ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり、鉄道名所(景観路線や歴史ある鉄道スポットなど)スポットめぐりや風光明媚な鉄道旅、日本の観光地の歴史や景観めぐりなどを紹介するコーナーです。よろしゅうお願いします。

2023年 正月旅行 山陰・長崎方面 松江城と出雲大社と宍道湖と・・・

皆さん、こんにちは。

あけましておめでとうございます。

今回は、正月旅行に山陰の他に長崎方面へ旅行に行ってきました。

まずは、広島駅まで夜行バスで行き、更にそこから出雲か松江まで高速バスに乗り継いで進みます。広島から出雲や松江まで行くバスは、基本的には予約しなくても、席に空きがあれば、すぐに乗車できるはずです。当日は出雲市行きのバスに乗る予定だったですが、10時の便は・・・

なんと満席でした・・・orz

しかも、本来ならば10時バスを逃しても、次の12時発の出雲市行きのバスが出るはずなのですが、なんとコ×ナの影響で減便されているようで、10時発の次が13時半発だったので、出雲に着くのが夕方になってしまうと分かり、もうどうしようもないと思っていました。いい加減にしろコ×ナ(#・∀・)

・・・しかし、窓口で切符を買おうとした時、ちょうど10時発の松江行きのバスが1席だけキャンセルが出たようで、運良く乗車できました。

やはり乗り継ぎ予定のバスに乗る予定であれば、あらかじめ予約しておいた方がいいですね・・・。

あとは東京からも出雲や松江まで行く夜行バスが出ているということをタクシーの運転手さんから聞いた話で、初めて知りました。もし次に出雲へ行く機会があるなら、それで試して見ようと思います。それでも満席なようなら、従来の広島までバスで行き、そこから高速バスに乗り継ぐしかないですね。あとは芸備線や木次線で行くという方法もあり、それらの路線にも乗ってみたいですが、本数が非常に少なく、移動するだけでも少なくとも1日はかかるでしょう。ましてや冬季だとどうしても運休になってしまいがちなのが関の山です。特に木次線は雪が積もっただけで運休になってしまうのが致命的なので、あえて高速バスで移動するしかないのがほとんどです。

ということで、今回は冬季なので高速バスで山陰へ・・・。

 

松江城の入り口

ということで、松江にやってきました。

松江といえば、言わずもがな『松江城』が有名です。

正月ということもあり、入り口には門松が飾られています。

ビクティニ:本当はこの日に出雲へ行きたかったけれど、バスが満席だった関係で松江まで来ちゃった。

ビクティニポンチョのピカチュウ:しょうがない、とりあえず松江城を見よう。

 

松江城の井戸
松江城の入り口に入ってすぐの場所に『井戸跡』があります。

3.0m✕2.1mの長方形に、割石を積んで造られました。保護のために遺構の上に厚さ50cmほどの土が盛られています。かつてはここから井戸水を汲み出したりしたのでしょう。

 

松江城 馬溜(うまだまり)

ここは、『馬溜』といわれる一辺46メートルほどのほぼ正方形の平地です。

正面入り口である『大手騎門』、更に右側に曲がるとかつては鯱をつけた『大手門』がありました。西側にある高さ13メートルの高い石垣や、南・東側の石垣の端、さらに内側に高さ1メートルほどの石垣による土塁で、この平場を四方から守ってきたのです。この入口の形態は『枡形』といわれるもので、兵の侵入を防ぐことができたのです。また、出撃の際にここの『馬溜』に城兵を待機させ、隊形を変える機能も果たしていたようです。

先程の井戸は、馬蹄を洗うために使う水を汲み出すためのものと思われます。

 

松江城 太鼓櫓
松江城には、かつて五つの櫓が建っていたのです。

そのうち、『中櫓』、『太鼓櫓』、『南櫓』の三つが復元されています。

これは『太鼓櫓』という櫓で、明治8(1875)年に取り壊されてから平成13(2001)年、125年ぶりに復元しました。この櫓は、文字通り太鼓を打ち登城の時刻を知らせるために設けられたものです。

 

昼食
昼ごはんに出雲そばとしじみの炊き込みご飯をいただきます。

正月ということもあって、出雲そばを年越しそばとしていただくのですが、釜揚げで出雲そばをいただくのは初めてということもあり、蕎麦湯と一緒に味わえるので美味しかったです。

ビクティニ:やはり山陰の正月の年越しそばは出雲そばだよね

ビクティニポンチョのピカチュウ:しじみの炊き込みご飯もおいしいね!

くまモン:しじみの味噌汁もうまかばい!

