ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり、鉄道名所(景観路線や歴史ある鉄道スポットなど)スポットめぐりや風光明媚な鉄道旅、日本の観光地の歴史や景観めぐりなどを紹介するコーナーです。よろしゅうお願いします。

正月旅行 厳冬の山陰旅 広島の原爆ドームと平和記念公園を散策

みなさん、こんにちは。

世間はコロナ禍に悩まされる日々が続き、東京都での感染者数はとうとう1000人・・・いや2000人を越えてしまいました・・・。さらに特に感染者数が多いであろう首都圏1都3県に緊急事態宣言が発令されたようです。また、これまで出ていたGOTOキャンペーンもついには停止となってしまいました。とにかくいち早くワクチンが出来るのを祈りましょう・・・。

 

さて、今回は年末に山陰・山陽にいってきました。本当は広島から芸備線・木次線を通り、出雲まで行き、大晦日に夕日を観たかったのですが、大晦日には天候が大きく崩れてしまうようなので、少し予定を変えて、早めに出雲の夕日を拝めようと思います。まずは関東から夜行バスで広島まで行き、さらに出雲市へ行く高速バスに乗り継いで行きます。しかし、広島に到着した当日には次の出雲市駅行きの便まで時間があったので、少し広島市内を観光してから出雲へ参ります。

 

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補修工事中の原爆ドーム

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原爆ドームの石碑

訪問当時の原爆ドームには足場が組まれており、改修工事をされているようです。

令和2年9月頃から改修工事を始めたようで、ドーム部分の鋼材には被爆当時の焦げ茶色に再塗装されるそうです。また、煉瓦の目地や方立の補修、補強金具の補修も行われます。これは被災当時の姿を表現するためと思われます。

原爆ドームという建造物自体はまさに昭和20(1945)年8月6日当時に広島上空に落下された原子爆弾の惨禍を物語る上では非常に重要なものであることから、世界遺産として認定されています。この建造物は建築家のチェコ人ヤン・レツル氏の設計で大正4(1915)年に『広島県物産陳列館』として建てられました。当時の陳列館時代は広島県における物産の展示や販売、商工業に関する調査・相談などが主な目的とされ、美術展や博覧会などにも使用されていたといいます。その後は、県立商品陳列館および産業奨励館に改称し、さらなる業務の拡大が図られたものの、戦争の激化とともに業務が縮小化、土木関連会社などの官公庁の事務所として使用されていたのです。
そして昭和20年8月6日午前8時15分・・・米軍のB29爆撃機が、人類史上といわれる原子爆弾が投下、この建物の南東約160メートル地点、上空600メートルにて炸裂し、この建物と周辺の建物は大破・全焼し、多くの尊い命は失われました。しかし、爆風はほぼ垂直に働いていたことから一部は倒壊を免れ、最上部のドームは辛うじて鉄骨だけが残りました。そして、かつて産業奨励館だった建物の残骸は、その最上部のドーム跡の円蓋鉄骨の形状から『原爆ドーム』と呼ばれるようになったのです。
原爆ドームは、当初、『記念物』として残すべきか、あるいは『負の遺産』かつ被爆の悲惨な思い出が蘇るという懸念から取り壊すという考え方がありました。しかし、徐々に市街地の復興は進み、被爆建造物も撤去されていく中で、「保存をしよう」という声も次第に高まり、昭和41(1966)年、ついに広島市議会が原爆ドームの保存が決まりました。それを契機に保存工事のための募金活動が行われ、国内外の平和を願う多くの人々からの寄金により昭和42(1967)年に最初の保存工事が行われました。その後も、被災当時の原爆ドームの姿を後世に伝えるため、今日も保存工事が行われているのです。
そして、人類史上初とされる核兵器の恐ろしさを伝える歴史の貴重な遺産および核兵器の廃絶とともに世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑として残すべき存在であることから平成8(1996)年12月に世界遺産に登録されました。また、この原爆ドームとその周辺は文化財保護法による国の史跡に指定され、原爆ドームの保護も施されています。

 

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平和記念公園の折り鶴

 

平和記念公園や原爆ドーム周辺にはたくさんの折り鶴が見受けられます。

折り鶴は日本においては伝統的な文化とも言うべき折り紙の1つとされていますが、広島では『平和のシンボル』として考えられています。このように折り鶴が平和と結びつくものと考えられるようになったのは、実は被爆から10年後に白血病で亡くなった少女に関わっていると言われています。

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原爆の子の像
当時12歳だった少女は2歳の時に被災したものの、大きな傷もない、元気な子でした。ところがその9年後の昭和29(1954)年、突然病の兆しが現れ、翌年の2月に入院し、白血病と診断されました。少女は回復を祈って包み紙などで折り鶴を折り続けましたが、8ヶ月の闘病の末、昭和30(1960)年10月25日にはお亡くなりになりました。少女の死をきっかけに原爆の被災で亡くなった子どもたちの霊を慰めるため、『原爆の子の像』が建てられ、今日も国内外から年間約1千万枚の折り鶴が捧げられているのです。

 

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平和記念公園 平和の灯
平和記念公園には『平和の灯』が祀られています。水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器の廃絶および世界恒久平和を希求するために建立されました。
  1. 灯の点火 全国12宗派から寄せられた『宗教の火』、溶鉱炉などの全国の工場地帯から届けられた『産業の火』が昭和20(1945)年8月6日生まれの7人の広島の乙女によって点火されたものです。
  2. 燃え続ける火 この火は昭和39(1964)年8月1日に点火され続けて以来、50年経ってもずっと燃え続けています。これは「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっています。
  3. 広がる平和の灯 毎年、核兵器廃絶と被爆者援護の充実を訴え、広島県内の市町村を一周する「平和の灯火リレー」が行われます。また、平成6(1994)年、広島市で開催されたアジア競技大会の聖火に点火されるなど、各種行事における平和のシンボルとして採火されています。

 

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平和記念公園のカフェ

 

平和記念公園の原爆ドーム付近にはカフェがあり、とてもおしゃれです。スクランブルエッグと生ハムのサラダが美味しかったです。

ビクティニ:広島にこんな素敵なカフェがあるとは思わなかった。スクランブルエッグが濃厚で美味しい!

ミュウ:生ハムも美味しい!

tabelog.com

 

 

『広島の原爆ドームと平和記念公園を散策』をお伝えしました。