みなさん、こんにちは。
今回は、弘前城の桜を見てきました。
弘前市の市街地からは岩木山が見えます。
春になると山頂には雪が残った姿でそびえ立ち、あたかも富士山のような風景を放っています。なるほど、地元では『津軽富士』と言われているように、晴れた空に映える雪をかぶった岩木山は美しいですね。
朝8時ごろにホテルを出て、弘前城まで歩いていきます。
途中の通りにある桜並木には八重桜が咲いていました。
写真の奥には一風変わったルネッサンス風の歴史的建造物『青森銀行記念館』が見えます。かつては旧第五十九銀行本店本館として、堀江佐吉によって設計施工されたものなのだそう。洋風でありながら安定感のあるシンメトリーで、いたるところに和洋折衷の建築様式が用いられています。このあたりは他ではあまり見られない洋風な建造物がいたるところで見られるのも弘前ならではの雰囲気です。
ビクティニ:もう桜の時期が終わったのかと思ったら、この辺の桜はきれいに咲いているね。
ミュウ:八重桜だね。埼玉では桜の時期は終わっているのに、青森の方はまだ咲いているところはあるんだね。
ホテルから歩いて10分ほどで弘前城跡の『追手門』にたどり着きます。
お濠の桜はすでに散っていますが、まだ咲いている所も見られます。
弘前城のある弘前公園の入り口には、地元企業から送られたと思わしき桜の苗木が飾られていました。ここ『追手門』は弘前公園の入り口にあたる場所で、一般的なお城でいう『大手門』の役割を持っていたことから、弘前城の正門とされています。その一方で、こぼれ話によるとここ『追手門』が正門でなかったという説があるようですが、築城当初は十棟の城門があったといわれています。そのうち当時の正門が北側にある北門(亀甲門)が正門とされ、ここはあくまで裏門とされていたようです。しかし、寛文5(1665)年に碇ヶ関街道の整備が進んだことで参勤交代の経路が変わったことから、後にこちらが正門とされたといわれています。
ビクティニ:お濠の方はおわっているみたいだけど、入り口にあるしだれ桜は咲いている。
ミュウ:ここではなんか工事やってるみたい。きっと修復工事をしてるんだろうね。
受付にて検温とリストバンドを付けて入場します。
弘前公園内に入ると、色んな種類の桜の花がきれいに咲いています。
枝垂れ桜から八重桜・・・どれも青森の春らしい彩りを見せてくれます。しかも、それぞれの桜の木には名前がつけられているのもまたセンスが感じられます。やはり北東北の春はGWに訪れるものなのだなという実感がわきます。
5月初旬の弘前公園にはいたるところに桜が咲き、GWにはさくらまつりで賑わいます。道端には枝垂れ桜や八重桜、ソメイヨシノ(染井吉野)などの桜が生えています。弘前公園には桜は約2千6百本の本数があり、52種の品種が咲き誇る、いわば青森を代表する桜の名所の一つとして数えられています。
ビクティニ:この枝垂桜は見事な咲きっぷりだ!
ミュウ:八重桜もきれいに咲いているよ!
