ビクティニと昔ロマンのブログ

好きなポケモンと旅行に出掛けたり、鉄道名所(景観路線や歴史ある鉄道スポットなど)スポットめぐりや風光明媚な鉄道旅、日本の観光地の歴史や景観めぐりなどを紹介するコーナーです。よろしゅうお願いします。

晩秋の碓氷峠を散歩

皆さんこんにちは。

今回は秋の碓氷峠を散歩してきました。

 

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碓氷峠 めがね橋(碓氷第三橋梁)

碓氷峠といえば、大きなレンガアーチの『めがね橋(碓氷第三橋梁)』が有名です。紅葉レンガ造りの大きなアーチ橋がとても絵になりますね。

ビクティニ:秋の碓氷峠は大きなレンガの橋と紅葉のコントラストが良く似合う・・・。

ミュウ:今日は天候に恵まれていてよかったね。

 

碓氷峠は群馬県と長野県の県境にあり、かつては江戸と信濃・北陸をむすぶ中山道の難所として昔から知られてきました。

その難所は高低差が500m以上あり、徒歩でこの峠を越えるのにははとても険しく、多くの旅人を苦しめてきたといいます。そこで、中山道に鉄道が敷かれることになったのです。しかし、勾配がとても急な碓氷峠に通すことになったことで、鉄道を通すのには困難を極めました。その峠に鉄道を通す上では、『ループ式』『スイッチバック式』『ケーブル式』などの案が検討されましたが、最終的には『アプト式』が採用されることになったのです。これは66.7パーミルという他では例のない急勾配を通る最短ルートとして開通されました。その路線は明治10(1893)年に上野~直江津を結ぶ『信越本線』として開業したもので、むろん、このめがね橋も旧信越本線の一部分として明治期に造られたものです。そのため、当時の土木建築としては主流であったレンガ造りになっています。
開業当初は海外から輸入された蒸気機関車で運行されましたが、ばい煙が酷かったこと、そしてアプト式ということもあり所要時間がとてつもなく掛かったことなどが災いとなったことで、後に電化され、電気機関車に交代します。しかし、いくら電化されてもアプト式のままでは速度が遅く、また特殊な構造ということもあり、信越本線のような主要路線には向いていなかったようです。そこで、めがね橋にあった旧信越本線とは別の場所に『新線』として敷かれることになり、昭和38(1963)年に完成し、『アプト式』は廃止となり、輸送形態はより効率の良い『粘着運転式』へ切り替わったのです。そして、さらなるスピードアップとともに平成9(1997)年、長野新幹線(のちの北陸新幹線)にバトンタッチし、碓氷峠を通る信越本線は旧線及び新線とともに、開業から104年にわたって歴史の幕を閉じました。このめがね橋こそ、かつては首都圏から信州・北陸への主要幹線を支えた貴重な遺構の1つで、当時の鉄道橋としての役目を今日も後世に伝えています。

 

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碓氷峠に架かる信越本線新線の橋梁

めがね橋の上からは、信越本線の新線跡が見えます。

めがね橋の上を通っていた線路には『アプト式』の鉄道、そしてめがね橋から更に奥にある新線は『粘着運転式』でこの峠を越えていました。新線の橋は比較的新しいコンクリートが用いられています。旧線跡の一部は遊歩道として整備されており、自由に散策はできますが、新線の方は立入禁止になっています。アプト式線路の中央に敷かれたラックレールと機関車に取り付けられた歯車を噛み合わせて急勾配を上り下りしやすくする特殊な方式です。しかし、その特殊さゆえにあまりスピードアップにつながらなかったことから、機関車の重量を利用した粘着式へシフトすることになったのです。

 

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旧線跡のトンネル

明治期に掘られた旧信越本線のトンネルもレンガ造りになっています。

トンネルの壁も竪穴も当時の状態のままで残っています。これらの遺構を見れば、かつてここに鉄道が通っていたということが想像できます。実はこの旧線が電化する際、電気を取り入れるための電線は線路のすぐ横に配置されていました。これは東京メトロ銀座線・丸ノ内線などと同様の『第三軌条方式』が採用されていたのです。

ビクティニ:昔はここに鉄道が通っていたとはねえ・・・。トンネルの壁もレンガ造りということもあって、歴史を感じさせられる・・・。

ミュウ:ところどころに煤がこびり付いているね・・・。

 

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晩秋の旧信越本線跡 アプトの道

歴史を感じさせるレンガ造りのトンネル晩秋の紅葉のコントラストはなかなか絵になりますね。

かつてここに鉄道が通っていた時代は、紅葉と列車、そしてレンガ造りのトンネルのコラボレーションはとても絵になったのでしょうね・・・。この遊歩道の周りには線路のバラストが残っている箇所がいくつかあり、いかにも昔は鉄道が通っていたということを確信させられます。ここがかつての幹線だったことを考えれば、鉄道の歴史が残る古道を散歩しているようなものですね。

ビクティニ:まるで廃線跡がダンジョンみたい(笑)

ミュウ:ほんとに冒険している気分だね。

 

 

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旧信越本線 新線跡

峠の湯付近が軽井沢方面へ続く旧線と新線の分岐点になっています。

この線路が平成9(1997)年まで使われ続けたということになるのですが、令和になった今でも列車が来そうなほどほぼきれいな状態で残っています。先程の旧線時代は単線でしたが、新線が完成し昭和41(1966)年に複線化されました。ここから先の下り坂が碓氷峠の最大の特徴とも言えるべき『66.7パーミルの急勾配』です。写真で見てみれば分かる通りとても急な勾配であることを物語っています。