 

松江神社に参拝
松江神社は松江城内にある神社です。

二の丸の興雲閣のすぐ隣りに位置し、松江城藩松平家の初代直政公のほかに徳川家光公、松江藩7代藩主治郷(はるさと)公、松江開府こと堀尾吉晴公を祀る神社です。明治10(1877)年、かつて西川津町の楽山に直政公を祀る楽山神社として創建されましたが、明治31(1898)年まで西尾町にあった松江東照宮を『家康公神霊社』と合祀し、その翌年にここ城山に移され『松江神社』に改名されました。

松江神社の境内には、本宮の他に福徳稲荷神社もあります。

ビクティニ:来年こそウクライナが平和になりますように・・・

ビクティニポンチョのピカチュウ:世界中が平和になりますように・・・

 

松江城 天守

松江のシンボルとも言うべき松江城は、天守が小さな丘の上にそびえ立つ国宝の山城です。

日本に現存する天守は全国的に12箇所しかなく、松江城もその1つです。

というのも、現存天守の定義としては、江戸時代あるいはそれ以前に建てられたもので、その当時から姿を維持し、現代に至って現存する特別な建造物のことを言います。松江城も現存天守として17世紀から存在し、築城から400年余り、彦根城や姫路城とならんで近世城郭最盛期を代表する天守として国宝に指定されています。

慶長16(1611)年に松江開府の祖こと堀尾吉晴公およびその孫で2代藩主の忠晴によって築かれたもので、堀尾氏および京極氏それぞれ1代の治政を経て、寛永15(1638)年に松平直政公が城主となり、それ以降、明治維新まで十代にわたり松平氏が城主として松江の地を司ったのです。

そして、山陰地方において唯一の現存天守としてはかなり貴重な城郭遺産で、昭和9(1934)年に国の史跡に指定されました。

松江城天守は昭和10(1935)年に、当時の国宝保存法に基づいて国宝の指定を受け、昭和25(1950)年には文化財保護法の施行から重要文化財となったものの、平成27(2015)年に改めて国宝に指定されています。

松江城の天守は、四重五階地下一階の構造を持ち、高さ30メートルあります。前面に設けられた附櫓、最上階から四方を見渡せる『複合式望楼型天守』で、他の城と比べると白壁が少なく、黒い厚板でおおわれた下見板張り、さらに石垣には『ごぼう積み』という方式が用いられているのが特徴です。

ビクティニ:今年の松江城は、雪が積もってなくていい感じ

ビクティニポンチョのピカチュウ:これが松江城か。真ん中だけ木造っぽいね

くまモン:熊本城は大火で焼き付かれてのちに建て替えられたけど、松江城はもとからあるんだモン

 

松江城の祈祷札
松江城の中に入ると、必ずと言っていいほど目にするのが『祈祷札』です。

松江城は、一度国宝の指定を受けたものの、63年ぶりに国宝指定されたお城です。

その証拠に、『祈祷札』が2枚見つかっています。いずれも「慶長十六年」と記され、その後の研究によると天守が慶長16年に完成していることが明確となったのです。更に、2階分の通し柱や包板の技法が用いられた特徴的な構造が見られるのも、天守技術において優れた技法が用いられた事例である証でもあります。

 

松江城 地階

松江城の地階は石垣に囲まれた階で、籠城に備えるための塩や物資などを保管するための役割を持っていました。そのことから、ここは『塩蔵』といわれていました。いわば、倉庫としての役割です。他にも、現存天守で唯一天守の中にある井戸が存在します。

地階には天守付近の防備を固め、死角をなくすために設けられた『附櫓』があります。

附櫓入り口上部と地階の南側に『石打棚』があり、侵入してきた敵を鉄砲で狙う時、足元を安定させるため、棚状の台として石垣の上に設けられています。こうすることで、天守の防御力を高められたのです。

 

松江城を支える包板の柱

包板の構造
松江城の天守を支える柱には、1~4面に木板を貼り、『鎹(かすがい)』や『鉄輪(かなわ)』で固定した『包板(つつみいた)』といわれる板を用いられています。

他の天守ではなかなか見られない構造で、この築城法も松江城ならではの特徴です。

天守にある総数308本のうち130本に施され、約3分の1以上がこの包板が用いられているということになります。これは、割れ隠しなど不良材の体裁を整えるためのものと考えられているのだそうです。

他にも、2階分を貫通する『通し柱』が中央にある階段の吹き抜け付近で見ることができます。

 

松江藩の壁画『将軍の名代を務めた松平直政』
松江城城内には、松江藩にまつわる壁画が展示されています。

壁画はすべてで20タイトルあり、それらのタイトルのうち8タイトルの壁画が展示されます。

随時展示替えが行われるため、日によって見れるタイトルが異なります。

それらの壁画は、昭和32(1957)年に開催された松江開府350年祭『松江藩政回顧展』のため、松江出身の画家・安達不傳(あだちふでん)が、松江藩に関わる主な出来事を描いたものです。

これは、『将軍の名代を務めた松平直政』というタイトルで、堀尾家2代、京極1代ののち、出雲国を拝領した徳川家康公の孫こと松平直政公は、霊元天皇の即位にあたり将軍こと徳川家綱公の名代として上洛、宮中へ参内したものです。直政は総勢6千人あまりの大行列で上京したとされます。