お濠の城郭に植えられた桜はすでに散っていました。
城郭に植えられているソメイヨシノは開花時期が早いようで、この時期では花が咲きおわり新緑へ変わりつつあります。お濠の向こうに建つ櫓は『辰巳櫓』というもので、追手門から入ると必ず最初に見る櫓です。これは、城郭にとりつく敵への攻撃や物見のために造られたもので、防弾や防火のために土蔵造りになっています。1・2層は四間四方の同面積ですが、3層目だけ小さくなっており屋根は入母屋になっています。歴代の藩主は、この櫓から三の丸を通る弘前八幡宮の山車行列などを観覧したという言い伝えがあります。このように櫓の名前が付けられたのは、天守から見た方角を十二支で示したもので、辰巳の場合は南東に当たる櫓のことです。
ビクティニ:ここの桜は終わっちゃった。
ミュウ:ソメイヨシノは開花が早いんだね。
弘前公園には様々な野鳥が生息しています。春にはメジロやウグイスなどのさえずりが聴こえてきます。また、城郭には時々ダイサギが見られることがあります。
南側の入り口からは、『杉の大橋』という橋をわたり、『南内門』をくぐると弘前城の近くまでやってきます。
これは、杉材を用いた橋ということで名付けられています。文政4(1821)年に濠の両側が石垣になるとともに、檜材によって掛け替えられ、欄干や擬宝珠がつけられた仕様になっています。
この櫓も城郭に侵入してきた敵を攻撃・物見するために造られたものです。
弘前城に現存する櫓は3箇所あり、さきほどの『辰巳櫓』のほかに『未申櫓』、『丑寅櫓』があります。こちらの未申櫓は、文字通り十二支でいう未申で、南西に当たります。このように古風な形式を保った櫓が3つ遺っているのは貴重です。本丸から見た方角の位置にそれぞれ十二支にちなんだ名前で付けられていたのが、弘前城に限らず当時の日本の藩政としては標準的だったかと思われます。弘前城に現存する3つの櫓はいずれも3層建てなので一見同じような姿に見えますが、よく見ると窓の形などの細部に造作の違いも見られます。軒下や出格子の木部は素木のままで飾り気はないものの、いずれも独特の美しさを見せてくれます。
本丸の南東端に天守があったのですが、現在は石垣の修復工事中で2024年ごろには工事が終わるそうです。そして、2026年度から2028年には天守の保存工事ならびに耐震補強が行われ、もとの石垣の端にあった場所へ天守が戻されることになっています。
本丸に入るときは受付で入場券を購入し入場します。
弘前城天守の近くまでやってきました。
天守の入り口から見ると、石垣や桜の木に包まれた天守の風景が目に飛び込んできます。
石垣に生える枝垂れ桜も風流ですが、左側に咲く八重桜は『弘前雪あかり』という品種です。咲き始めは白地に淡紅色の覆輪が入り、満開になると白色になります。ここでは、ソメイヨシノより1週間ほど遅く開花します。そのため、GWに訪れるとソメイヨシノの開花が終わっても、八重桜の開花は見られるのです。平成29(2017)年には日本花の会により、新しい園芸品種として認定されています。なお、この原木は弘前公園のピクニック広場に植裁されています。
弘前城に植えられた枝垂れ桜の中でも一回り大きな桜の木です。
この桜の木は大正3(1914)年に在弘宮城県人会の寄付によって植栽された枝垂れ桜です。この樹は、にた環境にある御滝桜より開花が3~4日早く、時々花びらの枚数が7~8枚となり、普通の枝垂れ桜とは異なることから、『弘前枝垂れ』とも言われています。
弘前城のシンボルともいえる天守です。
津軽の名城らしく風格のある天守に桃色の桜の木とのコントラストは美しいです。
このお城は現存する天守としては最北端にあります。築城当初、天守は本丸南西隅に建てられていましたが、寛永4(1627)年の落雷で焼失したと伝えられています。現在の天守は文化7(1810)年に九代藩主こと津軽寧親(やすちか)が本丸南東隅に櫓造営の名目で建てたもので、三重三階の独立天守です。内濠に面する東側と南側には破風や懸魚が設けられていますが、本丸側の北・西面や内部は質素に作られています。また、この天守は江戸時代後期における天守の形としては典型的なものとされ、関東以北に現存する天守として唯一残っています。今の天守は石垣修理工事のため、約70メートル本丸内部へ曳家され、写真のような位置に鎮座されていますが、工事が終わった後、元の石垣の隅にあった場所へ引き戻す作業が行われる予定です。
ビクティニ:お城と桜の風景が美しい!これぞ、津軽風景!