 

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旧丸山変電所

旧丸山発電所は信越本線横川~軽井沢間が電化された明治45(1918)年に建てられたものです。

こちらの発電所もレンガ造りで、しかも建築当時はレンガ建築の最盛期に建てられたものであるため、純レンガが使用されています。当時としては鉄道における電気の最先端技術が導入され、これまで蒸気機関車で運行されていたその区間が電気機関車に交代すると、まさにこの発電所こそ碓氷峠を通過する鉄道を支える要的な存在になっていたのです。この施設には『蓄電室』が横川側、『機械室』は軽井沢側に配置された2棟構造になっており、機械室には450kwの回転変流機2基および500kVAの変圧器2基が設置され、そこで交流6600Vから直流650Vに変換し、線路に電力を供給していました。蓄電室には312個の蓄電池が配置されており、列車が通らない終電後などに充電され、列車通過時に放電して電力を送っていたのです。こうして、東京と信州・北陸を結ぶ幹線を支えた役目を果たしていたことで、鉄道遺産としては非常に重要なものと思わせます。そのため、平成6(1994)年12月27日に碓氷峠鉄道施設として国の重要文化財の指定を受けています。

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EF63型電気機関車

列車が66.7パーミルの急勾配を有する碓氷峠を越える列車には、必ず専用の機関車を連結する必要がありました。

というのも碓氷峠は列車がそのまま越えることができないほどとても困難な難所でした。そこで、列車が碓氷峠を通過できるようにするために、アプト式の機関車が用意されます。先程も説明したように、確かにアプト式でも峠を越えることは可能ですが、ラックピニオン式であるため、信越本線のような幹線にはとても不向きです。そこで、さらにスピーディーに峠を越えられるよう、粘着式の『EF63型電気機関車』が開発されるようになりました。この機関車は碓氷峠のような急勾配に対応できるよう、軸重18トンに加え、機関車整備重量が108トンという非常に超重量級で、ブレーキも通常ブレーキの他、電磁吸着ブレーキ過速度検知装置(OSR)を装備するなど、普通の機関車には無い機能が備わっています。これは、上野方面の列車を牽引する際、急勾配に対する速度の出しすぎの遠心力で転覆する恐れがあることから、かなり厳重に整備されているといえるでしょう。さらに客車列車の他に電車でも連結できるよう、双頭型両用連結器が装備されているのも特徴的です。また、列車に連結するときは必ず列車の高崎方面に2両連結して峠を越えていたのです。

 

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横川駅

碓氷峠を越える列車は、必ずこの駅に停車し、ここで峠越え専用の機関車に連結・切り離しを行っていました。

特に信州や北陸方面へ向かう特急列車をはじめ、普通列車寝台列車などの列車も例外なくこの駅で連結作業が行われ、列車が停車している合間にある駅弁で賑わっていたのだそうです。そして、信越本線の横川~軽井沢間に鉄道が開業して104年・・・。平成9(1997)年9月30日にはその区間が廃止となりました。それからというもの、横川駅から先の鉄道では行き止まりとなっていますが、軽井沢方面へは路線バスで行くことができます。

ビクティニ:その当時は多くの鉄道ファンや旅行客で賑わっていたのかもね・・・。

ミュウ:かつては主要路線だった路線も、今となってはローカル線だよね・・・。

 

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峠の釜めし『おぎのや』

そして横川駅といえば、『峠の釜めし弁当』が名物とされています。

列車の停車時間を利用してこの駅弁を駅構内で売ったりしていたのが、この路線が現役当時では風物詩とも言うべき光景だったのです。かつて信州や北陸へ旅行、あるいは帰郷などの列車旅をしてきた人なら、日課と言ってよいほどこの駅弁を愛しており、今でもこの駅弁を愛するファンも少なくありません。

ビクティニ:この駅弁を食べているとなんだか、この路線が現役だった頃にタイムスリップしたような気分・・・。いかにも昔ながらって感じで素朴・・・。

ゴンベ:うまいっぺ~!

 

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碓氷湖

アプトの道周辺では『碓氷湖』という人工湖があります。

この湖は中尾川と碓氷川の合流地点にダムが造られた時にせき止められてできた湖です。紅葉と湖のコントラストが美しく、碓氷峠(アプトの道)の散策がてら寄り道してみるのもいいでしょう。

 

★おまけ★

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碓氷峠 熊野神社

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神社境内に群馬県と長野県の県境

碓氷峠にある熊野神社は標高1200m群馬県長野県の県境に位置し、国内においても珍しい県境にある神社です。

県境に位置する神社ということもあり、長野県熊野皇大神社群馬県熊野神社二つの神社が一つの神社として鎮座されています。

 

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旧軽井沢銀座通り

旧軽井沢の銀座通りには数多くのお店が立ち並び、多くの観光客が集まっています。この時期はGOTOということもあり、いつもより多くの観光客が集まっています。お土産買い物や食事に立ち寄ってみては?

ビクティニ:ここでホットケーキに使うシロップやジャムを買ったよ。

ミュウ:プリンも美味しかった。

 

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三笠ホテルカレーパン

また、旧軽井沢には三笠ホテルのカレーパンが美味しいことでも有名だそう。

ビクティニ:おやつのカレーパンは格別!

ゴンベ:最高にうまいっぺ~!

 

『晩秋の碓氷峠を散歩』をお伝えしました。