 

松江城の太鼓

この太鼓は、松江城二の丸にある太鼓櫓にあったもので、毎日登城の時刻になるとこの太鼓で知らせていたのです。また、非常呼集の際にも使われていたようです。

 

大坂の陣で初陣を飾る松平直政の像

これは、当時14歳の直政が真田信繁(幸村)が守る真田丸を攻める初陣姿で、重信は、その勇ましい姿に軍扇を投げ与えたといいます。

 

梁の上から立ち上がる柱
4階の四隅の梁から5階への隅柱が立ち上がっているのが見えます。

このような構造にすることで、上階の荷重を下階の柱が直接受けず、梁を通し横方向にずらしながら下に伝える構造になっています。このように通し柱をバランス良く配置することと合わせて長大な部材無しで、大規模な天守を築くことができます。このような構造が見れるのも松江城の特徴の1つともいえます。

 

最上階へ通づる階段

松江城の天守内部は、全体的に簡素な造りになっていますが、4階と最上階の5階には登城した藩主を迎えるため、下階にはないいくつかの特徴的な意匠が見られます。

5階へ通づる階段や階段開口部の手すり材には曲線や彫り込みなどの意匠が見られます。

 

松江城の最上階
松江城の最上階では住宅風な意匠が見られます。

柱はきれいに製材され、太さも均一に揃えられています。また、敷居の痕跡や鴨居が残されており、かつてはここに建具があったのではないかと考えられます。

そして、最上階には松江城が国宝に指定されたという指定書も展示されています。

 

松江城の天守から見る宍道湖
松江城の最上階からは宍道湖を望むことができます。

去年か2年前にもここから宍道湖を見ようとした時に、雪が降っていた記憶があります。この日は雪は降っていませんでしたが、天候は曇りのようです。

ビクティニ:ここから見る宍道湖は曇り空が案外似合うかもね

ビクティニポンチョのピカチュウ:まあ、ここは日本海沿いだもんね

 

松江城の保存に協力した人たち

松江城の沿革
慶長16年から松江の藩政を司ってきた松江城にも、時代の変化とともに姿を消しつつあったのです。

明治維新が浸透し始めると、日本の城は次第に撤去されていきます。むろん松江城も例外なく撤去されるという話も持ち上がるほどで、明治4年には松江城は廃城にされます。

木材は燃やされ、石材も取り壊され、元の松江城の姿はまさに消えつつあったのです。しかし、かつての松江藩士こと高城権八および出雲郡出東村(斐川町坂田)の豪農こと勝部本右衛門家の人たちがその危機をすくうことになったのです。当時、高城は銅山方役人、勝部家は銅山経営をしていたことから、彼らは親しい間柄でもあったといいます。そして、入札の際、責任者の斎藤大尉と出会い、入札額と同金額を納めるので「せめて天守だけでも残したい」という懇願します。天守閣の入札額は180円(現在でいう約68万円)だったそうです。

このような高城権八と勝部家の努力から松江城の天守閣は保存され、全国に残る12箇所の天守のうちの1つとして、そして国宝の城として今でも松江のシンボルとして輝いているのです。

 

松江城の石垣に刻まれた刻印
松江城の石垣にも、ちょっとした工夫がなされています。

これらの石垣には、『打込み接ぎ』といわれる工法が用いられています。石切場で切り出された石の平坦な面の角をたたきつき合わせやすくした積み方がほとんどで、松江城にも見られます。また、自然石やその割り石を積んだ『野面積み』や全面加工した『切り込み接ぎ』も一部に見られます。

そして、松江城の石垣をよく見てみると、分胴のような形をした記号が刻まれています。これは、築城者の堀尾家の紋なのです。分胴の形以外にも丸や星型、三角など様々な形が見られます。これらの刻印は、工事の分担や石切り場の区別、合わせ印など、土木工事をスムーズかつ組織的に行えるように付けられたものと考えられています。

 

一畑電車
ということで、今晩泊まる宿へ向かうために、一畑電車で出雲大社方面へ。

本来ならこの日に出雲大社参拝や日御碕を見たかったのですが、思わぬ減便で予定が変わり、松江で観光してから出雲大社へ行くような羽目に・・・。

ビクティニ:明日に出雲大社へ参拝しよう

ビクティニポンチョのピカチュウ:地方でよく見る短い電車なのが旅情あるよね

 

一畑電車から見る宍道湖の車窓
一畑電車の南側車窓からは、あたり一面に広がる宍道湖の景色が見れます。

また、途中にある一畑口駅でスイッチバックして進行方向が変わるところが見れるのも一畑電車ならではの見どころでもあります。

ビクティニ:やはり薄暗い感じの方が宍道湖らしくていい

ビクティニポンチョのピカチュウ:これが宍道湖なのね。とても広い湖だね

 