ミュウ:今日は晴れていてよかったね。
にょろもう:小さなお城だね。
ゴンベ:ここでお団子たべたいっぺ~
ビクティニポンチョのピカチュウ:桜がきれいだね。
天守の脇に井戸枠が置かれています。
この井戸枠は、天守より65メートル北側の石垣沿いにあったのですが、本丸石垣修理に伴い、この場所に移転しています。この井戸枠に使われる石材にはデイサイト質の凝灰岩でできたものだそうです。
もちろん、さくらまつり開催中でも天守に入って見学することができます。
弘前城天守は、津軽藩二代目藩主こと信枚によって築かれたもので、当初は本丸の南西部に五重の天守として建てられましたが、後に九代目藩主こと寧親によって櫓造営の名目として幕府より許可を得て文化7年に完成し、その建築当時からの姿を現代に伝えています。現在の位置を除いて本丸の南東部に建つ三重三階の独立天守には破風や懸魚を白漆喰とした切妻屋根をもつ張り出しを1・2階の南側・東側にそれぞれ設けられていますが、北側と西側および内部は質素に造られています。壁の厚さは約30㎝(内濠側は約33cm)あり、内壁と外壁の間には直径6cmくらいの栗石が使われています。これは、敵からの鉄砲弾が城内に貫通するのを防ぐために用いられた構造になっています。
平成の曳家工事に使われた油圧式ジャッキも展示されています。台車やジャッキを活用して、大きな天守を移動させる作業は、大変大掛かりだったことでしょう・・・。
お城ならどこにでもある『石落とし』。これは石垣を伝って登ってくる敵を石を落としたり、槍や棒などで落として城を守る仕掛けです。『武者落とし』ともいわれています。
天守の窓からは枝垂れ桜と津軽富士こと岩木山の景色が見えます。
まさに弘前ならではの春の景観です。岩木山は標高1625メートルを有する青森県で一番高い山です。古くより信仰の山とされ、かつての津軽藩はその山を『鎮守の山』とされてきたのです。当時の歴代藩主が岩木山神社に寄進を行ったことから、その社殿は荘厳なものとなり、『奥の日光』とも呼ばれていたそうです。なお、岩木山神社は、文字通り岩木山の麓にあるので、ここから車かバスで30分ほどで行くことができます。
北の郭サイドに足を運びます。すると、本丸と北の郭を結ぶ『鷹丘橋』を渡ります。
この橋の名前がついたのは、改称前は『鷹岡(高岡)城』という名前にちなんで付けられたのだそうです。
北の郭にある休憩所で軽食にしました。
軽食にアップルパイをいただきます。青森の特産品はいわずもがなりんごの産地であり、そのうちの弘前市は国内におけるりんごの生産量としては最大級といわれています。
ビクティニ:甘くて美味しい。新潟の笹団とはよくあう。
ミュウ:さすが青森!美味しい!
弘前公園の広場にはチューリップが植えられています。
その背景の桜並木に満開の桜が咲き誇ります。チューリップに桜の風景は、まさに春の景観です!チューリップは4月が見頃ですが、北東北に位置する弘前では春が遅いので、GWになると桜とチューリップのコントラストが見られるのです。それにしても、桜とチューリップの彩りが見事ですね。
ビクティニ:チューリップと桜だ!まさしく北の春って感じだね!
ミュウ:とってもきれい!
