものの頼もうと思ったら完売だったようなので、仕方なくラーメンを頂くことに。
ビクティニ:いただきます!
ゴンベ:うまいっぺ!
新金谷行きの運行に備え、転車台で方向を変えて、ホームの客車と連結したC11-190号機はすでに出発準備万端です。
14:55千頭発SL急行『かわね路号』新金谷行きは、大きな汽笛ともに千頭駅を出ました。
千頭行きのSLは上り坂でしたが、新金谷行きのSLは下り坂を進んでいきます。
千頭駅を出ると昔ながらの茶畑を3本の鉄橋を通過します。
駿河徳山駅を過ぎると、進行方向右側に大井川が流れています。
タイミングが合えば、車窓から見る茶畑と大井川の車窓はもちろん、春の大井川には桜の木も似合うものです。
ビクティニ:レトロな客車の車窓から大井川の景色や桜の開花が見れるのは、まさに春の大井川の風物詩でちょっと昭和にタイムスリップしたみたい・・・。
ミュウ:でも大井川って水の量が少ないね・・・。
途中で通過する田野口駅は開業当初と全く変わらぬ姿で保たれています。客車の車窓越しに写すと、まさに昭和へタイムスリップしたかのようです。
大井川本流で最大級の吊り橋『塩郷の吊り橋』が見えてきます。
長さが220メートル、高さが10メートルもあり、昭和7(1932)年にかけられました。正しくは『久野脇橋』といわれていますが、大抵は『塩郷の吊り橋』またの名を『恋金橋』という愛称で呼ばれています。
この吊り橋は、民家や県道、大井川、そしてSLが通過する大井川鉄道をまたぐようにかけられているというなかなかダイナミックな吊り橋です。最近では『水と緑の自然郷コース』というハイキングコースも整備されているようです。また、『世界の果てまでイッテQ』でイモトが渡った吊り橋としてTVでも紹介されています。
榛原郡川根本町と島田市の境界線に位置する『鵜山の七曲り』は、南アルプスから駿河湾へ流れる大井川が南東へ流れていくのに対して、地層が北東から南西へ流れたことで、川が南西へ曲がってしまい、このような現象が繰り返されていくうちに川底が掘り下げられ、曲がりが強くなり、『嵌入蛇行(かんにゅうだこう)』といわれる曲流れした川の形になりました。これがいわゆる『鵜山の七曲り』の典型であることから、静岡県の天然記念物に指定されています。
帰りのSL急行『かわね路号』は川根温泉笹間渡駅に停車します。
川根温泉笹間渡駅を発車すると、大井川鉄道で有名な鉄橋『大井川第一橋梁』を通過します。鉄橋の進行方向左側には『川根温泉』があり、日帰り入浴や宿泊ができます。
抜里駅周辺にはあたり一面茶畑が広がっています。
静岡県はお茶栽培が盛んで、このあたりでは『川根茶』が有名です。
『川根茶』は大井川流域の山間部斜面で育つことで、適度な苦さと渋みが味わえるバランスの良い静岡茶の1つです。江戸時代では、紀伊國屋文左衛門が木材の商売とともに持ち帰った川根茶を江戸では好評だったといわれています。
15:39家山駅に到着。
ここで普通電車と交換し、出発します。
家山駅も開業当時から変わらぬ木造駅舎と駅構内もレトロな雰囲気を醸しています。『家山の桜トンネル』もこの駅が最寄駅で、徒歩10分で桜トンネルがあり、桜とSLの撮影もできます。
家山駅を出発すると、進行方向右側には『桜トンネル』が見えてきます。
『家山の桜トンネル』は、静岡県の桜スポットの名所であり、毎年の3月下旬から4月上旬まで『桜まつり』が開催されます。約1kmも続く桜トンネルには樹齢約80年のソメイヨシノが約280本植えられており、静岡県の桜スポット第1位に選ばれるほど有名になりました。
ビクティニ:見事な咲きっぷりだね~!
ミュウ:さっきの徳山の桜とどっちが綺麗かな?
福用駅付近のS字カーブも、大井川鉄道で有名な撮影スポットで、線形の良いカーブを行くSLと茶畑のコントラストも絵になります。
大井川の下流にありながら、大井川鉄道本線で屈指の秘境駅ともいわれる神尾駅には、信楽焼のたぬきがたくさん並んでいます。
これは、人よりたぬきが多いということから、『神尾たぬき村』で親しまれています。たぬきの中には車掌姿になっているたぬきもいるのだとか。また、その駅名にあやかってPCゲーム『AIR』に登場する『神尾観鈴』と同名であることから、聖地として扱われ、『観鈴ノート』も置かれています。
神尾駅を通過すると、大井川から離れていき、これまで川沿いを走っていた車窓は徐々に平野に変貌していきます。
途中で、去年の令和2(2020)年11月12日に開業した『門出駅』を通過します。
新東名高速の島田金谷IC付近に大井川の交流拠点であるお茶と農業の体験型フードパーク『KADODE OOIGAWA』も開業し、お茶の体験をはじめ、地場産レストラン、カフェ、静岡ならではのお土産も勢揃いな空間です。また、かつてこの鉄道で活躍した『C11-312号機』も復元され、この施設で保存されています。こうして大井川鉄道に新駅ができたのは昭和60(1985)年に日切駅開業以来の35年ぶりです。また、それに合わせて、五和駅だった駅名を『合格駅』に改称されました。これは日切駅・合格駅・門出駅というように三つの縁起の良い駅名にすることで、新たな新名所にするという一環だそうです。
ビクティニ:なんか縁起が良さそうな駅名があるよ。これからの子どもたちには嬉しい出来事かもね。
ミュウ:確かに、去年は例の病気で進学や就職ができない学生たちが多かったから、その演技のいい駅名でコ×ナに打ち勝てばいいよね。
16:11新金谷駅に到着。
千頭駅を出発してから1時間弱のSL旅は新金谷駅でお別れです。
辛いご時世ながらSLの旅を通して、我々に勇気や希望を与えてくれました。そして、末永く大井川鉄道やSLの存続を心から祈るばかりです。
本当にありがとうございました!
ここまでのご精読、お疲れさまでした。
さて、尺が長くなりましたが、今回は春の大井川鉄道の旅をお送りしました。楽しくご覧いただけましたら、幸いでございます。
ビクティニ:みんな、例の病気に負けずにがんばろう!というわけで静岡旅でした!皆さん、ごきげんよう!
ミュウ:また、どこかでお会いしましょう!
ビクティニ&ミュウ:さようなら~!
『春の大井川鉄道&アプト式鉄道 静岡の名所“寸又峡”へ』をお伝えしました。