川跡駅
列車の行先によっては、川跡駅で乗り換えることになる場合があります。

例えば、先程乗ってきた電車が『電鉄出雲市行き』なので、出雲大社に行く場合はこの駅で乗り換えになります。なお、電鉄出雲市駅と出雲大社前駅は両者駅名が似ていますが、出雲市行きでは出雲大社へは行けません。なので、ここで出雲大社前行きの電車に乗り換えです。

なお、乗り換え時には構内踏切を渡る必要がありますが、接続時にはちゃんと乗り換えを待ってくれるので、慌てる必要はありません。

 

しまねっこ電車の車内
出雲大社前行きの電車が『しまねっこ電車』に当たりました。

座席の中央に座ったしまねっこが可愛らしいです。

車内の至る所にしまねっこの模様がまとっていて、全体的にほっこり感があります。

ビクティニ:しまねっこ電車に当たったのはラッキー♪

ビクティニポンチョのピカチュウ:しまねっこってかわいいよね

 

出雲大社前駅
松江しんじ湖駅から約1時間・・・出雲大社前駅に到着です。

さて、これから泊まる宿は、出雲大社や稲佐の浜から少し先に行った場所にあるはずなので、タクシーで向かうことになりました。この工程も、本当は路線バスで行きたかったんですがね・・・orz

ビクティニ:本当はここに行きたかったんだ。でも、さっきの広島駅から出る10時のバスを逃すと次が夕方の5時に到着するバスとか・・・。本来なら10時の次が12時発のバスで出雲に午後3時に着くはずだったのに・・・コ×ナめ~

ビクティニポンチョポンチョのピカチュウ:そんな事を言ってもしょうがないって。とりあえずタクシーを呼んで宿まで送ってもらおうよ

作者:そうですね。・・・とりあえずこの辺に公衆電話があるはずだから・・・(プルルル)あもしもし、今、大社駅前にいるんで、1台タクシーお願いします。

 

旅館『銀海』の部屋
ということで、大社駅前からタクシーで5分弱、旅館『銀海』に到着です。

この旅館は、出雲大社や稲佐の浜から県道29号で少し先に行った場所にあります。宿のロビーには何やら多くの荷物やら資料やらで、お世辞にも若干雑っぽく旅館というより民宿に近いかな・・・(^^; 

ただ、温泉もあり浴場はガラガラだったので、ゆっくりできました。また、夕食に出る魚料理が絶品だそうなので、あえて辺鄙ながら美味しい魚料理が堪能できる『銀海』さんにしました。

ビクティニ:何度も出雲に行ってきたけれど、ここまで海に近い旅館に泊まるのは初めてかも・・・

ビクティニポンチョのピカチュウ:なんでも魚料理が美味しいという理由で選んだんだって

 

www.jalan.net

 

まあ、確かに海の断崖にあるように辺鄙な場所にあるのですが、海に近いということもあり、魚料理もさぞかし美味しいはずです。旅館自体もまるで生活に使うようなものも見受けられましたが、なぜかあまり気にすること無く、むしろ田舎の家に帰ってきたかのようでさえも感じます。

 

『銀海』の夕食
さて、夕食の時間になったので、食堂へ。

すると・・・古い旅館とは裏腹に・・・

なんと豪華な海の幸が勢ぞろいではありませんか!

近海でとれた地魚のお造りをはじめ、カニに酢の物、鍋物、揚げ物、うなぎまで。どれも出雲ならではの磯料理が味わえます。

ビクティニ:スゲェ、こんなに豪華な魚料理は久しぶり!いただきます!・・・超うまい!!

ビクティニポンチョのピカチュウ:これは美味しいね、特に刺し身の盛り方がいいよね

くまモン:熊本の魚介も美味しいけど、出雲の魚もうまかばい!!

 

『銀海』の朝食

朝食は普通でしたが、刺し身や鯖の塩焼きが美味しかったです。

ビクティニ:朝食も魚が出て嬉しい!いただきます!うまい!

ビクティニポンチョのピカチュウ:卵焼きも美味しい!

くまモン:魚うまいかばい!

 

『銀海』のすぐ近くにバス停がある

もし、出雲の旅行で『銀海』という旅館に泊まる予定であれば、路線バスで『二俣』という停留所にて下車になります。ただ、ここを通る路線バスも本数が少ないので注意が必要です。

ということで、大晦日は日御碕へ向かうことにします。

 

日御碕へ向かう路線バス
出雲大社からは、日御碕方面へ行く路線バスが出ています。

日御碕へ向かう道中、進行方向左側に見える日本海と断崖の風景はとても絶景です。

このあたりは多くのカーブやトンネルが続きます。途中で集落が見えたり、ドライブインがあったり、展望台などが見えるといった車窓の変化を見るのも楽しいものです。途中のT字路では鷺浦方面へ続く道が分岐しています。

ビクティニ:日本海の景色が絶景!