弘前公園にはお城がある他、植物園も設けられています。
自由広場には、桜の木の他に水仙、チューリップなどが咲いており、春らしい彩りを見せてくれます。城下町とはいえ、ここは和風な弘前城とは違って洋風な風景が溶け込まれています。
こちらは、世界遺産・白神山地を表現した生態園です。
ブナをはじめ、白神山地に生える様々な植物が展示植生されています。小川までも表現されていて、白神山地の模擬としてはかなり凝っています。弘前市内にいるとはいえ、あたかも自然の中にいるかのような感覚になります。
大きな葉っぱに黄色い小さな花を咲かすオオバキスミレも、白神山地に自生する植物の1つです。
文字通りスミレ科スミレ属の多年草で、本州から北海道にかけて明るい湿気のある山林で自生します。葉っぱはスペード型で先端が尖っていますが、小ぶりながら明るい黄色い花が可憐です。花の中心部には細い縞模様があるのが特徴です。
津軽藩の紋章デザインにもなっている『牡丹』は、もともと中国原産の花木であり、『花王』、『花神』、あるいは『百花王』として古くから栽培されています。奈良時代に薬用として日本へと伝わりましたが、江戸時代では観賞用としても使われていたといいます。その品種は数百あり、欧米でも改良種が開発されています。なお、津軽藩の家紋も『津軽牡丹』がモデルになったとされ、当時の近衛家や鷹岡家の家紋で用いられていました。
また、知床に生える植物も展示されています。他にもビャクシンやスノーフレークなど、様々な植物が植えられています。
ビャクシンは、南東北から沖縄まで幅広く分布する常緑ならびに針葉樹であり、中国や朝鮮半島でも見かけられます。別名『イブキ』ともいわれ、庭園の植え込みなどでよく見かけられるほか、海岸や岩場、崖地に自生する事が多く、生命力が高いことから盆栽にも使われています。同じ個体でも地域によっては葉っぱが針状だったり鱗状だったり、あるいは斑入りのものもあるなど、種類に富んでいます。また、秋になると実ります。
白いスズランののようにベルの形をした下向きに咲く花は『スノーフレーク』といい、白い花びらに先端の緑色の斑点が特徴的です。秋に球根を植えると2月上旬か中旬に葉が芽生え3月には1つの花茎に1~4個の花を咲かせます。咲き終わると地上部が枯れて休眠に入り、春頃にはまた芽吹きます。
植物園内には植物のみならず白い孔雀も飼われています。
こちらの『シロクジャク』は、キジ目キジ科のインドクジャクの白変種であり、正常な遺伝から体毛や羽毛、皮膚などが白化した生き物です。
植物園に咲いているチューリップの花壇は大変綺麗に咲いています。
赤から黄色、白、桃色、紫、薔薇色など、彩り豊かなチューリップが春の彩を見せてくれます。チューリップの他にもバラなどの花も咲き誇っています。
植物園から見た辰巳櫓です。ここから見ると隅に建つ櫓が風光明媚に感じます。本来の天守もこのように石垣の隅にポツンと建っていた姿が思い浮かばれます。弘前城の天守が元どおりの姿に戻るといいですね。
弘前城の周辺には様々な洋風建築が建っています。
赤い屋根に白く緑色の窓枠が一際目立つ『旧弘前市立図書館』もその1つです。
この建物は日露戦争の勝利を記念し、明治39(1906)年に建てられ、昭和6(1931)年まで市立図書館として利用されていました。設計・施工は堀江佐吉で、木造建築の洋風3階建てです。両端に配置された八角形の双塔をもつルネッサンス様式を基調としつつ、漆喰塗りの外壁および寺院建築に見られる『木鼻(きばな)』が用いられるなど、随所に和風様式が取り入られているのが特徴的です。また、室内を明るくするため、多数の窓を設け、採光するような工夫もされるなど、明治期ならではの建築構造がいかにも当時の土木建築が伺い知れます。
内部は無料で自由に見学ができます。
1階は図書室になっているほか、館長室や婦人閲覧室などがあり、当時の図書館としての形態が復元されています。こちらの婦人閲覧室では、学校で使うような机と椅子が並べられています。ここで静かに勉強をされていたのでしょう。
1階に設けられた図書室には、立派な机と椅子が鎮座しています。これだけ机が大きかったのは、ここで本の貸し借りの手続きを行っていたと思われます。明治期から残る当時物の椅子と机に年季を感じさせます。
本棚には、歴史に関する本や資料をはじめ、俳句や和歌、楽曲系の本などが収納されています。どれも古そうな当時物の本ばかりで、中には出版から百年を超える本もありそうです。
この旧図書館は、東奥義塾の敷地に建てたものを市に寄付されたもので、図書館として利用された後は、市内にある富野町に移築されていたようです。平成2(1990)年には市制百周年記念施設の1つとして、現在の場所にて復元されています。
2階に登ってみましょう。
普通閲覧室を中心に特別閲覧室と評議室があります。ここには、地方出版物や同人誌の紹介、版画などが展示されています。
普通閲覧室では、詩や歌、俳句、文学、津軽地方に伝わる作品など、様々な本や作品が展示されています。
弘前は、城下町としてだけでなく、『文学のまち』ともいわれています。
それらの作品には津軽地方を舞台にした小説や写真、作品などが展示されています。作品や日記には青森に関する内容が記されていて、津軽ならではの風土が感じ取れます。
弘前をはじめ津軽地方にまつわる詩や和歌も詠まれています。弘前詩人の中には、様々な歌が詠まれていますが、その中でも津軽地方の風景や自然などを詠まれ、それらは詩集として後世へ残しているのでしょう。
様々な時代を通して、津軽地方の記録が記された『ふだん記津軽』をはじめ、津軽地方の歴史を伝える、あるいは時代の変化とともに様々な思い出が刻まれた小説や作品などが展示されています。見る限り、昭和50年代後半頃のものと思われる本ですね。
青森県には、色々な文学がまつわる文学碑があちこちに鎮座されています。
青森県の詩人や文学者といえば太宰治が有名ですが、他にも石川啄木や高木恭造、八木隆太郎、福士幸次郎などの文学碑が鎮座されています。こうして津軽地方の至る所で、風景や景色を詠まれていたのですね。
弘前市民憲章の歌も展示されています。
弘前といえば、弘前城をはじめ四季を通して様々な風物詩が感じ取れます。桜、ねぷた、りんご、雪・・・まさに青森らしい四季ですね。
昼食に、旧東奥義塾外人教師館にあるレストランで『りんごカレー』をいただきました。ライスの中央にりんごのトッピングが添えられており、カレーは普通のビーフカレーといったところでしょうか。
ビクティニ:いただきます!・・・うまい!
ミュウ:りんごの香りがする。
ゴンベ:りんごとカレーは意外と合うっぺ!
にょろもう:何もかもりんごの匂いがしていておいしいね。
ビクティニポンチョのピカチュウ:おいしい!
藤田記念庭園にも見学します。
弘前公園に隣接しているので、弘前城から近く徒歩で行ける場所です。
ここも洋風建築の建物も見られます。春を感じさせる桜の木に洋風の家、日本庭園・・・どことなくイーハドーヴのような雰囲気を漂わせています。
こちらの洋館は、弘前市における代表的な近代建築の担い手である堀江佐吉の子孫が設計および施工にあたり、建てられたものです。ステンドグラスや窓ガラスなど、現在でも当時からのものが多く残されています。館内には、藤田謙一に関する資料が展示されている他、大正浪漫喫茶室も併設されています。
ビクティニ:まるでジブリの世界にいるかのよう・・・。
ミュウ:赤い屋根に洋風な家がおしゃれだね。
和館では抹茶体験のイベントが行われていたので、参加してみました。私が抹茶を点てるのは人生で初めてです。
抹茶の点て方は至ってシンプルです。
まずは茶碗を熱湯で一通り温めた後、抹茶の粉を右の茶杓で1杯分を茶碗に入れます。さらに熱湯を入れ、『茶せん』といわれる道具を使って点てるだけです。茶せんで抹茶を立てる時は自然に心が和みます。一通り立てたら『お抹茶』の完成になります。
この時期はさくらまつりのシーズンということもあり、桜の大福と一緒にお抹茶を楽しめました。