ビクティニポンチョのピカチュウ:でも結構高い崖だね。それに日御碕への道は地味に長い・・・

 

バスの車窓から見る日御碕神社

日御碕に近づくと、日御碕神社の見える場所では観光停車してくれます。

この先にあるT字路では神社への道と灯台への道で分岐されています。日御碕神社へは、信号で右に曲がりループ線のように下った先にあります。

 

日御碕灯台

日御碕へやってきました。

以前、夕日を見るために日御碕にやってきたものですが、朝方に日御碕へやってきたのは初めてです。

やはり大きくそびえ立つ灯台と日本海の景観が絵になります。

本当なら夕焼けが似合う風景ですが、たまには青空の下で灯台を眺めてみるのも良いものです。

日御碕は、島根半島の最西端に位置する、断崖と日本海の絶景が見事な場所です。その岬にそびえる日御碕灯台は、明治36(1903)年に設けられた白く美しい灯台で、高さ43.6メートルある、日本最大級の石造りの灯台です。外壁には松江市美保関町から採掘された石材が用いられ、外壁と内壁の間に空間が設けられた、ちょっと特殊な灯台でもあります。光度は48万カンデラ、夜は約40km沖合でも照らすことができ、今日も海の安全を守っているのです。

 

出雲松島
断崖の地形を織りなす日御碕では、夕日の他に様々な奇岩や島々が見れるのも魅力的です。

『出雲松島』という、20以上ものの大小の島々が織りなす景観も良い絶景です。これらの島々は約1600万年前の火山活動によって地表を覆った流紋岩を、激しい波が侵食したことで成形されました。海岸ではホンダワラ類の海藻が生えており、カサゴやメバルなどの岩礁魚が生息しています。また、このあたりはブリやマダイの集まる海域で、釣りスポットにもなっています。実際、ここで釣りをしようとしている人を見かけました。

ビクティニ:やはり島根の絶景は最高に素晴らしい!

ビクティニポンチョのピカチュウ:すごい!こんなに見事な絶景は見たことがないよ!

 

日御碕灯台と日本海の絶景
日御碕灯台と雄大な日本海の絶景です。

ここは、灯台と海の夕日が撮れる絶好の場所です。

ビクティニ:灯台と日本海の夕日をここで見たかった・・・

ビクティニポンチョのピカチュウ:もし、夕方の時間にここに来たらきれいな夕日が見れたかもね・・・

 

日御碕の石碑

日御碕の夕日を詠んだ石碑も立っていました。

夕日に向かって念唱を唱えていたのでしょうか。

 

日御碕の石碑2

灯台の夕日には、神話を抱き寄せるという詩のようです。

夕日の見える日御碕はどんなに美しいかを思わせる詩ですね。

 

日御碕
日御碕と日本海の景観です。
ちょうど西側に位置しているので、まさしく夕日スポットです。

日御碕の海岸は、『柱状節理』といわれる、積み木を束ねたような岩石が見られます。約1600万年前に流出した溶岩の冷却収縮によって出来たものとされています。いわば、大昔の火山活動によって織りなされた景観ですね。ここも『島根半島・宍道湖中海ジオパーク』の代表的なスポットになっています。

ビクティニ:どこまでも広がる海の景色は心が洗われるな・・・

ビクティニポンチョのピカチュウ:断崖の地形にどこまでも続く海の景色・・・。夕日も見れたら最高なのにね・・・

くまモン:島も見えない海って迫力があるモン!天草の東シナ海みたいだモン!

 

日御碕 経島
小さな鳥居が立つ『経島』が見えます。

日御碕の西側にある小島で、天照大御神を祀る日沈宮(ひしずみのみや)があり、天暦2(948)年に日御碕神社に遷座しました。また、この島には、たくさんのウミネコが生息していることから、国の天然記念物に指定されています。あの島は日御碕神社の一部でもあります。

 

日御碕神社に参拝(日沉宮)

日御碕神社の楼門

日御碕に来たら、日御碕神社に参拝するのも忘れません。

竜宮城のような景観が日本海とよく似合います。

赤い楼門をくぐると、正面に『日沉宮(ひしずみのみや)』、右側の階段を上ると『神の宮』があります。日沉宮には天照大御神、神の宮には素戔嗚命(スサノオノミコト)が祀られています。いずれも平入りの本殿が唐破風向拝(からはふこうはい)付きの拝殿と続いた権現造りになっています。

現在の建物は、徳川家光公の命によって寛永14(1637)年に藩主京極忠高が着手、その7年後の寛永21(1644)年には藩主松平直政公によって完成しました。これらの神社は、桃山時代の面影を濃く残る貴重な神社建築として、重要文化財に指定されています。