和館は高台庭園の主屋敷と岩木山を借景する離れ屋敷を棟分けし、廊下を介して建てられたものです。木材には屋久杉が使われ、靴脱石には鞍馬石が使われたりなど、趣にこだわっています。庭先の桜の花と和風の家の雰囲気がとても美しさを見せてくれます。まるでどこぞの古民家を思わせる雰囲気でどことなく懐かしい感じです。軒下でお抹茶をすすりながら桜や日本庭園を眺めていると、心が落ち着きますね。
和館の内部は板戸絵、ななこ塗の箪笥、狩野派屏風なども展示されています。掛け軸から様々な骨董品、他にもねぶた祭りや弘前城の写真なども展示されています。
園内は、高台部と低地部に分かれています。
高台部は岩木山が眺望できる借景式庭園になっていますが、崖の階段を降たところにある低地部は池泉廻遊式庭園になっています。下の庭園では、大きな池に流れ落ちる滝、植え込みなどの景趣を楽しみながら散策できます。池の上を優雅に泳ぐカルガモたちの姿や池の中を泳ぐ鯉には心を和ませてくれます。ただ、時々聞こえてくるカラスの声がうるさいのは残念です・・・。
藤田記念庭園は、同市出身の藤田謙一が大正10(1921)年に別邸を構える際、東京から招いた庭師によってつくられた江戸風な景趣庭園です。その後に弘前市の市制施行百周年を記念として整備され、平成3(1991)年7月に開園されたものです。総面積は約21,800平方メートル(約6,600坪)あり、東北地方において平泉毛越寺庭園に次ぐ広さです。
さて、弘前市を後にしてレンタカーで十和田湖へ向かいます。
東北道小坂ICから樹海ラインを延々と十和田湖方面へ進んで行くと、『発荷峠(はっかとうげ)』という高台から見える展望台が見えてきました。ここからは、雄大な十和田湖が見渡せます。
十和田湖は、『十和田八幡平国立公園』にあり、八甲田山をはじめとする外輪山に囲まれた二重式陥没カルデラ湖です。
水面標高は400メートルあり、面積は61.1k㎡、周囲長46km、そして最大水深は327メートルあり、日本で3番目の深さを持つ淡水湖です。この湖は東側へ流れる『奥入瀬渓流』の源流でもあり、カルデラ湖である十和田湖は、火山の噴火でえぐられた大地に、長い月日をかけ雨水が貯まって湖として形成されたのです。その原生な自然から歳月の重みが感じられ、北東北の高地の環境にありながら冬でも凍ることがないことから別名『神秘の湖』ともいわれています。
弘前市から車を走らせて約1時間半ほど、十和田湖の中山半島の付け根にある『休屋』に到着します。
十和田神社は休屋の奥の方にあり、鳥居をくぐると凛々と生える杉木立に岩場に生える苔、森林地帯でしか見られないような植物など、涼し気な参道を歩いていきます。しばらく歩くと、階段のある鳥居に狛犬の像、手水舎が見えてきます。
階段をのある鳥居をくぐると、立派な社殿が姿を現します。
十和田神社の社殿です。
木造でありながら流造の様式、どっしりとしたしつらえの拝殿は、細部までこだわりが見て取れる彫刻が施されています。そして、木造ならではの重厚な建築美とともに杉木立の背景が荘厳さを感じさせます。
祭神として日本武尊が祀られていますが、かつては熊野権現および青龍権現と呼ばれていたといいます。というのも明治の神仏分離までは東北地方に色濃く残る水神信仰の象徴であったといわれているのです。そのため、江戸時代には十和田山青龍大権現が祀られており、現在も奥の院に祀られているといいます。静謐とした雰囲気の中、今も竜神の息づかいを感じるかのような神秘に満ちあふれています。
十和田湖の湖畔に建てられた十和田神社を創建したのは、『南祖坊』という修験僧であったことから父親は藤原是真、熊野権現に祈念して生まれた子とされているということです。南祖坊は熊野権現で修行した際、神より鉄の草鞋と錫杖を授かり「百足の草鞋が破れたところに住むべし」とのお告げを聞き、百足の草鞋が破れた地が十和田湖のほとりで、その湖に住む八頭の大蛇である『八郎太郎』と戦い、勝利の末にこの湖に住み着くようになり、青龍権現として崇められるようになったのがこの神社創建にまつわる言い伝えだともといわれています。
ビクティニ:ロシアの戦争が終わりウクライナの人たちが平和に暮らせますように・・・。