天照大御神を祀る日沉宮は、素盞鳴命(スサノオノミコト)の御子、天葺根命(あめのふきねのみこと)が御崎の浜(青江の浜)に出かけた時、経島にある百枝(ももえ)の松に瑞光が輝いて天照大神の神託があったことから、その島に大神の奉斎しました。開化天皇2年、島の上に神殿を築き、これが『出雲国風土記』に載る『百枝槐(ももええにす)社』でもあるともいわれています。また、出雲は古くから『日が沈む聖地』として親しまれ、“伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん(伊勢神宮が『日の本の昼を守る』のに対し、日御碕神社は『日の本の夜を守る)』”にあるように、夜を守る神社としても親しまれています。

ビクティニ:来年は、戦争のない世界になりますように・・・

ビクティニポンチョのピカチュウ:来年こそはいい年になりますように・・・

 

日御碕名物イカ焼き

帰りもバスで出雲大社に戻り、参拝しようと思ってたら既にバスが出てしまったようで、次のバスが12時までないとのこと。とりあえずここでタクシーを呼んで出雲大社に送ってもらうしかありません。

日御碕神社の入り口にあるお土産屋で休憩&軽食にしました。タクシー待ちの合間にイカの浜焼きをいただきます。日御碕へ行くバスの本数として、昔はそれなりにあったようですが、今では地方ローカル線並みに少ないです・・・。

その後、店の主人さんといろいろお話しましたが、やはりここは地方なので、バスや鉄道は減便あるいは廃止になるのが関の山だということなのでしょうね・・・。

ビクティニ:イカ焼き美味しい!

ビクティニポンチョのピカチュウ:ここは出雲大社のはずれにあるからか静かだよね

 

出雲大社 神楽殿

日御碕からタクシーで移動し、出雲大社まで送ってもらいました。

日御碕から出雲大社の神楽殿前まで3千円弱かかりました・・・。バスの時刻をもっとよく調べておくべきでしたね・・・。

ということで、大晦日に出雲大社を参拝します。正月三日は混雑するので、大晦日のうちに参拝しておきます。

出雲大社は言わずもがな島根県を代表する神社です。

古くから“縁結びの神様”として信仰され、大国主大神(オオクニヌシオオカミ)が祀られています。

こちらの神楽殿は、かつて千家國造家(出雲大社宮司家)の大広間として使用されており、『風調館(ふうちょうかん)』と呼ばれていました。
明治に入ってから、出雲大社教が設立され、出雲大社教の神殿としても使用されています。現在では國造家大広間、並びに出雲大社・出雲大社教の神楽殿として御祈祷や結婚式をはじめ様々な祭事行事が執り行われています。また、神社建築としては珍しく正面破風にステンドグラス装飾が施されているのも特徴的です。

神楽殿に吊るされた大注連縄は、長さ約13メートル、重さ5.2トンに及ぶ日本最大の大注連縄で、数年に一度、新しい注連縄へ懸け替えられます。

ビクティニ:1年間、ぼくたちを守り続けてきた出雲大社にも正月参りといきましょうか。

ビクティニポンチョのピカチュウ:ぼくは出雲大社に参拝するの初めてなんだ。どんな願い事をしよう?

 

出雲大社 拝殿
さあ、2022年最後の日、出雲大社で大晦日参りをしましょう。

『拝殿』は出雲大社の顔とも言える存在で、大きな注連縄に大きな木造破風が特徴的です。

文字通り、たくさんの参拝者で賑わっています。

設計は、神社建築学の権威である福山敏男博士で、大社造と切妻造の折衷した様式となっています。屋根は銅版ですが、木曾檜材の木造建築で、建坪485.10平方メ-トル(約147坪)、高さ12.9メ-トルあります。

かつての拝殿は昭和28(1953)年5月に、不慮の火のために焼失してしまいましたが、すぐに最高の事業に着手し、全国の崇敬者によって昭和34(1959)年に総工費1億1千万円をかけ、戦後の本格的な木造建築として屈指の規模を誇る新拝殿が竣工し、現在に至っています。

今では、拝殿の前での参拝するもよし、あえてご祈祷を受けるもよしのパワースポットになっています。他にも古伝新嘗祭などのお祭りをはじめ、様々な奉納行事が行われています。もちろん、縁結び以外の願い事もOKです。

ビクティニ:来年も楽しく思い出ができる年になりますように・・・

ビクティニポンチョのピカチュウ:来年こそ日本が良くなりますように・・・

 

出雲大社摂社 氏社(うじのやしろ)
出雲大社の御本殿の周囲にはたくさんの摂末社があり、大国主大神にゆかりのある神々が祀られています。

これは。『氏社(うじのやしろ)』といわれる摂末社で、出雲大社の氏社は南側と北側の2箇所あり、ここは北側の氏社です。北側の氏社には、『天穂日命(アマノホヒノミコト)』が祀られています。

皇室の御祖先神であり、天照大御神の第二の御子神であり、出雲国造家の御祖先神であります。大国主大神の国譲り神話にあるように、天照大御神の御言葉によって、出雲大社へ大国主大神がお鎮まりになるとともに、その祭主としてお仕えになられました。

 

出雲大社のうさぎ
出雲大社の御本殿周りには、うさぎの像が見受けられます。

縁結びともいわれる出雲大社にうさぎと関係があるのには、古事記に記される『因幡の白うさぎ』にあるからです。一説によると、大国主大神が神々の従者として大袋を背負いながら因幡国へ赴かれている際、赤裸になって苦しんでいたうさぎに出会ったことから、治療され助けられたというエピソードがあるようです。

境内には、66羽のうさぎの石像があり、御本殿の裏側にあるうさぎ像と一緒に、自分の願い事を静かに祈ってみるのもいいでしょう。

ビクティニ:(世界から戦争がなくなりますように・・・)

ビクティニポンチョのピカチュウ:(ウクライナのみんなが安心して暮らせますように・・・)

 

素鵞社(そがのやしろ)

御本殿の裏側には八俣の大蛇退治で有名な素盞嗚尊が祀られています。天照大御神の弟神でもあり、また大国主大神の親神であられ、大神に国造りの大任を授けられています。

 

出雲名物 のどぐろの浜焼き

出雲大社の参道でのどぐろの浜焼きが売られていたので、それを購入しいただきました。

のどぐろは、山陰地方でとれる高級魚です。

ビクティニ:のどぐろうまい!焼き魚の香りがこれまた・・・

ビクティニポンチョのピカチュウ:おいしい!身がくずれるように脂が乗っているのがまた・・・

くまモン:うまかばい!!熊本でものどぐろとれないかモン

 

出雲割子そば

2回目の年越しそばとして、出雲割子そばもいただきました。

ビクティニ:大晦日の年越しそばに出雲そばだ!いただきます!うまい!

ビクティニポンチョのピカチュウ:割子そばもいいよね。おいしい

くまモン:ちょうどいい硬さでうまかばい!

 

出雲名物 ぜんざい
出雲大社の参拝後には抹茶ぜんざいもいただきました。

参拝後のおやつにはまさにうってつけです。

実は、出雲大社のある出雲市こそ『ぜんざい発祥の地』ともいわれ、全国から八百万の神様が出雲に集まる旧暦10月(神在月)には、古くから『神在祭(かみありさい)』という神事が開かれます。そこで振る舞われていたのが『神在餅(じんざいもち)』ともいわれています。

ビクティニ:参拝後は抹茶ぜんざいに限るな。・・・おいしい!やはり抹茶が一番!

くまモン:抹茶にぜんざい餅は見たことないモン!美味しいモン!

ビクティニポンチョのピカチュウ:おいしい!抹茶ぜんざいにほうじ茶や漬物が良く合う!

 

稲佐の浜
出雲大社から少し西側に行くと、稲佐の浜があります。

一昔前まではただの砂浜といわんばかりに殺風景な風景だった記憶がありますが、やはり観光地と言うだけあってか、最近はだいぶ整備が進んでいるようです。

稲佐の浜は、『国譲り・国引き神話』に登場する浜です。

ここは、夕方になると『夕日スポット』にもなったりします。

浜辺に一際目立つ『弁天島』が立っています。というのも、大国主大神と建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)が国譲りをしたという言い伝えがあるのです。そのため、ここから南にある『長浜海岸』は、国引きのときに、島を結ぶ綱になったという言い伝えがあるのだそうです。

また、稲佐の浜では、旧暦10月10日に全国の八百万の神々をお迎えする行事が行われます。

ビクティニ:久しぶりに稲佐の浜に来たけど、昔とはずいぶん違うね・・・

ビクティニポンチョのピカチュウ:砂浜の上に大きな岩が立っているよ!そして岩に飾られた鳥居が不思議だね・・・

作者:あれは『弁天島』といって、鳥居や祠などを建てた島のことをいうんだ

 

稲佐の浜に植えられた松林の苗

稲佐の浜には、松林の苗が植えられています。

一見すると景観を保つためのように見えますが、実はこの砂浜の内陸には住宅地が点在していることから、砂浜からの飛砂を防ぐために植えられているのだそうです。

 

宍道湖の夕日

山陰の夕日スポットの1つとして有名なのは、言わずもがな宍道湖です。

宍道湖は、周囲約45kmと全国で7位の大きさを誇り、約1万年前に形成されたとされています。

中海や境水道を介して日本海とつながっていることから淡水に海水が混じり、『汽水湖』となっています。そのため、淡水魚の他に海水魚が見られることもある魚類豊富な湖でもあります。また、しじみがとれることでも有名で、その量は国内最大級を誇ります。

古くから出雲の地に深く密接し、季節や時間で様々な表情を見せる美しい景観はまさに『日本百景』の一つに選ばれています。また、平成17(2005)年には『ラムサール条約』に登録され、『キンクロハジロ』をはじめ『スズガモ』や『マガン』などの野鳥が確認されています。

そして、晴れた日の夕方には美しい夕日が見られ、多くの人々を魅了しています。

宍道湖の夕日を撮るなら、嫁ヶ島や袖師地蔵のある『夕日スポット(とるぱ)』がおすすめです。もちろん、湖上遊覧船の『はくちょう号』から夕日を撮っても全然OKです!