ミュウ:事故なく旅行ができますように・・・。
湖畔には『乙女の像』が鎮座されています。
その乙女の像こそが、いわば十和田湖のシンボル的な象徴です。
この像は十和田湖国立公園指定15周年を記念し、昭和28(1953)年に建てられたものです。これは詩人にして彫刻家でもあった高村光太郎の最後の作品だともいわれています。2人の裸婦が左手同士で会わせるように向かい合っており、光太郎の愛妻である詩集『智恵子抄』で知られる智恵子夫人がモデルになっています。
湖畔から十和田湖を眺めてみましょう。
湖畔にはいくつか小さな島が浮かんでおり、湖上を走る遊覧船も見えます。
十和田湖は、青森県および秋田県の県境に挟まれた湖であり、県境に挟まれた湖は珍しいものです。これからの初夏には新緑、秋になると紅葉、冬には雪景色になるなど、四季を通して様々な景観が楽しめます。遊覧船で回るもよし、展望台から写真を撮るもよしの十和田湖は、青森ならではのシンボルと言っても過言ではありません。
休屋の湖畔で食べるきりたんぽは美味しいものです。
十和田湖といえば、青森というイメージが強いですが、場所によっては秋田県になっているところもあったりすることから、お土産屋に売られているものが青森名物になっているものもあれば秋田名物になっているものも売られています。おやつのきりたんぽを焼いたのも売られているので、きりたんぽをかじりつつ十和田湖を眺めるのもいいものです。休屋は山々に囲まれた湖の湖畔にあるにも関わらず、標高は400メートルほどで、それほど標高が高くはありません。
ビクティニ:雄大な十和田湖を見ながら食べるきりたんぽ美味しい!それにしても山奥にある割りには、標高はそこまで高くないね・・・。
さて、日が暮れてきたので今宵のホテルに宿泊します。
今宵の宿『ホテルビューレイクホテル』では、庭先に流れる小さな川が青森県と秋田県の県境になっています。ホテル自体は秋田県に位置していますが、小川を越えると青森県です。そのため、ここは県境が間近で見られるホテルとしては非常に珍しい場所です。
ビクティニ:ここが青森県と秋田県の県境とは・・・。不思議な場所があるものだね。
ミュウ:大きい湖だからか、県境に挟まれているものね。
十和田湖の夕日も美しいものです。
向こう岸の山々に沈む日に水面に照らされた陽の光が美しく煌いています。県境から 見てみると、十和田湖の広さが実感できます。ただ、夕暮れになった十和田湖を外で見るといささか肌寒いです・・・。
庭先を見ながらホテルのロビーで飲むりんごジュースは美味しいものです。また、先日に新潟駅で購入した笹団子も一緒に食べるとこれまた美味しいです。
ビクティニ:十和田湖を見ながら新潟の笹団子を食べるととても美味しい!
ミュウ:新潟からここまで来るのに結構遠かったもんね・・・。
ホテルで出た夕食も、秋田名物のきりたんぽ鍋が出たりしたので、とても美味しかったです。他にも青森の帆立を使った料理や十和田湖でとれるヒメマスの刺し身も美味しかったです。
ビクティニ:さっきもきりたんぽ焼きを食べて夕食でもきりたんぽ鍋が食べられるのはうれしい。いただきます!・・・うまい!
ミュウ:帆立も美味しい!
にょろもう:刺し身も美味しい!
ゴンベ:すごくうまいっぺ!
ビクティニポンチョのピカチュウ:美味しい!
窓をちょっと開けると十和田湖の波音や小川の流れ音がBGMのように聴こえてくるので、快適に過ごせました。冬になると寒いですが、GWのような初夏だと涼しく感じます。ホテルの部屋自体も広いので、大変快適に休めました。
ビクティニ:明日は奥入瀬渓流へ行こう。
ミュウ:でも、奥入瀬渓流へはどうやって行くの?
にょろもう:なんか涼しそうなところだな。行ってみたい。
ビクティニポンチョのピカチュウ:十和田湖はきれいだったけど、奥入瀬渓流はどんなところだろうね。
ゴンベ:奥入瀬渓流でも美味しいものがあるといいっぺ。
作者:さて、どうやって奥入瀬渓流に入るか・・・。
GW青森・函館旅2日目 終わり
3日目へ・・・