この日は空が曇っていましたが、夕焼けだけは映っています。

ビクティニ:2022年最後の日もあっけなく終わったな・・・。来年こそは平和になっているといいな・・・。

ビクティニポンチョのピカチュウ:そういえば、来年でポケアニが終わるみたい・・・。寂しくなるな・・・。

 

玉造温泉に宿泊

大晦日には、去年と同じように玉造温泉に宿泊しました。

今年は『紺屋』さんという旅館に宿泊。思っていた以上に立派で、門松も立派に飾られています。

玉造温泉は奈良時代に開湯したとされ、大国主命とともに国造りをしたとされる少彦名命が発見したという言い伝えがあります。

『玉造』の名は、三種の神器の一つである、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)が、櫛明玉命(くしあかるだまのみこと)によってこの地で造られたことが由来となっています。

日本でも最古の歴史を持ち、天平時代の書物『出雲国土風土記』にも“いで湯に一度入ると容姿が端麗になり、再び入れば万病が治る”と綴られていることから、“神の湯”と呼ばれています。平安時代に入ると京の都にまでその噂が広まり、清少納言作『枕草子』にも“玉造”の名前が登場するほど有名になりました。

ビクティニ:さて、大晦日はここ玉造温泉で過ごします。夕食も豪華で、玉造の温泉は冗談抜きで最高だ

ビクティニポンチョのピカチュウ:ここが玉造温泉なんだね。雰囲気はとてもいい感じ!

 

玉造温泉の旅館ではウエルカムサービスとしてお抹茶を提供してくれる

玉造温泉の旅館にチェックインすると、旅館によってはお抹茶をウエルカムサービスとして提供されることもあります。

こういった山陰ならではのおもてなしは、とても嬉しいものです。

ビクティニ:チェックイン時にお抹茶がいただける旅館なんて最高!これだから山陰は大好きだ

ビクティニポンチョのピカチュウ:京都の旅館よりいい雰囲気かもね

くまモン:黒川温泉の旅館もいいけど、玉造温泉もいいモン!

 

旅館の飾り

旅館内には、わら細工が飾ってあります。

これらのわら細工には、地元の田んぼで育てたであろう稲わらで作られているようです。出雲大社の大注連縄が田んぼの稲わらが使われていたように、展示されているわら細工も出雲大社に奉納しているのだそうです。

これらの『祈り鶴亀』の作品は雲南市吉田町(旧吉田村)にて稲わら細工の技術を駆使し、地域のいやさかを祈って製作されたものだそうです。

 

旅館『紺屋』の大晦日夕食
さて、待ちに待った2022年最後の夕食です!

玉造温泉の旅館の夕食はとても豪華絢爛ですが、大晦日の夕食はかなり特別なものです。

山陰ならではの食材がふんだんに使われ、刺し身や釜飯、鍋物、陶板焼きなど、まさに温泉旅館らしい夕食です。この日は特別に伊勢海老や鮑の踊焼きも提供されました。

ビクティニ:今夜の夕食はとても豪華だ!いただきます!・・・・超うまい!!

ビクティニポンチョのピカチュウ:これはおいしそう!いただきます!・・・おいしい!

くまモン:伊勢海老に鮑もついてるモン!うまかばい!!

 

玉造温泉の旅館で年越し

温泉に入り、お部屋では紅白を見たり、昔のゲームで懐かしみながら過ごしました。

年越しには、お茶とお菓子を食べたりもしました。

ビクティニ:新年あけましておめでとう!!

ビクティニポンチョのピカチュウ:あけましておめでとう!!

くまモン:あけおめだモン!!

 

旅館『紺屋』の朝食
2023年最初の朝食です。

元旦らしく、おせち料理が出ました。おせちの他にお雑煮、刺し身、焼き魚など、玉造温泉の旅館ならではの豪華な朝食は最高に美味しかったです。中には、お寿司を模した和菓子もついていました。

ビクティニ:元旦のおせち料理も豪華だ!いただきます!・・・最高に美味しい!

ビクティニポンチョのピカチュウ:これは豪華絢爛だ!いただきます!・・・美味しい!

くまモン:うまかばい!島根のおせち料理も美味しいモン!おまけにしじみの味噌汁も出たモン!

 

元旦の玉造温泉
お正月の玉造温泉は、静かでいいものです。

旅館の玄関には門松が飾ってあるのが、またいい感じです。

ビクティニ:ありがとう玉造温泉。また泊まりに来るよ・・・

ビクティニポンチョのピカチュウ:おせち料理美味しかったよ。ありがとう

 

『松江城と出雲大社と宍道湖と・・・』をお送りしました